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8月終わり。
まだ夏真っ盛りだというのに今日は寒い。雨が強く降っているせいだろうか。

 俺はバイトをしていた。
 東京に出てきて一人暮らしをしているのだが、親に迷惑かけたくないので生活費は自分で稼いでいた。そういっても学生だから生活はギリギリ、いやでもたまに仕送りに頼るしかなかった。
 今のバイトはスーパーのレジ打ち。半年以上続いているのはコレだけだ。理由は時給が良いのとシフトの融通がきく、それに男は珍しいのかおばちゃん達にちやほやされるのが楽しい。
 一番下っ端だからちやほやされても普通よりか雑用が多い。今は閉店前だから駐車場の施錠を頼まれた。
 雨が降っているため客の忘れた傘をさして閉めに行く。雨は思ったよりも強いようだ。
 駐車場は大通りから一本入った道にある。そんな大きい町じゃないから一本入ると一気に人は少なくなる。雨が降っているから尚更だ。
 スーパーから駐車場までは約二分。もっと近い所へ作った方が客の入りが良いと俺は思う。
 雨の音を聞きながら歩く。雨は少しずつ弱まっているみたいだ。

角を曲がれば駐車場という所に血の付いた白い羽根が散らばっている。野良猫が鳥でもしとめたのかもしれない。もし駐車場で鳥が死んでいたら処分しなければならない。そうなると厄介だ。
 そんなことを思い曲がってみたら夜なのにそこは明るかった。駐車場の奥に何かが居た。
奥にいる何かに目を凝らす。白い…そして赤い…。
 散らばっている羽根はその何かのものだろうが、羽根の量やその何かの大きさを考えると鳩等ではなさそうだ。白い鷹、ペガサス、もしくは…天使。そんな大きさだ。
 俺は少しづつ近付いていった。一歩進むごとにその何かのことが解る。凄く白く血も大量に出ているようだ。まるで人がうつ伏せで倒れているみたいに。翼は右側がもぎ取られたようになっている。
 その何かにあと一メートルというところで俺は気付いた。

 片翼を失った天使だ

 

性別は男で俺と同じくらい十代後半だろう。
 手から傘が滑り落ちた。
 俺は天使に駆け寄った。仰向けにし天使の口元に耳を持っていく。どうやら弱いが息はしている。失われた翼の所は未だに血が出ている。そして体は何も纏っていない生まれたままの姿だった。
 頬を叩くと天使は体を微かに動かした。俺は羽織っていた上着を天使にかけると抱きかかえ自分の家まで走った。
 こんなに走ったのは高校の体育以来だった。駐車場から家までは五分とかからなかった。
 家に着くとまず風呂場に行き天使の体にシャワーをかけ、体に付いていた泥や雨、血を洗い流した。
 左の翼は血が付いてはいたが洗ってみると一つも傷はなかった。右の翼を洗うと傷口からは血が絶え間無く滴り流しても流しても赤いままだった。
 風呂から上がりまず右の翼にキツくタオルを巻き付ける。一枚では足らず三枚使う。
 新しいタオルを取り天使の体を拭く。肌が透けるように白い。血が大量に失われているからだろうか。
 拭き終わると取り合えずベッドに寝かせた。しかし傷を下にするわけにはいかないのでうつ伏せに。

こんな時間に開いている薬局を必死で思い出した。確か国道沿いのチェーン店がまだやってるはずだ。
 俺は急いで家を出て車が置いてある駐車場に向かった。車を飛ばせば往復で二十分かからないだろう。
 この車は仲の良い友達と共同で買った。青い4WDなのだが中古屋で十五万だったのをきっちり割り勘した。
 エンジンをかけるとあいつがよく好んで聞いているハードロックが流れ始めた。いつもならお気に入りのR&Bに変えるのだが今はそれ所ではない。
 俺はアクセルを強く踏んだ。夜の住宅街にエンジン音が響く。雨はいつの間にか止んだようだ。
 耳をつん裂くような音楽を止めラジオに変える。流れてきたFMラジオからは数年前の男性人気デュオの歌が聞こえてきた。

  天使をやめないで苦しめないで羽根を捨てないで時間を止めないで狂おしいほど君を愛しているから

 この曲があの天使のことのように思えた。あの天使の未来が自分にかかっている。天使のままにするのも天使をやめさせるのも俺の行動によってどちらにも転がる。責任重大だ。

曲が終わると同時に薬局に着いた。車から降り鍵をかけると早足で店内に入りかごをつかんだ。
 ここは数回しか来たことが無いから何が何処にあるのか全く分からない。頭上に吊された看板を見て救急用品コーナーへ向かう。品揃えはまあまあだ。
 傷の大きさと程度を思い出す。翼の付け根から十センチくらいの所から先を失った状態だったから傷口は十センチ以上はあるはずだ。ならば消毒液は今後も見込んでかなりの数が必要になるだろう。
 かごに消毒液を棚にあるだけ入れた。他にも化膿止めの軟膏やガーゼ、包帯などかごに詰め込んだ。
 前に興味本意で応急処置の本を読み漁ったことがあった。その本に書かれていた手当に必要な道具を思い出す。脱脂綿やはさみ、ピンセットもあると便利だろうか。
 全てを入れ溢れ返っているかごをレジへ持っていく。案外こういう物は高い。財布の中身がスッカラカンになってしまった。
 両手に買った物が詰まっている袋をさげ車に戻る。後部座席はあいつの私物でいっぱいなので助手席に回り鍵を開けると荷物を乗せる。そして車に乗り込むとまたアクセルを強く踏み走り出した。

帰り道というものは行きより早く感じられるものだ。思ったよりも早く駐車場に着いた。車を降りると助手席の荷物を取り鍵を閉め家に向かった。
 家に着くとすぐさまベッドへ直行した。天使は先ほど自分が寝かした体勢のまま未だに気を失っている。
 翼に巻き付けた三枚のタオルはすでに一番上のまで血が滲んできてしまってる。また新しいタオルを数枚持ってきて買ってきた物を開封しながらベッドの脇に座る。
 巻き付けているタオルを取ると傷口からじわっと血が出てきた。俺は翼の下に新しいタオルを敷くと消毒液の蓋を開け傷口に消毒液をぶちまけた。
 滲みたのか翼がヒクヒクと痙攣したように動く。傷口からはまた血が溢れてきた。先程からかなりの出血をしている。このままでは天使の生命に関わる。
 病院に連れていっても科学者達の良い玩具になるだけだ。そう思ったとき俺は思い出した。

昔病院物のドラマで河原で大怪我した人に医者が普通の縫い針と釣り糸を使って傷を縫合していた。
 幸い縫い針も釣り糸もすぐ出せるところにある。裁縫も得意な方だ。縫ったことによって傷が早く治るかもしれない。しかしそこが菌に冒されもっと酷くなるかもしれない。一か八かだ。
 俺は物入れの中を漁った。七月の半ばにあいつとキャンプに行ったときに釣り竿を持っていった。その時数年ぶりに劣化していた糸を取り替えたため新品同様だ。釣り竿は物入れの中程にあった。
 縫い針はダイニングの棚の中にある裁縫箱にあった。男の一人暮らしに裁縫箱などいらないと思っていたがこの時ばかりは持たせてくれた母に感謝した。
 俺は釣り竿から糸をある程度の長さ出すとそれを切り台所で綺麗に洗った。そして糸と針を持ちベッドの脇に座る。煙草を吸うために置いてある百円ライターで針を熱消毒する。
 糸と針を綺麗なタオルの上に置き消毒液をかけ消毒する。次にまた天使の傷を消毒する。消毒した針に糸を通し準備する。
 当たり前のことだがこんなのやったことない。傷の上方から一針縫う事にきつく結んでいく。全部で15針縫った。思った以上に上手く縫えた。

縫った部分にさっき買ってきた化膿止めの軟膏をたっぷりと塗りガーゼを当てて包帯を巻く。二、三日すれば成功かどうか分かるだろう。さっきと縫った後と違うところは明らかに出血が少なくなったことだろうか。
 そんなことを思いながら台所で手を洗っていたら小さな唸り声と共にベッドの軋む音がした。振り向くと天使が上半身を起こそうとしている。
 俺は手に付いた石鹸を急いで流すと天使に駆け寄った。天使は辛そうに体を起こすとベッドにぺたっと座り辺りを見回した。
 天使を見ている俺と視線がぶつかる。はたしてこの天使は日本語が喋れるのだろうか。英語やスペイン語なら多少自分も話せるが地球外の言葉を話すかもしれない。
 そんなことを考えていたら眉間に皺を寄せ天使を睨んだようになっていたらしい。天使は頭の上に疑問符を浮かべ小首を傾げてきた。とっさに口から滑り出たのは日本語だった。

「名前は…?」
すると天使は流暢な日本語を使った。
「…僕の名前は…ショウ…です…」
 案外低い声だった。
「…ショウ…か…俺は潤…松本潤!」
 ショウはまたも頭の上に疑問符を浮かべたので一応側にあった紙に書いてやった。
「漢字分かるかな?『松』の…『本』が…『潤』うって書くの。」
「…松本…潤…」
「うん、ショウは?名字とかないの?」
 俺が問うとショウは軽く下を向き苦笑すると小さな声で名字も漢字もないと言った。

「そうか…ねぇ!ショウってさぁ…」
 俺は先程使った紙に一文字『翔』とだけ書いた。
「これでショウって読むの。意味は飛ぶとかそういう感じ」
 するとショウは泣き出してしまった。
「ごめん!そうだよね、やだよね!」
「違うの…そうじゃなくて…」
 そう言うとショウは自分の過去について話し始めた。