弓矢猟


作成2000年11月15日

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 写真が全て揃っていませんが、とりあえず今有る分でお話を進めていく事にましょう。通常弓矢猟の場合は鏃(やじり)の部分は日本製の8番線を各自がハンマーでたたいて作り出しますが、この作り方がとても面白い。(写真が出て来たら作り方をご紹介し ましょう)日本国内へ槍とか鏃類の持ちこみが出来ないと言う事から、つい20年前(この記事の中の年代は1985年を基準に書かれています。)迄使っていた木製の鏃を作ってもらった。ここで作っているのは日本で言う所の鏑矢であるが、木製の鏃も存在する。

※服地と金属材料 の多くは日本から輸入されたものでした。

 矢鴨の事件を覚えていらっしゃると思うが、この時使われた鏃の部分は標的用のポイントで貫通する事だけが目的の物であった。矢は急所を外した為、貫通したまま鴨と一緒に飛び続けなくては成らなくなり、日本中の注目を集める事になったが、古来鳥を矢で射抜く場合は鏑矢を用いる。鳥は急所を外せば矢を付けたまま遠くへ行ってしまい 、たとえその先で絶命しても回収は不可能となってしまう。この為、鏑矢を用いるが、それは鳥の体に当たりさえすれば良いと言う物である。当たった衝撃で鳥の中空構造の骨はたやすく砕けてしまう。こうなると生死に関係無く 、鳥は飛べなくなり捕獲されてしまう事になる。


 今、鏑を削り出している人物の名前はジアと言う。この地方で最も有名なハンターである。なぜ彼が優秀なハンターかと言うと 、それは彼の腕ばかりでは無く、彼の飼っている優秀な猟犬によって彼が捕獲するシカの数がこの地方一多いと言う証拠である。

 さて、まずは木から鏑の部分を削り出す。気長な話しだが、私が貸したオピネルのナイフで器用に削り出して行く。後ろに見える丸い大きな籠は収穫したとうもろこし(メイズ)を貯蔵しておく為の物で、中身を食べ尽くしたので軒下に置かれている。

出来あがり。この後、これを葦の一種で出来た矢幹(やがら:軸の部分)に取りつける。



  写真は矢筈(やはず)の部分の製作に掛かって居る所、彼らは矢羽を使わないので精度が悪いかと思ったが、彼は30m先のキジバトをこの矢で撃ち落した。


  サイザル麻で巻き上げた上に、ある決まった木の樹液を塗り、木炭の粉をまぶして固める。日本でならさしずめ漆と言う所であろう。

弓と矢(2005年6月25日撮影)


日本に持ち帰った物で、鏃は木製。本当は石鏃を期待したのだが、木から金属へ変わったそうである。木器時代なんて有るのかな?


  別な日、狩に出掛けた。 乾季になり、農閑期になると男たちは鍬を弓に持ち替え狩りに出掛ける。単独猟、巻き狩り、山焼き猟、と忙しい時期を向かえる。この時期になると一週間に1回の割合で集団での猟が各部落で開催される。今日はその中の一つで、この地区最大の山焼き猟が行われると言うので出掛けた。

 先頭を行く3頭の犬、どれもこの地方在来の犬種ではなく洋犬の血が入っていると思われるが、一頭だけ毛色が灰色で眼光が鋭い独特の雰囲気を持った犬が居たが、これだけは別の系統と思われた。 すばらしい犬であった。

行く途中ジリスが走り出し、木に登る前に犬が見事に咥えた。中々渡そうとしない犬。彼らは餌が少なく飢えているのである。


部落から部落、時には川を渡り、狭い尾根道を通り、2時間掛けて今日の猟場にたどり着く。


 12時前に到着の予定が、私たち一行が加わった為に少し遅れて到着した。2時間の道のりである。

 いよいよ火入れをしての山焼き猟の始まりである。もうすでに人々は持ち場に付いて準備をしている。我々も急ぎジアの後に続き、早速持ち場に行くが、私は眺めの良い山頂を目指す。(黒い部分が焼けて灰になった部分で火はその先の白い部分へと伸びて行く)

  しばらくするとめらめらと赤い火が下から登ってくる。煙と炎から身を交わし、暑さに耐えるのが精一杯だったが、火が通り過ぎると視界が急に開け多くのシカが走るのが良く見えた。 小さなシカから牛ほどの大きさも有る物まで何処に隠れていたのかと思うほどの獲物が飛び出して来る。総勢200人近い男たちが一つの山を囲み出てくるシカを狩るのだから壮観である。直径で2、3キロ位の富士山のような山 (伊豆の大室山と同じ位)で、萱が生い茂ったこの狩猟の為だけに有るような山である。

 上空には無数の猛禽類が舞い、飛び出して来たり焼けて死んだ獲物を狙っている。鷹の渡りでもこれほど一度に多くの種類の鷹を見る事は無いであろう。

次々と獲物が仕留められて行く。ほとんどが小型のシカで名前を「インサ」と呼んでいた。

山の後ろの方では大きな獲物獲った言う情報が流れてきた。


彼以外の人間が手を出していない所を見ると彼一人の獲物の様である。


彼が捕まえたのはノウサギで「カルール」と呼ばれている。



 我らがジアの獲物はと言うと、シカの後ろ足1本で有る。なぜ、1本かと言うと彼らの中には細かい分配のルールが有り、それにしたがって分配される。我々と共に山の山頂付近に居たジアは彼の犬の動きを見て下って行ってしまった。その間我々の前を何羽かのウサギが通り過ぎていった。弓矢を持った人は次々に矢を射掛けるが皆んな外れて、下から段々と登ってくるのが良く見える。こちらの手に持っているのは「チボンガ」と言う球形の木に細い棒を取付けた投げる為の棍棒である。飛び掛った方が早そうな距離だが胸の鼓動の高鳴りを押え、目の前1.5mを山頂 へ向けて登っていくウサギに力一杯チボンガを投げ付けるが、始めてで要領が悪く外してしまう。その後、すぐ上のハンターの矢に掛かる。

チボンガ(2005年6月25日撮影)


 こんな事をしている間、麓ではジアとその犬たちがシカと格闘していたのである。後ろ足1本は彼の犬がシカを止めた証拠である。その他、初矢をシカに掛けた人も後ろ足の恩恵に預かる。止めを差した人間が残りを貰う権利が有り、前足にも分配の規定が有ったが失念した。そんな訳で自分の犬がシカを止めたら一番に矢を射掛けなくては獲物が減って行くし、その場に居合わせなければ何も貰えなくなってしまう。彼らにとっては滅多に口にする事の出来ない肉である。まさに生活が掛かっている。

 この非能率では有るが、楽しい弓矢猟に付いてワイルドライフ(日本の環境省と同じ)の高官に話しを聞く機会が有ったが、弓矢での狩猟は禁止されていると言っていた。かつてのイギリス連邦の一員の国(悪い言い方をすればかつての殖民地)では弓矢猟を禁止している様である。鉄砲よりよっぽど人間らしいこの狩猟が廃絶されようとしているのは本当に残念でならない。鉄砲は国立公園以外なら何を 獲っても良いと言うのだから矛盾を感じてしまう。

※準備出来次第、他の狩猟法も紹介して行きたいと思います。


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