サロン・ウラノボルグ
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2.夜男爵の<鏡のバラッド> 余かつてシベラリアを旅せしことあり。余の心に氷のごとき憂愁ありて、寒冷と黄昏のいざなうままに、かの凍れる大地と針葉樹の荒涼たる地方をさすらいたり。ある暮れ方、土民の住める小さき村にて、酒亭と旅宿とをかねたるいかがわしき家に宿らんとせしに、亭主はじめ居あわせたる村人、余が一歩扉より踏み入るや、驚愕と恐怖を面に現わせり。亭主奥に逃げ込むかと見えしに、一本の上等の火酒を差しいだし、今日のところはこれにてご容赦をと震える声にて嘆願したり。余、人違いなるを察し、そのよしをつぐるに、亭主改めて余の顔をまじまじと見て、あまりのお顔の暗きに、例の魔人と思いたりと云えり。 余興趣を覚え、余の面影に近き魔人とは如何なる者なりやと問いしに、亭主おずおず語りいずる所によれば、この村の東のはずれの深き森の奥に古き館あり、長くひと住まずありて荒廃すれば、もろもろの魑魅の棲家となれり。村人恐れて近づかざれども、この頃酒好きの魑魅現われ、しきりと村人から良き酒を奪いたり。この魔人面はモールのごとく黒く、目は燃えし石炭のごとくして、地獄の劫火もかくやと思われたり。頭には幾重にも布を巻き、身に長き寛衣をまとえり。余の風体やや異なりて、目にも炎無けれども、もしや眷属にてもあらんかと恐るるを、余からからと笑い、亭主の悪相と村人の下卑たる相をこもごも見、不運の旅人の幾たりか彼らの手にかかりしならんと例のハウフの旅宿も思い出され、彼らの災いには一向に同情せざりき。 余、今宵の宿はかの魔人の館と決め、彼への土産とて亭主の手より火酒を奪い、戦きつつも安堵せる悪党どもを後にしたり。すでに黄昏深けれど、余が馬はますぐに東の森へ向かいたり。森の奥深く余は目ざせる屋敷を見い出したり。白夜なればその荒れし様目に露わなり。窓落ち寒冷ふさぐべくもあらず。ファサード崩れ、扉傾きたり。げに魑魅より外の住むに相応しからず。余物思いに耽りつつ荒れし部屋をめぐりしが、階上の寝間とおぼしきに、身の丈ほどの青銅の姿見あるに気づきたり。そが黒き底ひに余が姿仄かに映りたり。余は己が姿に魅せられしまま、しばし佇みたり。余不思議の思いをなせり。余の見し姿、余自身にしてまた余ならず。如何なればと云うべからず。ただ、今一人の余そこに立つなり。余が眼をしかととらえ、余に何事をか語りかけるなり。そは歌の如く、詩の如く、余が心の耳に朗々と鳴り渡りたり・・・・・。 . |
君は知るか かがみのくにの かがみのひみつを 青い波に ひるがえる 銀色のうおかげを ふるさともたない かがみのたましい 天にさまよい 地にさすらい あらゆる光るものに あらゆる映るものに うおのすがたを きらめかせる うまれながらの 宿なし人 聞け! 放浪者の歌を 寂寥と悲哀の 旅人のバラッドを 北の果ての 氷の国の 夜と魑魅と 荒寥のさとに 思いこごえる さい果ての地に 灰色の化鳥の おぞましき叫び 恐怖のいてつく 断崖にこだまし ウルマンの古木にわけいり タイガの巨木にふみいり かつてはおれの悩みが かつてはおれの悲しみが この国のあるじ その年の春 のぞみが南へはばたくまで 幸と温暖の浜辺が 自由を胸に波うたせるまで ウルマンの古木にわけいり タイガの巨木にふみいり 銀色の渡り鳥 灰色の霧の渦 氷の舟帆をはらみ 鈍色の雪片をくぐり ウルマンの夜にさまよい タイガの闇にさすらい ふかいふかい森の中 星ぼしの道しるべ しるべない道の 道しるべ いつしか森の 枝えだにまぎれ よるべない身の 夜の旅 森の闇は 星のない闇 森の夜は 月のない夜 とかげのように いもりのように 夜にひしがれ 闇にうなされ あてどない身の 森のさすらい ふとほのみえる ともしびひとつ うちふすまなこ こころのやみ のぞくかのよう ふるえるかのよう おにびひとつ 身は地にはい 手は朽葉かき 足はこけひきずり まなこはとらえる おにびひとつ のぞみのおにび にわかに月わく くろぐろしずむ谷 谷のいただき 谷のなぞえ つち色の月あかり わらう つち色の月のひかり おどる 森のおあしす 森のひみつ くろくしずもる 家々の影 あかりのたえた かくれ里ひとつ つち色の月のもと つち色の梢のもと ひそかにはいより ほのかにたたく 家いえのかど 里人のしょうそく こたえなく いらえなく むなしいこだま かぜにさらわれ こころおもく あしおもたく ひきずる廃墟のちまた とある破れ屋に 流れる月あかり ふとさそわれて こよいのやどり この月の屋根 思いもよらない 破れ屋のぬし 姿ものすごく 顔やつれ 廃屋の奥より でむかえる 身はこごえ たましいすくみ 目ははじける おぞましい亡霊よ おそれのとりもちに えものをとる たましいのハンターよ どれほどの時を 待ちもうけたのか 解放の時を 身は凍ったまま にらみあう あるじと客 月ながれ 月あかりあふれる そのいく瞬を おそれのかごに はばたく小鳥 笑え こころよ 笑え 森のしじまに 森のあやかしのものら おびやかす笑い 死の里の 時の沈黙 さわがす哄笑を 客手をふれば あるじまた手をふり 客はねれば あるじまたはね 客笑えば あるじわらう われをむかえるものは この地のうえに ただわればかり 永いひとり旅に わがおもても またものめずらし 他人(よそびと)のよう 鏡の世界の 住人(すみびと)のよう つちけ色の月影に くもりない鏡の 青銅の鏡の わがこころ 久しく笑わないこころ わがうつせみのすがたに わがかたわれに わらいなごむ わらいくつろぐ はてしなく とどまるはてなく わらいくずれる われのおどるか 影のおどるか 鏡のなくか われのなくか いつか手に手をとり 足拍子あわせ ともにわらい ともにかたらい 舞いくるう われが鏡か かれが鏡か われがかれか かれがわれか いまははや 知るよしもなく ともに踊り ともにわらい いつしか青い 波のなか われひとり われひとり 鏡のうおと たわむれる 君は知るか 鏡の世界の 鏡のひみつを 青い波に ひるがえる 銀色のうろくずを ふるさともたない かがみのたましい 水にさすらい 空にさまよい あらゆる光るものに あらゆる映るものに うおのすがたを きらめかせる 君のまなこの かがみにも * * * |
マリネンコ 「ニャーボー、バロンの詩はいつもながら耳に快いにゃり」 ダルシネア 「相変わらず、お暗いのがお好きのようでございますわね。わたくしには、何のことやら呪文のようでして、ちょっと薄気味が悪くなりました」 マリネンコ 「にゃんともうすか、にゃんもまた鏡の世界でうろくずとたわむれてみたいぞにゃん」 ダルシネア 「何ですか、その鏡の世界の住人とやらは」 ナタニエル 「えーと、僭越ながら、奥様、盲目の詩人ボルヘスもまた、鏡の世界に色々な生き物が棲息していることを伝えています」 ダルシネア 「ボルヘスさんには失礼ですけれども、それでなくても娘が怖がりますから、余計な穿鑿はほどほどに」 ブルフローラ 「お母様、いつまでも私を子供あつかいしないでね。影おじ様の詩は、今では私には心地よいの」 バロン 「それはそれは、恐縮でござるな。姫もいつの間にか、怖がり修行なされたと見える。余が若年のみぎりの、つたない詩でござった。以来モーグル氏とは、親しくお付き合いを願うておる。そののち、かの館は土民どもに襲われて灰燼に帰したれど、余かの鏡を救いてウラノボルグへ持ち来たりたれば、彼もまたマリネンコ殿の親しき客人となれることは、皆様もつとにご承知のとおりじゃ」 ダルシネア 「モーグルさんがいつも覆面をして、黒い眼鏡をかけていらっしゃるのは、お話のような事情でしたのね」 バロン 「ご婦人方を不必要に怖がらせないためです」 ダルシネア 「どちらにしても不気味でございませんこと。幸いお優しい方ですから・・・」 バロン 「かのドラコラ候とは違いまして、ご婦人に対しては慇懃この上ない方ですから」 マリネンコ 「この鏡の中へは、どのようにしてもぐりこめるのにゃ」 バロン 「鏡の世界の住人の手引きが必要なれど、要はかの世界へ到らんと願う意志でござる」 ダルシネア 「まー、にゃんさまは三百年のお居眠りからお覚めになったばかりと言うのに、今度は私たちを置いて、鏡の中へ消えてしまおうなどとお考えなのですか」 マリネンコ 「にゃにゃ、帰れぬ旅ではにゃかろう」 ダルシネア 「許しません」 バロン 「まあまあ、奥様。マリネンコ殿、帰れぬ旅ではござらんが、時空を異にするゆえ、思わぬ長居をすることになろう」 マリネンコ 「さようか。このうえ時空を混乱させては、読者も困るであろうにゃん」 ナタニエル 「お話の途中ですが、これがこの世に幾つかあるという、伝説の異世界への扉ですね」 バロン 「ご存知か」 ナタニエル 「アメラリアの原住民の間で噂に聞きました。彼らはそれをナグアルと呼んで恐れています。一体これはどのような金属で出来ているのでしょう」 カイメラ 「私も興味を持って調べてみたのですが、見たこともない軽金属でできています。火にも耐え、軽々持ち運びできるのは、この世の物質ではないからでしょう」 バロン 「この世には、科学が夢にも知らぬことのあるものじゃ」 カイメラ 「いにしえのアルケミストの製作でもありましょうか。彼らは永遠の生命を坩堝の中に探究しておりましたから」 ナタニエル 「えーと、彼らは永遠不滅の金属が不老不死をもたらすと考えていたのですね」 マリネンコ 「にゃれば、この鏡の中に不老不死の世界があるにゃめり」 ダルシネア 「にゃん様は今のままで充分に不老不死でございます」 バロン 「かのいにしえの王者や英雄たちが、もとめて得られなかった世界がここにござる」 マリネンコ 「いにしえの王者や英雄たちは、どのようにしてそれを探し求めたことにゃらん。不滅の生命と、不滅の名声とを」 ブルフローラ 「そのことなら、お父様、カイメラ先生が詳しくてよ。いにしえの英雄についての、うんざりするほどたくさんの詩を聞かされましたわ。おかげでお兄様などは、実際に英雄になろうとして、お城を出て行ってしまいました」 ダルシネア 「まあ、ダックスが家出したのはカイメラさんのせいでしたの!」 カイメラ 「申し訳ありません。お坊ちゃんは知らぬ間に、マーヤスキーの<ブレーニン>を読んで感化されたと思しく、世の中を改革するのだとおっしゃって、無常の世に飛び出して行かれました。もっともマーヤスキーはこの詩を書いた後に自殺しましたが」 ダルシネア 「このお城の他は何一つ知らずに育ったダックスが、災いと争いの渦巻く世の中でどんな目にあっていることやら、胸が痛みます」 ブルフローラ 「あら、お兄様はよく町のよたものたちと、一夜を明かしていましたわ」 カイメラ 「えへん。奥様、ダックスお坊ちゃんは奥様に似てしっかりしたお考えの持ち主ですし、これと決めたら実行せずにはいられないご気性なのです。世の中に出ても、きっとご立派に生きていられることと思います」 マリネンコ 「にゃんの息子なら心配あるまい」 ダルシネア 「あなたの息子だからこそ心配なのです」 バロン 「ご子息のことはご心配ごもっともでござるが、ダックス君の気性ならばおめおめ世の荒波に負けることはなかろうと存ずる。いずれ消息も知れもうそう。ところで、カイメラさん、ひとつ余の詩の口直しとして、いにしえの英雄の勇壮な物語でもお聞かせ願えんか」 カイメラ 「わたくしは物語を作ることができませんので、ひとつ英雄詩講座でよろしければ」 バロン 「ぜひ願いたい」 (次回はカイメラ氏の英雄詩講座その一<ギルガメシュ叙事詩>の予定) |