御鷹匠同心のページ


作成2005年8月7日

このページの最終更新日は2017/09/20です。

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主題:「御鷹匠同心片山家日常襍記抄」に見る 御鷹匠同心の生活と野先


 このページでは、「御鷹匠同心片山家日常襍記抄」(ニチジョウザッキショウ)に見る御鷹匠同心の生活と野先を紹介します。なぜ、将軍家に御目見得出来る旗本の御鷹匠ではなく、下級武士の御鷹匠同心を取り上げているかと言うと、今伝わっている鷹狩はほとんど全て(吉田流も諏訪流も)この御鷹匠同心から伝わったものだからです。また、江戸時代の鷹狩の技術を記録として残した森覚之丞殿や、現在伝わっている吉田流の祖と言うべき村越才助氏もこの御鷹匠同心だからです。


 御鷹匠同心と言うと鷹狩時の警備が仕事だと書かれている本が有りますが、御鷹匠同心の本業は鷹の仕込みから世話まで全てをこなし、鷹に関る全ての仕事をしていました。お目見え以上の鷹匠がやらない雑用までこなして、鷹と一番長い時間を過ごしていました。鷹匠にとっては鷹部屋の掃除や餌の世話、献上された巣鷹の世話など自分達の様な身分者がする仕事ではなかった様です。この為、江戸時代中期以降はこの鷹匠同心が鷹狩において重要な位置を占めて行きました。鷹匠の中には自分の預かっている鷹の世話を良くしてくれたと言う事で同心に付け届けをするなど気を使っていたようです。実際鷹匠の多くは先祖代々鷹匠で有った者は少なく、鷹匠同心の様に身分は低くとも先祖代々の鷹匠にはかなわなかったのでしょう。

 さて、「御鷹匠同心片山家日常襍記抄」と言う本の説明から始めましょう。この 本は御鷹匠同心が書いた日記を現代の平仮名に直したもので、ページ数は全部で111枚、項目は10項目に分かれ、昭和14年発行、定価壱円弐十銭(1円20銭)、アチェックミューゼアム編です。

 鷹狩関係者で持っている方は多い様ですが、現在の古本価格で5、6千円前後(2005年)で、売られています。 御鷹匠同心に付いて書かれた本はほとんど無く貴重な本なのですが、この本の編者が解題の中でも書いている様に、御鷹匠同心の公務公用に付いての記録は削除し、日常の武士の生活に付いてまとめた為、我々の知りたい情報は さらにに少なくなっている。また、この本が出版される前に大量の資料は処分されているというから残念である。しかしながら、江戸時代の鷹匠同心の私生活を知る現存する資料としては有要であると思います。


※歴史を研究するので無ければ特に買う必要は無いと思います。 また、重要な所は解説を付けてご紹介します。

 先ほども書きましたが、この「御鷹匠同心片山家日常襍記抄」はかなり省略された部分が有り、もしこの元となった古文書をお持ちの方がいらっしゃれば是非ご連絡下さい。完全版として再度、世に出したいと思います。


※著作権上の制約が有るので、このページでは内容をそのまま転載する事はしません。


book2.jpg (18960 バイト)

「御鷹匠同心片山家日常襍記抄」

 

 その内容は目次によると以下の通りです。


目次

一、片山平左衛門翁日記

ニ、片山惣左衛門翁日記

三、文政七年甲申之記(片山勇八日記)

四、文政十一年随筆日記(片山勇八日記)

五、天保十一年随筆日記(片山勇八日記)

六、上總日記

七、安政二年江漢堂随筆記(片山椿助日記)

八、治療法聞書

九、坊の本

一〇、お守草紙


 さて、この中で御鷹匠同心に関わる部分は一番から五番までで、特にまとまって書かれているのは文政十一年と天保十一年の日記だけでページ数にして39枚だけである。しかも、前にも書いたが編者が意図的に仕事に関わる部分は抜いて下級武士の日常生活にスポットを当てた構成とした為、知りたい事が書かれて居るであろう部分が(以下略)と表現されている。まことに残念である。例えば、話しが村越家の家族がなぜ多いかとなった所で省略されてしまっている。ただ、片山家に関係無いという事で省略しているのだが、まことに残念で仕方ない。

 この本によれば片山家は慶長元和の頃、尾張より出て御鷹匠同心となると有るから豊臣氏が滅ぶ前後、徳川方の足軽として働き、その後御鷹匠同心になって行ったものと思われる。戦国時代末期の足軽はそれまで戦(いくさ)のたびに農民が駆集められていたのが専門職となり、いわばプロ化して行った。後北条氏が滅んだ原因の一つにこれを指摘する学者もいるが、その後徳川家の家臣として残り色々な雑務を行う様になっていった。その一つが御鷹匠同心と言う事になる。但し、元々鷹匠として勤めていた一群の人々がこの職に付いて行ったと考える方が自然である。

 前置きが長くなって申し訳無いが、江戸時代の下級武士の生活を知る上で最も参考になるのが、磯田道史氏の書かれた「武士の家計簿」、加賀藩御算用者の幕末維新と言う本である。場所こそ違うが、下級武士の生活がどのようなものか窺い知る事の出来る大変貴重な資料である。一読をお進めします。さて、片山家八代片山勇八の日記から文政十一年、天保十一年の中からテーマに有った物を選び出して紹介して行きます。内容的にはそれほど濃いものでは有りませんが、その他の資料と合わせて見て行くとかなりのページになります。 詳しくは別の機会にご紹介致します。


 片山 勇八片山家八代目当主で鷹匠の仕事のかたわら、字が上手で絵もうまいと言う事で重宝され、雑司ヶ谷組の書役(事務方)の仕事も行いっていた。

 揚り屋揚り屋とは江戸時代の武士専用の牢屋で、文政十一年雑司ヶ谷部屋から御鷹匠一人、御鷹匠同心三名が失職になると言う大事件が発生した。原因は書かれていないが、この対応でこの年同心達は大変だった様である。

 野 先鷹匠の本業の一つ、鷹の仕込みの為に取飼場(とりかいば:正式には御鷹捉飼場)(一部の図書ではこれを御鷹捉飼場(おたかとらえかいば)と訳し、鷹を獲ったりする場所などと変な事を書いている)に出掛けた片山勇八だが、仕事以外で楽しんでいる姿が浮かび上がって来た。※取飼場とは、我々が取飼(とりかい)(鳥飼、捕飼、取飼)と呼ぶ鷹の仕込みの一つで、実際に獲物を獲らせたりする実地訓練をする場所である。また、ここで捕らえた鳥を上鳥(あげどり)と称して献上することも有る。

 御鷹匠同心の収入同心と言うのは下級武士のはずだが、御鷹匠同心は他の同心から比べるとかなり楽な生活をしていた様に思えてならない。

 森 覚之丞 江戸後期を代表する御鷹匠同心で、超有名人である彼が関わった大量の書物は日本の鷹狩研究の手引きであり、多くの研究者がこれに注目している。 この森 覚之丞殿の書かれた鷹術四季書の目次を参考に御紹介します。

 御鷹匠同心村越家の人々村越仙太郎氏を祖と仰ぐ現代の吉田流を名乗る人達がその系譜に付いて発表されるはずでしたが、どなたも発表されないので他流の者では有りますが、書かせて頂きました。明治以降のの吉田流は村越才助、文次郎、貞之助氏と続き、昭和まで鷹匠の家としてその伝統を受け継いで来ました。この御鷹匠同心村越家の原流を、そしてなぜ、村越家が吉田流なのか実際の所はどうなっているのかも探って見たいと思います。

 

参考文献:「続徳川実記」、「文化六年雑司ヶ谷職員名簿」、「武士の家計簿」、「放鷹」
 

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