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CONTENTS: 戸建生活入門3/生命体の排除の原理と人類社会/戸建生活入門2/意識の内在性とその超越/意識および感覚の内在性について/万物流転と表象の世界/心情とは何か(あわせて美について)/自我と意志の肯定/戦争・テロ・ファシズム・全体への意志・人類の終焉/個性と理性/自我の特異性について/個体の意志/戸建生活入門1


2016年11月28日(月)
戸建生活入門3

 資料館で催された地域の史跡巡りに参加してみた。町はずれの運動公園で集合する。三十名ほどの参加者はほとんど高齢者である。歴史に感心を持つ若い人は少ないという。ましてごくローカルな史跡であるから、よほどの好事家か時間を持て余している老人たちのウォーキングを兼ねたレクレーションとなっている。石仏や遺跡好きの家内に付き合ったというよりも、山林や畑地を抜けるコースに惹かれて参加したのである。数年前までは考えられなかった、旗を先頭にした高齢者たちのウォーキングの列へまじっている自身の姿を面白く思う。
 秋晴れの日、木々の色づき始めた道沿いの風景を楽しみながら、小さな祠や神社で、学芸員の説明を聞くよりも、田舎の風情に気をとられている。土地のいわゆる古老以外には知らないような、ささやかな史実、この辺にもある鎌倉街道の支道や古社や中世の遺跡発掘現場や、この地の豪族などについて、歴史に疎い耳には聞いたそばから消えてゆく。一人歩きよりも意外とペースが早い。道草するわけにはいかない。西から東まで、となりの市のはずれまで5キロ歩いたところにある、星宮神社という変わった名の神社に登る。妙見すなわち北極星または北斗七星をまつるという。丘というよりも緩やかな崖の上の鬱蒼とした杉に囲まれた風情のある古社である。そこを下って延命寺という真言の寺につく。特別に木造不動明王像と古い掛け軸の不動明王とをまぢかに見ることができた。そこの普段は檀家の集まる十二畳の間で昼食をとる。住職夫妻は僧侶というイメージからくる堅苦しさのない人たちで、出るときには小学生の娘と共に見送ってくれた。医者と僧侶は人間離れした印象しか持たなかった、子供の頃以来のバイアスが未だにあるので、彼らが普通の人間のようにふるまうのが不思議な気がする。思えば医者と僧侶に限らず、世の中にはどんな職業でも異様な人間が多くいる。あらためて、死者と墓を相手とする寺の住職の生活も、特に変わってはいないのだと感じる。
 そこから城跡を目指して歩く。K川に臨む小高い岸沿いの、土の道を登る。右手は大学の構内であるが、日曜のことで、工事関係の人の姿が目立つ。普段はこの地域では大学生の他には見かけたことがない。途中とりどりのファッションの学生の群とすれ違った時、彼らの人生の入口にある新鮮な眼からは、この高齢者の集団はどう映ったことであろうか。尾根伝いの先に、誰がいつ造ったとも史料にないという城の跡にたどりつく。知らなければ城跡とも気づかないであろう林間の空き地である。しかしここにも戦乱は及んだようで、歴史の闇の中に消えたのである。この先は西にひたすら戻る。途中、白樺派の作家によって起こされた、静かな共同生活を営んでいるらしいユートピアの村を抜け、イチョウやモミジの色づいている里山をゆき、普段はしまっているある寺で薬師如来や板碑を見学して、総行程十キロほどの史跡めぐりを終えた。その自信があっての参加であろうが、誰もが健脚であった。


 ☆   ☆


 モミジの紅葉は雑木の紅葉より遅れるので、欅や櫟の枯れ葉が落ちだした11月下旬に、K湖へハイキングがてらモミジ狩りに出かけた。例によって町はずれまで自転車でゆき、そこからトレイルに入る。この辺は杉山なので、寄居あたりのように山の紅葉は楽しめない。それでも、ところどころに秋の深まりの色をのぞかせている。杉山はそれはそれでよい。特に山の狭間から見あげると、その奥深いおもむきが見あきない。名を覚える気力もなくなったが、灌木や蔦は夏の勢いを失って、ひたすら凋落の冬へと急いでいる。この季節の樹木はいさぎよい冬の木々以上に気を滅入らせたものだ。イチョウやモミジを見かけるとほっとする。トレイルの先は高い崖を登って湖の岸へ出る。そこはささやかな観光地である。いくつかある店やホテルの半分は閉めている。しかし休日の今日はそこそこの人出である。今の時代、ハイカーは少ないので、車がしきりに通る。駐車場が狭いので渋滞さえしている。この人造の湖もしくはため池の北岸にそってモミジの木が植えられている。雨上がりの翌日であるから、よく晴れていても湖面に靄のようなものがかかっている。車と人がいなければ、山水画の趣であろう。モミジは光を背景に見上げたほうが、朱色が透明で鮮やかである。表から見るとくすんだ黒っぽさでみすぼらしい。それが鮮やかな朱に変わる途上なのだという。一本一本を丹念に見ながら半周して、南側に回り、雨上がりの濡れた土をふんでいく。対岸の山とモミジが水に映え、時間というものがなければ、いつまでも見飽きないだろう。何かにせかされるように、やはり歩まねばならない。釣りをしている人たちの姿は多いが、不思議なことにどの釣り人も釣り上げているところを見かけない。水を入れた容器にも魚の形はない。それなのにもくもくと竿をたれ、糸を上げ下げしている。ひょっとして彼らも、魚を釣ることなどどうでも良いのかもしれない。そうして時間を忘れ、座っているだけで十分なのかも。
 帰りは山を越して滝に出ることにした。山道は湿って滑りやすく、一二箇所崩れているのは、足を滑らせた人がいるようだ。緊張感でかえって元気が出る。滝は夏に来た時よりも冷厳として、正面から見るのが端正である。上から三段にくぼんでいるのが年月を感じさせる。このあたりの崖は褶曲した地層が露出していて、人工に削ったかのような直角の断面や、洞が見られる。多分自然の妙技なのであろう。水の流れは夏よりもずっと澄みきって、さらさらと鳴る音は、かつて子供のはしゃぐ声のように聞こえたものだが、もはや水音でしかなかった。


 ☆    ☆


 南隣のH市は東西に伸びた閑散とした市で、わずかな人口の違いで市を名乗っているようだ。その西南のはずれには彼岸花の一面に咲く名所がある。K川が馬蹄形にくねったところにかつて高麗人が開拓した田地があった。その川沿いに数百万という赤い色が埋めつくす景観は自然と人工美の合体の極致である。このあたりは古来高麗郡と呼ばれ、高句麗からの亡命渡来人が集まって開いたのであるという。その歴史を伝えた神社が高麗王若光をまつる高麗神社である。この神社には彼岸花を観賞がてら、何度かでかけた。時々神楽などの催しもおこなわれる。今回はこの高麗人(今で言えば高句麗からの難民)の事業を記念する馬射戯(まさひ)という、走る馬の上での騎射競技の見物に出かけた。今年はこの川沿いで行われる。
 見物の前に近くの古民家でもよおされた、馬文化についての講演を聞くことにした。江戸末期に建てられたという庄屋の立派な家の、納屋と称するところで、後ろからの風に凍えながら、横浜の馬の博物館からやってきた講師の、在来馬に関する興味深い話を聞く。日本の在来馬は今日では原種ではなく、すべて大陸由来の家畜である蒙古馬であることが分かっている。サラブレッドに比べて背丈(体高)は低く、四尺(約一メートル二十センチ)が基準である。サラブレッドのような体高のある馬は戦闘用の乗馬に適していないのであり、全く一定の距離を走るためだけに作られている。これを聞いて、大河ドラマなどでの戦闘シーンでのスマートな馬たちは、みな偽物であることが分かった。昔、白土三平の忍者武芸帳などの漫画で、ずいぶん不格好な馬にまたがっている画を見て、変に思ったのがかえって正しかったのである。現在、在来馬は民間の保護によってほそぼそと生き残っている。講演の終わりに、ルイス・フロイスが西洋アンダルシアの馬と日本の馬とを比較した文章を紹介した。西洋の馬は極めて美しく、日本の馬はよほどぶさいくに見えたらしい。ほかにいくつも違いをあげているなかで、日本の馬は蹄鉄を使わず、藁沓を履かせる点と、貴人の厩(うまや)は床板があること、鐙(あぶみ)の形の違い(リング状対スリッパ状)などが、文化的に大きな違いであろう。馬のわらじは数キロしかもたず、いくつも携えたそうで、厩は多目的の部屋であった。
 騎射競技は今日は六十センチ的だけであったが、かなり大きい的に数メートルの距離で射抜くのだが、馬上からであるからタイミングを崩してけっこう失敗している。馬の走る勢いと、走りながら矢をつがえるタイミングとが一致して、気持よく板の割れる音がする。競技もさることながら、韓国やマレーシアの選手の服装が目を引く。どれも色彩豊かで、女性騎手も二人ほどいる。見物人の中には外国人もまじり、こうした国際交流が田舎の町から広がることで、今の時代の退行的な国粋的雰囲気を打破してほしいものである。


       



 写真上段:左=不動明王像(延命寺)、中と右=鎌北湖
 写真下段:左=宿谷の滝、中と右=巾着田でのまさひ(馬射戯)
2016年10月3日(月)
生命体の排除の原理と人類社会
 生命の個体システムには、システムとして不要なもの、または有害なものの排除の機能がある。一つは細胞の自殺アポトーシスであり、いまひとつは免疫系である。死の本能があるとすれば、生命の絶対の肯定である生への意志と矛盾することになる。個体の細胞がアポトーシスすなわち自殺へと追いやられるのは、細胞自体の意志ではない。それは必ず上位のシステムである集団の意志が、個体の意志を無化し、自殺へと追いやるのである。この意味では、細胞のアポトーシスは、全体への意志に個の意志が飲みこまれ、無化されて、さらには全体への意志の指令に従って、全体のためにおのれを犠牲にする過程にほかならない。実はこのことは人間社会においてもっと明瞭に現われているのである。
 自殺は意志の倒錯であるとショーペンハウアーは述べたが、個の意志そのものから自殺への意志が発するのではなく、必ず集団内部における何らかの圧力が、個の意志の自己否定へと向かわせるのである。このことを最も顕著に表わしているのが、封建社会における切腹であり、また戦時における特攻である。切腹という自殺は、日本では唯一公認されていた自殺である。それを責めるものは少ない。社会集団の中では、それは立派な行為とみなされ、それを個人的意志から拒むということは、見苦しい行為であるとされる。切腹は場合によっては刑罰であるが、それを与えられるということは、切腹自体が強いられたものであるにせよ、名誉なことであるとされる。腹を切れと命じられることは、それが集団の中で意味を持つ死であるという点において、社会的慈悲なのである。それゆえに侍たちは嬉々として腹を切っていった。自殺によって、自らの社会的地位にふさわしい責任を取ったのである。これが基本的に細胞のアポトーシスと同一であることは、容易に見てとれる。
 戦争は基本的に個人的意志を集団への意志に解消させ、他集団の殲滅へと向かわせる集団間の闘争であるから、もとよりそこでは個の意志の働く余地はない。個の意志は全体の意志のために、身命を賭して闘うのであるから、もし個の死が全体に益するならば、当然ながら自殺を強いられることになる。特攻精神、すなわち全体のためならば自殺をもいとわないという犠牲精神は、もちろん強いられた自殺であるが、切腹と同じように、やはり社会的に承認された名誉の自殺なのである。細胞のアポトーシスが、システム全体のために必要であるのと、根本において違いはない。国のために死んで来いと命じられるのである。そしてそのことが、自殺に対する崇高な思いとなって表われ、若者たちは嬉々として死地におもむいたのである。
 生命のいまひとつの排除のシステムである、免疫機能は、システム内部から異物を排除しようという働きである。アポトーシスがシステムにとって不要かつ障害となる内部分子の排除、または個々の細胞の自殺によるシステムへの貢献であったのに対し、免疫機能は他システムへのシステム全体としての防禦機能であるといえる。システム自体は一個の個体としての統合であり、自己保存のために有害な異物を排除しなければならない。この免疫機能は、やはり人間社会においても明瞭に現われている。免疫機能は本来システムの外部に向かうものであり、すなわち人類社会では集団間の闘争、戦争となって現われている。外部からの侵略に対する免疫機能が戦争である。それは一見全体への意志に反するようであるが、集団と集団が全体として統合されるためには、相手集団の免疫機能の破壊という激越な闘いが必要なのである。そのようにして統合された集団の内部では、ある種の免疫異常が生じる。それは身分制や、階級制、あるいは集団内部での粛清となって現われる。集団の権力は、他の集団への攻撃および防禦ばかりでなく、集団内部への抑圧としても現われるのである。
 細胞のアポトーシスも、システムの免疫機能も、基本的には生命システムの維持保存のための類似の機構である。この機構はシステム外とシステム内とに、両方向に働く。アポトーシスは、単なる個人の自殺の場合もあるが、特攻や切腹などのように社会の防禦や秩序維持のためにも発現する。単なる個人の自殺も、実のところ社会システムの中での不要な存在の排除としての集団の圧力が背景にあるのである。免疫機能は、外国人や異人種の排除、身分差別、イデオロギーによる統制、ヘイトスピーチなどに顕著に現われてくる。特に日本社会はこの免疫機能が強く働いているようだ。単一民族であるという思いこみなどは、その最たるものである。それが他国に向かうときには過剰な敵愾心や愛国心となり、内部に向かうときには、弱者・障害者の排除、ウチとソトの区別、身分差別となって現われている。プチ中華帝国を目ざした飛鳥以来の伝統が、一方では対外拡張、他方では専制国家体制の確立として、日本史を貫いており、それは民主主義を標榜する今日においても変わっていない。  
2016年8月8日(月)
戸建生活入門2
 先だっての午後、思い立って、近くの山中にある小さな滝を見に行くことにした。町はずれの運動公園に自転車を止めて、そこから歩く。小山の中の舗装路は、そう家があると見えないのに、車がかなり往来する。不思議なくらいであるが、しばらく歩いていくと道沿いに民家がいくつか並びだす。どの家も広い庭があって、色とりどりの花を咲かせている。花の里といってよい。左手には小さな清流が見おろせる。桜の木のアーチもあって、春には見事であろう。この里の人のもてなしの心であろうか。歩いているのはつれと二人きりであるが。
 舗装路のつきたところで山道に入る。そこの駐車場に車が何台か止められているので、ほとんどの人は車で来るのだろう。先ほどの小川の上流に当たる流れに沿って、遊歩道が作られている。午後とはいえ暑い中を来たので、ひんやりとした森林の空気が心地よい。子供づれの家族が、渓流の中に入って遊んでいる。両側は植林された杉の森であるが、川沿いには山野の草木がささやかな花を咲かせている。花の名を忘れてしまったのがもどかしい。流れをたどって行った先に小さな滝があった。一本の細い水流が、ちょっとした崖の上から落ちている。それだけのことであるが、かつて修験者が訪れたといわれているように、いかにも打たれやすそうな滝である。ここでも子供たちが滝つぼでたわむれていた。子供たちには冷たい水で遊ぶことがすべてで、滝の風情などはどうでもよいようだ。邪魔をしないように、崖の上のほうにゆく。
 そこの亭(あずまや)でしばらく休んでから、さらに先の山中にある小さな湖を目指すことにした。舗装路に出て、右方向も左方向も、どちらも湖への表示になっているので、左へ行ってみたがどうも太陽の位置から方角的に違っているようだ。かなりのロスをしてしまったので、もどって湖へ出るのは諦め、午後のことでつれも疲れたようであるから、帰宅することにした。かつて灌漑用のため池であったというこの小さな湖へは、すでに二度行っているので、未練はない。一周するのに三十分ほどである。春にはツツジ、初夏には紫陽花、秋に紅葉の名所であるが、普段は釣り客の姿と、時折り過ぎるハイカーの姿しか見られない。一度は町の循環バスで行ってみたが、行きと帰りと、ほかに乗った人はひとりきりであった。
 帰りの林道を歩きながら、つい数時間前までは町なかの団地の家の中に、ごろごろとしていた身を思うと、そのいきなりのコントラストに不思議な気持になる。日本の庭には借景というコンセプトがあるが、なんだか周辺の自然が自分の庭のように思われてくる。山住まいとはいえないが、いつでもその気分になれるのはありがたい。
 *   *   *
 山沿いにはローカル線が通っている。まだ電化されていないジーゼル車で、一時間に一本でるだけであるから利用しづらいが、車窓の風景は佳い。それに乗って近隣の田舎町に出るのが面白い。隣のO町は梅林で名高いが、それよりも、子供の頃から無名戦士の墓で知っている大観山からの眺めが佳い。東に開けた地平の先に、かすかだが都内の高層ビルやタワーが見える。春には麓の桜が見ものであり、山近くのツツジの頃もよい。
 八月に入って、Y町で、以前になんどか登った城跡の、崖下の川原で、花火を見物した。午後早めに来てしまったので、駅から出たとたんに盆地特有の暑熱にみまわれた。町を半周ほどして、しばらく町役場で涼んでから川原へでかける。水天宮のぼんぼりを飾りつけた山車が、川舟に浮かんでいた。それに火が入る頃、花火も始まる。城跡から轟音とともにあがる花火を、ほぼ真下から見あげる。七夕の三つの星と、火花とが入り混じる。せわしない生成消滅のあとに、不動の星ぼしがまたたく。川面を見るとぼんぼりの明かりだけになった山車が、流れに静々と繰りだしていく。灯りの背後になって見えないが、鉦と太鼓と笛の音が絶え間ない。天空の火花と、水上の幻のような祭りと、面白い取り合わせである。
 花火は後半になってさらに華麗に、贅沢なくらいに華々しくなっていく。見回すと川原は一面人でうずまっている。早めに引き上げながら、音がするたびに振り向いてみたくなる。轟音にせかされ、何か中毒のような気分が起こってくる。家並の上にあがる花火もまた良い。この小さな町に、どこからわいたとも知れない、街路いっぱいの人波である。O市や、K市での夏の花火を凌駕するかのような印象を受ける、田舎の町の意気ごみでもあろうか。
 私の母親は花火が嫌いであった。東京大空襲の時の、焼夷弾が降ってくるパラパラという音を思い出させるからであるという。花火を見るたびにそのことを思う。戦争と平和とは紙一重である。

<写真は、左:宿谷の滝(毛呂山)、中:大観山(越生)、右:水天宮祭(寄居)>
2016年8月5日(金)
意識の内在性とその超越(前回のつづき)
 ここでおちいった解決の道のないアポリアを回避するために、そもそも表象の本質とはなんなのかを、改めて考えてみる。表象Vorstellungもしくは観念ideaとは、知覚の対象となる何らかの現われもしくは存在物を、一般に指す言葉である。ヒュームはimpressionとideaに分けているが、いずれにせよ意識に内在する何らかの知覚の対象を表わす用語である。それが感覚であるとか想像であるとか区別するのは、すでに客観的視点であり、現象学の用語を用いれば、括弧にくくってよい。意識に現われたものを純粋に直観するならば、それは何らかの意識における変容であるとしか言いようがない。コンディヤック風に言えば、赤の観念が現われたならば、意識は赤そのものである。しかし次の瞬間に意識は見るものと見られるものとの主客に分裂するのである。意識が単に赤そのものであるならば、そこには知覚すなわち認識はないのであり、それは本来意識と呼べるものではなかろう。無意識の認識があるならば、まさにそれであろう。したがって表象または観念の本質を考える時、主体と客体との関係を同時に考えねばならないであろう。現象学ではそれを志向性と呼んでいるようであるが、ここでは伝統的に主観と客観の関係と考える。
 このことから、表象はすでに関係的な存在であることが明らかである。esse est percipi(存在とは知覚されることである)という命題の中にも、すでに表象の存在が知覚によって条件づけられていることが表明されている。バークレイが主体の存在を明らかにしなかったのは巧妙であるが、ヒュームは主体が知覚されないことによって、主体の存在を否定したのである。ただ表象(観念)だけが存在する。それでは知覚の働きの余地はどこにあるのか。それも存在しないといっても良いくらいである。<われわれは神において世界を見るNous vois toute chose en dieu.>、とマールブランシュが主張しているように。しかしそれも知覚の主体を神に置いただけである。主体はそれを意識する時はすでに客体となっているので、どこまで行っても主体そのものの存在に達することはない。そこで幽霊のような知覚だけが存在するのが、志向性Intentionalitaetであると言ってよかろう。
 知覚されないものは必ずしも非在ではない。このことは古代哲学以来、形而上学の基本的な主張である。そのことの認識に至ったのは概念あるいは一般観念もしくは普遍概念の発見である。何が真に存在するものであるかを思索するようになった時、単なる表象の存在は疑いの目で見られるようになったのである。感性直観において変化や運動としてあるものは、概念として分析してみる時、存在しなくなるのである。個々の花や木は、それを思惟する時には存在しなくなる。花というもの、木というもの、すなわち花や木の概念だけが、思惟においては存在する。それらの概念を単なる名辞として、うつろに鳴る風のようなものとしては、プラトンもアリストテレスも見なさなかった。世界に対して超越的であれ、内在的であれ、それらを真実在と見なしたのである。このイデア論が最もよく当てはまるのは数学や物理学であるが、もっと日常的にそれを言語に当てはめてみると、その超越の意味がより分かりやすくなる。
 言語は感覚的記号と、意味との二つの要素からなる。感覚は基本的に意識に内在する現象であり、それの単なる対象化は、意識の範囲内を出でない。私が何かの痛みを感じる時、それは単に私の痛みであるが、ふとそれが私の足の痛みとして身体化されるとき、外化され、客観化される。しかしそれは私の意識の範囲内におさまっており、私の意識を超越したわけではない。すべての単なる感覚印象は、そのようなものである。言語だけはその点特殊である。ある記号が現われた時、記号そのものが問題なのではなく、その記号に結びついた概念が私の意識の対象となる。何故にその概念が私の注意を引くのか。私はそれを外から来たものと見なすからである。あるいは私が言葉を発する時、言葉の概念を私の外へ向けて発しているからである。これを自然的超越の態度といってよいかもしれない。私はあたかも概念を、私と私の外にあるものとを媒介するものとして、扱っているのである。私の外にあるものとは、言語に関して言えば、他者の意識の存在である。他者の意識の存在は直接には知ることができないが、私はあたかもそれが存在することがあたりまえかのように、言語を使ってそれらと概念的交渉を行っているのである。この超越的態度は、たぶん言語に限らないことであるかもしれない。意識そのものの根本に、なにか超越への意志のようなものが働いているのであろう。動物はそれを基本的に身体的接触、すなわち触覚によって行っているようである。自己と他との感覚における融合、特に快感において自他の区別がなくなることは、人間においてもありうるであろう。これは最も基本的な全体への意志の現われであろう。意識の志向性なるものも、この超越への意志の認識における現われといえよう。それの知性における現われが概念であり、それを応用した言語であるといえよう。この超越への意志が概念において存在を客観化するのである。この存在の客観化は、基本的に自己意識の外への方向に向かい、表象としての世界を超えて、超越的な物質界や、他者の意識の存在や、純粋概念の世界であるイデア界を樹立する。自己意識の対極としての宇宙がそこに生まれる。逆説的であるが、この宇宙を生み出すには、自己意識の超越が必要なのである。
 それではこの超越への意志を、自己自身そのものへと向けてみた時、そこにはどのような事態が生じるであろうか。ここでは自己とは身体ではなく、自己意識と見なしてよいであろう。身体はすでにれっきとした客体であって、物質すなわち宇宙そのものに属させることができる。自己意識は身体として客体化される。客体化された身体の内部で現われる知情意の動きを意識のレベルでとらえたものを自我と呼ぶならば、自我は身体の本質であると言ってよかろう。知情意を動かす根本の力を<意志>と名づけたのはショーペンハウアーである。ここで物自体について考えておく。 
 概念を単なる図式のようなものとしてしまったのはカントであるが、その経験の範囲内にとどまって、経験を可能にする条件を探究する先験的認識論の立場においても、ある超越的存在が保持されている。すなわち物自体Ding an sichである。時間という内感の形式や、空間という外感の形式において把握される経験的認識は、それらの感性直観における対象を触発affizierenするとされる当の原因そのものには及ぶことがない。物の本体がなんであるか、物自体は認識の外にあるのである。外界に向かう認識においては、物を超越するものは、上に述べたように単なる概念である。超弦理論のひもも、クオークも、素粒子も、誰も見たことがないし、単に物質のふるまいを説明する数学的概念に過ぎない。物理的世界を説明するには、物自体はあってもなくても良いものである。
 物自体を知情意のレベルでとらえようとしたのが、ショーペンハウアーの独創的な発想であった。その論証は十分なものとはいえないが、世界の本質についてのまったく新たな視点がえられたのである。知情意の発現の場が身体であるということは、ある内的力と物(身体)との密接な関係を示唆する。力の観念は、実のところ、身体内部の何らかの力の発現として、身体が動かされるという体験以外には実証しがたいのである。ものどうしの間に力が働くかどうかは、それを観察しただけでは、力の概念は生まれてこない。単に異なった状態があることから、そこに何らかの力が働いたという必然性はないのである。(この錯覚の例としては、物質間の直接の作用であるとされた重力が、空間のゆがみによって説明できることを明らかにした相対論である。)人が意志の力によって物に作用し、物を動かすことによって、直観的に力の観念が生まれる。自己意識において現われる意欲、情動、一般に<意志>こそが、この世界が何らかの力によって生み出されたのであるとするならば、その根本の力に最も近い存在である。それが同じく知情意や身体以外にも働いているならば、世界そのものを発現させる力も、また<意志>と同じ力である。それが物自体の正体である。
 ショーペンハウアーの<意志>は、意識の内面に向かう超越の一つの例であるが、彼の形而上学では、自我そのものが世界意志の方向へ超越することによって、実は自我の解体へと向かっていることは、その主著を読めば明白である。自我そのものは仏教にならって、ある種の錯誤と見なされているのである。自我そのものが錯誤であるならば、それは解消されるほかはなく、自我そのものの方向へ向かう超越などは考えられない。自我の存在が錯誤であるという考えは、自我についての誤解にもとづいていよう。デカルトの言うbon sense が万人に行き渡っているものならば、個体意識が存在することはだれにも疑いえない。そのEgoが自己を主張することは、人類史において特定の人間にのみ許されてきた。すなわち権力者である。権力者のエゴが頂点に立つことによって、社会の成員のエゴは特定のエゴに吸収され、統一されてきたのである。すなわち集団のエゴ、国家エゴのみが許されてきたのである。このことの反映が、個々のエゴへの道徳的、倫理的、宗教的否定へと向かい、エゴの反社会性(当然のことであるが)への攻撃、ひいてはエゴの本質の歪曲をもたらしたのである。したがってそうした攻撃や、理論的歪曲を無視して、率直にエゴの本質を見極めねばならない。
 自我egoとは、端的に言って、身体に依存して世界を形成する個体の意識である。個体の意識がなぜあるのかは別問題として、個体のないところには意識もなく、自我もない。しかし意識と個体とは同一ではない。個体に属する要素は意識に現われ、意識に属するかに思われるが、私の眼や耳は、それらがないからといって私の意識そのものが失われるわけではない。なるほど個体としての私は五感から豊かな内容を受けとる。しかしその内容が私なのではない。その内容と私とを同一視するところに、自我への誤解がある。意識もまたそうした外界へ向かう意欲と自身とを混同する傾向があることも確かである。そうした自我を意志的自我と名づけてよいであろう。私という自我は徹頭徹尾、生への意志と同一なのではなかろうかと、時として思われるのも、生への意志の圧倒的な力に引きずられるからである。このようなエゴは通常は全体への意志や権力意志に吸収され、集団の意志として個体性を失うのであるが、その過程でエゴは無化され、存在すべきでないものとされるのである。しかし集団という上位のレベルで歴然として現われている意志的自我が崩壊するとともに、ふたたび個のレベルでの自我がおのれを取り戻すことにより、おのれ自身を主張するようになる。そしてふたたび権力意志によって統一され、集団的、全体的意志としておのれを無化する。エゴの個別化・無秩序と、エゴの無化・全体化のサイクル、それがこれまでの人類の政治史である。こうした人類史において、エゴ・自我が誹謗中傷をこうむってきたのは当然である。
 自我が自我自身に、すなわち意識が意識自身に、向かう時、そこに見い出されるものは、おのれの意欲や意志のほかに、おのれがおのれであるという意識であることは、くり返し述べた。このA=Aという自同律の意識において、そこに超越への意志が向かう時、どのような認識が生まれるであろうか。この自我意識の特異性は、単なる概念ではなく、意識の質的認識であると述べた。言ってみれば赤の知覚が赤の知覚以外のなにものでもないのと同じように、私という意識は私という意識の知覚の性質に過ぎない。赤の知覚が意識に内在的な、意識以外に存在しない観念であるのと同様に、私の意識の特異性も意識内部の事情にしか過ぎないのではないかというのが、私の意識に関するアポリアであった。もしそこに超越性があるならば、どのような超越なのであるか。赤のイデアは、イデア界が意識を超越しているかぎり、存在しない。しかし赤の観念が意識の対象である限りは、すなわち何らかの客体である限りは、赤自体Rot an sichといったものが考えられよう。それは光の波長といった物理的実体のことではなく、文字どおりに赤の本質をなすものである。どこか意識を超越したところに、赤の本質がなければならない。それを内在的イデアといってよいかもしれない。しかしそれは本質的存在であっても、概念ではない。同じように、私が私であるという自我の特異性の本質は、意識を超越して自我自体Ich an sichへと及ぶであろう。それは概念ではなく、本質的存在である。言ってみれば、存在自体Sein an sich、存在の存在、存在の本質である。認識者であると同時に存在者である自我はそこへと超越してゆく。認識とは超越への意志であり、存在者がその光をおのれ自身に向ける時、そこに絶対不滅への道が開かれるのである。 
2016年8月3日(水)
意識および感覚の内在性について
 個体としての一個の生命は一種の閉ざされたシステムである。環境との関係において、あたかも世界の部分であるかのように交通し、流通してはいるものの、システムの保存の意志においては一個の小宇宙である。生命は基本的に内在的システムなのである。それが自己を保存するために外界から必要物を取り入れ、不要物を外界へ放出する。その経路だけを見ていては、すなわち環境論だけでは、生命の本質は明らかにならない。
 感覚や意識はこの生命が生み出したものである。しかも外界との関門に当たっている内在的機能である。外感とか内感とかいう区別は、便宜的なものに過ぎない。感覚、知覚、認識、思考、意識に至るまで、感覚的、心理的、精神的活動のすべてが内在的機能であり、生命体内部での出来事である。このことから明らかになるのは、この表象として現われている世界は、決して世界の本質そのものを表出してはいないということである。この表象世界において最も大事な時間・空間表象を始め、感覚や意識や、それらの質的現われも、すべて生命体にとって都合の良いように脚色された世界であるということだ。この表象界全体は、まさに生命が創りだした世界なのである。しかもそれは個体生命の内部にしか存在しない世界なのである。生命のない世界がどのような世界であるか、それに最も近づきえるのが物理学であるが、知性もまた生命体の内在的機能であるから、それにも限界がある。生命は生命自体をあらゆる面で超越できないのである。これは科学ばかりでなく、形而上学についても言えることであろう。
 それにしても生命が創りだした内在的世界は壮大にして華麗である。それが宇宙の本質であるかのように勘違いしてしまうのも、生命の策略としてもっともなことである。その中でも宇宙の本体的存在に最も遠いものが、すなわち物理学で扱うことができないものが、意識と感覚の質である。クオリアと称されるこの質的存在は、最もよく生命の内在性を表わすものである。すなわち徹底して生命の内部にしか存在していないのである。その他のものはいわばイデアの影のようにして宇宙の本質を反映しているが、この意識および感覚の質だけは、客観的世界のどこにも、そのイデアすら見つけ出すことはできないのである。赤のイデアとか、苦痛のイデアとかは、宇宙のどこにも見い出されないのである。宇宙は徹頭徹尾、生命の内的事情には無関心である。それゆえに神は存在しないにひとしいのだ。
 この表象宇宙を創造したのは生命である。生命が創りだしたものは、究極のところ内在的にしか説明できないのである。感覚に現われるものはそのままに存在すると、フェヒナーなどは主張したが、生命が物質現象であるかぎり、感覚もまた意識の内部においてのみ可能な物質現象であるといえる。したがってクオリアもまた、意識の内部でのみ確認できる何らかの化学的反応の結果であるといえる。クオリア自体がどのような反応であるのか、それが明らかになることがあるであろうが、クオリア自体の存在が客観的に確認されることは、その内在性の故に、決してないであろう。感覚の質の内在性は、そう簡単に意識できないが(デモクリトスやロックは第一性質、第二性質の区別を立てたのである)、世界の内在性を最もよく意識にのぼらせるものは、当の意識自体の質的存在である。すなわち自我意識である。
 自我意識の内在性は誰もが疑うことができないので、この世界の主観性の認識の出発点となっているのは至極当然である。汝自身を知れ、とデルフォイの神託がソクラテスに告げたのが、観念論哲学の発端であったといえる。自我意識はある種の質であるが、その質がおのれ自身であるという認識を伴っていることで、単なる感覚の質とは異なっている。いわば感覚の質を媒介にして、己の存在を発見する認識過程なのである。感覚のないところには意識はうまれない、このコンディヤックの命題は基本的に正しいであろう。同時に、認識がなければおのれの存在はうまれないのである。感覚はそれ自体が内在的であるから、それが外界と関係を持つとかもたないとかにかかわりなく、それが現実であれ夢であれ、現われることによって、意識を触発する。意識は個体生命に固有のものであり、生命の統合性を感覚のレベルにおいて表出するものであるといえよう。したがって基本的に単一でなければならない。その単一性の認識が自我の意識であり、あるいはその単一性の感覚における表れそのものが自我であるといえる。
 ここでは自我の自然的発生について考察しているので、その超越性についてはひとまず触れない。生命、感覚、意識、自我の自然史においては、それらは密接に関連している。大事なのはすべてが内在的システムにおける現象であるということだ。その中で最も内在的であるのが意識と自我である。意識Bewusstseinとは知るという意味が含まれているように、すでに認識が働いている状態である。認識が向うのは客体か主体かの、どちらかの方向である。客体へ向かえば世界認識へと、主体へ向かえば自我の認識へといたる。動物的意識は生命の基本的意欲をのぞけば、たぶんもっぱら客体へと向かう意識であろう。その際、主体そのものが身体化され、すなわち客体の世界に繰りこまれている。したがって純粋な自我意識は薄いであろう。人間の場合は客体と主体と、等分に向っていよう。動物よりも自我認識が強いのである。しかし、この自我はやはり客体すなわち世界との関係において見られた自我であり、世界認識に左右される自我である。世界内存在としての、すなわち身体を持った実存的自我といってよいだろう。大抵の人間がこのような自我の持ち主である。どんな自我の持ち主であっても、動物がそうであるように、自我は通常、主客合一的に統合された客体である世界へ向かうのである。意識がもっぱら主体に向かうことは、限られたケースである。それへの動機は、世界内での自我の挫折が大きくかかわっていよう。自我が客体に向かわず、主体である自我そのものの克服に向かうに当たっては、そこに認識が働いていることが必要である。そこに挫折した意志の主体を見い出し、それの盲目性、貪婪さを反省するよすががうまれるのである。
 ここまでの自我は欲望と密接に結びついている。個体生命における生への意志の代弁者の役割を果たしているのである。自我は常におのれに立ち返ることによって、知性を道具にしてこの世界における自己保存のために戦略や作戦を練り直す。したがって自我の内在性や超越性について認識している暇などは、ほとんどないといってよい。この身体的・動物的自我がすべてであるならば、自我には救いがない。せいぜい全体への意志の中に、おのれを無化するほかはないのである。それが生命の内在的システムにおける意識や自我の宿命であるといえる。言ってみれば意識も自我も生命の道具なのである。そこに特別なものがあるわけではない。したがって生命の道具としての自我は、強烈であればあるほど生への意志にとって好都合なのである。ニーチェが<力への意志Wille zur Macht>と呼んだものがこれに当たろう。それが個の意志にとどまる限りは、<超人Uebermensch>をめざすほかはないのであるが。
 超人への不可能な道を歩むのでないかぎり、自我にとって残された道は、自己自身を超越する道でしかないだろう。内在的なものを超越するという困難がそこに立ちふさがる。内在性ということをさらに深く考えねばならない。神がこの宇宙に内在するならば、神はこの宇宙以外に存在しない。それが内在論の基本的考えである。しかし神はこの宇宙以外に存在しながら、同時に内在することも考えられる。プロチノスの一者はこの世界を超越していながら、この世界に流出してくるのである。すなわち超越者にして内在者である。同じくショーペンハウアーの世界意志も、この世界の生命体において表象世界として発現しながらも、それは表象とも、物質とも違った超越的エネルギーである。生命体は生への意志という世界意志のエネルギーによって生命界を生み出すのであり、個の生命もそのエネルギーによって表象界を生み出しているのである。自我のエネルギーも個別化した世界意志のエネルギーそのものである。このように内在しているものが超越しているものからきているという考えは、特にめずらしくはない。イデアについても同じことがいえる。思惟やその対象である概念は、生命体の内部のシステムの産物である。それが表象されない世界についても成り立つためには、生命体を超越した世界にもなんらかの概念がなければならない。この宇宙は物理的に言って11次元からなる。ところが生命が生み出した表象界では時空の4次元でしかない。残りの7次元について思惟できるためには、その概念は表象界以外になければならないだろう。それを超越的なイデア界ととらえてよいだろう。超越的なイデアは、少なくとも影として内在界に映し出されているのである。
 この論法によって、自我もまた内在的であると同時に、超越的である可能性が開ける。その超越性を自我の特異性に見い出すことができるであろう。これについてはすでに論じた。ここでは内在性をいかに越えるかに論点をしぼる。単に主客の関係を見つめるだけでは、無限背進におちいることは、合わせ鏡と同じである。主客の関係において見られた私は、一種の客体である。その時背後にある私は常に同一の私であるという意識が伴う。この意識そのものは、いかにしても客体化できないのである。いわば純粋に主体であるところの私の存在の意識である。それはある種の質であり、同時に認識である。あるいは不可解性の認識である。この内在世界では私は質の意識として現われるほかはない。それがどんな質であるかは、その質そのものが私であるというほかはない。それはなんら関係的なものではなく、ましてや概念ではない。そのことが私の意識の不可解性をうむのである。
 しかしながら、私が単なる意識の質であるならば、それは生命の内在的事情にほかならず、生命とともに消え去るものではないのか。私の意識の単一性、持続性も、それが個としての生命システムの単一性、持続性を反映するものであるなら、やはり生命とともに滅びるだろう。私が私を認識し、考えるということも、それが生命内部の機能であるならば、やはり生命と運命をともにする。どこに私の意識の超越性の余地があるのか。ライプニッツもまた、魂=意識を窓のないモナド(単子)ととらえているではないか。それを超越できるのは神のモナドだけである。ライプニッツが内在者の超越のために、超越者としての神を要請したように、自我もまた生命としての内在的存在を超越するためには、超越的自我を要請しなければならないのであるか。それでは単なるアートマンにおちいってしまうであろうし、ドグマの域を出でないであろう。
 (つづく)
2016年7月31日(日)
万物流転と表象の世界
 生成と消滅はこの世界の最も普遍的な現象であることを、古代の哲学者はとらえたが、生成消滅するものの本質は何であるかについて、意見が分かれたようだ。何らかの原質もしくは原素が離合集散することがその現象をもたらす、と考えるのが普通であろう。古代及び現代の原子論も、基本はそのように考える。何かが生成し、何かが消滅するのであるから、ここには二つの要素がある。ひとつは何かに当たるものであり、もうひとつは生成消滅の順序、すなわち時間である。時間はまた単なる経過だけではなく、その経過の間における何らかの関係を含んでいる。
 生成と消滅はそれぞれひとつの事象eventである。事象を物と物との関係と見る時、生成とは何かあるものが別のあるものに変わることであり、これを単なる状態の変化と見るとき、ある状態から、別の状態が存在するようになることである。以前の状態にないものが、すなわち何もないところからあるものが生じたのであるから、無からの有の創出である。ここに原因結果などの関係を見る時、あるものまたはある状態が何らかの作用をして、別のものまたは状態を生み出したという考えが生まれる。作用という考えは、物と物との間に力が働くということであり、とくに身体が他のものに<力>を及ぼして変化をあたえるという日常的経験がその根底にあるだろう。本来無から有が生じただけの無関係であるかもしれない二つのものないし状態の間に、力という体験的考えを持ち込むことによって、生成における因果関係の観念が生まれるのであろう。消滅に関してもまったく同じことがいえる。何かがあるということと、何かがないということとは、まったく別のこととして考えることが可能である。
 もし神がひとつひとつのものないし状態をそのつど生み出しているならば、因果関係などは必要ないであろう。バークレイが観念の原因としての物質の存在を否定したのも、その発想に立っている。生成がそのつどの無からの創出であり、消滅がそのつどの有の無化であるならば、生成消滅の現象を作る根本のものは何なのであろうか。それは物や状態そのものに求めてはならないであろう。もうひとつの要素である時間について考えねばならない。ないものないしない状態から、ものないし状態があるという変化が生じた時、この事象には二つの時点が関係している。もし個々の時点として考察するならば、一方は何もない時、他方は何かがある時という、単なる違いに過ぎない。それぞれの時点は独立しており、この間になんらの媒介を考える必要もない。これがいわゆる物理的時間である。これは徹底して可逆的である。というよりもここには時間の矢がないのである。するとここで問題になるのは、生成のうち唯一、ものないし状態のある場合だけである。ないものははじめからないのであるから。パルメニデスの言うとおり、<あるものはあり、ないものなない>のである。したがって、生成も消滅もない。
 しかし現実には、時間の順序は存在している。本来ないものがなぜ存在しているかを考察しなければならない。それが万物流転の正体に連なるのであるから。時間が経過していることを知るには、経過した時間が保持されていなければならない。比較のないところには経過も変化も知ることはできないからである。本来絶対の有である各時点は、そのどこをとっても同一の実在性を有しているはずである。ところが意識という現象においては、ある一時点だけが圧倒的な実在性を有している。意識的存在においては、意識中心的な宇宙観しか持ちえないのである。しかも意識の時間的世界は一方的に過去に延びており、未来に関してはほんのわずかな幅しか持ちえない。たぶんこれは生命というもののもつ時間意識に通有の特性なのであろう。生命は自己自身と言うシステムを保持しなければならないので、未来よりもはるかに過去が大事なのである。それはともあれ、過去という時間を自己の中に保持することによって、経過する時間という観念が生まれ、同時に変化の観念が生まれるのである。そこからさらに時点と時点との間の関係の観念、原因と結果の観念も生まれるのである。このように意識的時間は生命特有の、生命にだけ通用する時間観念であるといえる。
 それでは生成消滅、万物の流転とはなんなのか。宇宙には進化も発展もないのであるか。インフレーションもビッグバンも、クオークも素粒子も、銀河系も、星ぼしも、生命の進化も、知的生命体も、そこにはなんらの流転のない、ただ有だけがあるにすぎないのか。時間は幻なのであるか。われわれが読み終わった本を、再度終いからパラパラとめくり返してみるように、宇宙はすでに完結した本なのであるか。たぶんその可能性は否定できないであろう。我々の意識はなんといっても生命という限られた存在に封じこめられているのであるから。たまたまこの宇宙のある時期に生命が発生し、知的生命体が発生したことによって、我々の今の、この時点に封じこめられた時間意識が存在するのである。私がよりによってこの時代、この時点に存在しているということの意味は、それ以外になかろう。私もまた生命であり、生命としての意識の宿命を荷わねばならないからだ。
 万物は流転しない。ただ生命だけがあくせくと、おのれのシステムを守り抜くために、時間意識の中で格闘しているに過ぎない。変化は幻である。それにしても生命は変化に対して実に敏感である。その根本には生への意志の、表象としての世界システムの構築へと向う、貪婪な意欲がある。時間・空間、因果律といった、生命にとって必要な世界の枠組みをもとに、現象界をおのれにとって都合の良いように発現させる意志の狡知がそこに働いている。表象界は生成消滅し、流転する世界として発現する。そこが生命の住処だからである。本来生成し、滅びるのは、あるいはそのことを気にかけるのは、生命だけである。それを万物に及ぼすことで、人間は言ってみればある種のカタルシスを覚えている。自己の運命を宇宙全体の運命と考えるからである。同じ流れの中に、二度はいることはないのは、ただ人間だけである。その実、ゼノンをもじれば、流れる川は流れていないのである。

 耳をろうする大音声を伴って、花火が夜空にするすると上がり、火花となって傘のように広がり、消えかけながらパラパラと音を立て頭上に降ってくる。祭りの終わりの花火を、山車に気をとられて見あげる人は少ない。このあたかも宇宙的なeventを見あげていると、いくつもの宇宙がBig Bangを起こしては、数瞬のちに、はかなく消滅していく有様に思われてくる。この縮小されたタイムスケールのもとで、祭りの衣装を着た子供たちを連れた観衆の姿が、幻めいてくる。生命を享楽しているものたちには、宇宙の時間は見えないのである。クセルクセスは、戦に集まった幾十万という兵士を前にして、十数年後にはこの者たちのだれ一人として生き残ってはいないだろうという感慨にとらわれ、涙したそうであるが、時間意識が無常観にまで達することによって、それを克服する思想が生まれてくるのである。ヘラクレイトスに反撥して、パルメニデスが生成消滅を否定したのに始まり、絶対の有の探究が西洋思想を貫いている。無垢の生成Unschuld des Werdensを説いたニーチェでさえ、永劫回帰という絶対時間を考えずにはいられなかったのだ。
2016年7月24日(日)
心情とは何か(あわせて美について)
 心情とは薄められた意志であると定義したが、より厳密な区別をしてみる。知情意という区分において、知と情意の区別は明確であるが、情意に関してはたいてい曖昧である。知は論理的働きもしくは機能であるのに対して、意志は基本的に無意識の判断および行為への意欲である。意識した時点ですでに意志の動きは決定され、遂行されている。あとづけ的に生まれてくる意欲や感情は、つけ足しである。そうならば、情と称されるものはそれ自体では実体のない、選択判断や行為の余波に過ぎないことになる。情に動かされるというのは、錯覚に過ぎないことになる。たとえば、愛情や怒りの結果ある行為に及んだのでも、それを抑えたのでもなく、無意識の行為もしくは判断が意識にそれらの感情もしくは情動として現われたに過ぎない。
 それにしても、意識に現われる意欲や、感情や、情動や、の情念は、(全面的ではないが)個体の内部における意志の状態を反映しており、それによって世界意志の本質を知る唯一の情報源となっている。それらを情念(passion)として一括に扱うこととする。情念は比較的はっきりした形を取る場合が多いが、そのような心理学や情念論で扱う、感情(sentiment)や情動(emotion)の種類とは別に、ここではより漠然とした<心情>とでも呼ぶべき美的感情について考察してみたい。ドイツ語でStimmungとかGefuehlとかいった言葉がそれに当ろう。愛や憎しみや、怒りや嫉妬といった感情のはげしい波立ちではなく、心の平静状態において、自ずと広がる気分のようなものがある。特別に苦痛や不安のない限りは、一種の心身の自足の状態の意識であるといえる。これがいわば情念の下地であって、ここから様々な感情や情動がわきたってくる。その中で最も穏やかなものを<心情>と名づけたい。心の平静状態においてかすかに感じられる、心臓や肺や腸などの、いわゆる臓器感覚が、気分の基調をなしている。この状態にひたっている時に、おのずとある種の胸苦しい情感がわいてくる。それがたぶん生への意志の最も素朴な情緒への反応なのであろう。そのひとつがドイツ語で言うHeimwehすなわち郷愁である。いたる所にあってどこにもない<青い花>を求めて旅立つ心が、最後に見い出すものはたぶん心の故郷なのであろう。このHeimwehと対を成すものが、Sehnsuchtすなわち憧憬である。ここにはない究極の青い花を、いずこかに探し求めたいという欠乏の思いである。たぶん両者は同一の根源から出ているのであろう。

    わが花嫁

  かなたの山の端
  かすみに失なわれ
  金色の光の前垂れかけ
  しとやかに舞い踊る
  宵の雲

  山のかなたの
  光こぼれる空に
  わがまなこのゆくとき
  夢みここちのして
  影なす悲哀の
  わがこころをはむ

  なにとはなくおもう
  わが花嫁の
  かなたに住まうかと
  みめこころの枯れるさきに
  われのゆき 愛するを
  いたみつつ
  待ちこがれるかと

  思わず乱れるあくがれ
  山々へ 乙女へ
  われをかりたて
  あまかける願いのふらす
  至福のなみだ
  まなこよりあふれる

  するうちに
  山々闇にとざされ
  雲は夜にまぎれ
  星影ひとつまたたかず
  嵐が目醒める

  嵐われを叱り叫ぶ
  のぼせあがった愚か者よ
  どこへゆくのか?
  とどまれ!
  お前の花嫁の名は
  ‘苦しみ’
  二人のうえに
  祝福をたれるのは
  ‘ふしあわせ!’

                      原題:Meine Braut

 ニコラオス・レーナウの詩をここに掲げてみたが、郷愁も憧憬も究極的に満たされることはない。あるとらえどころのなく、届きがたいものへの欲求、これが盲目的な、無限の努力としての世界意志の本質であるからだ。恋愛と結婚において、それが達成されたかのように思うのは一時的である。生への意志にとって用がなくなれば、そうした幻影はたちまち消え去る。鮮やかに咲いた花が、受精とともに萎れていくのと同様である。美の幻影は生への意志の狡知であり、戦略である。そのために美のイデアが発現する。
 青い花を求めても、いたる所にありそうで、どこにもないことが分かっていながら、個の意志は究極の安らぎを願って止まない。それは<山のあなた>ではなく、自己の内面に求める外はないのであるが、この世界に発現する美のイデアによって、心は乱されるのである。意志の道具としての美のイデアによっては、個の意志の救済はない。美のイデアはまた全体への意志の道具でもあり、国家や民族や、君主や、カリスマ的人物への、崇拝の情念となって現われてくる。その基本をなすのが崇高美である。崇高とは、個を越えたものに対する恐れと驚嘆から発する、無力感や従順感情と結びついた、個の憧れである。その憧れが満たされると同時に、個の意志が消滅する点において、一種の救済ではあるが、国家や民族等の崩壊とともに崩壊する幻の救済である。
 郷愁や憧憬の先には、青い花や崇高感といった美のイデアがある。美のイデアは生への意志の道具としてこの世界に現われている。そうしたことを承知の上で、美のイデアそのものを<純粋観照>することで、生への意志からの、いわば休暇をかちとることができる。このショーペンハウアーのいう美の純粋観照Reine Anschauung der Schoenenのためには、個の意志の利害を離れた(interesselos)、徹底的に客観的な認識が必要である。レオナルドのモナリザや仏像のあるものは、美の純粋観照の間接的よすがとなっている。天才的芸術家とは純粋な客観性の持ち主であると、ショーペンハウアーは述べているが、イデアそのものをそれ自体として直観するには、willennlosでなければならないわけである。意志が働けばそこに直ちに主客の分裂が生まれ、客体の中に主体がまぎれこむ。憧れや郷愁や崇高が、そこに働き、美の幻影が生まれるのである。しかし幻影としての美ははかない。美のはかなさ(Hinfaellichkeit der Schaenen)とは、意志の道具としての美の宿命である。この世界はイデアの影であるとプラトンは述べた。イデアそのものは背後の光であり、幻影としての世界からそこへ到達するには、魂を上昇させねばならない。意志は影であるところの表象へと向かう。それを転回させ、純粋な認識の眼となることが、純粋自我の発見へと導くように、同じく客観世界においても世界の美的本質としてのイデアの純粋観照へと導くのである。その時、不思議な心の平静が生まれてくる。
 子供の頃、夕暮れ時に、月や星を眺めていると、不思議なほど心が静まったものである。家庭や学校のいやなことや、わずらわしいことが、すべて心から吹き払われ、ただ天体の美の観照の中に、おのれの存在が溶けいって、静謐な思いが全身をひたしたのである。こうしたことは大人になって失われていく。世の中で生存していくためには、生への意志を前面に押し立てねばならない。この青年期の苦闘が、美のイデアをも不純なものとしてゆくのである。たぶん男性にとって美の幻影の最たるものは、女性の美であろう。女性美に対して客観的であろうとすれば、ある種の不気味さがそこに生まれる。美のstrangenessと、ポオの名づけるものがそれに当たろう(Ligeia)。モナリザは、全体の雰囲気もその微笑も、ある種の不気味さを覚えさせる。意志にとって女性美とは、単なる牽引力(いわゆるフェロモン)であるが、それのない美は、ある種の異様さや反撥を生じさせるのである。大抵の女性の顔は、ある瞬間にはきわめて宇宙人的に奇怪な様相を露わにする。さもなければ悪魔的な肉感の発露に過ぎない。意志を滅却した(willenlos)客観的な眼の瞬間には、幻影としての美ははかなくも崩れ去るのである。
 美の純粋観照にとって、世の中の大抵の美は美でなくなるであろう。ある種の醜さ、奇怪さがそこに現われてくる。あるいは逆に、醜いもの、奇怪なものの中に、客観的な美が現われてくることになろう。生よりも死の中に、生命よりも無機物の中に、より客観的な美が現われてくるであろう。ムンクのマドンナが美しいのは、逆説的ではあるが、生命の美を否定したからである。死せるマドンナこそが、始めて生への意志を克服できるのである。
2016年7月20日(水)
自我と意志の肯定
 自我の本質についてはほぼ十分に考察した。自我は無反省の段階においては、ひたすら外界に向かう衝動である。それが内面へと転向することによって、絶対不滅の超越的自己を発見する。自我がそこに至る過程は、通常意志の全面的肯定が、世界内での個の圧倒的な不利から、何らかの挫折をよぎなくされ、理性の力を借りておのれ自身と世界意志の本質を探究することによって、禁欲と諦念によって、この世界から後退することを自我の宿命と達観する認識の働きである。こうした生存のあり方は必ずしも宗教者に限らない。むしろ宗教者は往々にしてこうした認識を欠いている。宗教の害悪がそこから生じるのである。しかしここでは宗教は脇において、自我の最初のあり方である、意志の全面的肯定について考察する。
 人がこの世界で自殺せずに生きていられるのは、強烈な<生への意志Wille zum Leben>があるからである。個体生命の意志はどんな状況においても、生き延びようとする執念に満ちている。青年期の危機を乗り越えるのも、この執念があればこそである。この意味では生への意志に感謝せねばならない。まがりなりにも自我が保たれて、世界と対峙するエネルギーを補給されている。個体の意志は多かれ少なかれ、全体の意志にはばまれて、その全面的欲求を遂げることができない。個の意志はその本質において全体者であり、宇宙意志そのものと本質をひとしくする。それ故にその欲望は無限であり、盲目的であり、妥協を知らない。そうした個の意志同士が争い合うのが、いわゆる生存競争であり、力の発現が階層をなすことによって、上位と下位のシステムが現われてくる。個の意志は上位のシステムに阻まれて、その欲望を全面的に発揮することができずにいる。それを果たすためにはシステムとして<進化>するほかはないのである。
 具体的に人間社会において個の意志の運命を考察してみる。生への意志の最も基本的な衝動は食欲と性欲である。赤子やひな鳥などは食欲のかたまりであるといってよい。それを満たすための手段や行動が、それらの個としての意志のすべてである。食欲は個体の内部における欠乏であり、それを満たそうとする渇望である。ネガティブにしてポジティブである。欠乏であるが故に一生ついてまわる欲望である。それにたいして性欲は、少なくとも男性においては、充満したエネルギーの過剰から来る発散の欲望である。性欲はひたすらポジティブである。この意味で性欲(精神分析で言うエスまたはイド)は生への意志の根本のエネルギーに近い。食欲はネガティブである故に、創造することがない。それに対して余剰なエネルギーの発露である性欲は、それを創造のエネルギーにまわすことができるのである。しかし大抵の人間においては、性衝動は性衝動のままにとどまっている。個にとっての性欲は、産めよ殖やせよのためにあるのではない。ひたすら欲望の充足がもたらす快楽のためである。その意味では単なる排泄に似ている。それが種という上位のシステムにおいて、初めて繁殖という意味を持ってくるのである。
 しかしここでも全体への意志が働いている。食欲においても、会食という形は、集団としての人類に特別の快楽を生み出している。単なる食欲の充足の上に、社交という娯楽を創発している。これは個においては存在しない快楽である。そこから社交欲のような欲望が発生する。動物が群れを形成しようという欲求は、本来個体保存の利害にもとづいているが、これと快楽が結びつくようになるのが、人間特有の社交欲である。性欲においては、動物の中には単なる交尾の欲求とは別に、雌雄をとわず子育てに快感を覚える親はめずらしくない。哺乳類は子が生まれれば、特に母親が子の飼育に快楽を覚えるのである。この動物的快楽が、人間社会のシステムにおいては、母性愛・父性愛として創発される。これらは欲望よりも心情に近いのである。しかし心情は薄められた欲望であるから、いずれにしても上位のシステムの欲望であることに違いはない。男性の場合、本来個の欲望でないものが、全体への意志において発現しているのである。
 生への意志の全面的肯定においては、個の意志は全体への意志へと吸収されていく。それを積極的に行おうとするのが権力意志あるいは(ニーチェとは異なった意味での)権力への意志である。権力意志とは、一見個人の権力掌握への欲望のように思われるが、その実自らが体現する上位のシステムへ、すべての成員を従属させようとする全体への意志のひとつのあり方である。権力者は全体への意志の象徴であり、権化である。もし権力者がそのような意志を体現していなければ、彼は全体への意志そのものによって倒されることになる。人類の政治体制の歴史は、すべてこのことを証している。個人は基本的には、自らの生存にとって必要なだけの<力への意志>を持つに過ぎない。それを他者や、他のシステムのために及ぼそうとは思わないのである。動物界の大抵の個体が、そのような自己中心の力を持つに過ぎないのである。しかしそれらの個の力が、創発的にシステムを作り出していくと、集団の力として統一され、巨大な蟻塚や、バベルの塔を築きあげていくのである。そこに現われたマクロな力への意志が、進化や進歩の原動力となったことは疑いなかろうが、同時にそれが破壊と戦争をもたらしたことも疑いない。生への意志の全面的肯定が、必ずしもこの宇宙にとっての唯一のあり方ではないであろう。
 生への意志は身体としての個が存続する限りは、それを肯定せざるをえない。いや、むしろそれを個において積極的に肯定すべきであろう。そのあり方を基本的に快楽主義と呼んでよいだろう。国家や社会などといった上位のシステムは極力敬遠して、あるいは積極的に無視して、個の存在を享楽する立場は、洋の東西を問わず、古来賢人のとった処世法である。個において不可能な快楽はあえて求めない。あるいは個と個の間の事柄として、少数者の交わりにおいて求める。ディオゲネスも老子もこのような生き方をしたであろう。ディオゲネスは個としての理想の生き方を動物に求め、老子は隠遁生活に求めた。マインレンダーのように自殺するのでないかぎりは、生への意志をささやかに肯定して、おのれの身体的存在を享楽するにしくはないであろう。
2016年7月17日(日)
戦争・テロ・ファシズム・全体への意志・人類の終焉
 戦争とテロは本質的に同じ性質を持った、生命界の現象である。種と種、あるいは種内での、生存のための戦略ないし戦術は、通常は自然選択という無意識の、あるいは偶然の過程であるが、それは必ずしも相互の殺戮や一方の絶滅に終わるわけではない。戦争やテロは、環境の中での相互の適応のひとつの極端なあり方にすぎないのである。増えすぎたイナゴが植物を食いつくすのも、環境のバランスを崩す戦争であり、飢えた熊が海鳥の巣を襲うのは、海鳥にとっては思いがけないテロである。戦争もテロも、規模こそちがえ、無差別に殺戮することにおいては同じであり、その動機は、さまざまではあっても、生命界に共通した、生存競争という原理にもとづいている。
 生存競争とは、一言で言えば、生命体がその存続のために他の生命体を犠牲にするということである。その結果が生態系のピラミッド構造である。その頂点に人類が増殖することによって、きわめて頭でっかちな構造となっているのが、現在の地球での生命の現状である。かつてライオンのような少数の猛獣が頂点を極めていた安定した構造では、戦争やテロは、すなわち生存競争は、安定した生態系を作っていた。食いすぎてもだめ、食われすぎてもだめという、バランスの取れた生態系が自然に生まれていたのである。そうしたバランスを崩すものは、天災のような自然現象にかぎられていた。ところが人類の登場によって、生命界はがん細胞におかされた肉体のように、異常な肥大と生存競争の極端な激化をこうむりはじめるのである。農耕と牧畜が、地球の生態系を劇的に変えていった。そしてその影響を最も蒙っているのが、他ならぬ人類そのものなのである。
 現生人類が誕生してから十数万年の間は、低い文化ではあっても、人類の生活は急激な変化もなく安定していた。それが一万年前に農業革命が起こって以来、わずか一万年の間に、都市革命、精神革命、産業革命、情報革命と、矢つぎ早に、かつ加速的に、人類は<進歩>をとげてきた。これはある意味で、生命の安定性の犠牲の上に、進歩が成り立っているということである。恐竜は隕石の衝突によって滅びはしたものの、少なくとも数億年は安定した生存を続けてきた。毛嫌いされるゴキブリは、さらに長く安定した生存を続けている。ところが人類は2020年には、終末期の始まりを迎えるというのである。2050年には人口は百億に達し、飢餓によって大量の人類が滅びる。そのピークを境に人類の崩壊の時期が始まるのであるという、科学による予言である。
 文明の進歩とともに、人類のきわだった特徴をなすものは、種内部での抗争の激化である。地球という限られた範囲内での縄張り争いは、19世紀から20世紀にかけて頂点に達し、前世紀には二度の大戦を経ている。戦争の教訓は、少しも平和をもたらしていない。グローバリゼーションという、帝国主義に代わる新たな覇権主義が、民族・国家間の格差を広げ、戦争やテロを触発している。経済が国際化するということは、自給自足的な平和な社会のあり方を崩壊させ、攻撃に対する防禦の本能から、社会集団が戦闘的になっていく。戦争は基本的に集団と集団の間の利害の対立から起こる最終的解決手段であり、テロもまた基本的には数において不利な集団が、多数の集団に対して取る戦法の一つに過ぎない。ただ戦争においてはある種のルールがあるのに対して、テロではそうしたルールにかまっていられないのである。真珠湾攻撃は、もし宣戦布告がなければ、単なるテロであったろう。テロも予告があれば、十分に戦争といえる。戦争であれテロであれ、それが起こる必然性は人間性human natureそのものの中にあるのである。
人類史の始まりから、集団と集団の関係は、個と個の関係の上位にあった。個と個が争うことがあっても、それは集団同士の争いとは比較にならなかった。個の間の争いが集団に影響を及ぼす場合には、裁判によってかたをつけることができた。どちらかが責めを負い、あるいは責任の分担を求められた。特定の個人の間の争いは、当事者の間にとどまるのである。それに対して集団が争いに加わってくると、集団に属するすべての人間が争いの当事者となる。そこにはもはや当事者の顔がない。あるいは顔があっても、それはもはや敵としての顔であって、どんなに親しい人間であっても、敵として殺戮の対象となるのである。その例は「平家物語」他の中世の軍記物で、いくつもあげることができよう。
 かつての戦争はそうした人間臭いエピソードも可能であったが、現今アメリカなどが行っている戦争は、まったく顔のない戦争であり、無差別であり、集団間の戦争の最も合理化された姿をとっている。空爆のもとに殺戮されているのは、戦闘員ばかりでなく、老若男女すべての敵集団の成員である。アメリカはすでに広島・長崎でおなじ無差別の集団殺戮を平然と行ってきた国である。しかしアメリカ人は特に人類として変わっているわけではなく、平均的な人類であり、アメリカ国民がなしてきたことはすべての国民、民族がなしうるのである。そのアメリカが、テロ集団の無差別殺戮を非難するのは笑止なことであるが、テロ集団もまた同じ非難をアメリカに向けるのは当然である。ここで本当に非難さるべきは、人類の戦争体質である。これを根本的に究明し、反省しないかぎりは、人類の終末期を早めるばかりである。
 人間が争う存在であることは、生物の常として、如何ともしがたいであろう。しかし大がかりな戦争を行うのは人間に限られている。この根本に集団主義があるのは容易に見てとれる。狩猟採集民である間は、まだしも集団間の争いは少なかったであろう。農業革命と同時に大規模な集団が作られることによって、土地争いの形で戦争が発生した。これが戦争の起源の定説であるようだ。生産力の増大とともに土地の支配権は広がり、都市が生まれ、支配被支配の関係が生まれた。集団内部での権力の行使は、貧富の差をもたらしはしたものの、むしろ個人間の争いを抑える方向に働いたろう。それは戦争ほどの悲惨をもたらしはしなかったであろう。集団全体が、他の集団からの脅威にさらされる時、だれもが戦争の犠牲となりかねない。集団同士の利害が衝突する時、どちらかの集団が滅びる他はないのだ。小さな集団が沢山あるほど、各集団は不安定である。より大きな集団形成へとおもむかざるをえない必然性がそこにある。アレクサンダーが遠征し、ローマが帝国を作った根本の衝動は、戦争によって戦争を終わらせるという集団の不安定性にあったろう。逆説的だが、戦争をなくすには戦争によってより大きな集団を作るほかにはないのだ。少なくともこれまでの歴史はそうであった。
 戦争は集団間の争いであるから、集団は常に<戦争のできる>集団体制を準備しておかねばならない。個人よりも集団を上位に置き、いざ戦争というときに、顔のない戦闘員として、同じく顔のない敵戦闘員を殺すことができなければならない。<滅私奉公>が説かれ、<愛国心>が強調され、<道徳>が強調されるのもこのためである。あらゆる集団、あらゆる国家は、戦争のできる体制である限りは、ファシズムであり、全体主義である。人類を一体にさせるものは、じつは愛や同情や共感ではなく、集団の本能的に抱く他集団への恐れであるといえよう。もしそれがなければ、集団内部での自給自足ほど、ここちのよい平和な社会は無いであろう。自然界には、生存競争に対処するために、集団生活を選択した動物が多々ある。個としてのシステムの安定のために、上位のシステムに包みこまれようとする、<全体への意志>がそこに働いている。人類においても、この全体への意志が集団を形成させ、戦争を遂行する意志となって現われている。戦争においては常に、より上位のシステムが求められているのだ。それはローマや、ナチスに限ったことではない。
 個の意志はこの全体への意志に呑みこまれ、無人格の一要素として、戦争を可能にする集団体制のシステムを<創発>する。無力化された個人は、圧倒的な、神秘な、集団の意志の前になすすべもなく、他集団の殲滅へと駆り立てられていく。これがあらゆる戦争のできる国家でくり返される、個の無化であり、神格化された全体の意志の崇高な使命に酔いながら、喜んで死を受け入れるようにさせる、戦争とテロの本質なのである。全体への意志があるかぎりは、戦争とテロをなくすことは不可能である。人類は飢餓を待つまでもなく、戦争によって必然的に滅びへと向かうほかはない。争いは生命の法則であるからだ。もしそのとおりならば、21世紀はこれまでの大戦とは比較にならない、未曾有の戦争の世紀であることになる。その条件を、核兵器を始め、様々なハイテク兵器が生み出している。人類の集団間の、経済的、思想的、宗教的争いは、いよいよ溝を深めている。イスラム国などは、その欲望が古代的であるだけに、対話すら不可能であるかもしれない。このような時代に、個人はどのように自己を防禦したらよいのであろうか。
 人類は類として滅びても良いと思う。集団の意志、全体への意志が、人類の類としての存続と進化を支えてきた。それがいまや暴走しつつあるのならば、類としての存在をもはや見放すほかはないだろう。個だけが残れば良い。個は基本的にエゴイストであるが、それ故に戦争を嫌悪する。エゴイストは個の対極である、集団の意志に呑みこまれることを潔しとしない。エゴイストにとって個と個の関係が、善きにつけ悪しきにつけ、すべてである。個であることの最も先鋭な意識でのあり方がエゴイズムなのであるから、個を消滅させようとする集団や国家の意志とは真っ向から対立することによって、身内の敵として攻撃や迫害を受ける。集団内部での洗脳や粛清、システム内部での異物の排除、いわば身内に向けられたテロによって、集団や国家は戦争を準備してゆく。そうした集団の圧迫に対して、エゴイストは狡猾に身を隠すことを強いられる。さらにエゴイストは、彼自身が一つのシステムである以上、彼自身の内部にある全体への意志とも常に闘っていなければならない。彼はエゴイストとして狡猾に上位のシステムにもぐりこんだとしても、それをいつでも覆せるようにしていなければならない。そうして時期を待つのである。
 類としての人類はもはや終焉を運命づけられている。エゴイストは、個としての人間の唯一の希望である。エゴイストは類を越えた超人でなければならない。人類の生命体としての宿命を乗り越えた、個の運命を生きる超人でなければならない。それによって全体への意志を克服し、戦争を克服する、これ以外に<人間>の未来はない。
2016年7月14日(木)
個性と理性
 ここでいう個性とはindividualityのことであり、自我の個としての宿命をいう。単なる性質や性格の特異性のことではない。individualとは分割できない個体ということであるが、これが厳密に成立するのはPlotinosの意味での一者と自我だけである。いま世界の本体についてはさておき、自我が単一な存在であることは疑いようのない意識の事実である。むしろ単一であることが意識の条件となっている。カントが統覚の総合的統一を認識の先験的条件としたのも、この意識の疑いようのない事実にもとづいていよう。もし単一でない意識があるならば、もはやそれは意識ではないなにものかである。
 意識は単一ではあるが、世界は意識と同時に主観と客観に分裂する。ここで注意すべきは、意識の単一性とは、ウィリアム・ジェイムズや西田幾多郎のいう主客合一の状態のことではなく、主客に分裂した世界を認識する意識の統一性のことを言うのである。主客合一は意識以前の経験のあり方であり、いわば自我の誕生を準備する母胎に過ぎない。自我は世界の分裂とともに、突然に誕生する。そして分裂した世界に対して自己の単一性を意識するのである。単一対多という自我の苦悩は、すでにここに始まる。私とは何かという懐疑は、世界の中で唯一単一な自己の存在の特異性に対する悩みである。自我は先ず主客の関係に従って、おのれと他との関係を身体を基準にして確立することを覚える。自己の身体は客体ではあるが、とりあえず私のありかとして主観の位置に置かれる。そして私の身体に対峙する他者や世界が、生の現実として私の前にたちあらわれる。そこでは本来単一である私は、身体という客体に乗り移って、多の中の一となることによって、世界の中に紛れこむのである。
 この自我がすすんで行う<自己疎外>は、生命の圧倒的な現実の前に、意識が引き寄せられ、取りこまれていく過程でもある。生命もしくは自然との一致した存在へと向う<意志>が、身体の本質であって、自我はともかくこの世界の中でのおのれを確立するためには、この奔馬にまたがるほかはないのである。世界が<意志>だけでできていたならば、自我は救いようもなく、ひたすらおのれを苦悩と絶望の中に失っていったことであろう。
自我をおのれ自身への回帰へとさそう原理が、幸いにもこの世界には存在する。それを古代の哲学者は理性と名づけた。世界意志ほどの強力な力を持たないにしても、それを牽制する原理としてのなんらかの世界理性は存在するであろう。それをプラトンやアリストテレスは、イデアとかエイドス(形相)とか名づけた。人間が思索を行えるのは、まさにこの原理が働くからである。この原理そのものは、世界意志が無意識であるように、意識の背後にある宇宙原理である。古来、西洋でも東洋でも、その原理の現われを天体の運行に見てとった。その原理は、生命の中にも、人間の脳の中にも働いているのである。自然科学や数学が可能なのも、この宇宙原理があるからである。
 理性の本体が何であるかは、(宇宙意志の本体と同様に)たぶん人間の知性によっては究極のところをとらえることはできないであろう。しかし少なくとも近似的には、この世界を理性的にとらえることは可能である。その理性の力によって、自我はおのれ自身を見返り、単一者としての自己の本質に還る道を見い出すのである。この道を探究したのは主として西洋人である。西洋人は理性と自然とを対置させた。自然はある意味で不条理である。自然=物は鈍重で、粗雑である。自然そのものである肉体も粗野で、御し難いものである。それに対して、思索を可能にする理性は、軽やかで、整然としていて、物に対して悠然とした態度を取らしめる。自然とりわけ肉体をコントロールするには、この理性によるほかはない。ソクラテスも、ストアも、エピキュロスも、デカルトも、スピノザも、このように理性による、肉体や心情のコントロールを説いたのである。
 しかし理性原理による、自然や肉体の支配は、そもそも世界意志を前にして圧倒的に不利な闘いを強いられている。東洋人は早々とその不利を覚り、世界意志そのものの滅却へと向かうか、自然や肉体との共存的融和へと向かった。しかしここでは、自我との関連で理性を考える時、自我の目醒めには理性の目醒めが決定的であることを強調したい。東洋人が自我を失ったのは、まさに理性への信頼を失ったことと関連しよう。理性を信頼し、世界への不利な戦いを挑むことによって、自我はおのれの悲劇的な運命に気づくのである。理性的に世界を構築しようという試みは、自我がおのれにとって都合の良いように世界を改変しようということである。自然を征服し、肉体を征服しようとすることは、多の中の一である自我を、多を含む一である自我に回復しようとすることである。それは自然の報復によって挫折をよぎなくされる。自我はマンフレッドのように自己が打ち負かされたことを認めないであろう。理性を杖に、いつまでも荒野に立ちつくすであろう。それがこの世界における自我の運命である。それはまた理性の運命であるかもしれない。
 文学においてこの自我の運命を最もよく表現したのは、エドガー・アラン・ポオであるといえる。彼の全作品は、この自我=理性の共同体と世界との闘いの象徴的な表現であったといえる。その意味で最も西洋的な作品である。日本人が彼の作品をまねることができないのは、そもそも理性を必要とするだけの自我に欠けているからである。究極の自我のあり方を、ポオはユリーカの中で、宇宙を創造する孤独な神にたとえた。自我は宇宙を創造するだけの力は持たないが、少なくとも理性に支えられたイマジネーションをもつ。そのうえ単一者としての独自性において、世界の本質と軌をいつにしている。それはこの世界の多としての物のように、分解することも、滅びることもないであろう。真の意味でのindividualである。もはや分割できない点の概念のように非在ではなく、分割できない実在である。いまここに否定しがたい実在として存在しているのであり、それ以外に実在としての存在はないのである。それを古代人のように魂などとして実体化する必要はない。私が私であるだけで十分なのである。それがこの幻影の世界で打ち負かされたとしても、そのことは私の本質に少しも触れないのである。だからといって、私はマンフレッドのように倨傲に走ることもない。ただ自我の本質そのものは同時に救済の原理でもあるということを、主張しているに過ぎない。
2016年7月12日(火)
自我の特異性について
 私が私であるという自我の特異性はどのようにして生まれるのであるか。意識は脳細胞の一機能であるということは脳科学が明らかにしている。単なる機能としては、胃が消化の、肺が呼吸の機能であると同様に、脳の神経細胞がなければ意識は存在しない。しかし問題は、この私の意識がどうして私の意識であるのかということである。この私の意識の不可解性を、単に脳の機能で説明できるだろうか。脳が消滅すれば私の意識も消滅するのだから、脳の機能がこの意識の特異性をも説明できるはずである、と脳科学は主張するだろう。
 先ず考えられるのは、個々の脳の神経細胞の組織や働きの違いが、意識の特異性として現われるのかもしれない。私がこの私であるのは、この私の脳の機能が、その他の人間の脳と微妙に異なっているからだということになる。しかしその微妙な違いとはなんなのか。この私は他の私と直接比較することは不可能なのであって、私の特異性とは比較された特異性ではないのである。まさに私自身が私であることの特異性なのである。私であるとは一つの統合性であり、単一の意識であるが、その統合性や単一性が、私という意識に色濃く染められているのである。神経細胞の組織の統合性が、私という意識の特異性を決定するのではなかろう。それはせいぜい意識一般といった統覚をもたらすに過ぎないであろう。それは誰の私であってもよく、交換可能な私であってよいであろう。この統覚がだれのものでもなく、ほかならぬこの私のものであるという意識は、統覚そのものとは違っていよう。それはある種の意識の質であり、かつまた唯一性の意識でもある。それをどのようにして神経細胞の違いが生み出せるのであろうか。神経細胞の量的、機能的違いが自我の質的違いをもたらしえるならば、将来コンピューターもそれぞれが特異な自我の持ち主になるであろうが。コンピューターが私は何者だろうと悩むことになろう。 
 さて、脳の組織や働きを決定するのは遺伝子のDNAである。それならば私という自我の特異性は、すでにDNAの中に書き込まれているのであろうか。一卵性双生児の例を考えよう。自然界が生み出したクローンである一卵性双生児は、どちらも同じ遺伝子を持っている。私の意識の特異性がDNAによって決定されているならば、同一の自我がそこに発生しているはずである。双子の兄弟または姉妹が一つの自己意識を共有しているなどという例があるだろうか。双子同士が、共感以外に、自分と相手とを自己意識において混同することがありうるだろうか。私の意識の特異性は少なくとも遺伝的要素だけでは決まらないだろう。
 あるいは、自我の特異性は後天的に、経験によって形成されるものだろうか。それならば極端な経験によって、まったく別の自我となることもなければならない。しかし人生を顧みて、<あの頃の自分>が今の自分とはまったく違って、まるで別人のように思われることがあるにしても、それが同じ自分という自我の特異性を持っていたことまでも否定できないであろう。自我の特異性はあらゆる経験にもかかわらず、発生してから死ぬ時まで、時間的に不変なのだ。もし変わってしまったならば、そこにはもはや記憶もなく、多重人格、すなわち複数の自我の問題になってくるだろう。あるいは心理学が説くように、自我は記憶や認識にもとづいて発生するものなのだろうか。たしかに記憶がなければ、かつてあった私を思い出すことはできない。しかし大抵の場合、記憶を失っている私の意識まで失うことはない。むしろ記憶を失って私は苦悩しさえする。苦悩する私は失われていないのだ。認識に関しては、鏡に映った自分を自分と認識することが自我の発生であるとするのも、心理的事実に反している。実際には認識そのものが意識を伴いさえすれば、そこに自我はすでに発生しているのである。おまけに自我の心理的発生は、私の自我の特異性を少しも説明しない。
 それならば、脳が一個の個体であることからくる、なんらかの区別の機能が私の意識の特異性なのだろうか。私はあなたではなく、彼らでもない。しかしこの場合も、私はあなたや彼らの意識について直接には知らないし、比較することもできない。あなたや彼らとの違いは、私がわたし自身を直接に知っているということだけである。このことが私の意識の特異性を生むのだろうか。そうであるならば、私の意識は思ったほど独立的ではなく、他者の存在に依存しているということになる。つまり私の特異性とは一種の主観的幻想なのであって、だれもがこの主観的幻想にとらわれているのである。そうならば、この私の特異性は、最も普遍的な私の意識の姿であるということになる。はたしてそうだろうか。この私はすべての私と交換可能なのだろうか。私はアートマンとして万人の自我にすぎないのだろうか。実際にバラモンでもなければ、私の自我が同時に他人の自我でもあるといった、そんな特異性を失った自我体験は不可能だろう。かりに私の特異性の意識が他者の存在によって呼び覚まされるとしても、私の意識の特異性がそれによって規定されているとは思われない。逆に私がアートマンとして、すなわち自我一般として、私の質的特異性を失うことがあるならば、そもそも自我などは存在しないにひとしい。大我と無我とは同義といってよい。その瞬間に自我の問題は解消して、あたかも自我などはなかったかのように動物的無意識に支配されるに過ぎないだろう。鎖につながれながらものんびりと昼寝している犬などを見ると、それがアートマンであり、無我であるような気がしてくる。
 結局、意識そのものを直接対象とすることができない科学は、それが脳科学であっても、この私という意識の特異性を説明することができない。<すべてを認識するが、何ものによっても認識されない>のが主観であるとショーペンハウアーは述べたが、その主観に属する自己意識の特異性は、通常の認識の仕方では解明しがたいであろう。自我の特異性は実にシンプルである。それは私が私である(Ich bin der ich bin)ということにほかならない。それは埴谷雄高の場合のように<自同律の不快>となって現われる場合もあろうが、たぶん通常は驚きと不可思議の意識を伴うであろう。それは一つの発見であって、なかには一生発見できない人もいるようである。それは意識の存在そのものとも関わっている。つまり存在を意識することの驚異なのである。宇宙自体の存在は確かに驚異である。しかし自己自身の存在は、言ってみれば、さらに驚異である。それがちっぽけな存在であるとか、風にそよぐ葦のような、頼りない存在であるとかの反省以前に、自己が自己を発見することの不安と悦びがあるのである。それは思惟によっては把握できない。何ごとかを告げようとしている音楽の言葉を、形あるものにしようとする努力に似ている。それが告げている唯一のことは、私がなぜか存在するということである。この存在の確実性は、外界にではなく、まさに私の意識の中にあるのである。
 ここでは実存哲学についての論議ではないので、世界内存在ではなく、デカルトの意味での私の意識の存在について考察している。たしかに世界=対象に向っている時の意識は
不確実で、頼りない。事物こそが確実な存在に思われる。それを逆転させたデカルトのcogitoにならって、最も確実な存在の根拠を求めるならば、自己意識のほかにはないのである。私とは意識の存在そのものなのだ。そこには無はない。かつて存在しなかった私は想像に過ぎないし、今後存在するであろう私も想像でしかない。私とは端的に存在者そのもの(der Seiende schlechthin)である。私は生まれもしなければ消滅もしない。もし私の誕生ということがあるならば、私は私から誕生したのであり、私の死ということがあるならば、私の死は同時に誕生である。宇宙は宇宙から発生し、同じものは同じものから発生するように、私が発生するものならば、それは私から発生するほかはない。私は世界そのものではないが、世界と同等の、あるいはそれ以上の実在性を持っている。時間・空間の中に現われるが、この世界のように時空の中にとらわれてはいない。この世界は幻影と言ってもよいが、私自身は幻影ではなく、むしろ幻影を生み出すものの中にいる。したがって、この世界とは本質的に異なっており、自由である。
(7・11付記)
 あるいはこの議論は、単なる認識上の事実を、存在の根拠とする、論理上の誤謬ではないかという批判がなされよう。最後にそれについて一言。これはデカルトのcogito
についても言えることであろうが、人間の思惟もしくは意識が見い出した認識上の確実性は、それがそのまま存在の確実性、絶対性を保証するものではない。それ故にデカルトにとっても、究極的保証人としての神の存在が必要だったわけである。私が唯一確実であるとする私の意識の存在も、その保証人は私以外ではないではないかということになる。私の意識の特異性は、その認識が同時に存在の認識であるという点である。<私はある>という認識は、同時に私の存在によって支えられているのである。このような存在と認識の一致は、私の意識以外にはないのである。中世の神学者が苦心したように、そこにはなんらの存在証明はいらない。私の存在の根拠は私の認識であり、私の意識の根拠は私の存在である。これは単なるトートロジーではない。バークレイは<存在とは知覚されることであるesse est percipi>と言ったが、これは分析可能な意味ある命題である。認識されなければ私の存在はないのであり、認識と同時に私は存在し始める。私とはいってみれば、認識する存在者なのである。それ以外の存在は、もしそれ以外の存在があるとすれば、意識とともには現われてこない存在である。それを私は世界として、他者として客体化する。その存在までも私の意識は保証することができない。あるいはまた、単なる認識というものがあるならば、それはなんら存在と一致するものではないであろう。それは動物の意識がそうであるように存在を保証しない。単なる認識者でも、単なる存在者でもない。その両者であるものが私である。
 しかし、もしそうであるとしても、そこからどのようにして私の存在が絶対であるとか、不滅であるとか言うことができるのか、と反論されよう。絶対的に確かなものは絶対といってよいであろう。しかしそのものはこの世界では、いかにもひ弱く、大海の一粟のような取るに足りないものではないか。たしかに意識は主客の分裂において、圧倒的な客観の世界の前におののき、無力を覚える。しかしそれは自我の本質ではなく、世界の本質なのである。おののいているのは私ではなく、いわば私のアバターであるこの物質としての肉体である。このおののきにおいて、自我は意識としてのおのれ以外の存在を感知するのである。主客の分裂において外化された私は、世界内存在として卑小な、無力な存在へと落とされる。この外化された私を、内在的な私へと帰還させること、それが超越的自我への道である。その時、認識が存在を保証し、存在が認識を保証する自我の本質を発見し、そこに神秘主義者の言葉でいえば、神を見ることが可能になるのだ。古代の哲学者が、<あるものはあり、あらぬものはあらぬ>(パルメニデス)と言ったように、そこに絶対の<有>があり、無は存在しない。この宇宙が有そのものであり、無からの創造は存在しないように、自我もまた有そのものであるといえる。無はもはや認識ではなく、私ではない。私が私であるかぎり私は有以外の何ものでもない。その意味で私は不滅である。
2016年7月6日(水)
個体の意志
 この世界の本質であり、物自体としての実体的存在である宇宙意志は、全体者であり、時間・空間・因果性の外にあり、それ自体で充足した無限のエネルギーであるといえる。それがビッグバンによって無限の連鎖的な宇宙を生み出す過程は、比喩的には<流出>として、量子力学的には<ゆらぎ>と言い表わすことができよう。宇宙は無限に生まれ、生まれた宇宙はまたそれ自体の法則によって無限に増殖してゆく。138億年前に生まれたこの我々の宇宙は、この無限のループの中の一つに過ぎない。それが今日の宇宙論の教えるところである。この無慮無数の多元宇宙のひとつひとつは物理的に限りなく多様であり、たまたまこの宇宙においては、生命や知性体が発生する条件がそろっていたのである。それらの条件、時間・空間の次元や、因果律や、クオークや素粒子の存在などは、絶対ではなく、いわば幻影のようなものである。クオークなどの物質の発生しない宇宙もありうるのである。そうした多様な宇宙の中での<自然選択>によって、偶然に生命・知性の発生する宇宙もありえたのであるという。
 現代の物理学が描きだす宇宙観は、近代科学が徹底して嫌った形而上学が説くところと接近しつつあることは興味深い。宇宙全体を一つの生命体と見なす量子力学的発想も、素朴には世界有機体説を思わせるし、ショーペンハウアーの<意志としての世界=生への意志=世界意志>と一致する点がある。世界意志そのものは全体者であるが、その発現のループの一つであるこの宇宙は、一個体と考えることができる。そこに現われる意志は、すでに個の意志なのである。すでに始めからシステムへの意志を露わにしているのである。宇宙はエントロピーの低い状態すなわち秩序から、エントロピーの高い状態すなわち無秩序へと発展していく。個としての統一をもった状態から、さらに無数の個へと多様化していくのである。単一であるものが最も高い統一性をもっている。一から多へと宇宙が個別化を遂げていくのと裏腹に、統一への意志がシステムを形成していく。システムとは多くの個を包みこみながら、個の集合を超えた統一的全体を生み出すことである。その統一は個々の要素の中にはなく、複雑系の科学が言うところの創発的なシステムから生み出されるのである。創発とは、「構成要素間の局所的な相互作用が系全体の大域的構造を生成し、この構造によって規定された全体的特性が、フィードバック的に構成要素の振る舞いに影響を及ぼす」という関係であり、その際<全体は部分の総和ではない>。(吉永良正「複雑系とは何か」による)。
 個体の意志がこのようなものであるならば、個とは世界意志そのもののシステムの形を取った似姿であるといえる。最大のシステムとしての宇宙全体から、素粒子のシステムに至るまで、システムの階層構造がこの世界を一つの有機体としているのである。無限大と無限小の間の中間者としての知的生命体にとっても、この両極限は無縁であるわけではない。量子力学的システムは生命や知性の働きを支配しており、宇宙の諸条件はこの宇宙の現われ方を支配しているのである。一個の知性的生命体としての人間は、まさに小宇宙なのである。世界意志の個としての現われである人間の使命とは、ひたすらシステムを維持することにある。それが<全体への意志>の正体である。自己自身が一つの統一的システムであるために、そのシステムを維持するためには、他の階層的システムをも維持しなければならない。個のシステムは類のシステムへと収斂されて、創発的全体としてその中に消滅する。それは身体の諸システムが一個の動物的生命を作りあげるのと同様である。そのようにして一般に自然はエントロピーの増大に抗してきたのである。
 個の意志がより大きなシステムへと、単一へと、駆られていくことは、世界意志の本質へと回帰していく運動であるかぎりは、この宇宙のあらゆる存在物、存在者の宿命であるというほかはない。個体を維持しようという努力そのものが、すでに個体生命の統一というシステムへの努力にほかならないのであるから、そのシステムが危機にさらされる時、より大きなシステムへの帰属を希求するのである。その意味では、個体保存も種の保存も原理的には同じである。どの階層のシステムであれ、まず個体としてのシステムがあり、そのシステムの確保において上位のシステムに組み込まれていくのである。そして大抵の場合、個体システムの確保は上位のシステムに依存しているのである。
 具体的に人間社会において考察してみる。個としての人間はおのれ自身を確立するためには、他の上位のシステムを必要とする。誕生と同時に、生命としては無力な個体は親・家族・親族のシステムに従属せざるを得ない。家族から独立するためには、あるいは家族そのものも、また共同体や部族や国などの、社会システムに従属せざるを得ない。個のシステムの確立と同時に、社会システムへの同化の過程が進行していくのである。これは生命界に共通して見られる個と類との共軛関係であり、ポリス的動物としての人間のあり方でもある。上位のシステムは、その成員である個々のシステムとは独立に存在するかのような見かけを持つ。法人としての会社や、国家などは、それ自身概念的に独立した実体と見なされるのである。それらに対して個としての成員が忠誠を誓わされたり、身を犠牲にしたりすることが、ごくあたりまえに行われている。まさに全体こそが真の実在であり、個は全体的システムを創発的に生み出すための要素にすぎないのである。
 これが生命としての人間の本質であるならば、いったい個としての人間の尊厳などというものはどこにあるのか。まったくの錯覚ではないのか。他者からのおのれの個の尊重や共感や、愛を求めたりすることで、果たして人間の尊厳は実現するのだろうか。それが困難であることは歴史や日常が証明している。愛や共感はシステムの内部でのみ可能であり、そこでのみ個は尊重されるに過ぎない。システムの外にまでは、あるいはシステムから除外されたものらには、それらの尊厳の付与は及ばない。そしていざシステムが危機に瀕すると、システムそのものがその成員に対して牙を向き、全体への意志としてのその暴戻な本質を露わにするのである。それに対して人間の尊厳のいまひとつの中心概念であるエゴイズムは、単なる倒錯なのであろうか。エゴイズムとは、他のシステムとの関係を極小に抑えようとする自己のシステムの欲望である。上位のシステムであれ、下位のシステムであれ、自己の個としてのシステムを中心に関連づける時、ある種の転倒が生じる。単一であるべき最高位の統一は自我に求められ、あらゆるシステムは、自己自身の身体的システムを含めて、自我に従属するものと見なされる。本来自我は、世界意志の個における発現として、世界意志に従属すべき意欲なのであるが、そして動物界においてはすべてそのようなものとしての自我の働きしかないのであるが、人間においてだけ唯我独尊としての自我が発生してくるのである。ここには世界意志とは別の原理が働いていないかぎりは、単なる意志の倒錯と見なされるほかはない。世界意志と対立する個の意志を生み出す契機となるものは、まさに自我の本質をなしている自己意識にほかならない。認識の発達が自己意識を生み出すことによって、単なる動物的自我ではない、超越的自我が発生するのである。この超越的自我こそが、プロメテウスのように世界意志に反逆して、一見倒錯的なエゴイズムの世界システムを作り上げるのである。ここにおいて、個体の意志は初めて解放と救済の可能性を見い出すことができるようになる。まさに世界意志のエネルギーを自己自身のためにのみ用いるのである。これ以外に個としての人間の絶対の尊厳などというものはありえないのだ。
2016年3月26日(土)・7月5日(火)
戸建生活入門
 去年の末、念願のアパート生活からの脱却ができた。その準備に三年かかった。たまたま親の遺産のおかげでまとまった資金の入る当てができ、紆余曲折の後、なんとか田舎町のささやかな中古住宅の購入にこぎつけたのである。成人となってからの人生の大部分をアパートやそれに類する生活ですごしてきたので、行きづまってhomelessとなる前に、少なくとも畳の上で死ねる準備ができたわけである。
 埴生の宿ではあっても、家賃を払わなくてもすむというのは、実に気持の良いことである。たとえわずかな収入でも死なないだけの生活はできるだろう。固定資産税などというのも、家賃と比べたら比較にならない。海や湖の近くなどという贅沢はかなわなかったが、いろいろな事情からとにかく家が持てただけありがたいと思わねばならない。
 入居してからあれこれと不都合が見つかり、修繕の費用やDo it yourselfの手間はかかったが、好きに直せるということは戸建の魅力である。気になるのは、アパート暮らしではほとんど無視していた近所づきあいであるが、純然たる田舎ではなく、団地であるから、それなりの付き合いでよさそうである。
 西に低山帯を臨む田舎町であるが、60年代から開発された団地が狭い通りに向かい合って無数にひしめいている。どの家も似たり寄ったりだが、狭い土地にそれなりの間取りの工夫がなされているようだ。建てつけの悪さや、中古住宅であることの先住者の痕跡や古びなども、大して気にならない。庭というよりも隣の家との境の隙間のようではあるが、とにかく狭い庭がある。工夫すれば木や花が塀がわりになりそうだ。朝昼夕と、建物の間をくぐって陽が射しこみさえする。草刈り道具はそろっているので、雑草もおそれるに足りない。
 この町で最初の数日間を過ごして、感じた印象は、静けさと騒音との奇妙に交錯した、不思議な聴覚の感触であった。高齢者の多い団地であるためか、人声は少ない。車は時間帯によっては10分おきに通るが、昼間や夜間は郵便配達と新聞配達のバイクのけたたましさ以外は、気になるほどではない。それよりもこの地方一帯を空域にしている、軍用機の空気を切る金属的な振動音が、昼夜となく静寂を切り裂くのが、始めのうちは気分をいらだたせる。多い時は一日に百機を超えるであろう。そんなことが計算されるほど頻繁に飛ぶことがある。練習機であろうか、わざわざ低空で二機連なって爆音を立てて飛んでくる。音による大気汚染も甚だしい。しかしそんなことで気分を害するのは、疲れることである。たいていの住民がそうであるように、やがて無関心になるだろう。ここで特に記したいのはそんな騒音のことではない。
 これまで市街地に住むことが多かったためか、ホントの意味での静寂をつくづくと味わうことがなかった。騒音や雑音が途切れると、妙なくらいに静かなのである。そして晴れた日には、なんとなく町の上空に、空気そのものが緊張した響きを発しているような、妙な金属的な、かすかな音を感じるのである。最初は耳の錯覚かと思われたが、それはなくならなかった。近くに工場でもあって、モーターの音でも伝わってくるのだろうかと考えたが、団地を出外れて、山近くへ自転車で出かけていった時にも、その聴覚の感触はつきまとっていたので、どうやらこの町全体をおおっている幻聴のような空気の振動音らしかった。この町の家並みの上にはいく筋かの高圧線が通っている。冬の北風に高圧線はうなりを立てるものだが、風はなくても電流が通ることによってなにかの音を立てているのだろうか。その音が感じられるほど、この町は本来静かなのだろう。小山のような高台に立つ寺の墓地から町を眺望しながら、そんなことが考えられた。
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 この町は特にこれと言った産業があるわけでもない、ベッドタウンの一種なのであろう。とりたてて人の興味を引く名所旧跡があるわけでもない。しかし、どの町にも町の歴史があり、民俗資料館がある。町のはずれにあるその資料館に出かけてみた。縄文期の遺跡の発掘品をはじめとして、ささやかな陳列を時間をかけてひとめぐり見た。石器や土器に特に興味があるわけではないが、あちこちの資料館で見ているせいか、古代人の素朴な道具類を目にしていると気分が静まってくる。他に入館者は親子二人だけで、ここでも驚くほどの静寂が支配していた。ソファーでくつろいでいると、学芸員の女性が前を会釈して通り過ぎたが、こんな静かなところで一日過ごす仕事は、まるで別天地にいるようであろう。
 この変哲のない田舎町に来て、初めて心の踊るのを感じたのは、晴れた日に団地を出はずれて、車通りの向こうの田畑へ抜けでた時である。田圃へ抜ける道は下り坂になっていて、自転車を走らせると、広々とした冬田が広がり、低い山並が西に見渡せた。そこにはささやかな川も流れていて、平野部ほどではないが稲作が行われている。この関東平野の原風景がすぐ近くにあるのを見て、ほっとする安らぎと心の躍動を覚えたのである。アラビアのロレンスは一木一草もない砂漠の茫々とした広がりに魅せられたようだが、冬の平野の中央部にいると、同じような空漠の思いがわいてくるものである。地の果てに対するロマンといったものが、そこに立ちのぼってくるのである。その点ではちっぽけな山並は邪魔であるかもしれない。しかし山は山で、単なるアップダウンではなく、たとえ人里近い植林されたハイキングコースであっても、時に幽邃な思いにひたれるのである。それが一時間も歩けばたどり着く手頃なところにあるのだから、文句は言えない。