作成2005年6月28日
このページの最終更新日は2015/09/21です。
主題:「鷹狩の近代史」
海老名幸氏が「狩猟習俗:文化庁編」に書かれた江戸流という呼び名が何時から始まったのだろうか。 吉田流の丹羽茂彦氏が受け継いだこの正当な流れは今どうなっているのだろうか。
このページでは江戸流の系譜を現存する資料から探って行きたいと思います。私自身江戸流とは関係有りませんが、現在あまり表立って活動していない為か、間違った情報も流れています。個人的に知り得た情報による作文はさけ、あくまで客観的に一般的に公開された情報から得られる範囲で記述したいと思います。
※2015年10月04日ソフト変更に伴い事実と相違する部分に付いて訂正と注記を加えました。
副題:江戸流と丹羽茂彦氏(鷹匠:庭茂)の系譜
※ご注意:ここに書かれた記事は一番下に書かれた出典元に基づき記載されています。出典元の内容に間違いが有る場合も有りますし、鷹狩団体又は個人に対し不利益を与える恐れもあります。これに関して吉田流代表者の方より下記の指摘を受けております。 メールは数回戴いていますが、公正な立場から一回目の全文をそのまま掲載しますので、御読み下さい。なお、個人情報保護法により、名前だけはこちらでイニシャルに変えていますが、他は一切修正(誤字も)は加えていません。私自身「中身を丸写し」と言う指摘には反論は有りますが、これもこの様なテーマを扱う者にとっては仕方無い事と思っています。
さて、以下はこのページに対する批判的なメールを頂いたので参考に掲載します。もちろん投稿者の方には掲載許可を頂いておりますし、喜んで頂いております。
「丹羽茂彦氏に、ついて」
「ホームページを、拝見させてもらいました。
(狩猟習俗1文化庁)の、中身を丸写しもままに、記載されていて非常に悲しく、おもっています。
私も、村越仙太郎氏に関わった人間として、一言苦言をいいます
もう少し丹羽茂彦氏に、親しい人の話や、村越仙太郎氏の娘さん(私が、会った時は70歳位で、あった)等多くの人達の話を、聞いたりしてして、真実をホームページ上で、発表して下さい。
でないと恥を、かきます。 貴兄が、茂彦氏の写真と書かれているのは、別人です。丹羽有得氏が私に話ています。
昭和5年頃、茂彦氏と有得氏は同じ時に、習い、少しだけしか村越氏に、習わなかった様で上記の、娘さんも私が茂彦氏の事を、聞くが知らないとの由、有得氏の事はよく覚えていました。
茂彦氏の事は、農林省にいた白井邦彦氏が、よく知り彼の鴨場にてカモの調査を、たずさわっていました。
私も、12年前頃、お会いして茂彦氏の事を、聞きました。私の場合その人の事を書く場合必ず関わった人から、聞いてからに、しています。私も今度、ホームページを開きますので村越仙太郎氏の事等、まず私のページを見てから記載(ページ上)して下さい。 吉田流 鷹匠 N.T.」
以上が指摘を受けた内容ですが、これによると「写真記録日本伝統狩猟法」に丹羽茂彦氏と書かれている人物は別人だそうです。どなたかこの方の名前がお分りの方がいられたらご連絡下さい。なお、堀内讃位氏の名誉の為に書き添えて置きますが、没後三十数年後に出版された上、解説文は当時同行された方が書かれたそうです。決して本人が書かれた物では有りません。
もう一点は二回目のメールも関係しますが、丹羽茂彦氏が短期間しか習ってないので吉田流とは名乗れず、新たに江戸流を名乗ったと言う事です。これに付いては流派ごとの見解の相違も有ると思いますし、文化庁文化財保護部の調査が間違っていると言う事になります。
なお、吉田流代表、鷹匠N.T.氏がホームページ上で吉田流の系譜に付いて近々発表される様ですので、詳細はそちらを御参照下さい。私自身、吉田流代表、鷹匠N.T.氏のホームページを楽しみにしていますし、情報提供には大変感謝しております。
最後に、最終判断は読者の方々にお願いしますが、別な機会に私の見解を纏めて発表したいと思います。
※上記、紫色及びメール(青)の部分は2005年10月7日に追記しました。それ以前に書いたもの(下記)には指摘に対し、優位な立場を取る事の無い様、一切の修正は加えていませんが、2006年3月19日目黒弘氏に関し新しい情報を追加し 、2007年1月19日村越才助氏の幼名を追加しました。
江戸流の丹羽茂彦氏の父、鈴木清彦氏と御鷹匠同心の血を引く流祖、村越仙太郎氏とが従兄弟同士に当たる事はあまり知られていないだろう。数年間村越仙太郎氏のもとに寄寓して丹羽茂彦氏が受け継いだこの正当の流れは今どうなっているだろうか。 その系譜を探ってみる事にする。
※調査の結果、「狩猟習俗:文化庁編」に海老名幸氏が書かれた上記姻戚関係は全く確認されませんでした。(2015/09/21)
※村越家の系譜に付いては別に、「御鷹匠同心村越家の人々」と言うテーマで村越仙太郎氏までの御鷹匠同心村越家の流れを解明したいと思います。
さて、本来ならばここで丹羽茂彦氏に登場願う所ですが、写真を持っておりません。本に掲載された写真の肖像権を購入する所までは勘弁して戴くとして、41歳頃の写真が掲載された本を紹介します。「写真記録日本伝統狩猟法」と言う本で、これは私が尊敬する堀内 讃位氏の撮り貯めた写真を集めて昭和59年に娘さんが出されたものです。この中の「小松川の鷹狩」 (昭和14年)で、江戸時代の鷹匠の装束を着た丹羽茂彦氏が愛車の前でポーズを取っている写真が有ります。丁度この時期は、「日本放鷹倶楽部」 (昭和11年)、「鷹狩研究会」(昭和13年)を相次いで設立した後で、鷹匠としても一番脂が乗っていた時期だと思います。
申し訳無いので本の写真だけ掲載します。
私の私見ですが、現在の江戸流の後継者と思われる方に大変よく似ているから不思議である。
※ご家族の協力により、、上記の本に掲載された人物は別人である事が判明しました。「写真記録日本伝統狩猟法」を出版された方の確認不足と判断しました。(2015/09/21)
※この本は定価42000円、発売当時お金が無くて買えませんでしたが、その後古書店で未使用の物を25000円で購入しました。現在の古書店での価格は50000円と値上がり中です。上記に関係なく貴重な写真集です。
余談ですが、本当に堀内讃位氏がいなかったら我々は言葉だけで当時の様子を想像しなくてはならず、一連の堀内讃位氏の業績には文化勲章をあげたい位です。ぜひこの本は買わずとも見て下さい。他にも貴重な写真満載です。
また話しが横にそれましたが、ここで丹羽茂彦氏に付いてもう少し触れたいと思います。明治三十一年三月五日東京麻布に生まれ、14歳で軍医に帯同して朝鮮に渡り、西大門中学で学ぶ。当時、朝鮮では鷹狩が盛んで朝鮮で鷹狩を知り帰国、その後、明治大学へと進む。卒業後、大阪に移り会社勤めをし、大正12年25歳の時より村越仙太郎氏の元へ寄寓して数年間江戸流の奥義を学ぶ。
※調査の結果、「狩猟習俗:文化庁編」に海老名幸氏が書かれた上記江戸流との関係は全く確認されませんでした。正解は吉田流です。(2015/09/21)
※江戸流は古いものではなく、それは江戸時代の公議御鷹匠の技術(雑司ヶ谷組)を集大成した物と言う意味の様です。
※なぜここで有名な流派ではなく江戸流を名乗るのか?、それは追々別のテーマの中で御鷹匠同心がどういう者か説明して行きたいと思います。
さて、その後放鷹の実演会を各地で行い、実猟も公開してその普及に努めたので、鷹狩を行う人もかなり増えたようです。
※これまた有名な丹羽有得氏は昭和五年に村越仙太郎氏に弟子入りしています。「狩猟習俗:文化庁編」では有得氏も江戸流と呼ばれています。
戦前の民間人で丹羽茂彦氏ほど活躍した鷹匠は他にはいないでしょう。さらに、村越仙太郎氏が開いた鴨場(羽田鴨場)を後に経営する事に成り、その後氏は昭和18年茨城県息栖村に鴨場を開く。しかし、戦争で全ての活動が中断し、戦後も鴨場は続いた様ですが、現在はその場所を地図で見ると住宅地になっています。
※調査の結果、「狩猟習俗:文化庁編」に海老名幸氏が書かれた鴨場(羽田鴨場)との関係は全く確認されませんでした。(2015/09/21)
※息栖鴨場のその後の情報をお持ちの方は情報の提供をお願いします。
江戸流の系譜
※敬称略、市町村名は最後に住まわれて居た所です。
村越 仙太郎 |
富山
丹羽 茂彦 |
息栖村
目黒 弘 |
仙台市
※以下、江戸流を名乗る(2015/09/21)
高橋 進 |
※八千代市
丹羽茂彦氏がこれほど鴨場にこだわったのはなぜか。それは江戸時代の伝統的な鴨猟では鷹を使っていたが、網を使って鴨を獲る現在の方法を編み出したのは村越仙太郎氏の父親である村越才助氏 (幼名:仙太郎)であり、江戸流の最も重要な業だからと思われる。
※これについては「御鷹匠同心村越家の人々」でご紹介したいと思います。
さて、目黒弘氏ですが、生年昭和11年、没年昭和46年、享年36歳であったそうです。あまりにも早くにお亡くなりになられました。この方が居たからこそ高橋進氏へ伝統を受け継ぐ事が出来、江戸流の伝統は守られたのです。大学時代から息栖鴨場に通い習得された吉田流ですが、この後江戸流に受け継がれて行く事になります。
最後に高橋進氏ですが、あまりに有名過ぎて私が語れるような人物では有りませんので、 簡単に御紹介します。本業のフラメンコギタリストの傍らテレビ、雑誌等で鷹狩を多くの人に紹介し、さらに世界で始めてオオタカの人口受精に成功した人としても有名です。現在鷹狩に関わっている人のかなりの数は直接又は間接的に高橋進氏の技術を受け継いでいると言えます。 近代(現代)に於ける功績は非常に大きなものが有りまが、あまりにも早すぎる死が悔やまれてなりません。
一行削除(2008年5月14日)
但し、この中に紹介した人は江戸流の嫡流とされる人々で、それぞれに御弟子が居た訳で、その方々がどうなられたかは不明です。
副題:江戸流と丹羽茂彦氏(鷹匠:庭茂)の系譜では、丹羽茂彦氏の家族を初め、多くの方々からの情報提供により、「狩猟習俗:文化庁編」に海老名幸氏が書かれた内容に関し、ここに記載されていない事も含め、事実と異なる点が多々有る事が判明しました。江戸流に関する詳細は、「江戸流の系譜その後」を参照下さい。(2015/09/21)
※さらに詳しい内容は別の機会にご紹介します。
参考文献:「写真記録日本伝統狩猟法 :堀内讃位」、「狩猟習俗:文化庁編」、「日本猟友」、「鷹匠は語る:丹羽有得」
続きは「江戸流の系譜その後」をご覧下さい。
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