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真冬、
小屋番、管理、経営
高城撮影 2013年12月28日
新雪の上に円を描く動物の足跡。これが不思議に面白い。
陽が登る寸前の6時14分。青ケ岳山荘を出て、入り口から撮影。 |
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夏の風物詩、
滝雲が季節に変わりなく、見られるようになりました。
ただ楽しいとばかりは言えず、気候の変化が、不安に成ります。
富士山の麓を埋め尽くす雲海の波が、犬越路からうねるように流れ落ちる様子は、
思わず身を引く、壮観な眺め。
雲と分かっていても、水を連想してして呑みこまれるような恐怖感さえ湧く。
桧洞丸山頂から、犬越路方面に1分程下ると雄大な展望が開けます。 |
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桧洞丸の風物詩、滝雲! 動画を挿入します。撮影は管理経営、高城です。 |
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檜洞丸の山頂から蛍も飛ぶ頃の満月 撮影 高城
太陽と入れ替わって、富士山の肩に沈む、巨大な満月に絶句する。
7月半ばの海の日のあたりは木道を、ちらちらと蛍が飛び交い。
季節を感じることができる。いまだ味わう風物詩。
昔は、テシロの頭付近のたるみを、隙間なく蛍の光で埋め尽くされた景観に接した
ことがあるが、さて近年は、いかに? |
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11月1日、桧洞丸から見る一日早いダイアモンド富士。
写真をクリックしすると、全体図が表示されます
巡りくるダイアモンド富士。それぞれの山の山頂は、位置がずれるために、
少しずつ日にちが変わりますが、檜洞丸は、11月2日と2月の8日、のあたりです。 |
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7月半ば、神の川の沢筋の断崖絶壁を飾る山百合。その美しさ、涼感は正に絶品。
この景色だけを見に来る価値が有る。 |
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可憐な風情に似合わず長く咲きます。西日の当たる、岩場に見かけます。
平地では、あらかたの、草花は、暑さで溶けて、しまいます。
山の花は山で見るのが原則です。山でとるのは写真だけにしましょう。 |
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数の少ない紫。雨風に弱い。 |
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奥相模湖 2010年12月
クリスマスイブの日に、写真班へのプレゼントのように水辺に羽を休める大きな鳥。
アオサギとは違うようですが。北麓、青根の奥相模湖です。 |
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空気が澄んでくる冬が特に夜景が美しく見えます。
小屋の前から小田原方面。
東方面は東京。相模原八王子方面が特に範囲を広めました。
東北地震(2011年3月)の直後は、めっきり灯りが減り、又、戻りました。
(2012年1月19日)夜景は、珍しいものではありませんが、
霧氷が月明かりに輝くのは珍しい景色です。 |
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光の中のシロヤシオ
写真は檜洞丸の山頂付近のミツバツツジをバックに咲く、シロヤシオツツジです。 |
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写真提供 奥野氏 丹沢のガイドブックで有名な、奥野幸道氏の写真です。
奥野さんが平成23年7月になくなりました。90歳の天寿を全うされました。 |
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丹沢全山に見られる常緑樹です。
庭に植えると家畜の馬などが食べて、よろけて中毒症状を呈することから
馬酔木と言う文字を当て、アセビと読む。今は牛馬を飼うことも無く、
庭木として観賞されることが多いが、幼児が謝って口にしてはと、嫌う人もいます。 |
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桧洞丸で,この花をよくみようとしても、高い木の上に咲くために、
なかなか見ることができません。足元に散っている花をみて、
初めて上を見上げると言う有様です。
むしろ冬山に林立する大木の木肌の赤さは雪に映えて、しばし足を止めてしまいます。 |
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日当たりのいい里山のあぜ道。 オキナグサは里山の代表の山草ですが
、この花も年々自生地から無くなり、
そのかわいらしい姿から山草業界で大量に生産されている昨今です。
種子がこぼれて、非常に増えてゆきます。
花の形、種子の形の面白さがこの花の特徴です。
白い種子の形から(翁)草の名が付いたと言われ、地方によって呼び方が変わります。 |
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山の花 この花は、動物の食害を避け、おもに樹上に寄生します。
最近は見かけなくなりました。
丹沢駆け巡りのホームページご覧ください。丹沢の花、満載です。 |
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冬は水が枯れる岩場に張り付いており、入梅時期の水を得て、葉を展開させます。
昔はいたる 処にみられましたが、今は点検に歩いていませんので
詳しい事は解りません。
丹沢には変わった個体の花を産出しています。
イワタバコは葉ざしや実生で簡単に増えますから、自生地はそっとしておきましょう。 |
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岩場や沢筋に自生する清楚な花。ひげ状のがく片が花に沿ってたれるのが
丹沢の特徴です。 |
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これから自然一杯の近隣の地は多くの人々に癒しを与える観光地であり、
学びの場です。藤野駅下車。
いやしの湯もすぐ傍です。散策にお出かけください。鴨が遊んでいます。 |
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桧洞丸にて撮影は 理生 2014年2月8日から15日の記録的大雪の為か、
丹沢のいたるところで鹿の死骸を見た。然し春には、誕生した小鹿も多かった。
その姿は愛らしく、思わず手を伸べたいが、然し、鹿の食料と
数のバランスが失われている。
管理しきれなくなった人間が及ぼす、
これもまたこの時代に生きるもの同士の悲哀です。
管理とはバランスの管理です。其れを崩すと草木も山も鹿も、
この山の水を飲まなければならない人間も惨めです。 |