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江の島浦々のミステリーより抜粋3


「チリ濡るウォーカー」水の章より
 その昔、神と女神は木・火・土・金・水の五つの元素を組み合わせて自然をつくり、そして人間を配した。女神は夫である神に内緒で、創造物が正しく動いているかを確認するために、世界を旅した。まず着いたのが南アメリカのチリの海岸であり、水の元素が機能していることを確かめ、民が困っているときには水の施設を整備してあげ、インカの地方を歩いて回ったので、彼女はいつのまにか「チリ濡るウォーカー」と呼ばれるようになった。
女神は点検のあと、「水はこれでよし!」といった。そして次には金の点検へと旅立った。五つの元素のすべてを確認し得たあと「これで点検無事終了!」と叫んだ。
大昔、地球にはただ一つの大陸しかなかったが、神はあたかもケーキのように七つに切り分けた。別れた七つの大陸は置かれたそれぞれの場所で変化していき、特徴ある大地に育っていった。彼女はすべてを確認し終わったとき、満足してうなずいた。
平安時代の終わり頃に寂蓮法師という歌人がいる。百人一首にある「村雨(むらさめ)の 露もまだひぬ 槇(まき)の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ」の和歌の作者である。彼は子のいない藤原俊成の養子となったが、俊成には藤原定家が生まれて世継ぎができたので、京都の嵯峨に隠居を構え、寂蓮を名乗るようになった。源義経が活躍していた時代のことである。さっと通り過ぎたにわか雨が残した露も、まだ乾ききっていない。杉の葉には、もう霧がたちのぼっている。ものさびしい秋の夕暮れだよという内容であり、槇はスギやヒノキを指し、昔から杉で有名な、近郊の京都北山の深山を詠ったものではないか「さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮」寂蓮法師はこうも詠っている。何故なのかわからないがたまらない寂しさを感じている、杉山の秋の夕暮れの中で、という意味で、「三夕の歌」の一つともされる有名な和歌である。前者の歌は露がはっきり識別出来る明るさがあるのに、後者は時間が経過し、暗闇に近い。
寂蓮の頃に京都北山で、朝露と消えた人物がいた。もとい、人物ではなくインドの女神である。名をラクシュミーといい、鬼族の家系ながら、その美しさから創造神ヴィシュヌの妃となっている。本書ではラクシュミーの物語を記そうと思う。彼女がなぜ日本に来たのか、何を残して帰国したのか、そもそもインドを旅立った理由は何だったのかについてもご理解いただけることと思う。
木・火・土・金・水の五つの元素で世界が出来ているとする五行思想は、古代中国に発する。古代インドに発したものには五大思想があり、同じく五つの元素をもとにはしているが、多少元素が異なる。地・水・火・風・空の五つである。五行よりさらに哲学的になっており、成長や自由を表わす風と、仏教思想からきた空(くう)を含んでいる。五大は密教では五輪と呼ばれ、宮本武蔵の五輪書を通して我々にもなじみのある言葉ではあるが、本書では木・火・土・金・水を五元素とすることにしたい。理由は、無である空(くう)で、一節を組み立てるだけの自信がないからである。