ねころぐ

ーエポス文学館雑録2ー

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   雑録より

CONTENTS:老いと死について/快楽と禁欲(7):自我と死/快楽と禁欲(6):個別化と自我の自由/快楽と禁欲(5):全体への意志/快楽と禁欲(4):釈迦とニルヴァーナ/快楽と禁欲(3):イデア論/快楽と禁欲(2):意志の優位/快楽と禁欲(1)/インターネットの未来と出版文化/言葉の玉手箱/グロテスクな人生/ベオウルフ他/自費出版・夢の崩壊/伊豆の山中にて

      
2009年10月24日(土)
老いと死について

 前回の記事では、死についてかなり抽象的な議論をしましたので、少し補足として、現実の死の実態について書いてみようと思います。
 死については人はあまり考えたがらない。生きていくことのほうが先決で、その終わりである死などは病気や事故などといった事情でもない限り、普通は極力考えないようにするのが人の常である。孔子もまた、いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん、などと言っている。特に若者は30歳以上の年齢すら、ぴんと来ないであろう。
 たぶん天寿を全うするなどという贅沢は、この地上の覇者である人間以外の生物には許されていないことであろう。たいていの動物には(人間のペットでない限り)、年齢に関係なく突然の死が訪れる。運良く長生きしたとしても、動物にとっては、老い=弱さはそのまま死に直結する。夏の間、昆虫たちにとって恐るべき死の罠を仕掛けていた鬼蜘蛛も、秋風の中で固まった体は鳥たちの恰好の餌食である。動物・昆虫たちは老いている暇さえなく死に直面する。人類だけが、戦争や不慮の事故のない限りは、老いの長い期間を持つことができるのである。そこで動物にはない老いという問題が、人間の死には密接に結びついてくる。
 ある種の社会では、老人と賢者のイメージが結び付けられている。ユングの祖型の中にも、老賢者のイメージが取り入れられている。たぶん狩猟・遊牧の社会では、老人は足手まといでしかないので、こうしたイメージは生まれないであろう。知識が生産にとって必要な社会、すなわち農耕社会において、知識の蓄積者である限りにおいて老人は尊敬されたのである。天変地異などに際して、あるいは自然界で営まれる生産上の知識に関して、老人は貴重なアドヴァイザーであった。
 こうした老人=賢者のイメージは、しかし現代社会では完全に崩壊している。その原因は、長すぎる老いである。現代では、人は良かれ悪しかれ老いのあらゆるプロセスを経て、死に至るのである。かつては生存不可能とされた老化の状態も、現代の医療の発達で生命だけは充分に維持されていく。こうした状態で生きつづける老人の数が増えることにより、人々がかつて抱いてきた老境に対するイメージが根本的に変わってきたのである。
 老境に対するイメージが変わったばかりではない。人間というものの根本の観念にも変革が迫られているのである。単なる肉体の衰えは、人間の<尊厳>に大して影響を与えるものではなかろう。単に下の世話が必要となっただけでは、その人の人格が失われるわけではない。人間の価値の中心を成しているものは、その人の心性であり、精神であるからである。老境の真の悲劇は、後者の崩壊が始まった時からである。
 老いの心性を表わす言葉として、<枯淡>ということが言われる。たぶん老境の実態よりも、若年期の老いのロマンチシズムが生み出した幻影であろう。徒然草や方丈記の中に、若者は思春期の暴戻なる生への意志のアンチテーゼを求めるのである。そうした文学は確かに老境の中から、あるいはむしろ老境への準備の中で生まれたものであろう。しかし真の老境はもはや自ら語ることが不可能な状態である。そこに見て取れるものは、枯淡や諦観などといった奇麗ごとではなく、ひたすらなる残された生への執着である。
 精神が衰え、心性への抑制のタガが外れてしまえば、そこに露骨に表れてくるものは、あらゆる生き物に共通し、人間においても又その本質をなしている<生への意志>の外にはないのである。老人たちは老化の事実さえ認めようとはしないであろう。彼らは‘病気’なのであり、いつかは治るという希望を捨てきれないでいる。老人に残された唯一の人間らしさ、というよりも生き物共通の欲求は、<生きたい>という願いだけである。そうした老化の最終段階における老人もまた人間であるならば、そこにもまた人間の価値や尊厳が見いだされねばならないであろう。しかし我々が普通に考える人間の価値や尊厳は、そこではまるで通用しないのである。
 そうした老化の最終段階にある老人たちを見て、特に老いに差しかかった人たちなどは、顔を背けたり、早く死ねばいいなどとつぶやいたりする。もはや死ぬだけの価値しか、そこに見て取れないかのようである。愛情をもたれない老人よりも、むしろペットの動物のほうが老いても良い面倒を見てもらえるであろう。ペットは初めから尊厳や価値などという余計なものを与えられていないだけに、生まれた時も死ぬ時も同じ存在として、最後まで愛着をもって看取られるであろう。もはや動くのは舌だけという存在になっても、その生は愛しまれるであろう。そこには生への意志への絶対の共感があるのである。
 ところが人間に限って、そうした生への意志への絶対の共感が拒まれてしまう。老いてもなお生に執着することを浅ましがったり、見苦しがったりする‘モラル’が人間社会には存在する。「年寄りには働く以外の能がない」と言い切った元首相は皮肉の名人であったろうか。社会的に無能となった老人は、もはや死ぬ以外の価値がないのである。それなのになお生きつづけることができるのは、周囲の人間の愛情による外はない。いわばペットに徹する外はないのである。
 人間は絶対的存在ではない。我々が普通に考える人間というものは、ある限られた期間にしか当てはまらないのであり、もし一生のあらゆる期間を人間に含めるならば、人間の概念そのものが変わらねばならない。最初は四足、次に二本足、最後に三本足、というのはスフィンクスのかけた謎であったが、最後に足も手も役立たない状態となっても人間はつづくのである。人間の価値や尊厳にこだわることによっては、人間は老いて救われない。尊厳や価値などを誰が愛することができよう。人間を愛することよりも、より根本的なのは生命を愛しむことである。人間は人間である前に生命であり、人間であった後にも生命はつづく。生命としての運命的共感を外にしては、人間は天寿をまっとうできないのである。

2009年8月2日(日)
快楽と禁欲(7):自我と死について

 子供は全体への意志そのものである。母親の母胎の中では、完全なる合一の夢を見ている。生まれ出た途端にその夢は破られるが、自己保存の本能から、ひたすら合一への回帰に努める。子供はその知情意の要求のすべてにわたって、周囲の環境に依存しなければならない。それと合一することが、子供の安全を保障し、生存を可能にする。そこでは自我はもっぱら自己保存のために働く。一般的に言って、全体への意志に従うことが快楽を与え、それを阻止されることが苦痛を生む。全体から排除されたり、その意志を阻害されたりすることが、苦痛を生むのである。そのことによって個が孤立し、自我意識が際立つ。自我は自己保存のための機能的自我から、自己の存在を考える反省的自我へと転換する。その時自我は、この世界の中で特別な位置に立つおのれ自身を見いだすのである。
 死について考える時、それが真に問題となるのは、まさにこの反省的自我の誕生と時を同じくする。本質的に言って、全体的意志に支配されている生命にとって、死は存在しないに等しい。個は死において一見生命を失い、その有機的存在を解消されるかに見える。しかし生命にとっては類がすべてであり、個は無に等しい。無であるものが無に帰ったとて、そこには何の違いもない。生命にとって死があるとするならば、それは類の死であり、種の死であり、すなわち全体の死である。かくして、一匹の犬も、一本の木も、一個の細胞もそれが消滅したとて、その死は少しも問題にならない。ひょっとして、人類の大多数の死も同じことであるかもしれない。細胞は、それが有機体全体に不都合をもたらす時には、積極的に死に向かうよう、遺伝子によってプログラムされている(いわゆるアポトーシス)。人間を含めた動物の個の死も、遺伝子の劣化によって種に不都合をもたらさないように、あらかじめその寿命がプログラムされているのである。それは死であって死ではない。もともと全体の生のために、個の生が組み込まれているのであるから、部分の死を死ということはできないのである。私の身体の細胞は日々死んでいるが、それによって私そのものが死ぬわけではない。私にとって細胞の死は問題にならない。
 たとえ自己保存の本能によって、動物が本能的に死を恐れ、死を逃れようとする反応を示したとしても、その反応自体が種の保存のために仕組まれたメカニズムである以上、純粋に個の死の問題とはいえない。動物が生まれつき死の危険を避ける行動をとるからと言って、おのれの死について知っているわけではない。動物が知っているのは単に苦痛である。動物は死を避けるのではなく苦痛を避けるのであるといってよいかもしれない。この意味では動物には死は存在していない。しかも、実際問題としては、死は苦痛の終焉であり、場合によっては快によって代置されてしまうのである(弱肉強食の世界では、脳内麻薬物質をはじめとした死の苦痛を和らげるメカニズムが発達したに違いない)。
 人間もまた生物である限り、個としてのの死は問題とならない。生への意志は全体への意志であり、不滅であり、不死である。全体のために死ぬ人間は、常にその確信を持つている。それが不老不死への信仰となる。全体が生きることによって、個の死は死でなくなる。これは単に、生者
(しょうじゃ)が死者に対してそう思うばかりでなく、死に赴くものの確信でもある。生きる者も死にゆく者も、ともに全体への意志によって支配され、包みこまれることによって、個々の生死は問題とならなくなり、全体の生へと解消されてしまうのである。個々の生死が問題とならない点では、基本的に動物や植物の生死と同様である。生命界のこの根本的な生死のあり方が、人類においても貫徹されているのである。

 それでは、生命界にとって問題でない個の死が、なぜ人間にだけ特に問題とされるのであるか。これは最初に述べたように、自我の発生と密接に結びついている。自我とは既に述べたように、全体への意志と対抗しうる原理を含んだ認識のあり方である。しかし人間の自我を考える前に、まず動物のそれを考察してみたい。
 動物の自我は、非常に狭い範囲の、主として生への意志に奉仕する道具としての、機能的自我である。しかし既に記憶の能力の発達によって、かなり明瞭な自他の意識を獲得している。それによって、自己を中心としたある広がりをもった世界を構築している。そのある意味で自己の世界の中で動物は一生を送る。その自己の見いだした世界に適応できるかどうかが、動物の個としての生のすべてである。もし適応できるならば、それは心地よい世界であり、適応できなければ苦の世界である。この自己を中心とした快苦の連続した世界の中に、動物の死もまた組み込まれている。しかしその死は圧倒的に他者の死であって、自己の死ではない。少なくとも意識されうるのは他者の死であって、自己の死ではない。この点を区別することによって、真の死の問題が明らかになる。動物が自己以外の他者の死に大いに反応することは周知の事実である。まず捕食動物であるならば、獲物を捕らえることと死を与えることとは同一である。他者の死は獲物を獲得することである。しかし、ここには死そのものが自己に直接関係を持つことがない。死は単に他者の身体的存在をおのれのものにするための一手段に過ぎない。その点では、動物は他者の死に徹底して無関心である。他者の死がおのれに直接関係するためには、他者の存在が既におのれの一部になっていなければならないのである。 一例として、小泉八雲の名文を引用する。

 「・・・私は(猫の)玉について、単に心理学的興味から書いているのである。彼女は私の椅子のそばで眠りながら、異様な鳴き声を立てている。それは私を異様な感銘に誘うのである。それは母猫が子猫に対してだけ発する鳴き声である。やわらかく震えるような甘い声、愛撫そのもののような声音である。そしてよく見ると、横向きに寝ている彼女の仕草は、何かをつかんでいる、たった今つかまえている猫の仕草である。両の前足は何かをつかむように突き出され、真珠色の爪が動いている。・・・・・・
 玉は子猫たちが死んでしまったことを、明瞭に覚えていることはできなかった。彼女は自分が子を生んだはずだということは知っていた。そこで彼女は、子猫たちが庭に埋められてからも長い間、至るところを探し回り、至るところで子を呼んで鳴いたのだ。彼女は親しい者たちに大いに訴えかけた。彼女は私にも、ありたけの茶箪笥や衣装箪笥を、くり返しくり返し開けさせ、子猫たちが家にはいないことを、彼女に確かめさせた。彼女はやっとのこと、子猫たちをこの上探すことは無駄であることを納得できた。しかし、彼女は夢の中で子猫たちと戯れている。子猫たちを甘い声で呼び寄せ、彼らに小さな幻のえものをとらえて与える。たぶん、記憶のおぼろな窓を通して、幻の草鞋
(わらじ)をも彼らに運んでやる・・・」(「病理学的な Pathological 」より)

 機能的自我は、欲求と結びついた自我の働きである。自己保存と種の保存の欲求を機能的に果たしうるための、生への意志の道具としての自我である。そのために、種に属さない他の存在に対しては、単に所有と利用の関係において結びつくのでなければ、ほとんど無関心である。自我と他我との結びつきが生じてくるのは同じ種の間、特に親子の関係においてである。子の自我の欲求は、何よりも親によって庇護されることであり、子は親の自我の中に包み込まれることを願う。この消極的に他我にむかう我欲が依存心である。これに対して、親の子に対する自我の拡張が愛欲であり、他我を自我の一部としようとするのである。それによって種の保存が保障される。どちらも、一方は消極的に、他方は積極的に、生への意志=全体への意志に支配された自我のあり方である。
 八雲の文に見るように、動物にとっても人間にとっても、他者の死が問題となるのは、他者が自我の一部となっている場合、あるいは少なくともおのれの所有の一部である場合である。他者の死が苦痛であるのは、基本的に愛欲のなせる業である。愛欲とは自己の所有するものを永遠に保持していたいと願う、自我のはかない願望である。記憶の発達がこの願望に大いに寄与している。そもそも記憶とは、現に存在しなくなったものを、せめてイメージとして保持し続けようとする欲求もしくは必要から生じた機能である。それに愛欲が強く結びついてくるのは当然である。愛欲は現実であり、記憶は幻である。愛欲の対象が単に幻でしかなくなることから、他者の死の悲哀、喪失感が生じるのである。死はここでは基本的に喪失と等しい。もし愛欲が物に向かうならば、物の喪失は死と等しい悲哀を伴うであろう。もし愛欲が自己に向かうならば、自己の死の可能性は大いなるパニックを惹き起こすであろう。自己愛は自己保存の本能と結びついて、自我の死の恐怖または不安を惹き起こすのである。
 ここに、他者の死から自己の死の問題が生じてくる。自我にとって身体は、最も確実なわたしの所有である。もしその一本、もしくは一部がわたしから奪われるならば、それが不要なもの、または病変部でない限りは、それは大いなる喪失感を伴うであろう。しかしそれはまだ死ではない。わたしがいかにわたしの身体を喪失し続けたとしても、わたしの自我はいまだ残されている。身体の喪失はわたしの喪失ではない。わたしの死は単なる喪失ではないのである。それではわたしが死を恐れる時わたしは何を恐れるのであるか。他人の死においては、もし他者の自我が私の自我の一部となっていたならば、わたしは私の一部を失うことになるが、わたしの自我そのものが失われはしない。わたしの自我はわたしの死によって何かを失うのではない、ただ消滅するのである。自我はその死の可能性によって消滅と向き合う。他者の死が単に喪失であるのと、根本的な違いがここにある。
 自我は自己自身と外界への愛着を断ち、意識そのものである自己を見つめる時、反省的自我となる。そこに見いだされる意識的存在としての自我は、栄光と悲惨の間を揺れ動く実存的自我であることは、パスカルにおいて既に見たところである。自我は死において、無の深淵の前にたたされる。死において、わたしであるか、わたしでないか、有か無か、意識か空か、の瀬戸際にたたされるのである。ここにはもはや、他者に対する配慮は一切ない。死は他者の問題ではなく、ひたすらわたしの問題である。わたしは他者や他在に逃れることはできない。わたしが存在するか、わたしが存在しないか、それがすべてである。この究極の状況に堪え得なければ、人は自我を放棄し、自己喪失するほかはない。言うまでもなく、全体への意志に屈服し、他我との間に構成される共同幻想に逃れるほかはないのである。
 人類の大半はこの共同幻想の中で死を迎える。基本的に私の死は他者の死と同一である。私の死は他者の視点に立って見られるのである。その他者は家族であっても、友人であっても、世間であっても、神であっても、道徳であってもよい。私の死は、それらの者にとっての喪失であり、あるいは何らかの意味でそれらの者への影響を考慮しなければならないものである。または、逆に言って、私の死がそれらの者から考慮されなければ、私の死は全く無意味である。そして、すべての死者が赴くとされる、天国やら極楽やら祖霊の世界やらのあの世において、わたしは第二の生を生きるのである。あるいは地獄において、第二の死を願うのである。そうして人は快活に、行儀よく、大往生を遂げるのをよしとする。その典型的例を正岡子規に見てみよう。
 
 「去年の夏も過ぎて秋も半を越した頃であったが或日非常な心細い感じがして何だか呼吸がせまるようで病牀で独り煩悶していた。この時は自己の死を主観的に感じたので、あまり遠からん内に自分は死ぬるであろうという念が寸時も頭を離れなかった。こういう時には誰か来客があればよいと待っていたけれど生憎誰も来ない。厭な一昼夜を過ごしてようよう翌朝になったが矢張前日の煩悶は少しも減じないので、考えれば考える程不愉快を増すばかりであった。然るにどういうはずみであったか、この主観的の感じがフイと客観的の感じに変ってしまった。自分はもう既に死んでいるので、小さき早桶の中に入れられておる。その早桶は二人の人夫にかかれ二人の友達に守られて細い野路を北向いてスタスタと行っておる。その人等は皆脚袢草鞋
(きゃはんわらじ)の出立ちでもとより荷物なんどはすこしも持っていない。一面の田は稲の穂が少し黄ばんで畦の榛の木立には百舌鳥がせわしく啼いておる。早桶は休みもしないでとうとう夜通しに歩いて翌日の昼頃にはとある村へ着いた。その村の外れに三つ四つ小さい墓の並んでいる所があってその傍に一坪許りの空地があったのを買い求めて、棺桶はその辺に据えて置いて人夫は既に穴を掘っておる。その内に付添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋(うず)めたが墓印もないので手頃の石を一つ据えてしまうと、和尚は暫しの間回向(えこう)して呉れた。その辺には野生の小さい草花が沢山咲いていて、向うの方には万珠沙華も真赤になっているのが見える。人通りもあまり無い極めて静かな痩村(やせむら)の光景である。付添の二人はその夜は寺へ泊らせて貰うて翌日も和尚と共にかたばかりの回向をした。和尚にも斎(とき)を勧めその人等も精進料理を食うて田舎のお寺の座敷に坐っている所を想像して見ると、自分はその場に居ぬけれど何だかいい感じがする。そういう工合に葬られた自分も早桶の中であまり窮屈な感じもしない。こういう風に考えて来たので今迄の煩悶は痕もなく消えてしもうて、すがすがしいええ心持になってしもうた。」(「死後」明治34年4月、現代表記に改める)

 社交人である正岡子規の実際の葬儀は、このように粗末であることを友人達が許さなかったが、死において謙虚であることもまた大往生の条件である。たとえどのように質素であっても、他者によってそれなりに葬られているおのれを想像することは、<自分はその場に居ぬけれど何だかいい感じがする>のである。これが他者の目で見た私の死の意味であり、死の共同幻想である。ここでは私は死んでいながら、いまだ消滅していないのである。他者の意識の中にいる私を想像して消滅しきれずにいる私である。それは死をも生の中へ取りこもうとする個体の生の策略であるかもしれない。しかしそれによって死の本質は見失われてしまう。
 死は他人の死ではなく、また他人の目に映った私の死でもない。死はまぎれもなく私自身の死であり、消滅である。誰もの死として一般化され、普遍化された死は、慰めとはなっても、それによって私の死の問題に取って代ることはできない。自我の死とは、たぶんショーペンハウアーが言うように、そこにおいて存在の究極の奥義が明かされる瞬間なのであるかもしれない。宗教者はその瞬間を求めて、一生修行の世界に生きる。いわば‘死にながら生きる’
(「キリストのまねび」)のであるが、すべての意識的存在にとって、死の瞬間こそ唯一与えられた覚醒のチャンスなのであるかもしれない。それはいわゆる臨死体験などの幻覚とは違ったものであろう。死において最後まで自己と向き合うことによって、そこに初めて自己の本質が世界の本質と同一のものとして確信されるのであるかもしれない。自我は人として生き、神として死ぬ。これが死の究極の奥義であるかもしれない。
(一連のエッセー「快楽と禁欲」ひとまず終了です)

2009年6月8日(月)
快楽と禁欲・その6:個別化と自我の自由について

 全一者は認識を持たない。全一者はそれ自体で存在し、分割されることがなく、またおのれ以外に他者を持たないのであるから、そこには一切の認識の必要が生じないのである。かりにイデア界を全一者とは別の存在とするならば、それは確かに他者ではあるが、そこでは認識そのものが問題とならない。イデア界は全一者の認識の条件なのであって、プラトンふうに言えば、全一者はイデアを用いて認識に到達する。その意味では、イデア界は全一者にとって認識の対象ではなく、単なる世界創造の道具である。世界の根源は、いわばソフトウエアーを備えたハードウエアーといってよかろう。ハードウエアーがより根源的であることは言うまでもない。
 認識は必ずしも意識=自己意識を伴う必要はない。世界意志の個別化とともに、最初に働く個と個の間の作用と反作用は、既にある種の認識といってよいだろう。近代の認識論においては、人間の意識が中心であったために、暗黙の内に認識とは意識作用であると見なされてきた。既に認識(Erkennen, cognition, perception)という言葉の中にそのことが見てとれる。個と個の間に働く作用は、個の内部に、あるいは個の状態にある相互的な変化をもたらす。この相互的な作用による変化が、認識の基本であるといってよい。これは個別化の世界でのみ可能な関係である。このような意識以前の認識を言い表わす適切な言葉は、今のところないようだ。情報という言葉がそれに近いのであるが、すなわち個物どうしが互いに情報を交換し合うのが認識であるということもできるが、意識の要素を完全に排除できないようである。ホワイトヘッドの prehension がそれを表わすようだが、あまりにも抽象的である。
 いずれにせよ、個と個の間の相互作用を認識と名づけるならば、個別化の最初の意味は認識作用にあると言える。認識のない全一者が、自己を個別化することによって認識を獲得するのである。最初の素粒子どうしの作用から、天体間の力学や、分子どうしの化学反応をへて、生命の発生から細胞間の働きにいたるまで、認識の展開、発展により、いわゆる宇宙の階層(Stufenbau)が形成されていく。その認識の発展の頂点において発現するのが、意識であり自我である。
 ここで意識という言葉を厳密に定義しておく。意識とは基本的に自己意識もしくは自己認識のことである。自己すなわち自我(ego, Ich) のないところには意識はない。逆に言って、自己=自我とは自己意識のことであり、すなわち意識そのものである。意識というも、自己=自我というも同じことである。意識とは、基本的に自己と他との関係の認識である。近代の認識論では、これを主観(Subjekt)と客観(Objekt)の関係ととらえる。しかし、ここで観と言う訳語に表わされているように、何か見るものと見られるものの関係のように考えられやすい。既に述べたように認識とは個物間の相互関係である。それが意識に到達するためには、認識の認識がなければならない。認識の一方の側が自己自身であるという意識が、常に意識には伴っていなければならない。意識は常にわたしの意識である。この意識はしかし、単なる主客の関係を超越しており、この超越こそが意識なのである。
 今、認識の関係を P
1―P2 で表わすこととする。個物(particular)と個物の関係を単純化して代表させたこの関係を、P-system (認識系 Prehensile system)と呼ぶことにする。この関係は基本的に無意識の認識作用であって、宇宙のほとんどの相互作用は、単純な個体であれ、複雑な個体であれ、この関係に帰するであろう。意識が生じるためにはこの関係を認識するだけでは不充分であって、この関係の一方の側が同時に認識者でなければならない。すなわち、(P―S1)―S2  の相互関係が成立しなければならない。これを C-system (意識系)と呼ぶことにする。ここでは主観(Subjekt)が認識の外に出ており、見られるものが同時に見るるものである同一性の関係にある(この関係はいくらでも合わせ鏡のように背進することが可能である。例えば、{(P―S1)―S2}―S3)。この自己認識もしくは自己超越が意識なのである。
 ここにおいて、すなわち意識の発生において、世界意志は初めて自己に目覚めるといってよい。しかし、この自己は世界意志の本質とは何と遠いところにあることだろう。一介の個物において、しかも自己保存の働きにおいて、自我は本来発生する。いわば、自己の身体がうまく機能するかどうか、自己の身体に危険が迫っていないかどうか、自我はモニターとして常に監視していなければならない。そのようにして自己が、世界の中で、感じ、意欲し、行動し、考える存在であることを知るようになる。自我が生への意志の道具として機能している限りでは、自我はおのれ自身を考えることも、疑うこともないだろう。動物の自我を考えれば、それは明らかである。もしコンピューターやロボットに自我すなわち意識が与えられたならば、やはり同じように自身を疑うことはないだろうし、自己に有利なように働く、動物と同じく機能的な自我であるだろう。この認識のシステムの中にとらわれている自己を反省することによって、さらに高次の、真の意味での自己意識が生まれる。それは、個別化の究極の一端において、世界の本質から疎外されたおのれ自身の姿を見いだすのである。おのれの存在について知ること、意識すること、広い意味で考えることは、個の存在を不安定にし、実存的不安や恐怖におとしいれる。パスカルの有名な言葉を引いておこう。

 「人間は自然のうちで最も弱い一茎の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体はなにも武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶすときにも、人間は、人間を殺すものよりもいっそう高貴であるであろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間のうえに優越することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知らない。」(パスカル「パンセ」347節。松浪信三郎訳)

 個としての人間が、宇宙の中で最も弱い存在であることに気づくのも自己意識の働きであり、そのことに気づいたおのれの思考の偉大さに気づくのもまた自己意識の働きである。この悲惨と偉大の両極の間を動くのが自我である。パスカルは、意識的存在であることに、人間の最大の価値を置いているのである。「人間の偉大は、人間が自己の悲惨なことを知っている点において、偉大である。樹木は自己の悲惨なことを知らない。」(「パンセ」397節)しかしそのように偉大な意識は、常に不安定な動揺にさらされてもいるのである。無意識もしくは没意識であることが、むしろこの世界のメカニズムの基本であり、意識はそれに大した寄与をしないばかりか、むしろ妨げとさえなるのである。動物も人間も、意識がなければ苦痛はあっても、不安や、恐れということを知らないであろう。宇宙が自分を押しつぶすことを人間が知ることによって、その偉大さよりも悲惨さがよりますのである。世界と対峙した自己意識は基本的に苦悩であり、不安である。
 自己意識=自我は個別化の究極に位置することによって、全体への意志と真っ向から対立する。しかも自我のよって立つ自己自身とは、わたしの意志であり、わたしの感情であり、わたしの情念であり、わたしの考えであるところのわたしという身体=物質にほかならないのである。私の身体は基本的に全体への意志に支配されており、無意識的な牽引力によって全体への回帰へ向かって働くのである。唯一自我だけがそこに傍観者としてとり残される。もし自我がともに全体への意志にはしるならば、自我は本質同一の原理によって無意識に還元される、つまり消滅するであろう。自我は世界と対峙する前に、自己自身と対峙するのである。
 自己認識が個だけに発現する現象であることによって、意識的存在の悲惨と栄光が運命づけられていることはパスカルに見たとおりであるが、この苦悩する自我は、一方では自己放棄に向かい、他方では自我の拡張、絶対化、それによる全体者との悲壮な対決に向かう。自我は苦悩の源であることによって(苦悩とは単なる苦痛ではなく、自意識から生じる苦痛である)、大多数の人間には好ましからざるもの、放棄すべきものと見なされる
(自我に苦しんだ果てに、則天去私を唱えた漱石を思うべきである)。おのれを捨て去り、全体に従うことが幸福への道であるとされ、自我は自己犠牲や、愛他主義にのがれることによって、実存的不安を解消しようとする。あるいはまた、おのれの存在を忘れさせる強烈な快楽に耽ろうとする。それは自我の自己からの逃亡である。それに対し、おのれの偉大さに目覚めた自我は、すべてを自己の拡張、増大に向けた目的に従わせるであろう。たしかに自我は全知ではない。しかしそのことを知っている。全能ではない。しかしそのことを知っている。不死不滅ではない。しかしそのことを知っている。自分が何ものであるかを知らない。しかしそのことを知っている。自意識において自我は偉大である。神にすら負けることはないであろう。
 自我を究極にまで拡大し、とぎすませることによって、自我は世界と正反対のものとなる。世界の本質である全一者は無限であり、永遠であり、全体であり、substantia であるが、自我は有限であり、現在の中にあり、個としてあり、existentia でしかない。しかし、唯一自我は全一者に対して優位の点を持つ。それはおのれが意識的存在である点である。たとえそれがいかほどのことのない優位であるとしても、それ以外に自我のよってたつ価値はないのである。かくして自我は全一者の発現であるこの物質宇宙を超えてゆく。

 「けれども、大自然はわたしを満足させはしない。海や、太陽や、宇宙空間といった、これらの巨大な事象だけでは。私の思想はこれらよりも力強いものである、と私は感じている。」(りチャード・ジェフリーズ「わが心の物語」)
 
 認識を持たない全一者が、個別化の究極において意識を持った存在を発現させたということは、最初に述べたように、個別化の理由が認識の獲得にあるとするならば、認識の最終段階への到達と考えても良いのである。しかし意識は全一者とはあまりにも正反対の存在である。このような比喩を考えると良いかもしれない。全くの暗黒である新月が、しだいに細い弓形から満ちていって、ついにその対極である満月に達するように、認識の明かりがしだいに増して、ついに没意識の対極である自意識に到達した時、コインのいまひとつの面が顔を現わしたのであると。それはこの世界が荒れ狂う阿修羅の様相を呈する半面において、イデアに抱かれた無垢なる赤子の笑みでもあるように、coincidentia oppositorum (反対の一致)の奥義によって、同一の本質によって貫かれているのである。そして宇宙を超えた自我は、世界の裏側である本質の世界をかいま見ることであろう。その時自我は思いのほかの事態を見いだすかもしれない。そこに自己自身である全一者を見いだすのである。
 あらゆる神秘主義者が、「神は私だ、私が神だ」と叫んだ時、究極の自我の奥義をそこに言い表わしているのである。

(次回は最後に、快楽と禁欲に密接な関係を持つ死について考察。これらの連続したエッセーは、ショーペンハウアーの形而上学のわたくし流の解説、もしくはそれにもとづく思索と考えて下さい。興味を持った方は「意志と表象としての世界(正・続)」に当たられると良いでしょう。―K)

2009年5月24日(日)
快楽と禁欲・その5:全体への意志

 世界の本質自体である生への意志は、時間空間の制約を持たず、因果律他のいかなるカテゴリーからも自由であるから、それを定義することは非常に困難である。それは単位ではないので一つということもできないし、部分を含まないので全体ということもできない。それは時空を超えているから、その限りでは永遠であり無限である。しかしその永遠も無限も時空の概念ではとらえられない。認識を持たない限りにおいて全知ではないが、この世界の唯一の絶大な動力である限りにおいて全能であり、絶対である。あえて定義をすれば、この世界の本質である世界意志は、活動的存在(生命)への永遠、無限の、盲目的努力である。あらゆる可能的宇宙の根源であるという意味において世界意志は絶対者であり、この宇宙の全てであるという意味においては全体者であり、唯一の実在であるという意味においては唯一者である。かりに全一者(Das Ganze und Einzige)と名づけておく。
 この世界意志がイデア界と結びついて現出しているのが、時空において個別化されたこの物質界(現象界)である。現代物理学でいう特異点が、この世界意志と物質界とのコインの両面を隔てている、文字どおりに、メタフュジークとフュジークとの分岐点である。世界意志は何よりもエネルギーとして発現する。それは物質であると同時に、力であり、エネルギーである。それはたちまち無慮無数の個物となって(個別化)、時空に分散する。一個の無形の水晶がこなごなに砕け散り、結晶の本質を保ちながら、互いに互いを映し出す世界が生まれる。
 本来個物でもなく、部分を含むわけでもない世界意志が、何ゆえに無慮無数の個物としての存在を欲するのか、その理由はともかくとして、無限に自己を分割しようという欲求がこの多種多様な世界を生み出したのである。宇宙の初発のビッグ・バンにおいて、全一者は可能な限り無数の微粒子に自己を分割し、可能な限り広く遠く、時空のかなたへ自己を分散する。 この個別化への意志はしかし絶対ではなく、すぐさま個と個の間に働く牽引力によって牽制される。ポオの宇宙論の用語を借りれば、この<反発と牽引の原理>によって、物質界には絶妙なシステムが形成されるのである。
 個物は、その本質において世界意志そのものであるから、決して部分ではなく、個であると同時に、それ自体において全体者である。この事情は、個物が、イデアの影を宿している限りにおいて普遍者であるのと同一である。個としての魂がイデアに憧れるのと同様に、個としての意志は、おのれの本質である全一者への回帰の衝動を宿しているといえよう。そこから個物どうしの間のシステムへの意志が生まれる。システムとしてのより大きな、多数からなる個物が形成される。万有引力という本質同一性に引かれて、天体のシステムが形成される。素粒子の世界では電磁気力という本質同一性に引かれて、元素が形成される。生命界では、生命という本質同一性によって、細胞や、多細胞生物が形成される。万物は世界意志(全一者)という本質同一性によって、全体としてのシステム形成に動く。全体への意志が、分散した個物の世界を秩序へと形成させるのである。
 本質同一性にもとづく限りは、個と全体とは対立することがない。生命界においては、むしろ個は全体のためにおのれを犠牲にさえする。蟻や蜜蜂の世界では、個の存在は全体のためにあり、全体が一つの個としての生命を形成する。そればかりか、細胞の世界では個は場合によっては全体のためにアポトーシス(自死)を遂げる。そうしたメカニズムが個の中に組み込まれているのである。そもそも人間を含めた生物の死が、種の存続のために仕組まれた個の中のメカニズムであることが明らかになっている。ショーペンハウアーが言うように、生命にとって類が全てであり、個は無である。言いかえれば、個は全体への意志によって徹底的に支配されているのである。
 このことから戦争の本質というものも明らかになる。人類にとって、戦争は最も徹底した全体への個の服従であり、個人の生と死は全体の生と死と同一視される。そこでは個人の意志は個人を超えた絶対的な全体の意志と合一し、全体として生き、全体として死ぬ。戦争では国家が殺し、国家が死に、王が殺し、皇帝が死に、民族が生き残り、民族が滅びるのである。個は無であり、全体が全てである。戦争という全体意志の前では、善良な市民が唯々諾々として敵を殺し、陵辱し、殺戮し、どのような理不尽な命令にも従い、死地に赴き、自爆し、特攻し、自他の命に毛ほどの価値も置かない。国家が全てであり、天皇が全てであり
(*)、民族が全てであり、全体が全てであり、個人はそれらと同一でない限りは無である。これが全体への意志に支配された個の運命であり、宿命である。
 (*)ある日突然、「天皇が危ない」と叫んで、戦争讃美者になった高村光太郎を思い出すとよい。
 社会や国家の本質も、基本的には戦争の本質と同一であり、それが戦争において最も明瞭に、極限において発現しているのであるといってよかろう。最初の社会は男女の結合という、有性生殖にもとづく種の本質に従った小さなグループであった。その結合を強めたのは、おそらくグループどうしの争い、すなわち原初の戦争であったのだろう。より強大な個=全体となることによって、グループの安全性が強められていった。それが種の生き残りをかけた戦略であった。国家は基本的に戦争の産物であったといってよいかもしれない。戦争において最もよく機能しうるための装置が国家である。この意味で平和国家というのは形容矛盾である。生存競争のない平和な世界には、国家は生まれないし、必要とされない。
 神観念の発生もまた、全体への意志にもとづいている。それが容易に、部族や国家の観念と結びつくことによっても、このことは見てとれる。アニミズムやアニマティズムはひとまずおき、明瞭な神観念である人格神の例をとるならば、首長や王は個であると同時に全体の意志を表象させるものであるから、それは同時に目に見えない何ものかでなければならない。そのものは個として崇拝されるのではなく、社会集団全体に関与するものとしてあがめられるのである。ファラオであれ、ダライラマであれ、全体の意志そのものを表象させるのであり、その意味で個ではなく全体者である。スターリンや毛沢東は社会主義の全体者であり、ヒトラーはその支持者にとっての全体者であり、大統領はアメリカ市民にとっての全体者であり、ヤーヴェはユダヤ民族にとっての全体者であり、アラーはイスラム教徒にとっての、イエスはキリスト教徒にとっての全体者である。宗教はもとより、全体者をいただく社会が容易に戦争にはしりやすいのは、全体への意志において本質を一にするからである。
 このように、生命の歴史はいうまでもなく、人類の歴史も、徹頭徹尾全体への意志によって支配された歴史である。そこに繁栄もあり、滅びもある、文化も、文明も、破壊も、殺戮も、一言で言えば、諸業無常がある。全体への意志は個を蹂躙して止まない。しかし個は唯々諾々として、時には嬉々として全体への意志に従うのである。場合によっては苦を甘受してまで、祖国やら、悠久の大義やら、神の栄光のためやら、党派のためやらに、身を犠牲にするのである。それはある種の禁欲主義に似て、実のところ個の全面放棄にすぎないのである。そこにある種の快感や陶酔さえ伴う、個の自己放棄なのである。苦痛や死と引きかえに、全体者とともに生きんとする、個の生命の宿命的な本質への回帰なのである。
 もし世界意志の Individuation (個別化)の意味が、単に回帰への衝動にとどまるならば、個にとってこの世界はまるで無意味な世界といってよい。そしてそのように見なす、宗教や思想や道徳は枚挙にいとまない。また人類の大多数も、全体者とともに生きることを甘受し、その運命を疑うことすらしない。しかし、果たして世界意志である全一者は、無意味に自己を個別化したのであろうか。この点を、次回つづけて考察したい。
(次回は個別化と自我の自由について)

2009年5月11日(月)
快楽と禁欲・その4:快苦の原理の超越・釈迦とニルヴァーナ(K)

 前回、イデアによる生への意志の克服が不十分であることを論じた。イデア界自体は普遍観念の世界であって、それが生への意志=世界意志を様々な段階でコントロールし、導くものであったとしても、それによっては意志の優位を決定的にくつがえすことはできない。それはある種の存在界ではあるが、ソクラテスやプラトンが考えたように、そこに人間の魂が入っていけるような世界ではない。人間存在の本質は、ショーペンハウアーが繰りかえし説いているように、徹頭徹尾、世界の本質そのものである生への意志である。百歩ゆずって、生への意志を離れた魂がイデア界に入ることがあったとしても、そこは数学者や論理学者の天国であり、あまり居心地の良い場所ではなかろう。
 認識を持たない絶えざる存在への衝動である世界意志にとって、イデア界は目の役割を果たしたことであろう。世界意志はマテーリエ(現代科学で言うところのビッグバン宇宙)として発現し、感性界が成立する。既に発端からして宇宙は形相(エイドス=イデア)とマテーリエからなる。量子力学が明らかにしたように、物質は二重の相を持つのである。認識を持った存在の発生と同時に、叡智界(intelligible world =理知でもってとらえる世界=イデア界)と感性界(sensible world =感覚的直観の世界=物質界)の分離が可能になる。イデア界は初めて感性界から取り出され、切り離され、独立した存在界として認識されるようになる。しかしそれは既に述べたように、生前であれ死後であれ、人間の趣くことのできない世界である。人間の有する唯一のDasein (現実存在)は、時空において個として発現している世界意志だからである。
 イデア界はドイツロマン派のモットーを借りれば、「いたるところにあってどこにもない」青い花への憧れである。憧れは心を浄化するが、それによってこの世界から救済されることはない。生への意志から解脱するためには、知情意にわたる徹底した禁欲がなされねばならない。このことを成し遂げたのが釈迦であるとされる。この点にしぼって、釈迦の修行とニルヴァーナの意味を考察してみたい。
 伝説によると、釈迦はあらゆる苦行を試した後にも、成道に至らなかった。ある時、疲労衰弱した体を癒すために、乙女からミルクのような飲み物を所望し、それによって元気づいたのちに悟りを開いたという。釈迦が禁欲を破ったことによって、同行の修行者たちは彼のもとを去ったという。
 このエピソードは、釈迦の解脱、ニルヴァーナ(寂滅=消滅させること)に関して、その境地そのものは余人には到底知りがたいのであるが、ある種の推測を可能にさせる。ニルヴァーナ(寂滅)を文字どおりに解するならば、それは生への意志の全面的否定 (gaenzliche Negation)であり、まさに超えた人である釈迦は、もはや生へのいかなる意欲も消し去っているはずである。即身成仏と言う修行法があるそうだが、修行者は土の中に埋められ、わずかに空気をとおし、生きている限りの水と食事を差し入れする穴だけが開けられている。修行者は成道するともはや水も食事も取らなくなり、そのまま土の中に埋葬される。釈迦もまた成道とともに、おのれの存在を解消されて、文字どおりに寂滅して良かったはずである。しかし彼は、この生老病死の世界に<帰還>したのである。それについての大乗の伝説はここに取り上げない。
 意志の全面的否定に至る禁欲的苦行を修正した段階で、釈迦はたぶん既にある種の悟りに達していたのかもしれない。生への意志を否定しようとする意志そのものは、本質的に生への意志そのものである人間の意志である限り、まさに生への意志そのものである。ここに根本的矛盾がある。それはショーペンハウアーが生への意志の錯誤・倒錯であると言った自殺と、どこが異なるのであるか。錯誤によっては人間は決して悟ることはできないであろう。このことを釈迦は悟ったのかもしれない。そしてこの修正によって、釈迦のニルヴァーナの根本的意味も違いを見せてくるであろう。それは無ではなく、無に帰ることでもない。言ってみれば、それは生への意志(世界の本質)を生への意志の外から眺めてみようという、大胆な発想転換なのではなかったか。
 そうして眺められた生への意志は、釈迦の目にはどのように映ったのであろうか。それはたぶんもはや全面的否定の対象となるような、何らかのものではなかったのであろう。釈迦はある意味で、ニルヴァーナに達することで、現象的には快苦のちまたであるこの世界と、本質的認識において折り合いをつけることができたのである。こうして釈迦は生老病死の世界への帰還をスムーズに成し遂げたのである。
 そうした釈迦の広めた仏教であるから、一見現世肯定的な楽天観が生まれてくるのも不思議ではない。これは禁欲主義のアイロニーというほかはない。究極の禁欲主義は、ある種の快楽主義に回帰するのである。これがまさにニーチェ言うところの仏教の衛生法と言うべきなのであろう。

 しかしながら、この禁欲主義のアイロニーにはより深い意味が隠されているようである。快楽と苦痛とは案外コインの両面のように、密接に結びついていないとも限らないのである。この世界を圧倒的に苦の世界であると見た釈迦が、快を否定し、積極的に苦に赴くことによって、この世界の超越を果たした時、彼はこの世界の裏面に回ってみたと言ってもよい。それはもとより、この現象的な快苦の様相を帯びた世界ではない。しかしながら、まさにこの世界の本質そのものであるなんらかの世界の相である。世界の本質自体を観相出来るものかどうかは、ここでは問わないとし、釈迦がもしそれを観相したとするならば、それは快苦の連続体である生老病死の世界とはまったく異なったものであってよい。それを何らかの仕方で直観した時に、釈迦はこの世界の否定から、一気に本質における肯定に転じたのである。それについての直観を一切持たない立場からは、比喩によってそれをとらえる外はない。
 生老病死という嵐に波打つ海面から、深く水底に沈潜したものの目には、平穏な水の世界が映し出される。あるいはまた、波打つ海面をはるかな高みから眺めるならば、一面の鏡のような水面が広がっているであろう。個々の現象を離れ、快苦の山と谷とが互いに重なり合う全体の見地から見るならば、世界は一つの予定調和とも映るであろう。苦しむ者は同時に楽しむ者であり、楽しむ者は苦しむ者である。苦しめるものは苦しめられるものであり、楽しませるものは、自ら楽しむものである。この本質同一性において、世界は既に救われているのである。世界はいわばおのれの足を食らう蛸のような自己完結性において現われる。食う者もおのれ、食われる者もおのれである。そしてこのような世界を現出している世界意志とは、一体どのような本質なのであるか。
 これもまた比喩としてとらえるほかはない。ニルヴァーナに達した者の目には、世界の本質は例えば、イデア界の胸に抱かれた、ほほ笑みつつまどろむ赤子の姿として映るかもしれない。これが生老病死の世界の裏面、コインの片側である。一方は阿修羅の面であり、他方は無垢なる赤子の笑みである。このイデアに抱かれた無垢なる赤子の姿を見たとき、釈迦はこの快苦の世界を厭離し、否定する欲求から解き放たれたのであろう。それが釈迦のニルヴァーナであったかもしれない。いずれにせよ、もはや世界は一面的に否定されるばかりの存在ではない。大乗の理論家によれば、色(現象界)はすなわち空であり(本質の現われ)、空はすなわち色である(本質の発現が現象界)。無眼耳鼻舌身意の世界の本質が法(ダルマ=イデア)に導かれて感性界に発現した(色)のが、この生老病死・快苦の世界である。この認識において、あらゆる存在は既に救われているのである。
 とはいえ、生老病死の世界、今日の状況に言い換えれば、戦争と、テロと、争いと、憎しみの世界を、そう簡単に容認し、肯定することはできなかろう。アウシュビッツと原爆と 9・11 を、果たして本質同一性もしくは予定調和によって肯定できるだろうか。人間に食われる牛やブタや羊や鶏は、本質において食う人間と同一であり、食う人間は食われる牛やブタや羊や鶏と本質において同一である。浜辺では漁師たちの大漁いわい、海の中では魚たちのおとむらい、この快と苦の対立を世界の本質を直観することによって解消できるであろうか。ましてや人間同士の争いにおいて、滅びるものが滅ぼすものを祝福できるであろうか。釈迦は世界の本質の相のもとにおいて、それが可能であるとするのである。阿修羅のごとき、荒ぶる神のごときこの世界は、その本質において自苦自楽の世界であり、その限りにおいて自足した神の世界なのである。苦しむものも楽しむものも、敗者も勝者も、すべてが同一の本質に帰ることによって、すべてが恕
(ゆる)され、祝福されるのである。それは、基本的にクリスチャンが絶対神の名において、滅ぼされる者が滅ぼす者を恕し、祝福するのと通い合うものがあろう。
(後半追加 5・16)
(次回は全体への意志について)

2009年5月9日(土)
快楽と禁欲・その3:快苦の原理の彼岸について・イデア論(K)

 前回、快苦の原理について、禁欲主義の立場から書いてみたので、ひきつづきその立場で考察することにする。快楽は下位の快楽がより本質的であるから、他の上位の快楽でもってそれを克服しようとしても、必ず挫折することは自明と言ってもよい。もし世界が生命原理(ショーペンハウアーのいわゆる生への意志もしくは世界意志)だけでできていたならば、人間もまた他の動物たちと同じように、快楽原理に甘んじて生きるべきなのであろう。それ以外に選択の余地はないのだ。人間だけが迷妄をいだくのであろうか?
 知の快楽は一部の霊長類だけに可能な、快の可能性であると述べたが、知の対象とする世界はこの世界そのものではない。古代ギリシャの哲学者は、知の対象としての概念の世界を発見したのである。プラトンはそれをイデア界と名づけた。一見この世界とイデア界とは共通しているようである。この世界に無数にある三角形の形象は、どれも一つとして同じものはないが、すべてが三角形という抽象観念のもとに包摂される。三角形という抽象観念すなわち概念は、この世のどこにあるというわけではない。もしそれがあるといえるならば、この世とは別の世界においてである。その世界を、ひとまずプラトンのイデア界と考えてよかろう。プラトンは同時に、それを真の実在界と考え、この世をその世界の影のようなものと見なした。
 イデア界は基本的に知によってだけ到達できるのである。知によってイデア界に到達しようという意志は、単なる快の報酬を求めることではなかろう。新プラトン派のプロチノスは、生涯に二度だけ、エクスタシーの状態において、イデア界を眺めることができたと言う。ここで言うエクスタシーは原始宗教での狂躁的状態ではなく、文字どおり、おのれから抜け出す静謐な精神状態のことである。おそらくこれに対応するのが、ショーペンハウアーの言うイデアの純粋観照なのであろう。
 プラトンの世界観では、世界の創造主であるデミウルゴスは、イデアを見ながらこの世界を創造したのであった。イデアはいわばこの世界の設計図であり、ソフトのようなものである。この世界は単なる概念ではなく、マテーリエをもって創られるため、純粋ではなく、粗雑で、不完全である。けれどもそこにはイデアの影が刻印されているのである。このイデアとマテーリエの複合的世界を、マテーリエを離れて、イデアだけ取り出して純粋に直観できるならば、そこに静謐な心のエクスタシーが生じてくる。それは一時的ではあるが意志を沈静させ、快でも苦でもないアタラクシアをもたらすのである。完全なるイデアは美のイデアでもある。言いかえれば、イデアの純粋観照は美の純粋直観でもある。リチャード・ジェフリーズのケースで見てみよう。

 <いつ頃であったか忘れてしまったほど昔のこと、私は東の空が広々と見えるある場所を、毎朝訪れたものだった。寝床を出ると直ぐに、私はいく本かの楡の木立のある所へおもむいた。その場所からは、露の置いた野原の先に、そのあたりから日の昇る遠い丘が見渡せた。・・・
 私は丘を見つめ、露の置いた草を見つめ、楡の枝の間にのぞく空を見上げた。たちまち、家も人も物音も、私の背後からかき消えるようになくなり、私一人の世界になるように思われた。思わず私は息を深く吸いこんだ。それからゆっくりと息をついた。私の思い、あるいは内なる意識は、光まばゆい空をたちのぼり、私はその一瞬の心の高まりに我を忘れていた。この高揚感は非常に短い時間、おそらく一秒にも足りない間、続くにすぎなかった。それの続く間、これと定まった願いがあるわけではなかった。私はただ我を忘れていた。私は朝の美しさに見とれ、心の高まりを覚えていた。それがやんだ時、私が一瞬間味わったこの広大の気宇にふさわしい、私の存在の増大ないし拡大を願う気持ちが生じたのである。時には楡の木の梢から風が吹きとおって、細い枝がたわんだ。その枝の間から、綿雲の浮かぶ空を見上げていると、私は心の高まりを覚えた。草地の上に射して来て、露の玉に宿る光、風のそよぎ、天の高みにまで登るかの覚え、私はそれらに深いため息をついた。そうした美の中から、何らかのものを、私に賛嘆の念を抱かせたもの、名状しがたい内的本質の一部なりとも、汲みとりたいという願いであった。
 ・・・私は毎朝その場所へ出かけていったのであった。なぜそうしたのか、正確に説明ができなかった。言ってみれば、それはバラの茂みへ出かけて、花の香りを嗅ぎ、花弁に置いた露を唇にあててみるようなものであった。しかし、私が願ったのは、美という名状しがたい内的意味を、私の内面に取り入れることであった。それを所有できるようにと、それを所有することで、私がより高い存在となることができるようにと、そう願ったのである。>(「わが心の物語」第5章より)
 
 リチャード・ジェフリーズは禁欲主義者とはいえないが、まして狭義の意味での快楽主義者ともいえないが、時にニーチェを思わせるある精神性と結びついた生命主義が、ここでの考察にヒントを与える。彼の言う soul や soul-life がどのようなものであるかについては意見が分かれようが、少なくともキリスト教的霊魂観でないことだけは確かである。ここではイデア論と関連づけて、彼の内的体験の意味を探ってみる。
 イデア界は本来概念の世界であるから、直観の対象ではない。人間の思惟は概念の操作によって行われるが、概念を直観する必要はないばかりか、そもそも概念自体を直観することは原理的に不可能なのである。人間が直観できるのはすべて個物の観念であり、それらを抽象し、一般化した観念、すなわち概念はそれ自体個物の観念ではない。言ってみれば、人間の思惟はコンピューターと同じように、概念を操作するだけであって、概念の直観そのものを問わないのである。このことは数学において、何ら現実において存在しない概念(複素数など)を自在に操りうることからも明らかである。その本来直観の対象ではない概念の世界であるイデア界を直観するには、感性界の援けを借りねばならない。感性界は言うまでもなくマテーリエの世界、自然界・人間界にわたる森羅万象の世界である。先ほどのプラトンの世界観によれば、マテーリエとして発現する世界にはイデアの影が刻印されているのである。われわれが目にし、感じる世界は単なる物の世界ではない。プラトンによれば、イデアによって設計され、それぞれの個物がイデアを分有している世界なのである。思惟はそこから概念を取り出し、思考の道具とする。それに対し、感性直観は、イデアをモデルとした具体的個物の世界を作り上げる。この世界は Individuation (個別化)の原理によって個としてしか認識されえないのであるが、同時にその中に普遍概念であるイデアを含んでいるのである。
 イデア論が正しいとするならば、この世界の事物はすべて個であると同時に普遍であるということになる。個物が直観させる普遍概念すなわちイデアの影が完全に近ければ近いほど、それは美として感じられ、不完全であるほど醜として感じられるであろう。美のイデアはそれがたとえ漠とした予感に過ぎないとしても、心を浄化し、より高いものへの憧れないし希求を生み出させる。それによって生への意志は一時的に沈静され、静謐な喜びないし幸福感がわきおこってくる。これがショーペンハウアーの言うイデアの純粋直観(観照)であり、ナチュラリストのジェフリーズが体験する心の高揚感なのであろう。
 こうした純粋観照やそれに伴う心の高揚感は、青少年期に比較的起こりやすい。美と崇高の感情によって、卑俗な日常から隔絶した境地を一度でも体験するならば、それは人生における最高の瞬間として記憶され続けるであろう。たとえ荒れ狂う暴戻な生への意志によって、俗悪極まりない人生を生きたとしても。
 美の純粋直観が、一時的、つかの間の生への意志からの脱却にすぎないのは、イデアもまた本質的に生への意志の道具に過ぎないからである。食欲や性欲が求めるイデアは美ではない。蛙に知があるとすれば、蛙の求めるイデアは目の前を動くものという観念に過ぎなかろう。いかに美しく飾られた料理も、その最終目的は食欲を刺激することにある。フェロモンや生殖器に至っては、美ですらなく、単なる性行為に至らせる本能的刺激に過ぎない。イデアは肉欲に奉仕するばかりではない。それは不安や恐怖や反発すら惹き起こす。いわばネガティヴなイデアとでも言おうか。野鳥の雛は猛禽の翼のかたちをしたものを認知すると、本能的に反応して身をふせる。ある種の形をした昆虫は、理由もなく嫌悪や不安を起こさせる。要するに、動物であれ人間であれ、それらの本能的行動を認識の面から支配しているのがイデアであると言えよう。
 本能は基本的に粗雑な認識で足りるのであるから、それが必要とするイデアは不完全なもの、すなわち醜であっても充分である。完全なイデアを認識することを可能にするのは知の発展である。本能や肉欲から離れ、個物の中に直観されるイデアを純粋に知的にとらえるとき、そこに完全なるものの美的直観が予感されるのである。それはジェフリーズの言う something more (それ以上の何か) であり、決して十全に認識されうるものではなかろうが、一時的ではあれ大いなる寂滅の効果をもたらすのである。
 (次回は続けて、快苦の原理の彼岸・釈迦とニルバーナについて考察) 

2009年4月20日(月)
快楽と禁欲・その2:意志の優位について (K)

 生命は快苦の連続体であると、前回定義してみたが、人類においては快楽は三種または三つの段階に分けて考えることができる。最初の段階は肉体的快楽であり、これはたぶん原始生命から高等動物まで、あらゆる生命に共通する快の普遍的あり方であろう。これは種の保存・繁殖、および個体保存と密接に結びついている、食欲、性欲、適度な体温といった生命の根幹に関わる快の追及である。大半の生物はこの快の段階にとどまっている。高等生物もまた、この快さえ保障されるならば、何の不足もなく生命をまっとう出来るであろう。第二の快楽は、たぶん臓器の発達と密接に結びついている心情の快である。とりわけ心臓の発達がこの快に寄与しているようである。ただし本来は独立した快ではなく、肉体の快に付属して起こったものであろう。食欲や性欲の満足と共に心情の快が生じたのであり、またそれらが満たされない時は心情的苦痛が生じたのである。
 肉体的快楽は五感と密接に結びついている。もっとも原初的な感覚である触覚を初めとして、そこから発達した味覚、嗅覚、聴覚、更にはもっとも客観的な感覚である視覚に至るまで、何らかの快苦と結びつかない感覚はない。臓器感覚はいわば裏返しにされた触覚であるが、触角が内部化されたことによって、集中性・統一感が生まれる。漠とした体感から、食感、性の快楽に至るまで、体内での局部的欲求が身体的に統合される。この統合的快楽の中心をなしているのが、心情の快であると言ってよいだろう。
 心情は文字どおりに、心臓を中心とした快苦の感覚である。本来は肉体の快、いわゆる肉欲に奉仕する付帯現象であったものが、高等動物では比較的独立した快苦の位置を占めるようになる。愛情はすでに子を育てる動物の間では、種の保存にとって積極的な役割を果たしている。
かつて、鳥の夫婦の間にも愛情があるのかどうかを確かめるために、つがいの野鳥を見つけると片端から一方を撃ち殺して、果たしてもう一方がつれの死骸のもとに戻ってくるかどうかを統計的に研究した日本の鳥類学者がいた。この乱暴な鳥類学の’ファーブル’によって野鳥にも夫婦の愛情があることが統計的に‘証明’されたのである。しかし鳥の愛情にも限界があって、鶏は鳴かないひよこがいると、我が子であっても侵入者と見なしてつつき殺すのである。
 あこがれは求愛感情から派生したのであろう。しかし空間的移動の欲求は生命にとってより根源的であると思われる。宇宙の根源である生への意志は、その現象形態として時間空間のカテゴリーを選んだ。より広く、より遠く、がいわば生への意志のモットーである。現代物理学によれば、ミクロの一点からビッグバンによって発現した宇宙は百五十億光年の彼方にまで広がっている。個の生命もまた一つのビッグバンであるから、より広く、より遠く、生への意志を拡張することがその本質的欲求である。それが心情となる以前のあこがれの本質であろう。それは小さな鳥の青空を見る目にも読み取れる欲求である。  
 心臓は第二の脳と言われることがあるように、そこでの快苦の心情は個別の感覚とは別の、またそれらと結びついた統合的印象を与えることは上に述べた。さらに脳そのものの発達と共に、強力な情動の座として定着していく。実際には、心臓を初めとした臓器感覚(それらの統合が心情であり、情念であるのだが)は、脳によるコントロールを受けており、より強力ないわゆる本能の座と密接に結びついているのであるが、高等動物、特に人間においては独立した座として意識されるのである。鳥のさえずりなどを聞いていると、単なる性感とは別物のようである。鶏の長鳴きも性的快感とは思われない。心情の快には plaisir de vivre が発現してくるのであろう。
 心情の快は肉体の快を増幅するように、心情の苦は肉体の苦を増幅する。総じて心情段階の快苦は、快苦そのものを二階建てにすることによって、生命そのものの快苦を増幅する。心がないほうが、生命は余計に苦しまなくてすむのである。禁欲主義者が肉欲を押さえるだけでなく、情念のコントロールに努めるのもそのためである。心情の快は必ずしも愛情やあこがれといった穏やかなものばかりでなく、遊戯や闘争や復讐や残酷の快といったものまでが広く含まれる。シャチが捕らえた獲物のアザラシをトコトン波間に打ち上げて遊ぶといった、生命の根源にさかのぼる残虐の快は、生物界のいたるところに見られる。
 第三の種類の快は、理知すなわち考えることの快である。この快は霊長類の中でも、たぶんチンパンジーとヒトだけに見られる特殊な快感である。この快が大脳の発達と密接に結びついていることは言うまでもない。物事に好奇心を持ち、疑問をいだき、それを考えることによって解決することに伴うある種の満足感は、チンパンジーとヒト以外の知らない快感であろう。もっともチンパンジーの思考力には限りがあり、ヒトもまた必ずしも考えるヒトばかりではない。この快を初めて意識的に強調したのは古代ギリシャの哲学者であり、知を愛する、すなわち思索を愛することが彼らのモットーであった。
 しかし、厳密にいうと脳そのものには感覚がないので、思索の快というものは多分に心情の快によっている。思索がスムーズに進む時には満足感を、滞るときには不快感を覚えるのである。思索はその不快感を克服しようとして、かえって探究心をつのらせるのである。思索そのものは快苦の原理から言ってニュートラルであるということは、思索に独自の立場を与える。もし純粋にその立場に立つことができるならば、快苦の原理を超越する可能性を与えるであろう。しかし思索はそれ自体で動くということはない。いわば単なるソフトであり、生命という装置の中に組み込まれなければ無意味である。プラトンにとっても、純粋思念の世界であるイデア界に到達するためには、エロスという思索の動力が必要であった。
 思索への意欲が心情にもとづいているということは、それによって生への意志を克服しようなどという目論見が、当初から挫折を余儀なくされていることを意味する。心情を持って心情、更には肉欲をコントロールしようということは、より強力な物が上位にある場合には可能であるが、その逆は不可能である。ショーペンハウアーの言う<意志の優位>は動かし難いのである。伝記によると、三木清という哲学者は、哲学の勉強を始める前にはいつも自ら性欲の処理をし、勉強の後には今度は奥さんの相手をしたそうである。そこから‘パスカルにおける人間の研究’や‘構想力の論理’が生まれてきたのである。ゆめゆめ‘煩悩を絶つため’に哲学研究などすべきではない。
 肉欲、心情、思索という人間にとって可能な快楽の三段階は、下部へ行くほど強力なのであり、上部の快はつねに下部の快によって妨げられ、乱され、征服される。下部の欲求を無理にでも抑圧しようとすれば、それが上部の歪んだ欲求となって噴出する。歴史においても、個人においてもその例は枚挙にいとまない。中世の魔女狩り、ナチスの残虐行為、そして個人における様々な倒錯行為、そして学問という比較的ニュートラルな領域においても、嫉妬や憎悪や陰謀の渦巻くことは良く知られた事実である。快楽を以って快楽を克服することの不可能なるゆえんである。
 宗教者は昔からこのことをよく知っていて、肉欲を克服するために、心情や思索にのがれることをしない。ひたすら快苦の原理からの超越を願うのである。肉の快を絶つばかりでなく、‘心ない身’でなければならない。さらに学に淫することを避けねばならない。知が全くなければ人間の救済はおぼつかないが、知に溺れては知に滅びる外はない。ポアンカレ予想の解が、一世紀ぶりにロシアの数学者によって解決されたそうであるが、その数学者は精神に異常をきたして失踪したとのことである。自らに大いなる犠牲を強いた結果なのであろう。
  (次回は快苦の原理の超越について考察)

2009年3月18日(水)
快楽と禁欲・その1 (K)

 人類は生き方の観点から二種類に分けることができよう。快楽に生きる人間と、苦を求める人間、即ち快楽主義者と禁欲主義者とである。大多数の人間は前者であり、あえて苦に生きる者は少数である。これは生の本質からして当然のことである。種の保存にせよ自己保存にせよ、それを保障するものは快の報酬であるからだ。生は現象的には盲目的なのではなく、快を求め、苦を避けることによって、即ち快苦の原理によって導かれているのである。人間の生もまた例外ではない。かつて自然の状態において、あらゆる人類は快楽主義者であったといってよい。宗教もまた原初においては快を保障するための儀式であった。食を保障し、繁殖を保障するであろうという願望にもとづく営みであった。
 快を求める人類の願望はこの世界での存在にとどまらなかった。死後にまで生命の延長を願ったのである。生への意志は無限の欲求であるから、限られたこの世界では満足できなかった。彼岸の思想が生まれ、輪廻の思想が生まれた。あくなき快への欲求が空想界を馳せめぐった。
 動物は生の本質のままに生き、おのれの存在以上でも以下でもない。人間だけがおのれの存在に満足せずに、おのれの存在を超えようとする。快への貪欲な追求が、この世界での限られた存在にあきたらなくさせるのである。エジプトのファラオや秦の始皇帝は例外ではない。この世の良きものすべてを携えてあの世に行くことが、無限の欲求である生の当然の願いであった。人間にはそのための想像力が与えられた。
 人間は確かに自己自身の存在に満足しない存在であるが、そのことを自覚する存在でもある。そこから生への意志を否定する高級な宗教が生まれてくる。生の本質である飽くなき快の追求は homo homini lupus の状態を作り出した。そこでは支配するものがより多くの快を得、支配されるものは快の充足を制限された。無限の快の欲求に耽ることができたのは王者だけであり、快を制限された者はおのれの欲求について反省せざるを得なかった。強いられた抑制は、積極的な抑制へと転化された。この世で満たされない欲は、あの世で満たされる。そのためには積極的にこの世での欲の充足を避けねばならない。それがあの世で報酬を受けるための条件である。ここに宗教的な禁欲主義が生まれてくる。
 キリスト教もイスラムも本来このような禁欲主義に基づいている。やがて天国で報酬を受けようとすることも快の追求と見なされ、禁欲のための禁欲という徹底した禁欲主義が生まれる。仏教もまた本来は禁欲主義の宗教である。この世では生の欲求は完全なる充足を得ることは不可能であることを悟った釈迦は、しかしその代理的充足を彼岸に求めたのではなかった。とにかくこの生への意志に支配された存在からの脱却を図ったのである。到達したのは一見無としか思われないニルバーナであった。いずれにしても、こうした徹底した禁欲主義は大衆には受け入れられなかった。相変らず代償的快の充足を求める大衆に迎合して、これらの禁欲的宗教は変質して行った。
 宗教の禁欲主義は大衆の欲求を抑圧しなければならない支配層にとっても好都合であった。支配者は彼らの快を保障する富を握るためには、被支配者の苦を正当化するイデオロギーが必要であった。三大宗教はそうした支配者の要求に応えるものであった。近代国家はこの伝統を受け継ぐことによって、相変らず国民の快苦に干渉することをやめない。最大多数の最大幸福という平均値を国民に強いるのである。平均値に甘んじる快楽主義者などあるはずはないであろう。そのことによって多かれ少なかれ禁欲主義が強いられているのである。
 徹底した禁欲主義は人類の消滅をもたらす。本来は少数者の生き方であって、例外的な人類の営みであった。代わって中庸の考えが生まれてくる。極端な快楽を求めることなく、また極端な苦行に走ることもない。これが大多数の人類の生き方となった。しかし中途半端に快の充足を求めることの代償は大きかった。抑圧されたエネルギーが戦争や革命や暴動などにおいて、あらゆる残虐行為として爆発したのである。それは休火山が思い出したように噴火するようなものである。快への貪婪な欲求は生半可な抑圧によってはコントロール出来ないのである。
 そもそも好んで苦痛を求めると言うことは、生命の本質の中にはないことである。生の意欲がいったん挫折し、おのれ自身へと向かう時、反省が生まれる。この生への意志に対立する働きを他によい言葉がないので自覚(Sich-Selbst-Erkennen)と名づけておく。精神とか理性とかではあまりに哲学的手垢にまみれている。この自己認識の働きがネガティヴに働く時、自己の意志を生への意志と対立する方向に働かせる。おそらく自覚の発生は、たいていの場合、生への意欲の挫折と結び付いていることであろう。即ち自覚は同時に苦の自覚でもある。苦が生じるのは生への意欲が阻止され、または生命そのものが危機に陥る時である。そして生命である限りはその苦を取り除くことが不可能である時である。この絶望的な認識から、いかにして苦の肯定と言う逆転的発想が生まれるのであるか。
 苦そのものは絶対的な価値を持つものではない。生命は本質的に苦を求めることはないからである(苦を快に転化するマゾヒズムは別である)。苦とは何らかの意味で生命が求める快が妨げられることであるから、相対的かつネガティヴな事柄でしかない。苦を求めることは生を否定することに等しいのである。それならば死を与えればよいことになる。しかし自殺は禁欲主義ではない。確かにショーペンハウアーが言うように、禁欲主義は緩慢な自殺であるかもしれない。しかし、もってまわったことをするにはそれなりの理由があるであろう。そこには一つには隠れた快楽主義があるであろう。現世での苦痛の代償に、天国や極楽での安楽を求める、おおっぴらな空想的快楽主義は論外としても、快楽を犠牲にする代償に何らかのものが求められているはずである。人間の快楽の種類は千差万別であって、ちょっとした見栄や、虚栄のためにも人間は死にうるのである。虚栄や義理や人情のために死ぬ人間は禁欲主義者とは言われないであろう。彼らは死後の評判が、この世の生よりも大事であっただけである。
 真に自覚した世俗的禁欲主義は、古代ギリシャ・ローマの哲学者に見られる。両世界的世界観に立つソクラテスやプラトンに限らず、デモクリトスのような唯物論者、エピクロスのような快楽主義者までもが、肉体的快楽に対しては抑制的な禁欲主義者である。彼らは精神的快を優位に置く。しかし精神的快も快であるからには、それを肉体的快に代えることには無理がある。一片のパンと水とによってゼウスと幸福を競ったというエピクロスの幸福は、ゼウスの知らないところであろう。懐疑論者はもはや精神的であれ何であれ、積極的快を求めることをしない。禁欲の目的は、心の平静(アタラクシア)を維持することにある。それは苦でないことはもちろん、快であってもならない。これはストア派の哲人の理想でもあった。
 快苦の連続体として発現する生への意志を克服するには、快苦の原理そのものを廃棄しなければならない。それは生そのものを超越した状態に至ることである。しかし、 苦を求めることによって快を否定し、その結果快でも苦でもない状態を実現すると言う禁欲主義の理想は、極めて不安定なものでしかない。いわば大波の上でボートの安定を図るようなものである。しかも生への意志と言う絶大な力の前に、単なる自己認識に過ぎない自覚の働きはほとんど無力に等しい。とりわけ青年期においては壮絶な闘いと、壮絶な敗北が繰り返される。単なる生の道具に過ぎない認識の力が、世界の本質と格闘するのであるから。芥川龍之介はキリストと釈迦を比較して、次のような皮肉を述べている。

 <悉達多
(しったった)は王城を忍び出た後(のち)六年の間苦行した。六年の間苦行した所以(ゆえん)は勿論王城の生活の豪奢(ごうしゃ)を極めていた祟りであろう。その証拠にはナザレの大工の子は、四十日の断食しかしなかったようである。>(「侏儒の言葉」より)

 伝説によると、釈迦が成仏するまでには無数の生まれ変わりと自己犠牲が先行したようである。釈迦が格闘したのはおのれ自身の本質である世界意志もしくは世界苦(Weltschmerz)であるから、はるかに困難な苦行であったことであろう。キリストには父なる神の救済が待っていた。世界意志の克服は永遠の課題であって、この宇宙が存在しつづける限りは究極の解決には至らないであろう。56億年先にも仏は必要なのである。
 今日、神も仏も‘死んだ’時代に、なおかつ禁欲主義は可能なのであるか、と言う問いが立てられねばならない。この問いに答えるためには、先ほどの人間に関する定義が一つの拠り所となる。すなわち、人間とは人間であることに満足できない存在である。人間であることのあきらめ、もしくは妥協が中庸を生み、人間であることの全肯定が極端な快楽主義へ走らせるとするならば、人間であることの否定もしくは反省は禁欲主義に向かわせることになる。人間は自覚する限り禁欲に向かうことは、あらゆる哲学者の例に見ることができる。人間は快楽に向かう限り自覚を邪魔者と感じる。生の本質は盲目的快の追及だからである。それにとっては知も認識も、目的を達するための道具に過ぎない。
 単なる道具である認識から派生した自覚による禁欲がいかにもろいものであるか、ニーチェの言葉をひいておこう。

 <悪霊を祓おうとした者たちの多くは、自ら豚のむれに加わった。>

 あらゆる禁欲主義者は常にこのことを肝に銘じておくべきであろう。
    
(快楽主義については後日改めて考察) 

2009年1月18日(金)
インターネットの未来と出版文化(K)
 遅ればせながら、新年おめでとうございます。今年もエポス文学館にお立ち寄りください。
        *    *   *
 パソコン=インターネットとかかわるようになって8年ほどですが、最初の頃の気おくれは少しずつなくなってきたものの、やはりある種の警戒心は残っています。もともと人間嫌い(大人嫌い?)ですから、人のむらがる物事には近寄らないようにしています。パソコン=インターネットの構造もようやく見えるようになって来ました。見えると同時に不快感も増してくるのは、わたしの性質でしょうか。
 かといって、パソコン=インターネットに関してネガティヴな考えを持っているというわけではありません。むしろパソコン=インターネット文化の可能性を、政治的に抑圧したり、商業的にコントロールしたり、また保守的本能から過小評価することに対して不快感を覚えるのです。もちろんインターネットがもたらす多方面へのラヂカルな変革に、不安を抱かないと言うわけではなく、それへの意識の対応を面倒がる気持ちもあります。しかし、それらは未来への刺激として、積極的に受け入れるべきものです。たとえ善悪の彼岸にあるとしても。
 パソコン=インターネット文化の最大の特徴は、あらゆる知識=情報を原則的に抑止不可能にするという点です。これは国、民族、宗教を超え、あらゆる年齢層についていえることです。だれでも、知りたいと思うことは何でもすぐさま、知ることができます。これはいかなる権威も、権力も、宗教も、道徳も抑圧することはできません。単なる検閲や、フィルターリングで抑圧できると思い込むのは、インターネットの可能性を過小評価している、風車の前のドン・キホーテのようなものです。
 知識は力ですから、インターネットは国家権力を壊し、権威を相対化し、道徳を無効化し、青少年に世の中の真の姿を見せつけます。これで世の中が変わらなければ、国家のあり方が変わり、教育が変わり、商業=経済が変わり、学問=芸術のあり方が変わることがなければ、世に変革の可能性などはないといえるでしょう。
 未来の世界はインターネットを中心にしてグローバルに築かれることでしょう。その世界のいくつかの可能性を考えて見ます。
 インターネットの世界には新たな知的階層化が生じることでしょう。しかしプラトンの理想国家とは違って、賢者が支配するわけではありません。いまだかつて賢者の支配がうまくいったためしはありません(五賢帝しかり、レーニンしかり)。インターネットの世界は、大多数の知的中間層からなる民主制がしかれることでしょう。しかし衆愚政治を嫌う少数の‘賢者’が知的最上層を占めます。そこでは賢者のみのソサエティが作られることでしょう。最下層には知性よりも動物本能に引かれるアンダーグラウンドが形成されます。それぞれのすみわけが人類の共存にとっての課題となります。
 人類の文化はこれまで紙と印刷によって支えられてきました。インターネット世界ではこれらが消滅します。すべてが電子化することによって、知識と教育とが更に普遍化してゆきます。人類が人類であるための基本的条件が、もはや商業によっても国家権力によってもコントロールされなくなります。ポータブルなパソコンひとつの中に、人類のあらゆる貴重な知識がつまっています。本もなくなり、本屋もなくなり、インターネット以外では出版社もなくなります。紙の本は骨董屋か博物館でなければ見られなくなります。
 インタ−ネットと出版文化について、インターネットに関してひどく保守的に考えているなと思われる論説に反論してみます。
 「・・・インターネット上の情報と、本や雑誌などの出版物とはどこが大きく違うのだろうか。
 最大の違いは、記名・審査・保存の有無にある。科学論文は、著者名が記され、編集部による審査があり、そして長期間そのままの形で保存される。公刊された出版物の場合、著者と出版社(雑誌名)が明示されるので、著者と出版者の見識や責任においてその信頼性が保証される」
 そもそも紙の世界での権威が確立されるまでに長い年月がかかっているのですから、いったん権威が相対化されたインターネットの世界でもいずれそれなりの権威(のあり方)が確立され、紙の保証がいらなくなることは見えています。おまけに、もし何の権威もないとしても、インターネットでポータブル核爆弾の製造法が公開されたならば、果たして無視できるでしょうか。
 とにかく未来のインターネット世界は、人類の政治、経済、文化、宗教すべてにわたって根本的な変革をもたらしているであろうことは、SF作家でなくても予想がつくことです。単なる初夢ではありません。
2008年11月10日(月)
言葉の玉手箱

 <今月の言葉>が少々たまりましたので、言葉の玉手箱などというものをもうけることにしました。
 学生時代には読書していて気に入ったくだりがあると、書きぬいたりしたものですが、近頃は年とともに横着になって、これという言葉に出会っても忘れるに任せてしまいます。本当に大事なことは自ずと頭にとどまるはずだと、開き直ってもみますが、たくさんの本を遍歴しながら、思い返せるものがほとんどないという事態が、いずれ誰にも訪れるでしょうから、あてにもなりません。昔読んだ本を読み返してみて、ああこんなすばらしい言葉を忘れていたのかと驚くことがしばしばです。
 名言集というものは、確かにこうした事態を多少は補ってくれるでしょうが、一般的過ぎてかえって忘れてしまうかもしれません。読書の中で出くわした言葉こそが、場合によっては一生付き合ってくれる言葉です。その意味では各人が自分の名言集を編むべきでしょう。
 人生のあらゆる瞬間にふとうかんでくる言葉や文句が、我々の人生を導き、場合によっては決定することもあるでしょう。どういう言葉に惹かれるかが、その人の趣味や思想や生き方を表わしているとさえ言えるでしょう。最大公約的な名言集と違って、個人がコレクトする言葉はその人そのものであるということになります。
 その点では、誰にも役立つというわけには行きません。しかし言葉の解釈は人によって異なりますし、同じ言葉が人によって全く違った印象を及ぼすこともあるでしょう。優れた言葉は、かりに特殊であっても、万人に通用するものを備えているはずです。それによって個を超えてゆくことでしょう。

2008年8月24日(日)
グロテスクな人生(K)

 存在の理想的な状態は、常にそのままの状態であり続けることであると思う。もちろんそれは、不安定や不安や動揺の状態であってはならない。願わくば永遠の自足でなければならない。物質も生命も、究極においてはそうした絶対の安定、いわゆる平衡状態を求めるものであるらしい。人間や動物は、飢えや欲望に駆られていないかぎり、安らぎを必要としている。動物にとっても人間にとっても、安らぎのない生存は悲惨であり、無意味である。ただ生きるために生きる生命には何の意味もなく思われる。時に生存そのものを楽しめる安らぎの時が訪れてこそ、生命には意味がある。
 家畜や、犬や猫を見ていても、そのことは言える。家畜はいずれ人に食われるという最大の犠牲を払ってまでも、ある期間安心できる生存をかち得たのである。しかし、ある時突然にその安心と信頼は奪われる。犬や猫の運命も同様である。飼い主の気紛れにすべてを委ねることによって、野性生活によっては得られない安心をかち得たのである。しかし、ある日突然に生命を断たれないとも限らない。
 人間は文明や文化といわれるものを発展させることによって、生存の安らぎと安心をかちとってきた。それらが時に多くの不都合や、征服や服従をひきおこしたとしても、じゅうぶん償うだけの生存の安定をもたらしたのである。しかし、いつかその信頼と安心は裏切られるかもしれない。そうした不安が、さらに新たな文明や文化を生み出していく。
 人は、田園生活や野性生活の中に心の安らぎを求めがちである。それは単に、文明や文化に対するノスタルジックな反動に過ぎないであろう。真の野生の中では、いかなる生存の安らぎもないことは野生動物を見れば明らかである。それよりもネアンデルタール人や、縄文人の生活を考えればすぐ分かることである。縄文人の平均寿命は30年であったという。あの薄暗い竪穴式住居の中で、どのような生存の安心が得られたことであろうか。
 しかし、文明の中で生命の究極の平衡状態が実現されているかといえば、日々われわれが実感しているように、理想にほど遠いのである。プーシキンの「大尉の娘」であったか、のどかな田園生活の描写の後に、突如野蛮な決闘シーンが描かれる。楽園に憧れるのも人間で、楽園を破壊するのも人間である。文明を創るのも、破壊するのも人間である。いかなる楽園にも、いかなる文明にもあきたらなくさせるものが、人間の、もしくは生命の本質の中にある。
 生命への盲目の陶酔とでも言えるものがそこにある。いかに安住や安定の中に置かれようとも、すぐさま生命の最大の敵の一つである退屈が押し寄せてくる。そこから生命のあらゆる愚行が発している。安定や安住は一時的充足に過ぎず、生命の究極の目的ではないかのようである。さらに大きな欲望や欲求が、さらなる充足を求めてうごめきだす。こうして果てしない循環を生命は繰り返している。その輪廻をどこかで止めねばならないのか。
 充足を求めると言う限りにおいて、生命は平衡状態を目ざしている。その平衡状態を乱すものもまた生命である。最も安定した生を送っているように見える植物も、気候変動に左右され、草食動物に食われ、草食獣はまた肉食獣に食われ、あらゆる動植物は人間の欲求に支配される。人間どうしは互いの欲求によって争いあう。こうした生命どうしの闘争が、果たして生命全体の平衡状態を実現しうるのであろうか。そこには何かの根本的な間違い、プログラムの失敗がないと言えるだろうか。
 生命を美しいと見ることは、晩年の釈迦のように、そこに平衡状態を見て取っているからであろう。それは生命そのものではなく、何か生命の見かけの壮麗さに打たれることなのかもしれない。もはや生命を超えた目で見るとき、この壮麗な悲劇もまた美しといいうるのであろう。はからずも生命そのものが生み出したたくらみとしての美が、生命を超えた生命にとって平衡状態を実現するのである。
(2009・2・21訂正) 

2008年3月8日(土)
同時進行中:<ベオウルフ>他 (K)

 四千のキリ番を越えましたので、今回もカイメラ氏の英雄詩講座を催すことにしました。古英語で書かれた英雄叙事詩<ベオウルフ>の紹介です。叙事詩自体はあまり読みやすいものではありませんので、カイメラ氏に分かりやすく料理してもらいます。
 エポス文学館という看板は単に便宜的なものであって、総合的な文芸というほどの意味合いでしたが、かりに文字通りにとって叙事詩に関心を持つ方が来られたとしても、困らずに済みそうです。epos の語源はギリシャ語の epopoiia (言葉でもって作る)ですから、文芸そのものに代用してみたわけです。
 本来のエポス(叙事詩)は、今日ジャンルとしてはほとんど廃れています。文学史の常識として、小説の隆盛とともに消滅したジャンルです。ただし西洋では、Leseepos(読むための叙事詩)として十九世紀まで様々な詩人が創作していました。ゲーテ、バイロン、ハイネ、ロングフェロー、テニソンなど、思い出してみてください。
 サロン・ウラノボルグの<虹を追う少年>は途中まで入力して止まっています。そもそも作品を発表するのに枠構成などという面倒なものを取り入れたため、作品に入るまでに骨折ってしまいます。韜晦趣味がわざわいしたようです。自己満足の最たるものかもしれません。
 翻訳では<砂丘の冒険>の第三章を気が向くと訳しています。これも新しいものへ気が行ってしまいますので、いつ終わることやら。
 とにかく、自分が本当に書きたいこと、訳したいものは何かを常に考えて、それを優先させてゆけばよいわけです。それがアマチュアらしさですから。

2008年1月20日(日)
自費出版・夢の崩壊 (K)

 年初の挨拶が遅れました。今年もエポス文学館とよろしくお付き合いください。
                    *
 さて、今年最初の雑録のタイトルが夢の崩壊です。ニュース報道によると、大手自費出版社の新風舎が民事再生法を申請、結局再建のめどが立たず破産と言うことになりました。これまで一万一千人の著者から一万五千点の本を出した在庫の六百万冊が宙にういたばかりでなく、現在契約中の約一千人分の出版が不可能になり、あまつさえ契約金が戻る当てさえないということです。前受け金として受け取った十億円は、資金を回転させないとやって行けないのが出版社ですから、とうに支払いに消えてしまったわけです。
 出版不況ということが言われて久しいのですが、それをかいくぐるようにして起こったのが自費出版ブームです。本を売ることが本来の出版社の使命ですが、売らずして儲けることが出来たのが自費出版の引き受けでした。実は中小の出版社も、助成金という名目で売れない本に対しては著者の出費を求めるのが普通でした。これを一般の素人作家に対して大々的に繰り広げたのが、新風舎を初めとした自費出版専門の出版ブームでした。
 以前、自費出版を考えた時に、新風舎からパンフを取り寄せたことがありました。結局考えるだけに終わったのですが、それ以後定期的に賞の案内などと共にぶあつい在庫目録が送られて来ていました。新風舎で一番気に入ったのは、派手な賞のうたい文句などではなく、その膨大な在庫目録でした。自費出版で一番気になるのは、出した後での出版社のフォローです。アマチュアの本がすぐさま売れることなど考えられないのですから、自分でさばいた後の残りを、出版社が年月をかけてどこまで面倒を見てくれるかが問題です。たいていは一年程度で著者が引き取るか、出版社の処分に任せます。それをとことん在庫として残そうと言う新風社の意気には、共感を覚えました。しかし、それが在庫六百万冊と言う大きな負担になったのかもしれません。

                    *
 ある小出版社の人から「雑誌は残らないが本は残る」と言われたことがあります。同人誌に載せるか、本として出すか、アマチュア作家の悩むところです。同人誌では一時的評価は得られますが、次々と号を重ねていけば、過去の話題を振り返る人もいないでしょう。他方、本を出しても、実績のない限りは、何の反響も期待できないでしょう。しかし本は残ります。身辺の人たちに読んでもらうために出すのでない限り、本を出す人は見知らぬ読者を期待しているはずです。それを性急に現在に求めるのは人情と言うものですが、本には未来があります。
 ポオ十八歳の時の処女詩集「タマレイン・その他の詩」(1827年)は、生前には全く知られておらず、死後も幻の詩集であったものが、だんだんに発見され、今では(ファクシミリは別として)十二部残されています。若きショーペンハウアーの野心的な哲学書「意志と表象としての世界」は、出版者の危惧をおしきって千部印行されたものの、売れたのは百部に過ぎず、残りは断裁に処されてしまいました。今日この書の思想的影響は測り知れないものがあるでしょう。前世紀初頭、イジドール・デュカスという得体の知れない人物によって五十年も前に書かれた詩集が、シューレアリスト詩人によって発掘されました。今日「マルドロールの歌」を抜きにして、現代詩について語ることは不可能でしょう。
 これらの偉人たちは例外であると言えるかもしれません。たいていの本はショーペンハウアーが嘆いたような運命をたどることでしょう。

 「ヘロドトスによると、ペルシアの大王クセルクセスは、雲霞のような大軍をながめながら涙した。百年後には、この全軍のだれ一人として生き残ってはいまいと思ったからである。分厚い図書目録をながめながら泣きたい気持に襲われない者がいるだろうか。だれでも、十年たてば、この中の一冊も生き残ってはいまいという思いにうたれるはずである。」(「読書論」斎藤忍随訳)

 とはいえ、人は希望によって突き動かされる存在です。自分の書いた本がいつか知らない人の手に渡って、何らかの感銘を与えないとも限らない。それは十年後、百年後の一人であるかもしれない。そうした未来に向かっての自費出版を可能にしてくれる出版社を、アマチュアは求めるのである。

2007年9月9日(日)
伊豆の山中にて(K)

 人影のまれな山道をバックパックを背負って黙々と歩いていると、頭の中も心の中も空っぽの状態が生じてくる。とりわけ夏の暑熱の中を肌に汗をにじませながらのぼりの道をたどっている時のなんとも苦役のような状態は、何か積極的にものを思うことも感じることも拒否させる。こんな時、なぜ無意味に近い山歩きをするのだろうと深い徒労感だけが残される。心身を徒にさいなむ事によって何が得られるのか。人生そのものの無意味さが浮き彫りにされるだけではないか。そこから逆説的に希望が生まれてくるとでもいうのか。
 昔、一緒にハイキングをした人が、長い下りをひたすら急ぎながら、「何でこんなことをしているのか分からない。早く麓に着くのが目的だ」
と言ったことを思い出す。人は無意味に苦しむ時、その無意味を終わらせることを目的とするほかはない。とにかく、どこかにたどり着くことによって労苦も一時的な意味を持つ。しかし人生の労苦には麓がない。ひたすら歩み続けるか、立ち止まるほかはないのだ。
  目的のない人生は、少なくとも青少年期には考えられなかろう。人は頂や麓を目ざす。目指すこと自体が喜びであり、とにかくどこかのゴールに着けば達成感の喜びがある。しかし達成したとたんに新たな目的が生まれる。一つの道標を過ぎれば、次の道標が待っている。その度に最後の目標があるかのように励まされる。こうして道標をたどっていくことが人生の意味であるかのように、人は思い込まされていく。最後の道標が墓標であることを知りながら・・・。
 平坦な道を歩めば退屈が、起伏のある道を歩めば徒に心身をさいなむ徒労感が人を襲う。目的を目指す限りは達成感があり、喜びがある。しかし感動も一時的である。突如現われた美しい景色に佇んでも、何かに追われるようにすぐさま背を向けねばならない。いかに名残惜しかろうと。感動は一瞬であり、その一瞬を大切にするならば立ち去らねばならない。
 人はなぜ無意味を避け、徒労を厭うのか。人を歩ませるものはただ道標や目標だけなのか。
 山道の起伏を、時に体力の限界まで歩く時、徒労感も無意味感もうせ、ただ空白が残る。何も考えず何も感じず、ただひたすら重い足を引きずる。そして時にばったりと倒れて、道に寝転がってみる。何の目的もなく、何の意味もなく、しかし心は不思議と自由である。午後の翳りの差した空の色のように、不安ではあるが自由である。人間にとりついている様々な執着から自由である。少なくともその瞬間は・・・。
 千日行の行者はたぶん、ただ歩くということのほかには何の目的も持たないのであろう。一見無意味なことの中に意味を求めているかのようである。それでもって聖人になれるかどうかは凡知のおよぶかぎりではないが、少なくとも人生の意味とは異なった意味があることを教えている。
 
  水音とほくちかくおのれをあゆます
  ここまでを来し水飲んで去る (平泉)
  このみちをたどるほかない草のふかくも

 こんな詩を作りつづけた山頭火も無意味の中に意味を求めて、行乞放浪の人生を送ったのであろう。

 夏の午後の山道は思いのほか静かである。鳥の声も蝉の声もとだえて、はるかに耳を澄まさなければつくつく法師にも気づかずにいる。歩く人はまれで、時たま車とすれちがう。ただどこかへ向かうことが目的であるなら、車ほど目的にかなった移動手段はなかろう。無目的と目的とが、無意味と意味とがすれ違う。一見公園かと見まがう、大きな木々の林立した平坦地にさしかかる。木々のざらざらした樹皮を見上げた時、ふと既視感にとらわれた。ただ風景として見やっていただけの木々であったが、そうした観照の視点とは違った、近視的ではあるが心ときめく視線で樹皮をたどりながら、梢の薄暗がりまでまなこをひからせている少年の私がそこにいた。山の木々は珍しい蝉や昆虫が誘いかけてくる魔法の領域なのであった。あらゆる動物の持つ狩猟本能が少しも美的とは思えない、おぞましくすらある、めくれ上がった樹皮の連なりの世界に、好奇心にみちた欲望を燃やしているのだ。そしてそれは純真な欲求である。迷いも疑いもなく、目的も失望もなく、ただ木の上までよじ登れないおのれをふがいなく思う。子供の頃にはただ歩きつづける無意味さもなく、ひたすら目的に向かう律儀さもない。小さな世界であっても、その世界を知ろうとする強烈な好奇心がすべてであった。無目的で、無意味ではあったが、真剣であった。その意味でUnschuldの世界にいた。Schuldを負うことによって人は目的や意味を人生に課せられる。それが人の原罪であるかもしれない。

  空へ若竹のなやみなし  山頭火