〜バレエ「コッペリア」と幻想小説「砂男」〜
シャルル・ニュイテールとA.サン・レオン/台本・振付 (バレエ「コッペリア」) | (1870年) |
E.T.A.ホフマン/原作 (幻想小説 「砂男」) | (1816年) |
<人物名対照表>
作品名 | (ジャンル) | 自動人形に恋する男 | 男の恋人 | 自動人形 | 人形を操る怪人物 |
コッペリア | (バレエ) | フランツ | スワニルダ | コッペリア | コッペリウス |
砂男 | (幻想小説) | ナタナエル | クララ | オリンピア | コッペリウス、コッポラ、スパランツァーニ |
(ホフマン物語) | (オペラ) | (ホフマン) | (ミューズ) | (オランピア) | (コッペリウス、スパランツァーニ) |
〜バレエ「コッペリア」〜
村娘スワニルダはフランツという青年と婚約していたが、どうも最近フランツの様子がおかしい。コッペリウス博士の娘コッペリアに心を奪われているようなのだ。フランツは今日も窓辺に現れたコッペリアに色目を使い、投げキスをした。するとこれまで全く動いた事がなく、誰にも何の反応も示さなかったコッペリアがフランツに投げキスを返したのだ。
明日は鐘の奉納の祭りがあり、結婚するカップルには領主から結婚祝い金が贈られる事になっているのだが、腹を立てたスワニルダは、婚約を解消すると言ってフランツと大ゲンカをしてしまった。
腹の虫がおさまらないスワニルダは、いつも窓辺で気取っていて、誰が呼びかけてもあいさつをしないコッペリアの正体を暴いてやろうと、コッペリウス博士の留守に家へ忍び込んだ。そして実はコッペリアがゼンマイ仕掛けの自動人形である事を発見した。そこへコッペリウス博士が帰って来たので、スワニルダはコッペリアが収納されている小部屋にこっそり隠れた。
その時フランツがコッペリアに会いにはしごを昇って忍び込んで来たが、、コッペリウス博士に見つかってしまい、たたき出されそうになった。しかし恋しいコッペリアに会いに来たと言うと、コッペリウス博士は急に愛想がよくなり、フランツに酒を勧めた。その変な味の酒を飲み干したフランツは頭がもうろうとしてきて寝込んでしまった。
その間にコッペリウス博士は魔術書の呪文と手技を使ってフランツの魂をコッペリアに移し、コッペリアを人間に生まれ変わらせようとした。するとコッペリアは本当に段々と人間らしくなって動き出したので、コッペリウス博士は有頂天になってしまった。しかしそれはコッペリアになりすましたスワニルダだった。スワニルダは悪戯の限りを尽くした末にフランツをたたき起こし、手に手をとって逃げ出してしまった。
翌日は領主も臨席して鐘の奉納の祭りと結婚式が行われた。そこへからかわれ、コッペリアを壊されたコッペリウスがやって来て、損害を賠償しろとスワニルダに迫ったが、領主がコッペリウスにも金一封を与えたため、しぶしぶながらもコッペリウスは振り上げた拳をおろして帰って行った。
そして鐘をめぐるいろいろな踊りが踊られ、仲直りしたスワニルダとフランツも仲良く手を取り合って踊り、平和を祈る鐘の祭りは賑やかに盛り上がった。
(終わり)
〜幻想小説「砂男」〜
大学生ナタナエルの心の奥底には「砂男」という恐怖の概念がひそんでいた。砂男とは、小さな子供がいつまでも寝ないでいるとやって来て、砂を眼に入れて目玉を飛び出させてしまうという伝承上の妖怪。成長するにつれて普通は忘れてしまうようなものなのだが、ナタナエルの場合、大嫌いな老弁護士コッペリウスを砂男だと思い込み、そのコッペリウスに折檻された思い出と、父親がコッペリウスと錬金術の実験中に爆死した事件とが結びつき、「砂男=コッペリウス」は恐怖の象徴として心の奥深くにしみついてしまったのだった。
ある日下宿に晴雨計売りのコッポラという男がやって来て、そのコッポラをコッペリウスだと思い込んだ事からナタナエルは恐怖にとりつかれる事となった。恐怖と不安は故郷に帰省した後にも影を落とし、砂男の存在を否定してナタナエルを救おうとする婚約者のクララと仲違いをしてしまい、その事からクララの兄ロータールとあやうく決闘になりかけたほどだった。さすがに反省したナタナエルは愚かな考えを捨て去ろうと固く決心した。
平和な心を取り戻して大学へ帰ったナタナエルだが、再びやって来た晴雨計売りのコッポラに望遠鏡を売りつけられ、その望遠鏡を通して見たオリンピアという娘に心を奪われた。
オリンピアは物理学の教授スパランツァーニの娘だが、ぎこちなく硬直しており、ほとんど動く事がない。しかしコッポラの望遠鏡を通してみると、天女のように美しく、ナタナエルへの愛にあふれているように見えたのだった。ナタナエルの心からクララの面影は跡形もなく消えてしまった。
ある日、スパランツァーニ教授の家でパーティーが開かれる事になり、これまで人前に出る事がなかったオリンピアがお披露目される事になった。そのぎこちなさに魂がないかまたは白痴ではないかと人々は思ったが、コッポラの望遠鏡に判断力を狂わされたナタナエルは、ますますオリンピアに夢中になった。
その様子を見たスパランツァーニ教授はいたく満足してオリンピアとの仲を認めたため、ナタナエルは毎日のようにオリンピアを訪ね、自分の意思を表示する事もない彼女が自分を丸ごと受け止めて共感してくれるものと思い込んで、ついには結婚を申し込むことにした。
しかしナタナエルが指輪を持って訪れると、目玉を作ったコッポラとゼンマイ仕掛け等全体を作ったスパランツァーニ教授が所有権を争ってオリンピアを引っ張り合っていた。オリンピアは二人が共同で作った自動人形だったのである。そしてついにはコッポラが勝ってオリンピアを担いで持ち逃げしてしまった。
負けた教授は実験器具の上に倒れて血だらけになり、何とか確保したオリンピアの目玉を茫然自失のナタナエルに投げつけた。血まみれの目玉が胸に命中した事から狂気は胸の奥深く入り込み、ナタナエルの理性はズタズタに破壊されてしまった。狂ったナタナエルはおかしな事を口走りながらスパランツァーニ教授の首を締め上げて殺そうとしたが、物音を聞きつけた人々に取り押さえられ、精神病院に送られた。
故郷に連れ戻されたナタナエルはクララの献身的な看病に正気を取り戻したかに見えた。しかしクララと共に市役所の塔に登ってコッポラの望遠鏡を覗き込み、その中にクララの姿を見た時、再びナタナエルは発狂した。そしてクララを塔から突き落とそうとした。危機一髪でクララは駆けつけたロータールに救出されたが、ナタナエルは塔の下の群集の中にコッペリウスの姿を発見してしまった。そしてナタナエルは吸い寄せられるように塔から飛び降り、頭を粉々に砕かれた。ナタナエルの死と共にコッペリウスは姿をくらましてしまった。
(終わり)
〜バレエ「コッペリア」〜
第一幕 (ガリツィアの町の広場)
広場に面したコッペリウス博士の家の窓辺で、娘のコッペリアがいつものように身じろぎもせずに読書に没頭している。とても美しい娘なのだが、誰があいさつしてもあいさつを返した事がない。彼女に好意を持つ青年も多くいたが、笑顔や投げキスを送ってはいつも無視されてがっかりしていた。未だかつて誰もコッペリアが話すのを聞いた事もなければ外出するのを見かけた事もなかった。またコッペリウス博士は変人で、決して誰も家の中にいれようとせず、すべては謎に包まれており、それがまた村人たちの好奇心を刺激していた。
今日も村娘スワニルダがコッペリアに手を振ったりお辞儀をしてみたり、コッペリアの様子をうかがいに来ていた。スワニルダにはフランツという婚約者がいるのだが、彼もまた謎を秘めた美しいコッペリアに並々ならぬ関心があるようなのだ。スワニルダはライバルがどんな娘なのか知りたくてたまらないのである。
しかし今日もまたコッペリアはじっと本に眼を据えたままだった。無視されたスワニルダはいらいらし、ふくれて立ち去った。(ワルツ・レント、〜スワニルダのヴァリエーション〜)
そこへフランツがやって来た。そしてコッペリアの関心を引こうと、ダメもとで投げキスをしてみた。すると何とコッペリアは動き出し、ややぎこちない動きながらフランツに向かって手を振っただけではなく、投げキスまで返してくれたではないか。…おおっ、これは脈があるぞ!…フランツは舞い上がってしまった。
コッペリウス博士はコッペリアの背後でフランツの様子を見ていて、してやったりと思ったが、フランツが近寄って来たので、コッペリアを隠し、わざとしかめっ面をして追い払った。
広場に戻って来たスワニルダはその様子を見てしまった。…誰にも何の反応もした事がなかったあのコッペリアが私のフランツに向かって何て事を。それにしてもフランツもフランツよ、私たちの結婚式ももうすぐだと言うのに…
スワニルダは胸がむかむかして来たが、動揺を見せまいとしてひらひら飛んで来た蝶々を追いかけ始めた。気分が薔薇色のフランツも一緒になって追いかけ、仕留めてうれしそうに服の襟にピンで留めた。
スワニルダは、何て残酷な事をするの、とフランツを非難し、そのまま怒りが抑えきれなくなって先程のコッペリアとの出来事を持ち出して、
「これで私たちの仲もおしまいね。だってあなたはもう私を愛していないんでしょ。」とフランツに怒りをぶつけた。フランツは弁解をしようとしたが、スワニルダは聞く耳を持たなかった。
そこへ町長をはじめ、たくさんの村人たちが集まって来た。町長が、明日領主から鐘が寄贈され、その奉納の祭りが開かれる旨を村人たちに告げた。広場はお祭りムードに包まれ、人々は賑やかに踊り始めた。(マズルカ)
踊りが終わると、コッペリウス博士の家から金槌の音が怪しく響き、家が真っ赤に照らされたかと思うと、もうもうと煙が噴出し、ついでにコッペリウス博士もゴホゴホとむせながら出て来た。人々の視線を感じた博士は干渉される事を嫌って人々を振り払い、家へ戻って行き、固く戸を閉ざした。
村人たちは、やっぱりあの人は変人だと言い合い、スワニルダも、
「コッペリウス博士だけでなく、窓辺に座っているだけのあの娘もきっと頭がおかしいに違いないわ。」と悪意を含んで言った。
そんなスワニルダに町長が訊ねた。
「明日の祭りで領主様が結婚するカップルに結婚資金を与えて下さる事になっているが、あなたもフランツと結婚するのだろう?」
しかしスワニルダはフランツを意地悪く見ながら、
「それはどうでしょう。この事については麦の穂に聞いてみたいと思います。」と、麦の束から穂を引き抜いて耳に近づけ、耳を澄ませた。麦の穂が秘密をことごとく明らかにするという言い伝えがあるのだ。
スワニルダはフランツの耳元に穂を持って行き、
「穂はあなたが浮気をしていると言っているわ。もう私を愛していない、他の女を愛していると言っているのよ。聞こえるでしょう?」と言った。フランツは何も聞こえない、と答えたが、スワニルダは
「それはあなたが何も聞きたくないからよ。」と、友人たちの耳元にも穂を近づけて聞かせてみた。
友人たちは笑いながら穂が話すのが聞こえると言い、フランツはそんなわけがないと抗議をしたが、スワニルダはフランツの目の前で穂を折ってしまい、
「これで私たちの仲もおしまいだわ。」と宣言した。(穂のバラード)
※ この場面の演出については、フランツだけがうなづき、他の人は全員首を振るバージョンがありますが、この場合は命題が「フランツは今もスワニルダだけを愛している」にすり替わっているのかもしれません。
そしてスワニルダはフランツをほったらかして友人たちと踊り(スラヴ民謡の主題によるヴァリアシオン)、続いて村人たちも踊り出した。(チャルダッシュ)そうこうするうちに夜になり、村人たちは家路についた。
誰もいなくなった広場にコッペリウス博士が現れ、厳重に扉に鍵をかけて外出しようとしたが、そこへコッペリウス博士にいたずらを仕掛けようとする村の若者たちが現れて、脅かしたり、タックルを仕掛けたりした。コッペリウス博士は必死になって振り払い、ようやく若者たちを追い払った。しかし汗だくになったコッペリウス博士は汗をふこうとハンカチを出した拍子に大事にしまっていた鍵を落としてしまい、気がつかずにそのまま行ってしまった。
コッペリウス博士が行ってしまうと、スワニルダの家に集まっていた娘たちが出て来て、その中の一人がコッペリウス博士の家の鍵を見つけ、忍び込むチャンスだとスワニルダをけしかけた。ちょっとためらっていたスワニルダの目に、はしごを持ってやって来るフランツの姿が飛び込んで来た。
…コッペリアに会いに行く気なんだわ…嫉妬に燃えたスワニルダからためらいは消え、代わって恋敵がどんな娘なのか確かめたいという好奇心が強くなった。
「さあ、行きましょう!」スワニルダは友人たちに号令をかけた。中にはびびっている娘もいたが、好奇心にはかてず、スワニルダをはじめ娘たちは忍び足で、謎のコッペリウス屋敷に忍び込んで行った。
そこへ浮かれたフランツがやって来た。しかし彼がはしごをコッペリアの窓辺にかけようとした時、鍵を失くした事に気づいたコッペリウス博士が帰って来たので、フランツはあわてて隠れた。コッペリウス博士は扉が開いており、何物かが忍び込んでいる事に気がついて、怒りに燃えて家へ入って行った。
コッペリウス博士の姿が消えたのを確認したフランツは、早くコッペリアに会いたい気持が押さえ切れず、再びはしごをかけて浮き浮きと登り始めた。
第二幕・第一場 (コッペリウス博士の工房)
忍び込んだ娘たちは互いに手を握り合い、時には後ずさりしながら用心深く奥へと入って行った。室内は何やら異様な雰囲気が漂っており、未完成または完成した人形があちらこちらに置いてあった。ペルシャの衣装をつけ、白い髭をはやして本を読んでいる老人、威嚇的な黒人、楽器を持った大きな中国人。マンティーリャをつけたスペイン人形、そしてスコットランドの人形。
最初は恐がっていた娘たちも、人形だとわかると段々と大胆になって来た。
いつもコッペリアが現れる窓辺に小部屋があり、開けてみるとそこにはいつも通り本に眼をすえたコッペリアが座っていた。皆に促されたスワニルダは思い切ってあいさつをしてみたが、コッペリアは知らん顔をしている。今度は話しかけてみたが、やはりコッペリアは反応を示さない。気を引こうとしてスカートを引っ張ってみたが、それでも全く反応がなかった。
…本当に生きているのかしら…と思ったスワニルダは思い切ってコッペリアの胸に手をあててみた。すると全く鼓動がない。何と、コッペリアはぜんまい仕掛けで動くにすぎない自動人形だったのだ。
娘たちは、これまで村中がコッペリアを人間だと思って大騒ぎしていた事を思い出して大笑いした。スワニルダの嫉妬も怒りもこれできれいに消え去った。それどころか真実を暴露し、フランツの間抜けぶりをからかうという楽しみができたスワニルダは愉快にさえなった。
これでもう恐いものがなくなった娘たちは工房の中ではしゃいで走り回った。と、娘の一人が人形のバネにふれてしまった。すると人形は奇妙な音楽を演奏し始めた。最初はびっくりした娘たちだったが、そのうち音楽にのって楽しく踊り始めた。(自動人形の音楽)
と、そこへ怒り狂ったコッペリウス博士が現れ、侵入者である娘たちを追いかけ始めた。びっくりした娘たちはあたふたと逃げ回り、すばしっこくコッペリウス博士をかわして外へ逃げ出して行った。スワニルダは逃げ遅れ、あやうく捕まりそうになったところを間一髪で小部屋の中のコッペリアの影に隠れた。
コッペリウス博士はどこか壊されていないかとコッペリアを調べたが、異常はなさそうだったので、安心して小部屋の扉を閉めた。
と、窓からはしごがのぞき、窓が開いてフランツが入って来た。コッペリウス博士は新たな侵入者に驚き、こっそりと後ろに忍び寄って攻撃をしかけた。不意をつかれたフランツがうろたえながら防戦していると、コッペリウス博士は、何しに来たんだ、とフランツを怒鳴りつけた。
フランツは正直に、自分はコッペリアに恋をしており、彼女に会いに来たのだと告白した。するとコッペリウス博士は何か思いついたようで途端に愛想が良くなり、
「私はみんなに言われているほど意地悪じゃないんだよ。どうだね、ここで飲みながらおしゃべりしようじゃないか。」とフランツに椅子をすすめた。
コッペリウス博士は古い酒瓶とゴブレットを二つ持ってきて、酒をなみなみと注いだ。そしてフランツにゴブレットを渡し、乾杯した。フランツは妙な味の酒だと思いながら飲み干したが、コッペリウス博士は飲むふりをしながらこっそり自分の分は捨てた。そしてコッペリウス博士は善良さを装っておしゃべりしながら、どんどんと変な味の酒をフランツに飲ませた。
フランツは恋を告白しようとコッペリアがいる窓辺へと行こうとしたが、足はふらふらし、頭もくらくらして来た。コッペリウス博士はそんなフランツを食卓へとおしやり、フランツは椅子にどさりと倒れ込んで正体もなく寝込んでしまった。
…しめしめ、うまくいったぞ、あの呪文の効果をためすまたとないチャンスじゃわい…コッペリウス博士は古い魔術書を持ち出してきて、呪文を調べた。それは人間から魂を取り出して人形に与え、人形に生命を与えるための呪文であった。
コッペリウス博士は全身全霊で呪文を唱えながら手技を繰り返し、魂をフランツからコッペリアに移そうとした。
コッペリウス博士が何度もその手技を繰り返すうちに、コッペリアは立ち上がり、ぎこちなく動き始めて本を取り落とした。コッペリウス博士は身震いした。ぜんまいを巻いたわけでもないのに、コッペリアが動いたのだ。
興奮で震えるコッペリウス博士の前で、コッペリアは台座を降りて歩き、コッペリウス博士をじっと見つめた。
…やった、やったぞ、今だかつて誰も成し遂げた事のない奇跡をわしは起こしたのだ、ついに人形に、最愛のコッペリアに生命を与える事に成功したのだ!…コッペリウス博士は狂喜した。
そして、もう少しだ、とばかりに再び手技でフランツから生命を引き出してコッペリアに投げ与えた。
するとコッペリアのぎこちなかった動きはなめらかになり、据えられていた眼は生気に輝き、その全身には生命があふれ出した。コッペリウス博士が手鏡を渡すと、コッペリアはじっと鏡に映る自分を見つめ、満足そうに微笑んだ。そう、今やコッペリアは完全に人間の娘になったのであった。
人間となったコッペリアはたちまち好奇心の塊となった。やたらにフランツに興味を示し、フランツが飲んだ酒の瓶を見つけてそれを飲もうとした。取り上げると、ふくれて人形たちに八つ当たりして回った。何とか止めさせると、
「これは何?」、と人形たちを指差して訊ねた。
コッペリウス博士が「わしが作った人形たちだよ。」と教えてやると、今度はフランツを指差して、
「これも人形なの?」と訊ねた。
そうだ、そうだと言いながらも困った事になったと思ったコッペリウス博士は、コッペリアの注意をフランツからそらそうと、スペイン人形がかぶっていたマンティーリャとアバニコ(扇子)をコッペリアに持たせた。
すると、コッペリアはマンティーリャをかぶり、手にはアバニコを持って、踊り出した。(ボレロ)そして次にはスコットランド人形の肩掛けを見つけ、それをかけて、踊り出した。(ジーグ)
※マンティーリャ…レースのベール。大きな櫛をつかって高さを出しながら頭から垂らす。
コッペリアが踊り終わると、朝のファンファーレが鳴った。コッペリアは喜んで窓から顔を出そうとしたので、コッペリウス博士はあわててコッペリアを引っ込めた。するとふくれたコッペリアは大事な魔術書を破き、続いて人形の剣を抜いてコッペリウス博士に襲いかかって来た。
コッペリウス博士は何とか剣を取り上げてコッペリアを小部屋に押し込んだが、疲れ果てて息が切れ、座り込んでしまった。その隙にコッペリアは小部屋を抜け出し、人形たちにふれて動かして回った。自動人形たちは音楽にのって動き出し、その物音でフランツは目が覚めた。
コッペリウス博士は驚いて小部屋をのぞいたが、そこでコッペリウス博士は自分が長年かけて作りあげた大事な自動人形が衣装を剥ぎ取られ、壊されて隅に転がっているのを発見した。コッペリウス博士が人間になったと信じたコッペリアは、実はコッペリアになりすましたスワニルダだったのである。一瞬にして夢破れたコッペリウス博士はへなへなとその場に座りこんでしまった。
スワニルダはフランツに自分の正体をあかし、一緒に逃げましょう、と促した。コッペリアの姿をしているのが実はスワニルダで、コッペリアは自動人形である事がわかると、フランツはしばし呆然としたが、自分で自分の滑稽さがおかしくなって笑い出した。そして二人は抱き合って仲直りし、手に手をとってコッペリウス屋敷から逃げ出した。
後にはコッペリウス博士が独り、壊れた自動人形コッペリアを抱きしめて涙を流していた。
第二幕・第二場 (領主の城館の前))
領主から贈られた鐘が支柱に吊るされた。山車も繰り出され、ひな壇には領主や町長、招待客たちが腰をおろしていた。司祭が鐘を祝福し、更に今日結婚式を挙げて領主から結婚資金を与えられる数組のカップルを領主に紹介した。
フランツとスワニルダもすっかり仲直りして、腕を組んで領主の前に進み出た。
その時、群集のざわめきの中、コッペリウス博士が苦情を言いながら、裁きを求めにやって来た。コッペリウス博士はスワニルダを指差して、領主や町長に訴えた。
「この娘は私の家に忍び込んだ上に散々に私をからかい、苦労して設計し、長年を費やして作った作品を壊しました。ついでに家の中も滅茶苦茶にされてしまいました。ぜひこの損害を弁償していただきたい。」
スワニルダは、受け取ったばかりの結婚資金をコッペリウス博士に差し出した。…どうかコッペリウス博士がこれを受け取ってくれて、あの悪戯がこれ以上大ごとになりませんように…。
スワニルダがそう思っていると、領主がスワニルダに、
「それはあなたが取っておきなさい。損害は私が弁償してあげよう。」
と言って、コッペリウス博士に賠償金を与えた。
コッペリウス博士は賠償金を受け取り、満足はしないが、これで我慢しよう、と言わんばかりの顔をして帰って行った。
コッペリウス博士が行ってしまうと、領主が合図をし、鐘の祭りが始まった。
まず、鐘は朝を告げる。時たちが出て来てワルツを踊った(時の踊り)。それに(夜明けの踊り)、(祈りの踊り)が続いた。
そして時は昼に移った。紡ぎ女たちと刈入れ女たちが現れて、(仕事の踊り)を踊った。そして小さな愛の天使に導かれて、村の婚礼(結婚の踊り)が踊られた。
そこへ勇ましい音楽が鳴り響き、(戦争の踊り)が踊られた。しかしやがてすべては静まり、さきほど武器をとれと呼びかけていた鐘は平和の回復を祝った。(平和の踊り、〜スワニルダとフランツのパ・ド・ドゥ〜)
そして夜が来た。(祭りの踊り〜スワニルダのヴァリエーション)が踊られた。続いて(ギャロップ)が演奏され、スワニルダやフランツはじめ、村中の人たちが踊り出し、祭りの時は賑やかに過ぎて行くのだった。
(終わり)
〜幻想小説「砂男」〜
G市で学生生活を送るナタナエルは、捉えどころのない不安に胸をつかまれており、故郷の婚約者クララや母親への便りもままならぬ有様であった。家族に心配をかけまいとするナタナエルはクララの兄ロータールに手紙を書き、便りが滞っている旨をわび、同じ男性である彼にだけは自分の不安を打ち明けた。
手紙の中でナタナエルが言うには、ある日晴雨計売りのコッポラという男が品物を売りつけようとして彼の下宿を訪れ、そこから平穏だった心に何ともいいようのない不安が忍び寄ったという事なのだ。押し売りが来たぐらいでそんなに不安にとり憑かれるなんておかしな話だと誰でも思うだろう。そこでナタナエルは、なぜ自分がそんな事でうろたえるのかを説明するために、幼い頃の恐怖体験を手紙に綴った。
『ナタナエルの父親は仕事に忙しかったのか、昼食と夕食の時間以外には子供たちと会うこともほとんどなかった。夕食の後には不思議な物語を話してくれる事もあったが、人を寄せ付けない雰囲気の時もあった。そういう時には9時になると、母親が「子供たちは寝る時間よ。ほら、砂男が来る足音がするわ、さあ、お休みなさい。」と悲しげにナタナエルや弟妹を寝室へ追いやった。母親がそう言う時には実際に不気味な足音がしており、その足音は父親の書斎に吸い込まれて行った。
ある時、ナタナエルは母親に、「砂男ってどんな姿をしているの?」と訊いてみた事があった。すると、母親は、「砂男なんて実際にはいやしないのよ。眠くなると眼に砂を入れられたみたいに重くなるからそんな風に言うだけよ。」と言ってナタナエルの不安を取り払おうとした。
しかしナタナエルは…いや、砂男は実際にいるんだ。だっていつもあんな不気味な足音がしているじゃないか。お母さんは僕を安心させようとしてあんな事を言うけれど、僕はだまされないぞ…とますます砂男の存在を確信するのだった。
砂男の事が頭から離れないナタナエルは、妹のお守りをしている乳母に砂男の事を訊いてみた。すると田舎者の素朴な乳母は、砂男の恐ろしい正体について教えてくれた。…砂男は駄々をこねて寝ない子供のところへやって来て、目玉に砂を一つかみ入れて行く。すると子供の目玉は血だらけになってギョロリと飛び出すが、砂男はそれを巣へ持ち帰って自分の子供たちに食べさせるのだ…
乳母の話を聞いてからというもの、砂男はいっそう恐怖の象徴となり、実際に階段を上がってくる不気味な足音をきくと、恐くてその夜は眠れないほどだった。それは少し分別がつくはずの10才頃になってもあまり変わらなかった。ナタナエルは不気味な話にとても興味があったが、中でも砂男は特別の存在となって恐怖をかきたてていた。
ある日、砂男について好奇心を抑えられなくなったナタナエルは、砂男が来ると確信した日に父親の書斎に忍び込んで砂男の正体を見きわめようとした。ナタナエルが父親に気づかれずに衣装棚の前におろしたカーテンの陰にこっそり隠れると、重く不気味な足音がして、砂男が現れた。何と、それは時々やって来て昼食を共にする老弁護士のコッペリウスであった。(母親も子供たちも彼が大嫌いだった。)
コッペリウスと父親は実験着に着替え、押入れの観音開きの扉をあけた。そこには炉があり、焔が燃えていて、奇妙な器具がちらばっていた。そこで二人は何やら不気味な実験を始めたが、コッペリウスはともかく、父親までもが悪魔のように歪んだ顔つきになっていた。そしてそこら中に人間の顔が幾つもあるようで、しかもその顔には眼がなく、気味の悪い真っ黒な穴ぼこが二つぽっかりと開いていた。そしてコッペリウスは「眼をよこせ、目玉をよこせぇ!」とうつろな声をあげた。
ナタナエルはすさまじい恐怖に襲われて、思わずカーテンの陰から転がり出てしまった。すると怒り狂ったコッペリウスが襲いかかって来て、ナタナエルの目玉をとろうとした。父が何とかそれだけは、と止めてくれたが、その後ナタナエルはコッペリウスに手足をねじ切られ、あちこちとはめ替えられた。そしてようやく元通りになりはしたが、この折檻事件の後、高熱を出して何週間も床につく事となった。
以後コッペリウスがナタナエルの家を訪れる事はなくなった。しかしそれから1年ばかり経ったある日、またしてもコッペリウスはやって来た。ナタナエルは言いようのない恐怖に襲われて、自室で固まったようになっていた。
すると真夜中に物凄い爆音がして家が揺れ、誰かが家から飛び出して行った。コッペリウスだ、と思ったナタナエルは飛び起きて父親の部屋へ駆けつけたが、そこは白煙がもうもうとあがっており、使用人の金切り声が聞こえた。見ると、父親は真っ黒に焼け焦げ、ひきつれた顔で死んでいた。そしてその後、コッペリウスは当局の追及を恐れて行方をくらましてしまったのであった。』
子供時代の恐怖体験を書き終えたナタナエルは、押し売りにやって来た晴雨計売りのコッポラこそ変装したコッペリウス(=砂男)なのだ、と結論づけていた。そしてナタナエルは断固コッペリウスと一戦交えて父親の仇を討つという決心した。しかし心配するといけないから、母やクララにはコッペリウスの事は黙っておいてくれ、と書いてから筆をおいた。
※ コッポラはコッペリウスのイタリア語読み。ちなみにcoppoはイタリア語で眼窩を意味する雅語(「砂男」訳註より)
しかしナタナエルは宛名をロータールと書くはずをクララと書いてしまい、手紙はクララの手に渡ってしまった。手紙を読んだクララはショックを受け、ナタナエルを襲っている恐怖についてロータールと話し合った。
そしてナタナエルの恐怖を鎮めようとして、…すべてはあなた自身が作り出した幻で、現実にはそんな恐怖は存在しないの。だからそんなものはさっさと忘れてしまって…という手紙をロータールの学術的な意見を織り交ぜながら、愛情を込めて書いた。
しかしクララからの返事を受け取ったナタナエルは余計にふさぎ込んだ気分になってしまった。彼の愛するクララは愛らしい少女のはずだ。それなのに、クララの手紙は論理的な調子でナタナエルを諭そうとしているように思えたのだ。
クララに返事を書く気になれないナタナエルは再びロータールに宛てて返事を書き、2週間後には帰省する旨を伝えた。
冷静に考えると、晴雨計売りのコッポラと老弁護士コッペリウスは別人であった。ナタナエルは最近赴任して来たスパランツァーニ教授というイタリア人に物理学を習っているのだが、その教授によればジュゼッペ・コッポラはピエモンテ出身のイタリア人らしい。コッペリウスはドイツ人なのである。
スパランツァーニ教授と言えば、その家の窓辺に美しい若い女性の姿がちらと見えた事があった。どうやらスパランツァーニ教授の娘でオリンピアという名らしいのだが、眼をあけたまま眠っているような感じでどこか薄気味悪い。教授はその娘を隔離して誰にも会わせないようにしているらしく、ひょっとして白痴ではないか、という噂であった。
この娘の件はナタナエルの好奇心をくすぐったが、ちょっとした好奇心以上のものでもなかった。クララやロータールに話して聞かせたらきっとおもしろがってくれるだろう…その程度のものだった。
手紙で知らせた通り、ナタナエルは2週間後に故郷へ帰った。クララに会えた事は喜びであったが、ナタナエルは人が変わったように陰気な夢想に沈む人間になっていた。
そして、人間は誰しも暗黒の力に操られているのであり、自分も暗黒の力であるコッペリウスに操られており、やがてコッペリウスは自分とクララの愛を引き裂いてしまうだろう、と神秘的熱狂に浮かされたように言い続けた。
そんな事ばかり聞かされたクララはうんざりして言った。
「そんな暗黒の力なんてあなたが勝手に信じてるだけよ。もういい加減にその話はやめて。」
ナタナエルはむきになっていろんな神秘主義の学説を総動員してクララに浴びせ、説得しようとしたが、ついには無視されてしまった。
そうこうするうちに二人はお互いに相手を疎んじ合うようにさえなった。ナタナエルはクララを冷たく不感症な心を持った女だと思い、何とかコッペリウスの恐ろしい力をわからせようとして、…クララとナタナエルの愛をコッペリウスが邪魔するだろう…という予感を詩にしてクララに語って聞かせる事にした。
…二人の間に黒い手を差し入れるコッペリウスは、婚礼の席に現れてクララの眼にさわった。するとクララの眼は火の玉となってナタナエルの胸に飛び込んで来た。コッペリウスはナタナエルをぐるぐる回る火の輪に投げ込んだ。
するとクララの声が聞こえた。…あなたの胸にあるのは私の眼じゃないわ、あなた自身の思いなのよ。私には眼があるわ。ちゃんと私の眼を見てちょうだい…
ナタナエルがクララとの愛を思い出すと、ぐるぐる回る火の輪はとまった。しかしその後には真っ暗な深淵が訪れた。そしてナタナエルがクララの眼を覗き込むと、そこにあったのは死であった。…
ナタナエルは苦労して書き上げたこの詩をクララに朗読して聞かせた。自作の詩にのぼせあがったナタナエルは興奮のあまり涙まで流す有様だったが、クララは真剣な顔をして怒り出し、ナタナエルの詩を否定した。クララの反応に怒り狂ったナタナエルは、
「この生命のない呪われた自動人形めが!」と言いながらクララを突き飛ばして走り去った。
ナタナエルの愛を信じられなくなったクララは激しく泣き出した。そして心配してやって来たロータールにこの出来事を話した。ロータールは腹を立て、ナタナエルを激しくなじった。ナタナエルも負けてはおらず、ついに二人は決闘をする事になった。
翌朝、ナタナエルとロータールはついに剣を手にするところまで行ったが、それを知ったクララが身を挺して二人を止めた。ナタナエルの中にクララへの愛が甦り、ナタナエルはクララとロータールの前にひざまづいて許しを乞うた。そして三人はひしと抱き合って変わらぬ愛を確認し合った。
ナタナエルは悪い憑き物が落ち、壊滅寸前だった自分が救われたように感じた。そしてそれから三日間は平和で幸せな日が過ぎて行き、ナタナエルはあと一年間の学生生活を過ごすため、大学のあるG市へと戻って行った。
ナタナエルが留守の間に下宿は火事にあい、焼け落ちていた。幸い友人たちが荷物を持ち出して別の下宿に運び込んでおいてくれたので、ナタナエルはそのままその部屋を借りる事にした。新しい下宿は通りをはさんでスパランツァーニ教授の部屋の向かいであり、窓からはオリンピアの姿がよく見えた。とは言え、顔まではっきりとは見えるわけではなく、ナタナエルもそんなには気にしていなかった。
ある日ナタナエルはクララに手紙を書いていたが、ドアをノックする音がしたので「どうぞ」と言うと、あの忌まわしいコッポラが姿を現し、ずかずかと部屋の中へ入って来た。
悪寒がしたが努めて平静を装って、晴雨計は買わないと言うと、コッポラはたどたどしいドイツ語で、
「それならお眼目あるヨ、きれいなお眼目ネ。」と、大きなポケットから次から次へと眼鏡を取り出して机の上に並べた。あっと言う間に机の上は眼鏡だらけになり、それらがまるで本物の眼のようにきらきらと赤く怪しい光を放ち始め、その光がナタナエルの方へ向いて胸に突き刺さって来るような気がした。
気がおかしくなりそうになったナタナエルは、やめろ、怪物め!と叫んでコッポラの腕をつかんだ。コッポラは嫌な笑い声をたてながら、
「ああ、眼鏡いらないあるネ。それならレンズあるヨ。」と眼鏡を引っ込めて、今度はいろいろな望遠鏡を並べ始めた。
眼鏡が消えてほっとしたナタナエルは、自分が異常に取り乱した事が恥ずかしくなった。そしてコッポラはごくごく普通のレンズ関係の技師であり商人なのだから、ここは一つこちらも普通の客として何か買ってみようという気になった。
ナタナエルは一つの携帯望遠鏡を取り上げ、その望遠鏡で窓の外を覗いてみた。するとオリンピアの姿が眼に入った。はっきりと映し出されたオリンピアは想像以上に美しかった。ただ眼だけが死んだように据えられていたが、それも望遠鏡越しに見ているうちに、潤いのある生き生きしたものに見えて来た。ナタナエルは天女のように美しいオリンピアに釘付けになった。
後ろの方で咳払いの音がしたので、ナタナエルは我に返った。そしてそのままコッポラの言い値でその望遠鏡を買ってしまった。扉を閉めると、外でコッポラが大声で笑っているのが聞こえた。
途端に言いようのない不安がナタナエルを襲った。コッポラがうまく高値で望遠鏡を売る事に成功した高笑いである事はわかっているのだが、それでも不安は広がるばかりだった。
気を取り直してクララに手紙の続きを書こうとしたが、オリンピアの事が気になってしまい、そのままずっと友人のジークムントがスパランツァーニ教授のゼミに呼びにくるまで、望遠鏡越しにオリンピアを覗き続けていた。
しかしその後は厚くカーテンがひかれてしまい、オリンピアの姿を見る事はできなくなってしまった。オリンピア恋しさにたまらなくなったナタナエルは、3日目にはスパランツァーニ教授宅の門の前にさ迷い出てオリンピアの面影を追っていた。
しかしオリンピアの姿を見る事はできず、ようやくあきらめて帰ろうとした時、スパランツァーニ教授の部屋がにわかに騒がしくなった。何かの準備をしているようだ。そこへジークムントがやって来て、明日教授の家でパーティーが開かれ、今まで人前に出る事のなかった娘のオリンピアがお披露目されるらしい、と教えてくれた。
ナタナエルは招待状を何とか都合してパーティーに駆けつけた。パーティーは盛大で、オリンピアは豪奢な衣装をつけ、見事にグランドピアノを弾きこなし、金属のように澄み切った声で歌を歌った。
ナタナエルは人波の最後列にいたので思わずコッポラの望遠鏡を取り出して覗いた。すると、オリンピアが情熱的な瞳でじっとナタナエルを見つめているではないか。恋しさを抑えきれなくなったナタナエルは、歌が盛り上がったところで思わず「オリンピア!」と大声で叫んで周囲の失笑をかってしまった。
その後の舞踏会ではオリンピアを誘い、その手を取った。オリンピアの手はぞっとするほど冷たく、まるで死体のようだった。しかし彼女の眼を覗き込むと、その眼は愛をいっぱいにたたえて輝いているように見えたので、いつしかあれだけ冷たかった手さえも、熱く脈打ち、血が流れているように思えてくるのだった。
そしてナタナエルは恋に酔いしれてオリンピアと踊ったが、どうもオリンピアはぎこちないおかしなリズムを刻むのだ。それにつれてナタナエル自身の踊りも奇妙でぎこちなくなってしまう。回りからは彼らに対して笑いもずい分と漏れていたが、のぼせあがったナタナエルは気がつかなかった。そんなナタナエルとオリンピアの様子をスパランツァーニ教授は満足したように眺めていた。
やがてパーティーがおひらきとなり、別れの時がやって来た。ナタナエルはオリンピアに熱く口づけをしたが、オリンピアの唇はこれまたそっとするほど冷たかった。しかしオリンピアに夢中になったナタナエルには、これさえも段々と暖かく思われてきたのであった。
いつまでも別れを惜しんでいるナタナエルの側にスパランツァーニ教授が寄って来て、娘が気に入ったのならいつでも我が家に来てくれたまえ、と上機嫌で言った。
翌日はパーティーの噂でもちきりだった。オリンピアについては、まるで死体のように硬直しているが、実際に生命がないのではないか、とか白痴ではないか、と人々は噂した。
ナタナエルは…愚かで不感症な奴らには何一つわからないのだ…とそれらを無視しようとしたが、ジークムントは見ていられなくなって、
「どうして君みたいな賢明な人があんな木偶人形に夢中になるんだい?」と訊ねた。しかしナタナエルは、
「君こそなぜオリンピアの素晴らしさがわからないのかい?彼女の愛の眼差しは僕のためだけに燃え、僕が失われた自分に会えるのは彼女の愛の中でだけなんだ。」と答えた。ジークムントはその救いようの無さに、
「いざという時は僕を頼ってくれたまえ。」と言うしかなかった。
今やクララそして故郷の事はすべてナタナエルの頭からきれいさっぱり消えうせてしまった。そして彼は来る日も来る日もスパランツァーニ教授宅に通いつめ、オリンピアの側につきっきりとなった。そして自作の詩や物語を朗読してオリンピアに聞かせた。
オリンピアは実によい聞き手で、決して退屈する事はなかった。ただじっとして、何時間でも眼をすえて熱い眼差しで恋人をじっと覗き込んでいるのであった。そしておやすみのキスをしても、「ああ、ああ。おやすみなさい、愛しいお方。」というのみで、余計なうるさい事は一切言わなかった。
ナタナエルはオリンピアと自分の心がどんどんと共鳴していく事に恍惚として来た。まさにオリンピアは彼を一切否定する事なく、彼と一心同体になってくれるのだ。
スパランツァーニ教授はナタナエルとオリンピアの関係にいたく満足して好意的な態度をみせた。そこでナタナエルはオリンピアと結ばれたい旨を教授に打ち明けたのだが、教授は、
「娘の事は娘自身に任せてあるからよろしくやりたまえ。」と喜色満面で言った。
喜び勇んだナタナエルは家に帰って母親からもらった指輪を探した。探している途中でクララやロータールからの手紙も出て来たが、ナタナエルは、クソくらえ、とばかりに放り出してしまった。そして探し出した指輪を持ち、喜び勇んでスパランツァーニ教授宅へと向かった。
ナタナエルが階段の途中までさしかかったところで、異様な騒音が聞こえて来た。音はスパランツァーニ教授の書斎から聞こえており、近づくに連れて騒音の合間に罵りあいの声が聞こえて来た。
…放せ、作ったのはオレだ…話が違うじゃないか、目玉はオレが作ったんだ…ゼンマイ仕掛けを作ったのはオレだ、失せろ、三文時計屋野郎、悪魔!…この人形回し野郎が何をぬかしやがる!…
スパランツァーニ教授と晴雨計売りのコッポラの声だ。不安に襲われたナタナエルが部屋に突入すると、教授がオリンピアの肩を、コッポラが足をつかんで引っ張り合っていた。
恐怖のあまり一瞬後ずさりしたナタナエルだが、突き上げて来る憤怒に後押しされて、凶暴化したスパランツァーニ教授とコッポラからオリンピアを引き離そうとした。
その時コッポラが馬鹿力でスパランツァーニ教授からオリンピアを奪い取り、ついでにスパランツァーニ教授に体当たりをくらわせた。スパランツァーニ教授はよろけ、ビーカーなどの実験器具の上にぶっ倒れた。
コッポラはオリンピアを肩に担ぎ上げ、高笑いしながら階段を駆け下りて逃げて行った。無様に垂れ下がったオリンピアの両足は、階段にぶつかってはガタンゴトンと木の音をたてていた。
しかしそれよりももっとショックなものをナタナエルは見てしまった。オリンピアの顔には眼がなく、真っ黒な穴ぼこが二つぽっかりあいていたのだ。オリンピアは人間ではなかった。自動人形だったのである。
実験器具でケガをしたスパランツァーニ教授は噴水のように血を噴出しながら床をのた打ち回っていたが、力を振り絞り、ナタナエルに向かって叫んだ。
「わしが20年かかって作った命より大切な自動人形をあの悪魔が盗んで行きおった。ヤツを追うんだ、追ってつかまえろ。ほら、目玉はそこにあるぞ。」
そう言われて見ると、血だらけの目玉がごろりと二つ床に転がっていた。スパランツァーニ教授はケガをしていない方の手で目玉をつかみ、茫然自失のナタナエルに投げつけた。目玉はナタナエルの胸に命中した。
その瞬間、ナタナエルは狂気に囚われた。胸から入り込んだ狂気に理性をズタズタに引き裂かれたナタナエルは、「火の輪は回れ、木のお人形さん、ぐるぐる回れ」と言いながらスパランツァーニ教授に飛びかかり、その喉をしめあげた。
そこへ物音を聞きつけたジークムントはじめ大勢の人が入って来て、スパランツァーニ教授を絞め殺そうとしているナタナエルを取り押さえ、教授を助け出した。ナタナエルは「木のお人形さん、くるくる回れ」と叫んでいたが、最後には言葉を失って、獣のように唸るようになり、そのまま精神病院に運ばれてしまった。
事件の後全快したスパランツァーニ教授は、自動人形を人間だと思わせて人々を惑わせた罪に問われるのを恐れ、姿をくらましてしまった。コッポラもあれっきり姿を見せる事はなかった。
ナタナエルはジークムントに付き添われて故郷に戻り、クララや家族たちの手厚い看護を受け、次第に狂気から回復して行った。
ナタナエルは再びクララの元へ帰り、その愛の中にいて幸せだった。帰って行くジークムントにも、
「やっと迷いから覚めてクララという天使に導かれ、光あふれる世界へ帰ってこられたよ。」と言うまでになっていた。
その頃年取った伯父が死に、その遺産として快適な郊外の農園が一家のものとなった。一家は新しい生活を始めるべく、その農園に引っ越す事にした。
引越しの日、市内で買い物をしたナタナエルたちは大通りを歩いていた。するとクララが市役所の塔に登って遠くの山を見てみたいと言い出した。母親は女中を連れて帰ってしまい、ロータールは階段を登るのがめんどうなので下で待っている事にした。
クララとナタナエルは仲良く手を取り合って塔の一番上まで上り、遠くの森林地帯を眺めていた。クララが、遠くの方に不思議なものが見える、と言ったので、ナタナエルはよく見ようとしてポケットの中からコッポラの望遠鏡を取り出して覗いてみた。そしてふと脇の方を覗くと、レンズの真ん中にクララが映っていた。
その瞬間、身体が痙攣し、ナタナエルは真っ蒼になってクララを凝視した。そして火花が眼から飛び出したかと思うと、ナタナエルは野獣のような唸り声をあげて飛び上がり、異様な笑い声をたてながら、
「木のお人形さん、ぐるぐる回れ!」と叫んだ。そしてクララを鷲づかみにして下へ投げ落とそうとした。
恐怖を感じたクララは手すりにしがみつき、大声で助けを呼んだ。その声が下にいたロータールに届き、ロータールは行く手をはばむ扉に体当たりを食らわしてこじ開けながら、息を切らせて塔のてっぺんにたどり着いた。
クララは塔から宙吊りになりながら、やっとの事でもちこたえていた。。ロータールはすばやくクララを上へ引き上げ、ナタナエルにパンチを食らわせた。ナタナエルは倒れ込んだ拍子にクララから手を離し、その隙にロータールはクララをかかえて塔を駆け下りた。
ナタナエルは一人、狂気に囚われたまま塔の上で「火の輪よ、ぐるぐる回れ。」と叫んで暴れ続けていた。
塔の下にはたくさんの野次馬が集まって来た。その中に老弁護士コッペリウスもおり、群集の中にひときわ大きくぬっと顔を出していた。
人々は塔の上へ駆けつけてナタナエルを下へ降ろそうとしたが、コッペリウスは笑いながら言った。
「まあ、お待ちなさい。奴はじきに自分から降りてきますって。」
コッペリウスの言葉通りとなった。コッペリウスの姿に気がついたナタナエルは途端に動かなくなった。そして
「はぁ、きれいなお眼目」と叫んだかと思うと、手すりを越えて飛び降りた。そしてナタナエルは頭を粉々に砕かれてしまった。ナタナエルの死と同時に、コッペリウスも姿を消した。
それから数年後。噂によれば、クララは結婚し、優しそうな夫や子供たちに囲まれて彼女にふさわしい幸せな生活を送っているという事であった。それは神経を病んだナタナエルとでは叶えられなかった夢である事に間違いはないだろう。
(終わり)
バレエ「コッペリア」について
<コッペリア基本情報>
台本 シャルル・ニュイテールとアルチュール・サン・レオン
原作 E.T.A.ホフマン「砂男」
振付 アルチュール・サン・レオン
音楽 レオ・ドリーヴ
初演 1870年5月25日 於 パリ・オペラ座
初演配役 スワニルダ・・・・・ジュゼッピーナ・ボッザッキ
フランツ・・・・・・・・ウージェニー.フィオクル(女性)
「コッペリア」はロマンンティック・バレエ後期の代表作です。1832年の「ラ・シルフィード」で幕をあけたロマンティック・バレエは1841年には代表作とも言われる「ジゼル」を生み出し、熱狂的に支持されました。しかしその全盛期は案外短く、ジゼルを初演したカルロッタ・グリジがパリ・オペラ座を去った1849年にははやその人気は下り坂だったという事です。
良い作品もなかなかできず、際立ったバレリーナもおらず…いや、いても有望な若手バレリーナには不幸が襲いかかり…でした。「コッペリア」はそんな中で登場した救世主的なヒット作なのです。
また、「コッペリア」にはマズルカやチャルダッシュなど民族舞踊が幾つか出てきますが、このように民族舞踊を取り入れたのは「コッペリア」が初めてだと言うことです。
当初「コッペリア」の主役スワニルダは、オペラ座の名教師マダム・ドミニックが育てたアデール・グランゾフというドイツ人バレリーナが踊る事になっていましたが、話しは破談となってしまいました。そこで代わりのバレリーナを苦労して探した挙句、やはりマダム・ドミニックが育てていた16才の少女ジュゼッピーナ・ボザッキが選ばれたのです。
振付家のサン・レオンはまだ本格的な舞台経験がなかったボザッキのために振付をやさしく作り直したそうで、スワニルダの踊りに難しい技巧が少ないのはそういう事情だそうです。
フランツ役は美人バレリーナ、ウージェニー・フィオクルが初演しました。このあたりの事情を「バレエの歴史」で佐々木涼子氏はこう書いておられます。
「…演出面で現在と大きく違うのは、フランツの役を男装のバレリーナが踊ったという点である。しばらく前から男役を女性が演じるという習慣が定着していた。男性ダンサーの人気が著しく低下していたこともあるが、同時に、体の線をくっきり出している男装のバレリーナがとても刺激的に見えたという理由もあるようだ。この時代はまだ、女性ダンサーもいまのように軽装ではなかったし、一般の女性はなおのこと体の線を隠していた。」
ロマンティクバレエの後半期になると、もはやバレエは単なる娯楽に成り下がってしまい、裕福な男性たちは舞台を観ながらバレリーナを品定めし、愛人としていたようです。バレリーナの方も高級娼婦よろしく玉の輿をねらっていいパトロンを探すのに熱心であったといいます。
このようにバレリーナも観客も共に横道に大きくそれてしまった事がロマンティックバレエ衰退の原因の一つであったようです。
さて、スワニルダの初演者のボザッキですが、彼女にもまた悲しい運命が襲いかかりました。コッペリアの初演が5月25日。そしてそれから2ヶ月も経たない7月19日に普仏戦争が始まり、9月19日にはパリがプロシア軍に包囲され、そんな中でオペラ座は閉鎖されてしまいました。
振付をしたサン・レオンは49才の若さで心臓発作で死亡。そしてボザッキは包囲中のパリで天然痘にかかり、17才の誕生日(11月23日)に亡くなってしまいました。晴れやかに「コッペリア」初演の舞台で主役を演じてからわずか半年後の事でした。
一つの時代が終わる時というのはかくも残酷なものなのでしょうか。女性の美しさを極限まで引き出し、バレリーナを女神と崇めたロマンティック・バレエは、マリー・タリオーニの後を継ごうとするバレリーナたちが若くして命を絶たれるのと歩調を合わせるように、衰退していったのです。
そしてこの頃(1860年代)からバレエの中心地はロシアへと移って行きました。
さて「コッペリア」ですが、暗く無気味な「砂男」を原作としていますが、若い男女の恋愛を主題にしたコメディタッチの娯楽作品となっています。
しかし、そもそも何で「砂男」のような作品をバレエとして取り上げようと思ったのでしょうか。確かに自動人形に恋する愚かな男や怪しい科学者という設定は魅力的ではあるのですが…。
その理由として考えられるのは、フランスにおけるホフマン人気です。「ドイツ・ロマン派全集第十三巻」の冒頭特集で田中義廣氏はアレクサンドル・デュマ(父)の「ビロードの首飾りの女」(1850年)を紹介しておられますが、この小説の主人公は何とホフマン自身なのです。
そしてこのお話の中には、「牡猫ムル」や「顧問官クレスペル」など、ホフマンの有名な作品を織り交ぜたと思われるところがたくさんあるらしいのです。「…これを見てもいかにホフマンの物語が当時のフランス人読者に知れ渡っていたかがわかる。」と田中氏は書き添えています。
またオペラ「ホフマン物語」のもととなったバルビエとカレの戯曲は1851年に初演されていますが、この中ですでに「砂男」はコメディーに作り変えられています。
オペラ座のバレエでは長らくヒット作品がでなかったという事ですから、原作に人気があり、お芝居での上演もあった「砂男」は、今日我々が想像するよりずっと原案として魅力的だったのではないでしょうか。
また、「砂男」は全体としては無気味な作品ですが、笑ってしまうような所もたくさんあります。ナタナエルがオリンピアと踊るところなどは登場人物自身は真剣なだけに、読んでいる方は吹き出してしまいます。コッポラが眼鏡をずらりと並べるところや、スパランツァーニ教授とコッポラの乱闘シーンも恐いけれど滑稽感たっぷりです。
ホフマンの作品は「砂男」に限らず、恐いんだけどどこか滑稽なところがあるような気がします。そんなところも楽しいバレエ作品の原案として使われる理由かもしれませんね。
また、「コッペリア」が作られた頃には実際に自動人形が大流行だったらしいです。そんな時代背景も「砂男」が注目を集めた原因のひとつなのでしょう。
このように、フランスでポピュラーであったホフマンの「砂男」はバレエの素材となり、バレエらしく作り変えられました。暗くて無気味な内容の「砂男」は若い男女が大はしゃぎする楽しいバレエとなりました。
また人物もコメディーにふさわしく毒が抜かれ、フランツは神経を病んだナタナエルと違って間抜けではあるけれど、心身ともに健康的な男性となりました。
コッペリウス、コッポラ、スパランツァーニの悪魔トリオも、変人ではあるが自分の作った人形に愛情を持つ人間的な人物コッペリウス博士となりました。
そして賢く健気なクララは恋にも嫉妬にも精力的なお転婆村娘スワニルダとなり、人を惑わす自動人形を壊して恋人の目を覚まさせる主人公に躍り出ました。
その他、バレエの見せ場を増やすべく、スワニルダがコッペリアになりすまして人形振りをしたり、民族舞踊を取り入れたり、ディヴェルティスマンをたくさん取り入れるなど様々な工夫がこらされ、「コッペリア」はバレエにふさわしい楽しいお話となりました。
最後のディヴェルティスマンですが、時や生活に関する踊りのほか、戦争の踊りがあり、平和の踊りがそれに続きます。かなりの悪ふざけと言えなくもない「コッペリア」ですが、この最後の部分には真面目な平和への祈りがこめられている気がします。
※ なお、このディヴェルティスマンは鐘がテーマになっています。むかし鐘は人々に時を知らせ、生活を規律する大切なものだったようですね。
しかしこの素晴らしい翻案も一つ欠点を作ってしまいました。コッペリウス博士は変人ではあるけれど、悪人ではありません。それが夢がかなったかのように錯覚させられた挙句に長年かけて作った大事な自動人形を壊され、悲嘆にくれます。 観客はその姿に心を動かされてしまうのです。
※ コッペリウス博士がフランツから魂を抜こうとしてしているのは確かに怪しい行為ですけどね。でも勝手に人の家に忍び込んだフランツもフランツですから、この二人は相打ちというところでしょう。
確かにほとんどのバレエは若い男女の恋愛がテーマであり、「コッペリア」でもスワニルダとフランツがめでたく結ばれればそれでいいとも言えますが、それにしてもこの若者たちはあまりにはた迷惑。
スワニルダもフランツもそれぞれの思惑からコッペリウス博士の家に忍び込みますが、そもそも人の家に忍び込むのは犯罪です。
その後のフランツは自業自得で変な実験に巻き込まれてしまいますが、スワニルダの方はやりたい放題。コッペリアはじめ物は壊すわ、他の自動人形をなぶりものにするわ、剣でコッペリウス博士に斬りかかるわ…。
しかしその悪戯の中でも一番ひどいのは、コッペリアが人間になったように錯誤に陥らせてコッペリウス博士を夢心地にさせた後で現実を見せ、コッペリウス博士を絶望に陥れるところです。
恋敵コッペリアの正体を知りたくて忍び込むところまではまだ許せますが、ここに至っては「可愛い恋心と嫉妬が引き起こした悪戯」ではすまない結果を引き起こしてしまっています。
なぜならばコッペリウス博士を天に昇らせたかと思うと地獄に突き落としたスワニルダは、コッペリウス博士の心を壊してしまった、と言えるからです。これは賠償金を払ってすむ問題ではありません。観客もそれを感じとり、コッペリウス博士が可哀想になってしまうのでしょう。
一幕で若者たちが異端者コッペリウス博士を襲ったり、スワニルダがコッペリウス博士やコッペリアをばかにするような事を言う所と並んで、演出上工夫を要するところではないでしょうか。下手をすれば変わり者の新参者を村をあげていじめて楽しんでいるようにみえてしまいますから…。
※ コッペリアが初演された頃のオペラ座バレエは芸術というより、刺激的な見世物で、観客は愛人を探しに来る裕福な男性が多く、バレリーナたちもその中から条件のよいパトロンをつかまえようと必死だった、といいます。そういう雰囲気の中では、性成熟期を過ぎた老人が恋人代わりに人形に愛を注ぐ姿は物笑いの種に過ぎず、馬鹿にしていじめるぐらいは当たり前、という雰囲気があったのではないでしょうか。
見世物は観客にうけるように作られますから、観客が観客なら、出し物も出し物…になってしまうのですね。
私が参考にしたオーストラリアバレエのDVDでは、壊れたコッペリアを抱きしめて嘆くコッペリウス博士の側で、スワニルダがいけない事をしてしまった、ごめんなさい、と涙を流さんばかりにしていました。そしてそのままコッペリウス博士の嘆きを映し出して幕は閉じられます。三幕の鐘の祭りにコッペリウス博士は現れませんでした。
このオーストラリアバレエの「コッペリア」は、フランツのお調子者ぶりなど全体的にお芝居がおもしろく、初演台本の毒も上手に抜いてあって、心から笑えて楽しめました。
※ この点、英国ロイヤルバレエのニネット・ド・ヴァロワ版は、スワニルダが楽しそうに笑いながらコッペリウス博士を壊れたコッペリアの方に押しやります。そして自分はフランツと手に手をとって逃げ出すのです。コッペリウス博士は祭りに現れて、賠償金を受け取って満足します。細かいエピソードも含めて、初演台本にかなり忠実な版となっています。
また、ピーター・ライト版では最後にコッペリアが人間になるという素晴らしいプレゼントがコッペリウス博士にあるようですし、ローラン・プティ版は人形と共に取り残された哀れな老人の心情にしみじみとスポットライトがあてられ、ラストをしめくくるようです。
※ 2011年10月にスターダンサーズバレエ団のピーター・ライト版「コッペリア」を観てきました。気になっていた幾つかの意地悪な場面は上手に毒が抜かれ、見ている人が幸せな気分になれるとても楽しいヴァージョンでした。コッペリウス博士はずいぶんお人よしで、最後のディヴェルティスマンも一緒に見物していました。
そしてすべてが終わり、壊れた人形と共に取り残されてしょんぼりしていたコッペリウス博士に夢のようなプレゼントが…。そう、コッペリアは人間になったのです。人間になったコッペリアは、明るく素直な女の子で、スワニルダがなりすましたような意地悪で乱暴な女子ではありませんでしたよ。
このようにコッペリウス博士の心情にも配慮する等いろいろな工夫が凝らされる事によって、もう140年も前に作られた「コッペリア」は今も皆に愛され、全幕上演の他に発表会やコンクールでも頻繁にヴァリエーションが踊られる人気作品として今日に至っています。
なお、音楽ですが、ここでは初演台本通りに入れておきましたが、実際の舞台では「戦争の踊り」を一幕で踊ったり、三幕でフランツのヴァリエーションの音楽としたり、といろいろです。ドリーヴの美しい曲と共にいろいろなヴァージョンを楽しんでくださいね。
なお、ここでは初演台本通りに2幕3場としましたが、普通は3幕となっている事が多いです。
幻想小説「砂男」について
バレエ「コッペリア」の原作として知られる「砂男」ですが、有名な精神分析学者フロイトも「無気味なもの」という論文の中でこの作品を取り上げています。その中でフロイトは以下のように言っています。
「実地体験の無気味さが立ち現れるのは、抑圧された小児期のコンプレックスがある印象によって再び生命を吹き込まれる場合である。あるいは、かつて克服された原始的確信にふたたび市民権が認められたかにみえる場合である。」
これを「砂男」にあてはめると、幼少時にコッペリウスに折檻された事件と、父親がコッペリウスと錬金術の実験中に爆死した事件によって身体が硬直してしまった体験が「抑圧された小児期のコンプレックス」にあたり、「ある印象」とはコッポラがコッペリウスだと思い込むことです。そして「かつて克服された原始的確信」である眼を盗られるという恐怖に再び市民権が認められたのですね。
また、フロイトはホフマンについてこのようにも語っています。
「ホフマンは文学における無気味なものの及び難い巨匠である。」
「作家は初手に、彼がわれわれを案内しているのが現実世界なのかそれとも作家の勝手なファンタジーの世界なのかを、とりあえずおそらく意図的に打ち明けないでおいて、われわれに一種の不確かさの感情をかもし出させるのである。」
確かに「砂男」の中にも、フロイトの言うような場面が幾つかあります。例えばナタナエルが砂男の正体を見きわめようと父親の書斎に隠れ、見つかってコッペリウスに折檻される場面です。
「…コッペリウスは関節がポキポキいうほどぼくの肉体をがっきと鷲づかみにし、手足をねじ切ってそれをまたあちこちと嵌め替えるのだった。『どこもかしこも故障だらけだ!よし、これで元通りになったぞ!…こういう心得も年の功というものだて!』
実際には手足をねじ切ってしまったら、決して元通りにはなりません。人間は自動人形とは違うのです。ですから、この部分はファンタジーの世界なのだという事はわかるのですが、問題はこれがナタナエルがロータールに宛てて真面目に書いた手紙の一部分だと言うことです。
この部分につき、「E.T.A.ホフマン」の中でリュディガー・ザフランスキー氏は、以下のように説明しています。
「少年の身体が無気味な客を盗み見た瞬間こわばってしまうのも驚くにはあたらない…ナタナーエルの身体は自動人形になるのだ…言うなれば、なにやらわけのわからない闇の世界からコッペーリウスがやって来て、幼い子供がその身体から追い立てられ、身体を失う話である。」
また、スパランツァーニ教授と晴雨計売りコッポラがオリンピアの所有権を争い、コッポラがオリンピアを担いで逃げ出した後、スパランツァーニ教授のもとには目玉が残されます。そしてスパランツァーニ教授はナタナエルにその目玉を投げつけます。
「無気味なもの」の中で、フロイトはこの場面について以下のように言っています。
「機械工学者スパランツァーニは床に転がった血まみれのオリンピアの眼をナタナエルの胸元に投げつけて、こいつはコッポラがおまえから盗んだ眼なのだという。」
常識的に考えれば、この目玉はコッポラが作った光学商品です。これが血まみれになっているのは、スパランツァーニ教授の血がついたからです。スパランツァーニ教授はビーカーーやら試験管やらの中に倒れ込み、血を噴水のごとく噴出していたという描写がありますから、床も血だらけだろうし、目玉をつかんだスパランツァーニ教授の手も血まみれだったでしょう。ですから、当然、目玉も血まみれになってしまうのだと思います。
この部分につき、種村季弘氏は以下のように訳をしておられます。
「…コッペリウスめが、命より大事なわしの自動人形を盗みおったな。…わしが20年かかって作った人形だ…わしはあれを作るのに心血を注いだ…ゼンマイ仕掛け…言葉…動作…わしのものだ…あの目玉…目玉を盗った。…呪われたー地獄の亡者めーやつのあとを追え…オリンピアを取り戻してくれ…ほら目玉はそこだ…!」
この文章からして、血まみれで床にゴロンと転がっている目玉がナタナエルから盗んだものという風には読めないのですが、この文章は日本語の特徴を生かして主語が省かれています。私はドイツ語が全くわからないのではっきりとはわからないのですが、原文で読めば何か手がかりがあるかもしれません。
ともかくこの日本語訳からは「目玉を盗った」の主語はコッポラなのか、スパランツァーニ教授なのか、取られたのはナタナエルなのか、オリンピアなのか、それもはっきりしません。訳者の種村氏がわざとぼかしたのか、それとももともとホフマンがどちらともとれるように書いたのか、そのあたりもはっきりとはしません。
※ 「砂男」の原文はweb上で公開されています。ドイツ語が読める方は、ぜひトライしてこのあたりの謎解きをしてみてください。
実際の現象としては、コッポラが製作し、スパランツァーニ教授のもとに残された光学商品の目玉がスパランツァーニ教授の流した血で血まみれになり、猛り狂ったスパランツァーニ教授が、「目玉はここにあるから、これがはまるべき本体を取り戻して来い。」とばかりに、目玉をナタナエルに投げつけた、ととるのが正解かと思われます。
しかしナタナエルの心の目で見ると、血だらけの目玉が飛んで来る事によって、目玉を盗られるという幼い頃からの恐怖が再燃し、あたかもそれが「コッペリウスが自分から盗った目玉」であるかのように思えた、という事になるのでしょう。
このあたり、フロイトの言う通り、現実かファンタジーか区別がつかないようにしておいて無気味さをかもし出すホフマンの腕が冴えているところだと思います。
最後にコッペリウスが塔を取り巻く群衆の中に現れるシーンも現実なのかファンタジーなのか、読者を煙にまく場面です。種村氏の訳では以下のようになっています。
「コッペリウスはちょうどこのとき市に着いて、真っ直ぐ市場にやって来たところなのである。」
「ナタナエルがこなごなに頭を潰して広場の舗石の上に伸びたとき、コッペリウスははや雑踏にまぎれて姿を消していた。」
一旦は狂気から回復したかに見えたナタナエルですが、塔の上で望遠鏡のレンズの真前にクララが見えた時、再び狂気に取りつかれました。ザフランスキー氏は以下のごとく説明しています
「結婚を目前に控え、再び『望遠鏡』を通して見るのであるが、クラーラのなかに一個の自動人形が棲みついていることを発見し恐怖に襲われる。一度は死んだ存在に生を見たナタナエルであるが、今度は生きている存在に死を見てしまったのである。」
実際にコッペリウスが群集の中に現れたのかどうかはわかりません。常識的に考えるならば、実際に現れたのではなく、ナタナエルには現れたように見えた、というところではないかと思います。今まで行方が知れなかった人がいきなり都合よくクライマックスに現れるなんて、いくらお話でも変ですしね。そもそもナタナエルが幼い時に老人であったコッペリウスがまだ元気で生きているかどうかも疑問なところです。
しかしナタナエルにとって恐怖=砂男=コッペリウスですから、クララが目玉の不安と結びついた自動人形に見えて恐怖に襲われた時にコッペリウスが現れるのは当然のことなのです。そしてナタナエルの死と同時に恐怖の象徴であるコッペリウスが姿を消すのもまた自然な事でしょう。
このように、ホフマンは読者を現実世界とファンタジーの世界の境目に連れて行き、読者をひきつけますが、そのファンタジーとは「自分の感情世界に閉じこもった…外の世界への不安ゆえに、現実と想像とを区別する能力を失ってしまった」(ザフランスキー氏)ナタナエルを通したものです。
砂男の恐怖を説明するナタナエルの手紙を読んだクララは冷静にナタナエルの恐怖を鎮めようとします。「世の中には何か暗い力があるのね。それがおそろしく意地悪に私たちの心の中に一本の糸をひそませて、その糸でがんじがらめにして、ふだんならそんなところに踏み込もうとは夢にも思わぬ、危険がいっぱいの邪道に私たちを引きずって行くのです。
きっとそんな暗い力が私たちのなかで、まるで私たち自身がそれを造りでもしたかのように、私たちの自我になるのです。だからこそその力の存在を私たちは信じるのだし、それがあの秘密の作業を遂行するのに必要とする場所を設けてやるのね。
確固とした、晴れやかな人生を通じて鍛えた意識を手放さずに、正体不明の邪悪な力の作用をたえずそれはそれだけのものとして認識し、気質や天職の命ずるがままに踏み込んだ道を歩一歩着々と辿って行く器量さえあれば、あの不気味な力はきっと私たち自身の鏡像となるはずの形姿をあがき求めながら空しく没落してしまうのです。」(「砂男」種村季弘/訳)
しかしナタナエルは自分を愛し、何とかして救おうとするクララを、まるで哲学を修めでもしたかのような冷たく散文的な女として疎んじるようになり、はては「この命のない自動人形め!」と罵倒してしまいます。そして最後にはコッポラの望遠鏡を通してクララが本当に自動人形に見え、発狂してクララを塔から突き落とそうとします。
これにつき、ザフランスキー氏は以下のように説明します。
「クラーラと違い、オリンピアは、じっとおとなしく、要求せず、こちらの言うことに異を唱えようともしない。だからこそナタナーエルはこんな科白をはくのである。
『おお、きみはなんてすばらしい、天使のような女性なんだ!…きみの情け深い心のなかに僕の全存在が映し出されているのさ!』
ナタナーエルはオリンピアの中に映し出されている。彼女の一見理解あるように見えたまなざしは、はね返ってもどってきた自分じしんのまなざしなのだ。オリンピアには生命もなければ、身体というものもない。オリンピアが実は自動人形であるとわかって、ナタナーエルは残酷にも自らのナルチシズムと向き合う結果となる。彼は自己との出会いに辿りついたにすぎない。
ナタナーエルのようにしか人を愛せない者は、他者が恐いのである。ほんものの女性、生身の身体をそなえた女性、『砂男』の例で言えば、クラーラのような女性に対し不安を感じてしまうのである。」
同じ女性として、何ともクララが気の毒でなりません。何と悲しい愛でしょう。最後にクララが遠くの町で幸せな結婚をし、夫や子供たちに囲まれて暮らしている事が語られて話は終わっています。
この最後の部分によって、クララに非があったわけではなく、結局彼女にふさわしい幸せを手に入れた事がわかりますが、それでもやるせない気持は消えません。クララはどれだけの深手を負った事でしょう。
実際、ホフマンはクララのように賢くしっかり者の女性が好きではなかったようです。また、一般的に男性は生身の女性を愛さない、愛せない傾向があるのかもしれません。
男性が心から求めるのは、まさしくナタナエルのように、自我を鏡のように映し出し、かけらも拒否しない女性。だから心の中に理想の女性を住まわせて愛し、現実の女性を見ようとしないという事も起こってくるのです。
バレエ「海賊」の原作であるバイロンの叙事詩「海賊」のコンラッドはとても現実の存在とは思われない貞淑な妻メドゥーラ(ほぼ自我がありません。)しか愛さず、身の危険を侵してまで自分を助けてくれたグルナーレの熱い想いに報いる事はありません。
バレエ「ラ・シルフィード」のジェームズも心の中の理想の女性シルフィード(妖精の姿となって現れます)の誘惑に負け、愛らしい婚約者のエフィーを捨ててしまいます。
とはいえ、世の女性たちはそんなに心配する必要はありません。文学など芸術の世界ではそのような男がうようよしていますが、現実の世界はそのようなエゴに固まった腺病質な男ばかりではないのです。
現実の男性たちの多くは鈍感力があり、女性に対して適当ですから、いつの間にか恋人や妻を母親に仕立ててしまい、「ああ、楽ちん」とばかりに甘んじて尻にしかれ、その代わりに各種の責任を妻に押しつけて己が人生を謳歌しています。
バレエ「コッペリア」のフランツもその類の男性なのでしょうね。「コッペリア」ではちゃんとスワニルダがフランツをコッペリウス屋敷から救出し、二人は愛を実らせていますから、「砂男」のやるせなさも解消されるというものです。
訳者の種村氏は詳しい解説も書いておられ、その中で「砂男」の正体とホフマンの「砂男」の歴史的背景についてふれておられます。
まず砂男の正体なのですが、そのもととなっているのは、古代ギリシアの不吉な鳥「ストリックス」もしくはそれに類する鳥であったようです。そしてオウィディウスの「祭暦」からその凶々しい様子を引用しています。
「その頭は大きく、掠奪のための嘴と鋭い爪をそなえ/眼ざしは不動、翼の羽の色はあくまでも灰色である。/彼らは乳母に見衛られていない子供を求めて夜の間のみ飛行する。/子供は揺りかごから奪い去られると陵辱され、嘴で肉を、柔らかい肉をずたずたに引きちぎられ、/かくて喉はいちめん血まみれとなる。/人々は彼らをストリックスと呼び、その名の起こりは/その鋭い鳴き声が夜のさなかにおぞましくひびくところからきた。」
古代の吸血現象は有翼動物の姿をとったようです。それがいつしか翼を失って飛ばなくなり、地上を重い足取りで這い回る形になったのです。種村氏はキリスト教の価値観にふれたためだろうと推測しています。そして、砂男を、「前身にストリックス=鳥の形象をふまえた吸血鬼のローカルな形姿<この場合なら特殊東プロイセン的ヴァリアント>…」と説明しておられます。
次に歴史的背景ですが、オーストリアのマリア・テレジア女帝は吸血鬼信仰を含む民衆文化の信仰表象を徹底的に攻撃し、犯罪視しました。そして女帝の推進する西側の啓蒙主義は1780年までにほぼ全面的に吸血鬼信仰退治に成功しました。しかし、それでも吸血鬼信仰はもぐらたたきみたいにまたどこからか顔をのぞかせて来るのです。この事につき、種村氏はこう書いておられます。
「…キリスト教が抑圧した吸血鬼信仰を一旦は蘇生させ、二度目に科学の名において抑圧した時代は終わった。にもかかわらず繰り返し新たに民衆文化の記憶のなかから首をもたげてくる吸血鬼表象ーそれが砂男のいやらしく歪んだ姿となって夜な夜なナタナエルの夜想を襲うのである。砂男は、いわば合理主義がみずからの抑圧のために抱え込んだ神経症的不安の表象だったのである。」
さて、ホフマンの時代の一世紀ばかり前にはデカルトという哲学的二元論者が登場し、精神と肉体を二元論的に分離しました。その結果、肉体はもはや精神とは別個に、純粋に機械的に動く機械人形のごときものへと還元されてしまった、と種村氏は言います。こういった考え方もナタナエルが硬直して自動人形になってしまうところなどに影響を与えているのですね。
そして17世紀末から18世紀末にかけて、ヨーローッパでは未曾有の機械人形熱が流行したらしいのです。人口の鴨、蜂鳥に始まって、オルガン弾きの少女人形やフルートやピアノを演奏する人工楽士も作られました。
また、光学魔術の発達もまた「砂男」に影響を与えています。種村氏は「古き民俗信仰の復活という時代精神の基盤において機械魔術と光学魔術が交差する地点に、美女機械人形オリンピアは浮上してきた。」と述べておられます。
「砂男」は短編なので、「詳しい物語」も短くまとめられるかな、と楽観していたら、そうはいきませんでした。もともと骨格だけであるかのように無駄がないのです。そして会話の中にも抽象的な概念が多く、簡単な言葉に置き換えようとすると、内容が伝わらなくなってしまいます。
結局原作の2分の1から3分の1にまでしか短くなりませんでした。さすがドイツの法律家の書いた小説だ…と感心することしきりでした。
そういうわけで、原作はそんなに時間がかからずに読めるので、ぜひ一度読んでみてください。前述の通り、原文はweb上に公開されているので、ドイツ語がわかる方はぜひ原文を読んでしっかりとホフマンの世界を味わってみてください。
なお、私が参考にした河出書房新社の「砂男・無気味なもの」には、「砂男」本文やフロイトの「無気味なもの」の他、種村氏の詳しい解説である「ホフマンとフロイト」も収録されています。「砂男」を何倍にも楽しめますから、ぜひ読んでみてください。市販はされていない(絶版)と思いますが、図書館にはあると思います。 ※少なくとも書庫にはあるでしょう
砂男 無気味なもの E.T.A.ホフマン、フロイト/著 種村季弘/訳 河出書房新社
19世紀フランス・バレエの台本パリオペラ座 平林正司/著 慶応義塾大学出版会
(コッペリア初演台本を収録)
E.T.A.ホフマン リュディガー・ザフランスキー/著 識名章喜/訳 叢書・ウニベルシタス439 法政大学出版局
バレエの歴史 佐々木涼子/著 Gakken
DVD「コッペリア」 (オーストラリアバレエ)
原振付 A.サン・レオン
改訂振付 マリウス・プティパ、エンリコ・チェケッティー
音楽 レオ・ドリーヴ
配役 スワニルダ・・・・・・・リサ・パヴァーン
フランツ・・・・・・・・・・グレッグ・ホースマン
1993年 於 シドニー・オペラ・ハウス
DVD「コッペリア」 (英国ロイヤルバレエ)
原振付 レフ・イワーノフ、エンリコ・チェケッティー
改訂振付 ニネット・ド・ヴァロワ
音楽 レオ・ドリーヴ
配役 スワニルダ・・・・・・リャーン・ベンジャミン
フランツ・・・・・・・・・カルロス・アコスタ
2000年 於 コヴェント・ガーデン王立劇場
ウィキペディア「普仏戦争」の項目(HP)
CD・ドリーヴ:バレエ「コッペリア」全曲(ボニング版)
クララ 2007年10月号 新書館
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