35.オーディオの珍理論を思いつく

11月16日(日)

 今日も風邪が治らんので実家の掃除は休みにさせてもらった。

 金曜の朝から調子が悪かったっけ。

 シベリウスの2番を聞いてうとうとした。ヴァンスカのは、間延びする感じ。

 LPでエラートのテストレコードB面を聴いたが、うん、意外にもピカリングは奥行きがよくわかる。楽器の位置もよくわかる。高音の伸びは、さほどではない感じだし、解像力はいまいちの感じだが、全体的に楽器が目の前に実在するような感じがする。すごいね。

現在、ピカリングはダスタマチックブラシを上に上げた状態で接着固定している。あれを使うとインサイドフォースなどにアームが振られて針飛びしやすくなったからだ。

次にタクシードライバーのサントラを聴いたが、金管がとがることはなかったな。これも奥行きが出る音になった。不思議だ。人工的な奥行か?そんな器用なことができるのかね?

またもジュリーニ・ロスフィルの「マ・メールロア」を聴いたが、やっぱりそういう感じだ。うーん。これはいいかも。

しかし、FE163En-Sを導入してから約2年だ。早いものだ。つまりF-56mk3になってほぼ2年。いかに週1〜2回しか使わないとは言っても、円熟の音になってきているのではないか?必ずしも、カートリッジの違いではなくて。

オーディオのほうも、装置は落ち着いていたのだが、多少改良したいところはある。

スピーカー・ネットワークの配線だ。現状は、トゥイーターへの配線の途中にスイッチがあってオン・オフできるようになっている。これは、ソフトドームトゥイーターとの切り替えをするためのものだが、使わないので、廃止して直結にしたい。そのかわりに、スイッチを介してコンデンサーをさらに並列に入れてトゥイーターの効きを調節できるようにしよう。また、配線がぐちゃぐちゃで見苦しい。これは同軸型のスピーカーケーブルを使っているせいもある。うまく、きれいに配線したい。はんだ付けも、もうちょっとスマートにしないとな。

リスニングルーム


 リスニングルームだが、狭い上に右より配置。しかも右側にサイレントドラムが設置されている。
存在を許されているだけで、感謝!という状況だ。


11/22(土)

 丸1日休み。風邪がぶり返しているが、昨夜、帰りに内科に寄り、葛根湯加川芎辛夷をのんだ。(寝付きが悪くなった)
 
夕方、アイドリングなしで「英雄の生涯」を聞いたら、しょぼい音だったっけ。

11/23(日)

朝から実家へ。頭痛が残っていたので、代田橋のコーヒー屋でカフェオーレと一緒に頭痛薬飲む。次回、32w蛍光灯、大型ビニ手がいる。

掃除の労働で体が温まったので快方へ向かう。帰ってから皿洗いして、バッハ・チェンバロ協奏曲を聴き、クーベリック・チェコフィルの新世界3・4楽章を聴く。まさに「いぶし銀」だった。

次にセル・クリーブランドの運命を聞く。運命はおいそれと聴けない。覚悟がいる。しかし、よかった。迫力の第一楽章、純粋な喜びが湧き上がってくる第2楽章、音の一つ一つが「聴かせる」終楽章まで充実した演奏だった。

 

11・25

今月は、LPはピカリングで聞いている。レンジは狭い感じだが、音の定位がよいのだ。不思議だ。

それと、CDPのほうだが、ラックの固定棚に載せるようになってから、しっかりした音になったような気がする。

CD聴いていて、LPに比べてもあまり不満を感じることがない。

ずっとCDばかり聴いている日もあるようになった。

この環境でLPとの聴き比べをしたなら、どうなるか?

 

11/29(土)

LP(コンヴィチュニー・ゲヴァントハウス)でベートーヴェン4番を聞いたが、やはり定位感がよい。ピカリングだ。高域の伸びは足りない。ただし、最初のころより落ち着いた音になった気がする。

ボーカルを聴いても、同じLPで今まで感じ取れなかった歌手の存在感がある。ピカリングのせいか?スピーカーのエージングなどが進んだせいか?

俺の心の声は、早くカートリッジを205cmk3に代えろ、と言っている。

301Uのキレとスピードはすばらしいが、205Cmk3のワイドレンジ感がいちばん好ましいような気がしている。

 

12/5(金)

ひさしぶりに休暇(10月の代休)だあ。8時に起きて、10時に出て渋谷へ行き、ディスクユニオンを見る。クラシックCDは少ししかなかった。その後、ラーメン食ってライオンへ。バッハのピアノ変奏曲をやっていた。それから実家の掃除をして帰った。

12/7(日)

カートリッジを205CMK3に変えてボーカルを聴いたが、予想ほど音色は変わらなかった感じ。手持ちのカートリッジは全部、一定のレベルに達しているという事か?

変更してもあまり音の差を感じなかった。これは、大変なことなのだが。しかし、カートリッジの音の差は実は少ないのではないか、という気もしてきた。かの「アナログオーディオ再生のページ」にもちょこっと書かれているぞ。(カートリッジの音質の違いは本当はない?)まあ、意味が違うかも知れないが。

カートリッジおよびレコードプレーヤーの音質については、先だって
「支持機構の固定度と音質が比例する仮説」を思いついた。支持機構の固定度が高いほど音が良くなる仮説だ。まあ、珍理論だけどね。

これは、DP−50MとSL−1200系との構造・音質の比較や、長岡鉄男の「わけのわかるオーディオ」の記述から類推したものだ。つまり、MMカートリッジだとカンチレバーのお尻をワイヤーで引っ張って“固定”してあるものの方がそうでないものより音が良い。シェルとボディの接合にガタが無く、しっかり固定されてるほうが良い、シェルとアームの間にゴムリングなど無いほうが良い。いっそシェルとアームの接合部に固めのテープを巻いて半固定したら音が良くなるのでは?MMよりMCのほうがスタイラス部分がボディに固定されてるから良い。(一般にMCのほうが音質が良いといわれる由縁もここにある仮説)MMでもスタイラスがしっかり固定されてひっぱり力の影響を受けない構造のほうが良い、シェル一体型のほうが(他の条件同じなら)シェル取り付け型より良い。アームも差し込んであるだけのものより、キャビに固定されてるものの方が良い。ターンテーブルも同じで、軸受け部をキャビネットからゴムで浮かせているものより、キャビに固定してあるほうが良い。(これを極端にした例として、昔、江川三郎がダイレクトドライブモーターのケース(ターンテーブルの軸受け)とアームベースを鉄ブロック(?)で固着しているのをみたことがあったっけ)

レコードプレーヤのインシュレータは必要だが最小限(元々ついているものだけ)にする。足と床(またはラック)の間に余分なゴムなど敷かない。

この理論によれば、MM型カートリッジのスタイラス部とボディを接着剤で固定してしまえば、MC並みの音になる(?)もしくは、MCを超えた音になる(?)・・・かどうかは、わからないが、差し込むだけよりは良くなるはずだな。こうなるとほんとに珍理論だが。
 せめて、スタイラスをボディにねじ止めして、物理的に固着させるくらいの技を見せてほしかったな。MM派のテクニクス、シュアー、グレースさんよ〜。 

12/13(土)学校公開を見に行く。英語と理科をちょっとづつ。

秋津図書館でラヴェルピアノコンチェルトなど借りる。

中国産アメリカ製PCのD社からクラッシュ対応の返事が来たが、話にならん。D社とは手を切るのがベスト。

12/14(日)選挙に行き、実家へ行く。プリンタを地下室から運んできて年賀状を印刷。来年はなんとかしなくては。時間とられた。それでもセルの田園を聞いた。クレンペラーのマーラー4A面も聞いた。時間切れ。カートリッジは205CMK3にしてある。

やはり定位感は良くなっている。音が飛び回る。音だけでなく、聴くほうの耳も良くなっているのではないか?「耳とシステムの親密化エージング仮説」を思いついた。

 

12/17(水)

今日は休暇だ。

ゆっくり起きて、9:15に出発、実家へ向かう。新宿でシュウマイ弁当買って行く。

日曜と違って時間の制約ないのでふた部屋掃除機かけ、台所も掃除した。

12:30になったので、一休みして出発。十二社大勝軒で腹ごしらえして、バスに乗って新宿高校前まで行く。ディスクユニオンに行って、高音質盤コーナーを見たり、クレンペラーやケンペやトゥールーズCOや、ハイティンクのグレートを探したが無く、長岡鉄男の外盤A級セレクションと吉田秀和の「世界の指揮者」文庫版をどちらも中古で買った。「らんぶる」という喫茶店を見つけて入ったが、音楽はかすかに聞こえるだけで普通の大きな喫茶店であった。むかしは名曲喫茶だったことがレジに表示してあった。

 

12/20(土)

今日は休養。

西東京交響楽団のライブCD聴いたら、結構生々しい音だが、低音不足。トーンコントロール最大にブーストしてもまったく足りなかった。

指揮者体験コーナーでのドヴォルザーク9番は凄かった。ブラボー!も聞こえた。

吉田秀和の「世界の指揮者」をじっくり読んだが、おもしろい。音楽の聴き方がちがう。精密に聴いている感じ。ベームやバーンスタインの良さを認めていても評価は(一般に比べて)意外に厳しく、ショルティやジュリーニは当時の一般の評価(ショルティの場合は今も、か?)より高かったようだ。これも、共感できた。

ところで、ヴァントなんて、影も形も無いようだな。当時からいたはずだが。

 

12/21(日)

今日も休養。ジュリーニ/LAPOのマ・メール・ロア聴いた。

 

12/27()休養。8時まで寝た。二人はレッスンに行くので、ベーコンエッグ作って食べさせた。

英雄の生涯にはまってしまって、また聴いた。レスピーギの「ローマの松」もおもしろかった。

 

12/28()実家へ向かう。駅で定期を更新し、吉祥寺のヨドバシでケーブル、クリーナーなど買う。

テクニカの湿式クリーナー(乾式で使っている)は消耗が進んでいるような気がしてるのでね。今回は、昔、よく見かけた形のものがあったのでそれにした。ケースにクリーナークリーニング用のブラシがついているのが気にいった。あとで調べたら、ナガオカから出てた、よくある奴だった。

あとでわかったが、これは長さが足りなくてLPを拭くのに2回転以上要するので具合が悪い。しかし、意外にも微細なごみが取れるようだ。

他に定番としてディスクプリーナーというのがあった。なつかしいが、今はなさそうだ。

異端の「デッカ・レコードブラシ」ってのもあったけ。それは違うメーカー名で出てたんで石丸で買ってあるんだ。中古レコードを買ったときは最初にこれでクリーニングする。

家に着いて、クーベリック/BPのエロイカを聴いた。

第一楽章最初の部分で針飛びを起こした。前にもあったと思った。腹が立ったので演奏中にもかかわらず(ボリュームは下げたが)針を上げ、インサイドフォースを調整してまた最初からかけた。2回やったがだめ。レコード盤をじっくり見たら、白いごみがそのへんにあった。指と爪で弾いたら、取れた。もう一度クリーナーをかけて、再度演奏。うまくいった。

BPOはきれいだが、このグラモフォンの録音はフォルテでリミッターがかかるようで、伸びきらない。カラヤンの第7もそんな気がしたっけ。終楽章は歪っぽい。このLPだけか?ジュリーニ・シカゴの展覧会の絵などは、おなじグラモフォンなのにダイナミックレンジがはるかに大きい。クーベリックの演奏はいいのに、ちょっと残念。

夜は、炊き立てご飯、鶏肉のトマト煮スペイン風。生ハムサラダ、ほうれん草の味噌汁などを作った。

 

12/30()

またも珍理論だが、
「ヒアリング能力とオーディオ機器の相互エージング理論」を思いついた。

一部の音楽評論家の耳が(オーディオ評論家に比べても)異常によさそうなのはなぜか?(一部のというのは、全部を知らないからだ)

オーディオ機器に関心のない音楽評論家がレコードやCDからあれだけの情報を聴き取れるのはなぜか。

それは、オーディオ機器をやたらに入れ替えず、ほぼ固定しているからだろう。

そういう環境では、音の違いはソースだけだ。装置の違いに紛れてソースの違いに気づかないということが無いのだろう。

逆も真なのだ。ソースが一つしかない場合、もしくはそれに近いような場合(同じソースばかり聴いているようなケース)装置を変えると装置の音のちがいがよくわかる。昔の貧乏オーディオファンは皆、そうだったのではないか?

ところで、今、おれのオーディオ装置は、音の定位感がとてもよくなってきたように感じるのだが、これは機器のエージングか?

それもあるだろうが、俺にはそれだけとは思えない。自分の耳も、自分の装置の音に慣れて、音をたどれる、聞き取れるようになってきたのではないか?もっと言えば、自分の装置と部屋の音にだ。

これはあるだろう。同じ部屋で同じ装置を聴いていれば、耳がだんだん慣れてきて、よく聞き取れるようになってくるのではないか。

もちろん、元の音が、あまりへんな音ではないというのが前提だが。

耳にもイコライザー機能があって、「調節」されていくのだろう。

オーディオの決めて」には、「オーディオはいじらない」という主張もあったっけか。

いくらイコライザー機能があっても、あまりへんな音になっているのに気付かず、それに慣れてしまったのでは、井の中の蛙、になってしまう。

そのために、高級(?)ヘッドフォンを使ったり、時にはテストレコードをかけたりもして、聞き比べたりしているわけだ。

 

現在、目標となる装置類は、ほぼそろったので、上記理論にも従えば、グレードアップは終わり。新たなオーディオ製品を購入する必要は無い。

こういう客が増えると、オーディオは商売にならないね。

オーディオは金のかからない趣味になった(オーケストラ再生のオーディオ)先輩たちは偉かった!

オーディオファンとしてはオーディオが商売にならなくなるのは、困るがなあ。


12/31 早めに(?)起きて(8:00)実家へ行き、普段より丁寧に掃除した。まあ、年末だからね。

和泉商店街の第一食堂へ行ったが休みだったので、沖縄料理店でそばを喰い、代田橋から渋谷へ出てライオンへ行った。ベートーヴェンの田園(E・クライバー)をやっていた。 

その後、グリーグのホルベルグ組曲、ベートーヴェンの第9(フルトヴェングラー)がかかったが時間なので撤退。ほぼ満席になっていたのではないか?

 

1/4()

セルの田園(CD)を聞いた。5楽章の冒頭で針飛び(?)した。巻き戻し(?)して聴いたらokだった。

 グラモフォンの音を聴きたくなり、LPでジュリーニ・シカゴの未完成を聞いた。それからジュリーニ・LAPO・ツィマーマンのショパンピアノコンチェルト1番の2,3楽章を聴いた(LP)。

手持ちのジュリーニ・シカゴ、ロスフィルともにほとんどが同じエンジニアだが、展覧会の絵だけはちがうんだな。ダイナミックレンジも違う。

 グラモフォンの音は、透明で重く、雑味が無い、ってとこかな。

 

1/10(土)

ようやく連休に入れた。

金曜日はけっこうヘロヘロ状態。不眠傾向にあったので疲れたのだ。それでもローソンでショルティのラインの黄金を受け取って帰った。今日聴いたが寝てしまった。

1/11()

プレヴィンVPOのシェエラザード、クーベリック・バイエルンのシューマン・ライン(いい音だった)LPはみんな良い音だ、というと変だが、それぞれ弱点があってもどこかに特長を持っていると思うようになった。

ピンク・フロイドの狂気をLP国内盤で聞いた。重低音だが、普通の音量ならコーン紙は、そんなに振れていなかった。

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