マリネンコ文学の城・管理人の部屋
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<キャラクター紹介> マリネンコ伯爵 * 又の名をブラフマンともアフラマズダとも。なぜか辺境の伯爵領に降臨。得意技:永の眠り。 ミスター・カイメラ * マリネンコ伯の執事。家庭教師。発明家。事業家。英雄詩を愛好する。しこうしてその正体は・・・。 バロン・ナイト(夜男爵) * かつて老水夫(The Ancient Mariner)と共に異界の旅をした闇の詩人。`I pass, like night, from land to land.' ミスター・モーグル * ブラック・ミラーを通じてこの世界に出入りする鏡の国の住人。 奥方ダルシネア * マリネンコ伯の愛妻にして家庭の守り手。一男一女をもうける。 ダックス * 兄。革命家になるために家出。消息不明。 ブルフローラ * 妹。魂のコレクター。 アフララ * 双子の亡き妹の魂を求めて黄昏の世界をさすらう女性。 ナタニエル * 戦争によって家族を失い平和の理想に燃える文学青年。 その同志 * 人類改造によって平和を実現しようとする人物たち。オネイロ団とも。 アララン党 * アララン民族の優越を主張し、世界制覇をたくらむ一派。党首ゲヒンダーはかつてのナチョ党のヘドラー総統の子孫とか。 タラウ * 南の島の少年。虹を吐く巨大な真珠貝アマングーを狩る試練を受ける。 アマングー * 虹または蜃気楼を吐く、遠浅の海に住む生き物。 仙人 * アフララがクレピュスクルムで出逢った樹上生活者。後に地上に降りて若妻をめとり占い師となるか。 プディン * 未来の月世界の住人の一人。彼らの悲惨な運命をブルフローラに憑依して語る。 料理番の婆や * ダルシネアに雇われて、眠れるマリネンコの城の料理人を長年務めるも、若返らんとして<老婆の粉ひき場>へ旅立つ。 森番の爺や * その夫で、猟師。 羽和戸玄人 * ハワード・クロフトとも。永遠の世捨て人。<風の中の家>に立てこもり、自己探求(エゴ)小説を書き続ける。 脩 海 * 本サイトの管理人。売れない翻訳に精を出す趣味人。 ドクトール・デカンショ * 町の哲学者。その観念論哲学を実践し、超越的世界デカンションへと旅立つ。 ムル・ネコ * E.・T・A・ホフマンの飼い猫であったと言う。門前の小僧ネコならぬ、習わぬ物書きとなる。 UP: 2009.10.22 |
四世界の理論―― 序論・認識論的多元的世界像の試み (管理人の若年の論考です) 四世界の理論:第一部――各論 : 四つの世界と四つの現実 四世界の理論:第二部――応用:shamanism, LeibnizのMonadologie, 天動説幻想 四世界の理論:第四部――「占いとは何か」 |
幻影館の人生 生まれおちた世の中でどのように生きてゆくか、今の時代に人はそれを周囲の人間から学び知る。親や、友人や、仲間や、社会の中での人々の生活の立て方を見て、おのれの未来の生き方を予想し、計画するのである。それのできない若年者は通常不幸を運命づけられている。両親の生活から始め、学校での教育、仲間や周囲の環境からのヒント、それらから人生の漠然とした未来を予想し、最終的に生業を学ぶことにより、人生のレールを自ら敷くことになる。基本的には生業は他者のそれの模倣である。早くからその模倣に長けるものは、社会が安定しているかぎり、幸福な(少なくとも安定した)人生を送るであろう。そうした世知は、人から学ぶ以外にはない。不幸にも、誰からもそれを学ばなければ、いかに活力に満ちていようと、世間で生きていくだけの思慮を欠いた、破滅の人生を歩むほかはない。こうした例は、貧者にも、富者にも、愚者にも、知者にも、見ることができる。なぜならば、生まれあわせた環境的宿命が、その者の人生の幸不幸を決めるからである。 しかしながら、禍福はあざなえる縄の如しであって、不幸にも無知蒙昧の中に、うかうかと少年期・青年期を過ごしてしまい、突然世間という得体の知れない粗暴なものの中に身を投げ出されてしまった若者であっても、時として幸運に救われることがある。彼は突然ぬくぬくとしたベッドから、寒風の吹きすさぶ道ばたに、生まれた赤子とともに捨てられてしまった母ネコのように、茫然自失するほかはなかった。しかし捨てる神あれば、拾う神ありで、かろうじて肩身の狭い生活ながら、一時的に彼の怠惰な夢想が継続を許されたのである。しかしこの一時の衝撃が、彼に人生に対する恐怖を植えつけた。彼は何ひとつ自らの手で生み出せるものがないことに、愕然として気づいたのである。彼が所有するものはすべて他人が築いたものであった。自分の所有物と思うものも、他人の所有の転化に過ぎなかった。裸身の身のほかには、何ひとつ所有していないのだ。裸で生まれてきて、いつの間にやら衣服や、部屋や、食べ物などにつつまれていて、それがあたりまえのように思っていた。それらはすべておのれ以外の誰かが生み出したものなのだ。そしてそれらを今、自ら生み出さねばならないことに気づいたときの、恐怖と狼狽、だれもそれを教えてくれなかったことの不可解さ、社会へ出て行けば、すべてがお菓子の家のようにそこにあるかのように思い込んだ愚昧さ。今さらそれを悔やんでも遅いのであるが、それは自らの欠点であるよりも、多く環境に責任があることを思えば、なおさらどうにもならないのである。そう見極めがつくと、彼の恐怖と狼狽も、少しずつ静まり、反転し始めた。 プライドだけでは世の中は渡れない。ギリシャの彫刻のように気高く、寒風の中に赤子とともに捨てられていた母ネコの姿を思い出すと、彼は憤りつつもおのれの運命に重ね合わせた。彼も母ネコと同じように、手を差しだす者があれば、擦り寄るほかはない。卑屈と思わない程度に、プライドを矯めねばならない。生命界にはあらゆる生存の仕方がある。そのどれをも、卑怯だとか、卑屈だとか、狡猾だとか、利己的だとか、言うわけにはいくまい。それぞれが、おのれに与えられた環境の中で、もっとも有利な、最良の生き方をしているだけである。人間だけが例外であるわけではない。そのように思い定めて、彼は成人になるまでの無能の身を祖母に委ねたのである。 彼の唯一の身寄りであり、後見人でもあった祖母がなくなると、大した悲しみも感ぜずに、彼はまだ線香の匂いの消えやらぬ屋敷の売却にとりかかった。その他、付属の土地だの家具類を売り払うと、彼の手には一生少しぐらいの贅沢をしても暮らせるほどの金額が残された。その金で彼は、幼年時代からの思い出の土地を捨て、そこから百キロ程離れた近県の古い町、K市に長いこと目をつけていた、空き家となった屋敷を、破格の値で買い取ったのであった。あたかも祖母の死が予測され、すべてが幾年も前から計画されていたかのようなすばやさであった。祖母の死とともに、彼の想像の実現がいつでも可能となったことによって、矢も盾もたまらない気持が彼をかきたてたのであった。 Kという町は、首都から半日で行き来できる距離にありながら、ただ古いというだけで特徴のない、奇妙に忘れ去られている土地である。駅を降りた旅客の目に映るのは、先ず狭い駅前広場をとりまく建物の列の雑然とした光景である。この町の繁華な所はどこもそうなのであるが、ちょうど好き勝手な草木が辺りかまわずはびこるどこかのジャングルのように、民家と商店とビルディングが重畳し、頭脳に心地よい錯乱をひき起こすのであった。しかしそうした幻想も、行きかう車のせわしない騒音に乱されがちで、彼は早々に脇道の迷路へと、身を人波にまぎれて運ばせるのであった。そして物売りの呼ばう声や、音楽のただよう中をしばらく行くと、すでに人の流れは細流となり、両側にはぼつぼつと商家が見当るのみで、石垣や塀で囲まれた静かな居住地の空間の寂寥が、突然襲うのである。彼の好んだのはこの地域であった。 そのはずれに、二百坪はあろうか、石垣で少し高くなった上に、彼のめぼしをつけた古い洋式建物があった。周囲は糸杉で囲まれていたが、長く居住者がないために伸び放題になっており、庭もまた雑草で荒れていた。洋館自体は少しの手入れをすれば十分に住むことができた。しかし彼は予算の許すかぎりで、それにかなりの改造を加えたのである。特に二階の一部屋は、窓を天井まで大きく伸ばし、天窓まで加えた。そして全体を、彼が青年期に夢見たとおりの、幻影の暮らしを送るための、思うとおりの居館に仕立てたのである。名づけて幻影館と呼ぶ。その館で、まだ二十代半ばの彼は、世間と隔絶した、幻影の人生を送ることをもくろんだのである。彼はもはやこの生活とは無縁な人々との縁を断ちきり、孤独の中に得られる快楽をのみ求めて、幻影館に閉じこもったのである。 幻影館の内部は四つに分かれていて、その各部屋がそれぞれに館の主人の趣味の各部門を受けもっている。第一の部屋は生活の間である。そこでは日常のあらゆる卑賤な出来事が、個の身体を養うに必要な最小の設備でもってまかなっていけるように、配慮され配置されている。即ちそこは炊事と飲食と入浴と排泄と、さらに客の応対とかの雑事が行われる唯一の世俗的な部屋、生活の中であくまでも幻影となしえない部分を処理すべき部屋であった。従ってそこは世間との唯一の流通口でもある。このささやかな幻影館の戸口を開けると、先ずこの変哲もない玄関と、台所と食堂と客間とを兼ねる小部屋が、こぎれいな清浄さで客を迎え入れる。部屋の中央まで来て見回すと、この部屋の中のすべてが、クリーム色の壁と薄緑の床板と、やや高めの天井の白色とを基調に、互いが小気味良い調和を見せているのに気づく。が、何かもの足りぬ感じが、寒冷さが、あの真冬の空の天狼星の憂愁が、見るものの心に降りかかるのである。それは情のない母親とか、愛のない結合とかいった観念とも共通した、この館の主人が生活に対してもつ冷厳さに起因していた。あらゆるものがすべて人間の必要と欲望に従って、冷然と配列されていた。そこには一片の無駄も過剰も、ゆるされざる醜悪と化してしまう潔癖さがあった。そして生活と美とのゆるされざる混同に対する嫌悪も手伝って、最少の美、即ち機能美のみがそこに残されていた。だから、この館を訪れるものは、先ずもってこの冷厳さに耐え、乗り越えてゆかぬ限り、更にその奥なる真の幻想に到達すべき権利を失うのである。 さて、尋常の客はこれ以上先の部屋に入ることは稀である。館の主人の社交関係の潔癖性が不要な客人を館から遠ざけていたうえに、そもそもここの主人は人生の主要な快楽を孤独のうちに求めるという、度しがたい性癖を生まれつきもっていたようだ。最少限の社交が課する少数の友人達の応対に、――彼らはもっぱらかつての学友であったり、奇しき縁で趣味の一致を見た幸運なる招待客であったが、――この館の饗応は限られていた。そのわずかな客の中でも、幻影館の主人が心をゆるして、先の部屋へと招き入れるものは更にわずかであった。孤独の享楽という点に関しては、彼はことのほか吝嗇であった。そもそも他人との共感と言ったようなことを、はなから信じていないようであった。うっかり心を開いて感動を口にしてしまい、苦い後悔にかられる経験を繰り返したためでもあったが、彼は人類をおのれとその他の人間との二種類に分かっていた。少なくとも同時代に生きている人間すべてを、そのような眼で見ていた。もし人類との共感ということが可能であるとすれば、それは過去の中に求めるほかはなかった。しかも過去の人類の中でもごく限られた人間の中に、彼はやっとおのれの同類を見つけることができたのである。 おのれ自身を享楽することは、はなはだ難しいことであることは彼もよく承知している。先ず肉体的快楽は、この幻影館の主人には論外であり、また有害であった。美食や女色は、その果てしない貪婪さと忘我性によって、静謐な美の享受を破壊し、心の平静をかき乱すものである故に、彼は早々にその罠から逃れでたのである。この暴戻な欲望と闘うためには、常に精神の備えが必要であった。肉体はただ精神と穏やかな心情を養うためにのみ、生かさず、殺さず、維持してゆけばよい。彼にとって人生の意味は、類や種や国家の繁栄ではなく、もっぱらおのれ一代限りの存在の享楽にあった。しかもエピクロスにならって、動物的享楽や、成功や名声や富などの野心によって得られる享楽ではなく、パンと水とによって満たされる神のごとき享楽であった。肉の快楽は現実であり、現世での野心もまた現実での充足を求めている。真におのれ自身を享楽するためには、現実世界の中にそれを求めてはならない。またそれが現実の代償であってもならないのである。現実と美的享楽との境界を厳しく設けることによって、彼は自己自身を享楽するための幻影の世界を構築しようともくろんだのである。 第二の部屋は、こうした孤独の快楽を求める者にとってごく平凡な発想であるが、ものを書いたり、書を読んだりする書斎であった。この部屋は同時に、読み書きに疲れた時すぐに横になれるベッドを置いた寝室を兼ねていた。実際この館の主人は一日パジャマで過ごすことも稀ではない。寝室などという肉体の疲れを癒すためだけの部屋を作る考えは、もとよりないのである。明るい窓辺に木製のシンプルな机が置かれている。上部に引き出しが二つついただけの、ゆったりと本が置けることを考慮した広い机である。館の主は、時々何もせずに、ぼんやりと机に向って、樹脂の塗られたブラウンの木目を眺めながら、とりとめのない夢想にふけるのである。それには何も置かれていない広い机が適している。書斎とはいえ、書棚一杯の書物を予期している目に入るのは、壁際に二つ並んでいる中くらいの大きさの本箱だけである。書物は曇りガラスの後ろに納められていて、館の主人の趣味を容易にはうかがわせない。これは何も秘密を好むからではなく、無数の書物の背表紙に見つめられていると、集中力が発揮できないからという理由であった。書斎にはその時々に必要な本だけを持ちこむのが、彼の神経からくる精神の養生法なのであった。書庫は別にあった。そこは納戸のような部屋で、小さな窓が一つしかなく、壁際にはびっしりと書棚が並び、また部屋の中央にも背中合わせに本箱が置かれていた。そこが、この館の主人が過去の精神と向き合う場所であった。 第三の部屋は二階にあった。そこはアトリエを思わせるガラス窓の大きな明るい部屋で、先ず眼につくのは、部屋の中央に据えられた巨大な屈折式望遠鏡であった。その筒先は天井近くの窓ガラスまで伸びていた。幻影館の主人は自然界においても美の幻影を探究していたのである。この部屋の主たる目的は無機的自然に対する彼の偏愛を満たすことにあった。自然界の探究の中でも、特に宇宙史や地球史が彼の遙かなものへのロマンをかきたてるようであった。それとは裏腹に、生命現象や、生物一般に対して彼の抱く生理的嫌悪が、それらに関連するものをこの部屋から徹底して遠ざけさせていた。いわば彼の理想の自然は、生命の発生しない宇宙なのであった。様々な鉱物のコレクション、あるいは彼自身は科学者ではないのだが、いろいろな光学装置などが、ただ単に美的空想に耽らんがために、部屋のあちこちに置かれていた。テーブルの上にはプトレマイオスの「アルマゲスト」やフラムスチードの「天球図譜」やカントの「宇宙論」などが、ただ眺めるためだけに置かれていた。夜になると、天井まであるガラス窓の一部をあけて、限られた範囲であるがその季節に応じた天体の観望ができるようになっている。彼は特に二重星や、散開星団を好んで観望した。色とりどりの色彩の対比を宝石のように味わうのであった。 第四の部屋は、いわばこの科学室とは対照的に、より形而上的な瞑想のための部屋であった。彼は宗教者ではなく、無神無仏を常に口にしていたが、普通の唯物論者のようにこの世界がすべてであるとは考えていなかった。宗教は一種のメルヘンであるとして、その価値を想像力の解放において認めてはいたようだ。神像や仏像は、それらが肉欲を否定するシンボルである限りは、共感を持って見ることができた。それらを崇拝するのではなく、美的に、禁欲的に、瞑想の手がかりとするために利用した。この部屋は幻影館の中で唯一畳敷きであって、彼はそこで横臥したり、胡座をかいたりして、ある種の瞑想にふけったのである。そういうわけで、部屋には小さなテーブルと、仏像の入ったガラスケースがおかれているだけで、他には何もない。邪魔なものはすべて押入れにしまわれている。その簡素さによって、彼は心の中を空にすることができた。彼は読書は大抵書斎や科学室で行ったが、この部屋では、出家するつもりはまるでないのだが、「方丈記」や「発心集」などを読むことにしていた。 美的生活に欠かせない、美術や音楽に対する配慮がどの部屋にも見い出せないのを、客が奇異に感じて、そのことを質すと、彼は弱々しげに微笑して、その方面に能がないことを謙遜するのだった。とりわけ、絵画や彫刻といった方面の鑑賞眼を、彼は持たなかったようだ。それだけではなく、彼は人物像や、人物の彫像に対して、ある種の偏見に近い警戒心を持っていたようだ。それらが少しでも肉欲を暗示していると、彼の心は乱されるようだった。彼はミロのビーナスでさえ直視できないのだった。ある時、ローマ時代のミネルバの彫像に接したとき、その高貴な顔や胴体に静謐な思いを寄せていると、背後から見た臀部にしっかりと女性的エロスが表現されているのを見て、いたく幻滅した。男性の像であっても、肉体の誇張はやはり落ち着かない気分にさせた。そこで彼の美術に対する好みは、もっぱら自然描写に限られていた。フリードリヒやターナーの画集を取りだして眺めるのが、彼の美術鑑賞のほぼすべてであった。 音楽に関しては、彼はバロック音楽とモーツァルトまでの交響曲以外には、聴く耳をもたなかった。激情的なヴィヴァルディには心を揺さぶられすぎたが、バッハが適度に鎮めてくれた。そしてモーツァルトでくつろぐことができた。書斎にはささやかなコンポが置かれていて、読書や書き物の間の無聊を慰めてくれた。特に音響にこだわるなどというマニアックな鑑賞家ではなかったので、特別な部屋は必要ないのである。彼は根っからの読書人なのであって、観念や想像の世界に疲れた時だけ、感覚的な刺激を求めて、自然美や、音楽美におもむくのであった。幻影館は彼に必要なだけの、感覚的刺激、美的鑑賞の手段を備えていればよいのである。 そこで、幻影館の主人にとって美的生活の中心となる書物について記しておく。彼はビブリオマニアではなく、本のために本を愛するタイプの愛書家ではなかった。稀購書や贅をつくした装丁などというものには一切関心がない。よほどの黄ばみや汚損のないかぎりは、外見よりも内容がすべてであった。内容に関してはかなり気むずかしいえり好みを発揮したので、蔵書の種類ばかりでなく、数そのものが限られていた。いわゆる雑食家(omnivorous)ではなく、おのれの趣味にかなうかどうかがすべてであった。その趣味は年齢とともに広がりはしたものの、青春期につちかった美的関心が基調音となって、様々な変奏を加えたに過ぎなかった。Nothing great was achieved without enthusium.が彼のモットーであり、passionを感じさせない書物には低いランクを与えた。 彼は読書を、その知的内容および美的感動に応じて、精神の糧と心情の糧との二種類にわかった。青春期にはそのどちらかに比重を置くことができないのが、大いなる悩みであったが、野心から遠ざかるにつれて、どちらへも同等の価値を置くようになった。学者になるわけでも、詩人や小説家になるわけでもない。ひたすら読書を人生の意義として生きることが、彼の目標となって以来、気の向くままに哲学書を読んだり、詩や小説に熱中したりしたのである。彼の知的関心は青年期の無機的自然に対する偏愛から、哲学や思想へと移ってゆき、自然科学の勉強でつちかったデモクリトスなどの唯物論的世界観にもかかわらず、しだいに観念論哲学にかたむいていった。バークレイやヒュームの人間精神の分析から、カントによる綜合までを漁っているうちに、ショーペンハウアーを通じてプラトニズムへと遡っていった。その完成者であるプロチノスの「エンネアデス」が彼の愛読書であった。 心情の糧に関しては、少年期には科学書そのものや科学小説が、彼の無機的世界への愛を育てていたが、青春期の悩みの中で、ヘッセの放浪小説や、ポオの対照的に暗い想像の中にひたるようになった。トルストイの「人生論」は無機的愛ではなく、人類愛を説いていたが、彼には過大な要求に思われた。それよりも彼には、ヴェルヌのリーデンブロック教授の無機的探究心に強く引かれた。彼も時に人類愛を感じないこともなかったが、それは一時の熱病のような観念に過ぎなかった。醒めると幻滅を感じた。といって彼は人に不親切であったわけではなく、自身に干渉されたくないように、他人に無関心であったに過ぎない。恋愛や、人間喜劇に関する小説類は、つとめて避けるようにした。世の中に関して無知であることは、彼にとっても不安であったので、書物のうちに数えなかった実用書以外にも、最少限のリアリズム小説や、とりわけ犯罪小説や探偵小説で世の中をうかがった。しかし彼の本来のお気に入りの作家は、ポオやヴェルヌの系譜を引く、幻影館の主人にふさわしい、幻視者たちであった。 彼は単なる空想やファンタジーではなく、幻想的リアリズムとでもいった具象性のある幻想文学を好んだ。そのモデルは言うまでもなくポオやヴェルヌであった。たとえ想像の産物であっても、それが現実にならぶ迫真性を持っていることが幻想文学の要なのであって、彼がウェルズをその一部の作品(「タイムマシン」など)を除いてあまり好まなかったのは、いわばその不真面目さにあった。不真面目といえば、大抵の通俗SFはそれに当たった。ホラー小説などを避けたのも、ホラーそのものが目的とされているからであった。要は、文学が現実と対抗するためには、現実を凌駕する、あるいは少なくとも現実と同程度の真実性を持っていなければならないのである。さもなければ、人生と読書とを交換することなどは、もとより不可能なのだ。現にある存在よりも想像の存在がより良いものであるためには、想像は現実を凌駕していなければならない。それは二次観念でも、代用品であってもならない。美味しそうに描かれた料理よりも、実際にそれを食べてみるにしくはないのであるから。理想的な幻想文学は、それ自体で独立していて、完成された、持続的世界でなければならない。この特徴を兼ねそなえたものは、夢がそれに最も近い。しかし夢は現実からの隔離という長所の反面、断片的であり、無意識を介しての現実の侵入を受けるという点で不完全であるため、文学的彫琢を経なければ現実を完全に超越することはできない。しかし夢はあらゆる幻想文学の模範的出発点となりうるのである。 人生においてもはやなすことはなく、少なくとも死以外には、この人生に付け足すものがもはやないとすれば、読書が与えるものはもはや人生へのアドヴァイスではなく、人生そのものでなければならない。読書にかぎらず、美的生活そのものが人生なのだ。読書や美的生活は、人生の目的とすべきものではなく、そのこと自体が生きることなのである。彼にとってそれ以外に生命の意味はない。唯一、死だけが読書にアドヴァイスを求めるであろう。しかし、それについては幻影館の最後の、目に見えない扉を開かねばならない。 さて、幻影館の主人も、世の中の流れにまったく無関心ではないから、書物に代わるパソコンの登場に対して、最初は警戒心を持ち、ついで何らかの利用価値を考え、ついに館の中にその場所を設けるようになった。そこは書斎ではなく、客間に当る第一の部屋である。ウェブの世界に接してみて、それが世界のあらゆるものを包み込んだ一種の世間であることに気づき、それに幻影館そのものが汚染されないようにとの用心から、書斎に置くのを避けたのである。図書館も美術館も、娯楽も快楽も、善きも悪しきも、世の中のすべてがごったに詰め込まれているウェブの世界で、幻影を純粋に保っていくことは至難のわざに思われた。大抵の人間はそこで、情報という汚猥の中で、おのれを失ってしまうだろう。しかし世間というものは、そもそもそういうものなのだ。ウェブとは世間が電子的に集約されたものにすぎないのである。そのことを明らかに知った上で、世間の最良の部分と接するならば、ウェブには文明的価値があろう。 とにかくテレビもパソコンも、普段は幻影館の主人には用はない。場合によってはひと月もふた月も、彼は世間に関する情報には背を向けている。大きな地震があろうとも、世界でテロや戦争が起ころうとも、選挙や政権交代があろうとも、彼はショーペンハウアーとともに、「人類の歴史はすべてヘロドトスに記されている」とうそぶいている。人類は何万年経とうとも、少しも賢くならないし、科学知識や技術が人類を発展させたり、救うこともない。ただ一部の人間が、人類を超越していくだけである。――というのが彼の意見であった。この宇宙を探究することは人間の営みとしては最も崇高であり、なす価値のあることである。しかし、その知識の歩みはそれ自体に価値があるのであり、それによって人類全般が影響されるわけでも、進歩するわけでもない。なぜなら知識そのものが幻影だからである。幻影に生きることが生命の定めであり、自己制約である。たいていの生命はそのことに気づいていないけれども、意識という究極の幻影の発生によって、人間はそのことに思い至るのである。究極の知識という幻影を追い求めることによって、知識そのものが幻影であることに気づいた時、人間は自身が鏡の中の存在であるかのような感に打たれよう。その鏡とは他ならぬ意識であって、幻影の最たるものである。この宇宙、世界が幻影の幻影であるならば、人類の存在にいかほどの価値があろうか。幻影によって苦しみ、あるいは苦しめ、欲や野望に走り、喜び、悲しみ、憤り、愛し、愛され、全体的意志に翻弄され、集合的運命にあやつられ、不安や、恐怖にかられる、この人類にいかなる進歩や、未来があるだろうか。すべてが幻であるならば、せめてより良い幻に身を捧げよう、そのために人は孤独な享楽を求めるべきである。共感や同情は人を弱くして、悪しき幻影へとおもむかせる。とはいえ孤独の快楽は、最も困難な道である。それ故に幻影は純粋でなければならない。幻影館の主人は、ささやかな幻影の館において、その最適の条件を探究しつつ、それに挑戦しているようだ。 UP:2018/4/30 copyright: 2018 shu kai |
続・幻影館の人生 人生には幻影となしえない部分が多くあることを、幻影館の主人もよく心得ている。幼少年期の大人に対する恐怖心から、徹底した人間嫌いになっていた彼は、人生を設計するに当たって、なるべく少なく世間との交渉を済ませるために、すでに学生時代から綿密な計画を立てていた。模範は西洋の修道院生活であった。ただし信仰にもとづいた共同での質素な生活ではなく、庵にこもる隠者の生活であった。それを現代の機能的な住宅の中で実現しようというのであった。最初は、簡素なアパート生活しか想像できなかったが、不幸が転じて幸運となったことから、「さかしま」の主人公の贅をつくしたデカダン生活には及びもつかなかったが、ささやかな幻影館を構築できたのである。生活はあくまで美的人生においてもついてまわる。それの必要最小限の日常の需要を、最小の手間と、最小の世間的交渉において満たすことが、どんな隠遁者にも要求されるのである。 彼はまず学生時代に、その生来の人間嫌いから不快な目にあいはしたものの、運転免許を取っておいた。それを普通の人のように就職や職業のために使おうというのではなく、車という交通手段が与える、抜群の個人性に引かれたからである。幻影館の生活を始めてからも、日常の必要品や食品は、週に一回あるいは月に一回の、車での買物でまとめて調達した。そうした単に生きるためだけの雑事は、最小の時間を要求できるに過ぎなかった。車を使っての気晴らしとしてのドライブのようなことは、めったに彼の気持をそそらなかった。何よりも車の込んだ道路を通らねばならなかったし、彼には放心癖があって、しばしば危ない目にあうからである。それよりも彼は、身体の健康のために、子供の頃以来乗ることのなかった、自転車での郊外への外出を好んだ。しかしそれは幻影生活を始めてから、かなりのちのことである。 身体の健康に関しては、彼はスポーツマンでも、運動神経にすぐれたわけでもなかったが、単に健康のために必要な運動をおこなうことを心がけていた。その意味では、彼はデ・ゼッサントのようなデカダンではなかった。美的生活においても、健康をそこなえば、その享楽は半減してしまうので、つねに心身において快適であるための養生を怠らなかった。生活そのものは決して贅沢ではなかったが、病や生来のアレルギーを起こす原因に対する恐れから、常に清潔を心がけていた。髪は自ら短く刈り、下着は毎日換え、日々の入浴を怠らなかった。彼は夜を愛したが、また光をも愛した。余りに夜に耽りすぎると、無性に昼の光が恋われてくるのであった。昼は夜に疲れた彼を健康にした。人間嫌いではあったが、彼は子供の頃から星と同様に、太陽にあこがれていた。昼と夜との交替に、自然の神秘を感じ、青空の中でまばゆく照る太陽が昇るとともに、夜の神秘とは違った希望のような心の躍動を覚えるのだった。そういうわけで、この幻影館の主人は、その当初においては、ひとまず人間界を忘却した夜の世界にひたったものの、やがてある種の倦怠が訪れてくることになった。 ギッシングの「ヘンリー・ライクロフト」を読んで、彼は忘却していた昼の世界を思い出した。さっそく郊外の田畑の間の、昼の畦道を歩いてみた。怪訝そうな目で見る農夫を避けて、野道を行く彼は、路傍に生える雑草の名をまるで知らないことに気づいた。外出のたびに、道端にささやかな花を咲かせる、それらの雑草の名を覚えることにした。人間どもによって奇妙な名を付けられていたが、人の名よりは面白く思われた。幻影館の庭にも、それらの雑草は沢山生えていた。これまでただ刈り取るだけだったそれらのやっかいな草ぐさに、愛着さえ覚えるようになった。彼の郊外の散策は、どんどん遠くへと広がっていった。そして彼方につらなる低山帯に、彼の興味は移っていった。元来が都会人であった彼は、山に対してはある種の不安と恐れを抱いていた。登山どころか、ハイキングの経験もあまりなかったが、小中学生の頃のハイキングを思いだし、ある日バックパックを背負って、おそるおそる手頃な低山に登ってみた。夏に近い頃だったので、ただ蒸し暑いだけであったが、意外に体力のあることに気づき、頂上からの眺めに労力が報われた気がした。平日であったので、人一人出合わなかったが、それが幻影館の主人にはふさわしく思われた。館にこもらなくても、自然の中にも孤独者の幻影を求めることが出来るのだ。ただしハイキングや登山は、ひたすら単調な労苦であった。ある種の苦行者にはふさわしい、心を空虚にする肉体の酷使であって、場合によっては徒労感を抱かせる、精神的に無意味ないとなみに思われた。そんな空虚感のなかでも、突然の景観が開ける時には、はっとする美的感動に打たれるのであった。その感動は、あらゆる美がそうであるように、一時的であって、たちまちに弛緩してゆくが、その瞬時の体験は一生にわたって残るのである。 生来とじこもり癖のある人間であった彼は、理想の領域である室内空間を、幻影の生活の拠り所としたのであるが、心身のバランスが崩れてくると、どうしても戸外への、とりわけ自然の広い空間への願望に抗しきれなくなる。低山へのハイキングは、その一つの心の解放のいとなみであったが、やがてもっと広い空間への渇望が起こってきた。それは「心の物語」のジェフリーズが抱いたような、海を見ることへのあこがれであった。彼の心は都会を一気に飛び越して、海へと向かっていった。山や森は、それらの隠微な閉鎖性と大空の広がりとの対照において、心を両方向に牽引していたが、海は、それを見ることは成人してからはめったになかったのだが、久しぶりにそれを目のあたりにした時、冬の海であったが、その冷厳な青の広がりの圧倒的な重量感がかもす無限への畏怖と解放感によって、彼の幻影生活に新たなものを付け加えることになった。彼は幻影館を留守にすることは、心残りであったが、海を見るために数日の旅に出ることもあった。世の人のように、海水浴や釣りなどに関心があるわけではない。ひたすらごつごつした荒磯や、人の姿のない砂浜を、海原を眺めながら歩きつづけるだけであった。この海岸ウォークは、瞑想と自由感との時であった。言葉にならない思いが、ある憂愁感とともに、孤独な散歩者に連れ添った。絶えず打ち寄せては返す磯辺の波を見ていると、人生のあらゆる反復の徒労が思われた。そして目を遠くの水平線にやると、そこには海のイデアが、あらゆる細部を飲み込んで、燦然と輝いていた。 自然界は一つの幻影館である。彼はもはや人工の空間にのみとじこもることの無意味さに気づいた。幻影館そのものは、人間社会に対する一つの砦である。それはそれで、彼が自己の思想や趣味の潔癖を保つためには必要であった。しかし美的生活は、この宇宙全体が与えてくれるのである。自らとじこもらなくても、この宇宙が美のイデアによって、彼をとりまいているのである。この宇宙そのものが理想の幻影館なのだ。生命の欲望や妄執によってとらわれないかぎり、この世界は精神的な美に満ちているのである。自ら備えなくても、それをこの宇宙において探求すればよいのである。その手段はさまざまである。ミクロからマクロまで、科学が開示する美観ばかりではない。眼であれ耳であれ、それらが伝える感覚表象そのものがある種の奇蹟なのだ。それに気づきさえすれば、いたるところにイデアは発現するであろう。 彼が自ら築いた人工の幻影館を離れて、自然の中に幻影を求めるようになったとはいえ、人間観の根本において、彼が幻影館で培った洞察は変わることはない。人間は孤独において、この世界の本質を知る。真も善も美も、すべて孤独な思索の中から生まれるのである。 「実際、地上における神の傑作を正しくながめたい者は、孤独にあってそれをながめねばならない。少なくともわたしにとっては、人間ばかりでなく、大地に生える声なき緑の草木以外ありとあらゆる生き物が居合わせても、それは風景の汚点となり――景色の真精神とは調和しなくなる。暗い谷、灰色の岩、静かにほほえむ川や海、途だえがちの眠りにため息をつく森、目を光らせてすべてを見おろす誇らかな山々――わたしはこれらのものそれ自体が、生命あり感覚ある一つの茫洋たる統一体の、それぞれ巨大な器官にすぎないと思いたい。」(E・A・ポー「妖精の島」より、松村達雄訳) Up : 2018・6・12 copyright : syu kai 2018 |
幻影館の彼方へ 思想と心情とは、時として乖離し、一致しないことがある。このことは行為において迷いを生みだすもととなる。行為の原動力は、なんにしても心情の方が優勢である。意志と心情との結びつきの方が親密であるからである。しかし思想もまた、それなりに強固な意志との結びつきが可能である。ただし、それはつねに思想と共に保っていなければ、いつしかゆるんでしまう性質のものである。思想には生への意志と逆行する要素があり、それが強いほど、生への意志の援けを得られないからである。まして生への意志の否定の思想においては、本来否定すべきもののエネルギーを借りているのであるから、いつ裏切られないとも限らない。日常的には、むしろ思想とは無関係のエネルギーの現われである心情もしくは意志に、支配されているといってもよい。ここに思想と行為との矛盾が起こるのである。 幻影館の主人の思想の根幹は、孤独における自己自身の享楽であるが、なんと言っても生命的人間は社会的、もしくは群居的動物であり、その心情もつねに他者へ向かおうとする社交の欲求に、悪くすると他者への依存の欲求に、支配されがちである。孤独者はつねにこの欲求をしりぞけ、抑圧し、格闘していなければならない。しかし、うっかり心情の欲求に負けそうになることがある。その時、堅固な思想の持ち主ならば、その心情や、その心情がもたらす行為に対する嫌悪や憤りがわきおこり、いわばそれらの前に立ちふさがって、彼の思想の純粋性を守るであろう。その意味では、真の思想の持ち主は、きわめて頑固者であり、それによっておのれの理想的生活を守り通すことになる。 幻影館の主人にとって、館は彼の城であり、世間の侵入からの砦である。そこには余計な人間ばかりか、社会的な配慮さえ、最小限の侵入が許されるに過ぎない。他方、世間の中で孤立した存在が際立つことも、極力避けねばならない。隠れて生きることが、彼のモットーなのであるが、そのことが目だってはならないのである。その兼ね合いは、彼の苦労するところであった。その点ばかりが、幻影館の主人の、社会に対する顧慮であった。彼にとって、人間とは個人であり、個人以外のなにものでもなかった。古代ギリシャのポリス国家においてはいざ知らず、思想的、経済的に成熟した現代においては、人はもはやポリス的人間である必要はない。幻影館の主人にとって、個人の生き方に干渉するあらゆる制度、あらゆる権力は悪であった。たとえそれらが親切心や、福祉などをよそおった、社会的おせっかいに出でたものであっても、彼には不快な悪であった。しかし彼とても、法に逆らったり、無視したりすることの不利益を知らないわけではないので、最低限の妥協を、法や社会に対して、場合によっては社会的マナーに対しても、いわば演技的に行ったのである。こうしたことが、彼の社会人としての行為のすべてであった。 思想と行為との矛盾は、社会との衝突や配慮において最も起こしやすいのであるが、それを消極的な拒否によって回避することにより、社会的な不愉快は最小限にとどめることが出来るのであるが、最も解決困難な矛盾は、やはり幻影館の主人の内面における格闘であった。「同じ心の友」を求めることの困難を、彼は兼好とともに嘆いたのであるが、そもそも孤独者は、かりに同じ心の友であっても、そこにはある種の羞恥の壁が生まれるであろうことを、彼はよく知っていた。孤独者どうしが馴れ合えば、もはや孤独者ではないからである。孤独者は基本的にエゴイストなのだ――たとえ相手に何ひとつ求めないエゴイストであるとしても。孤独者はおのれ自身の独自性を大事にする存在なのだ。だから、同じ心であっても、同じ思想、同じ心情を求めるわけではない。彼はむしろ、ドッペルゲンガーを拒否するかもしれない。彼はself-reliance(独立独行)を大事にすることにおいて、selfish(利己的)なのである。 孤独生活において最も困難な欲望の克服は、言うまでもなく性欲であるが、彼のわずかな間の勤め人としての社会生活において、同僚に誘われての放蕩に陥った一時期をのぞけば、幻影館での生活を始めて以来、彼はすっかり女色を断っていた。釈迦のようにあきるほどの愛欲に溺れたわけではないけれど、その放蕩の記憶は、嫌悪と刺激との両方向に彼の心情をかき乱すことがあった。彼の人間嫌いは男女両方面に及んでいたが、もとはといえば彼の女性嫌悪は、幼少年期に始まる片思いによる何度もの失恋に原因していた。青年期に立てた彼の人生の設計図には、もはや恋愛だの結婚だのというものは存在せず、かといって女色なども論外であった。女のいない人生が彼の理想であったのだ。幻影館においては、彼は修道僧に倣って、あらゆる性的刺激を遠ざけることをもって始めた。一時期読んだポルノ的小説や、性愛に関する書物は、すべて焚書した。つぎに、動物蛋白、すなわち肉食が性欲のエネルギーとなることを知り、ヴェジタリアンではないのだが、つとめて避けるようにした。しかし脳はそうとうな大食漢であり、難解な書物を読むためには、それなりのエネルギーが必要であることが分かり、そうした時には肉食をした。粗末な食事では、読書さえままならなくなるのである。 孤独生活において、次に克服の困難な欲望は、ある種の自己顕示的な野心である。そもそも孤独者はエゴイストであるのだから、普通以上に自己の独自性に対する信念やこだわりが強烈である。もし他者と議論するならば、必ずなんらかの点で反論し、衝突するであろう。こうした自己主張や、自己顕示の欲求は、ある種の欲求不満によって、孤独者の求める静謐な心情をかき乱すのである。こうしたいわゆる承認願望は、生命欲の中の度しがたい集団への意志からいでている。たいていは物を書くことによって、その欲求をある程度鎮めることになる。幻影館の主人も、厖大な書き物の中に、その欲求を発散していたが、いまだ一冊の本も著してはいない。おのれ自身をのみ読者として、書きつづっているのである。しばしば自己の文章を読み返し、気にいったものは日々の薬のように、気持の迷う時の手引きとしているのである。この「幻影館の人生」そのものが、幻影館の主人の、最も気にいった文章なのである。 孤独者の人生は、静謐な喜びと、自己克服の格闘と、悔いと勝利との、絶え間ない連続である。そこに生命の究極の法則が介入し、やがてどのような人生も終末を迎えねばならない。青年期において幻影館を構築して以来、世の有為転変に背を向け、ひたすらおのれのための人生を生きてきた果てには、幻影館の主人も、あらためて、幻影館の生活の終末の予想という、最初のプログラムにおいては想像の困難であった事態に対して、再構築をせまられてきた。つまり彼は、老いと死という事態に備えねばならなくなったのである。金銭的には、すなわち生命維持のための最低限の必要をまかなうことにおいては、わずかな年金であっても、一人暮らすには十分であった。若い頃に想像のつかなかったことは、老年期の心的、身体的、不確かさである。ほとんど大きな病にもならず、幾十年と過ごしてきた彼ではあるが、人生の半ばをすぎ、老いの名のつくころから、少しずつ生活を変化させねばならなかった。知力に関してはほとんど変わりはなかったが、あれほど抑制をこととした肉体の活力が目に見えておとろえ、そうなるとかえって肉体をあまりに無視してきたことが悔いられさえするのだった。肉体は、彼に長く連れ添ってきた、いわば、がえんぜないペットのようなものであった。ある種の寛大な慈しみさえ覚えるようになった。その反抗的なライバルにして、場合によっては同志であり共犯者であった肉体は、老いることによって、彼自身の幻影生活にも深刻な影響を与えるのであった。 かつて人間に限らず、どのような生物にも、老いは死と直結した。人間だけが少なくとも老いを長びかせ、<天寿>というものを可能にしている。その結果、人生とその終末との有様は、大きな変化を遂げた。いわば、そう簡単には死ねなくなったのである。人生の終末は、老いによる単なる死ではなく、そこに至るまでの、延々と続きかねない、無能と無力の時なのである。それに孤独者はどう対処したらよいのか。ある日突然に、不治の病による衰弱や、脳梗塞や心筋梗塞で倒れるかもしれない。あるいは、認知症によっておのれ自身を失うかもしれない。孤独者にとって、寝たきりの状態などはありえないのである。そうなるまえに、自らなんらかの決断をなしうる、備えをなしておかねばならない。すなわち、死の準備である。孤独者は孤独に死ぬ外はない。この覚悟を、幻影館の主人もすでに固めていた。突然の無能・無力の状態に陥った時に、唯一可能な対処法は、できうべくんば、自らの意志による死の外にはないのである。彼は最後の時における自殺の方法を、あれこれと考えた。突然の病で、苦痛の中に死ぬこともありうるが、最悪は四肢が麻痺したまま、寝たきりになることである。そのまま餓死するのを待つのも良いであろうが、そのように苦痛を長びかせるよりも、なんらかの自殺の手段を準備するにしくはない。その点では、ストアの賢人の毅然とした意志が必要である。彼らのように、毒薬を身に常備しておくのがよいであろう。 自らの死を自ら選ぶ。これが幻影館の主人の、幻影館における最後の幻影の試みなのだ。死はどのような神秘を宿しているのか。唯物論者にとっては、単なる消滅にすぎないものが、最後の偉大なる幻影として、幻影館の主人の究極の探究の対象となる。死の秘儀は、死の瞬間において、必ずや開示されるであろうというのが、彼の確固たる信念であり、希望でもあるのだ。彼は神や仏を信じていないが、自我の究極的存在についての確信を抱いている。それはニーチェのような永劫回帰の思想ではなく、自我の唯一無二性にもとづく、時空を越えた絶対性の信念である。それは幻影館の主人の哲学的思索の中心を成しており、その最後の実践が死そのものなのである。 死に伴う世俗的な事柄も、ある程度事前に準備しておく必要がある。彼は遺骸の始末を、海か山かに散骨することにし、その手配をそうしたサーヴィスをうけおう会社におこなっておいた。遺産は遺言によって遠い親戚に譲り、処分できるものは少しずつ自ら廃棄することにした。そもそも、彼の自我の思想にもとづけば、死によって時空を超越した存在となる自我は、彼が生きた時間空間とは、そればかりかこの宇宙とも、たちまち無関係になるはずであり、何を残そうとも、どんな死に方をしようとも、水の泡にも似たこの現世の幻の、さらに幻にすぎない瑣事である。死はすべてを解消させるのだ。そこには善も悪も、恥も後悔も誇りも罪もない。死こそが勝利者なのだ。私を殺すものは、私を勝利へともたらす――それが幻影館の主人の洞察した、人生の真相なのであり、宇宙の真相なのだ。 しかし、その究極の境地に到達できるためには、ただ願望や希望や信念だけではおぼつかない。生への意志は強固で度し難いものであり、自我がそれに打ち勝って空の境地に至るには、周到な準備が必要であり、たぶんこれまでにそれを生きて為しとげた人は、釈迦のような人物をおいての外にはないであろう。それをごく普通の人間でも、ある瞬間において為しとげることを可能にするであろう出来事が、死なのである。少なくとも、幻影館の主人はそう信じている。死を意志によって克服するのではなく、死を契機にして、生への意志を克服するのである。禅宗において、ある高僧の死に際におけるエピソードがある。死の床に集まった弟子たちは、高僧の最後の言葉、辞世を求めたところ、ただ「死にとうない」と答えたというのである。なんど訊いてもそう答えるので、弟子たちはあわを食ってしまった。 このエピソードは、表面馬鹿げているようだが、深い意味がありそうである。死の瞬間においては、まさに死にたくないという生への意志との格闘がすべてであり、そのような時に辞世などという、つまらない生への執着にこだわっている余裕はないのである。何を残していくかではなく、すべてを捨て去ることが究極の救済なのである。そこには他人の介在も、他者への配慮などという余裕もないはずである。死は徹底して自己自身の問題である。そこに執着を残したり、他人への依存心や愛着が残るならば、その生への意志はある種の種子としてこの宇宙に残り、ふたたびこの生老病死、四苦八苦の世界に転落し、幾度も輪廻転生を繰り返すことになるであろう。生への意志は、まさにそのような盲目の意志なのであるから。 生命へのいつくしみ、それをも離れることは生への意志の克服の最大の難関である。ポオの「ライジーア」やハーンの「お貞の話」の美しさは、生の幻の美的・心情的誘惑のいかに拒み難いかを知らしめる。あらゆる苦悶と苦悩とにもかかわらず、生命はやはり美的享楽の余地を残しているのである。それをひたすら求めたのが、幻影館の主人の人生であった。しかしすべての幻は終わらねばならない。この宇宙そのものがいつか終わりを遂げるように、ささやかな幻影館の一生も、その終わりの時を迎える。その時は享楽をもってそれを迎えるのではなく、この生に美を与えたものに感謝しつつ、自我の本来のあり方である空の世界へと帰還の旅におもむくのである。美しい幻や、美しい心情に別れをつげ、まして恐怖や不安を遠のけ、何ひとつ欲することのない、何ひとつ願うことも、希求することもない、一言でいえば、意志・意欲ばかりか、あらゆる心情や情念をも捨て去って、単に無とか空としか言い表わせない、自我の根源の状態に帰るのである。神秘主義者はそれを<神>と呼んでいるが、その神は私自身なのである。 UP:2018・6・23 copyright : shu kai 2018 |