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2017年6月15日(木)
他我論(その2)(自我の超越・身体の本質・他我と言語
 自我の超越

 私の表象が消え去ったあとに何が残るか、という問題は、単に事物に関してだけでなく、他我の問題と深く関わっている。死後が気にかかるのは、他者の表象の世界を前提しているからであり、想像された他者の表象世界でのおのれの表象を気にかけているのである。どうしてこのようなことが生じるのか、これは独我論だけでは説明できない。あるいは独我論の矛盾であり、アポリアである。
 独我論からは、他我とは自己に似た身体または物体の中に、自己自身の内部と同じものを、あたかも存在する<かのように>想像して、ふるまうことである。すべてが私の表象であるから、他者も、他者の内面に持つとされる表象も、私の一次的、二次的表象に過ぎない。この場合、自我と他我との決定的な違いは、自我は常に(夢をのぞけば)一次表象をともなっているのに対し、他我の内面の表象はわたしが想像した二次表象に過ぎないということである。たしかに他者の肉体とその表出はわたしの一次表象である。しかしわたしは他者の内面に、わたしの二次表象を投射するのである。この点の基準になるのが、身体であることは明らかである。
 身体または物体を考える場合に、かりにそれをライプニッツにならって、モナド(意識原子)と考えてみると、具体化しやすい。すでにモナドと考えた時点で、独我論は崩壊しているのであるが、ここではモナドであるかのように考えてみる。モナドどうしの間では、直接的交渉はない。身体(物体)と身体(物体)が衝突するような場合でも、すべては私の表象界の出来事として処理されうる。ところが、同じことがすべての身体(物体)において起こっていると考えるのが、ライプニッツの立場であるばかりか、わたしもまた日常においてそのように考え、感じるのである。わたしが死んだあとにも、無慮無数のモナド(他我)がのこり、その中のいくつかでは(というよりも可能的にはすべてのモナドの中で)わたしの死が表象されている。死後というものがわたしの関心事となるのは、そのような他我の表象界においての私の表象を気にかけるからである。わたしの死後においても、モナドとしての世界は存在しつづける。この難問をどのように解決すべきであろうか。
 そもそも表象とはどのような存在であるか。知覚(perception)はすでに構成的な働きであることは、認識論においても心理学においても常識となっている。ヒュームがいうような単純印象とか、単純観念とかは、すでに構成されたものの還元の結果なのである。かりに単純印象(simple impression)があるとしよう。それが表象の基本単位であり、あるいは本質であるとするならば、それはいわば表象自体(Vorstellung an sich)とでも言ったものであろう。表象は同時に意識の対象であるから、あるいはこのような表象単位においては意識そのものであるといってもよいから、表象の本質は、同時に意識の本質であり、Bewusstsein an sich(意識自体)といってよかろう。コンディヤックが、最初に心に生じる感覚について、たとえば赤の感覚が与えられるならば、心は赤そのものであると言ったように、表象と意識とは区別がつけがたいであろう。
 この表象自体=意識自体は、いまだ対象化ができていないといってよい。自我意識の根本は、いまだ対象化されない、この表象自体=意識自体のなかにある。それを対象界から区別するために、純粋自我、または対象界から自己への超越の意味で、超越的自我と名づけておいた。自我はしかし、いま一方への超越への意志を持っているのである。それは対象界へ向けての自我の超越である。その原理が主観客観の関係もしくは形式であることは、ショーペンハウアーが主著の冒頭に述べていることである。この客体へ向けての自我の超越の媒介をなすものは、いうまでもなく自己の身体である。自我はまず、身体を持った存在であることを自覚するのである。
 身体とは、表象の見地で言えば、そのなかに私の表象、私の印象や観念が生起すると考えられる、空間的に限られたなんらかの物体であると定義できよう。これはすでに私の対象化をとげた、客観的な定義である。私の対象へ向けての最初の超越が、身体の発見である。あるいはこうしたことは、赤子の段階で無意識におこなわれるということでもあろう。赤子はおのれの中に飢餓や不安が存在することを意識せずして、それらの充足対象や被保護の対象を求めることであろう。この意識以前の身体は、身体的自我意識の前段階といってよいが、それについては、自我の探究を超えた考察が必要である。ここでは、身体に結びついた自己意識としての自我を探究しているのである。
 身体的自我意識は、その最も明瞭な意識は情動、すなわち情念や感情やそれらの薄まった気分である。さらにもっと身体に基本的なものとして、食欲や性欲などの欲動がある。それらの情動や欲動は、快か苦か、あるいはそのどちらでもない平静状態を身体において生みだす。それらはすべて私の意識と、なんらかの程度で結びついている。私が感じたり、私が苦しんだり楽しんだりする、それが私の身体的自我である。このかぎりであるならば、わたしは一つの閉ざされた世界でありうる。私の身体が外部をもたなければである。それに対して、身体はまた外部に開かれた感覚器官をもつ。私は手でさわり、耳で聞き、目で見、舌で味わい、鼻でかぐ。そのとたんに、私の意識は私の身体を超越している。私の手は私の主観の延長となり、<もの>をそこにさぐりだす。耳も目も、その他の感覚器も、私の身体の外からのものを私の意識に送りこむ。五感でもって私に与えられる表象は、それが情念や欲動のような内感でないかぎりは、すべて私の身体の外からやってくるものとみなされるのである。これが自我の身体を媒介とした客観化のあり方であり、外界への超越である。
 自我は何故に、このような自我以外の存在への超越をおこなうのであるか。その理由は一にも二にも身体にある。自我が自己を身体として、空間的に限定するならば、無数の物体の中の一つに過ぎなくなるからである。このような限定への欲求を、自我はなぜ持つのであるか。しかしこれは問題のたて方が逆である。身体はなぜ、自我を外界へと押しやるのであるか、こう問うべきであろう。自我は本来、自己自身の本質において自足できる存在である。それが何故に、フィヒテの用語を用いれば、Nicht-Ich(非我)をsetzen(措定)しなければならないのか。それは自我ではないものの問題であるというほかはない。それを具現したものが感覚器を具えた身体である。身体を表象としての見地からではなく、本体としての見地から考えねばならない。それは欲動と情動の塊であることはすでに述べた。それが私の意識をともなっていることを捨象するならば、それはなんらかの熱に近いエネルギーであることが分かる。快感であれ苦痛であれ、それが全身をみたすとき、私の身体の存在は快または苦そのものである。そのうえ、私そのものさえも、その快や苦と融合して、ほとんど消滅しかねない。身体はその本質において、私の否定の原理なのである。私の否定の原理である身体にわたし自身を委ねるのであってみれば、わたしが私自身ではないものへと超越していくのは、いとも容易であるといえる。
 身体が自我の否定の原理であるというのは、生命の見地から考えると分かりやすい。身体は生命としては一個の個体であり、個体はそれ自体では存在しえず、つねに種の中での一個体である。個体どうしの間ではさしたるちがいはなく、全体社会としての種の中で始めて発生し、存続していく。個体の間にはある程度の差異はあるが、総じて甲乙なく、生命全体社会の中での、種の存続のための一要素に過ぎない。いわば、種の手の平の中で踊らされている猿回しのサルに過ぎない。そのような個体としての身体は、種社会を離れることはできず、そればかりか種の存続の実体的なにない手として、他の身体を生み出さねばならないのである。このような身体に自我があるとすれば、もっぱら種の欲求に服従する自我であるほかはない。それはもはや本来の自我とはいえないであろう。そもそもなにゆえに身体に自我がともなうことが必要なのであるか。動物ではまず自我などは、少なくとも意識におけるレベルにおいては、無いといってよい。自我にかわって、本能が生命の活動の中心をになっている。人においても、たいていの生命活動において動物と違いはない。すなわち普段の生活においては、無我であり、無意識である。
 ここで個体生命にとって<利己的>であることは、必ずしも自我の働きではないことを言っておく。たとえば利己的遺伝子などというものは、個体が種のレベルにおいて活動しているのであるから、本来の自我の働きではないのである。ライオンが他のオスの子を殺すのは、種の本能によって支配されている限りは、本来自己自身において自足している自我のあり方ではない。しかもその結果、遺伝子的にはさしたる違いのない同種の個体を生み出すのであるから。
 ここでいう自我は意識のレベルでの個体の自己認識であるから、この点無意識にまでおよぶ精神分析で言う自我ともまた異なっている。精神分析でいう自我は、身体の無意識的活動と意識とを連続させて考えているので、徹頭徹尾身体的自我といってよいだろう。ここで探究している自我は、本来独立的で自存している純粋自我が、いかにして身体的自我にとりこまれていくかという、その過程において認識される絶対我をいう。そのカギは、身体の本質の究明にある。身体は生命体と言いかえてよいだろう。すなわち自我と身体の関係は、自我と生命との関係である。物質界の階層構造(Stufenbau)において、物質が物理的にどのようなものであろうと(素粒子であれ、クオークであれ、超ひもであれ、エネルギーであれ)、その創発的(emergent)な進化において、相転移が起こり、単なる物質が有機的生命体となり、さらに生命が相転移を起こし、精神(nous)へと進化する過程で、自我は物質界に取りこまれていった。たぶん生命の段階では、自我はいまだ大部分が無意識の中に沈んでいる。真に自我の発現といえるのは、ヌースの段階においてであろう。ヌースの本質は思惟であるから、思考することにおいてはじめて明瞭な自我意識が生まれたといってよかろう。しかし単なる思惟は自我ではない。自己意識はある種の直観であり、観念間の関連を相手にする思考とは次元が異なる。しかし意識が思考の発達と密接に結びついていることは疑いない。観念間の関連を明瞭かつ判明に(clear and distinct)とらえるためには、それを照らしだす意識が必要なのである。動物がそれを本能的、無意識におこなったことを、反省(reflection)においておこなうのが本来の思惟である。この反省こそが意識なのである。いわば意識は、無意識的思惟における結果のフィードバックである。それ自体は思惟ではないが、それによって思惟をチェックし、促進する道具であるモニターの役を果たすのである。
 思惟と意識の関係がこのようなものであるならば、自己意識である自我は、思惟とは直接の関係を持たないことになる。いわば自我は、思惟に対しておのれ自身を貸し与えているだけである。本来主客合一である無明の認識もしくは思惟に対して、それを照らしだす光が意識であり自我である。自我はその意味で、いわば傍観的な観察者なのである。その傍観的な観察者が、思惟を照らしだすだけではなく、身体の本質をも照らしだすことによって、あたかも身体と一体化した自我となる。無明の闇の中でうごめいていた欲動や情動が、私の身体のものとして認識され、その圧倒的なエネルギーと存在感によって、自我自体をもらちしさるのである。

 身体の本質

 身体の根本はなんであるか。いま単純に触覚だけが存在するとする。この感覚が生じるとき、ある種のやわらかさやかたさ、寒暖のようなもの、が意識のすべてである。しかし、その意識には、ただちになんらかの抵抗もしくは圧力のような感覚がともなう。これはなんであろうか。私の意識の中に私の意識に対抗するものが生まれている。すなわち感覚は私以外のものの存在を告げているのである。どうしてこのようなことが可能になるのであるか。意識原子(monade)としての私は、私以外に知り得ないはずである。monadeには<窓>がないとされている。あるいはなんらかの窓が、私以外の存在に対して開かれるのであろうか。もしそうならば、それはどのような窓なのか。それは私の外部からのなんらかの作用であると考えられる。その作用に対して私は抵抗し、あるいは受容するのである。すなわちここでは因果の形式が働いているのである。私と他の存在、他我、他のモナドの間には、<因果律の窓>が開かれているのである。しかし因果律の形式は、もっぱら表象間に働くのであって、表象(ここでは私の感覚・表象界)と表象でないもの(私の表象を超えた他の表象界)との間に、いかにしてそれが適用できるのであるか。これは物の現象と物自体との間にも当てはまる難問であるが、ここで現代物理学の考え方が参考になる。超ひも理論によると、この宇宙を造る膜であるブレインと、それとはまったく別の宇宙であるブレインの間には、ただ重力だけが相互作用をするということである。モナドはそれぞれが別の世界であり、固有の時間・空間を持つが、因果律においてつながりうると考えられないであろうか。それならば、予定調和や機会因(causa ocassionalis)などという便宜的なものを考えなくても、じゅうぶん他我の存在、他のモナドの世界との調和をを根拠づけることができるであろう。
 身体には五感が備わっているため、モナドがどのような形をしているのか、錯覚を起こしやすい。少なくとも、目で見るような五体を具えたモナドではあるまい。身体の外観を直接見るのは目だけであるが、触覚だけならばずいぶんとちがっていよう。触覚をイメージするとき、普通はつねに視覚的身体イメージをともなわせているのである。だからそれが手の先とか、足の先とか形体化されるのである。触覚そのものは、もっと漠とした空間感覚であろう。睡眠中に体の感覚だけが遊離して感じられるのも、それが本来の体感なのであろう。モナドには本来形はないといってよいだろう。意識そのものとしてのモナドは、全体者であり、それ自体で全宇宙であり、その果ては<微小知覚>の中に茫漠と消えており、無限といってよいだろう。因果の窓によって、他のモナドの表象がこの宇宙に反映する。たがいがたがいを映し出す鏡の関係にあるといってよいだろう。しかしそれによってモナドの独立性、唯一無二性が失われるわけではない。それぞれが固有の時空の中に存在する、孤立系であり、表象をともにしながらも、別の宇宙なのである。
 身体を契機として、モナドとモナドの間には<因果の窓>が開かれると述べたが、さらにその根本の理由を考えてみたい。モナドはライプニッツの場合でも、静的な単なる鏡ではなく、表象を生み出すなんらかのactivityである。すなわち宇宙創造の力であり、エネルギーである。それをショーペンハウアーにしたがって<世界意志>とよぼう。モナドの本体は世界意志である。世界意志はそれ自体で全体者であり、無限のエネルギーであり、盲目の(認識を持たない)、存在へのあくなき衝動(Drang)である。それが世界として発現するに当たって、無慮無数の個物に分かれ(Individuation)、物質から生命へと進化を遂げていった。個物(ここではモナドにあたる)はその本質において世界意志であるから、分割不可能な全体者であり、不滅であり、絶対の存在である。生命から意識へと進化した過程で、世界意志は初めて自己認識に到達し、自己が創造した世界を眺めやる。その世界が自己自身であることへの認識へも到達する。その認識において、あらゆる個物の根底に、自己自身を見い出すことになる。世界意志の見地から見て、万物は<私の意志>なのである。ここで私の意志は、その全体性、絶対性において、宇宙意志と同一なのであるから、この超越的認識において、あらゆる個物(モナド)間の区別は解消され、私自身となるのである。これが世界意志と同化した、認識者としての私の役割であるといえよう。

 他我と言語

 他我の認識において、動物は本能的に身体の直接的、間接的接触において、それをなしとげるが、知的生命体においては、概念がその補助をする。その概念を伝えるものが言語である。単なる音声は、情念や情動を共感によって伝えるに過ぎない。それもまた<意志>に直接作用することによって、強力な他我と自我の間の架け橋ではあるが、他者が思惟している内容までは伝わらない。音声と概念とを結びつけることは、知性の発達によってはじめて可能となる。言語は知的生命体の間では、自然物と同じように、すでに存在している。私はそれを作りあげる必要はない。種の共有物なのである。言語の数だけ、人類の種があるといって良いかもしれない。文化的遺伝子である一つの言語が消えれば、一つの種が消滅したことになる。種の個体間での相互認識の手段として、言語は生成した。
 ある音声を耳にしたとき、自我は直接的情動や情念を受けとると同時に、それがある観念を伝えてくるものであることに気づく。それらは私の頭の中にありながら、外から来るものであり、私の思惟ではない。私の情動や情念や観念と同質のものでありながら、私がそれらの主体ではなく、私以外の主体がそれらを発したものであるとみなすのである。言語はルソーが言うように、本来は情念から発したものであっても、ここではもっぱら概念の伝達の見地から考察する。それが情念以上に主体の存在を明確にするものだからである。
 言語が発達するには、概念の形成が前提される。思惟は基本的に概念間の操作であり、個物の観念(particular)から一般観念(universal)が形成されることによって、本来の意味での思考が生まれる。言語はこの一般観念と感性的音声を結びつけることによって、初めて成立する。treeという音声は、一本一本の木のことではなく、どの木にも当てはまる特徴を抽出した一般観念と結びつくのである。ただし、ヒュームがいうように、一般観念そのものが観念としてどこかに具体的に存在しているのではなく、単なる思考の上での操作である(唯名論にあたる)。言語の内容が一般観念すなわち概念であることによって、ある音声を聞くものは、それに該当するどのようなイメージを思い浮かべても良いことになる。もちろん言語は特定のものを指示することが可能であるが、その構造においては、概念に支えられているのである。
 音声が単なる音声ではなく、それが概念を運んでくることによって、自我は思惟において他我と対峙することになる。そもそも概念は感覚的表象とちがって、自発的、自然発生的に生まれるものではなく、プラトンがそれを想起に求めたように、ある努力を必要とするものである。それはどこからか獲得されるものである。すなわち概念と結びついた言語は学習されるものである。感覚は生まれながらに備わっているが、生まれたときから言語をしゃべる赤子はいない。言語学習において、自我は言語すなわち概念を媒介とした他我との関係に入るのである。私が言葉をしゃべるのは、すでにその関係が自明なこととして成立して、他者が私に概念をとおして語りかけるように、私もまた私の概念を言葉に乗せ、他者に働きかけるのである。
 子供のころ、森閑とした部屋にひとり残されていると、世の中におのれ一人しかいないのではないかという、不思議な不安にとらわれることがある。その時誰かの声が聞こえると、ほっとした気持になるのは、それがただちに他者の存在を告げるからである。また、音声にかぎらず、なにかの生活の音が、茶碗が鳴ったり、水の音がしたりでも、そこに他者の気配が感じられて、おのれ以外の存在者がこの宇宙にいることが分かる。それは言語の影響であるのか、あるいは言語がもともとそうした他者の気配から生まれたものであるのか、いずれにしても、動物も人間も、もしかしたら生命全体が、そうしたシンボリックな関係によって結ばれているのかもしれない。自我と他我との関係は、ある種のsigneまたはsymbolによって媒介されているのかもしれない。
 言語が記号の一種であることは言うまでもないが、表象に関してはどうであろうか。音は空気の振動である。いま聞こえているなにかの音は、私の耳の中で質的な表象として知覚されているが、それと空気の波動と、どちらが記号で、どちらが実体(意味)であろうか。音という言葉は、その両者のどちらをも意味しているが、今考えているのは、記号がなにかを媒介するものならば、音の感覚と同時に、空気の波動を想像もしくは思惟しても、あるいはその反対に、空気の波動を原因として想像する場合であっても、どちらかが記号でありうるわけである。もし感覚的表象をなんらかのsymbolと考えるならば、それは表象の背後にあるなんらかの実体ないし存在を媒介することになろう。あるいは純粋の記号として数式化されうるものを、本来の記号とするならば、この世界はすべて記号ないし数式で表わしうることとなり、表象はその記号に媒介されることになる。譜面と演奏される音楽と、どちらが真の音楽であるか、作曲者は頭に浮かんだメロディーを記号化するであろうし、演奏者は記号から音の表象を生み出すであろう。演奏される音の表象はしかし、それが記号の役割を果たすならば、音楽家でない限りは、そこから譜面を思い浮かべはしないであろう。それは作曲者の内面を媒介するのである。
 比喩的に言って、表象界もまたある種の言語であるのかもしれない。だからこそ、他我や概念や物自体の世界へと通じることができるのである。 
2017年6月6日(火)
無は時間の中にあるのか
 Alles Seyn in der Zeit ist auch wieder Nichtseyn:- denn die Zeit ist das wodurch dem Dinge entgegengesetzte Bestimmungen zukommen: daher ist jede Erscheinung in der Zeit wieder nicht: denn was ihren Anfang von Ende trennt ist bloss Zeit ein wesentlich hinschwindendes, bestandloses und relatives, hier Dauer gennant.Die Zeit ist aber die wesentliche Form aller Objekte der im Dienste des Willens stehenden Erkenntnis: der Urtypus der andern.Also die dem Satz vom Grund nachgehende Erkenntniss, sieht nichts als Relationen.
  (Arthur Schopenhauer : Metaphysik des Schoenen s.52.Piper)(訳文は今月の言葉で)
(時間の中における存在は、また他方において非在である。なんとなれば、時間とは、それによって事物に、反対の規定が与えられるところのものだからである。それゆえに、時間の中のどの現象も、他方において非在となる。なんとなれば、その始めと終わりとを分かつものは、時間にすぎないからであり、それは本質的に過ぎ去るものであり、とどまることのない、相対的なものであり、ここでは持続と称される。時間はしかし、意志に奉仕する認識の、あらゆる対象の本質的形式であり、他の諸形式の元型である。したがって、根拠命題に従う認識は、関係いがいのものを見ることがないのである。)

 何もないということは、あたかも空間の中の真空のような意味に使われる。真空は、今日の物理学では物質(=エネルギー)に満ち満ちた空間であり、粒子と反粒子とが対生成と対消滅をくり返す、活動的な領域であり、とても無とはいえない。ゆいいつ無と考えられるのは、宇宙創生以前の状態であり、それさえも一つの仮説である。宇宙は無から発生したとはかぎらないのである。
 空間も時間も宇宙創生とともに生まれたことになっている。それらは絶対空間や絶対時間ではなく、観測によっていくらでも伸び縮みする、相対的な事象であるとされる。時間や空間は、いわゆる物でも、出来事でもない。空間や時間は何かとしてあるわけでも、出来事として起こるわけでもない。物があり、出来事が起こる、その基本的場として、ものや出来事と切り離されずに、何らかの意味で存在している、観念であると同時に、実在のなかにある、世界の基本要素である。これほど定義しにくいものはない。
 表象としてみるとき、空間表象はそれ自体で存在するわけではなく、いわゆる次元として、ものの存在のありかを提示する指標に過ぎない。世界に何もなければ、それは空間ですらないであろう。空間が物質とともに生まれたと考えるのは、空間の性質からいってごく妥当であろう。次元でありながら、それは伸び縮みする。質量によってゆがみもする。そのゆがみが重力であるとされる。空間はまさに物質の性質といってもよいくらいである。何もない空間とは言葉の矛盾である。物があるから空間が生まれるのである、と考えた方がよいであろう。無慮無数の宇宙のなかには、物質の生まれない宇宙もあるとされるが、少なくともエネルギーには満ちているであろう。
 空間が物質の性質であるならば、表象としての世界においては、空間は物質が表象として発現するための、一つの認識の形式であると考えてもよいであろう。物体の表象と空間の表象は切り離すことができないのである。物体が表象されれば空間が表象され、空間が表象されれば物体が表象される。この点では、表象界は物の本質を正しくとらえているのである。
 時間についてはどうであろうか。なにごとも起こらなければ時間はない。出来事とは、物または状態が、生まれたり消滅したりすることであり、そこには物事の継起、もしくは変化がある。もしこの変化がなければ、時間はあって無きがごとくであろう。時間もまた、宇宙創生とともに生み出されたと考えるのは妥当であろう。すなわち、物の存在と時間とは切り離すことができない。時間もまた、物の変化する性質と結びついている。あるいは物の変化する性質そのものと考えてよかろう。そこで、表象の世界においては、物の表象の発現する、一つの認識の形式と考えられるわけである。物の変化が表象されれば時間が表象され、時間が表象されれば物の変化が表象される。時空と物とは切り離すことができないのである。ニュートンが考えたような絶対の時空は、今日の物理学においても否定されている。
 さて、時間は空間と較べて、特異な点をもつ。空間の三次元方向は、実在的に移動可能であるが、時間の過去と未来への方向は、実在性をもたない。そればかりか、実在(Seyn)、つまり現在は、刻々と過去のなかへ<非在(Nicht-Seyn)>として消えてゆく。もし<無>ということが言われうるなら、それは時間の中においてである。しかしそれは何もないという絶対無ではなく、存在の消滅という意味での無である。あるいは、未来の方向から見れば、無は現在にあり、未来の存在は無から生み出される。すなわち<能産的>無である。時間の中においては、現在は実在であると同時に無なのであり、未来を創出することにおいて、刻々と非在と化しているのである。これが少なくとも、表象世界における時間のあり方である。物理的世界においても、はたしてそのようであるかは分からない。時間の矢は必ずしも存在するとは限らないからである。また物理的世界では、現在は特別ではないからである。
 無に関しては、表象のいま一つの形式である因果律がかかわってこよう。時間が変化の表象であるならば、因果の形式は、その変化を必然性の認識においてとらえる直観である。ある事象がすでにない事象のなんらかの作用によって生じたと判断するとき、すでにない時間と現在との間に因果の架け橋が生まれる。時間は過去にさかのぼりうるのである。同様に、いまだない未来の事象を、現在の事象からの作用の予想において、確実に定めることも可能である。すなわち、認識者は因果律によって現在という一点から超越しうるのである。これはある意味で、時間的無の認識による克服である。時間は無であるということが、ふだんは意識されないのは、この因果律の働きによるところが大きいであろう。
 時間がある種の無である、あるいは非在化の性質をもつことは、空間以上に無の観念に実在的根拠を与えていることであろう。神が無から宇宙を創造したと考えるのも、時間をはるか遠くまでさかのぼってみれば、無以外に想像できないからである。しかし、時間は本当の意味での無であるか。<非在>をそのまま<無>とすべきであろうか。ただ単に<時間はない>だけではないのか。ヒュームが変化と結びつく因果律の観念を否定した時に、同時に時間の観念も否定すべきであったろう。どこにも経過する時間の観念といったものはないのだ。ただ二つの継起する事象だけがある。ひとつの事象が消えて、べつの事象が起こる。それらを記憶において比較するとき、なんら時間そのものを表象しているわけではない。認識者はつねに現在にいるのであり、過ぎ去った時を見ているのではない。現在そのものは過ぎ去らない。非在となった事象を現在の中に保持しているのである。すなわち表象世界において、少しも時間は過ぎ去ってはいないのだ。これは出現する未来についても言える。消え去った現在は、現在の中に保持されている。少しも時間は過ぎ去っていないのだ。すなわち、表象世界においては時間はない。
 実のところ、表象世界においては、時間は空間の一種と考えてよいのかもしれない。単に時間の空間化ではなく、その本質において空間の一種なのだ。この宇宙を一瞬において切り取ったとき、それは宇宙の断面としての一種の空間であろう。同じように、つねに現在という一点で表象世界を切り取っているこの時間の形式は、刻々と切り取られた表象の空間をうみだす。時間の最小単位というものがあるならば、宇宙はその数だけ無限に切り取られた時間のスライスであると言えるだろう。空間においてと同様、時間においても、どこにも無などというものはないのだ。
 *   *    *
 補説:持続について(6・14)
 時間の認識はある幅を持っている。ある状態がなんの変化もなく続くあいだは、時間の認識はない。そこに変化が起こって、新しい状態が生じるとき、時間の推移が認識される。ある状態が変化せずに続くことを持続(Dauer)と称するならば、持続が認識されるのは、それが始まり、それが終わることによってである。その始まりと終りが、時間の認識であるといえる。始まりと終わり、すなわち状態の変化が、持続を認識させ、それが同時に時間の認識となる。流転する万物の中で変わらないものはないが、ある種の持続がなければ時間の認識はないはずである。それを時間の最小単位と考えてよいであろう。時間の最小単位は純粋な持続であるから、それ自体においては状態の変化はない。時間の一つの最小単位が、次の単位にとってかわられるとき、それが変化であり、時間の認識である。一つ一つの時間の最小単位は、それぞれが全宇宙であり、わずかずつ、異なっているはずである。そこには時間は流れていないのである。一つ一つのフィルムのコマが、連続して流れているように見えるのは、そこに認識者の眼があるからである。時間は認識者の認識の中で作られているのである。認識者の主観が時間を生み出すためには、認識者自体が時間の最小単位の中にいなければならない。認識者自体が、あるいはその主観が、純粋持続でなければならない。すなわち時間とともに変化してはならないのである。認識者は、表象世界において、時間の最小単位において、純粋持続として発現するのである。その認識者の意識が、時間の単位をつぎつぎとコマ送りすることによって、時間が流れるものとして現われる。それはある種の幻影であるといえよう。(このように考えると、宇宙にはいかなる発展もないことになる。宇宙創生の瞬間に、そのあらゆる細部において、すでに完成していることになる。それをスライスして認識しているのが、自我の純粋主観であることになる。こうした点や、その他の問題点に関しては、あらためて考察したい。)
2017年5月31日(水)
川沿い散策
 人はなぜか水辺にひかれる。石器時代の昔から、狩猟採集の場であった遠い記憶が呼び寄せるのであろうか。海辺も大きな湖もない地方に住んでいるので、水辺といえば大小の河川のほかにはない。最近では、たいていのおもだった河川の岸は整備されて、土手の上は道がつけられ、場所によっては、自転車も通れるアスファルトの遊歩道などが、延々と伸びている。
 五月も終わるころの、日差しの暑い日曜の午後、北に流れているO川の堤に沿って自転車を走らせた。草の刈られていない堤には、紫の小さな花をいっぱいに咲かせているカラスノエンドウや、赤ツメクサや、したたかなギシギシの緑が、眼をなごませる。本格的なサイクリストではなく、普通のチャリンコなので、10キロ、20キロが疲労の限度ではあるが、その分ゆっくりと風景を楽しむことができる。水田のあるところでは、早苗がまだほそぼそと整列している。そのむこうには低山がかすんでいる。自転車を土手の上に止めて、堤を下り、コンクリートのブロックをわたって、水辺に出てみる。両岸は密生した潅木に覆われているので、下り立った場所だけが釣人が踏みならしたのであろう、ひそかな空間になっていて、緑の影を映したややにごり気味の水は、流れも淀んで、恰好の隠れ場であった。釣りをするならば、こうしたところで一日糸をたれていたいものである。どんな魚がつれるかは、二の次で。
 O川は北に向かって、K川と合流する。K川のほうがその名の地名から、ずっと知られているのだが、K川がO川の支流ということになっている。合流したこの二川は、さらに先で、関東では利根川につぐ川である荒川に合流する。S市に入って、合流地点の手前で、K川に向かった。四時近い日はかなり傾いているが、この時期まだまだ昼の明るさである。
 人がぞろぞろと川のほうへ向かうので、何かと思うと、ビオトープという川沿いの森の公園があるのだった。自転車を端に止めて、森の散策をする。大きな桑の木がいく本もあって、黒く熟した実がたくさん落ちている。桑も自然に植えておけば、こんなに背高い木になるものだと感心する。桑の実は食べれるのだが、口の中も唇も真っ赤になる。散策しているのは、子供を連れた家族も見られるが、なぜか一人で歩く男性が目立つ。老人も若者も、みながそれぞれ帽子をかぶっているのが面白い(私自身も含めてだが)。そうした孤独な散歩者を見かけると、孤独者どうしのテレからであろうか、道を変えたり、すれ違わざるをえないときは、目をあわさないようにする。森のはずれで笛を吹きだした男性がいる。なんとなく物悲しいメロディーをくりかえしている。さすがに一人で歩く女性はいない。もともと孤独は男性のものなのか、女性は孤独になりたくても、男性の脅威にさらされることを恐れているのであろう。日本では女性のホームレスが少ないのは、男がほっておかないからである。
 この夢のような森を出て、傾いた日とともに南に帰る。一日忘れていた、家庭の確執が治まっていることを願いながら。
2017年5月29日(月)
自我問答
 「あなたは本気であなたの自我が全宇宙を造ったと思っているのですか。そうだとしたら気違いです。自我は単に感覚をとおしてこの世界を映し出す媒介に過ぎないものです。言ってみれば、顕微鏡で物をのぞいているようなものです。そんな道具のような装置が、どうして全宇宙の創造者でありうるのですか。あなたがいてもいなくても、宇宙は存在しつづけます。それが客観的的世界というものです。自我が宇宙を造ったなどというのは、ただの主観的妄想です」
 「妄想といわれると、気が滅入るね。私としては独我論を徹底したつもりなのだが、論理が通じなかったようだ。客観的というのは主観あっての客観なので、すでに主客の関係は、自我の世界(つまり表象界だが)に組み込まれているのだ。表象の成立する条件が主客の関係だが、自我意識はその主客の関係に向かう知覚なのだ。自然科学はその関係を捨象してしまって、もっぱら客体に注意を向けるから、自我をあつかう場合にも、対象としての身体以外には問題としない。身体はもちろん物質だから、十分自然科学的にあつかえる。そうなると、自我は単に、脳内での生化学反応の一部にすぎず、一連の物質現象にほかならなくなる。それを客観的というならば、たしかに一塊の脳髄が、宇宙を生み出すなどというのは、滑稽極まりないことになる」
 「わかっているなら、冗談でそう言っているのですか。とてもまともな議論には思えません」
 「哲学者の中には、奇矯な主張をする人がたくさんいる。たとえばバークレーというアイルランドの坊さんは、物体などは存在しないといっている。世界は観念だけからできていて、そも物体などと言う実体は世界のどこにもない。無用の長物だと言うのだ。眼の前のテーブルは物ではなく、ただ私が知覚することによって存在している観念にすぎないのだとね。ジョンソンという人はそれを聞いて腹を立て、握りしめたステッキで地面をたたき、これが物体だと言って、バークレーを論破したつもりでいた。その実、ステッキという観念で、地面という観念を叩いたに過ぎなかったのだがね。じゃあ、それらの観念はどこから来たかというと、さすがに坊さんだね、神がすべての観念を人の魂に吹きこんでいるというのだ。神の観念だから、これはクリスチャンにとっては確実この上ない。これでめでたし、世界は安泰というわけだ。ここで神というのと、自我というのと、違いがあるだろうか」
 「神なら信じてよいかもしれませんが、あなたの自我では信じられません」
 「神こそ、正体の知れない、不可知の、存在するともしないとも分からない、ただ信じるだけのしろものなのに、自我は少なくとも事実として存在している。それどころか、デカルトによれば、最も確実に認識できる存在者なのだ。最も確実なものを思索の原点とすることは、デカルト以来の哲学的伝統となっている」
 「私に分からないのは、私にとってあなたほど私の自我が大事だとは思われないのです。自我は特別なものではなく、人類のだれにも備わっていて、多くの自我が集まって歴史の営みの中で文明を作ってゆく、そのことの方がはるかに大事なのです。国家についても偏見を持っているようですが、国家を悪と決めつけるのはまちがいです」
 「自我が、私の用語で言えば、<全体への意志>において、国家や歴史のなかに組み込まれていくことは、むしろ自我にとっては不幸なことだというのが、私の論旨です。国家が必要悪であることは、現今の人類の状態では認めざるを得ない。なにしろ人間が多すぎる。しかも真に自我に目覚めた人間でなければ、国家が自我の抑圧者であることに気がつかないだろうからね」
 「国家の権威がなければ、文明も文化もないではないですか」
 「たしかに歴史的にはそういえる。しかし文明論はともかく、形而上学にもどろう。私にとって自我が大事なのは、それがこの世界で最大のミステリーだからだ。自我は不可解である。」
 「私にとっては少しも不可解ではありません。だれでも自分というものを持っていますし、たくさんの自我のなかの一つであるにすぎません。それが不思議であるなどとは、思ったこともないのです。あなたがそう思うことが不思議なのです。私のまわりにもそんなことを言う人はいません」
 「私のように感じることのない人が、たくさんいることが分かりましたよ。自我、すなわち私の存在が不可解だというのは、それの理由や根拠が考えつかないということです。つまり思惟によって分かる存在ではないということです。たぶん認識論的にはこういうことなのでしょう。主観というのは、つねに客観とのペアで知覚をおこなう。ところが、その主観の鏡がふと自分自身を映してしまうことがある。主観の鏡はもっぱら客体を理解するだけで、自分自身を理解するようには出来ていないのだ。ショーペンハウアーも、主観について、「(認識可能な)すべてを認識するが、なにものによっても認識されない」と言っている。そこに映し出されたおのれ自身は、認識のプログラムからはずれていて、ひたすら不可解なのだ。しかしだよ、不可解であっても、それは実によく分かっている私そのものなのだ。それは積極的なワンダーのもとでもある。私は私自身の存在の驚異に打たれるのだ。これほどの驚異は、ほかにこの宇宙の存在以外にはないね」
 「だからといって、それが宇宙を創造したり、永遠・不滅であったりする根拠にはならないでしょう。あなたの考えには根拠がないのです。昔の人が幽霊や妖怪を信じたのと、かわりはないです」
 「自我自体の存在は無根拠だというのが、私の形而上学の根拠になっています。神は原因やそれ以上の根拠を持たないから、絶対者であるとされるのです。私の存在もまた無根拠であるから、すなわちなんらかの根拠によって理解されるものではないから、私は唯一無二で、絶対だと言っているのです。それに、私はフィヒテとちがって、宇宙を創造(setzen)したなどとは言っていないのだが。宇宙とともにあると書いたのだが」
 「あなたが死んだら宇宙はなくなるというのは、そういう意味でしょう。あなたが死んでも、宇宙は何の変化もなくあとに存在しつづけます。なぜ宇宙を道連れにする必要があるのですか。それはただの願望ではないですか。長嶋さんが“巨人軍は永遠です”と言うのとどこが違うのです。まさか巨人軍が不滅である理由を、哲学的に論証などはしないでしょう」
 「願望と言えば願望かもしれない。巨人軍が永遠かどうかは知らないが、長嶋サンの願望と違って、私は、世界意志の産物であるこの矛盾と争いと残虐に満ちた世界から、救済される原理を探究しているのだからね。Anywhere out of this world だよ」
 「やっぱりね、ただの願望で主張しているだけなら、詩や文学と同じですね」
 「いや、詩や文学と同じにされては困る。たとえ願望や希望が動機になっているとはいえ、思索である限りは、論理にかなった論証でなければならない。それでもって破綻するならば、仕方がないとして、私としては真理を探究しているつもりなのだ」
 「希望や願望は真理をゆがめるでしょう。ただの思いこみとどこがちがうのですか」
 「思いこみかどうかは、最終的に応用によって、つまり実践によって決まるだろうが、今はそれを実証するには早すぎる。ところで、宇宙を道連れにするという、さっきの非難について話しをもどすと、たとえば、色彩というものを考えて見ようか、それは私の意識のなか以外のどこにもない。客観的には、つまり科学的には、色彩とは光の波のある波長の範囲にすぎないのだ。色彩は私の意識とともに消え去る。ところで、波であるとともに粒子でもある光量子というものを、見たことのある人はいるのだろうか。それは物理的概念であって、だれも光の実体を見た人はいないのだ。するとそれもまた、思惟する主体がなくなれば消えてなくなる。概念だけが残るということはないだろうからね。すくなくとも、私が死んだあとに残る宇宙というのは、ずいぶんちがったものだろうと思う。私の表象としての宇宙はもはやないのだから」
 「それなら、なんのために遺言など残すのですか。あなたが死んだあとには、この宇宙でなくなるというのならば」
 「痛いところをつくね。形而上学から見て滑稽なことが、実存(現実存在)の見地からは大真面目におこなわれるのだ。色即是空、空即是色と言いながら、お寺の経営にあくせくしている坊さんにでも聞いてみたいね。私が死んだあとに、私の秘密文字で書いた論文を、解読してほしいからだけれど、どうせ捨ててしまうだろうね」
 「そんな手間なことはしません。今のうちに、ご自分で読めるようにしておいてください」
2017年5月24日(水)
他我論(その1)
 自我が全体者であり、唯一無二の存在者であるならば、何故に表象界において無慮無数の<他我>が存在しているのであるか。これはライプニッツのモナドロジーについてもいえる難点である。表象を自ら生み出す能力を持つモナドは、他のモナドと一切の関係を持たない閉鎖系である。それならばたった一個のモナドがあれば十分である。他のモナドについては知りえないはずなのだが、表象界に他のモナドが存在しなければならない、必然的理由があるのであろうか。観測可能な宇宙の外に、絶対に交渉しえない宇宙があることは思惟できるが、日常交渉している事物や、生物や、人間が、それぞれ別個の宇宙であると考える必要があるのであろうか。ライプニッツがそう考えたのには、三つの理由があるであろう。一つには原子論との妥協である。二つには魂と物体(身体)の問題である。各身体に一つの霊魂が宿るものとされるからである。三つには神の存在を前提としたことである。それらのために観念論としては不徹底なばかりか、予定調和のような奇矯な理屈に頼らざるをえなかったのである。
 自我の認識と、他我の認識の根本的違いはどこにあるかを考えてみたい。自我が自らのアイデンティティを知覚するためには、時間空間における身体内表象が必要である。私は先ずある空間内において、身体外部であれ内部であれ、知覚された表象の中心であり、主体であることを意識する。私とは空間内に現われてくる私の知覚ないし表象の意識である。これに対して、空間的に現われてくる他我は、単なる外物としての表象にすぎない。外物としての表象が、何故に私と同じ自我の持ち主、もしくはモナドでなければならないか。実は、相手がなんらかの自我もしくは主体の持ち主であるという認識は、私の内的知覚以外のどこにもない。私は相手が犬であれ人であれ、蜂であれ、細菌であれ、自然物であれ、それが私に対峙し、向かってくるとき、私自身の内部にあるものを、そのものの内部に投影するのである。いわゆる共感や、感情移入といわれるものがこれである。私は私自身の自我を、他者や他物に移入しているに過ぎない。他我はいわば(どんなに嫌な相手でも)私の分身に過ぎないのである。しかしこのような移入もしくは共感は何故に生じるのか。これはいうまでもなく、ショーペンハウアーとともに言えば、私の身体を含めた事物や生命の内在的本質が<意志>という共通の実体からなるからである。
 空間的自我は<生への意志>によって支配された自我である。それゆえに、他我の存在は本能的に前提されている。それでは、時間的自我はどうであるか。時間的自我は過去という時間表象と結びついた自我である。すでに私の二次的表象である点において、それほど確固とした自我の意識ではない。むしろ過去の私の表象にたいする、現在の私の強烈な思いや反応によって強められるのである。それ故、過去の私は、あるていど他我に似た点を持つ。たしかに、私であると言う意識につらねかれてはいるが、それは他者に対する愛情や愛着や反発に似た心情の働きでもある。そればかりか、他者への愛情などから、過去の私の表象に嫌悪さえ抱き、自己否定へと傾く場合がある。結局のところ、時間的自我もまた<生への意志>の産物であるといえる。
 自我が、時間的空間的に、自己を確立し、あるいはそこにアイデンティティを求めようとするとき、自我は無数の他我のなかの一つにすぎなくなる。自我は単に自己顕示と自己保存の欲求ににすぎなくなる。しかしそれもまた、社会的、実存的には意味があろう。第一に、自我はその成長過程において、庇護者としての他我、あるいは他のライヴァルとしての自我を見いだすからである。自我は時間空間的に発展するにあたって、むしろ積極的に他我を求めるのである。個体の自己保存の本能にもとづいた、この動物的自我の初期段階では、自我はほとんど共有されている。赤子にとっては共感が自己保存のすべてなのだ。さらに共感をめぐっての、兄弟などとの競争に勝たねばならない。反撥や憎しみを他我へ注ぎこむことによって、自我は自己を確立する。この段階では、自我は他我に映し出された自己から出発し、ついで他我をライヴァルとみなし自己から引き離すことによって、強力な自己意識に達すると言ってよい。それをあやつっているのは、もちろん生への意志である。
 第二に、自我はこれまで、歴史的にみて、社会集団の中での、都合のよい個の単位にすぎないものとされてきた。社会や国家といった全体への意志にあやつられた集団組織の中で、効率的に機能できる<責任>や<義務>を持った個人もしくは人格としての自我だけが許されてきたのである。それ以上の自我は、心理学におけるように、ある種の<虚構>や錯覚とみなされてしまうか、国家に都合のよい道徳論によって<悪>とみなされてしまうのである。それへの抵抗としての自我の主張は、<生への意志の肯定>に結びついた政治的自由としてのエゴイズムを生み出してきたことは確かである。しかしその根底にあるエゴの実存的探究は、ここでの課題とはべつである。
 いずれにせよ、生への意志や、その集団への現われである全体への意志に奉仕する自我は、虚構や錯覚であるといえるかもしれない。なぜならその主体は、本質において世界意志の現われにほかならないからである。自我は世界意志と一体化するときに、おのれを昂揚させると同時に、おのれを忘却する陶酔(ecstasy)に陥る。ecstasyとは、文字どおり、<おのれの外に出る>ことである。実は、全体主義社会はむしろそのことを望んでいるのである。国家にとって、自我は単なる単位であって、マイナンバーにすぎず、全体への奉仕のなかで幻のように崩壊する。そのようなものとして、国家や民族集団は、個人を戦争に駆り立て、国家や民族や天皇や国王や宗教に忠誠を誓わせ、自我を陶酔の中において無化してきたのである。
 *   *   *
 真に虚構や錯覚でない自我とは、どのような自我なのか。すでに何度も論じたように、それは時空を超えた自我である。唯一無二であって、どのような他我も必要としない。それは時間的今ではなく、絶対の今のうちにある。時間的今は実は0・1秒前の過去であることは心理学で知られている。しかし自我自身の意識は、それ自体が今である。意識自体(Bewusstsein an sich)というものがあれば、それが自我の意識である。それ以外に自我の存在場所はない。自我は個ではなく、それ自体が全体者である。分割もできず、他から影響を受けることもない。ライプニッツの意味でのモナドであり、唯一絶対である。ただし世界意志のような表象能力を持ってはいない。概念的思惟のように、イデア界に属してもいない。モナドが意識を持つための条件としての自己意識が、真の自我である。ライプニッツ風に言うならば、この世界、この宇宙は、世界意志と、イデア界と、自我との、唯一絶対の<複合的モナド>なのである。この宇宙が存在するかぎりは、私の意識はこの宇宙と共にあるであろう。私の意識がこの宇宙からはなれるとき、この宇宙も存在しなくなる。Kein Ich, keine Welt !
2017年5月9日(火)
雲巌寺へ
 (写真:左=芭蕉像(黒羽)、中と右=雲巌寺)

 芭蕉好きの家内に誘われて、北関東へ一泊の旅に出る。鉄道で北へ向かうことはそうそうないので、どこまでも平地がつづく車窓のながめに、あらためて関東平野の広がりの厖大さに感じ入る。裏返せば、どこまで行っても、風景に変わりばえがないのだ。小さな山並が近づいてきても、すぐに遠ざかり、まるで近隣の風景と大差はない。みちのくの旅といっても、芭蕉はこのあたり、那須野までは、ひたすら平地を歩いていたということだ。
 宇都宮で一泊して、かつての東北本線で那須塩原へ向かう。早苗を植えはじめた水田と、青い穂の麦畑とが交互に広がる立夏である。芭蕉の昔の道は、今の鉄道のしかれた平野の東の果てを通っていたはずである。その方面にはかすかに低山が見える。那須塩原駅は、おもに那須のリゾート方面への玄関口であるようだ。ホテル以外には目立った建物も商店もない。めざす黒羽は大田原市に属していて、一日にいく本かの、東方面へのバスに頼るほかはない。その雲巌寺行きのバスは、黒羽の住人の唯一の公共の足なのであろう、一時間ほどの行程でも、200円という格安であった。半分もゆかないうちに、乗客は同行二人ということになった。チャーターしたのも同然の、ちょっときまりの悪さがある。田畑を長く走ったのち、とつぜん町並みが現われる。かつての宿駅黒羽町であった。黒羽藩という小さな藩の城下町でもある。メインの鉄道から離れた、辺鄙なところに、とつぜんある程度の賑わいのある町に出るという驚きは、旧街道を歩いている時などに経験する。旧東海道の吉原もそうであった。
 黒羽の芭蕉館は帰路による予定で、そのまま終点の雲巌寺をめざす。バスは山中へはいり、くねりながら走ってゆく。山の中に小さな集落と田圃が開けてきて、少し山に入った先の、寺の門前が終点である。渓流にかかった赤いてすりの太鼓橋から見あげると、緑のグラデーションの山の背景と、山門と、本堂の屋根との調和が見事である。奥の細道では、芭蕉は知人の禅僧の庵のあとを尋ねて、この寺へのぼったことになっている。その跡は今はないが、ちょうどこの季節、寺は大正期に鎌倉時代風に修復されたものだそうだが、なによりも青葉若葉の中での寺の景観が、圧倒的に心をさわやかにする。芭蕉のことはほとんど忘れている。思うに、芭蕉が求め、心惹かれたのは自然美などではなかったのだろう。自然美を求めて旅をするのは都会の人間である。芭蕉は元来山深い伊賀の出であり、自然よりも人に惹かれている。天性の社交人であり、その文学は典型的な社交文芸である。いたるところに社交文芸のパトロンを持ち、奥への旅でも、連句という文芸的連想ゲームを楽しんでいる。その連想の中心を成すのが、<古人>への思いである。ここでも歴史的人間が中心であり、芭蕉の文芸の本質、特に奥の細道のコンセプトが歴史的時間性にあることが、近代文芸との際立った対比をなしている。
 近代文芸の時間性は、基本的に<自己>の過去に向かう。社交文芸における時間性は、<古人>の時間性である。芭蕉の憧憬が向かうのは、西行であり、宗祇であり、杜甫でありして、けっして自己自身の個人史ではない。他者の時間に自己を重ねる、そうした憧憬は、芭蕉ばかりでなく、日本文芸の古来からの固定観念的な伝統となっていて、そこにしか詩を見い出せないくらいである。この点が近代文芸から見て、古典的な日本文芸の異質性であり、それの理解はますます難しくなっていこう。
 「草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」(*1)と、さすがに芭蕉が訪ねた庵の主の禅僧の隠遁精神は徹底している。方丈記などを読むと、なにか庵というものが孤独者の理想の棲み処のように思われてくるが、それは修行者にとっての罠でもある。長明にとっても、閑居の気味などにいつまでも耽っているのは、忸怩たる思いであったであろう。ささやかな棲み処であっても、それに執着するならば、必ずそこから苦悩が生まれる。一所不住とはどこでのたれ死んでも良いということである。芭蕉もその思いで奥に旅立ったのであろう。しかし文芸者であるからには、曽良が芭蕉に同行したように、<古人>が旅の友として芭蕉の傍らにいたはずである。それは修行者の旅ではない。
 <古人>の文学は<自我>の文学の対極にある。自我はひたすら自己の時間性に生きるが、他者の時間性に重ねる文学は、それが自我の時間性に投影されるまでの迂回路をへなければ、自己のものとはならない。芭蕉の生き方ではなく、芭蕉の文学のあるものが、自我の中に消化されていく、そうした古典の味わい方でなければ、古典の近代文芸における意味はないであろう。だれしもある作家の作品のすべてを知りたいと思い、彼の生きざまを模範にしたいと思うであろう。しかし自己自身の時間の中で、いかにすぐれた作家をモデルにしても、いつかその作家とはべつの人生を生きてゆくのである。場合によってはまったく別の自己を見い出すであろう。それが近代文学の価値である。もし交響曲作家としてのシューベルトが、モーツァルトやベートーベンの模倣者にとどまって、際立って独創的な第8や第9を残さなかったならば、後世における彼の評価はなかったであろう。芭蕉もまた、伝統という土俵の上で、ある種の独創性を発揮したシューベルトであったと言えるかもしれない(**2)。しかしそれは近代文学とはあまりにもかけはなれた地平においてである。
 雲巌寺では、牡丹や山吹に似た白い花が咲いていた。山吹はふつう黄色であり、花弁の数も違うので、名も分からずにいると、寺僧が出てきて、苗をくれるという。実生のごく小さな苗をスコップで掘り、苗用のポットにいれてお土産にしてくれた。あとで調べると、名前は白山吹だが、山吹とは属が別の花であった。埼玉から来て17年寺におり、冬は寒いというような話をした。
 黒羽までもどって、神社や大雄(おう)寺という寺を見、芭蕉の館を訪ねた。神社には芭蕉の像があり、寺では白い羽のようなものが実だか花だかをつつむようにしてたれている、変わった木を見て、家内がハンカチの木だという。妙な名をつけたものだが、うなづけないこともない。芭蕉の館は黒羽の歴史をかねた資料館になっている。蕪村の洒脱な挿絵入りの奥の細道写本のコピーなどを見てくつろぐ。

   
 (写真:左=大雄寺山門、中=ハンカチの木、右=芭蕉の館)

  *  *  *

追記:解りにくいかもしれない点を、注の形で追記します。(2017.5.12)
*1:もとの和歌は「縦横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」。その意は、「雨なかりせば」のあとに(むすばざらまし)と補います(反実仮想)。受験に出そうですね。
**2:定説となっている芭蕉の独創性とは、よく知られた一例を挙げると、「古池やかはづ飛びこむ水の音」。かわずは鳴き声を聞くものという古今以来の伝統をくつがえした諧謔と、古池を配したことによる禅味が、当時の人には革新的であったのでしょう。近代文学の感性からは、そのイメージ性(イマジズム)に強く引かれることでしょう。子規の俳句の革新も、そこに中心をおいたわけですから。  
2017年5月2日(火)
生命の機能としての自我
 自我は脳の機能であるというとき、機能という言葉はどのような意味で使われているのであるか。生命は、代謝と自己複製をおこなう機能を有しているが、その機能と生命そのもののプロセスとをどのように区別できるのか。代謝の機能である異化と同化という分子の化学反応は、もしそれが停止すれば、もはや生命とは呼ばれない。もし生命が自己複製の機能を果たさず、一代で連鎖反応を停止したならば、それも生命とは呼ばれ難い。自己複製の機能を持たないウイルスは、生命であるかどうかを疑われているのである。このように考えるならば、生命の本質とその機能は同一である。なんらかの機能を持たない、単なる属性としての生命を有するような実体は存在しない。それは思考しない思考の存在を考えるのと同様に、言語的まやかしにすぎないのである。
 思考は脳の機能であるという。それは脳のある部分が思考の機能そのものであるというにひとしい。それが機能することにおいて、脳は思考の座なのである。脳と同じような機能を持つメカニズムないし装置が存在するならば、それも思考の座といってよいだろう。感覚はどうか。感覚は単なる脳内の機能ではないだけに、生命と似たプロセスを持つ。まず感覚器官における分子的プロセスが脳にまで伝達され、脳内での再プロセスをへて、感覚表象が生み出される。これはある種の代謝であり(異化、たとえば光のエネルギーが化学反応の連鎖に置き換えられる)、さらに同化作用である記憶の機能を通して自己複製さえおこなわれるのである。感覚・表象のプロセスは、精神活動に現われた生命といってよい。同じく精神活動に現われた生命であっても、情動や意志は少々事情が異なる。情動は肉体内部での感覚であって、個体の境界内での出来事として、生命の自己保存と密接に結びついている。
 それでは情動や意志は、生命のどのような機能なのであろうか。それには、生命の自己保存とはどのような機能かを考えればよい。個体としての境界を持った生命は、外界との交渉において、異化や同化やの代謝を行う宿命にあり、つねに環境との適応を維持しなければならない。生命は攻撃的であると同時に、順応的である。そのプロセスがうまくいく場合には、個体内部は安定し、それが危殆に瀕すると、個体内部は混乱する。その安定や混乱は、個体生命内部の存在のメルクマールとしての情動反応を生み出したのであろう。情動反応の機能は、すぐさまなんらかの能動・受動的運動と結びつく。いわゆる本能的行動である。これが最も基本的な自己保存の機能であるといえよう。怒りは威嚇と攻撃の行為に、恐怖は逃避に向かわせる。食欲や性欲が最も深い生命の欲求としての機能であるとすれば、情動は身体と結びついた意識であるいわゆる自我の、個体保存の機能としての現われである。このような自我は、たしかに生命の機能の一つ、生命の道具に過ぎない。
 意志とはそもどのような機能であるか。そも意志などというものが実体として存在するのかどうか、すでにニーチェが疑ったところであるが、ここでは普通にあい並ぶもしくは矛盾する情動の間で、選択をする機能とみなしておく。すなわちここで言う意志はすでに知性的なのである。個体生命は、その行為・行動において、意識・無意識を問わず、なんらかの動機(Motiv)を持つ。動機は意志的行為となるためには、必ずなんらかの情動もしくは欲求を伴う。単なる観念は生命を動かすことはできない。まさに馬の耳に念仏のたとえどおりである。すなわち、意志とは情動機能と思考の機能とが並びおこなわれることであるが、実のところ、心理学が明らかにしたところでは、思考の機能は、すなわち意志的判断は、つねに思考に先立つ無意識の脳内過程によって決定されたものを跡づけるだけに過ぎない。すなわち意志より前に、なんらかの情動によって無意識に決定されているのである。こうなると意志的機能はほとんど意味がないものと考えてよい。個体生命の行為は知性ではなく、ほとんどが無意識の情動や意欲によって決定されるのである。
 さて、これまでは知性も、意志も、情動も、脳または生命の機能として、生命現象そのもの、または生命の道具とみなすことができたが、自我に関しては特別な事情が考えられる。個体生命即自我と見なすならば、そこになんらの特別な事情はない。自我を一個の肉体の範囲内に限られたものとし、生命のプロセス、その機能のすべてを、自己自身と一体化させる意識の機能を、自我と呼ぶまでのことである。このような自我、すなわち仏教でいうアートマンは存在しなくてもよかろう。生命と呼ぼうと自我と呼ぼうと同じことだからである。ほっておいても、肉体とともに滅びる存在である。こうした自我意識は、徹底して生命に隷属し、その道具として酷使されるだけである。意識は元来、意志においても、思考においても、無用な存在である。意識そのものがなんらかの積極的な働きをする場は、ほとんどないといってよい。もしそれが脳の機能であるとすれば、ほとんど無用な機能である。逆に、意識が加わることによって、生命活動は不利をこうむる場合が多いくらいである。完全な思考は無意識であるかもしれない。また完全な行為もまた無意識であるかもしれない。どこに自我意識の生命活動における居場所があるといえるのか。であるから、釈迦はそうした自我はいらないといったのであろう。
 意識すなわち自己意識が存在することは疑いない。しかし、これほど生命によって邪険に扱われる存在はないのだ。邪険に扱われながらもなおかつ世界に執着する。そこに生命の狡知がひそんでいる。さまざまな欲望や、喜怒哀楽におどらされるピエロの役を、自我は演じさせられるのだ。本来自我が属すべき世界はそこにはない。しかし生命の甘い蜜を一度味わわされれば、自我は奴隷と化す。自我はこの世界でなんらかの機能を演じることを断つことによってしか、おのれに返ることはない。
2017年4月27日(木)
花の里散策
 町なかでは桜も終わりかけた4月の中旬、里山のほうに花桃が咲いているというので、探索に出かけた。途中の駐輪場で自転車をおき、ややくもり気味の空のもと、田舎道を歩く。桜がまだ満開のところに出くわす。山里は桜もおくれるようである。見わたすと、まだまだあちこちに、薄桃というよりも白いかたまりが畑の上に浮かんでいる。道ぞいの家の庭や垣には、赤・黄色・白の花も咲き乱れている。ボケやレンギョウや雪柳のなごりである。道ばたに目をやると、オオイヌノフグリはもちろん、ふわふわした踊子草やホトケノザや紫のダイコンの花が、小さな野の花の世界をつくっている。いたるところに花が目にはいる。土曜日ではあるが、騒々しくいがみ合う人間界を離れて、楽園に遊ぶ人の姿はまれである。
 滝の入という山あいの集落に入っていく。期待したほどではないが、赤や白の花桃が咲いている。半分は終わってしまったようだ。花桃は大陸では、桜よりも好まれるそうである。その色彩の艶(あで)やかさでは、とても桜は太刀打ちできない。桜はぼんやりした雲のようにしか見えない。しかしそのいっせいに咲く花の天蓋の下に立つと、大空をすかして別天地を見あげるようである。花桃にはそうした魔法はない。しかし桃は仙境の花であり、色彩の貧しい山里では、それが群がり咲けば、まさに桃源郷なのである。去年おとづれた東秩父村の花桃とは比較にもならないが、とにかくいく本かの花桃を見て、杉林をさらに登ったところで、見晴らしのよい所へでたのをしおに、満足して帰る。
 *     *     *
 慈光寺という寺が都幾川町にある。かつてローカル線の駅から歩いてたどりつこうとしたが、道をまちがえてリタイアした。今度はバスで行くことにした。バス路線を途中で乗り換えて、山の中へ入っていく。思ったよりも山深いところである。バス停から本堂までは、舗装路がしかれて、そこをくねくねと30分ほど登っていく。ここは普通の桜よりも晩い、八重桜で知られている。道ぞいの普賢象という桜もさることながら、舗装路ぞいにも、山道にも、シャガの花がどこまでも白く咲いているのがゆかしい。途中、博物館にでもありそうな長大な板碑の林立するところにさしかかる。そこで昼食をとる。板碑は鎌倉から室町にかけて造られたものだが、こんな大きなものを野外でみるのはめずらしい。さらに、歴史的遺物のような建物をすぎ、巨大な杉のそばをとおり、山頂の寺にでる。途中でも良寛や空海の、般若心経の写経をあちこちで見かけたが、資料館のようなところへ入って、国宝とかいう金泥の写経の復元を見る。書に関してはまったく分からない人間なので、こうしたものを見ても、どう感心してよいのかとまどうが、とにかく昔の人の念のようなものが、帰りの道をくだりながら、想像されてくる。普賢象桜やシャガの花には生命の共感や、感覚の直接的共鳴があるが、人間の営みにはある種の空しさと、執着とがあって、心楽しまない。

  

(写真:上左・里山の桜 、上中と右・花桃、下左・慈光寺の八重桜、下中・板碑、下右・山門とシャガ)
2017年4月19日(水)
生命・知性と自我
 生命とは何かについての基本条件は三つある。
(1)なんらかの境界によって、周囲の外界から区別され、独立していること。
(2)外界から物質やエネルギーを、取り入れたり排出したりする、代謝を行うこと。
(3)自己複製(繁殖)を行うこと。
 単なる有機物は、生命の前提条件であり、生命そのものではない。アミノ酸のような有機物が化学反応を行うことにより、上の三つの条件をみたす、有機的化合物を作り出すとき、初めて生命が誕生するものとされる。生命は連続的化学反応であり、どこかでその連鎖が途切れれば、消滅することになる。地球上では、今日まで30数億年にわたって、その連鎖反応がつづいているわけである。この連鎖反応を安定させている条件が、上の三条件であるといえる。
 それでは自我は、生命と比較して、どのような存立条件を持つであろうか。生命の三条件のうち、自我に当てはまるのは、第一の条件のみである。これについてはあとで詳述するとして、自我が代謝を行ったり、自己複製を行ったりすることがないのは、自明にちかい。あるいは言語が代謝に当たると考えられるかもしれないが、それはそもそも自我の働きではない。それを行うのは知性であって、知性については後述する。同じく言語を、自我の自己複製のように考えるならば、やはり知性や意欲との混同がある。純粋な自我について言えることは、それが身体として見られるときある境界を有していることであり、それによって他者と区別され、また認識主観としては、外界と内界の区別を有することである。しかし自我の独立性は、生命の独立性とは異なっている。生命の独立性は、(2)(3)の条件によって、相対的なものに過ぎないが、(2)(3)を行わない自我は、基本的に外界とは対峙している。しかもそれは認識主観としての立場においてであり、自我自体においては、唯一無二であり、唯我独尊であって、絶対的独立性を保持している。私が私であることの絶対性は、いかなる区別でもなく、概念でもなく、それ自体における特異性である。すなわち、自我は全体者であるといってよい。自我(私)以外に自我(私)はなく、それ自体で不可解でありながらも自足しており、なんらそれ以外の存在や世界を必要としない。自我が不可解であるのは概念ではないからであり、なんらの判断の根拠を持たないからである。その意味で、自我は、科学的に探究可能な生命とはまったく異なった本質を有している。
 その自我が認識の世界の現われでは、生命と結びつき、身体として、脳として、脳の生化学反応として、はじめて発現するとしても、それでもって自我がまったくの生命の産物(もしくは現象)であるとは言い切れないであろう。私が私の存在を知るには、生命現象の一種である意識を必要とすることはまちがいないが、その意識に現われた私が意識そのものである必要はなかろう。自己意識はすでに意識を超越しているのである。しかしこのことは単に、カント的な意味でのアプリオリな認識主観について言うのではないことは、以前に論じた。
 たぶん世の中のたいていの人にとっては、自我とは自身の意欲や、考えや、身体の特徴やにすぎないのであろう(いわゆるperasonality、個性や人格と言ったものである)。だから生命と切り離すことなどは思いもよらず、生命の無常に感じて、どこから来てどこへゆくのかという問が、自我の謎のすべてということになる。身体髪膚は、確かに親の遺伝子に由来しよう。しかし自我は親の複製ではあるまい。性格や気質や、知的能力は、確かに親の遺伝子に影響されよう。しかし私が私であることの特異性は、だれから受け継がれたものでもない。<わたし>は親から生まれたのではない。さもなければ、それは少しも不可解ではないからである。不可解であるということは、認識によってはとらえられないということである。しかし私が私であるという直観は確実である。その直観はたしかに生の喜びを伴いもする。しかし生そのものではない。存在の静謐な喜びなのである。不可解であっても、存在することの充実がある。その充実感は、幼少年期の自我の目覚めから、老境にいたるまで変わらないであろう。それを釈迦にならって、ニルバーナと呼んでよいかどうかは知らない。しかし人生の苦境において、つねにそこに立ち返るならば、死さえも克服できるであろう。
 自我は知性の産物であるかどうか、単なる知性が、生命を超えることができるかどうか、次に考えてみたい。知性は基本的に思考する能力であるから、思考とはなにかを明らかにすればよい。思考とは、なにかについて、なんらかの関係を把握することである。すなわちつねに対象について考えるのである。考えそのもの、などといったものは存在しない。I think のあとにはかならず、目的語や目的節がくる。デカルトがcogitoというとき、それは純粋思念ではなく、なにかを疑っている私が、疑っている私の存在そのものは疑えないというのであり、はっきりと、思考作用と私の存在とを区別している。思考すなわち私の存在、ではないのだ。バークレイがesse est percipi(to be is to be perceived.存在とは知覚されることである)というとき、巧妙に知覚する私の存在を言外においている。私という存在が、はたして思考や知覚の対象となりうるものかどうかという、問題を回避したのである。はたしてヒュームは、私というものを、あっさり観念の束としてかたづけてしまった。実体としては想念界のどこにも見い出せないのである。それはそれでよい。とにかく自我は思考の産物でも、知覚の対象でもない。しかし私は私であるという、直観的事実だけは残る。しかもこの世界で唯一確実な事実として。
 自我が単なる思考ではないことの、いま一つの根拠は、思考の対象もしくは内容は、基本的に概念であり、だれにでも共通した普遍性を持つことである。私が1たす1は2と考えるとき、私はなんら私の独自性を主張しているわけではなく、それを習うことによって、共通した認識に達しているだけである。しかし私が私であることの独自性を、私はだれからも学んだわけではない。それどころか、生命は、特に群居的生命は、全体への意志において自我の特異性を排除する方向に向かうのである。動物ばかりか、人類史においても、そのことははっきりと見てとれる。ソクラテスやプラトンが思考の本質を概念に求めたとき、彼らは自我の固有性を考えていたのではなく、思考する魂を普遍物として概念界に結びつけたのである。ソクラテスという個のイデアが、イデア界に存在したわけではないであろう。
 知性は世界意志の道具である。生命も世界意志の発現であるからには、知性を道具として用いる。知性の働きは、世界の理性的構造を見い出し、もしくはその構造に従う方向性を見い出すことである。こうして物質が生まれ、宇宙が誕生し、生命の分子構造が作られ、生命の設計図であるDNAやRNAが生み出され、適応によって進化が生じる。知性=理性そのものは、宇宙そのものではないであろう。それは単なる数式が、現実の構成物と異なっているのと同様である。単なる理性は現実化する能力を欠いている。理性はソフトであり、ハードがなければこの世界として発現することはない。盲目にして(確率的といってもよいかもしれない)、無限のエネルギーである世界意志が、素粒子を創り、銀河を創り、太陽を創り、生命を生み出す。しかも人間知性が認識できるのは、この宇宙が創りだした物質やエネルギーの、わずか5%ほどにすぎないのである。世界意志の産物の95%は、ダークマターやダークエネルギーとして、推測されるにとどまっている。
 このように不確かな知性が、自我そのものであると言えるだろうか。しかし知性は、自我を世界意志から引き離す作用をいくぶんか持つことによって、自我の覚醒を促進する。「苦痛について考えることは苦痛ではない」のだ。苦痛そのものであるかのように感じられた自我が、おのれを越えたおのれがあることに気づくきっかけとはなりうる。しかし単なる知性によって、世界意志から救済された人間はいなかろう。自我がおのれを救済するためには、おのれ自身の本源へと向かうほかはない。それ以外に、暴戻な世界意志の欲動と、生命の無常とを、少なくともこの世界において克服する道はなさそうである。  
2017年4月3日(月)
無限の宇宙と自我
 果てしない宇宙空間に思いをはせる時、哲学者といえども、ある種のそら恐ろしさと虚無感を覚えることであろう。パスカルのよく知られた言葉、無限の空間の永遠の沈黙への恐れをはじめ、無機的宇宙を前にしたときのキルケゴールのおののき、ならずとも、空間的、時間的、無限と永遠にうたれるとき、思わず思いをそらしたくなるのが、人間の有限な思惟なのであろう。それをあえて、想像力のたぶらかしと見なしたのは、かつての神学的信念であったが、もはや宇宙に神のいることを信じられない今日においては、負け惜しみのように聞こえるであろう。理性が生み出した宇宙像ではあるが、その理性の無力をもまたさらけだすことになった宇宙観なのである。
 インフレーション宇宙論によれば、原子核ほどの大きさであった原初の物質ないしエネルギーが、10のマイナス36乗秒ほどの、限りなく小さな瞬間において、太陽系ほどに広がり、そこから元素のビッグバンが始まり、138億年後の今日においても、なお膨張を続けているのであるという。この宇宙がどれほどの広がりをもっているのか、わずかな138億光年の観測可能な範囲を、限りなく超えて広がっているものとされる。この観測可能な宇宙は、大海の一粟、砂粒のようなものである。ブレイクはひと粒の砂の中に全宇宙を見たそうであるが、一つの砂粒は一つの観測可能な宇宙に過ぎない。この宇宙には無慮無数の砂粒のような宇宙がある。その砂のすべての集まりが一つのインフレーション=ビッグバン宇宙である。しかもその広がりは無限であり、インフレーションは永遠に続いているとも考えられている。同時にインフレーションは子宇宙を生み、孫宇宙を生み、相互に無関係で、多種多様な、無限の宇宙が、無限に増殖していくのである。
 このように、現代宇宙論は、人間の存在を極限まで無化していく。このような宇宙の無限のなかで、人間もしくは生命の存在に、どのような意味があるのであろうか。もはや人間にとって都合のよい神などは、どこにも存在しない。理性は宇宙を探究して、自己自身の位置を確かめようとしながら、かえっておのれの存在の基盤をあやうくした。好奇心や探究心は、道具としての理性に結びついているが、かつて神学者が危惧したように、人間の安住をそこなうにいたったのである。かつて神学者が宇宙の無限を説いたブルーノーを焼殺し、地球の位置をくつがえしたガリレオを裁いたのは、彼らの実存的不安にかられてのことであった。人間は単なる理性をもってしては、宇宙を理解できないし、宇宙における自己自身の存在に、意味をあたえることができない。まったく物質も生命もない宇宙などは、人間的理性の想定外なのである。たまたま人間は生命のある宇宙に、長い進化の果てに理性的存在として生まれたに過ぎない。その理性でもって宇宙を理解するかしないかは、宇宙にとってどうでもよいことなのである。
 パスカルは考える存在であることを、宇宙の存在よりも上位においた。そうしなければやりきれないのである。宇宙は人間とは違った意味で理性的であるかもしれない。それは人間にとって都合の良い理性ではなく、宇宙自体にとって意味のある理性であろう。人間理性は宇宙理性の片鱗にすぎないものであって、それによって宇宙のある面を理解できたとしても、宇宙全体の理性的構築に対しては、まさに群盲が象に触れるのたとえのごときであろう。しかし人間は自己自身において不可能なことを、コンピューターに委ねようとしている。それによって宇宙理性に迫ろうとしている。その結果、もはや道具的理性によってのほかには、宇宙における自己の意味を見いだせなくなるであろう。宇宙のメカニズムを理解した果てには虚無が待っているであろう。宇宙は生物や人間のために作り出されたハードでも、ソフトでもないことが明らかにされるであろうから。
 *    *    *
 宇宙が空間的時間的に、無限・永遠であるとするならば、その対極にあるのは、空間的時間的に、一点である存在である。それは普通考えられているように、単なる数学的点ではない。数学的点は実在しない。単なる定義である。点はどんな大きさでもありうるし、どんなに微小であってもよい。それは空間として描かれ、もしくは表象されうる。宇宙の無限・永遠の対極は、ただ一つ<自我>のほかにはない。自我は一点ではあるが、それ自体空間でも時間でもない。<今ここ>という表現は、その点で誤解を招く。<私>は今ここにいるわけではない。<私>は端的に存在しているだけである。私は時間の中にあるのではなく、時間の中に私を投げ出していくだけである。私は空間の中にあるのではなく、空間の中に私を置いてみるのである。そうした時間空間的表象としての私は、確かに宇宙の中にある私である。宇宙のなかで、場所と位置を与えられた私である。そうした実存的私は、無限の宇宙に対するとき、そら恐ろしさに、おののくほかはない。しかし、たいていの動物がそうであるように、生命にとっての宇宙とは、自己が中心の宇宙である。人間もまた、その例にもれない。何故にそれが可能なのか。そこに自我の存在があるからである。
 いかに宇宙がおそるべき、無限永遠の世界であろうと、自我にとってはそれは非我の世界である。生命にとって必要なのはある範囲の宇宙であり、蟻が蟻の世界を、鳥が鳥の世界を、カモノハシがカモノハシの世界を持ち、その世界で安定した生の営みをつづけるように、人間の自我もまた、生命に必要な範囲での理性の働きにとどまっているのである。それを単なる好奇心から超えようとするときに、生命が本能的に反撥を覚える。自我の存続が危機に瀕して、撤退を命じるのである。自我は非理性的であり、その点では生命によって動かされている。自我は欲望や衝動と容易に結びつくのである。自我はおのれ自身に帰る。そこには飢餓や性欲がない限りは、ある種の生の安楽がある。そこにぬくぬくとしていられることが、生命の最大の価値である。そこに自我がとじこもり、非時間的・非空間的なnunc stans(永遠の今)を実現する。このnunc stansの中に自我の本質があるのである。非時間的・非空間的一点である自我は、いかなるインフレーションやビッグバンによっても滅ぼされることはない。それは宇宙の対極であり、宇宙と同様に永遠でありうるからである。ジェフリーズが言うように、たとえ宇宙が存在しなくても、<私>は存在する。
2017年3月30日(木)
生命・エントロピー・理性
 今日の地球科学及び生命科学が明らかにするところでは、地球の歴史と、その上に生じた生命の進化とは、切り離せない関係にあり、生命は地球の成り立ちとその形成の過程において、必然的に生じるべくして生じたものであるとされる。地球生命の特異な誕生、ひいては宇宙の生命の発生は、地球の置かれたと同じ条件をみたすことによってのみ、可能となるのである。その条件の根本となるものは、地球がエネルギーの高い、熱い状態から、熱を放出して徐々に冷却していくこと、すなわちエントロピーの高い状態から、低い状態へと推移することであるとされる。
 「地球の進化とは、熱の放出によるエントロピーの低下による、構造の秩序化」であり、「地球にあるH、C、N、Oなどの軽元素、”地球軽元素”もエントロピーの減少によって秩序化する。その結果が有機分子の生成であり、生命の発生、さらにはその進化」なのである。すなわち、「生命の発生と生物進化は、地球のエントロピーの減少に応じた、地球軽元素の秩序化、組織化、複雑化である」ということになる。(「生命誕生」中沢広基、講談社現代新書、p79より)
 これまで生命の矛盾とされた、熱力学第二法則との背馳が、こうしてなんらの矛盾でもなく、自然の必然的過程であることが明らかにされたわけである。生命誕生の秘密は、地球の放熱・冷却にあったのである。同じようにして、宇宙の進化過程もまた、インフレーションおよびビッグ・バン以来の、宇宙の冷却によるエントロピーの減少にともなう、秩序化、組織化、複雑化であると考えてよいかもしれない。古代ギリシャの哲学者は、世界は火から生まれ、空気となり、水となり、土となると考えたが、熱エネルギーの高いものから低いものへ、すなわち高エントロピー(無秩序)から低エントロピー(秩序)へと、移行する点においては正しかったことになる。
 個体としての生命が低いエントロピーの状態を保ちつづけていることに関しては、シュレーディンガーが「生物体は<負のエントロピー>を食べて生きている」として説明したことで解決できる。生命体は他の生命体を食べることによってのみ、生きてゆけるのである。他の生命体を食することは、おのれと同じ高度に組織化された有機物、すなわち小エントロピーのものを摂取同化することであり、それを排泄することは、エントロピーの大きなものに変えることである。その小から大の差である負のエントロピーを、生命体は常にとり入れることによって、低エントロピー状態を保っているのであるという。<エントロピーの代謝>を失った最大限のエントロピーが、生命体にとっての死というわけである。
 宇宙を熱力学の過程としてみると、宇宙の最初の時点での状態はひとまずおき、インフレーションとビッグバン以来の宇宙の構造は、高温から低温へ、無秩序から秩序へ、高エントロピーから低エントロピーへの、冷却の過程で生まれたことが分かる。開闢時に、全エネルギーが放出され、それが宇宙空間に平均化されるまでが、宇宙の寿命であるといえる。巻かれたネジがほどけることによって、からくり人形が動き出すように、素粒子が生まれ、銀河が生まれ、星が生まれ、地球が生まれ、生命体が生まれる。同様にして、その先に知性や、意識が生まれる。
 天体や地球にいたるまでは、熱力学の第二法則は厳密に適用される。地球は時々刻々冷却をつづけている。最後に冷却がとまったときが、<熱の死>であり、もはやエネルギーの転換が行われなくなる。しかしその前に太陽に飲みこまれているであろう。生命は、共食いをすることによって、局部的に低エントロピーの状態にとどまっている。いわば宇宙の時間を停止させているのである。この停止状態の上に、はじめて知性が生まれ、理性に目覚めることが可能になる。
 知性とは、混沌を論理的、数理的に秩序づける働きであり、エントロピーの大きな状態から、小さな状態へと飛躍することである。これが可能であるのは、生命自体が低エントロピーを持続しているからである。それ故に知性の働きは非時間的である。さらには非空間的である。知性は時間の働きを止めてしまう。知性が思惟することは、無時間的であり、それは今でも過去でも未来でもない。今について、過去について、未来について考えている知性は、時間を超越しているのである。おなじく、今ここで考えている知性は、ここである必然性はない。ここについて考えている知性はここになくてもよい。知性は宇宙または生命の秩序を現わしだす働きであると同時に、秩序そのものでもある。その両面性を表わす言葉として、理性を用いることとする。理性は宇宙及び生命とともに発現する。知性が宇宙を理解できるのも、まさにその故であり、宇宙を理解できないのも、またその故である。生命として発現した人間理性は、生命としての限界においてしか、宇宙理性を理解し得ないからである。せいぜい宇宙全体を、人間理性との類推において、超巨大な知性と見なすほかはないのである。
 宇宙全体が理性であるならば、その理性はどこから発現するのか。これは最初の仏は、どこから生じたかという、子供の頃の兼好の疑問と同じである。プラトンに帰って、イデア界を仮定すれば、ことは簡単であるが、証明は困難である。仮にイデア界を想定しても、それが人間理性と一致し、それに都合の良いような理性界であるとは限らない。人間知性が、論理的・数理的に理解できる限りにおいてのイデア界は、イデア界のほんの一部に過ぎないかもしれない。宇宙がイデア界を内包しているならば、あるいはイデア界が宇宙に内在しているならば、宇宙の理解が、イデア界の理解の試金石となる。しかしどうやら人間理性には分がわるい。宇宙が量子力学的脳、すなわち超巨大な量子コンピューターであるとするならば、人間のわずか数キログラムの脳でもっては、とても太刀打ちできないであろうから。素朴な、ヘーゲル的な<絶対理性>が、何と牧歌的に思えることであろうか。
2017年3月12日(日)
パラレルワールドとしての夢
 人出でにぎわう、どこか土手の上を歩いている。自転車でここまで来て、原っぱに置いた。なんのイベントともしれない。ただ人々がたくさん、そぞろ歩いている。それにまじって歩いているだけであるが、日ざしは明るく、春であろうか、緑の草が土手一面に萌え、その葉の一本一本があざやかに目に映る。どこかで連れとはぐれてしまったようである。自転車まで戻って探そうと思う。置いたあたりへ戻ってみると、見あたらない。似たものはあってもどこか違って、他人のものである。ここに置いたはずなのに、盗まれたのであろうか。さらに歩いているうちに、はたしてこれは現実なのだろうかという気が、ふとする。この赫々(あかあか)とした真昼の日ざし、太陽は見えないが、すべてが明瞭に、疑いなく存在している。それなのになにか胸をふさぐような不安がある。現実なのか夢なのか区別がつかない、このままの状態でいるのは困ったことだ、とつぶやきながら歩いているうちに、ふと眠りから抜け出しているおのれに気づく。
 この夢の場合、夢のなかで、もしかしたら夢ではないかと考えることがなかったなら、そしてその夢の中に永遠に閉じこめられることに対する、胸苦しい不安がなかったならば、その現実以上に現実的な世界は、この世界と区別ができなかったであろう。そもそも比較すること自体が不可能である。もし現実というものに階層構造があるとすれば、この世界からは夢の世界を比較することはできても、夢の世界からはこの世界を見渡すことはできないのである。現実の意識は少なくとも、夢に対して上位の世界に当たる。しかし夢もまた、それ自体で独立した世界と考えることはできないであろうか。この点に関して、物理学で明らかにされようとしている、パラレルワールドが示唆するところがある。
 膜理論(ブレーンシオリー)によれば、この宇宙は次元を異にするいくつもの膜(ブレーン)からできている。膜と膜は重力によって引かれあっていて、膜と膜とが接触すると、強大なエネルギーが発生し、新たなビッグバン宇宙が生まれる。個々の宇宙の間はまったくの別世界であり、発生の順序はあっても、直接の関係はない。この世界からは隣の膜宇宙を見ることはできないが、それについて考えることはできる。
 夢はこの世界の現実が生み出したものであるかもしれないが、この世界と意識において両立することのない別世界である。両者の間を行き来することはできても、両者が直接関係することはないのである。夢を生み出すのは脳のエネルギーであり、いわば脳のブラックホールから、夢のホワイトホールへと意識が噴きだすのである。それは一方向であり、夢からこの世界が生みだされることはない。しかしこの関係は、より高次の意識が、この世界の現実の意識を生み出している可能性を考えさせる。原意識というものがどこかにあるならば、そこからエネルギーが噴出して、つぎつぎと子意識、孫意識を生み出していくのである。
 意識はふだんは徹底してこの現実の世界に存在しているので、それから目覚めるということは、まずもってない。もしそれができれば、ある時ふと高次の意識界に、この現実の眠りから抜け出していることであろう。この世界が夢であったことに気づくであろう。その体験が語れる人は、ふたたび夢に戻って、あなた方は私の夢であると告げるであろう。そのようなブラーマに会ってみたいものである。しかし、この世界を夢と見る高次の意識は、神秘思想において比喩的に語られている。神秘家はその意識に達したおのれを、神と意識するのである。私自身が神なのであるから、この肉体を持った存在は、神の夢にほかならない。高次の意識に達した私の意識は、この世界とは別個の世界における存在として目覚めるのである。それはこの世界以上に<現実>であるに違いない。その現実が、この現実を生み、さらにこの現実が次のべつの現実を生むからである。
 それでは、夢の生みだす次の意識の世界はあるのだろうか。それは徹底して夢に生きてみるほかに、確かめようがないであろう。そして、夢の世界に徹底して生きる者は、もはやこの世界に戻ってはこないであろう。それが彼にとって唯一の現実となるからである。彼らはすでに異世界の存在と見なすほかはない。そして、夢からさらに、べつの夢に生きる。その時彼らは、夢の世界からも消え去る。もしかしたら、死とはそのようなものであるかもしれない・・・。
 (ちなみに、この考えをテーマにしたボルヘスの短編「円形の廃墟」がある。)
2017年3月7日(火)
梅の里と昆虫館
 (写真:左<越生梅林>、中<梅園神社>、右<梅畑>)

 町の西を南北に通るローカル線沿いには、早春のころ北へ向かうと、白い梅の花が眼につくようになる。北隣の町は梅林で知られているが、この季節は町全体が白くなる。あちこちの梅畑から、ふと香りが漂ってくる。梅林そのものは確かに観光地であり、人出でにぎわうが、その鳴り物つきの観光よりも、その裏手や、川沿いを歩いたほうが、静かな散策を楽しめる。
 梅林には、南北朝頃からの古木なども見られ、ひととおり賑わいにまじって観梅し、昼食を取ったあとに、近くの梅園神社によってみる。ここには、時々トイレによる人の他には、ほとんど来る人がいない。森閑とした昼時の境内には、二本の杉の巨木が社の階段をはさんで亭々と聳えている。川向こうの賑わいから抜け出してきた静寂がきわだっている。この対岸の道は、黒山三滝の方へ向かうようであるが、途中で右手に入り、ちょうど川を間に梅林と向かい合う道を行く。そこは道沿いが一面の梅畑である。梅園のように囲われているわけではない、まさに里山の梅林である。そこをわざわざたずねて歩く人も少ない。桃源郷ならず、梅花郷に迷いこんだような気分で歩いていると、小学校のそばに、昆虫館の案内があるのが目に入った。ほとんど人通りのない道沿いに、不思議なものを見つけた、まるで宮沢賢治の気分である。昆虫嫌いの家内を説得して、中へ入る。
 ただ昆虫を展示しているだけではない、ちょうどヘルマン・ヘッセ展を行っていたのである。昆虫とヘッセといえば、すぐに中学の教科書に載っている作品を思い浮かべたが、そのとおりであった。この昆虫館は、そばの小学校の施設と関連して、一般には土・日しか開かれていないのだが、そのコレクションは世界全体にわたっていて、蝶や甲虫やの、めずらしい標本が、まさに色とりどりの宝物のように陳列されている。昆虫標本というと、子供の頃の記憶から、ホルマリンのいやな臭いを思い浮かべるのだが、部屋の空気はまったく清潔であった。
 ヘッセ展の部屋は、やはりクジャクヤママユが中心であった。なるほど誘惑に駆られそうな大きな、美しい蛾であった。西洋人は蛾と蝶を区別しないそうであるが、どうも全身毛の生えているものを見ると、差別したくなるのは、どういうわけであろうか。「少年の日の思い出」では、ヘッセは盗みを働いてしまうが、私にももっとけちなものでその経験があるので、身につまされる。その他、詩や水彩画などの紹介を楽しんで、出る。
 思いがけないものと、田舎の、畑中の道ででくわして、夢のような気分にふけりながら、散策をつづける。道灌橋という、小さな木橋を渡って、川向こうへ出る。通りすぎてから、道灌というのが、太田道潅のことであることに気づく。武蔵の国では、歴史的知名人であるが、例の山吹のエピソードがこの地のことであるとされている。その父親太田道真の隠棲の場所である、寺によってみた。そこにも梅が咲いている。その寺の上の崖の途上に、小さな社があって、登ってみると、目立たない太子堂であった。太田道潅は、1486年6月のこと、ここで隠棲している父に会いにきてから、ひと月後に陰謀にあって殺されている。その会合で詠まれた詩(七言絶句)が、彼の運命を暗示しているようだ。

  稀郭公(ほととぎすまれなり)

  たとへ千声ありといへえどもなほ合ふは稀なり
  いはんやいま一度枝をへだてて飛ぶをや
  たれか知らん残夏初夏に似たるを
  細雨山中に聴いていまだ帰らず

 同伴した万里集九という文人の作である。

 
 

  ( 写真:上左と上右「ヘッセ展」、下左「太田道真退隠の地」)、下右「里山の梅畑」)