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安曇野の石仏
安曇野は石仏の宝庫。村の辻々や、田や畑のわきに散在する様々な石仏を訪ねてみませんか.



道祖神
安曇野を代表する石仏です。道祖神の分布は意外に狭く、東京、神奈川、埼玉、群馬、神奈川、静岡そして 長野以外にはほとんどありません。県内にはほぼ全域に分布しているとはいえ、松本平、安曇野が特に 密度が濃く、他地域にはまばらに散在しているに過ぎません。当地は数が多いだけに見応えなある優品が 少なくありません。
道祖神は村の辻に立っています。村人達が理屈なしに祈った土俗の信仰でした。それは祈る人によって、 祈るときによって、その内容は異なっていたでしょう。若者や娘は良縁が得られるように、お嫁さんは 良い子が授かるように、そしてお産が軽く済むように、病人やその家族は快癒を、旅人は行路の安全を、 農民は五穀豊穣と繭の多収を、村人は疫病や悪人が村内に入ってこないように、祈り願いました。道祖神は どんなことでも頼める、親しく身近な神様です。
文字碑と双体像が彫られた碑の2種類があります。像碑には男女2神が彫られています(イザナミ、イザナギを モデルにしているといわれています)。握手像とひさご、盃を持つ酒器像、まれに合掌像があります。 像の周りには、神殿や松竹梅、菊の花弁、造られた年号、部落名など様々なものが意匠を凝らして彫られて います。
穂高町には彩色された化粧神が有ります。色を塗り直すことによって生まれ変わり、新に霊力が備わると 信じられています。一年に一度塗り直されるところが多いようです。道祖神にちなむ行事としてカラフルな 飾り物をつけた御柱を建てるところもあります。どちらも冬、1,2月に行われます。
庚申塔(こうしんとう)
道教の教えによると、六十日ごとに巡ってくる庚申の夜は、色欲、愛欲、貪欲を慎み、善行をしなければ ならないとされています。天には人間の罪科を司る神がいて、いつも監視している。だから長生きをし、 幸福を得ようと願う者は、常に人としての道から外れないように行いを正していなくてはならないのです。 人の体内にはさんしの虫という物がいて、庚申の夜、人が寝ている間に天に昇っていって、その人の行いを 神に報告してしまいます。神はその罪科に応じて人の命を縮め、又奪ったりもします。人は誰しも悪事を 働いたり、考えたりするものだから、庚申の夜は寝ないでさんしの虫が天に昇ることを防ぎ、願い事を 祈らなくてはいけないのです。でも一人で起きているのは退屈なので、講が組まれ念仏を唱えたり、お茶やお酒を 飲んだりして集団で一夜をにぎやかに過ごすようになりました。一晩だけでも、形式的であっても精進すれば 後はどんなことをしてもいいし、幸福になり長寿も授けられると都合よく考えて、庚申信仰はなかなか 盛んだったようです。江戸時代は集会が禁じられていたので、宗教行事に名を借りて集まりを持った、 という側面もありました。像には本尊の青面金剛が彫られ、足元には三猿(見ざる、聞かざる、云わざる)、 鶏(朝日が昇るのを待ってお開きになるので、朝を告げる鶏を配した)、頭上には日と月などが彫られています。
二十三夜塔
仏教の教えに、陰暦の十月二十三日、月の出を待って祈念すると幸福になれるということがあり、庶民の間では 二十三日に講が組まれました。月を拝んで豊作や良縁、健康を祈念し、当番の家に集まった講仲間はお茶を 飲んだり、酒を飲んだりしてにぎやかに一時を過ごしました。二十三日は女衆は大変忙しいので、一日早い 二十二日に女衆だけ集まって楽しむこともあったそうです。この二十二夜に年頃の娘が月の光で鏡を見ると やがて夫になる男性の姿や顔が写ると云われていました。
馬頭観世音
観音様の頭上に馬面が彫られています。屋敷の隅や田畑の縁によく見かけられます。(耕地整理のため 一カ所に集められているのも見かけます)馬は荷役や耕作に使役され大切な家畜でした。働き続け死んでいった 愛馬の供養のためにたてられたものです。建てた年号と施主の名が彫られています。

大黒天

大黒様は大衆に食物を満たし、福徳を与える神です。これも講が組まれ〔甲子講)甲子の日に皆が集まって 大豆、黒豆、二股大根等を食前に供し、子の時(午前0時)までおきていて、福の来ることをネズミを使者にもつ 大黒天に祈願するものです。