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あらすじ


 スコットランドの農夫ジェームズ・ルービンは従姉妹のエフィーとの結婚式の朝に空気の精シルフィードに愛されている夢を見た。その夢はこれまでにも度々見たことがある。しかしそれは単なる夢ではなかった。シルフィードは現実に現れてジェームズに愛を告白し、結婚なんかやめて二人で森へ行って楽しく暮らしましょう、とジェームズを誘った。エフィーを愛しているジェームズはシルフィードの誘惑を退けようとしたが、シルフィードはジェームズの理想の女性そのものであり、心はシルフィードとエフィーとの間で揺れ動いた。

 ジェームズの家にはいつしか年老いた魔女のマッジが入り込み、エフィーはジェームズとは結婚せずにジェームズの親友ガーンと結婚する、と不吉な予言をした。ジェームズは怒ってマッジを叩き出したが、エフィーを心から愛するガーンはマッジの予言に一縷の望みを託した。

 やがて結婚式の前祝いが始まったが、そこに再びシルフィードが現れた。エフィーがヴェールをかぶり、いよいよ婚礼が行われようとしたその時、シルフィードはジェームズの結婚指輪を取り上げて森へ消えた。ついにこらえきれずにジェームズは花嫁を置き去りにしてシルフィードの後を追った。その様子をガーンが目撃し、エフィーにジェームズがシルフィードを追って行ってしまったことを告げ、自らがエフィーに求婚した。

 シルフィードを追って森へ来たはものの、シルフィードは抱きしめようとすればすっと消えてしまい、ジェームズのものにはならなかった。一人取り残されたジェームズはエフィーを裏切った後悔とシルフィードへの満たされない想いに苛まれた。そこへ魔女マッジが現れ、親切そうに声をかけてきた。傷心のジェームズは心のうちをマッジに語り、シルフィードを手にいれるためならば命を捨ててもかまわないと言った。するとマッジはうすものの肩掛けをジェームズに渡し、これでシルフィードをくるめば彼女の羽は抜け落ちて永遠に彼女はお前のものになる、と言った。ジェームズは喜んで肩掛けを受け取った。 

 そしてジェームズは再び現れたシルフィードをその肩掛けでくるんだが、羽が抜け落ちたシルフィードは次第に弱って行き、ジェームズへの愛の言葉を残して死んでしまった。絶望するジェームズの目の前をエフィーとガーンの結婚式の列が通りすぎた。すべてを失ったジェームズはその場に倒れ込み、あたりには魔女マッジの嘲りの笑い声が響いていた。

(終わり)




詳しい物語



<第一幕>


 スコットランドの農夫ジェームズ・ルービンは従姉妹のエフィーとの結婚式の朝、ひじかけ椅子に腰掛けたまま眠っていた。そんな彼の足元には一人のシルフィード(風の精)がひざまづいている。
 やがてシルフィードは愛する人の側にいられる喜びを全身に表しながらジェームズのまわりを飛び回ったり羽を揺り動かして涼しい風を送ったりしていたが、想いをこらえきれないかのようにジェームズの額に接吻した。

 夢か現か…わからないままにシルフィードの気配を感じていたジェームズだが、不意に目覚めて接吻の確かな感覚に思わずシルフィードの姿を探した。しかしその時シルフィードは暖炉の中へ消えて行った。




  こんな夢を見たのは一体何度めだろう。いや、もしかして現かもしれないのだが…。ジェームズは部屋の中にあるわら束の上で寝ていた友人のガーンを起こして、今ここでシルフィードを見なかったか、と訊いてみた。  

 ガーンは笑って、そんなものいるわけないだろう、夢でも見ていたんじゃないか、と言った。ガーンにとってはシルフィードがいたかどうかなんてどうでもいい事なのだ。ガーンの心を一杯にしているのは優しくて可愛らしい人間の娘エフィーなのである…しかしエフィーは彼ではなくジェームズを選んでしまったのだ…。  

 ガーンに笑い飛ばされたジェームズは、やっぱりあれは単なる夢だったんだ、と思って心を落ち着けようとした。しかし夢にしてはあまりにリアルすぎるのだ…。
 



 そこへジェームズの母アン・ルービンとエフィーが入って来た。ガーンは愛しいエフィーをさっと出迎え、自分が射止めた青さぎの羽を捧げた。エフィーはガーンにはお礼だけ言って飛び立つようにジェームズに近づいたが、まださっきの出来事に気をとられているジェームズはエフィーに気がつかなかった。 

 エフィーはジェームズがそわそわと落ち着かないのを心配したが、ジェームズは結婚式のことを考えると落ち着かなくなるのさ、とごまかして差し出されたエフィーの手に接吻した。ガーンも便乗してエフィーに接吻しようとしたが、調子にのるなとばかりにジェームズにさえぎられてしまった。

 そしてアンおばさんは微笑みながらジェームズとエフィーの手を結ばせ、結婚式で交換する指輪を渡した。若い二人はアンおばさんの祝福を受けた。その幸せそうな姿を見て、ガーンは涙をこらえることができなかった。




 そこへエフィーの友人である娘たちがお祝いの花束を持ってやって来た。娘たちは失恋のショックを隠せないガーンを往生際が悪いと笑いものにし、結婚式の朝はにぎやかに盛り上がった。
 そんな中で相変わらず先ほどの幻想に心を奪われているジェームズはシルフィードが消えた暖炉へと思わず吸い寄せよせられて行った。  

しかしそこで彼が見たものはシルフィードではなく、年老いたジプシーの魔女マッジだったのである。
このめでたい日に不吉なお前が人の家に上がりこんで何をしているんだ、と怒ったジェームズはマッジを突き飛ばして追い出そうとした。マッジは、暖炉で暖まりたかっただけだ、と情けを乞うたが、ジェームズは災いをもたらす魔女に対して容赦がなかった。  

しかし娘たちはジプシー占いが大好きなので、マッジをかばい、結婚運を占ってくれとマッジの前に手を差し出した。幸せになるよ、と言われて喜ぶ者、お前は今妊娠中じゃ、と言われて蒼ざめる者など様々であったが、エフィーも自分の運命を占ってもらいたくなった。
 魔女はエフィーの手相を見て、お前は幸せになれるよ、と言ったが、次にジェームズの手をとり、
 「この人はあなたを愛してない。」とエフィーに言った。今だ、とばかりにガーンがさっとマッジの前に手を差し出すと、マッジはガーンの手相を見て、
 「おお、この人こそ本当にお前を愛しているよ、お前が大事にするべきはこの人だ。」と言った。  

今度こそ本当に怒り出したジェームズはマッジを外へたたき出してしまった。ガーンはマッジの言葉を頼りに、僕こそエフィーに選ばれるべきだよ、と必死にアピールして娘たちにからかわれた。
 心配になったエフィーは、占いは所詮占いにすぎないわ、私が愛して信じているのはあなただけよ、とジェームズをなだめた。 

 そうこうするうちに結婚式の時間が近づいてきた。アンおばさんに促されてエフィーは支度をしにいくことになった。娘たちもぞろぞろとエフィーとアンおばさんについて行った。そのめでたい中、傷心のガーンは涙を見られないように一人さびしく家を出て行った。

 

 


 一人残ったジェームズはこれから訪れるであろう幸せを考えてしばし満ち足りていた。しかしそんなジェームズの心にまたしてもあの幻影がよみがえってきた。なぜ同じ幻影が繰り返し夢に現れるのだろう。その時窓が開き、あのシルフィードが姿を現した。やはりただの幻影ではなかったのだ。
 シルフィードは悲しそうに両手で顔をおおっていた。
 「何をしてるの、こっちへおいでよ。」とジェームズが声をかけると、シルフィードはジェームズの側へやって来た。さらにジェームズが何を悲しんでいるのかと訊ねると、シルフィードは彼を見つめるだけで答えようとしなかったが、やがて悲しげに言った。
 「だってあなたはエフィーと結婚しようとしているのだもの。私はこんなにあなたを愛しているのに。」
 「そんなことあり得ない、君が僕を愛してるなんて…。」とジェームズは驚いて言ったが、シルフィードは自分の想いを切々と訴えた。
 「あなたを初めて見た日から私の運命はあなたに結びつけられてきたの。私はこの暖炉を隠れ家としていつもあなたと一緒にいたの。そしてあなたから悪い精霊を追い払い、あなたに愛の夢を送り続けてきたのよ。でもあなたがエフィーと結婚してしまったら私は死んでしまうわ。」
 ジェームズはエフィーへの愛にもかかわらず、シルフィードの告白に心を動かされてしまった。それを悟られまいとして邪険に振舞おうとしたが、シルフィードにはジェームズの動揺が伝わってしまったらしい。
 「来て!私と一緒に森へ行きましょう。」とジェームズを連れて行こうとした。
 「だめだ、あっちへ行ってくれ!」ジェームズは何とか抵抗しようとしたが、エフィーが残して行った格子柄(ブレード)の肩掛けを愛らしく羽織ったシルフィードの姿はジェームズの心の中にある理想の女性そのものだった。心をかき乱されたジェームズは思わずシルフィードを抱きしめ、接吻した。
 そこへ気を取り直したガーンが入って来て、ジェームズとシルフィードの姿を目撃した。早速ガーンはエフィーを呼びに行った。慌てたジェームズはシルフィードをひじかけ椅子に隠してエフィーの格子柄の肩掛けでおおった。

 確信に満ちたガーンはエフィーを連れてきて、どうだとばかりに肩掛けを取り払った。しかしそこには誰もいなかった。シルフィードは消えていたのだ。冷や汗ものだったジェームズはほっとしたが、娘たちは嫉妬からおかしな勘違いをしたらしいガーンを笑い飛ばした。エフィーは自分とジェームズの間に波風をたてようとしたガーンに腹をたてた。そんなばかな…あれは一体何だったんだ…。ガーンは落ち込み、当惑してしまった。





 そして村中の人々が集まってジェームズとエフィーの婚約のお祝いが始まった。老人は酒を飲み、若者や子供たちは陽気に踊り出した。
 そんな中でジェームズは放心状態でシルフィードを探していた。シルフィードは踊りの輪に姿を現しては消えていたのである。ジェームズはそんなシルフィードを追いかけてはダンスの輪を混乱させていた。どうやらシルフィードの姿はジェームズにしか見えないらしく、みんな不審な行動をとるジェームズを見て当惑している。

 花嫁を踊りに誘うことも忘れているジェームズを自分から踊りに誘いながら、エフィーは募る不安を抑えることができなかった。何も探さないで、私はここにいるのよ…。しかしジェームズは常にあらぬ方に視線を泳がせ、エフィーには理解できぬものを追い求めていた。

 シルフィードはシルフィードで、ジェームズとエフィーとの間に割り込んだり消えては現れたりしてジェームズの注意を自分だけに惹きつけようとしていた。ジェームズの心はエフィーとシルフィードの間で揺れ続けた。




   どうも愛しいエフィーと早く結ばれたい一心で頭がおかしくなっているらしい。これは早く結婚式をすませなければ、と村人たちは踊りをやめて結婚式の準備を始めた。娘たちはエフィーを取り囲み、ヴェールをかぶり冠を頭にのせたエフィーはすっかり結婚式の支度が整った。  

しかしジェームズはこれからエフィーと交換しようとしている指輪を指から引き抜いてどうにも抑え切れない胸騒ぎを覚えていた。そこへ一旦消えていたシルフィードが暖炉の中から現れ、ジェームズから指輪を奪い取った。そして彼を誘うように森へと飛び立った。

 このまま自分がエフィーと結婚してしまえばシルフィードは本当に死んでしまうだろう。いやだ、シルフィードを失うなんて!その瞬間ジェームズは理性を失ってしまい、シルフィードの後を追って駆け出した。本来シルフィードの姿はジェームズにしか見えないはずなのだが、エフィーを愛するガーンにはまたしてもシルフィードの姿もそれを追って行くジェームズの姿もしっかりと見えたようだ。  

 支度が終わったエフィーはジェームズを探したが、どこにも見当たらない。
 ガーンは今しがた目撃したことを告げた。エフィーは泣き出し、アンおばさんは深い衝撃を受けた。みんな唖然としていたが、やがて憤慨し始めた。エフィーはアンおばさんの腕の中で泣き出した。
 ガーンは魔女マッジの予言が的中したと言ってエフィーの前にひざまづいた。今や娘たちも村の若者たちもガーンに味方し始めたのだった。



<第二幕>



 魔女マッジはジェームズから受けた侮辱が忘れられず、復讐のために濃い霧で包まれた夜の森で魔力を作り出す儀式を始めた。自分の住処である洞窟の側の枯れたブナの大木の下に三脚台を組んでそこに釜を置き、その中で毒のある忌まわしいものをグツグツと煮立てた。そして仲間の魔女を数人呼んで来て共に呪いの言葉を唱えながら輪になって不気味なダンスを踊った。

 やがて釜から赤い炎が上がり、魔力が作り出された。仲間の魔女たちは洞窟へ戻り、マッジは釜からうすものの肩掛けを取り出した。クックック、よい出来じゃ。この肩掛けであの無礼な若造に思い知らせてやる。私を侮辱した罰だぞぇ、クックック…。マッジは不気味な笑い声をたてながら肩掛けを振り回した。肩掛けに振り払われるように暗闇は消えて行き、朝靄のかかった清々しい森が姿を現した。 



   やがて靄も晴れ、さわやかな緑の木々の間をシルフィードに導かれてジェームズがやって来た。思わずシルフィードの後を追っては来たが、ジェームズの心には嘆き悲しむエフィーの姿が絶えず浮かび、心がうずく。そんなジェームズを慰めるようにシルフィードは一緒に踊りましょう、踊って地上の束縛を忘れてしまいましょう、と誘った。  

 シルフィードと踊るのは楽しいのだが、つかまえようとすると、するりとジェームズの手をすり抜けてしまう。すると不安になったジェームズの前にまた悲しそうなエフィーの幻影が現れる。やはりジェームズは楽しい気持ちにはなれなかった。  

 シルフィードはジェームズを慰めようと妹たちを呼んだ。すると高い木立や香しい野ばらの間から青や薔薇色の羽をつけた優美なシルフィードたちが次々と現れて踊り出した。ジェームズは夢のように甘美なその光景に夢中になった。そしてしばらくは憂鬱を忘れて一緒に楽しく踊った。  
 しかしやはりシルフィードは一緒に踊ろうとしても彼の腕をすり抜け、側にとどまることはなかった。とらえる事ができないとなると、ますます何としてもとらえてみたくなる。しかしやがてシルフィードは妹たちの間に消えてしまい、その姿は見えなくなってしまった。ジェームズは妹のシルフィードたちに彼女はどこへ行ったの、と訊ねて回ったが、妹たちは何も答えることはなく、一人また一人と姿を消してしまった。



 一人取り残されたジェームズは絶望的な気持ちになった。きっと自分はシルフィードにだまされたのだ。シルフィードは自分を幻惑しただけで愛してなんかいないのだ。そんな妖精のいたずらに翻弄されて愛するエフィーを捨ててしまったなんて…。ジェームズは満たされない欲望への飢えと後悔に苛まれて身もだえしていた。 

 そこへ魔女のマッジが現れ、ジェームズが苦悶する姿を見てどうしたのか、と訊ねた。
 ジェームズは、天使だと信じた最愛のシルフィードが自分のものにならずに苦しんでいる、彼女を自分のものにするためなら命を捨ててもかまわない、とマッジに訴えた。

 「シルフィードをとらえるのは容易なことではないが、私の持っている肩掛けを使えばできないことはないさ。」とマッジは言った。
 ジェームズは夢中になって早くそれをよこせと言ったが、マッジは先日の侮辱のことを持ち出して、
 「あんたがひざまづかない限りイヤだね。」とはねつけた。

 そこで早速ジェームズはマッジの前にひざまづいて許しを乞うた。マッジは、やれやれ私もお人よしだねぇ、と小ずるく笑いながら、うすものの肩掛けをジェームズに渡した。
 「これでシルフィードをくるむといい。そうすれば彼女の羽は自然と抜け落ちて自由は奪われ、お前は永遠に彼女を自分のものにすることができるよ。」
 喜んだジェームズはマッジに礼を言い、洞窟へと帰って行くマッジを見送った。

 
  ジェームズが肩掛けを手にして希望に満ちていると、そこへシルフィードが戻って来た。ジェームズが肩掛けをひらひらとはためかせると、シルフィードは
 「それ、素敵ね、私にちょうだい。」と興味を示した。
 ジェームズが拒むと、シルフィードはふわりと飛んで高い樹の上から小鳥の巣をとってきて、
 「これと交換してちょうだい。」と言った。
 「だめだよ、それは元のところへ戻して来なさい。自由を失ったら小鳥たちは死んでしまうよ。」とジェームズが言うと、
 「そうね、あなたが言う通りだわ。」と素直に小鳥の巣を元に戻した。 しかし相変わらず肩掛けに執着してジェームズから奪おうとした。

 ジェームズは油断したふりをして、その隙にシルフィードは肩掛けを取ろうとしたが、その瞬間ジェームズはシルフィードに肩掛けを巻き付けた。とらえられたシルフィードは、
 「お願い、許してちょうだい。」とジェームズに許しを乞うた。しかしジェームズはもう逃げられないようにシルフィードを肩掛けでしっかり包み、羽が抜け落ちたのを確認してからやっと肩掛けを解いた。   

 その瞬間、シルフィードは激しい衝撃を受けて胸に手をあてた。驚いたジェームズはシルフィードを抱きしめようとしたが、シルフィードは彼を押しやり、よろめいた。シルフィードは真っ蒼になっていた。  
 
 「一体なぜこんなことをしたの」と言うシルフィードにジェームズは言った。
 「君を何とか僕のものにしようとしたんだ。これでもう君は僕から逃げたりできないだろう。これからは僕たちはずっと一緒なんだ。」
 シルフィードは苦しい息の下で首を振りながら言った。
 「あなたは思い違いをしているわ。私の自由を奪うことで、あなたは私の命を奪ってしまったのよ。」
 
 衝撃を受けて蒼ざめるジェームズにさらにシルフィードは言った。
 「泣かないで。私はあなたのものになれなかったけど、あなたを本当に愛していたわ。そしてあなたに愛されて幸せだった。でもあなたを幸せにできないまま死んでいかなければならないわ。」そしてシルフィードはジェームズから奪った結婚指輪をはずして彼の手に握らせた。
 「この指輪はお返しします。この指輪で元の婚約者と幸せになってね。さようなら、これでお別れよ。でも私は幸せよ。だってこれからあなたが幸せになれるっていう希望があるから…。」   

 ジェームズは泣きながらシルフィードを抱きしめた。しかしシルフィードは段々と衰弱して行った。そこへ妹のシルフィードたちが集まって来て、やがてシルフィードは妹たちの腕の中で息絶えた。



 
  なんという事だ!ジェームズは後悔に苛まれながら泣き伏した。ふと気がつくと、そこにはマッジが立っており、彼をあざ笑っているではないか。ジェームズが恨みに満ちて食ってかかろうとすると、マッジは実に愉快そうに森の向こうを指差した。
 鐘が鳴り響く中、教会へと結婚式の列が通っているのだ。花嫁と花婿を見たジェームズは愕然とした。何とエフィーとガーンではないか!エフィーは早々とジェームズをあきらめ、ガーンの情熱を受け入れたのである。  妹のシルフィードたちは姉の亡骸を天空へと運んで行った。その葬列を眺めながら、すべてを一度に失ったジェームズは気を失って倒れてしまった。クックック、思い知ったかね…あたりには魔女マッジのあざけりの笑い声が響いていた。
(終わり)






 
<ラ・シルフィード基本情報>
    
    台本     アドルフ・ヌリ
             (シャルル・ノディエ「アーガイルの小妖精トリルビー」から着想)
    初演振付  フィリッポ・タリオーニ
    音楽     ジャン・マドレーヌ・シュナイツホファー
    初演配役  シルフィード: マリー・タリオーニ
            ジェームズ : ジョセフ・マジリエ
    初演     於パリ・オペラ座(王立音楽アカデミー劇場) 1832年 3月12日
<ブルノンヴィル版>
    台本・振付  オーギュスト・ブルノンヴィル
    音楽      ヘルマン・S・レーヴェンスキョルド
    初演      1836年 デンマーク・ロイヤル・バレエ
<ラコット復元版>
    台本     アドルフ・ヌリ
    振付     ピエール・ラコット(フィリッポ・タリオーニ版による)
    音楽     ジャン・マドレーヌ・シュナイツホファー
    初演     1971年バレエ映画として制作され、テレビ放送される
            1972年 パリ・オペラ座で復元版初演
    初演配役  シルフィード: ギレーヌ・テスマー
            ジェームズ : ミカエル・ドナール

    


 ラ・シルフィードは本格的なロマンティックバレエの幕をあけた作品として有名です。また空気の精を軽やかに表現するために、初めてポワント(トゥシューズをはいて爪立ちする)を技術的に確立し、軽やかな白いチュチュも初めて使用されました。シルフィードを踊ったマリー・タリオーニは時代のミューズとして大変な賞賛を浴びたといういうことです。

 バレエはもともとイタリアの貴族・富裕階級の遊びで、それがフランスにもちこまれて発展したものらしいです。特にルイ14世は自らもバレエを愛好し、保護して今のパリ・オペラ座の前身である王立音楽アカデミーを設立しました。

 この王立アカデミーを中心にバレエは大きな発展をとげます。もともとバレエは踊り手を美しく優雅に見せることに重点がおかれていましたが、やがてバレエを職業とするものも現れて段々と現在のように物語等のテーマを表現するものになっていったようです。
 ただその物語、テーマというのは、ギリシア・ローマの神話が中心でした。貴族たちの教養であるそれらの神話が手を変え品を変え舞台に登場し、形式美や調和が大切にされていたそうです。

 その重々しさとマンネリを破って、妖精が爪立ちで軽やかに登場したのです。この作品を境にバレエは妖精等この世ならぬものが自由に活躍するロマンティックバレエの時代に突入しました。

 ロマンティックバレエは王権が絶対的なものではなくなり、一般市民階級が台頭するにつれて発展したものです。その特徴としては前述のように描かれるものがキリシア・ローマの神話の世界から一般人の生活へと移ったこと、そして地方色、歴史色が取り入れられたこと、さらに超自然的な幻想にあふれる世界が取り上げられるようになったこと、が挙げられています。

 ラ・シルフィード以降、たくさんのロマンティクバレエの作品が作られ、「ジゼル」のような傑作も現れました。しかし19世紀の後半にははや廃れはじめ、現在まで残っている作品はほどんどないらしいです。
 ラ・シルフィードもパリ・オペラ座ではいったん消滅してしまいました。しかしその上演を見て感激したブルノンヴィルが違う音楽を使って独自の振付で上演し、それがデンマークで演じ続けられてきました。

 そのブルノンヴィル版がロシアにもわたってラ・シルフィードは生き続けてきたのです。20世紀後半にはパリ・オペラ座のピエール・ラコット氏が美術館等に眠る膨大な資料を用いて数々のロマンティックバレエを復元しています。ラ・シルフィードもラコット氏によって復元されました。現在はブルノンヴィル版とラコット版の両方が上演されており、日本でもその両方を見ることができます。


  ラコット氏が復元した中に「ドナウの娘」というバレエがあります。マリー・タリオーニが人気絶頂の時にマリーの魅力を存分に味わってもらうために父のフィリッポ・タリオーニが振付けたものです。当時は大変人気のあった作品ですが、復元後はあまり上演されていません。 日本では東京バレエ団が華やかな舞台を見せてくれましたが、これからも残るのかどうか…。ドラマ的には現在のままでは名作としてご紹介するのはかなり疑問ですので、「ラ・シルフィード」の付録としてご紹介しておきます。バレエは踊りが中心ですが、それでも表現する内容も大切です。
 さて、それでは一体どこに問題があるのか…。何時の日か「ドナウの娘」が改訂され、素晴らしい作品となりますように。「ドナウの娘」



 パリ・オペラ座を中心とするロマンティックバレエは「コッペリア」の成功を最後に衰退に向かいました。その理由としては、音楽に恵まれなかったことや、度重なる政変によって支配階級が変わり、支援者や観客に恵まれなくなったことが挙げられています。そして女性バレリーナが中心となる中で男性が脇役に追いやられ、バレリーナ自身も高級娼婦化して芸術に熱心でなくなったことも理由とされています。

 女性の美しさを最大限に引き出し、女性を至高の存在としたはずのロマンティックバレエが女性舞踏手の劣化を引き起こし、男性まで枯渇させて滅びて行ったというのは何だか皮肉ですね。(ガストン・ルルー「オペラ座の怪人」には、パトロンと結びつき、または母娘ぐるみでパトロンを探す若いバレリーナたちの様子が描かれていて興味深いです。)

 また、それでも人材がいなかったわけではないのに、将来有望な若手バレリーナたちに悲惨な運命が襲いかかって、若くしてこの世を去って行ったというのも何とも悲しい運命です。このあたりのロマンティックバレエの盛衰も興味深いもので、参考文献にあげた諸先生方の著作に詳しく書かれています。ぜひ一度読んでみてください。



 さて、ラ・シルフィードの物語ですが、名テノール歌手であったアドルフ・ヌリがシャルル・ノディエの幻想小説「アーガイルの小妖精トリルビー」にヒントを得て作成しました。
 妖精に愛された人間が配偶者(または婚約者)との板ばさみになって苦しみ、最後は破滅するというテーマは共通ですが、お話自体は全く別のものです。トリルビーは男の妖精で破滅する人間は女性。そしてトリルビーはもともとの妖精のイメージに近い形で出てきます。ラ・シルフィードよりも土着的なイメージでその地方の歴史にもつながりがあるのです。

 このお話はそれはそれでとても素晴らしいと思いますので、これもご紹介しておきます。「アーガイルの小妖精トリルビー」
 残念なことにヌリは37才の若さで飛び降り自殺してしまったそうです。このような美しい詩を書いた人なら何となくわかる気もしますが…。

 お話をまとめる時にはできるだけ会話は省いて簡潔にまとめることを心がけているのですが、このラ・シルフィードの初演台本はとても美しい一編の詩です。それ故、簡単な言葉に置き換えてしまうとその本質が失われるように思いましたので、できるだけ美しい会話を残すように心がけました。

 現実の女性と心の中の理想の女性の間で引き裂かれて行くジェームズの心。社会に適応しなければならない事はわかっていても、そこに縛られてしまうことを拒否し、自分自身の自由な心を大切にしたいと思うのは誰しも同じです。そういう普遍的な人間の心を美しく幻想的に歌い上げたラ・シルフィードはこれからも途切れることなく演じ続けられていくことでしょう。




 
19世紀フランス・バレエの台本パリオペラ座    平林正司/著   慶応義塾出版会  
   (ラ・シルフィード、ドナウの娘の初演台本を収録)
ジゼルという名のバレエ   シリル・ボーモント/著   佐藤和哉/訳   新書館
バレエ誕生   鈴木晶/著   新書館
バレエの歴史   佐々木涼子/著   Gakken(学習研究社)
流刑の神々・精霊物語   ハインリヒ・ハイネ/著   小沢俊夫/訳   岩波書店
妖精の系譜   井村君江/著   新書館
シャルル・ノディエ選集第二巻 「アーガイルの小妖精トリルビー」  
   シャルル・ノディエ/著   篠田知和基/訳   牧神社
ラ・シルフィード  (NHKにて放送)
    パリ・オペラ座バレエ
    振付   ピエール・ラコット(フィリッポ・タリオーニの振付を復元)
    音楽   ジャン・マドレーヌ・シュナイツホファー
    配役   シルフィード: オーレリ・デュポン
          ジェームズ:  マチュー・ガニオ
          エフィー:    メラニーユレル
    2004年7月 於 パリ・オペラ座ガルニエ宮
ラ・シルフィード(クラシカ・ジャパンにて放送)
    デンマーク・ロイヤル・バレエ
    振付   オーギュスト・ブルノンヴィル
    音楽   ヘルマン・S・レーベンスキョルド
    配役   シルフィード: リス・イェペセン
          ジェームズ:  ニコライ・ヒュッベ
          エフィー:    アン・クリスティン・ハウゲ
    於 1988年10月 コペンハーゲン王立劇場





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