37.オーディオ装置一段落[1]
CDプレーヤーのPD−D9mk2が加わったことで、ピュアオーディオ装置の整備は一段落ついた事になる。
まあ、スーパーウーファーだの、部屋の改良(できる範囲で)は、あるけれども、SWはやらないかもしれないし、たぶんやらないな。
一区切り、大きな一区切り、というわけだ。
なぜ完結か。すべての装置を、慎重に検討して選んだもので揃えたからだ。
必ずしも高いもの、評価の良いものを選ぶということではない。
慎重に検討して、納得して、ある意味ほれ込んで選ぶ、というのが重要なのだ。
必ずしも高級品をそろえる、という事ではない。予算を含む実生活のさまざまは制約条件の中だからこそ、慎重に検討して選ぶわけだ。
ところで、音楽を聴くときは、いろいろな聴き方がある。心身の状況により、時間帯により、誰かと一緒に聴くかどうかによっても違う。
音楽を、時に真剣に聴く。集中して聴く。心から聴くときがある。
そういうときに使う装置は、心から選んだもので聴きたいからだ。
第1期オーディオ時代も、そうだった。UP−203Sを使ったスピーカー、サンスイのAU−707、テクニクスのSL−1200+205Cmk3。
心から音楽を聴くときは、無心になる。
そういうときには、音の違いが良くわかる。
それに対し、聴き比べをして違いが良くわかった、という経験はあまり無い気がする。
聴き比べのできる環境というものがあまり無いしね。
最近は、聴き比べをしようとも思わない。
アマチュア・オーディオファンは自分の事を“駄耳”と呼ぶ傾向があるようだが、聴き比べで、すぐにわからない、という意味では私も駄耳だろうと思う。
オーディオは、確かに音楽鑑賞(音楽を聴くという趣味)とは独立した趣味だと思うが、オーディオファンは音楽鑑賞をしない、というわけでは無い。
オーディオファンが音楽鑑賞をするときのオーディオ装置は音楽を聴くための手段である、という側面もある。
装置を構成することや使いこなしは趣味のオーディオの分野だと思うが、そこから出る音のよしあしを“感じる”のは、(私の場合)音楽を心から聴いているときであって、装置の聴き比べをしている時ではないのだから、聴き比べ上は駄耳で結構。心から聴いている時には自然に音のよしあしがわかるから。
その、音楽鑑賞をしているときに出てくる音に不足を感じたら、”趣味としてのオーディオ“の出番だ。望ましい音に近づけるように”趣味としてのオーディオ”で努力する。その結果(ある程度)納得のいく音になれば、安心して音楽鑑賞もできる。この繰り返しだ。
「趣味としてのオーディオ」と、「音楽を聴くという趣味」は、かくして補完関係に立つのだ。これが、私のアマチュアオーディオ・音楽鑑賞理論である。
音の違いがわかるときというのは、他に、装置のどこかにトラブルがあるとき。スタイラスにゴミがついてたり、配線に問題があったり、パーツが寿命になっていたりとか、どこかに正しくない使い方をしているときは不思議とわかる。
聞きなれたソースを聴くと、装置を変更したときもよくわかる。まあ、あたりまえだけど。
音の違いを聴き取ろうとしているときは、装置の調整段階のときが多いな。
パーツを変えたら、「どんな音になったか?」は、気になるし、「どんな音か」によってはセッティングなどの調整をする事も出てくるから。
調整段階が終われば、音楽を集中して聴きけるようになる。
そういうわけで、音楽鑑賞に浸るのは、まあ、来週からだ。LPだけでなく、これでCDも心から聴けるというものだ。
一段落[2]
翌週も3連休で、日曜日に「聴く時間」を取れた。CDばかり聴いた。
出だしは「バッハのある部屋」オムニバスだが、いろいろ入っていて音も美しい。文句なし。次はテラークだ。これがどう聴こえるか?まず、マーレイのオルガン曲集。
目の前にオルガンが聳え立っているかのようだ。音の出所がよくわかる。よしよし。
次、チャイコの交響曲第4番。これも音の出所がよくわかる。意外に左右の分離が良い。定位が良い。位相も良いのだろう。音質もよい・・が、すっきりしないところも感じた。
フォークアンドポップス78年版を聴く。ボーカルが素晴らしい。かすかな違い、微細な違いが良くわかる。これはいい。
ここまでは、良かったのだが・・・。
最後に、LPでも持っていて、LPでは聴きなれているジュリーニ・CSOの「展覧会の絵」を聴いた。CDで聴くのは初めてだ。
こ、これは!お、音に芯が無い!・・・うつろなバットを振っているような、空芯菜のような音だ。バーチャルだ。本当の迫力が無い!大きな音だが、スカー、フワーと頭の上を通り抜けてしまうような感じだ。リアリティが無い。打楽器を"叩いて”いる感じ、管楽器を”吹いて“いる感じ、弦楽器を”弾いて”いる感じが無い!
長岡鉄男が書いていた「聴感上のダイナミックレンジはアナログの方が上だが、なぜなのかは、謎だ」と書いていたのは、このことか!
「東宝特撮総進撃」の中に、「東宝の実写に比べればCGを合成したいまどきの映像は、てんで迫力が無い」という事が書いてあったが、そんな感じ。着ぐるみの怪獣がひっくり返れば、ドシン、という重量を普通に感じるが、CGだと、破片は飛び散るし、音響もすごい(飛び散る破片が定位感で、音響がデータ上のダイナミックレンジだな)けど、重量感は無いものな。
「LPレコード再発見」で書かれていた「初めてCDを聞いたとき、あっ、ヘッドアンプ(MCカートリッジ用のヘッドアンプのことだ。ここでは、複雑な電気回路を通った後の音、という意味で使われていたようだった)の音だ!と思った」のと同じ(ではないか?)
これは参った。聴き比べなければ、わからなかったものを・・。しかしCDでそこまで迫力を求めると、それこそVRDSとかターンテーブル式とかになるものなのか?または、25万クラス、50万円クラスの製品が必要になるのか?
そんな高額なものは、私のオーディオの許容範囲を超えているから、はなっから想定外だ。今の、この音でがまんするというか、これを生かしていくしかない。この音には、この音の良さもあるので、これを生かしていけば良い事だ。
LPとCDを聴き比べのために同じソースをたくさん持っているわけではないし、聴き比べをしたいとも思ってないのでね。
しかし、「わけのわかるオーディオ」では、”インシュレータの音”という事を言っている。
アナログプレーヤーは柔らかいインシュレータを使っているから音も柔らかい。もし固いインシュレータを使える環境であれば、もっとハードな音が出る。柔らかいインシュレータを使っている限りCDに勝てない」との事だ。
現在、PD−D9mk2は、アンプの上にゴム足を載せ、そこに載せている、”とりあえず配置”だ。
これを直せば、音が変わる(?)かも知れないね。いずれ、やってみる事になるだろう。そのときはまたCDで展覧会の絵を聴いてみると思う。