サロン・ウラノボルグ番外編2

カイメラ氏の英雄詩講座(2) <ホメロス


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 サロンの面々は管理人の無精のためにただいま休眠中でありますが、またまたキリ番が近づいてきました。今回はエポス文学館2周年に当たりますので、特別ウェブ講座として、ウラノボルグ城執事兼家庭教師のカイメラ氏に接待の役を依頼しました。もともと学者肌の人物ですから、気の利いたお世辞一つ出るわけでもありませんが、ひと時グラーフ・マリネンコを味わいながら、憂世を離れた古代文学談義に日ごろの憂さを忘れてください。――ウェブマスター敬白


 カイメラ氏の英雄詩講座(2): <ホメロス>

        


            使用テキスト:「イーリアス」呉茂一訳、他。

 (1)

 ホメロスの翻訳も解説も研究も、専門家の手になったものが沢山あります。今更ここで紹介などと、ギリシャ語を知らない素人のわたくしが、皆様にお話しするのもおこがましい限りではありますが、いささかドン・キホーテじみた“世界文学”という風車に挑む周遊の旅に乗り出した以上は、このひときわ大きな未知の島影を見て、長逗留はしないまでも、あちこちの景観を見て回りたくなるのは、物見高い旅客の一人として、わたくしもまた多少の無謀な気持ちを抑えきれません。もちろんハンマー片手の、あるいは胴乱を肩から下げたナチュラリストではなく、ただの物見高い見物客ですから、学術的な観察というよりは、気楽な旅行者の印象記風の饒舌と、予めお心得おき下さい。その際、案内記と首っ引きの旅行者が、いささか手前勝手な観察やら推理やらに我を忘れがちな折々も見受けられましょうが、あながち無責任な旅行者のよた話と受け取られないだけの配慮は、わたくしも怠らなかったつもりです。百聞は一見にしかずですから、わたくしのお話で興味をもった方々が、伝説の島影を求めて、それぞれの航海に乗り出すことが、この拙い案内のレゾン・デートル(存在理由)であります。
 さて、余計な前置きはこれまでとし、先ずはフィンレイ(Finley)のThe World of Odysseus (Penguin)や、高津春繁「ホメ−ロスの英雄叙事詩」(岩波新書)などに従って、基本的なデータから入ることとしましょう。始めに<ホメロス>という名前についてですが、これは今日では二人の作者をあらわすという説が有力であります。「イリアス」と「オデュッセイア」の両作品がまとまった形をとったのは、紀元前8世紀の後半であり、「オデュッセイア」は「イリアス」よりもやや遅れて成立しました。「オデュッセイア」の作者は「イリアス」の作者と師弟関係にあるか、あるいは少なくとも「イリアス」を模範にして「オデュッセイア」が作られたものと考えられています。両作品の雰囲気に違いのあることは、例えば「崇高について」の名の知れない著者(ロンギヌスとされてきました)が、「イリアス」を壮年のホメロス、「オデュッセイア」を晩年のホメロスの作としたように、古代からつとに知られていたことであります。それにしても、両作品がスタイルの上でも語法の上でもかなり似ているので、今でも同一の作者のものとする学者もあるようです。こういう<ホメロス問題>については、19世紀の末から行なわれてきたオーラル・エピックの研究が大いに進歩をもたらしました。
 「イリアス」と「オデュッセイア」は古代ギリシャの“暗黒期(ダークエイジ)”の何もない闇の中から、突如としてスーパー・ノヴァのように出現したのではなく、背後に爆発までの長い口承文芸の伝統が連なっているのです。「オデュッセイア」の中に描かれているように、プロフェッショナルな歌人(singer)は、古代ギリシャの共同体の中で安定した地位と役割を与えられていました。彼らは特殊な詩語法を開発し、物語のストックを伝承し、また伝承されたものに新しい素材や構成をつけ加え、終いに厖大な物語のサイクルを発展させていったのであります。こうした物語圏の一つに八部からなる、いわゆる“トロージャン・サイクル”があり、これには「イリアス」と「オデュッセイア」が含まれます。“トロージャン・サイクル”は神々の創造、パリスの審判に始まり、トロイ戦争の顛末を語って、オデュッセウスの死、テレマコスとキルケの結婚にまで及ぶ、さぞ厖大な物語であったでありましょうが、そのうち歴史の目の粗いふるいは、両ホメロスを残して、他はレテ(忘却)の水に洗い流してしまったのであります。
 蓄積された伝統と歌人の個人的な修練が重なりあって、そこにいわば過去との共同的な作品であるオーラル・エピックが成立します。「両作品の背後には歌人の技術における年季の入った修練があり、それが両詩の全く人工的な、驚くべき詩語法を生みださせたのであり、これはギリシャ人の喋ったことのない言葉ではあったが、ギリシャ叙事詩の言語として恒久的に定着したのである。更にまた、両作品の背後には、これらの詩の建築材料としての要素であるきまり文句(formula)を創り出した幾世代が控えていた。」(フィンレイ前掲書)そして両作品の間の語法的な類似に関しては、「ひとたび古代の歌人の製作技術とそれに伴うスタイルの紛らわしい画一性の謎が再発見されるや、両詩の間の相違も全面的な展望が与えられたのである。」
 歌人の修練の手順については、バウラ(Bowra)が具体的に説明していますので、引用しておきます。「詩人は先ず沢山の物語を学び、主要人物と物語の主な特徴に通暁する。これらが彼の作品の素材を供給する。彼は通常これら定まった、周知の物語から離れない。変更したり、付け足したりすることはよくあるが、これらの物語が詩人の芸の基盤なのだ。次に彼は沢山のフォーミュラ(きまり文句)を学ぶ。長いものも短いものもあり、彼の用いる韻律にかなっている。これらのフォーミュラは、題材が要求する大抵の必要な表現に、詩人をしてたちまちに応じさせる。これらのフォーミュラは、大部分が伝統的なものである。」(Bowra, Heroic Poetry)
 ホメロスには「イリアス」の最初の25行に25のフォーミュラが、「オデュッセイア」の最初の25行には33のフォーミュラが用いられ、これがほぼ全体での平均的な使われ方であるといいます。
 なお口承叙事詩の言葉が日常使われない人工語あるいは雅語(Kunstsprache)であることは、ホメロスに限られません。アングロ・サクソンの古詩、ロシアのbylinyなど、たいていの場合がそうであるとされます。アイヌ叙事詩も雅語が用いられています。これは発生段階での韻律上、詩型上の制約もさることながら、きまり文句の踏襲に集約される古来からの伝統の遵守が、口承叙事詩を作り、吟唱する側にも、聴衆の側にも、共通の了解となっていたためでもあります。(see, Heroic Poetry,p.389ff.)
 しかしながら、ホメロスの両作品がオーラル・ポエトリーであるということは、必ずしもホメロスが専らオーラルな詩人であったということではなさそうです。オーラル・ポエトリーがひとたび文字によって書き下ろされてしまうと、口承詩としての伝承も発展もそこで完結してしまいます。今日我々の読む口承詩は、ある時期にそのような形で記録され、あるいは編集されたものであります。古代ギリシャにフェニキア文字が入ったのは、紀元前8世紀の始めとされます。ホメロスの詩作した頃には、文字は既にかなり一般化しており、両詩は最初から書き下ろされたとも考えられています。しかも世界の他のオーラル・エピックに比較して、ホメロスの両詩はその構想の雄、構成の緊密さにおいて類を見ません。例えば、フィンランドの“ホメロス”レンロートが編集した<カレワラ>と比較するのが手っ取り早いでしょう。カレワラには歌謡の集積という感があります。こうした長所は、文字の使用なくしては不可能であろうというわけです。長さという点では、ホメロスをしのぐオーラル・エピックは旧ソ連邦やユーゴスラビアで採集されていますので、文字を前提する必要はありません。なお、ホメロスの“居眠った”(ホラチウス)*跡は、学者によっていろいろ指摘され、穿鑿されていますが、それらもオーラル・エピックに特徴的な矛盾と考えられます。

  *Even Homer sometimes nods.(弘法も筆の誤り)ということわざになっています。

 さて、詩の背景に移りますが、トロイ戦争の時代はホメロスの頃にはもはや伝説につつまれたギリシャの“英雄時代”であります。叙事詩の回顧的な調子は、「イリアス」第12巻の冒頭に見られます。歴史の痕跡を跡形もなく押し流していく時の波が、神々の謀みというイメージ的な比喩で表現されています。シュリーマンのトロイア発掘とミケネ文明(前1400−1200)の発見以来、ホメロスの描いた世界はミケネ世界のものとする意見が、一時盛んでありました。近年研究が進むにつれ、両者は大分異なった世界であることが明らかにされています。
 フィンレイは次のように書いています。「概して彼(ホーマー)はミケネ文明がどの辺で栄えたかを知っており、彼の英雄たちはホーマー自身の時代には知られていない大宮殿に暮らしたことになっている(ただしミケネのものとも、どこのものとも知れない宮殿であるが)。そして、これが実質的に彼がミケネ時代について知っていたことの全部だ。彼の誤謬のカタログは大変長いものになるのである。彼の描く武具は同時代の武具に似ており、ミケネのものとはまるで別物である。それでも、彼は一貫して鉄ではなく、古風な青銅で鋳られたものとしているのだが。彼の神々は神殿を持っているが、ミケネ時代の人は神殿をつくらなかった。また後者は彼らの首長を葬るのに大きな円形の墓を作ったが、詩人は火葬に付している。小さなことだが巧妙な手際を表わしているものに、戦車がある。ホーマーは戦車について聞き知っていたが、戦場でどのように用いられるものか、実際のところはまざまざと思い浮かばなかったのだ。そこで彼の英雄たちは、大抵陣営から一マイルかそこら走らせたところでおもむろに戦車から降り、そこからは徒歩で戦闘に赴いたのである。」(フィンレイ前掲書)
 ちなみにホメロスの戦車は二人乗りのようで、一方が馬のたづなをとり、他方が下車して敵と闘います。パトロクロスのパートナーであったアウトメドンは、相棒の倒された後、二頭の駿馬につないだ戦車を一人で御して突撃してゆきます。それを見て味方のアルキメドンが咎めます。相棒のパトロクロスが死んでしまったのに、たった一人敵陣に躍りこもうとは、いったい気でも違ったのかと。するとアウトメドンは答えています。「それでは君がこの鞭とつやつやしい皮の手綱を受け持ってくれ、そしたら私は馬車から降りて戦をするから。」結局、アルキメドンに戦車の番を頼んでいるのと同じことになります(イリアス第17巻)。
 「イリアス」と「オデュッセイア」の中にはミケネ文明の残像が、ガス星雲に包まれたかすかな中心星のように心もとなく灯っていないこともないのですが、なにぶんにも古代人の唯一の記録保管所である幾世代にもわたる記憶のリレーにおいて、もとの有り様が見分けもつきかねるほどに変形され、変貌してしまったのでありましょう。一体そもそものトロイ戦争がどのようなものであったか、これは中世の類似した例である「ロランの歌」が大いに示唆を与えてくれるでしょう。「ロランの歌」は八世紀の末にシャルルマーニュがスペインに遠征した際、帰路に起こった小事件を核にして、時代を経るに従い雪だるま式に伝承の衣をまとい、ついにはキリスト教国と雲霞のようなサラセン軍との一大決戦にまで発展した雄渾な叙事詩であります。シュリーマンの発掘したトロイ戦争期のものと思われる発掘層(第七市a)は、たいした建造物や宮殿の痕跡も見られないみすぼらしい場所でした。とても1186隻の兵船をくりだして、ギリシャの英雄が総出で略奪に行くような町ではありませんでした。もっとも、この船の数自体が誇張でありますが。つまるところ、トロイ戦争の歴史性については、フィンレイは次のように結論しています。「ホーマーのトロイ戦争は、ギリシャの青銅器時代の<歴史>から立ちのいてもらうべきであると提案したい。」
 なおフィンレイは両叙事詩によって描かれた世界が、一方はミケネ期の残照、他方は同時代の反映という“アナクロ”があるとして、大体前9−10世紀のものとしています。わたくしがこの先フィンレイに依拠してホメロスの世界の政治・経済にふれる時には、この点を頭におかれてください。

 (2)

 トロイ戦争の歴史性についてはさておき、物語られたことの中にはその時代を反映した何らかの真実性があるはずです。それを次に探っていきましょう。トロイ戦争の表向きの動機ないし設定によれば、トロイの王子パリス(又はアレクサンドロス)に奪われた妻ヘレネーを取り戻すために、夫のメネラオスの兄弟であるアガメムノンが総大将となり、ギリシャ中の英雄をつのって、トロイ攻略の兵を起こします。イリオンの入江の岸に所狭しと船を並べて、防戦するトロイ方連合軍と相戦うこと早や十年、諸兵疲れ、総大将アガメムノンとアキレスの間には捕虜の女をめぐって険悪なシチュエーションが持ちあがったところで、ホラチウスのいわゆる“ミドル(半ば)”をもって、「イリアス」は始まります。この設定は文学的にはいかにももっともらしく見えますが、そもそも歴史上、一人の女のために大戦争が起こされたというためしがあるでしょうか。この辺から疑ってかかりましょう。
 女が異国の船乗りによってかどわかされるという話は、古代では珍しくありません。ヘロドトス第一巻の冒頭には、アルゴスの王の娘イオがフェニキア商人にさらわれてしまうエピソードがあります。後にクレタ島のギリシャ人がフェニキアの港チュルで、そこの王の娘を奪って仕返しをしたとあります。イオというのはなにやら神話的な名ですが、この小事件をヘロドトスはギリシャとペルシャとのそもそもの不和の濫觴であるとしています。これなどはホメロス的発想でありましょうが、フェニキア人のような商人でなく、商業というものを軽蔑していたホメロスの世界のギリシャ人の場合にも、その略奪経済の中に女が含まれていました。そこで何のために女を奪ったかです。
 ホメロスの叙事詩の世界の主要な生活様式は、牧畜を主にした牧農経済であり(後代には農業が前面に出てきます)、耕作、果樹栽培は必要最小限にとどまり、大小の家畜に衣類、食料の大半、牽引、輸送を依存していました。経済の基礎単位であるオイコス(家族集団)は自給自足が原則でありました。しかし自給自足ではまかなえないものがあり、それは一つには金属でした。そしてもう一つが(フィンレイははっきりと言いませんが)、家内労働力としての女奴隷であったろうと思われます。さて、これらを手に入れるには二種類の方法があり、一つには交換とその変形であるギフトの習慣、一つには略奪でありました。「オデュッセイア」第一巻には、オデュッセウスの父ラエルテースが、牛24頭分の代価で下婢のエウリュクレイアを買い求めたとあります(彼は奥方を恐れて彼女に手は出しませんでしたが)。原始・古代社会におけるギフトの原則は、“品物であれ、奉仕であれ、恩恵であれ、与えたからには何らかの形で代償を期待すること”でありまして、言い換えればギフトには“お返し”がつきものであるということです。ホメロスではこの適応は広範囲にわたっています。例えば、グラウコスとディオメデスは戦場で鎧を交換し合いますが、これはグラウコスの金鎧は牛百頭、ディオメデスの青銅の鎧は牛九頭分にあたり、交換価値としてはグラウコスの“損”であったと、詩人は無粋なコメントをしています。そこには、ギフトは本来が単なる“気持ち”以上の等価の交換であったことが表わされています。別の例では、アガメムノンの侮辱にアキレスは“怒り”で応えますが、その怒りを贖うために、アガメムノンは沢山のギフトを申し出ます、などなど。
 略奪は“英雄時代”には頻繁に行なわれたようであります。“私が船を率いて攻略した人々の町は十二にもなる。陸戦でも、この地味の肥沃なトロイアで、十一にのぼるだろう。それらのどの町からも、私はたくさんに立派な財宝を分捕ってきて・・・”とアキレスは誇っています(「イリアス」第九巻)。現代人には、分捕られた町の人々の方が気になるでしょう。ホメロスで目立つ分捕り品は、倒した将兵の武具や武器であります。敵の屍から武具をはぐことは、勝者の最も誇らかな場面として、ホメロスでは惜しみなく描写されています。「イリアス」の第十三巻をはじめ、死体の奪い合いで両軍が争っているような場面がたくさんあります。ギリシャ軍が防壁を破られ、船の傍らで背水の陣をしいている時さえ、相変わらず武具の奪い合いに気をとられているのを見ても、彼らの略奪への執念のほどが知られます。城市が落ちれば、真先に彼らの餌食になるのは、もちろん女たちであります。有名なへクトルとアンドロマケの愁嘆場で(第六巻)、征服者に連れ去られた女の境遇を、ヘクトルは沈痛な言葉で描いて見せます。
 “だが、そのトロイアの人々の後々の苦しみとても、それほどには気がかりにはならない。また母上ヘカベーの悲嘆や父プリアモス王や、兄弟たちの苦難だっても――それは大勢いるし、みな役に立つ者どもだが、やがては敵武者の手にかかって、塵泥の中に倒れ伏そう――だが、それとても、おまえの受ける苦しみほどには、気がかりではない。誰かしらん青銅の帷子(よろい)を着たアカイアの武士が、涙にくれているおまえをむりやり、自由な日々を奪いとり、(奴隷として)連れていこうに。それであるいはアルゴスに住んで、他の女の言いつけで、機を織りもしようか。またおそらくは、メッセーイスかヒュベレイエーの泉から水を汲みもしようか、ひどい侮辱を身に受けながら、きびしい運命に強制されて。”(呉茂一訳、以下の引用も同訳)
 貴族階級の経済的基盤であったオイコスは“単に家族のことではなく、その土地と財産とを含めた家内の全構成員のことである。エコノミックスというのは従ってオイコスを経営する技術であり、領地経営のことである”(フィンレイ)。オイコス経営の貴族に仕えるメンバーは、ヒエラルヒーをなした従者層と主として女の奴隷たち、それにthes (pl. thetes) という不安定な地位の労働者でした。女奴隷は洗濯、縫い物、掃除、粉ひき、身辺の世話等の家事に就き、若くてみめ麗しければ、当然のこと、主人のベッドとも無縁ではありません。フィンレイは、ヘクトルがアンドロマケに対して女奴隷の定めを省略して語ったのは、心優しい気配りだと評しています。
 さて、こう見てきますと、トロイ戦争におけるヘレネーの存在は大分かすんでしまうようです。ギリシャ軍の本音はトロイアの女たちにあるのであり、ホメロスがヘレンよりもアンドロマケをより印象的に描いているのも、その辺の心理を反映したものでありましょう。けれども、詩人にはつねにテーマのもっともらしさという課題が担わされています。<ロランの歌>がキリスト教国とサラセン(回教)軍との戦争にまで発展したのには、十字軍に象徴される時代の影響が大きかったからです。そのスケールに見合うように、ロランは名も知れないバスク兵の一隊の奇襲に倒れたのではなく、ガヌロンという悪役の裏切りによって、ドラマチックな英雄の死を遂げることとなります。ホメロスの叙事詩の成立にも、やはり何らかの時代的要請を反映したものがあったことでしょう。ホメロスの生きた前八世紀後半には王権はすでに廃れて、貴族制の世になっていました。時代は更にデモスの世へと移っていきますが、そういう過渡期にあって「イリアス」と「オデュッセイア」は回顧的に王権擁護の姿勢を打ち出していることになります。ちなみに、「イリアス」第二巻の、平民テルシテスが集会で発言して、オデュッセウスに殴られる滑稽を意図した場面では、ホメロスの言葉遣いの慎重さが指摘されています。過去の王権の壮大な讃歌であるトロイ戦争の物語が、単なるありふれた略奪行為の延長であっては、テーマ的に引き締まらないでありましょう。王の中の王アガメムノンは、一族に加えられた恥辱をすすぐのでなければなりません。ヘレンはいわば物語を高貴にし、侵略者であるギリシャ軍に公正の感を与える口実にすぎません。しかしホメロスは、伝統的なものであるこの立場で必ずしも一貫しているわけではありません。それによって矛盾しているように見えながら、かえって古代ギリシャ人にとっての実際の“トロイ略奪”がどのようなものであったかを、明らかにしているのであります。

 堅い話が続いて閉口している方もおられましょうから、ここで「イリアス」からいくらか引用しておきます。ギリシャ方の士気を鼓舞しているものは、例えば次のアガメムノンの言葉に表わされています。
 “もしも私に、山羊皮楯(アイギス)をお持ちのゼウス神とアテーネーとが、堅固に築きあげられたイーリオスの城市を攻めおとすのをお許しになったら、まず一番には私のつぎにきみ[テウクロス}の手に、戦功第一という褒賞を授けてあげよう。三脚の鼎か、二匹の駿馬をそれも戦車をいっしょにつけてか、または女を、きみと一つの臥床(ふしど)に上っていくようなのをな。”(第八巻)
 アガメムノンがテウクロスに約束しているのが、トロイからの予定される分捕り品であることは言うまでもありません。これに対して侵略者に対するトロイ側の憎悪はいたるところに表現されていて、次のヘクトルの演説もそうであります。
 “ゼウスや、その他の神々に祈りながら、私が待ち望むのは、この場所から、黒塗りの船にのせて、死神たちが連れこんだ犬どもを追っぱらうことだ。”(第八巻)
 次に、ホメロスの文学的な設定である“怒り”の二重の展開は、アガメムノンからの和解の申し出を携えてきた使者たちに対して発した、次のアキレスの言葉に語られています。
 “だがこのうえ、アルゴス勢がトロイア方と戦ってゆく必要がどこにあるのだ、まったく美しい頭髪のヘレネーのためではないか。それなら物を思う人間の中で、妻を愛するのはアトレウスの子の二人[メネラオスとアガメムノン]だけだというのか。まったくたとえ勇敢で、分別盛りな男といっても、自分の妻はいとおしく愛(かな)しいだろう。それはまさしく私にしろ、槍で奪いとった女だけれども、あれを心底からいとしく思っているのと同じだ。”(第九巻)
 メネラオスはパリスのためにヘレンを奪われましたが、今またアキレスは総帥アガメムノンのために、戦でかち得た女ブリセイスを奪われた憤りを吐露しているわけであります。しかしギフトをつけて女を返すという和解の申し出をアキレスが断り、交渉がこじれてきますと、“怒り”は強情と同じものになって行きます。
 “だが神々はあなたの胸に、それもたった一人の乙女のことで、容赦を知らない悪心をおかれたものだ。だが私らはいま、七人も選りぬきのよい女をさし出し、そのうえたくさんな品物をつけたすのだから、あなたも折れて心をやわらげ、あなたの家の客にたいして会釈してくれ。”(第九巻)
 これはアイアスの言葉ですが、ここではもはやアキレスの感情は女の問題を越えています。同じようにヘレンを奪い返すという詩人の設定したテーマは、略奪の本来の生業へとついつい傾きがちであります。パリスの賠償の申し出に対して、“雄叫び勇ましい”ディオメデスは、
 “けっしていまさら、アレクサンドロス(パリス)から財宝など受けとることはない。ヘレネーにしてもだ。たとえどんなに愚かな者でも、よく知っていよう。もうトロイアの人々には、破滅の首吊り縄が結わえつけられていることを。”(第七巻)

 ――ここでティータイムといたします。

             

 (3)

 さて、古代叙事詩の華である英雄たちの奮闘ぶりを、次に見てゆきましょう。ホメロスの戦闘場面は現代の機械化し、非人間化した戦闘とはまるで違った世界であります。むしろその描写のなまなましさ、戦闘者の激情の息づかいもあらわな直截性によって、近代人のセンチメント、ヒューマニズムを逆撫でするような感があります。我々は現代の戦場において砲弾が炸裂すれば、そこに飛び散る肉片を想像することはあっても、殺戮者のなまの意志、憎悪までもその砲弾の中に見ようとはしません。炸裂する砲弾は、あくまでも個人の意志を越えた“戦争”というより大きな共通意識にあやつられた、無機的な殺人現象でしかありません。だから近代戦においては誰に殺され、誰を殺したかということは問題になりません。死者はただ非人称的に“戦死”するばかりであります。我々がテレビや映画で戦車や飛行機の戦闘場面を、ある場合は気楽に、時には爽快な気分で“観戦”することがあるのは、まさにこの近代戦の非人称性、没人間性のお蔭であります。これに対して、ホメロスの戦闘場面が現代の我々にかえって残酷感を起こさせるのは、まさにそこでは人間と人間とが殺戮の意志をむきだしにして、なんらの距離的媒介なしに、おのれの“腕”を唯一の頼りにつかみあっているからであります。従って近代の非人間的な戦闘になれた目には、そこにあまりにも個人的殺意がむきだしにされていて、殺し殺される者が互いに生身の人間であることを過剰に意識させられ、一つの砲弾で無名の戦士が吹き飛ぶ時には覚えないような“残酷”“野蛮”が、現代人の繊細な神経に痙攣を起こさせる次第であります。
 ちなみに、この点に関して、ホメロス的戦闘が十九世紀にも行なわれていたアフリカのズールー族の王シャカが次のように喝破しています。シャカは英国王ジョージに使者を送るにあたって、白人の軍隊に銃と槍を併用してはどうかとアドヴァイスしています。
 “その時こそ、そなたらの兵士たちは、<遠く離れてしか戦えない臆病者>という、われらが軍団から奉られている汚名を、一挙に雪ぐこともできるというものじゃ。
 そのような卑怯な兵法はわれわれには、生命に対する畏敬の念に欠けているように思えてならぬのじゃ。
 と申すのは、敵を殺すためにはまず、敵を知る必要があるのじゃ。”
 (クネーネ作「偉大なる帝王シャカ」参照、土屋哲訳、岩波書店)

 その戦闘行為が極めて人間的であるため、ホメロスの世界では人が未だ戦闘を生活の一部としていた時代の、人間のあらゆる自然的な情念が、戦闘において最も凝縮されたかたちで表われることになります。有能な兵士であるためには人間性を喪失することを要求される近代戦とは、これは大きな相違であります。近代戦では“敵”を殺すこと以外には目的を持たなくてよいのであります。ホメロスにおいては、戦闘は個人的欲望、共同体の欲望以外の何物でもありません。欲望は名誉、名声欲となって昇華されます。個々人を戦闘へと駆るものは共同体の中での誉れの意識であり、父祖の名を穢さぬことであり、そして何よりもそうした誉れを具体化するものとしての戦利品への欲望であります。彼らの間での名誉が単なる勲章的、精神的なものでなく、それらを誰にも富として示すことの出来る物質的な価値であることは、彼らがただ“観念”によって戦闘へ駆られているのではないことを明らかにします。今「イリアス」の第十一巻をサンプルにして、彼らの戦いぶりを見てみましょう。
 “さて両軍は、さながら麦を刈る人々が、両端からたがいに向い合って進み、小麦や大麦の畝を刈っていくように・・・そのようにトロイア方とアカイア方とは、たがいに追撃し、切り合って、どちらも恐ろしい敗走は思わなかった。戦いは両軍ともほぼ互角で、人々はみな狼のように躍りかかった。それをながめて、たくさんな嘆きをもたらす、闘争の女神(エリス)は喜んでいた。”
 ホメロスでは戦闘を描写するのに、労働や自然現象の比喩がたびたび用いられます。ここでの麦刈り、このすぐ先の木樵の比喩、さらに狩猟や牧畜の比喩などは、ホメロスの世界のギリシャ人の生産上の想像力を代表しているでしょう。
 “その中でもアガメムノーンは、まっ先に躍りかかって、武士を一人、ピエノールという兵士たちの統率者を、つづいてまたその馭者のオイレウスを、もろともに討ちとった。その男が馬車からとび降り、向かって立ち、まっしぐらにきおいこんでかかるところを、鋭い槍で額を突いた。それで青銅の重い甲(かぶと)の鉢巻さえ、槍先を止められずに、甲と骨とを突きとおして槍がはいっていくと、内にある脳味噌はみなとび散った。”
 さて、アガメムノンは、二人の鎧をすっかり剥ぎとって、胸をむきだしにしたまま、その場に放っておき、次の獲物をねらいます。イーソスとアンティポスは、プリアモス王の息子たちでありますが、妾腹のイーソスが手綱を取り、二人で戦車に乗りやってくるのが、アガメムノンの目にとまりました。
 “一人は乳房の上の胸のあたりを槍でつき、もう一人のアンティポスは耳のわきを剣で刺して、馬から落した。それから急いで、この二人の美しい物の具をはぎとった。・・・そのありさまは、さながら牡獅子が、すばしこい牝鹿のおさない仔らを、やすやすと強い歯牙にかけて、かみ砕くのにも似ていた。ねぐらを襲って、仔鹿のかよわい命を奪い去るのだ。母鹿がたとえ近くにいあわせても、母親自身の足がひどくふるえて、子供を守ることができない。”
 トロイ勢も両人の死を手を拱いて見守るばかりです。そこへアンチマコスの息子たち、ペイサンドロスとヒッポロコスの兄弟が、同じく戦車に駕してやってまいりましたが、たちまちアガメムノンの手中に落ちてしまい、二人は車上から命ごいをします。
 “生捕りにしてください、アトレウスの子よ、それで適当な身の代金をとってください。アンチマコスの屋敷には、たくさんの財宝がしまってあります。青銅や黄金や、それに人手のかかった鉄などの中から、あなたさまへと父は数えきれないほどの身の代を、さしあげるでしょう。もし私らが生きながらえて、アカイア方の船陣にいると聞きましたら。”
 二人の泣き叫ぶ嘆願にも、一向に心を動かされないアガメムノンです。
 “「・・・以前に彼[アンチマコス ]はトロイア人の会議の席で、メネラーオスと神にもたぐえられようオデュッセウスが、交渉にやって来たのを、その場で殺してアカイアへ、帰してやらないように、すすめたそうだな。だから今こそ自分の父の、非道の罪を償うがよい。」
 こういうなり、ペイサンドロスの胸のへんを槍で刺し貫き、馬車から地面へ落したもので、うつむけに地上へ倒れ伏した。そこでヒッポロコスが跳び上がって逃げだすところを、地面へ撃ち倒した。両手を剣で切りおとし、頸をたたき切ってほうりだし、丸太のように群衆の間を転がってゆかせた。”
 ホメロスは大抵捕われたトロイア兵に命ごいをさせていますが、これは何の容赦もなく切り伏せられる前置きのようなものであります。近代人のセンチメンタリズムの介入する余地はまるでありません。仔鹿を襲う獅子の譬えにしても、現代風の感傷にふけっているのではなく、強者が弱者を餌食にし、時にいたぶるのは自然界の通有性でありますが、ここにはまさにライオンが仔鹿を食らう動物界の食物連鎖のサディズムが、そのまま人間界のものとして虚飾なく語られています。ホメロスの世界では、勝者は率直に驕り(屍に侮辱を加えるのはその端的な表われであります)、またおのれの弱さを自覚した時には、かの豪傑ダイオメデスも神の如きオデュッセウスも身の震えをおさえることができません。
 しかしながら、ホメロスにヒューマニズムの萌芽が全く見られないわけではありません。否、それどころか戦闘が敗れる者にとっての悲劇であることを、ホメロスほど繰り返し読者の意識に訴えかけてくる叙事詩人は、古代、中世においてはまれなことであります。これが当の古代人にとってカタルシス作用をもたらしたものか、あるいはやはり一種の心理的サディズムであるのかは問わないことにしまして、ホメロスは倒れていくトロイ将兵の妻子や親や財産を詳らかに語ることによって、人間の死が単なる動物的死ではなく、背後に多くの精神的、物質的財をにないながらも、それらから突如として切り離され、不条理な闇の中へ沈んでいかねばならない――まさに人間的な死であることを浮かびあがらせます。
 アンテーノールの子イーピダマースはトラキアに生れ、幼時を母方の祖父キッセースの屋敷で育ちました。キッセースは成長したイーピダマースを手元にとどめておこうと、娘のテアノーを嫁に与えます。そこへアカイア人侵寇の報が届き、彼は新妻を残してトロイアへ馳せ参じます。さて、向かうところ敵なしのアガメムノンに、イーピダマースは一騎打ちを挑んだのであります。両人互いに歩みより、槍を投げあったが、アガメムノンの槍はわきへそれ、イーピダマースの槍は胸甲の下、帯のところを突きさしたが、槍の穂先が銀の金具にあたって、肉を貫くにいたらなかった。勢いづいたイーピダマースが、槍の柄をとって力まかせに押してくるところを、アガメムノンさわがず、その槍をつかむや、相手をぐいと我がふところへ引っぱりよせ、槍をもぎ取ったところで剣を払い、相手の頸筋を一打ちしました。
 “このようにして彼はそのままそこに倒れ、青銅の睡りを睡った。あわれや、恋いもとめた妻からは遠くはなれ、ただトロイアの市人を助けようとて。彼はその嫡妻からは、もう喜びも得られなかったが、たくさんの物を結納に贈ってやった。最初には百匹の牛をやり、そのうえ山羊や羊をとりまぜて、千匹もを約束した。その牧場には数限りなくいたもので。”
 アンテーノールの長男コーンは、弟のイーピダマースが討たれたのを見て、悲しみに目の前が暗くなりました。すぐさま槍を手に、アガメムノンの脇へ寄って行き、肘下の腕の中ほどを深々と突きさしました。一瞬ひるんだアガメムノンでしたが、すぐに槍を奪い取り、イーピダマースの足をつかんで味方の方へ引きずっていこうとしているコーンを、楯の陰から青銅の矛先で突き通し、次いでその頸をはねると、コーンの首級は弟の屍の上にころがったのであります・・・。

 (4)

 さて、アガメムノンが傷つきますと、劣勢にあったトロイ側は、ゼウスの加護もあって、俄然勢いづいて反攻に転じます。先頭に立つのは総大将ヘクトルであります。その戦いぶりは“吹きおろしては紫色の大海原を揺すりたてる”疾風のようでありました。
 “まず最初にはアーサイオスにアウトノースに、またオピーテースに、クリュティオスの子ドロプスに、オペルティオスにアゲラーオス、またアイシュムノスにオーロスと、それから戦闘では手ごわいヒッポノースと、これらのダナオイ方の大将を討ち取って、それからさらに大勢の兵士たちを殪(たお)す様子は、さながら西風が晴天をもたらす南風の寄せた群雲をつき、奥ぶかい疾風(はやて)を駆って追い払うようである。”
 トロイ勢の活躍とギリシャ勢の活躍を比較すると、ホメロスは一応両者を交互に描いてはいますが、やはり後者にバランスは傾いています。これは一つにはトロイ戦争の物語が、満ち潮の勢いにのって、イリオンの岸に押し寄せる、ギリシャ軍の寄せては返す波の不可抗的な力に、少しずつ後退していくトロイ側の“滅亡の定め”を歌ったものでありますから、それだけにトロイ側に滅びの予感を濃くかもしだしているわけであります。倒れていくトロイ将兵にはホメロスは多くの言葉を費やしていますが、同じく倒れていくギリシャ将兵に対しては、上の引用でも明らかなとおり、あっさりと名前をつらねるだけにとどめています。これは一読ギリシャ方の武勇に厚く、トロイ側のそれには簡に傾いているような印象を与えます。実際、ギリシャ人のための詩なのでありますから、そういう配慮も働いていましょう。これはギリシャ方の傷ついた将らが、たいてい正面から向かってくる敵に傷つけられたのではなく、虚をついて脇を襲われたり、パリスのあまり名誉といえない武器である弓の矢が命中したりするのに対して、トロイ兵が背を向けて逃げる所を討たれたり、また苦痛の多い倒され方をする描写の色わけにも明らかに出ています。
 “さればあわてて死を遁れようと・・・その逃げていく後を追いかけて、メーリオネースが槍をもって、隠しどころと臍との中間をついた。そのところは、いたましい人間にとり、いちばんに軍神が手痛いところである。・・・槍をかかえてもがくさまは、さながら牛を山中で牛飼いの男が、いやがるのを縄でしばって、むりやりにもひいていくのをみたような・・・”(第十三巻)
 “だがその退(すさ)っていくのをめがけ、メーリオネースが青銅の鏃をつけた矢を放って、右方の臀へとあてれば、矢はまっすぐに膀胱のところをつらぬき、骨の下をとおして出た。”(同)
 こういう倒され方をするのは、まずトロイ方と決まっています。しかしまた、ホメロスのトロイ勢を見る目が、中世や近代の叙事詩のように、偏狭なナショナリズムや宗教的狂信によって歪められていないことも確かであります。ホメロスもギリシャ勢も、トロイ連合軍に対して何ら人種的、政治観念(イデオロギー)的、宗教的憎しみを抱いているわけではありません。彼らはただ戦争が必然的に要求する感情や本能に従って考え、行動しているだけであります。そして戦闘行為を正当化する唯一のものは、個人および共同体の欲望であり、戦闘の中でおのずと生じてくる怒りと復讐への意志が、彼らの戦意を一層あおりたてるのであります。従って一定の時をおいてみれば、そこになんらの敵に対する怨恨を残すことなしに、公平な目で敵軍について語ることも可能になるわけであります。
 そこに“悲劇”としての軍記物が生じてくる余地があります。もちろん作者は一定の共同体の利益を代表する以上一方に偏することを免れませんが、また敗者である敵を殊更悲劇的な存在として描くことによって、今は勝者であってもいつかは立場が逆転するかもしれない宿命の暗い力を、聴く者の意識に呼び覚ますのであります。結局トロイアを滅ぼすものは、ギリシャ勢の武勇であるというよりも、神々の姿に仮託された不可抗的な定めであることを、この物語は語っているようであります。
 船の傍らまで押し寄せて来たトロイ勢の大将ヘクトルに向って、アイアスは言います。(第十三巻)
 “けっしてわれわれは戦術を知らないものではない。ただゼウスのひどい鞭のために、われわれアカイア軍はひけを取っただけなのだ。・・・だがおまえたちの構えも堅固な城市が、われわれの手にかかって攻めおとされ、劫掠される日のほうが、たぶんずっと早く来よう。・・・おまえが逃げ落ちながら、ゼウス父神やその他の神々に対し、自分を乗せたたてがみもみごとな馬どもが、隼よりも速く飛べるよう、祈願する日がだな。”
 ギリシャ勢が劣勢なのは“ゼウスの鞭”のせいであり、彼らの士気を鼓舞しているものもまた、彼らの間に将の姿をしてまじった海神ポセイドンであります。両軍の旗色を右に左になびかせているのは、桟敷席からお節介をやくオリンポスの神々でありますが、また彼らひとりひとりの神々にもいかんともしがたい定めが、この戦の上にいわばシナリオもしくはスケジュールとして掲げられています。これはゼウスでさえも変えられません。この点は古代ギリシャの政治体制と関連して興味あることなので、簡単に見ておきます。イリアス第十五巻でゼウスは、両軍の戦闘のなりゆきが予定通り運ぶよう、てきぱきと指図しています。この部分から見ると、いわば両軍の軍事将棋の駒を動かしているのは、まぎれもなくゼウスであります。ここではゼウスの息子サルペドンもパトロクロスに倒される手筈が語られています。ところが第十六巻で、いざ両者の一騎打ちが始まる段になると、、観戦しているゼウスは歎息して傍らの姉にして妻のヘラに言います。
 “やれやれ、何ということか、人間のうちでもとりわけて愛しく思うサルペ−ドーンが、メノイティオスの子パトロクロスに討たれることが運命(さだめ)であるとは、まっ二つにも私の心は裂けて、あれやこれやと思いまどい、思案するのだ。あの子を生きているうち、涙にゆたかな戦場からさらっていって、リュキアの肥沃な郷へ運んでおこうか、それとももうはやあきらめて、メイノティオスの子の手にかかって、討たれさそうか、と。”
 この口ぶりでは、ゼウスの裁量次第で、サルペドンの運命は回避されるかのようである。だが、ゼウスをためらわせているのは何でありましょうか。それはヘラの返答に明らかであります。
 “この上もなく畏(かしこ)いクロノスの御子のあなたが、何ということをおっしゃいましたか。・・・ええ、そうなさいませ、でも他の神様がたがみな賛成とは限りますまい。それにも一つ申しあげると・・・もしサルペードーンを生きているまま、その故郷におくっておやりとならば、考えてもくださいませ、他の神々もまたそれぞれ今度は、自分の愛しい子供を、はげしい合戦の場から連れだしたいと思うまいものか。・・・その神さまがたから、ひどい恨みをおかいになろうというわけですから。”
 結局、神々の中の神ゼウスも我が息子サルペドンを死から救うことはできませんでしたが、それは言いかえれば神々の世界でのゼウスの絶対権の否定ということであり、かりにゼウスが我意を通したとすれば、神々の間での激しい不和の種となることを惧れて、運命に手を出しかねたのであります。これは翻って、古代ギリシャ社会での王権のあり方を反映しているものと考えられます。フィンレイが説いているように、ホメロスの世界での王は相対的な権力によって支えられた、貴族の中の第一のものにすぎず(ミケネ期の王権は東洋的専制であり、この点でもホメロスとは異なります)、いつ他の有力な貴族によってその地位を奪われるやも知れず、これはトロイから帰国した幾人かの王を待っていた運命でもあります。王権がこのように不安定であるため、王は他の貴族の意見や動静にたえず気をくばらねばならず(その公の表われが集会であります)、ヘラの忠告もまさにそういう配慮を忘れようとしたゼウスに対する賢明な女の知恵でありました。
 もう一つ、このゼウスとヘラのエピソードには、イリアス全体に浸透している一種のバランス(均衡)の観念が表明されていることに注意すべきでしょう。ゼウスの息子だけが救われては、他の倒れた(あるいは倒れていく)神々の息子たちや英雄たちとの釣り合いがとれないことになります。勝者もいつかは敗者に回り、倒されるものは、未来に倒すものを期待することができる。サルペドンの死はパトロクロスの死で、パトロクロスの死はヘクトルの死で、ヘクトルの死はアキレスの死で、それぞれバランスが回復され、彼らの生と死は窮極的には、憎しみも悲しみも、善も悪もない、壮大な“悲劇”の領域に解消されて行きます。こういう予定調和的な宿命のハーモニーには、ゼウスとても手を出しかねるのであります。アキレスの友の死を悲しみ、自らの死を予感した狂暴な殺戮も、またこの均衡の観念の上に理由づけられています。プリアモスの息子リュカオンの命請いに対して、アキレスは次のように笑殺しています。(第二十一巻)
 “なぜそんなに泣いて悲しむのかね。パトロクロスだって、死んでしまったではないか、おまえよりずっと武勇もすぐれていたのに。どうだ、おまえの見るとおりに、この私だってもどれほどか姿も美しく、丈も並はずれていよう。そのうえ立派な勇士を父親に持ち、生みの母は女神でさえあるというのに、それなのに、その私さえまた死と、如何ともなしがたい運命とが身に迫っているのだ。”
 彼の算術が今日の我々にとって(またホメロスにとっても)法外なものに思われるとしても(アキレスはパトロクロスの葬儀で十二人のトロイの若者を屠っています)、バランスの回復を心情的に要求していることには違いないのです。

 (5)

 最後に“運命”と言うことの意味について一考して、わたくしの長談義をしめくくりたいと思います。ホメロスの世界の運命観は、表象的には英雄の運命について神々が関与し、決定するという形をとります。これだけでは英雄たちは神々の単なる操り人形のようですが、興味深いのは英雄たちもまた、自分らで制御できない不可抗的な力に操られていることを充分自覚していることであります。英雄たちに怒りを、勇気を吹きこみ、また怯懦(きょうだ)を起こさせるのも、彼ら神々の仕業であります。少なくとも英雄たちはそのように解釈し、ホメロスもそのように描いています。アキレスとアガメムノンの和解の場面で、アガメムノンは次のように弁解しています。
 “だがけっして私がその張本人なのではなく、ゼウス神と運命の女神(モイラ)と、濛々とした霧中をさまよう復讐の女神(エリューニコス)なのだ。そのかたがたが先だっての会議の席で、私の胸にむさとした迷い(アーテー)をぶちこんだものだ。あのアキレウスがもらった褒美を私が自分でとりあげさせた、その日のことだ。それにしても何を私ができたろうか、神様というものは、万事を押し通して意図を遂行なさるのだから。”
 「“アーテー”はホメーロスの中の人間が自分の行為に対して、自分自身に責任があるという考えを持っていないということを示しているようにみえる」と高津氏は述べています(前掲書)。“アーテ−(迷妄)”はゼウスの長女であって、かつてゼウスを迷わせたため、髪をつかまれてオリンポスからほうりだされ、以来空中にただよっているオブスキュアな女神でありますが、また擬人化された言葉でもあります。近代人のモラルからは、おのれの激情を超自然的なもののせいにしてしまうことは、ずいぶんと無責任な弁解のように思われましょう。実際、個人の人格の輪郭が一応はっきりしている現代では、冗談のとりなし以外にはこのような言い訳は通りません。しかし、ホメロスでは、アガメムノンのこの説明で、アキレスにもギリシャ勢にも充分納得がいったのであります。これがいわば一種の外交辞令でないとしたら、そこに古代人の精神構造のある面が表われているものと考えてよいでしょう。
 高津氏によると、ホメロスの英雄たちは多元的、分裂的な精神・身体観を抱いていたようであります。今日でも“悪魔つき”と称して、おのれの隠された衝動を、とりついた超自然的存在のものとする人格分裂現象が見られますが、ホメロスの世界では、いわば愚行の弁解として“悪魔つき”が公認の現象として認められているわけであります。それはホメロスの英雄たちが未だ未開人の心性から脱け出していないということであり、人間の情念、衝動、行為に対応する超自然的な(という言葉は彼らにはなかったでしょうが)影響を想像することにより、目に見えない無数の糸をおのれの四肢にとりつけ、本来心身の総合的な活動であるものを、外部的な力によって説明しようとする人格段階にあることを思わせます。従ってアガメムノンの弁解も、現代人の考えからする責任回避というよりも、彼らの意識段階で到達しえた限りでの心的現象の解明であったといってよいでしょう。
 さて、ホメロスの英雄たちの運命観も、彼らのこういう精神態度から説明されます。彼らはおのれの異常な衝動や行為を、おのれの意志の発現と感ずることができないために、ある心身的現象・行為が起こるには、それを計画する他者の意図が必要であるとみなすのであります。そこから類推を押し広げれば、人間のあらゆる行為は生から死にいたるまで、何者かの引いたラインのままに、不可避的な道行をたどることになります。
 しかし問題は意識のあり方であります。近代の運命観は機械的、自然法則的であり、ここでは人間の決意も、反抗も、嘆願も意味をなしません。人間は投げられた小石のように、ただ定まった放物線を描いてとびます。小石がおのれを自由であると感じることは、重力に対して何の影響も与えません。こうした運命観もしくは必然性の観念は、抽象的であるうえに、実生活にはほとんど影響を与えることがないでしょう。おのれの行為が無慮無数の原子の活動の結果であることを、いちいち意識することはまれであります。ホメロスの運命観は、先にサルペドンの例でみたように、実現されなかったにせよ、情状酌量の余地さえ残されています。これは結果的には運命の避け難さを語ったものか、運命の柔軟さを語ったものか、人によって解釈が異なりましょうが、少なくとも原因結果的な不可避の連鎖によって、運命が形成されるのではないようです。その背後には現代とは異なった運命の考え方があることでしょう。
 英雄が定めへと赴く前に忠告が与えられます。パトロクロスはトロイ兵を深追いしないようにと、アキレスは母親の女神テティスから、ヘクトルを倒せば自分も死なねばならないことを、ヘクトルはまたポイボス・アポロンから、アキレスを避けるようにと忠告されます。それぞれひいきの神々は、お気に入りの英雄を少しでも運命から遠ざけようとします。しかし、その度に彼らの忠告を無にして、自分から運命の胸元にとびこんでいくのも、また英雄たちであります。神々の(またホメロスの)目からは、それは“無分別”とうつります。人間があるいは賢明な行動によって、運命が成就するのを避けることができるとするならば(「オデュッセイア」第一巻冒頭では、このことはゼウスの口からはっきりと語られています)、結局運命を自ら招き、悲劇を演じるのは、人間自身の中に備わったある要素であることになります。ここで「イリアス」の冒頭をとりあげてみましょう。
 “憤り(の一部始終)を歌ってくれ、詩の女神よ。ペーレウスの子のアキレウスの呪わしいその憤りこそ、数知れぬ苦しみをアカイア勢に与え、またたくさんな雄々しい勇士らの魂を、冥府へと送ってやったものである・・・いっぽうその間に、(大神)ゼウスの意図は成就されていったのだ。”
 大神ゼウスの意図(即ち運命)を成就していくのは、ほかならぬアキレスの怒りであります。リュウの英訳はこの解釈をそのまま訳にとり入れています。――The Wrath of Achilles is my theme, that fatal wrath which, in fulfilment of the will of Zeus , brought the Achaeans so much suffering and ...(E..V.Rieu The Illiad, Penguin ) ここには二重の含みが感じられます。アキレスの怒りが運命を成就するためにゼウスによって演出されたものであるという観点と、アキレスの怒りが発火点となって、ゼウス(運命)の思うつぼにはまったという“呪わしさ”であります。一方は責任を神話的存在に転嫁し、他方は人間の行為が運命の創造に加担しているとする考えであります。前の立場では、人間は神々の単なる傀儡であり、、不平を言うことも嘆くことも無意味であるばかりか、そこには非難さるべき何らの責任も生じないでありましょう。人間の行為に運命を左右する力があり、とりわけ促進する力がある場合にのみ、ある衝動、行為が結果するものがあらかじめ賢明な判断によって防ぎえたかもしれないという悔いの意識のもとに、初めて人間的悲劇としての運命が成就するのであります。
 とはいえ当のアキレスが、果たして、おのれの怒りがたくさんのギリシャ方勇士の死の運命の間接的原因であることを、どこまで意識したかとなると、話はまた別であります。アキレスが自覚的な人間であったならば、もちろんトロイ戦争の展開は変わっていたろうし、「イリアス」も物語られなかったでありましょう。「アキレスは彼があるところの者であり、それによって事柄は叙事的な観点において遂行される」とヘーゲルは述べています(「美学」)。アキレスを動かし、またイリアス全編を貫いているのは、盲目的な激情であります。アキレスがアガメムノンと和解したのは、おのれの常軌を逸した怒りを反省したからでは更々ありません。パトロクロスの死によって更に大きな怒りがアキレスを捕えたからであります。怒りこそは神々が運命をなうにあたって、最も利用しやすい人間のパトスであるといえます。この激情に駆られる時、英雄たちは運命に対して最も防禦の心がけを失うのであります。アガメムノンもヘクトルもパトロクロスも、皆このパトスの網の中にからめられて、運命に加担し、また運命を成就して行ったのであります。
 このような運命にあやつられた英雄たちの滅びの世界に、どのような救いをみることができましょうか。ホメロスの世界、「イリアス」は現代人の感性にはあまりにも激しすぎます。そこでは人間の苦痛、“尊厳”の破壊、怒りの高揚が、殆んどもちこたえられないほどの大団円へと重層的に進行して、もしもホメロスが単なるリアリストであったならば、途中で読むのを放棄せざるをえないことでしょう。そこに調和をもたらし、人間性への希望をかいま見させるのは、ほかならない神々の人間世界への介入であり、ここにホメロス的神話世界と人間世界の二重構造の意味の一端が明らかになるのであります。
 神々は超人的存在として人間界の制約を取り外されているため、感情、衝動のあらゆる方面にわたって、時には非難の的となる放恣を発揮します。近親相姦も間男も、神々の世界では許されます。その反面、また人間の理想的な方面の感情においても、神々はやぶさかではありません。トロイの人々の嘆きをよそに、ヘクトルの屍に陵辱を加えつづけるアキレスに対して、神々も不快の念を禁じえないのであります。もしも切りさいなまれたヘクトルの屍の傍らに、香油を塗って傷口を元通りにするアフロディーテの姿がなかったならば、いかにそれがリアリティであるとせよ、聴く者はその殺伐さに辟易することでありましょう。彼女は聴衆、そしてホメロスの生み出した幻には違いありません。しかし、それは現実の前に人間性を保っていくために必要な幻であります。神々は現実の人間に欠けているヒューマニティを、人間に代わって示さねばなりません。ゼウスの命令で、アキレスはヘクトルの屍をプリアモス王に引き渡します。ヘルメスに導かれて、アカイアの陣営のアキレスの宿所を訪れたプリアモスに、アキレスは息子の屍を見せないようにしました。
 “それは万一にも、彼が息子の姿をみて心を痛め、憤りをおさえ切れなくては、またアキレウスの方でも、その様子に胸を掻き乱されて、老人を殺害でもし、ゼウスの神命にそむいては大変だから。” (第二十四巻)
 ホメロスは、彼らの世界ではヒューマニティというものがいかに脆弱なものであるかをよく心得ています。それであるからこそ、コンヴェンショナルな神話と人間界との二重構造を最大限に活用して、彼の人間的、あまりに人間的な神々の姿を媒介として、単なる戦記物を超えたヒュ−マンなドラマを創造しているのであります。

       *       *      *

 ここでは「イリアス」を中心にホメロスの紹介をしました。「オデュッセイア」はいわゆる帰国譚(ノストイ)の中で、オデュッセウスの放浪と故国での陰謀にスポットを当てたもので、プロットの卓抜、後半へ向けての盛り上がりにおいて、近代の冒険小説顔負けの大ロマンであります。今アリストテレスが荒筋をわずかな言葉でまとめていますので、それをもって紹介に代えます。(「詩学」第十七章、松浦嘉一訳)
 “ある男が多年他国を流浪していた。海神[ポセイドン]が常に彼を窺い、彼を苦しめた。そうして彼はたった一人きりであった。故郷[イタカ島]の家では財貨は彼の妻[ペネロペイア]に対する求婚者によって浪費され、彼の子[テレマコス]はまた、彼等の陰謀によって殺されようとしていた。そこへ、オデュセウスは、艱苦の末帰ってきた。そうして自らを名乗り、敵を襲った。敵は殪(たお)れ、彼は救われた。これだけのことが「オデュセイア」の中身で、他はすべて挿話である。”

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 [補説・詩形について]

 西洋の叙事詩の詩形の伝統を理解するために必要になりますので、ホメロスの詩形について、以下に簡単にまとめておきます。高津春繁「ギリシアの詩」(岩波新書)によりますと、「イリアス」の冒頭の一行は(ローマ字表記)、

 Menin aeide thea Peleiadeo Akhileos
 (歌えムーサよ、ペーレウスの子アキレウスが呪わしき怒りを)

であります。今解り易いように、詩脚ごとに区切りますと、

 Menina  eidethe  aPe   leia   deoAkhi  leos
 ―∪∪|―∪∪|――|―∪∪|―∪∪|―∪

 長短短(―∪∪)の詩脚(プース)をギリシャ語ではダクテュロスといい、長音節は短音節の二倍の長さと勘定されますから、長長(――)のスポンディオスと呼ばれる詩脚に置きかえることができます(ただし長音節を短音節に置きかえる∪∪∪∪のような形はない)。行末の詩脚は長長と長短の二つの形が許されます。こういうふうにダクテュロスを基本にした六つの詩脚からなる叙事詩の詩形を、ダクティリック・ヘクサミター(長短短[英独詩では強弱弱]六歩格)と言うわけであります。ヘクサは六の意、メトロン(ミーター)はギリシャ詩では、ある数の詩脚からなるリズム単位で、ダクテュロスの場合は詩脚と一致します。
 ギリシャ・ラテン詩では、詩の基本的なリズムは音節(シラブル)の長短の配列からなり、いわゆる音量的なリズムを構成するのに対して、英独のダクティリック・ヘクサミターを模した詩では、主として強勢の配列、即ちシラブル間の揚抑の関係がリズム単位となる点が注意すべきであります。この違いは、叙事詩と音楽・舞踊の関係をみる時、重要なものとなってきます。なお古典詩一般がそうでありますが、ダクティリック・ヘクサミターには脚韻は用いられていません。この点は日本の詩歌と同様です。
 さて、ホメロスのダクティリック・ヘクサミターにはなかなか複雑な規則があり、それらに対応したオーラル・ポエトリーのテクニックが自在に駆使されているようです。
 「たとえば語が一つの長短短の脚の終る所で終ると、そこでこの一行が切れてしまったような感じを与えるので、一つの語は出来るだけ二つの脚にまたがるように置かねばならない。とくにこれは第三の脚と第四の脚の間では避けなくてはならない。さもないと、この一行は三つずつのダクテュロスをもった二行の詩と変りがなくなる。」(高津春繁「ホメーロスの英雄叙事詩」頁127)
 イリアスの冒頭の一行はそのとおりに出来ていることがわかります。ただしヘクサミターの一行は長いので、どこかに意味の切れ目をおく必要が生じ、これも詩脚の切れ目ではなく、第三脚の内部におかれるのが普通であるが、つぎに多く第四脚の終わりにくるのは、この場合は残りの音節数がわずかであるため、詩脚の切れ目との一致が許されているということです。要するに、これらの規則は、詩脚のリズムの流れが言語の自然的な意味区分によって阻まれることのないように、との配慮であります。
 ホメロスでは、こういう規則に対応するため、さまざまなきまり文句が準備されています。それらを臨機応変、千差万別に使いこなすのが、オーラル・エピックの創作の秘訣であるようです。こういう制約があるため(これは根本的には音楽の側からくる要請でありますが)、叙事詩の言語が一般に用いられる言語とはかけ離れた、人工的、技巧的なものに洗練されていくわけであります。
 なおホメロスの時代の叙事詩は、「オデュッセイア」に登場するデモドコスや「イリアス」のアキレスにみられるように、本来竪琴の伴奏で歌うものであります。この点へクサミターの詩形も、詩形一般の発生がそうであるように、“歌うため”のものでありました。アリストテレスをみると、この外にも踊りのための律(トロカイオス)とか、会話に適した律(イアンボス)とかがあり、韻律が本来詩の発現する“場”と密接に結びついていたことが分かります。こうした詩形やフォーミュラの枠の中で即興的に創作しながら、楽器の伴奏で歌う詩人はアオイドス(歌う意から)と呼ばれましたが、ホメロスが公の祭で歌われるようになると、暗誦専門のラプソドス(継ぎ合わせる意から)へと変わっていきます。後者は楽器の代わりに地位の象徴である杖を手にして、レシタティーブ風に朗誦したと言います。(アオイドスとラプソドスの区別は、他民族の口承叙事詩を考える場合にも必要です。)

       ――――――――――

copyright: Mr Kaimela 2007
入力:甲斐修二(エポス文学館)
アップロード:2007・1・29