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極私的ページ

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庭について考えたこと

豊科近代美術館前庭のバラ園が見頃ということで、雨上がりのあと、夫と見にゆきました。

プリンセスミチコ、プリンセスマサコ、ジュリアス・シーザー、ブラックティ、カクテル・・・・・。個性的な名前を付けられた様々なバラが今を盛りに咲き誇っています。

「なんて豪華で美しいんだろう」花の中に吸い込まれそうです。

バラの魅力にうっとりしながら家に帰り、我が家の庭を眺めると、スギナやクローバーなどの雑草も生え、なんだ かとてもみすぼらしく感じてしまいました。その一瞬、隣の麦畑から涼やかな風が吹き抜け、「こんなにきれいなのに 何言ってるの」というように、さわさわ と音を立て、花々が光輝きました。

私ははっと胸を打たれ、心の中で謝りました。

「立派な庭と比べたりしてごめんね。この庭は風がそよぎ、とても素敵なのに」

夫が私の心を見通したように「僕はこの庭の方が、草も生え緑がいっぱいで好きだな。美術館の庭はバラの下は土がむき出しだもの」と言ってくれました。

私は自分の庭を巡りながら、《星の王子様》の中の、きつねの言葉を思い出しました。

『心で見なくちゃ物事はよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ』

『あんたがあんたのバラをとても大切に思っているのはね、そのバラのために時間を無駄にしたからだよ。』

『めんどうを見た相手にはいつまでも責任があるんだ。』 (内藤 濯訳)

―――― そうなんだ、私はこの庭のために時間を費やし、面倒を見てきた。だから特別なんだ。

そして責任もある。他の庭を見て素晴らしいと思ったのなら、それを庭造りに生かせばいいのに、比べてみすぼらしいなんて思うなんて、良くないことだった。

これからもゆっくり楽しみながら世話をしてゆくから宜しくね――――。

庭造りを通して、人生の大切なことを学んでいます。

焦らないでゆっくり学んでいこうと思っています。     (6月13日 房江)


私の庭

朝食の片づけ後、野菜くずを庭に埋め、そこに大根の種をまく。

大根の皮を肥料に、大根を育てる。これぞ循環の極みなどと一人満足し、ついでに庭を一巡り。

新緑の木々の下に、白いマーガレット、赤いポピー、矢車草が咲き乱れ、所々に薄紫のジャーマンアイリスが咲き、種を付け始めた菜の花が枝の咲きに小さな花を付け風に揺れている。

バラやクレマチスのつぼみも膨らみ、ラベンダーやヒソップなどのハーブも新芽を力強く延ばしている。

私の庭は今が一番美しい。この色合いが好きだとしみじみ思う。

子どもの頃から花が咲き乱れる野原のような庭がある家に住みたいと漠然と思ってきた。夢が叶ったと言えるのだろう。

 

実家の母も花が好きな人だ。

表の庭は石灯籠のある日本庭園風だが、裏庭は、しおん、カンナ、コスモスが咲き乱れていて、私はここで遊ぶのが好きだった。

隣町にある母の実家は、バラ園を営んでいた。

夏休みになると何日も泊まりにいった。いとこたちと遊ぶのが楽しかったのと、品評会に出すために祖父が育てていた大輪の朝顔の絵を描くのが好きだったから。

庭は子どもの目には広大に見えた。温室の中にはランの花が咲き、庭にはバラや菊の鉢が並べられ、様々な花が咲いていた。そこでいとこたちとかくれんぼしたり鬼ごっこをしたりした。

 

花を見にお客さんも絶え間なく訪れていた。

苗を買う人もいれば、散歩がてらという人も。

祖父母は誰にでも分けへだてなく、広縁でお茶をたてふるまった。

庭を眺めながら、花の話でひとときを過ごす。

 

私の花好きはこんな思い出があるからだろうか。

庭の花を見るといつも心が懐かしさでいっぱいになる。  (5月27日 房江)


遭遇

好天に誘われ、運動不足の解消をかねて光城山に登ってきた。

昼を食べたすぐ後なので、傾斜が緩い遠回りコースを歩いた。

新緑が美しい。若葉の季節は樹種の数だけの緑の色があるかのように感じられる。自然林を歩くのは楽しい。夏は 少々ムッとするけれど、新緑、紅葉と楽しめるし、冬 葉を落とした林は明るく暖かい。植林地はいわば死んだ土地。林床に日が射さず草も生えない。手入れも されず放置された林地ばかりなので、痛々しささえ感じられる。

脱線したけれどこのコースはずっと自然林をたどる、里山の魅力を満喫できるお手軽コースである。我が老犬も前になったり後ろになったりして行を共にしている。

一時間ほどで山頂に到着、しばらくのち妻が着いた。となんとそのうしろに弁当を手にした長男夫婦が続いているではないか!聞けば天気がよいので山の上で昼を食べようと思ってとの由。

近くに住んでいるとはいえあり得ない偶然に、手を取り合って喜んだなどということはなかったけれど、びっくりした。今日は日曜日、休日をこんな風に過ごすこともあるのか、と少し感心した。運動不足解消のために、歩いて登ってきたのならなお素晴らしいことであったのだが。

 

思いがけないところで知人と遭遇した事が4回ある。場所は池袋駅前と新宿とJR名古屋駅、 京都・新京極。京都の時は女性からペアレントさんではありませんかと声をかけられた。あとの3回は常連と元ヘルパーで、“あっ”という感じだった。もっと も声をかけづらい所で(どんなところやねん)遭遇していたことがあったかもしれないが。以前どこかのYHで泊まり会わせた人と、また同宿したなどというこ とは、狭いYHの世界ではあり得る話。大都会ですれ違うなどということは希有と言っていいかもしれない。          (5月22日 裕)


今年は暖冬のせいか、リンゴの傷みが早いようです。

昨年末のジュースづくりの際により分け残しておいたリンゴ。

例年なら四月頃まで、ゆっくりジャムに、ケーキに、コンポートにと使っていましたが、そんな悠長なことはしていられません。一気に一番大きな鍋でジャムを造りました。

大量のリンゴ、焦がしたら元も子もありません。

大好きなモーツアルトのジュピターを聞きながら、かきまぜる手を休めず煮続けます。

こんな時に決まって思い出すのは、幼い頃に読んだ童話、題名も忘れ、内容もうろ覚えの林檎の話。

貧しい老夫婦が仲良く暮らしていました。生活に困り、おじいさんがロバを売りに行くことになりました。そのロバを、何かに交換し、それをまた交換しているうちに、最後に「腐りかけのりんご」と交換してくれないかという人に出会います。

おじいさんは「おばあさんがきっと喜ぶな」と思い喜んでそうしました。

それを見ていた人が「馬鹿じゃないか。帰ったらしかられるに決まっている。もしおばあさんが喜んだら金貨をあげよう」というのです。

果たして、おばあさんは腐りかけの林檎を見て大喜び「ありがとうね、これでパイでも、ジャムでも何でも作れますね。早速焼きましょう」といいました。

おじいさんを馬鹿にした人も、感じ入って金貨をざっくりおいて帰って行きました。と。

毎年ジャムを造りながら思い出すお話です。

私もこのおばあさんのように、くずの林檎が好きなのです。

ケーキにパイに冬中楽しめます。

私たちもこんな無欲で信頼しあったしあわせな老夫婦になりたいなと願いながら、かき混ぜてゆくうちに、リンゴが程良くとけ、おいしいジャムができあがりました。   (3月18日   房江)


【オランダ・ドイツ・プラハ】

二年ぶりに10日間のヨーロッパ旅行をしてきた。美術館、コンサートの情報を交えて特に印象に残った事柄について書く。

オランダ ハーグにあるマウリツハイス美術館はフェルメールとレンブラントの名作を所蔵し,貴族の館をそのまま展示室としているこじんまりしたとても魅力ある美術館だ。

アムステルダムから国鉄で40分。中央駅からぶらぶら歩いて15分。10時半頃美術館に着いたのだが(開館は 10時)、びっくりするほどの人が群れている。なんとルーベンスとブリューゲルの特別展を開催中ということらしい。平日とあって年寄りばかり、しかもツ アー客らしくそこかしこ主な絵の前でガイドが解説している。特別展となると人が押し寄せるのは洋の東西を問わないらしい。

小さな美術館だけにこの状況はなんとも辛い。この波が押し寄せる前にと急いでお目当ての3階のフェルメールの 部屋に上がる。嬉しいことにこの部屋だけは静かだった。僕の大好きな“青いターバンの少女“と”デルフト遠望”に再会できた。ラピズリーブルーという高価 な絵の具で描かれたターバンを巻き、口を半開きにした少女がこちらを振り返って見つめている。4年前にこの絵を見て以来、少女の瞳とターバンの青を僕は時 々思い起こしている。

アムスへの帰り道、ライデンという街に途中下車してみた。レンブラントの生家があり、風車博物館もあって上ることもできるとガイドブックにあったからだ。前回航空機の中で隣り合わせた女性がライデンに住んでいて、静かでいい街ですよ、と話していた事も記憶にあった。

運河が交錯し、落ち着いた街だった。町中に風車?とミスマッチを心配していたのだが、それは杞憂だった。オランダらしい町が歩きたい人にはここはお勧めです。

アムステルダムにはコンセルトヘボウという有名なホールがある。ここでは毎週水曜日の12時半から30分間、 無料のランチコンサートが開かれる。演目は様々でオーケストラコンサートもあれば声楽、室内楽もある。(僕たちが聞いた次週は三味線と琴の演奏会だっ た!)演目により小ホールが使われるときもある。

12時10分くらいにホールに着いたらすでに長蛇の列。20分すぎに入場開始、入れるのかいなと危惧していた のだが、何とか入れた。(90%以上の入り。)でもいい席は取れず、オーケストラ奏者のすぐ横の席に座った。僕たちの目の前にはハープが並んでいる。でも ここは普段は後ろ姿しか眺められない指揮者の顔を見ながら音楽が聴けるという、結構おもしろい席だった。位置が偏っているので、残念ながら定評のあるまろ やかなホールトーンは堪能できなかったけれど、楽しめた。ホールは国立美術館やゴッホ美術館のすぐそば。運良く水曜日にアムスにいるならば絶対にいくべ し。

ベルリンではカラヤンサーカスと揶揄される、奇抜なデザインのフィルハーモニーホールでベルリンフィルの演奏 を聴くことが出来た。2時過ぎにチケット売り場に行き今晩の席はありますか?と尋ねたらすんなりと入手できた。一番安い席は6.5ユーロでこれはオーケス トラのすぐ後ろで、背もたれがないという。次は18ユーロ(約3000円、VISAカードOK。ネットで取ることもできる。手数料は1ないし2ユーロ程 度)で天井に近い席。こちらに決めたのだが本当に高いところだった。楽団員が豆粒のように見える。演奏が始まって驚いた。音の一つ一つがはっきり聞こえ、 といっても勿論ばらばらでなく、まとまりのある豊かなホールトーンとして聞こえてくる。こんなにたっぷりとした、かつ美しい音は初めて聞いた。こんな音はCDでは絶対に再生できない。スタイリッシュで美音にこだわったカラヤンの真骨頂を実感した。彼の最大の遺産は膨大な録音ではなく、このホールではないのかとさえ思う。ここで彼の演奏を聴いてみたかった。

ところで当夜の出し物は魔弾の射手序曲と、ヒンデミット、ブラームスの交響曲第2番。すべてドイツプログラム なのがうれしい。指揮はコンセルトヘボウの桂冠指揮者ハイティンク。ウエーバーの冒頭深い森の奥から響いてくるようなホルンの音が、前述のようにあいまい さの全くない明瞭な音で聞こえてくるので、ずいぶん軽い曲になってしまっている。ブラームスも同様、淡々と牧歌的な曲想をのどかに歌う、といった感の演奏 だった。でもこんな素晴らしい響きのホールで、どんなスタイルで演奏されても不満を覚えるはずがない。

ベルリンという都市は、道が広く、車が多く、戦争で徹底的に痛めつけられているので、街歩きをしても楽しくな い。でも美術館と音楽に関しては超一流の都市だと思う。(僕が心引かれるベックリンとフリードリヒの名品が多数ある。勿論名画はそれにとどまらない。) 帰った直後はここはもういい、と思ったけれど、あの音を聞きにきっと行きたくなると思う。

それにしても寒かった。レストランでビールとドイツ料理を、と思っていたのに、ホテルに早く帰りたくて、夕食をスーパーで買いこんで早々に引き上げてしまった。

次はドレスデン。この街の名はずいぶん前からなぜか、僕の心に特別の響きで記憶されていた。ここも先の大戦で 徹底的に破壊され、町の風情の魅力が薄い。けれど、宮殿や教会など巨大なバロック建築群が徐々に復元され、世界遺産にも登録された。その中に設計者の名を 取って“ゼンパーオパー”と名付けられたオペラハウスがある。

インターネットでチケットを取ることができるのだが(ドイツ語表記のみ)、売り切れで買えなかった。ただ当日 券がありそうなことも書いてあったのでだめもとでいってみた。オペラハウスの前、トラムの線路脇にあるインフォメーションセンター(カフェも同居)にチ ケットオフィスを発見、簡単に手に入れることができた〔VISAカードOK〕。(チケットオフィスを見つけるのにはずいぶん苦労した)

さてその席は舞台の3分の1は見えないという最上階、サイドの席、13.5ユーロ(約2300円)。

しっかり腰をかけると舞台はほとんど見えず、浅く座るとやっと3分の2が見える。でもでも大満足。何せ出し物 が“ばらの騎士”なのだ。ここで初演され、作曲者自身も指揮を取ったこの劇場で、聞くことができる日が来るとは、夢想だにしたことがなかった。生きてて良 かった。オクタヴィアンが太めのおばさんで、ゾフィーも若いとはいえないソプラノが演じていたが、そんなことはオペラグラスをのぞかなければ気にはならな い。興奮しっぱなしの4時間半はあっという間に終わった。爛熟の極みのような耽美的なワルツの調べが、今も耳について離れない。(豪華絢爛たるこの劇場の 見学ツアーは6.5ユーロで昼間行われている。)

ドレスデンからプラハへの鉄道は、ずっとエルベ川沿いを走る。低い山が川に迫り、川辺にへばりつくように民家 が点在する。少し増水すればすぐつかりそうなほどすれすれの岸辺に建っている。(事実何年か前に浸水騒ぎがあったらしい)。これまで経験したヨーロッパの 鉄道旅は、緩やかにうねる丘陵地か、ひたすら平らな平原を行くルートばかりだったので、新鮮だった。

プラハは暖かかった。細く曲がりくねった路地に、装飾をこらした建物が並ぶプラハの街歩きは、本当に楽しい。 冬なのに観光客がぞろぞろ歩いている。ただ2年前1コルナ=4.5円だったのに今年は1コルナ=6円になっているのが大変悲しい。ユーロも高くなっている し、日本経済よ頑張ってほしい。

今回は国民劇場で“椿姫”、国立歌劇場でバレー“シンデレラ”を見た。バレーを観るのは初めて。シンデレラはストーリーがわかっているのでおもしろかった。何よりも舞台が華やかで美しい。耳になじみのない音楽でも楽しめる。歌が付かないのが残念だけれど。

椿姫はネットでチケットを取った。60コルナ(約3600円)で、びっくりするほどいい席。バレーは30コル ナで2番目に安い席。ボヘミアチケットで入手した。(火薬塔の近くと旧市街広場のそばにオフィスがある。一回につき600円位の手数料がかかる。ネットの 場合も同様。予約と同時にカードで支払う。受け取りはどちらかのオフィスに出向く)どちらの劇場もやや小振りだが内装は豪華。毎晩プログラムが変わり、2 つの劇場が競い合っているので選べてうれしい。どちらも原語上演で、英語の字幕も付く。

4つの都市を巡る旅で、8つの美術館や博物館、5回の演奏会を楽しむことができた。夢のような10日間だった。ゆめの続きを見に来年もまた出かけたいと願っている。   (2月18日  裕)

 


今年の冬、夫と娘と3人でオランダ、ドイツ、チェコを旅行しました。

旅の目的の一つは美術館巡りです。

オランダは2度目ですが、もう一度ゆっくり鑑賞したい絵が何点かありました。

その一点はゴッホ美術館の「花咲くアーモンドの枝」です。この絵はゴッホの良き理解者だった弟のテオの赤ちゃんのために描かれました。代々ゴッホ家で大切にされ、子ども部屋の壁に飾られてきたものです。亡くなる半年前の作ということです。

このころの彼の絵は糸杉の絵のようにうねるような筆致で観るものの心を揺さぶり、弾ませるのですが、この絵は違います。心が静まり、春の柔らかな日差しに包まれているように温かくなり、幸福感に満たされてきます。

テオの赤ちゃん誕生に「こんなうれしいことはありません。ブラボー!」としたためた手紙を送っているように、希望や幸福感への想いをこの絵に込めたのです。だからこそゴッホ家にとって特別の絵だったのでしょう。

ゴッホは画家としての十年で、1600点以上の作品を描いたということです。37年の生涯を純粋な心のまま、 命を絵にぶつけ生ききったゴッホ。牧師の子として生まれ、絵によって人の役に立ち、光を与えたいと願っていたゴッホ。それなのに絵は全く売れず、発作に苦 しめられるなど、悲劇的な部分が全面にでがちです。

それでも私はファンとして、ゴッホは幸せな人だったと思いたかった。その想いは「花咲くアーモンド」の絵を前にして確信に変わって行きました。

オランダにはあと二つ魅力的な美術館があります。

アムステルダム国立美術館とハーグにあるマウリツハイス美術館。

ここにはフェルメールの最良の絵が何点かあります。ゴッホも絶賛した「牛乳を注ぐ女」「小路」「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」です。

これらの絵に会いに何度でもオランダを訪れたいほど心惹かれています。

特に「真珠の耳飾りの少女」に4年前出会った時、眼が釘付けになり、動けなくなりました。

今回も変わらぬ美しさでそこにいてくれました。

このたびの旅行は、フェルメールに出会う旅と言っていいほど、沢山の絵を見ることができました。

ベルリンで2点、ドレスデンでも2点。

どの絵もすばらしく、感激しました。

以前ルーブルと、ウィーンで見た絵を会わせると4点ほどのフェルメールを観たことになります。

生涯において35点ほどしか作品を残さなかったといわれているので、かなり観ることができたと満足の気持ちはあります。

夫も娘もフェルメールが好きなので、これからも彼に会う旅をしたいと願う半面、ハーグの「真珠の首飾りの少女」と「デルフトの眺望」だけで十分という気持ちもあります。それほどにこの絵が好きなのです。    (2月15日  房江)


【元旦に】

元日に長男夫婦も来てくれ、一年ぶりに家族全員がそろいました。

去年のお正月は夫がけがをして、元気がありませんでしたが、今年は無事いいお正月が迎えられ、

感無量です。

恒例の有明山神社への初詣。食事会。幼い頃のアルバムを眺めてみんなで大笑い。楽しい時間が流れます。

一番うれしかったことは今年大学を卒業する次男がチェコを旅行したときのお土産を、長女と長男のお嫁さんと私に渡してくれたことです。

なんと宝石の付いたネックレス!

私には琥珀。“指輪物語”でエルクが旅の仲間たちに渡した葉っぱのブローチのようなデザイン。長女には小さいけれど花の形をしたガーネット。お嫁さんにもガーネット、小さなダイヤモンドも付いています。

チェコはガーネットや琥珀の産地で、宝石店が軒を連ねています。私も二年前に夫と訪れたときには、ショーウインドウに目を奪われのぞき込みましたが、買う勇気も度胸もありませんでした。数千円で買えるのに外国で宝石を買うなんて、途方もないことのように思えたのです。

それなのに末っ子が三つも買ってきたのでみんな大喜び、歓声が上がりました。

本当にありがとう。

笑顔に囲まれて次男もうれしそう。

今年も温かな気持ちで過ごせそう。そう感じた一年の始まりの日でした。(房江  07‘1月2日)


待望していたネトレブコ演ずる“椿姫”が教育テレビで放映された。若い美人歌手として大注目のネトレブコのヴィオレッタ、すごくハンサムなビリャソンのア ルフレード、素晴らしかった。生と死のドラマといわれる“椿姫”(原題は“道を踏み外した女”)をストレートに感じさせる演出だった。驚いたのは常に死神 が見守っていて、しかも死神を医師が演じていたことだった。(この演出家は医者に恨みでも持っているのかな?) シンプルな舞台に小道具はソファーだけ、 出演者の衣装は黒のスーツ、ヴィオレッタはピンクと白のシンプルなドレスと簡素この上ない。色彩のみでこのドラマを表現しようとしたこの演出は、成功して いると思う。何しろ主役を演じるネトレブコが素晴らしいのだから、まわりはみんな引き立て役。とても肺病で死ぬとは思えないほど舞台中を駆けまわる。それ にしてもヴィジュアル時代のオペラ歌手は大変だ。役柄にあった容姿が要求されるのだから。でも声だけではなく絵も見ているので、少々歌が下手でも許される のかな?(勿論ネトレブコのことではありません) ただ指揮者にはちょっと不満を感じた。もう少しタメて思い入れを込めてほしかった。  残念なことに今 回はハイライトだった。次回は全部見せてほしい。(TVを見た後たまらずCDを聞いてしまった。連休後で早く寝ようと思っていたのに寝られず、お陰でビー ルをいつもの倍飲んでしまった!)  (裕  5月7日)

川をめぐる散歩の楽しさ
このところ夫と川にこだわって歩いています。
今日は中房川から水を取り入れている小川(用水)を上流から歩いてみました。
『初恋橋』という名前だけは素敵な橋のところで二つ手に別れていますので、まず北側の川に沿って歩くことにしました。
林の中に別荘や住宅が点在しています。まきを積んでいる人や子供とキャッチボールしている人がいて、平和な感じのところです。 川は自然のまま、蛇行しながら流れ別荘地の林を抜けると、側溝で固めた用水路になって流れてゆきます。
私達は『初恋橋』で分かれたもう一本の川を探しました。それは有明美術館のそばを曲がりくねりながら流れていました。流れが とても素敵な場所に空き家が建っていました。庭には丸太で作ったテーブルと椅子が置かれ、すぐにでもバーベキューが出来そうです。
こんなところに住んだら楽しいだろうな、川で遊んだり、スイカを冷やしたり。私も夫も若く子供達が幼かった頃、川に囲まれたところに 住んでいました。敷地の中にも小川が流れ、カブトムシが蜜を吸いに来る雑木林もありました。子供達はそこで想像力豊かに遊んでいました。 家族が最もにぎやかで楽しかったときを思い出すから、川をめぐることが楽しいのでしょうか。
夫とこの流れいいね、ここに建てるならこげ茶色の家がよさそう、などと取り留めのないことを話しながら歩いていると幸福感に 包まれていきます。
安曇野はアルプスの麓ですので、川が沢山流れています。燕岳を源頭とする中房川は乳川と合流し穂高川に、さらに富士尾沢川を 吸収した天満沢川、烏川が流れ込み、大町から流れ下る高瀬川と共に大王わさび農場近くで犀川に合流します。
川が様々に変化しながら流れてゆくさまはドラマチックでもあります。
川めぐりにはどんどん迷宮に入り込んで行く面白さ、推理小説を読み進んでゆくようなどきどき感があります。地図を眺めながら 今度はこの合流地点から下へ降りてみようかとか、この川をどこまでもさかのぼってみようとか、あれこれ考えるのも楽しいのです。 (房江 3月12日)

名古屋で開かれている長女の個展『安藤 陽子個展 timeless』に、夫といってきました。
ギャラリー”芽楽”のオーナーが、愛知県立大学大学院の卒展の作品を見て、「うちで個展を開いたら」と声をかけてくださってから 十ヶ月。絵画教室などで教えながら描いた十四点。二号の小品から百二十号の大作までが、緑に囲まれた閑静な住宅地の中の画廊に 飾られてありました。
ホールに入るとすぐ正面の百二十号の女性の絵にすいこまれました。まっすぐこちらを見ている澄んだ目、足の親指の先までが美しく、 かぐわしい光をまとっているよう。
そのとなりの女性の絵はこちらを振り向いています。フェルメールの「青いターバンの少女」も振り向いていますが、驚いたように目を 見開いています。陽子のは東洋的な半眼で謎めいています。「何を思っているのかしら」ずっと見守っていたい気がします。 バラやダリア、トルコキキョウを一輪ずつ真正面から描いた小品も、女性と同じように美しく繊細に描かれていました。
一つ一つゆっくり眺めているうちに、心が緩やかにやわらかく解きほぐされ温かくなってくるのが感じられました。 安曇野のリンとした空気と、澄んだ水で育った二十六歳のみずみずしい感性のあふれた作品だと思います。
初の個展を安曇野のように緑多い静かな画廊で、温かい人柄のオーナーの下で開くことが出来ましたことに感謝の気持ちでいっぱいに なりました。
YHの昔のヘルパーさんたちやお客さんたちに見ていただけたことも幸せでした。
私は母親としてというより、一番のファンとして日本画家安藤陽子の成長を見守ってゆきたいと思っています。<2006年1月23日 房江) >

またまた温泉のお話。上田市の西、青木村の田沢温泉に入ってきた。ここには旅館兼用の冨士屋YHがあるので、 以前から存在だけは承知していた。5軒の旅館が狭い道沿いにひっそりとたたずむ、山間の小さな温泉地だが、 ひなびた風情がある。
一番奥に共同浴場”有乳湯”がある。立て替えられたばかりで古びた旅館街の佇まいからは 浮いて見えるが、豪華なつくりで色が落ち着いてくれば、風景に溶け込んで違和感がなくなると思う。 湯ぶねは6畳ほどでさほど大きくないが、かなりの量のお湯が湯ぶねにどんどん注ぎ込まれ、かけ流しになっている。 透明なお湯でわずかに硫黄臭があり、湯温は40℃くらいしかないのでゆっくり浸かれる。湯の落ち口に近い ところにいると水中に細かい泡がいっぱい渦巻いているのが見える。体にも泡がつき手でなぞるとサァーツと離れて まことに気分がいい。湯温が低くてもあったまるのはこの炭酸のせいなのだろう。テレビのコマーシャルで バブであったまろう、という宣伝文句と共にお湯に入れた錠剤から泡がぶくぶく上がっている映像があったのを思い出した。 玄関先の張り紙には飛鳥時代後半の開湯とあり、昔から子宝の湯として知られているとあった。
近年地中深くから 無理やり引っ張り出した温泉が次々と出来、露天風呂は勿論、サウナやジャグジー風呂を備えたデラックスな施設が各地で 競うように作られている。けれど自然にあふれ出し、昔から近在の人たちに親しまれて来た温泉のお湯は、温泉本来の エネルギーに満ち溢れているので肌触りがよく、体に優しい。何日も滞在して入るわけではないので、うたってあるような 効能は期待できないけれど、本物のお湯に浸かっているという満足感は何物にも代えがたい。豊科から麻績まで 高速を使えば一時間で行けるのでこれからちょくちょく行きたい。(11月11日 裕)

温泉フリークの息子に教えてもらった秘湯に出かけた。白馬と大町にある温泉ですぐそばの日帰り湯 には何度も出かけているのに、つい最近までその存在すら知らなかったところだ。
雲ひとつなく晴れ渡った青空に新雪を頂いた北アルプスがくっきりと浮かぶ絶好のお出かけ日和。 しかも紅葉が真っ盛りときては、家で仕事をしているのがもったいなく感じられる。幸い?お泊りの 予約もないのでさっさと朝の仕事を片付けて飛び出した。
まずは遠いほうの白馬にある”小日向の湯”の源泉に向かう。車を止めて歩くこと10分あまりで 到着。あまりのあっけなさに少々拍子抜けしたくらい。石をコンクリートで固め3畳ほどの広さの きちんとした浴槽が作ってある。塩ビのパイプからはお湯が注がれ、あふれた湯は湯船のふちから どんどん流れ落ちて行く。この光景を目にするだけでわくわくしてくる。急いで服を脱ぎ足を入れると、 熱い、むちゃくちゃ熱い!!おそらく46.7度ありそうで足を入れているのも拷問に近い。慣れれば 何とか、というレベルを超えて熱い。頑張って足をつけたまま湯桶で全身に湯を掛け何とかしのいだ。 何せ日も差し風はないけれど裸でいれば寒い季節なのだ。ちょうど昼時なので湯につかりながらビール ならぬ、おにぎりと思っていたので食べたりお湯をかぶったりと忙しかった。
結局入ることができなかったので、大町の方にはしごすることになった。こちらは七倉の湯の源泉で、 つい最近湯股に行くときにきたばかりなのでちょっと複雑な気分になる。というのは湯股に行き着く まで2時間以上もかかるのにこちらはわずかな時間で到達できるという話を聞いていたからだ。
熊が出てきそうな山道を歩き道が途切れてもう少し行くと湯煙が見えてきた。ここだここだと探すと 先人が作った小さな湯船を見つかった。手を突っ込んでみるとまさに適温、安堵して服を脱ぎ湯に 入る。湯船は小さく浅いので横にならないと全身をつけることができないが、この満足感は筆舌に 尽くせない。日のあたる紅葉の山を眺め、強い硫黄臭のする湯に寝そべってつかりながらしばし至福のときを 過ごした。地上に出てきたばかりのフレッシュな湯につかるという経験は殆どないので本当に嬉しかった。 (11月1日 裕)
10月1日穂高町豊科町明科町堀金村三郷村の五町村が合併して安曇野市となった。人口 9万7千人、長野県下5位の人口規模を持つ市となった。役場や議員の数が減り行政がスリムになることは 無駄な経費が減ることにつながるのでいいことだと思う。でも僕は”町”ではなく”市”となることに 抵抗があった。だって安曇野は『いなか』とか『ふるさと』というイメージで売っているところだと思っているから。 でも実際の安曇野はどんどん開発が進み、農作業の機械化に合わせた耕地整理のため農地が矩形となり道が整備 された。農業従事者が減り農地が宅地に転用され、土地の値段も安いのでどんどん人が流入する。住民が 増えればその購買力を狙って大型店が進出し、幹線道路を走ればどこにでも見られるような風景が展開するように なってしまった。住民としては便利なのだが観光業に従事している者としてみるとあまり歓迎できることではない。 駅から歩いてきたホステラーから「ずっと新興住宅地が続き、なかなか途切れないので、安曇野に来る前に描いていた イメージとずいぶん違いびっくりした。」といわれたことがある。さすがに駅から2キロ以上離れると、住宅も少なくなるが ミニ開発で分譲され宅地となったところが随所に見られる。かく言う自分も優良農地をつぶして建物を建てたのだから発言権は ないかもしれないが、何らかの基準を設けてほしいとおもう。大王わさび農場からの北アルプスの大観は誰しも感動を覚える風景だが、 前景に田んぼの拡がりがあってこそと思うのは僕だけではないだろう。 ともあれ合併したことによって町境による不自然な線引きがなくなり安曇野が一体となった。為政者はこの地の魅力を活かし、 アピールするべく知恵を絞ってほしい (10月25日  裕)

私の庭仕事(10月)
今、私の庭はマリゴールド,千日紅が咲き誇っています。
夏の花ですが、霜が降りるまで咲き続ける,丈夫で頼りになる花です。所々にノコン菊が紫の存在感を示しています。フジバカマ、リンドウ、 シオン、ききょうもひっそり咲いて秋を告げています。
私の庭は息子に言わせると、「無秩序」らしいが、お嫁さんは「モネの絵みたい。穂高モネ園と名づけたら」といってくれる。夏に手伝 ってくれたヘルパーさんは「無秩序なんてなかなか難しいことですよ。どうしても植えるときに秩序だってしまうもので、房江さんだから できるんですよ。あっこれ褒めているんですよ」と煙に巻く。
いいんだ、誰になんと言われようと、私はこのやり方が気に入っているのだ。
草を抜いては種を播き、宿根草を株分けして植えてゆく。
予想を超えてはびこってしまうのもあれば、種が飛んで、とんでもないところで花を咲かせているのもある。鳥が種を運んで育った木もある。 植物が自由に生きている。そんな感じが嬉しい。楽しい。
娘が「お母さん、草も可愛いよ」といってくれるので、雑草が生えていても目くじら立てない。花の邪魔しているのだけ「ごめんね」 といいながら抜いている。
今日もお昼過ぎ「ちょっと30分だけ庭仕事」と庭に出て夢中になり、時を忘れてしまった。
ノコン菊が不思議なピンクになり、マリゴールドが黄金色に輝きだしたのに胸を疲れ、空を見上げると美しい夕映えだった。 「一瞬だけど、神様が庭に下りてきたのだ。きっとそうだ」とどきどきしながら、あわてて夕餉の支度にかかった。(10月20日 房江)

大失敗をしてしまった。散歩中に足を滑らせ左足首を骨折してしまった。妻の制止も聞かず変なところに入り込みそのまま進もうとして 転んでしまったので、まったく言い訳が立たず大変弱い立場に立たされている。何しろデスクワークとテレビの番くらいしかできないので すべての仕事が妻の細腕?にかかってしまっているのだ。足も痛いがちくちく刺される言葉も痛い。 実は松葉杖生活は2回目。中学2年生のとき捻挫をしてひと月半くらい使った。そのときの杖が2度目のお勤めをしているのだが、 今日あるを予想して取っておいたわけでは無論ない。ひとえに我が親の物持ちのよさによるものだ。YHではもっぱらキャスターつきの 事務椅子で移動している。健在の右足で壁を蹴飛ばして進むことができる。ちょっとうるさいかも知れないけれど早い。小回りも聞くし なかなか便利。遠からず回復できる予定なのでこのような姿が見られるのは今のうちです。見に来てください。(3月21日 裕)

今年長野県YH協会が50周年を迎えるのを記念してYHを結んで歩く旅の行事をすることになった。その下調べのため松本まで歩いてみた。
拾ヵ堰をたどり、国道19号に出たら、そのまま東に丘陵を登りアルプス公園を超えて市街地にくだり東に進んで浅間温泉に至る、 25キロ余りのコース。拾ヵ堰は奈良井川から取水し、梓川の下をくぐり!安曇野を横断して烏川に注ぐ総延長16キロの用水で、安曇野の 農業を支える大動脈である。この堰の土手は”あづみ野やまびこ自転車道"として整備され全線が舗装されている。20年近く前歩く旅の 行事で歩いたときは未舗装だったり草が生えていたりと足には優しい道だったのだが、すっかり様変わりしてしまった。適所に休憩所があり トイレもある。(ただし12月から3月まで閉鎖)線路や交通量の多い道と交差するところは地下道となっている。行政が予算をつけて 造るところはすごいことをやるもんだと、今更ながら感心してしまう。上高地の遊歩道のようにひざに優しい舗装をしてくれたら嬉しいのだが、 自転車道なので致し方ないか。
堰をたどりながらまず感じたのは古い家を建て替えたり、新しく住宅地になったりしておしゃれな家が増えたなぁということ。たいていの人にとって家を建てるのは一生に一度あるかないかの大事業。どうせ建てるなら自分達の夢をできるだけ実現したいと いうことで、気合を入れる。その結果和風洋風入り乱れての様々な意匠の、住宅展示場のごとき住宅地が出現する。ベルギーに行った時、 工事中の家を見たことがある。これを新築といったらいいのか、改築といったらいいのかわからなかった。その現場の様子はといえば、 2階建てのレンガ造りの外壁はそのまま(倒れないように外側に鉄骨で支えが造ってある)、内部は床を含め完全に除去してあり何にもない。 これから間仕切りを造り、床を張り、内装をする。建坪こそ変わらないが間取りも変わり外壁以外すべて新築の家となる。でも外から見たら 新しい家には見えない。全部建て替えたほうが 安上がりのような気がするのだが、かの地の人にはこだわりがあるのだろう。こうやって 家の手入れをしてゆくので、街は古いままのたたずまいが残されてゆく。石で作られ地震もないのでこういう芸当ができるのだが、 木と紙から作られる日本の家ではこのまねはできない。日本人は家の外も内の自分のものと考えるが、西欧人は外は 皆のものと考えている、と書いてある文章を読んだことがある。自分もYHを建てる時には、外壁の色は風景に溶け込むものをと考えたけれど、 デザインはこだわらなかった。安曇野らしいといえば、白壁、土蔵、本棟造りというところなのだが決まりすぎて面白みにかける、とさえ 思っていたのだ。このようにして日本中いたるところローカル色のない種々雑多な住宅地が出現することとなった。
ずいぶん脱線してしまったが、そこかしこに新しい道が通じ新しい巨大施設ができていた。なんかバブルの時代の爪あとを感じるなぁ。拾ヵ堰沿 いの道を離れ 安曇野の東を区切る山に登る。これを越えると松本の街に入るのだ。今は歩く人もいないので倒木もそのまま放置されてはいるが、落ち葉の クッションが嬉しい歩きやすい道だった。15分ほどで飛び出したところは建設中の新しい道、あれれと上に辿ると池と大きなログハウスが 現れた。南にあるアルプス公園の拡張工事現場だった。お役所はお金をかけて自然を壊し、擬似自然を創造する。市民が利用しやすいように といって施設を作り道路を作る。歩道には階段を、落っこちて怪我をしそうなところにはところには手すりまで作ってくれる。でも僕には このような公園を設計している人は野山を歩く楽しみを知っている人だとは到底思えない。
僕がこのような都市の近くの里山の活用方を プランニングするとしたら、@まず現在の踏み跡を調べそれを基本に歩くルートを設定する。つながりのない場合のみ新設する。 A道に かかる倒木を処理し B道標を整備し C見晴らしの良いところをちょっとだけ伐採し D登山口に駐車場と清潔なトイレを設置し  E登山口をつなぐ山裾をめぐる歩道を設置する。フィールドには人工物は不要というのが僕の考えです。
またまた話がそれてしまったが、 この工事現場には本当に驚かされた。山を下るとゴールは近い。迷い迷いはするが浅間温泉のホテルのビル群に向かってゆけばいいので 気楽。浅間では”みなとの湯"という銭湯に入って汗を流した。湯船こそ小さいけれど掛け流しの本物の温泉、時間が早いので貸切でつかる ことができた。歩行距離24キロくらい、翌日の足の疲れもそこそこ、まだまだ(これくらいなら)歩けるぞ!( 2月14日  裕)

一年ぶりの書き込みです。ファンの方(?)には期待を裏切ってばかりで申し訳ありませんでした。
さて今年も行ってきました。チェコとオーストリアです。ウィーンからプラハへの乗り継ぎ便は4列シートの小さな双発機で、 こんなちっこいのに乗るのは初めてなのでちょっと怖かった。でもウィーン上空からの街の夜景は良かった。日本の明かりは白っぽい けれど、こちらはオレンジ色で暖かく落ち着いた感じを与える。プラハも同様だがウィーンに比べ街のスケールがかなり小さい。ホテルに チェックインしたのが8時過ぎ(日本時間で深夜4時過ぎ)部屋に入ったら気が緩んで文字通りベッドに倒れこんで眠むってしまった。 危惧していたとおり乗り継ぎは老体にはきつすぎた。でも10時間位死んだように眠ったおかげで、元気を回復できたのはまだまだ若い からなのか、はたまた旅の興奮状態からなのだろうか?豪華な朝食を腹いっぱい詰め込んでから、街歩きに出発。目指すはやっぱり オペラチケットのオフィス。昨年失敗したのですべてインターネットで買っておいたのです。
ここでプラハの音楽情報をお知らせします。 オペラやバレーは国立オペラ座と国民劇場そしてエステート劇場の3箇所でほぼ毎晩上演されています。インターネットで予約できます。 ボヘミア チケットのホームページ上のプログラムのページを開き、お目当ての演目をクリックするとカテゴリーごとに空いている席の 数が表示されます。(下にさがるほど値段が安い)その数字をクリックすると座席表が出てきます。空いている席は黄色の丸で示されるので クリックすると緑に変わり同時に値段も表示されます。後はクレジットカードのナンバーを打ち込めばおしまいです。カードの認証が終れば 予約番号、演目、上演日時、料金等が記された画面が出ます。これをプリントしておき、プラハの旧市街広場近くのボヘミアチケット オフィスに行って見せればすぐにチケットが打ち出されてきます。(手数料がかかるけれど、宿泊するホテルにも届けてくれます。) 簡単です。席も指定できるのでとても嬉しい。(ただしキャンセル不可)どちらの劇場もそれほど大きくないので安い席で充分です。 僕達は立席を別にして安いほうから2番目の3000円位の席で見ました。国立オペラ座と国民劇場に行ったのですが、どちらも 内外装ともに超豪華で、本場でオペラを見るという最高の贅沢感をたっぷり味わうことができます。スケールこそウィーンのオペラ座に かなわないものの内装の豪華さは引けをとりません。国民劇場はチェコ語での上演を目指して建てられたとガイドブックにありますが、 現在は原語で上演されます。字幕はチェコ語と英語。(オペラ座はチェコ語のみ)オペラは声、歌、伴奏など音楽のみならず、姿、 動作、衣装、舞台装置など耳からも目からも愉しむ総合芸術なのだから、器が良いとなおさら感動が増すのです。ヨーロッパに行ったことが ある人ならおわかりでしょうが、王宮と大きな教会、オペラ座は街の中心に位置しています。政治と精神世界の中心となるところと 並んで、紳士の社交場、娯楽の殿堂(パチンコじゃないよ)としてオペラがノミネートされているのです。精緻な天井画と緞帳、 豪華なシャンデリア、壁面装飾など、ヨーロッパに行ったら美術館に行くのと同じ気持ちで、ぜひオペラに出かけてみてください。 (ちょっとだけ予習をお勧めします。)チェコの物価を考えるとオペラのチケットはそれ程安くはないので、チェコの人達はうんと おしゃれして出かけてきます。着飾ったお嬢さんを眺めるのも(おじさんの)楽しみのひとつ?です。三晩通ったのですがいずれの日も 入りは八分位、安い席が結構空いていました。
プラハは千年の都と賞賛され中世の面影を残す美しい街と紹介されている。名だたる建造物が街のそこかしこにあるけれど、なんといっても すごいのは普通に建っているほとんどすべての建物の外壁に装飾がなされていること。浮き彫りにされた彫刻が貼り付けられているのだ。 なんと豊かな時代をこの街は持っていたのだろう!しかも今もよく手入れがなされ美しく磨かれている。
現在世界中で飲まれるビールのスタンダードとなっているピルスナータイプのビールの発祥の地はプラハ西方のピルゼンという町。 それもあってか国民一人当たりのビール消費量はチェコが世界一で、ある年のデータでは大瓶(633ml)換算で244本だったそうです。 (同じ年 日本は90本)日本で飲むチェコ産のビールはティピカルなピルスナービールで可もなく不可もなくといった印象しか 受けていなかったのだが、かの地で飲む生はまったく違っていた。清涼感とともに立ち上る麦芽の香ばしい香りと後口に残る甘み。 ベルギービールの濃厚な味わいと対極のさっぱりしっかりの味わいは、これがビールの本流だよ、と主張しているみたいだ。しかも安い。 ホテルのバーで飲んでも2.300円。有名なビアレストラン”ウ カリハ"に行ってみた。驚いたね、注文もしないのに大ジョッキと、 妻には中ジョッキが運ばれてくる。おいおいまだ昼間の2時だぜ。つまみなど三皿とって代金は〆て2,500円。これは当地では やや高めの感じだが、こちらの感覚では安いといわざるを得ない。どれもおいしかった。ビアレストランということで気軽に入ったのだが、 本格的な料理を食べさせる店だった。日本語のメニューもあるが店の人は日本語は解せない。黒ビールもおいしいということなので、 席に着いたらすぐに小ジョッキを頼んだほうが無難です。夜には生演奏もあり楽しい雰囲気を味わえそうなのだが、広いフロアを二人 貸切で過ごした。
今回はYHの研修も兼ねていたので3箇所のYHに宿泊した。拠点となる都市にあるYHは 日本YH協会のホームページから直接予約できる(IBN予約)クレジットカードナンバーを打ち込むので支払いも完了し、瞬時に宿泊 手続きが完了する。とても便利。プラハ市内には4つYHがあるようだが、旧市街中心に在るプラハトラベラーズホステルに宿泊した。 ツィンで6000円、ドミトリーなら1500円位。(朝食付き)シャワールームや洗面、トイレは改装したばかりでピカピカ、 寝室も清潔だった。バーもあり世界中からやってきたバックパッカーであふれていた。次に泊まったのは世界遺産の街チェスキークルムロフ にあるYHで、中世の面影をそのままとどめる美しい街の中にある。概観は古びているが中は改装されトイレ、シャワールーム等すごく きれい。ツィンルームは斜め天井の屋根裏部屋風。(2700円、朝食付き)地下に暖炉がある素晴らしく雰囲気のいいバーがある。 ビール150円位。この街にはプラハ城に次ぐ規模のお城があるが、冬季は閉鎖され中を見学することができない。でも外をめぐることは できる。高みから見下ろす旧市街は足下に蛇行するモルダウ川に囲まれオレンジ色の屋根が美しい。チェスキー ブジョビツエという駅から 一両編成のローカル列車でのどかな風景の中を一時間、片田舎にある小さな街、というイメージを描いていたのに、旧市街を取り巻く街の 大きさにびっくりしてしまった。ここだけエアーポケットに入っている感じ。
もう一泊はオーストリア リンツのユースゲストハウス。4階建ての大きな建物で閑静な住宅街にある。2段ベッドが二台備えられた 部屋を二人で使った。室内にトイレとシャワールームが付いている。飾り気のない部屋だが静かでゆっくり休めた。料金は6300円、 ここも朝食付き。YHのツィン利用は割高だがドミトリーに泊まればすごく安く泊まれる。しっかりしたロッカーも付いているし、いろいろな 国からきた人たちと交流ができ、若い人にはお勧めの宿だと思う。ただドミトリーは男女混合のところが多そうなので抵抗がある人は 予約時にたしかめたほうが無難。プラハのYHは混合だった。
リンツからウイーンに直行すれば2時間足らずなのだが、速く行くのも能がないので寄り道してデュルンシュタインという田舎町に 行くことにしたのだが、とんでもない目にあってしまった。3回国鉄を乗りつくのだが、3回目はバスに乗ることになってしまった。 あれれと思ったが切符を売ってくれたのだから間違いなかろうということで乗車し無事に目的地に着いた。荷物を預けようと駅に行くと 無人駅で預けられない!とぼとぼと重い荷物を引きずって町を歩く羽目になってしまった。どんより曇った日でむちゃくちゃ寒い。 腹も減ったしレストランに入って何か食べようと探したがみやげ物やも含めすべての店が閉まっている。すごく雰囲気のあるいい町なのだが人っ子一人いない、 死んだように静まり返っている。すぐ横を流れるドナウ川と同様に凍りついているような町だった。早々に駅に戻り電車を待つ。ところが こない。駅に張り出してある時刻表に書いてあるのに時間になってもこない。たまたま線路工事に来た人がいたので聞いてみたが くるという、駅のそばの家で聞いてみてもくるという。なのにこない。ここに来るのにバスで来たということを 思い起こし、今日は工事か何かの都合でバスで代行しているのではないかと思いバス停に移動しかけた矢先、反対方向から電車が来て、 思いのほか沢山の人が降りてきた。これで電車が動いていることが判明し、次の電車の発車時刻まで待つことにした。やがて人が 集まりだし今度は来そうと一安心。でも前の電車が来なかったのはなぜか、集まった人たちに聞いても首をひねるばかり。結局この駅で 一時間以上も待っことになってしまった。寒いし心細いし悲しかったなぁ
。 ウィーンでは西駅前の”メルキュール”というホテルに泊まった。昨年オペラ(フォルクスオパー)を見に行くときいつもここで乗り換えて いたので、ここの便利さを知っていたのです。それに朝食が評判なのでそれも実見してみたかった。で結果、暖かいものも豊富にあり、 なんとワインまである。たらふく食って飲んで一日部屋でひっくり返っていてもいいと思えるほどだった。
今年はフォルクスオパーでJ・シュトラウスのオペレッタを二本、"ベニスの一夜”と"こうもり"を見た。前者は時代を現代に移し変え、 ミニスカートなど最新のファッションで着飾った女性達が歌い踊る、オペラというよりミュージカルと呼んだほうがいいような作品。 なんとベッドシーンまであった。ヒロインは中島 明子という日本人が演じていた。"こうもり"はいまさらいうまでもない名作で、ここでの 上演はまさに極めつけ。引越し公演を東京で見たことがあるけれど、そのときにはまさかここで再見できるなどとは夢にも思わなかった。 わくわくしっぱなしの3時間半だった。
少し役に立つかもしれない情報のあれこれ
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 成田空港でのユーロへの両替、銀行により若干の差がある。東京三菱が良いとうろ覚えでいたのだが実際は出国後にある千葉銀行のほうが レートが良かった。どこが一番なのか誰か教えてください。
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 美術館や施設が無料で入れ、市内交通も72時間乗り放題という"プラハカード"は美術館総なめにする人以外元は取れない。でもいちいち 入館料を払う手間が省けるし、空港ロビーにあるチェドックでカードで買うことができる。(790コルナ、約4000円、内200コルナが 交通チケット。最初に使うときに時刻を刻印しそのときから72時間有効)
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 チェコ国内ではカードはあまり使えない。(国鉄もだめ)
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 トラムや地下鉄等切符がなくても乗れるけれど、突然検札があり、無賃乗車は見逃してくれない。僕達と同じ電停から乗ったおじいさん (普段着姿)が乗り込むとすぐ車内で検札を始めた。僕達は運よく切符を持っていたけれど、つかまった人がいた。
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 昨年訪れたブタペストでは現地通貨よりもユーロでの支払いのほうが有利だった。でもチェコでは必ずしもそうではなさそう。店により 独自に換算率を設定している。ユーロで支払ってもおつりは現地通貨でくれる。
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 両替して現金で支払うよりカードを使うほうが有利。ユーロの場合10円近く差があった.僕達は目の前で決済するところでは必ずカードを 使った。
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 オーストリアではカードは殆どどこでも使える。国鉄は勿論美術館の入館料もOK.
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 コインしか受け付けない自販機はおつりが出ないと思ったほうがいい。
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 オーストリアのコインロッカーの使い方-----ロッカーのサイズにより料金が違う。荷物をいれ扉を閉めるとロックされ、お金を 入れるとテレカのようなカードが出てくる。出すときはそのカードを入れれば扉が開く。簡単です。ロックしてもお金を入れないと 1分もすれば戸が開くのであわてなくてもいい。
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 ウィーンカードも元を取るのが大変。(昨年)
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 プラハもウィーンもブタペストも、ガイドブックに書いてある平均気温を見ると、うんと寒そうな感じがするが、実際はそれほど寒くない。 芝生は緑だし。僕は冬になると足先が必ずしもやけになるけれど、ヨーロッパに来て帰るころにはいつも直っている。
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 ホテルはいつもインターネットで取っているが、取り扱い会社によって値段が違う。よく見比べること。値段によってサービスが違うなどと いうことはない。アップルワールドのページには泊まった人の評判が書いてあるので参考になる。(尤も最安値とは限らない)
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 ウイーン市内のミッテ駅にはオーストリア航空のチェックインカウンターがあり24時間前から搭乗手続きができる。すいているし荷物も 渡してしまえるのでとても楽ちん。身軽になって駅前にある市立公園を散歩することもできる。
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 空港駅から空港のチェックインカウンターに行く迄に大きなスーパーがあり、チョコレートなどばら撒きお土産やワイン、ビールが買える。 品揃えも豊富で値段も安い。ただしマエストロ以外のカードは使えない。あまったユーロはここで使いましょう。
最後に会計報告。総費用は二人分34万円でした。内訳 飛行機代(空港税等含む)14万円、国内費用--成田往復及び成田宿泊料3万円、 宿泊料5、7万円(8泊分)、オペラチケット3万円、交通費 2.4万円、食事代1.2万円、その他(お土産、入館料,保険料ほか)4.7万円 (2005214日 裕)

オペラ座は上流階級のために作られたのに対し、フォルクスオパーは庶民のためのオペラ座だという。そのため玄関ホールも階段も 廊下も狭く内も外もとってもシンプル。こんなに差をつけるなんてひどすぎる。昨日の今日なのでギャップをことのほか強く感じた。 これはまるでNHKホールではないか。場所も街外れにあるし。
ここでは「フィガロの結婚」と「カルメン」を観た。ウエスト・サイド・ストーリーが見たかったのだがチケットが手に入らなかった。 ガイドブックにはチケットが手に入りやすいと書いてあるけれど。そんなことはなさそう。オペラ座がだめならこっちへと流れてくるし、 ウイーンの人は音楽好き。世界中からオペラ目当てに出かけてくる観光客も多い。収容1300人、立ち見は70人くらいとオペラ座に比べて かなり少ない。立ち見は一列だけなのでどこに立っても問題なし。驚いたのは幕が上がってからでも人がどんどん入ってくること。 どこまでもカジュアルなのだ、でもちょっといただけないな。プログラムを眺めてみると、オペラ座がシリアスなグランドオペラを中心に すえているのに対し、フォルクスオパーはオペレッタやミュージカル、親しみやすそうなオペラを上演することが多い。どちらも国立劇場で きちっと住み分けしている感じ。
”フィガロの結婚”は音楽はすばらしいけれど、ストーリーがハチャメチャなので,CD向きの作品〔モーツアルトに叱られそう) ”カルメン”はタイトルロールがよかった。長野で見たときはこんな女のために身を持ち崩すなんて、ありえなーい、というカルメン だったのだが、身を持ち崩してみたい!と思わせる女性が演じていた.それに反しカルメンが惚れるホセは腹が出たおっさんだった。 声はよかったけれど、いかにオペラといえどもリアリティが大事なのです。なかなかむつかしいですね。演出も現代の設定に置き換えられ、 背広を着た衛兵で、オペラはあくまで作曲者の意図した時代設定でと考える保守的な僕としては少し不満が残った。それにここはドイツ語で 上演されるのでフランス語で聞きなれている耳には違和感がある。何語であっても言ってることはまったくわからないのに。なんか文句 ばっかり言っているようですが、しっかり愉しんでいます。ご心配なく(誰も心配しないか) (2004.324日 裕)


ウイーン オペラ座 最高の席でオペラを見てきた!
ウイーンに着いた翌日、なにはともあれまずチケットを確保しなければとチケット売り場へ出掛けた。 オペラ座の横にある売り場には、五人の売り子(みんなおばさん)がそれぞれパソコンの前に座っている。 一番話しやすそうな人のところへいっておずおずとメモを差し出す。日付、演目そして劇場名が書いてあるメモを見ながら パソコンで空席を検索してくれる。で、リストアップした六演目のうちゲットできたのは、フォルクスオパーでの 二公演のみ。この時期だし毎日公演があるのだから何とか成るだろう、などと甘く見ていたのがいけなかった。 インターネットで一ヶ月前から予約できるのだから、面倒がらずに予約するべきです。教訓その一。

開幕の80分前から立見席を売り出すのでそれを買いなさいといわれ、夕方五時半過ぎオペラ座の窓口に出掛けた。 すると、なんと長蛇の列。発売を待つ人がかなり前から並んでいるのだ。こんな後ろで果して買えるのだろうか? と心配していると、たまたますぐ後ろに並んだ女子大生が、500席以上あるようだから大丈夫ですよ、と教えてくれる。 卒業旅行の彼女たちと話をしてるうち、列が少しずつ進みようやく窓口に近づくと、そこには一人一枚と書いてある。げげっ、でも だめもとで”3パースン”というと3枚くれた。お代は6ユーロ(一枚300円弱)最高の席は値段もサイコーなのだ。 急いで階段を登り席を取る。立ち席なのに席があるの?と思われるでしょうが、もたれられるようにバーが伸びている、 そのバーにマフラーやハンカチを結びつけて自分の立つ場所を確保するわけだ。やっぱり正面に近いところがよかろうと 考えて3列目にマフラーを結びつける。壁際には台もあってそこに立てばいいだろうと考えたのだ。並び始めてから45分かかった。 急いでホテルに妻と娘を呼びに戻る。ホールに入ったのは開演間際。するとなんと、自分たちの前には大男がずらり。 横にずれてもその前も立派な体格の紳士で見えない。自分がちび、はげ、めがねの典型的東洋人のおやじであることを、 ころっと忘れていたのだ。思えば初めてヨーロッパに来てトイレに入ったとき、チューリップの高さにすごいショックを受けたものだ。 話がそれたが教訓その二、身長が180cm以下の人は正面3列目は避けましょう。(サイドは2列しかない)

今日の出し物はプッチーニの白鳥の歌”トゥーランドット”お姫様が出す3つのなぞが解けなければ死刑、解ければ姫と結ばれ 王位につける、という話を聞き、異国の王子カラフが挑戦、見事姫をゲットするというストーリー。美しいアリアに富み、 合唱も多く劇的迫力満点で、まさにグランドオペラの典型のような作品なので、このような大劇場で観られるのは 本当にうれしい。舞台中央に狭い階段がしつらえてある。舞台が簡素なのは最近の風潮らしくちょっと残念。もっと金をかけろ、 と苦情のひとつも言いたくなる。ここが皇帝やお姫様が立つ神聖な場所という設定。中国を舞台としているので おつきのものは京劇風のメーキャップで面白い。異色なのは皇帝がガンジーのようなゾロッとした着物を着ていて、妻は 何でここにこじき坊主が出てくるのか?と不審に思ったらしい。高潔な人柄の役なのでそれを示すためにそんな衣装を つけさせたようだが、西洋人から見るとそんなイメージがあるのかもしれない。

カラフが挑戦の合図のどら(階段の途中にある)を打ち鳴らすところで第一幕が終わる。幕間を利用して場内の見学をしようと階下に 降りる。驚いたね。そこは正装した紳士淑女がぞろぞろ歩く異空間だった。セーター姿の僕はすぐに4階にとって帰ったけれど、 僕は瞬時に悟った。彼らは音楽を楽しみにくるだけではなく、オペラ座で過ごす時間を愉しみに来ているのだ、ということを。 その光景はたとえていうと、高級ホテルで開かれる友人の子息の結婚式に招かれ、会場の前で式が始まるのを待っている初老の人々、 といったところか。主賓として挨拶しなければならないのでいささか緊張して落ち着かずうろうろしている人とか、親しい友人を 見つけてワイン片手に気楽に歓談している人とか、狭くはないホールだけれどいっぱいの人だかり。固い表情の人はいったい何を 考えているのだろうと気になるけれど、その心のうちは見当もつかない。僕はといえばわくわく興奮しっぱなしなのに。『西洋人の、 きざっぽく気取っている様というのは面白いものだ』と吉田秀和が『音楽紀行」の中で書いているが、まさにその気取っている人たちの 集団を目撃したのかもしれない。このひと時を愉しみながら、いやこんなことなんでもないんだよ、といった表情で。 オペラに行くときの服装について、正装でないと、ともジーパンはだめだけれどカジュアルな服装でもOKなどとガイドブックによりまちまちで いったいどっち?と疑問に思っていたのだが、どっちも正しいと思う。アノ世界を垣間見たいと思うなら、正装で、あそこで音楽を 愉しんでみようというのなら、雰囲気を壊さない程度の服装でというのが正解。で、僕はというと次回はもちろん第二正装ぐらいで アノ世界を体験してくる積り。教訓その三です。

第二幕は謎解きの場面、そして首尾よくご名答となり人々の歓呼のうちに幕が下りる。今度の幕間は自分のテリトリーでサンドイッチを つまみにビールを飲むことにした。最上階は安い席なのでせいぜい第二正装どまりの人たちばかりで気楽なのです。オペラの幕間の 軽い興奮状態でみんな飲み物片手におしゃべりしている。素直でよろしい。一緒に並んだ女子大生二人組はホテルが遠く、おまけに明日は 五時起きとのことでここで帰りますとのこと。いよいよクライマックスなのに、見ずに帰らなくてはならないなんて本当にかわいそう。 彼女たちは盛り沢山のツアーに参加しているらしいのだが、いろいろ連れて行ってくれるので楽といえば楽だけれど、自分のペースで旅ができず、体力もいる。しまいにはスケジュールを 消化するために旅を続けているような気になってくる、という話を聞いたことがある。若い皆さん、ぜひ自分で計画を立てて自由旅行を しましょう。旅は3回愉しむものです。本を読んで計画を立てる楽しみ、実際に旅をする楽しみ、そして帰ってから写真を見たり友達と 思い出を語ったりする楽しみ。言葉がほとんど話せない僕のようなおっさんがよたよたしながらでも出かけられるのはひとえに予習の おかげ。現地で人に聞くことはほとんど不可能なのでガイドブックを何冊も読んで、すべてノートしておくのです。それともうひとつ、 彼女たちはせっかくウイーンに行ったのだからちょっとオペラの雰囲気を味わってみようということで出かけてきたらしい。(とってもいい心がけ、 パチパチ)だから見ているオペラのストーリーも知らなかった。せっかく見るのにこれはもったいない。僕は妻と娘のためにコピーを 持ってきた。演目はインターネットで知ることができるのだから、図書館に行ってあらすじのコピーを取って置きましょう。幕間に 一幕ずつ読んでから見れば言っていることがわからなくても十分楽しめます。これが教訓その四。どうです、ためになるページですねぇ。

終幕は『誰も寝てはならぬ』という有名なアリアをカラフが歌うところから始まる。夜明けまでに自分の名前が明らかになったなら 殺されてもかまわぬ」と彼がお姫様に告げたため、部下に命じて調べさせているのだ。一度聞いたら忘れられない名旋律! 彼の名を知る下女リューが捕らえられ拷問が加えられる。彼女はカラフへの愛と姫をいさめるこれまた名高いアリア 『氷のような姫君の心も』を歌い、自害する。その瞬間の場内のぴんと張り詰めた空気。この劇場にいる大勢の人たちの想いが ひとつになる瞬間だ。さらに姫とカラフの掛け合いが続き、彼は自分の名を告げ自らの運命を姫の手に預ける。いよいよ終幕の場、 姫は皇帝の前で『彼の名は愛』と高らかに歌い、群集の喜びの合唱で幕を閉じる。

休憩を挟んで3時間,立って見るのはやっぱりしんどいけれど、終わってみるとあっという間だった。なんといっても豪華な劇場で 観る舞台は、ぜいたくしているなぁ、との思いが強く感じられ感動がいや増す。こういう歴史のある古い歌劇場にきたのは初めてで、 建物すべてに音楽がしみこんでいるような気がして嬉しかった。オペラ座の外に出ると人がまだまだ歩いている。体も心も 温まっているので、零下の気温も気にならなかった。明日はフォルクスオパーへ行く。つづく(321日 裕)

毎年、冬休みに旅行します。去年は、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグに。ベル ギービールに、夢中の夫の、「本場で、ビールを飲む。」という夢を叶えるために。
ベルギーは、落ちついたすてきな国でした。人々の服装も、きちんとしていて、表情 が穏やかで、親切でした。
何年か前にいったパリでは、気取った雰囲気が感じられ、レストランでも、お店でも 、パリ独自のやり方に、緊張したものでした。
ベルギーでは、やさしさに包まれ、いつもリラックスしていられました。 夫も、始終、上機嫌。5泊したブリュッセルでは、夜な夜なビールを のみに、グランプラス広場に、面したビアパブに、でかけていきました。 最後の夜には、すっかりなじみになった店の人と記念撮影。満足そうな夫の笑顔にう れしくなりました。
「夢が叶ってよかったね。」
今年は、ウイーンに、行きます。昼間は、美術館、街歩き。夜は、オペラ鑑賞です。

安曇野に住んでどこにも行かなくても、幸せですが、時には、翼をつけ、見知らぬ国 を、旅人として彷徨するのも、おもしろいものです。(216日 房江)


雪がやむのを待って愛犬との散歩に出かける。林の中は木の幹、こずえに雪がかかり幻想的で、この上なく美しい。 車のわだちのない小道を選んで歩く。ギュッギュッと新雪を踏む音がする。犬は林の中をおなかまで 雪に埋もれ名がら、うれしそうにギャロップする。茶色の毛に、白い粉砂糖のように雪が降りかかっても、 ひげがツララのようになっても平気だ。
私と犬は白い林の中をさ迷い歩く。どこまでもいつまでも歩いていたいーーーーーーー。いつしか私は 小さい子供になり、物語の世界に入ってゆく。そう、雪の世界では生きているうちに身についたよいものも よくないものも、解けてなくなりまっさらな私になる。自分探しなんかしなくてもはっきりとわかる。 足は大地を踏んでいるが、心は羽を付け自由気ままで空想好き、これが私。
一時間ほどの時空を超えた楽しい散歩。林を抜けると、安曇野が広がりちらほらと家々の明かりが見え いつもの自分に戻る。林は大切で不思議な場所。再生の場所。こんな素敵な林がすぐ近くにあることを 幸せに思う(1月29日 房江)

今年のお正月は格別でした。昨年暮れに結婚した長男のお嫁さんが加わって、家族全員晴れがましい思いで 、有明山神社へ初詣。その後恒例の全員集合記念撮影。5人が6人に増え家族のステージが新しく変わりました。 長女も次男も「お姉さん」と呼ぶのはまだ恥ずかしいようですが、すっかり打ち解けている様子です。 今までもよくしゃべりあう家族でしたが、明るくてはつらつとしたお嫁さんが、より会話を膨らませてくれます。 短い滞在でしたが彼女のよいところをたくさん見つけることができました。「この人いいな」と 心にジーンと染み渡る出来事がありましたが、私の心に大切にしまっておこうと思っています。 新しい家族として第一歩を踏み出したうれしいお正月でした。(房江 14日)

 



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