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私たちの教会の牧師

メッセージを伝え、教会を牧する人たちです

濱 和弘  主任牧師

1958年生まれ。山口県山口市出身。

山口高校を卒業後、1年間の大学浪人生活を経る。高校時代は共産主義に興味を持ち影響を受けたが、その後、ひょんな事からキリスト教会との関わりが出来、浪人中にイエス・キリストを自分の罪とその裁きからの救い主として信じ、1977年に山口福音教会にて洗礼を受ける。1978年明治大学経営学部に入学。大学時代は、サークル活動としてのアメリカン・フットボール同好会と聖書研究会の活動に没頭することとなる。1982年に同校を卒業後、日東紡績(株)に入社し、以後9年間、主に断熱材・吸音材を中心とした建材の営業に従事する。1988年に結婚。二人目の子供が妻のお腹にいるとき牧師となる使命を受け、1990年に子連れで東京聖書学院に入学。1994年に同校卒業と共に日本ホーリネス教団に加わり、以来教団の任命により静岡キリスト教会、土居キリスト教会の牧師を歴任し、2000年4月より現在の三鷹キリスト教会の牧師となる。

その間、牧師としての働きと共に、静岡福音放送協力会において静岡県内のキリスト教伝道テレビ番組「ライフ・ライン」の働きや、静岡レーナ・マリヤコンサートや静岡星野冨弘花の詩画展、四国岩渕まことクリスマスコンサートツアーなどのキリスト教各教派を超えた働きにも加わり、現在は、キリスト教の放送伝道のためのテレビ番組「ライフ・ライン」やラジオ番組「世の光」を製作・配給している(財)太平洋放送協会の働きにも参加している。

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濱 その枝  副牧師

1963年生まれ。大阪出身。

クリスチャンの両親のもとに生まれた関係で、お腹の中にいるときから教会に通う。クリスチャンの親のもとに生まれた子供が割と経験することかもしれないことだが、キリスト教信仰が当たり前のように身近にあったっため、中学生の時に洗礼を受けるには受けたが、今ひとつ信仰がピリッとしない中にあった。しかし、大学に入って教会学校の先生をしていく中で、イエス・キリストは私の罪のために十字架で、私の罪の裁きの身代わりとなって死んでくださったんだということが実感としてわかるようになり、以来親の信仰を受け継ぐのではなく、私の信仰として、キリスト教の信仰を生きるようになる。そういった意味では、クリスチャンの親元に育った、いわゆるクリスチャン2世の気持ちはよくわかる存在である。

1981年に大阪市立扇町高校を卒業。同年園田学園大学国文学科入学。1985年に同校を卒業後、大阪市立茨田中学や長吉高校で教師として教鞭を執る。1988年に濱和弘牧師と結婚。1993年に東京聖書学院基礎科に入学。翌年同校卒業後、濱牧師とともに、日本ホーリネス教団静岡キリスト教会、土居キリスト教会で牧師婦人として勤め、2000年より三鷹キリスト教会にて働き、2006年より牧師として任命を受ける。1男2女の母でもある。

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加藤 亨  名誉牧師

1923年、台湾に生まれる。

旧制台湾新竹中を卒業後、太平洋戦争戦時下にあり召集され関東軍に入隊、満州で終戦を迎える。終戦後はシベリヤに4年間抑留されるが無事復員。復員後、すでにクリスチャンとなっていた。母や姉達の祈りの中、導かれてキリスト教の信仰をもつこととなる。その後牧師となる使命を与えられ東京聖書学院に入学する。東京聖書学院の修養生<神学生>時代から、伝道実習の場として三鷹市での伝道に携わっていたが、同校を1956年に卒業すると同時に、日本ホーリネス教団に加わり、同教団より三鷹キリスト教会の牧師として任命を受け、以来40数年間にわたり、現在の三鷹キリスト教会の基盤を築きあげ、三鷹市での伝道に携わってきた。また同時に首都圏伝道や総動員伝道といった、キリスト教諸教派の隔たりを超えた超教派の協力による伝道の働きにも従事してきた。

とにかく一徹なぐらい信仰に生き、信念に生きた牧師というのが教会のメンバーの持つ印象。その真摯な信仰のゆえに、昔はとても厳しい指導をなさったと聞く(実際筆者もその指導を受けた経験としても厳しかったが、その前ははもっと厳しかったとか)が、現在はとても優しいおじいちゃん先生で、好々爺といった感じ。まあ、昔も厳しかったけれども、暖たか味のある牧師だったから、そのあったか味に磨きがかかったというところなのかもしれない。とにかく本が好きな牧師で、現在は多くの人に譲られ減ってしまったが、一時はそのキリスト教関係の蔵書は加藤図書室といって良いぐらいの蔵書があった。

2007年7月、天に召される。