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江の島浦々のミステリーより抜粋2


「いろはにホイヘンス」狙われたフェルメール B太陽の忌節より

 フェルメールには「デルフトの眺望」と「小路」という屋外での二枚の絵が残されているが、いずれも初期の作品である。彼より数年歳上ではあるが風景画を得意とし、後世に空と雲の描画法で大きな影響を残した人がいるので比較してみよう。ヤーコプ・ファン・ロイスダール(一六二八年頃〜一六八二年)はオランダのハーレムに生まれ、成人後アムステルダムに居を移している。田舎風景の雄渾な空と雲は大胆かつ印象的で、気象の変化する一瞬をするどくとらえており、彼の絵を愛するひとは多い。しかし、彼の描く雲は日常しばしば見るような雲でなく、わかりやすく言えば急いで洗濯物を取り込む時のような激しい雷雲のような雲をいつも描いている。その点ふわとしたフェルメールの雲は異なっている。ロイスダールの光は白、陰は黒で二分するのに対し、フェルメールの光は虹のように散乱している。雲をつかむようなという表現があるように、実体のない雲をキャンバスに描き取るのは二人の画家もかなり苦労している。
 なぜフェルメールは屋内の人物を好んで描いたのだろう。顧客からは題材を指定されることが多かったであろうし、敬虔なカトリック教徒の彼の場合、おのずと宗教的なものに題材が求めるだろう。屋外での絵具の調製は大変だというのも理由となる。家族が多く出掛けにくい家庭事情もあったかもしれない。フェルメールがカメラ・オブスキュラという暗箱を利用して光の具合を見ていたのはよく知られているが、持ち運びが大変で、さんさんと輝く日の中では暗箱は機能しにくいことも理由になるだろう。
 しかし、彼が屋内の絵にこだわった最大の理由は、彼の病気にあると想像する。彼は自画像を描いていないとされる。いや、「取り持ち女」の左端の男がフェルメールではないかという説があるが、どうしても製作当時の二十四歳には見えない。「絵画芸術」の後ろ向きの画家がフェルメールだとの説もあるが、後ろ向きで顔形はわからない。
 ロイスダールの雲は明らかに屋外で描かれたのに対し、フェルメールの二つの屋外の絵のうち「小路」は屋内にいて窓から見た絵、「デルフトの眺望」も断定できないものの屋内からの可能性が強いと思う。画家フェルメールは直射日光にはあたっていないのである。デルフトの町の狭い地域で一生を終えたという伝記も合わせ、彼は直射日光に当たれなかったのではないか、そして皮膚がただれた自分を描きたくなかったことを想像してしまう。後天性のポルフィリン症は、光増感作用があるような物質や、肝臓障害を与えるような毒物の摂取により発症する。先天性のポルフィリン症は、ヘモグロビンという、体のなかで酸素を運搬するタンパク質をつくる遺伝子の欠損である。
 フェルメールの現在残る最後の作とされる「ヴァージナルの前に座る女」は太陽光の差し込まない部屋になっている。この絵を描いた時期には障害がさらに進み、窓辺にも近づくことができなかったのではないだろうか。障害の表われ始めた体で目を見開いて、原因の黄色い絵具を食い入るように見つめる、そんないじましい姿をこの絵を見て思うのである。
 彼の作品数が少ないのも、案外彼の障害にあるのかもしれないと想像する。