作成2015年9月30日
このページの最終更新日は2017年9月14日です。
これも消えてしまったページです。
この記述を始める前に吉田本家の嫡流が消滅して吉田門流に受け継がれた以降の古文書の記述を引用して以後いかに吉田流を名乗ったかの話を記載したい。
寛政六年(享保が終わって60年後、文化の始まる8年前)に「吉田流鷹術躰用一致之巻」に訳を加えた「吉田流鷹術躰用一致之巻釋」の冒頭の一節に「吉田流は、吉田多右衛門と云う人・・・・・・・当流はその伝来なれば吉田流と云うぞ。」と書かれています。この書き方をみるといかにも吉田多右衛門が過去の人で左程重要視さていない書き方になっている。
ここでは明治以降の吉田門流の一つで有る村越家に伝わった吉田流がその後どうなったかを探ってみたいと思います。
つづく
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