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山で出会った感動の人
山では色々な人と出会う、様々な人から教えを受ける場所である。
それは必ずしも楽しい事ばかりでも、感動する人ばかりではないが、
不快を受けることも教えなら、感動と美しさを受けることも教えだと思う。
同じ語るなら、美しい人を語りたい。その思い止み難くこのページに記録する。
本人曰く、ホームページのマドンナ。
頻繁にボランティアにやってくるために、いやおうなしにページを飾る。
眞田さんと並ぶ、両雄である。凄いなと思うことは、無口で、吃驚するような行動派!
鉄の女性という気がする。たった一言、ゴミを拾っていて愚痴や、怒りの言葉を聞いたことが
ない。心の底に揺るぎない決意があるのだろう。出会いは、2011年の11月だった。
塵の下げおろしボランティアの呼びかけに応えて、拾っておいた酒瓶を
品定めしつつ持ち下してくれた。
瓶に貼りついた、ボロボロのラベルに赤玉ポートワインだ!白玉だと騒ぎつつ、笑う声が、
あらゆる邪念を吹き飛ばすような明るさで深く印象に残った。
健康維持を兼ねて毎週のように丹沢を歩いている。メール交換もし、この年の冬、
電話を掛けてみたがいくらかけても出ない。どこかの山に出かけたのかなと思っていた。
ところが、小屋の入口で物音がするので、なんだろうと思って開けてみたら、
入口の庇の下で自炊をしていた。この時の、双方の吃驚と言ったら・・・今も忘れられない。
ボランティアさんは一回だけの人も多い。それが普通だと思う。この人は普通の人でない。
つまりはあり得ない人、有難い人だった。電話を掛けても、出ない人が、
すでに小屋の庇の下にいた。この瞬間、この人は(縁の人)と思った。
地域でごみの清掃もしており、リックの中にはゴミ袋を持参している
。大雪のたびに除雪をしてくれ、去年は1回2013年に入って2回、
雪で開かないトイレの入り口も雪掃きをしてくれた。トイレのペーパーも荷揚げし、
大勢の人が助かっているのである。正にあり得ない人なのだ。
食べた食器を拭き、塵はリックに仕舞い、入口できちっと礼をする。
思わずこちらも敬礼をする。
言葉と行動で人を導く教師なのだと思う。もし、山が人のように言葉を持っていたら、
ありがとうと言うだろうなと、ひそかに思っている。
久々の対面だった。小屋番同様、太っていることを気にしている彼は、
一目で、スリムになって現れた。足の調子も整いつつあって、この日は、
想像もしていなかった、水4リッター、カセットボンベ3本。コーヒーとケーキと・・・、
かなりの重量を挙げてくれた。せめて材料費をという小屋番に
「そんなことなら、持っては来なかった」とかたくなに受け取らない。
確かに、その価値は、何物にも代えがたい、大きさと重さが心の広さと喜びとに換わって
計算できないものだった。
彼は、気にしているよりもスマートで、男前なのに、何せ当方の写真の腕が悪い。
今回は、何枚も写真を撮ったのに、結局、スナップになってしまった。
天体観測に長じていて、小屋番に星空の指南をしてくださいます。
その甲斐あって、2011年12月9日の写真撮影もできました。本命の10日も勿論ですが。
人にドラマ有です。
それは、2011年の5月の4日だった。一人の青年が、コーヒーをください。と言って入ってきた。
場を同じくして、昔風のキスリングを背負って一人の男性が水を多量に買った。
水を移し変えて、空き容器を置いていってはいけないかと交渉を始めた。
縦走をするのだという。頑張る相手に半分だけと、譲歩した。
そんな一部始終を目の前で見ていた青年が、
「僕が持って降りましょう、もう下るだけで荷物は何もないので」と申し出た。
すると縦走の男性が、突然態度を豹変させ、
「いえ!良いです!大丈夫です」と言い、今、正に渡さんとしたペットボトルを固く握り締めて、
俺の宝物を取るんで無い!と言うように、ダダンと戸にぶつかり
「おっと・・・・と」といって必死に出て行った。正にそれは、自尊心という宝だった。
数度申し出て断られた青年は
「僕、わるいこといっちゃったかな〜」とポツリとつぶやいた。その一言が胸にこたえた
(好意的接触を断られ、反省し、尚、相手を思いやる、深い優しさを、思い出すたびに、
感動がよみがえる)そして
「実は僕、去年、此処に来ているんです」と語り始めた。一瞬にして
「あの時の人?、去年の11月に野外卓に座っていた人!」そうだった、そのときの
晩秋の陽ざしは翳れば肌寒く、日向は程に心地よかった。
その青年とは別に、トイレに来て、そのまま山頂を目指す青年が居て、
その腕には指導員の腕章が真新しかった。
「あなた指導員?指導員って、ボランティアでしょう。交通費も弁当代も自分持ちでしょう。」
と声をかけた。
「はい」と言う青年にたたみ掛けた。
「じゃあうちのボランティアもしなさい」ほぼ命令であった。その指導員の青年は
塚崎と名乗った。彼はまじめで物静かで
「はい・・・・エッ・・・はい」こうしてひとしきり、青ケ岳山荘のボランティアの説明をして、
指導員の青年と別れた。その時は、もう野外卓の彼は居なかった。
その笑顔が冬枯れの山をバックにして写真とは違う、くりっとした目が印象的だった。
きっと来ると約束をして帰った指導員の青年は来ないで、傍で笑ってみていた、
違う人が来た。
「ありえなーーーい!」その位、天変地異な出来事だった。
青年は
「塵を持っております」と申し出た。私は縦走の青年でないから、
臆面もなくごみを出して名前を聞いた。照れる彼をあわてて写真に撮り、無理矢理聞いた
名前が青ケ岳山荘ボランティア部に大きな一石を投じた彼こそ黒岩!。
さらにこの一部始終を早めに到着の登山者Fさんが見ていて、黒岩君に
「これもっていけ!」と吃驚するような、ジャンボなせんべいを差し出した。
1つの善意が早、次々と感動を呼んでいた。
そしてそのFさんが次の日に又塵の持ち下ろしを申しでた。黒岩君つながりで、
この人の事も忘れる事はないだろう。

今回の受けた教訓は語りかけた人でなく、傍で聞いていた人が動いたと言う現実だった。
出来る事ならば全ての人に訴えるべきだという事だった。ためらいや、遠慮、
多くの登山者の態度から受ける、絶望、挫折感。それらは全て、障害になっていた。
どういう形でどう語るか。
それさえも分からなかった。
然し、心の目指すままに形にせよ。些細な事なのに連休後のある日、掲示板を掲げた。
小屋の中に1つ、入り口には黒板で書き出した。想像を絶する感動と感謝の輪が
爆発的に広がった。
駅に立て、と言う人もいれば、公的機関に張り紙をしろと言う案も有った。
然しどれも飛ばず泣かずであった。この小屋、この小屋そのものほど、
強力な場はなかった。思うに・・・・、
山小屋の役割は何だろう。ホテルのような宿泊業ではないし、場末の木賃宿でもない。
具合が悪くなった客を救急車に乗せて、渡せば良いだけの仕事ではない。
それに変る救助ヘリを呼べばあとは関係ない仕事でもない。延々とやってくる救助隊の
世話が待っている。
お客様は神様と登山者の我侭にへりくだる事ではないし、登山者とまけず劣らずこの
ぼろぼろの山を食い尽くすほどお粗末に生きていかなくても良いわけだ。
奉仕の仕事として、山を守り、登山の有り方を教育できたらするのが、
本来の仕事たる仕事だろう。何も威気高に怒鳴れというのではない。
こんな昨今に現われた若き救世主かと思う黒岩君の出現に。世の中捨てた物でないと
無理に思おうとしている。無理に思わなければ何なのかといえば、指導員の青年のように、
来なくなってもがっかりするんじゃあないよ。
一歩踏み出す事を教えてもらったのを感謝する気持ちがあれば、幸せなんだと、
世の中に捨てられ続けたような半生に出来あがった、後ろ向きの思いがわいてくる。
きっとまた、がっかりするよと、今からがっかりする練習をしているんだな。
なんたって挫折をくり返す青ケ岳山荘だから。どん底が幸せ。なんたって登るしか
道が無いから。迷わない分だけ楽と言うもんだ。
艱難辛苦、登りあげて見た陽の光りほどまぶしくありがたいと思うのだよ。
そんな思いの交差する中に、彼らは来続けてくれる。
人は誰も特別な者を求めていない。ただ、黙って聞いてくれる相手であったり、
頼んだ事を狂い無く果たしてくれる、自分の手足だったりする。それは何よりも俗に言う、
優秀な人材を上回るものがある。地道な役割を果たし得るか。
それは目覚しい働きをしてスポットライトを浴びるより難しい事かもしれない。
この人の礼節に敬服する。敬って始まり、敬って続き、敬って終わる道のりの続く事を
努力したい。
彼は、2日の夜に友と現われた。
「こんなに苦労して山に来て・・・一昨年鍋が出て、感動したんだ。
それが、去年も駄目今年も駄目。嫌な予感がしたんだ、やっぱり鍋がない・・・」と嘆く・・・・。
手持ちのビールが効いて来て、物心地ついた子供のように面白くないを連発する。
その面白くないは段々エスカレートして
「日本人は本音で話さない、《明日来てください》と言うから行けば、何しに来たこの馬鹿!
見たいな対応をする。一体なにを信用して生きていけば良いんだ。
言葉を信じて行動できないならば、人の顔色表情か!こういう表情のときはこういう返事だ
と、いう教科書があるのか!」と、怒りを吐露する。
40才過ぎの彼は正に少年を卒業することなく生きていた。
そこには、サイト記者の思い同じ物が含まれていた。
この日は暮れから正月の疲れが出たのか、一通り登山者の世話をして、
ありえないことに炬燵で伸びていた。それが彼のトークを聞いてむっくり起き上がった。
「そうだ日本人は嘘つきだ!」とすっかり意気投合。その人間不信に陥った彼が、
「僕は小屋のボランティアをしたいのだ、然し小屋はありがとうといいつつ本心は迷惑に
違いない」
と、すっかり人間不信に陥っている彼を、説得し行動を開始するのに、どのくらいの言を
労したか・・・・。次の日の3日、太陽は雲に阻まれ、なかなか昇らなかった。
小屋番サポーターとともに、
「彼は、出るまで、暇が掛かる。3日の太陽だ」と語った。その彼が、言葉通りの、感動の
働きをしたのは友を送って3日に下って、3日に登り、4日の働きだった。
山荘が奢りの、念願の鍋に感動し
「最高です!贅沢です!うまいです!」を連発して、次の日の5日、
サポーターと下山するまで、驚異の奉仕活動をした。
「また、きっとくる!」そういって握手して、Vサインを送って帰っていった。
年を取っても、心は老人になれない人が居る。なりたくてもなれない人が居る。
それが良いのか悪いのか、ただ胸の内に慈しみの灯りが漲ることは事実だ。
あれから何ヶ月たったか・・・元気でいるかな・・・新しい事業が成功してくれればいいな・・。
身のうちに、彼の未来に贈るともし火の消える事は無い。
年越しの夜はとても寒く、夜通し風が唸っていた。鍛えた面々でも朝、寒くて眠られなかった。
と、泣きを入れる人もいれば、ぐっすりと言うツワモノもいた。

思いがけなく山と、サイト上の有名人が桧洞丸で年越しをした。
はっきり言えば、青ケ岳山荘に泊まって元旦の日の出を迎えた。
帰りがけの彼らに声をかけて、パチリ。そしてその後姿に深く感謝して心の中で敬礼をした。
なぜならば、
「山では、食べ物を残しては駄目、塵を出しては駄目」と言う当山荘ボランティア部の強力な
アピールに、この人が一番的確に答えてくれた。彼が食べた皿は、まるでサッとちり紙で
拭いたかと思うほど綺麗だった。正に口先だけでなく、身をもって山に対する礼節を
示していた。山小屋始めて50年。2回、こんな皿を見た。その時、その皿に深く敬礼をした。
この皿を通して、使った人に対して・・・・。山を傷めないために塵を的確に処理する。
これがなににも増して重要な課題を背負っている山小屋だ。
それに向き合っている山小屋ボランティア部を的確に把握し、賛同してくれていることを、
この皿が示していた。これ以上はお世辞になると嫌なので語りたくは無い。
語りたいことは山ほどある。始めてあったのが、植樹の日だった。あの時の印象は細い人。
だけだった。この日を境に、ただ・・・ただ・・・感謝する。まさか、このページで彼に
ボランティアからの感謝の言葉を語れるとは思っても居なかった。
無口な工事者がある夜、語った言葉に驚いた。
「人に使われる者は使う人間よりも優秀でなければならない、
なぜならば使う人間が成しえない事を、成しえて見せなければならない立場であるからだ。
そしてその立場は立場を超えて平等である」
強靭な哲学で、心理だろう。
然し、人を使う者に対し雇われの身はともすれば卑屈になり、
望む仕事を成し得ない悲しい現実がある。優秀な人材と思って、共に力を合わせるべく
頭を垂れれば、突如相手は優位に立った錯覚に落ちて、命令を始める逆転劇もある。
それが双方の馬鹿人間の成せる現実だろう。理想は、実生活に遠く、故に目標であり、
羨望であり、目指す課題なのだろう。はっきり言えば、当記者はどちらにもなり得ないし、
どちらの人間にも出合っていない気がする。
こういう話をし合える友の居ない我身をわびしく思い、思い彷徨う中に、問いかける筆者に、
この人は、
(あなたは本当に私に答えを求めているのか?そして私の答えに納得し得るのか?)と、
その表情の揺らぎは語っていた。
そして、そんな中に自ら気が付いた事は、他の人には持ち得ない友の存在だった。
人ではない、その友のあまりにも大きい存在のために、人は誰もその偉大な壁を越えて、
近づく事ができないのが現状なのだろう。そんな筆者が発するものは、
「御免なさい。そしてありがとう」なのだ。この言葉が届かないならば双方、
この領域に達し得ない時限の悲哀。
忙しい工事の合間にバッチくださーいと現われた家族連れ。言って見れば、親に連れられた、
幼い子供と言うものは、親のエゴの犠牲なのか見るからに青息吐息。
もしかして虐待かと思うことがある。然しこの子は、涼しい顔をして爽やかに現れた。
強い子!逞しいじゃん!と心に記録された。何よりも、一身同体のような、
この家族の睦まじさが、何より美しく思えた。羨望の対象だった。
小屋番が発した言葉が、なんだったのか当人は明確に覚えていないが、
この子の心に残って、あの小屋に泊まりたい、あの小屋番に又逢いたいと、
親にねだった一こまを、青ケ岳山荘の常連がバス停で見聞きして伝えてくれた。
ありがとう。きっと逢おうね!。
この影像は登山道工事の山崎土木の面々です。
このページに表示する全ての人は、許可を得て表示しています。
社長は、載せてくれ、山を降りたら早速見るからと楽しみにしてくれた。
初めての、山の工事。その感動は山の樹を守ってくれと言う青ケ岳山のボランティアの心を
大切に扱っているという事だった。構造階段の杭を打つのに、木の根をよける工夫が、
感動の一語に尽きた。まじめな専務がプッツンと切れて、突然ベランメー調になるのが、
とても面白かった。そのまじめさ加減の徹底振りには、驚いた。こんな人は珍しい。
それぞれが凄い人達だったが、私から見れば、専務がトップだった。この先、こういう仕事で
個人的に何かを頼む事があれば、こういう人に頼みたいと思った。
忙しい合間に軽く言った一言を忘れないで対応する人だった。この人ならば信用が出来る。
いい加減な記憶に寄れば、彼らとはじめてあったのは2009年の11月だった
。そのときの彼らは羽目をはずし、深酒が祟って嘔吐と、うめきにのた打ち回る騒ぎをした。
青ケ岳山荘の鬼がそれを見逃すわけが無い。爆弾を2〜3回落した。
「責任者は誰ダー」と言うか言わない内に、
「すみませーん」と、就寝所の二階から転げ落ちるようにして青年が降りてきて、
介護に当たる。
死ぬかと思う騒ぎの次の朝、4時、彼らはすらすらと小屋を後にした。一枚の詫びのメモと
嘔吐の面積を残して・・・。そんな責任者とその後に電話で話し、カーペット代の弁償を
1万円送ってもらった。然し、その現金封筒と、1万円を見るたびに、厳しすぎたかなーと、
丸一年、1万円は現金封筒の中で
「そうだ!お前は厳しいのだ!」と言うように頑としてその封筒から出ることは無かった。
何よりも、二階から転げるように降りてきて、必死に、小さなハンカチで大海をなでる様に、
嘔吐物を拭くリーダーの彼の姿が胸に迫った。そしてある日
「青ケ岳山荘です、あの時は怒りのあまり、厳しい叱責をしました。送って頂いたお金は、
どうしても使うことが出来ません。皆さんが反省してくださった事は良く分かりますので、
又、小屋においでの時に、このお金はお返しいたします。
なにを目的に山に登るかと言うことを良く考えて非常時には、救急車も来ない山の上
と、言うことを認識して、山で青春を鍛えてください。又ご縁がありますように」
と、言うような事を留守電に語った。
あれほど怒ったんだから、もう彼らとは2度と会うことはないだろうなと、
一抹の寂しさが漂った。
そんな、1年後、彼らはカーペットを担いで現われた・・・・・・・・・・・・・!!??!!。
そして彼ら一堂並み居る中で、手書き山の地図を志として添え、
1万円は彼らに還っていった。その瞬間、
「ワーッ!」彼らからトキの声と拍手が上がり、鬼の目に涙。
この彼らから、学んだ事は、
今時の若い者はと・・・投げ捨てる大人の無気力さを強く反省すべきと思った。
若い彼らは美しい心を持っている。汚いのは老人だ。どうせ駄目だ、言うだけ無駄だ。
そういう骨惜しみと穿った物の上に胡坐をかいている。
若い彼らを導く大人が一番だらしない。
必死にそれに向き合うことを避ける。そして、陰で文句ばかり言う。こんな生き方は止めろ!
殴り返される覚悟でぶつかっていく。必死に向き合う。そこには感動のトキの声が上がる。
ありがとう!。美しい彼ら!。かけがえの無い、青春を、真剣さを、
それぞれの人生に記録してください。美しいあなた方と、必死に向き合った自分にも
共に拍手します。逃げないでよかった!。
2010年11月4日
Nさんを見送ってこの稜線に足を伸ばした。途中数人の登山者と会った。
それぞれ言葉を交わしたが、この方には、非常に教えを受けた。
ケーキ屋さんをしている彼は足の手術をしていて、無理な登山は出来無いのであった。
然し彼が語る山への思いは山の偉大さを知らしめた。医者に登山を止められているという。
然し、無味無乾燥なリハビリは出来がたい。
大好きな丹沢や、山を歩いて心を晴らし、山を歩く事で、楽しくリハビリをして、体力を鍛え、
ずっとずっと好きな仕事を続けて行きたいのだという。
今は家族も協力してくれ、息子は荷物を背負って一緒に歩いてくれると語る。
その言葉に自分が登山者に対して如何に狭い視線で物を見ていたかと反省させられた。
言うなれば
「体の悪い者は来るな!遭難騒ぎは迷惑だ!」なのだった。誠に恥ずかしい限りだ。
そして何よりも彼はストックをついていなかった。医者もみはなす人を、山は活かすのだ。
山が持つ無尽の力、奥深さ、そして広がりをこの人に教えられた。
その彼の後姿に、深く深く感謝と、健康が回復されるようにと祈りを送った。
この人と、Nさんから受けた感動を語りたい思いから出会いのページが作成された。
3日植樹の行事の日、古い忘れかけた友人のように、彼女は寄り添っていた。
一人でてんやわんやの小屋番に、野外卓で昼食の植樹ボランティアの人々に、
奉仕のお茶を運び、あれこれと気をめぐらして、過不足無く、サポートをしてくれた。
40名の植樹ボランティアが、潮のように引いた後、落ち着いて訊ねてみると、
宿泊予約の登山者だった。
山懐のように、不安を抱かせない湖のように、傍に佇めばほっとする不思議な力があって、
思わず悩みを語ったりした。
彼女の挙動には驚く学びがあった。帰る朝、彼女はザックから歯ブラシを出し、歯を磨いた。
そしてその歯ブラシを、洗うことなくそっとハンカチで包んで仕舞った。
その行為は、一泊の山での衛生を如何に整えるべきかを強烈な平手を呉れるように示した。
湯のみ茶碗に入れたたった一杯の水で全てをまかなった。
帰る朝、一緒に山頂に立つと、彼女は祠に手を合わせて、長く頭を垂れていた。
この祠の謂れを知っている経営者としては、碌に手を合わせたことがない。
然し神は、手を合わせるところに生まれるのだろう。一歩一歩、犬越路に下ってゆく彼女を
数枚の写真に収めた。感動と感謝が写っていて、見るたびに感動が湧く。

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