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環境保護・ボランティア
(桧洞丸青ヶ岳山荘ボランティア部 代表 高城律子)
趣旨
写真展において広く皆様に訴えました趣旨はそのまま
環境保護・緑化再生ボランティア活動の趣旨です。

山のボランティアには礼金はありません。
小屋の手伝いにはボランティア精神でも謝礼があります。
この地点
このブナの有様を見てボランティアに立ち上がる決意をしました。
この状態でも生きて居た大木でしたが、相次ぐブナハバチの被害に枯れ、
2017年10月23日、台風21号の風でこの木は倒れました。


登山道を横切った倒木は切断されて道の両脇に転がっています。
振り返ってみるとすっぱりと切ったように、風の威力に切断されています。

何を見て生きてきたのか

桧洞丸の荒廃をご覧ください。

歩荷さん(有料)の募集をしていますが

ボランティアさん(無料)の募集はありません




ボランティア基金・缶バッチ作成
     No,1    No,2   No,3   No,4    

ボランティアの経費は青ヶ岳山荘のボランティア部の主宰者の年金から捻出して
いました。利用者の少ない営業小屋で、余裕がありません。
見かねた店長が、缶バッチを作成。経費差引売り上げ一個に付、100円の利益が
ボランティア部の費用に充てられるようになりました。
ボランティア部経緯・簡略見出し
詳細は下段に表示
2009年年末神奈川県自然環境保全センターに環境保護の陳情に出向く。
     ツツジ新道の修復陳情。
一部完 
2010年トイレ経路の整備請願。ボランティア部立ち上げる。
2010年から2011年2012年と県立相模原公園サカタのタネ グリーンハウスにて
     写真展(助けて、桧洞丸の木々の叫び)
2011年神奈川県自然環境保全センターに彦衛門の崩落の整備の請願。
2012年
県に危険な犬越路方面の経路修復を請願。

2013年ツツジ新道の指導票消失で、遭難者続発。県に陳情。
     ボランティア基金に缶バッチを作成。単価は300円。
     同年トイレ経路の保護にカンバッチ売り上げ金から麻の土嚢袋を購入。
2014年合同作業において、山頂の木の根の保護、安全登山の作業。
     トイレの経路の山手に前年購入の麻袋を土砂流出防止に貼る。
     又、経路整備の土嚢袋購入。店長に袋代は支払、荷揚げ代は無償。
     当日、ボランティア部員11名のの宿泊食事代と、日帰り参加者12名計
     23名の食事代は、多額になり、缶バッチの売り上げ金の他、青ヶ岳山荘と
     部長から提供しました。
2015年度には2014年に間に合わせに張っておいた登山道の経路の杭の打ち直し
     と、ロープをカンバッチ売り上げ金で新品購入。ロープの張り替え。
2016年例年通り経路の草刈り、 長年の念願の痛んだ野外卓の修理も利用者の
     料金で修復。不足はボランティア部カンバッチ売り上げから流用。
     又、登山者の三木さんより小屋の修理にと多額の寄付を戴き、屋根修理中
2017年台風18号、21号の襲撃で大木が倒れ、例によって山頂の土砂は
     流出しました。地下から現れるゴミの回収です。
     又、山頂から東の経路脇のブナの保護場所の土石流出を補いました。
     今年も、三木さんより多額の寄付を戴き、山小屋すべてのペンキ塗りの
     完了です。

ボランティアの仲間と経緯
2019年度ボランティア活動
ボランティア拠点・青ヶ岳山荘の修理。
台風による傷みの手当て。
大変な時期を潜り抜けて今年も寄付毛ができました。

(2019)令和元年です。
去年今年と再会始めました。
この時は台風前でした。青が岳山荘も濁流で地盤沈下。大掛かりな
資材の歩荷に大変な労力出費が必要でした。
この寄付をしておいてよやったと思います。
昨年暮れの寄付はとても大変で早めにしようと心に決めて
8月にしました。これが年末や9月過ぎであれば
できなかったと思います。やっぱり虫の知らせというのはあるものです
毎年わずかな寄付を心に決めて、自分も大変とはいえ、
命があるのですから。
野外卓と2口です。野外卓は早すぎて、5千円未満でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、手軽な小さなウットデッキの作成。入退室に便利な登山者の要望です。


又、トイレ経路に山小屋のマット、を敷き、山頂の廃材を通路に敷いて、登山道の
えぐれやアイゼン、ストック、登山靴による掘り起こされた土の流出を
押さえる工夫を致しました。距離が長いので、かなりの労働。
白鳥さん、石川さん、奥澤さん、その他の方に手伝ってもらいました。


2019年は、 大型の台風襲来。倒木の撤去、ごみ拾。
近場の奥澤さんが大活躍でした。写真掲載は年末になります。


工事に取り残されたワイヤーです。
重いんです・・・・。


皆さんが休む、真新しいロープが張られているそばのゴミです。


工事跡ですね。ビニールシートがボロボロになりかかって、
白い物は波板でしょうか





登山道のゴミですね。特に破けた土嚢袋が岩の隙間や土の中から
わかめのようにぶらさがっています。奥澤さんが引き抜いてまとめて下げて、
車のデポにおいておき、小屋番が車に乗せて焼却所 行きですが
車に乗せることができない程の重量です。土もついて
湿っていますからね。どんなことでもやってみなけTればわからない。
ここまで担ぎ下ろした奥澤ボランティアに平身低頭です。
これでアイゼンひっかけてころぶ 登山者の激減!
然し、なんで下りに走るんでしょうね??

 
2018年度ボランティア活動
ボランティア拠点・青ヶ岳山荘の修理。
物置の修復、継続。


被災地への寄付 
 


平成30年の12月29日
山小屋の雪下ろしで屋根が傷み修理の為に2年休みましたが
又始めることができました。



ボランティア拠点・青ヶ岳山荘の修理。
物置の修復、継続。

年度が替わって、寒い盛りの2月25日、入り口に敷石をしました。よくおいでになる
伊藤さんが手伝ってくださいました。カッチャンと二人の男手は凄いパワーです。
水を買うだけのためにアイゼンの取り外しは、面倒です。効果はいかに?

今年は、写真の挿入ができませんでしたが、
ごみ拾いや整備は奥澤さんが大活躍していました。
 
 2017年度ボランティア活動
ボランティア拠点・青ヶ岳山荘の修理と山の清掃。植生保護。 
2017年に活躍したボランティアさん。
 
 師匠が一番近く、よく来てくれました。精鋭トビタ。コツコツ山剣。皆さん今年は大活躍。
ありがとうございました。 
2年の歳月をかけて看板素材を探し、掘り、 
運搬し、試行錯誤の末に架け替えました。
ご協力の皆さんの写真をご覧ください。

28名の方々のご協力を戴きました。
改めて感謝をいたします。


→映像はこちら← 
   
毎週、20kの水を揚げてくださいますBBさん
小屋番は、緊張して受け取ります。
訓練と、調査、奉仕を兼ねての登山です。
山を愛する、プライドの塊です。
山の工事も終わり、下山最後の日
 鹿のヌタバの山肌の剥げたところに、
小屋の廃材の網を張ってくださいました。
ボランティア作業に、感謝感激です。
   
大雪のために陥没した南西の屋根。
窓が閉まらなくなってしまい、大幅修復。
穴を掘り、石を投入、地固めと大活躍。
ポパイも穴掘り1号でした。 
誰でしょう?希望により、分からないように
写真を撮るのも部長の仕事です。
最後の大仕事、ジャッキーで持ち上げ、
生コンを2体半投入。ジャッキーをそのまま
鉄筋代わりに埋め込みました。
山は規格外。なんでもありの世界。
それがなければ死ぬ世界。破れかぶれの
アイデァです。山を生かし人を生かし、
活きる世界。 
 
ペンキ塗りが終わって屋根の修理
雨漏りの、修復に、大幅にくぎ抜き。 
古トタンをはがします。
好く映っていますねー!本人の影が。
覆いの向こう奥に釘が打ってあって、
どうにもはがれない。重労働でした。 
その後、釘穴をコーキング。お疲れ様。
   
師匠は、今回の救世主でした。
最後は2人で母屋をやっつけました。
信じがたいありがたさ! 
愛らしいスワンちゃん。二人で東と北の壁を
全部塗りました。まさかと言うほどの
パワーでした。 

去年に引き続き今年も三木さんから多額の寄付を戴きました。
そんなわけで、山小屋1軒ペンキを塗りきりました。
去年は下手をして赤字でしたが、今年は大幅に残を出せました。
ここに、ボランティア部を代表して、改めてお礼を申します。
お心に沿い、山を生かすための山小屋を目指します!

   
南の下屋と、お勝手の下屋。 
屋根の上の陽射しは針で顔を刺すようで、
太陽に背中を向けて・・・・。
ここいらで掌に血豆の出現。痛ェ!
一番苦戦した、自炊場の屋根。北向きだけ
に錆が凄く、錆落とし、さび止め、2度塗り、
釘穴のコーキングと 3日かかりました。
   
いつも粋な酒井さん。ファッションが
素敵でしょう。似合わぬ作業に
四苦八苦。 師匠にまかせて・・・・!
ペンキと言っても小屋の壁ばかりでは
ありません。大々的に 大工事。あら、
ライトの向こうに頭しか・・・。
 
 いの一番に眞田部員。頼りになります。
 
眞田さんに確認してもらう。  用意しておいた用土を積み上げておく。 
2014年に露出した根本を保護した木が、今年2017年、 3年の歳月で土砂が流出。
空洞ができているのを発見。土を用意して部員を待つ。眞田さん、寅さんとスワンちゃん。
次々と土を投入。脇も固め、これで何年か又しばらく安心か・・・。
今回は、たったこれだけの事なのに、たったこれだけの事ができなかった1年半。
此れだけのことができるありがたさ。気になっていた山の木々。
枯れてゆく木、折れてゆく木、この木は、ブナハバチの被害から今、立ち直り
道の脇であるゆえの登山靴の、用土浸食の被害から、免れて、かろうじて
我々が些細な手当てをすることができた。何とか継続していきたい。
 
磯さんがやってきて、気になる小屋回りの
イバラ伐り。変な物が増えた。
昔は無かった植物。 
9月21日、キノコを探しに行って、
収穫はゴミ拾い。ガラスの破片がゾクゾク。
山頂ではブナの調査で ドローンが・・・。
   
なんと、体調不良で1年半も休んだ部代表に  付き添ったた寅さん運のつき、崖の下の、
あのゴミ拾え、このゴミ拾え。逢った登山者も運のつき、このゴミ持って行ってくれ!
心、爽やかな青年は、拾ったごみの証拠写メールを・・・!ありがとう!
   
洗濯した毛布を歩荷! 登山者の
J・Tさんが通りがかりに撮影です!
帰りには塵と洗濯物の下げおろし。
コツコツコツコツ! 
   
6月、雨どいの取り付け!
 ヤマケンさんの協力。
7月、小屋と周辺の草刈り!
BB、館さん協力。 
 
2016年度ボランティア活動 
信じがたい!
今年春、山小屋の修理にお使いくださいと、昨年10月小屋を利用くださった
三木さんから、多額の寄付をいただきました。

おかげさまで、屋根のペンキ、その他、出入り口のペンキを多量に買い求めて、
歩荷・ボランティアの皆さんで、修理いまだ続行中。深くお礼を申し上げます。  
協力、参加者は、鈴木、先輩、館、彩良、山本、黒崎、泉夫妻の諸氏他2名
計10名です。
山小屋はボランティアの拠点でありますが、営業です。したがって、
協力いただいた歩荷さんには所定の歩荷代のほかに食事と薄謝を
差し上げいます。



10月26日、寅さん一人で八面六臂のペンキの下地塗り大活躍。
透明人間みたいですね?
奥さんが下で、売店。
10 月22日、3名のボランティアさんが
集合で屋根のペンキ塗り。 
三木さんありがとうーーー!
 黒ちゃんの入り口ペンキ塗り。
歩荷の先輩は保護卓??
皆さんありがとうーーー!
 
15日、晴れ!寅さん屋根のペンキ塗り 。
次の日、山本君がひょっこりやってきて
ペンキ塗り!某さんもペンキ塗り。3人。
 プロのお客様がベンチ(保護卓)の制作!
材料がぼろで、腕が泣く?
早速登山者のご利用がありました!
   
日曜大工が好きな泉夫妻。
驚きの腕前!!! 
まさかの工具持参でした!
指一本で動く、裏の戸の夢の完成!!!
涙が出るほどうれしい!!! 
その後、先輩がペンキ塗り!
野外卓は野外卓チップ金で修理しました。
9月11日天気予報が外れて、曇り。野外卓のペンキ塗り。仕上げが完成。
修理前  修理後 
 2016年8月10日、安売りの日、足りない
野外卓のペンキを買いに行ってきました。
これで、天板は2度塗り。
裏と椅子も塗ることができます。
刷毛や、メジに使った角材、パテなどは
小屋の備品を使いました。小屋から寄付。
2016年度分(H・28)も当てたいと思います。
皆様からのお金ですから、ここに明細を
表示します。歩荷代は3・5kで525円です。
ペンキ塗りはボランティアで無料です。
飲食は青ヶ岳山荘でボランティア基金から
当てています。
この作業にかかった人員は現在までで
4名です。
また、増えると思いますが、
その時は改めて、ご報告します。
尚、2015年の野外卓チップ金は
8820円でした。

夏草が生い茂り、登山経路が判然と
しなくなります。
安全登山の 配慮から草刈りです。
ボランティアさん2名の活躍でした。
名前は匿名のお二人です。
念願の野外卓の修理が始まりました。
穴が開いて腐った板を取り換え、
椅子は 高さ調節。まがったものを平行に、
下地塗りまで完了。
これからペンキ塗りです。
椅子に被っていた草も綺麗さっぱりです。
ボランティアの拠点・青ヶ岳山荘の修理始まる。 
  冬は雪掃き、水のないトイレの清掃。今年も 始まりました。
小屋の入り口の庇の垂木が腐り、雨どいが落ちて、つっかえ棒などをして
しのいでいましたが、正月早々、一人で、コツコツ修復を始めました。
次々やってくる歩荷さん、ボランティアさんが手助けしてくれました。
山小屋はボランティアの拠点ですが、営業でもあります。利益を生むところ
ですから、無償の奉仕は遠慮していますが、次々、手を貸していただき、
正月休みの内に完成しました。ボランティア主催者は、経営者です。
同じボランティアの気持ちで、飲食の提供、些細ながら粗品提供を務めています。

協力の皆さんは匿名部員1人、上田、館、寅、美華、眞田、補佐。
の歩荷、及びボランティア部員の諸氏、計7名でした。
皆さんありがとうございました。
 2016年度新規部員登録者ご紹介。
歩荷とボランティア部に参加してくださる
ルパンです。
長いこと小屋に来てくださっていましたが、
ボランティアの名乗りを上げて
くださったのは2016年の夏でした。
後輩の面倒を見る小柄な親分です。   さよ(彩良)さんが、2年の交流を経て、
部に参加。ありがとうございます! 
 親分の先輩です。東京都市大学出身。  初めて会ったときはサングラスでした。
 ボランティア活動 機材購入 
 2015年の4月と7月に買ったロープ。
張りきれなかった残りを2016年に継続。
消えた指導標の文字を書いて修復する
活動のために、ペイントを 探して試しに
購入。使ってみて、追加の必要あります。
部員は参加を心がけてください。
機材の購入は部が行います。
ボランティア基金カンバッチの売り上げで
まかなえました。
野外卓修理、 ペンキと下地塗りの購入。 作業の刷毛、手袋の購入。 

2015年度ボランティア活動 
 2015年10月1日、東北被災地に振り込みました。
平成24年(2012)から27年(2015)まで、青ケ岳山荘からは毎回、定額1万円と、
野外卓チップ金を納めてくださった、心ある登山者の合計10口。
10万1826円を寄付することが出来ました。
東北沖地震災害寄付金の受付は、27年をもって終了すると言う事で、
岩手の方は2015年台風18号の、集中豪雨被害対策が新たに始まっていました。

野外卓が、非常に傷んできたために新年度のチップ金は利用者の為に
修復機材に還元する案が出ています。
詳細は追ってこのページにてご報告いたします。
皆さんが野外卓を利用してくださったことは、
手近に草木を守る、保護活動(座る、ザックを置く、火を使う)であり、
チップ金は被災地の人々に一滴の水を与え続ける事です。今後もご利用ください。
 振込用紙のスキャンはボランティア部員と協力者の人々の項目に移動して表示。
 女子です!本人曰く・・・男前だね〜・・・! 
 2015年の降雪時期には去年のような大雪災害に見舞われず、
やれやれと思ったのもつかの間、雪と言う防寒剤が無かった強烈な寒波で、
登山道のステップ、野外卓が霜の浮き上がりで転がる寸前。
歩荷の鈴木さん。見回りの田中さん、小屋創立者、高城の娘3人で、応急処置。
ごみの回収。田中さんは山頂に一冬溜まったゴミの回収。
下げおろしと大活躍でした。
又、いの一番、連休前の準備中を支えて呉れた、ツナさんの活躍に脱帽でした。
 店長の活躍、パークレンジャーの活躍。 
今年は、例年にならって、霜で緩んだ
杭の打ち直し、
ロープの張り直しは新しいものを購入して
張替作業。
霜でひっくり返りそうな登山道の杭の
打ち直し。
この日、店長が5人分位の大活躍でした。
大雪が降らなければ、霜の被害。杭や、
ステップ台など簡単にひっくり返ります。 
店長が、杭打ち直しロープ貼り、
そしてこのトイレ経路の取り付きに
挑戦したが、時間切れ。
トイレ待ち荷物置き台だけは直して
帰路に・・・。
この日、 パークレンジャーのお二人が
小屋に寄ってくださいました。
霜に持ち上がったトイレ経路の
ステップに大勢が
足を掛けるために不安態な状態に。
次々、手当が必要な事ばかり。
困り果てていたところを
このお二人に修復していただきました。
トイレ経路は登山道の一部です。
トイレは、神奈川県自然環境課の一部です
どこの山小屋もトイレ清掃の奉仕活動を
しています。
チップ金は県が回収してトイレの維持管に
充てています。
二人の男手は強力で、登山道の整備は
役目のうちとはいえ、
ありがたいと思いました。
又、4月から稜線の木道に
倒れっぱなしだった、大木を伐って
通路を確保してくれました。有難い限り。 
  ロープの張り替え。
応急処置で張ったロープは半年でボロボロ。春に向けて新しいロープは
ボランティア基金で購入いたしました。鈴木さんが歩荷して店長が張り替えました。
少しの距離しかできませんでしたが、古いロープ代わりの紐は回収して、
又、鈴木さんがゴミとしておろし処分しました。 
 草が根付いたの崩落地保護。何度も水をかけたのでした。
 昨年、合同作業で土嚢柵の杭を設置した場所も霜でバラバラ。
間に合わせの廃材や倒木を掻き集めた作業なので、過酷な自然の猛威には
当然の事でした。少しづつ修復でした。
草が元気に生えてきて、其処は、うれしい春でした。
応急処置のさらに応急処置の崩落地点です。
土嚢袋を貼ったトイレの経路の土嚢柵の上も、草が少し生えて、
雪崩で押し流された部分もありましたが、おいおい手をかけていきたいと思います。
 ペンキが垂れるのです。  外して塗ると重労働です。
 風雪に文字が消えてゆく、毎年春になると杭の打ち直しと共に行う恒例作業。
道具がないのでとても大変。
蛭ヶ岳への標識は、無駄のように思うが、夏草が茂るころになると杭も、ロープも
草に隠れ、登山者は崩落したところを道と思って入り込む。又、徘徊をする。
現場にいて初めて目にする吃驚する、登山者の行動である。
 
 今年も活躍しました。ボランティア部員。
植生保護のための登山者の指導と、山の為、登山者の為の公衆トイレの
自発的清掃をしたTさん。その真摯な態度は、触れ合う人々の心を清め、
力を与えます。そして、歩荷に尽力したSさん。小屋番サポートに驚異的な働
きの I さん。それぞれの分野で様々な活動は、人命救助にまで及びました。
その後、Tさんがメールを送ってくれました。
「大事に(山の保全)作り上げて来られたホームページを一人でも多くの方に
見てもらえるように、働きかけて行きたいと思います」と、語る。5年前の彼は
「僕に、何が出来るでしょう・・・声を掛けていただいてから、ずっと考えていま
した。そして、少なくても、山に登るときには、きっとゴミを拾おうと決心しました」
老体にムチ打って山に向かっている、主宰者を見て、若い部員は皆さん元気を
もらったと言ってくれる。そして、語りかけて行こうと、こんなことを言ってくれるように
なったのだ。語りかけてゆく。簡単のようで難しい、無理なく温かみをもって話して
ゆく。最高の適任者かも知れない。人を思いやり、他人の立場を尊び、小屋に来
る時は、必ず青ケ岳山荘の手拭いを頭に巻き、部員の認証プレートを下げてくれる。
「部員であることに、誇りを感じています」と、言ってくださる。むしろ、こちらが思う。
「あなたが、部員であることが誇りです」皆さん、ありがとうございます。
 ボランティア参加の皆さん。排水作業をしている人は眞田さん。
 それぞれの人々が、自分でできる分野を頑張りました。
登山道整備、排水作業、植生保護、塵ひろい、塵おろし、清掃、人命救助と
多義にわたりました。大勢のボランティアさんに手を伸べてもらい、
今年も始動しました。写真には載せられませんでしたが、匿名希望の部員Tさん、
福島グループ。手を貸してくださった登山者4名の総勢19名の力をもって無事に
春季が終わりました。参加の皆さん、今期もありがとうございました。
釘の周りがただれている・・・。 ご苦労様!
 ビホー  アフター
 生きている木に小さな道しるべの板が打ち付けられていた。
びっくりしたのは自分ばかりではなかった。
何年もたち、道具を持参、ようやく念願の道しるべの修復改正。
打ちつけられた釘の周囲がただれたように傷跡を残して、たったこれだけの
ことのように見えても、樹にしたらかなりのダメージなんだと思わせる。
自然素材でひもを通されて道しるべは足元に付け替えられた。
熱意のボランティア部員です。
写真を見せられた時、この樹が、前垂れを掛けられたお地蔵さんのような気がした。
正に我々を活かしてくれている仏へ、仏の心で山に向き合った印でしょうか。
4月25日の雷雨の日でした。


2014年度、第4回合同ボランティア
(5月17・18日)
貴重な廃材。  桧洞丸から西に向かう登山道の木道。
ご神木の南面に2010年の木道付け替え
整備の時に排出された廃材の残り。
この写真のほかに3か所。
どうしようもない程、傷んだものは、その
ままキノコや虫の食材になるが、人間も虫
やキノコと同じ地球の仲間だから、
廃材払下げの許可を受け、
コツコツ小屋に運んで木道になったり、
土留柵になったり、活躍をした。
2014年度も破格のリサイクルを担った。
ボロボロだけど自然の中では美しい。
もう残り少なくなった。再利用できたことは
何より嬉しいし有難い。
 木の根が縦横に張っている。山頂の中心。
 桧洞丸の山頂は長年踏まれて草は絶え、木の根は露出して、
登山者は浮いた木の根に足を取られて転倒を招いている。
切断されている根もある。
登山者の安全と樹木の保護のために土嚢袋を積むことにした。
お疲れ様―!
山頂にて集合写真
大勢の人々の寝食を支えたのは、
青ヶ岳山荘と、そこに集った皆さんが
2月の連休の過酷な時に小屋番をして
くださった収益、6万円余から当てました。
おやつを入れ、1泊5食を3,000円で
賄うことができました。重労働でした。
 5月17日の合同ボランティア活動に
集まった人は11名。内4名の部外者の
飛び込み参加があった。
当日の日帰りや、前後の参加者もいた。
前後して数度参加した人もいて、
非常に助かった。
特に後日店長の後片付けは、何より頭が
下がった。
今回の、会費はカルテットとその他の
ボランティアの冬季小屋番の収入から
参加者の食費4食を賄う事が出来た。
今までは参加者負担、主催者負担
だったので、とても助かった。
前後の参加者で、写真に写っていない
部員は、酒井・店長・塚崎・るり・
シゲモ・トンと友人・邦和・B・福島・
三嶋・山内の諸氏、主宰者本人を含めて
合計23名でした。
この山を見ると、焼け石に水の様な働きでも、大海も一滴の水の集まり。  去年秋のボランティア作業で、
えぐれた登山道に土嚢袋を積んだが、
まだまだ低く、更に土嚢袋を重ねた。
幅も広げて2列から3列にし、歩きやすい
ようにした。
これは昨年に引き続き吉澤さんと、
眞田さんが主に担当した作業。
土嚢袋が勿体ないので下になる土嚢袋の
土を空けて、その上に土嚢袋を積むよう
にと節約と自然保護との観点で
指示したが、去年の土嚢は、石のように
固まって、手が付けられないと言う事
だった。どんなことでも、やってみて初め
てわかることが多い。
ボランティアを興したきっかけの《この地点》の木に似ている。  登山道の脇でオーバーユースと
雨雪の浸食で木の根をむき出しにして
いるブナがある。2012年度の登山道整備
の時に、少し下を廃材で囲ってもらえたが
、予算の都合で、あらかた露出していた。
今年5月17日、見苦しい程の廃材を利用
して、木の根を囲ってやった。
この木はブナハバチの食害を受けて、
芽吹きが危ぶまれたが、2014年春には
細々と芽吹いた。枯れて倒れても、
登山道に倒れる地形である。登山者を
守るには、この木を活かしておくことで
あるし、手当をしてやることだろう。
数日前から、杭を打つ場所を試行錯誤
して、材料を配置し、当日は大勢のお蔭
で、登山通行者の迷惑にもならず作業を
終える事が出来た。柵の内側には
土砂を入れ込んだ。
どのくらい元気になってくれるか・・・・。
やらないよりは増しと言う事だけは解る。
 桜の木の倒壊を防ぐために土嚢袋の土を隙間に詰め込むボランティア部員。  桜の木が台風で倒れ、
木の根が浮き上がってしまい、それに土
を盛って保護します。この下は崖。この木
が一本枯れても、大きく山は崩れていく
危険性を持っています。一本一本の木が
大事です。
通行の登山者は花の頃、立ち止まって
写真を撮っていました。
登山者の目を楽しませ、足元を守る為
にも樹木の保護は大切です。
土嚢袋に、5体ぐらい運びました。
健脚、力持ちの匿名さんです。
下準備。  えぐれた旧登山道に水が流れ込み、
山を崩し、土砂が流失、トイレ経路を
沈下させてゆく。山の起伏で低みに集ま
る水も土砂流出を招き、トイレの壁、小屋
の壁に堆積してゆく。崩れる土砂を土嚢
袋を当て、流出を食い止めようとするが・
・・資材が足りないから四苦八苦・・・・。
えぐれたところに土嚢を詰める。  トイレ経路の山手は土砂流出の困った
場所。県により数回の整備をしていただ
いた。予算の都合で及ばないところは
ボランティア部で、なんとかしょうと言う事
になり、業者さんから麻の土嚢袋を100枚
1梱包分けてもらう事が出来た。一般には
入手できないものだそうで単価は
12,600円であった。其の他不足の土嚢袋
は、店長が購入して荷揚げ、重量6キロ、
9,000円余だった。経費は記念バッチの
売り上げボランティア基金から捻出した。
以上、集合作業後以外の14年度経費報告
でした。
この状態で大雨が降ったらアウト! 土嚢袋を貼りつけただけの手当。
 上段の写真。露出した地肌に麻袋を貼りつけた。
台風などによる土砂の流出を抑える狙い。担当は、磯さん。5月10日合同作業の
1週間前の作業だった。写真では目に見えない部分、抑えの針金切りが大変だった。
 草が生えるように祈るだけ。
 トイレ経路の保護活動は、廃材も倒木も土嚢袋も尽き、応急処置は、ここで終わり。
右手のえぐれたところに、もう5体も土嚢袋を当てたいが・・・残念。
 これだけの作業に土嚢袋が5体。  4月27日、日曜日、2014年度のボランティ
アの先駆け、友人と訪れたシゲモ・トン。
帰り際の一働き。駒止の自称駒太郎の
協力を得て、登山者の足を止めることなく
素早く作業は完了した。
登山道の構造階段の腐ったつなぎ部分
のステップは、もともと廃材を利用してい
るので傷みが早かった。台風でブナが
登山道に倒れ、撤去の際、業者さんが切
ってくれたものを利用して、
とりあえず完了。まずは安心。

この後、細かい塵ひろいをして解散。
登山者も楽だろうが、見ているこっちもほっとする。  皆が来る前に一仕事。
5月16日、金曜日の作業だった。
主稜の登山道。縦走者が1番歩くコース。
えぐれて段差が大きい登山道に、土嚢袋
を設置。とりあえず、出来るところからや
って行く。間に合わせ応急処置の粗末な
繰り返しが、今日は少し本格的。水切りも
かねて、作業を進める。登山道が水を集
めて川になるのを防ぐ。土砂の流出を防
ぐのが一番の課題。そして歩きやすいよ
うに工夫する。
平日の4時、登山者は居ない。部員も
疲れが出て、ため息が頻り・・・。
無法地帯の一面有り。  毎年の春の行事は、霜で緩んだ杭の打ち
直し。ロープの張り替え。ロープが緩んだ
ところをまたいで、トイレの至近距離を狙
う登山者を目撃、想像もつかない行動に
出る。結局は大苦労して、戻る羽目にな
るのだが・・・。
小屋から虎ロープを持ってきて張り直す。

合同作業解散後は、小屋番一人だけの
ボランティアが始まる。作業は塵ひろい。
相変わらずの酒瓶の破片やその他。写真
を撮りにゆくたびに山頂を集中的に行う。
清掃とゴミの分別の日々となる。
 前代未聞の大雪(2014年2月8日。2月14・15日)
 もしかして記録的?
眞田さん撮影、2月21日の写メール。
 関東地方の記録的大雪は、2月8日から
始まり、小屋に入った小屋番サポートは
神の川林道からから3月31日まで車を出
せなかった。
8日に次いで、14・15日の大雪は死人まで
出た。北麓の事務所周辺で1メートル越え
、山小屋は西側が半分山と繋がった。吹
き溜まりの最高は3メーターか?。
2月26日、足達者な泉夫妻が小屋を心配
して雪掃きを先駆け。3月4日、ボランティ
アの眞田、鈴木夫妻、斉藤諸氏で、窓と
入口を空け、3月8日高野、太田、磯、中
丸諸氏で裏の出口、トイレ経路を除雪し
た。8日は日帰りで再度、泉夫妻の参加
があった。
山の為のボランティアでなく、小屋の為の
ボランティアは、お願いしにくい。皆、自発
的に行動してくれた。
   


2013年度合同ボランティア
第1回合同ボランティア活動(11月16・17日)
遭難寸前。 登山者が書いてくれた、道迷いの苦情。
2013年1月4日ツツジ新道
ゴーラザワの案内板欠落に寄る徘徊。
ビバーク。
登山者が書いた、道間違い多発の
石棚山から箒沢のコース。
神奈川県公園課に報告。
この量は、歩荷さんでなければできないでしょう。 腐らない酒瓶は、始末に困る物のひとつ。
酒アレルギーの小屋主は、泥酔して騒ぐ
登山者に喧嘩まがいの注意をしていた。
それは、常連さんにもおよび、一時、誰も
来なくなった時期もあった。然し、酒を持
ってきて、飲んだ後、それを持って帰る
登山者はほとんどいなかった。埋めれば
いい・・皆、そんな考えでいたのだろう。
目の前から消えれば、それで綺麗になった
と思えたのか。脳みそがあるのだから、
そんなことはないだろう、怠慢と逃避、
生き方の堕落。其れだろうな。
人は、本当に山が好きで、山にに来るのだろうか、憂さ晴らしと、汗をかいた後の、
酒のためかと思う時が多い。本当に山が好きではないのだろうな。信仰とまでは言
わなくても山が尊い、自分の命の根源でもあると思えば、草木を踏み躙り、ストック
を突きまくって登山道を崩し、泥酔して嘔吐、糞尿をまき散し、ゴミを捨ててはいか
ないだろう。青ケ岳山荘も、酒が売れれば、金が儲かると、お客様は神様だと、
困ったことに注意もできず、へつらうような姿勢を取るのは卑怯だな。山を生業の
元としていながら、山を守れないなんて恥ずかしい話。
せめて今、命あるうち、ゴミが拾えて、よかった。人が捨てたごみと言えども、
見ていてそれを許した自分がいたわけだから。弱かったんだな。
見事なごみの山。
拾ったゴミの山。酒瓶の分類。段ボールに5箱。
戦いすんで日が暮れて!??
ボランティアさんが皆、帰りました。
しずかな山・・・・・。登山者もいない。

残された主宰者が一人、
来る日も来る日も
一人でこつこつ分別作業。
怪我をしないように・・・・。
最後まで気が抜けないゴミの回収作業。
一般登山者有志に向けて、暖房用
練炭の空き袋を、捨てずにとっておき、
5個ずつ詰める。 

苦しさが通り過ぎると、
あぁ、このゴミ拾えてよかった!
しみじみ思う。
説明つかない不思議なありがたさ。
冬の名物、青ケ岳山荘の煉炭炬燵の
煉炭を入れた空き袋で
空き缶5個の分別。袋一つと言えども、
無駄にはしないで、リサイクル。
どんなものでも塵にしないで、再利用。
袋は一般登山者の持ちおろし
協力品の作成。


連日の分類で、
小屋の前は小分けされた
ゴミ袋の山。めきめきと減って行く。
然し、強力な助っ人はなんといっても
青ケ岳山荘ボランティア部員。
多量の塵を持ちおろす。
またどこかに放棄される
不安もなく、部でも安心して、
持たせることが出来る。
有難いの一言に尽きた。
第三回ゴミの回収。
回収したごみの持ち下しも、次々と
ボランティア部員がやってきて、
猛スピードで活動が続き、
参加者が17名から26名になった。
連日、分類作業に没頭したが、約半分、
分類した塵は、1月2日宿泊の
鈴木夫妻が最後の塵を持ち下して、
山と積まれた入口の塵は全て
里におろした。
そのスピードは、皆がどんなに
山を大切に思っているかと言う事を、
示していた。
参加できなかったことを、残念に思い、
早春の活動を予定している
部員もいる。感謝に尽きる活動だった。
吉澤、小林、眞田組がもくもくと運んだ。 えぐれた登山道、飛び出したブナの根。
それを保護し、安全登山の為に、
抉れて低くなった登山道に土嚢袋を積む。
重労働だった。眞田さんと吉澤さん、
小林さんが担当した。ものも言わず、
ただ淡々と働いていた。
前日、酒井さん、磯さんも運んでましたね。
11月5日、記念すべき
合同ボランティ活動の先駆けの日!
思いがけなく暖かい日、眞田さんと
2人で山頂の塵ひろいに出かけた。。
台風の後に地表から露出した
塵ひろいだ。登山者の力を借りて、
思いがけない働きが出来たのが、
共同作業を思いついたきっかけ。

今までは一人、たまに山内さん
と二人の塵ひろい。
それが大幅に前進したために、
呼びかけようと思い立った。
きっかけがこの日の1人より2人。
2人より3人だった。
この時の、感動があまりにも大きく、
第二弾、共同作業を計画して連絡した
急な計画で、参加者は限られたが、
数日前の呼びかけに11月16日17日
の合同ボランティ活動に7名が
集まった。この時5日の登山者の
泉さんはこの後、ボランティアを
してくれるようになった。
この日のきっかけは偉大。
11月17〜18日共同作業第2回
人がいると言う事はこんなに作業が
はかどるものかと思う、感動の登山道
安全対策応急整備。植生保護活動、
清掃活動だった。両日好天に恵まれ、
皆、次の機会を約束して別れた。
酒井さんが、土曜日の日帰りだった。
仕事の都合で普通なら、参加を断る
ところを、土曜日の日帰りで、
作業をしてくれた。
大活躍のボランティアの共同力。
綺麗にしようと思って掃除をすれば、きれいな人が集まる。
つらくて、くじけそうになることが一杯ある。
でも、この人たちのパワーに支えられて立ち上がっていける。
崩れた土砂を掻き出して土嚢袋に詰める。
ビフォー
コンパネの廃材を利用して土留め柵。
アフター
2013年5月24日トイレの周辺の整備。
雨雪に流出して堆積して、小屋とトイレの壁を埋めて行く土砂の排除、
土嚢袋詰め。山小屋で使った廃材のコンパネを利用した土留め柵の設置。
公園課の視察の際、差し支えあれば即刻外す旨を伝えたが、おとがめは無く、
その後の工事では、公園課が程度の良い廃材で、工事のついでにで
差し替えてくれ、長く役目を果たしている。
失業中の監督と縁あってトイレ経路や登山道、小屋の手伝いを
1日5000円で手伝っていただきました。山頂も登山道の経路も少しは
整いました。ありがとうございました。
2012年度ボランティア
中西職員。 2012年10月から登山道の整備で、
犬越路方面の桧洞丸山頂付近が
ようやく整備されました。2011年2月
申請。6月14日彦右ヱ門源頭の崩落を
視察に来られた公園課に必死に
訴えた。パークレンジャーの川さんも
確認に来られた。そして桧洞丸から
蛭ヶ岳間の整備の際に、この地点も
大幅に整備が叶った。
担当職員さんとこの地点で話をした。
たった一度の対面だったが、
山を大事に思う気持ちは一緒のように
感じてうれしかった。万全な引継ぎの
大澤課長の誠意に深く感謝を伝え
ると共に、廃材の有効利用は感動的
で、何よりも嬉しく、
お礼を言えたことも又、嬉しかった。
以下の三点の写真は、神奈川県の
整備工事に関した報告です。
水穴。 整備進行中。
着工前 着工後
昔、この地点は最後の登りで草地のために手がかりがなかったが、
最初は何の問題もなく登って行くことができた。やがて数歩の赤土が剥け、
5メーターぐらいが長く続き、かなり苦労していたが、
台風被害などで一挙に崩落が進んだ。手が付けられない状態になり、整備され、
今回が大がかりな整備としては2回目と思う。地形上の風衝地点でもあるが、
昭和53年には枯れ木も含め、大小ブナが5本ぐらいあり、昔の写真を見ると、
この下の平坦地はシロヤシオのトンネルだった。急速な破壊は、
大気汚染の強まる時期と一致している。
トイレ保護工事。 バイオトイレの設置から山手の崩壊に
は悩まされてきたが、土砂がトイレの壁
を埋め、踏み台を埋め、小屋の壁を埋
める。際限もない土砂の戦いに毎年
苦労していた。路の奥、トイレの壁の
上に広範囲に土嚢を斜面に積んで
もらえた。
有難かった。2013年の台風を
どう乗り越えてゆくだろう。
大きな被害がないことを祈るばかりだ。
崩落地点整備。 小屋の右横にトイレの浄化槽が見える。
山小屋とトイレの危機迫る北東の
彦右ヱ門源頭の崩落が進む。気になる
地点の整備を神奈川県に願い出る。
2011年2月1日だった。
2011年6月24日に偵察に4名の職員が
入山した。特別保護区のために、当面、
簡便な整備しかできないと言う事で
あった。そして2012年10月17日
神奈川県自然環境保全センター公園
部公園課により施工された。工事作業
者は下請けの山本組さんでした。
左上の青い色は山小屋の壁です。
見ていて苦しい。 まだ生きているきです。これで血が通う。
囚人でもないのに 可哀そうの一言に尽きる。
小屋が埋まって行く、土砂の堆積。 流れてきた土砂が小屋を埋めてゆく。
流れてきた土砂を土嚢袋に詰める。

小屋の中に水が流れ込んでくる。
市街地の台風も大変、山はもっと大変。
2011年度ボランティア
神奈川県自然環境保全センターに整備のお願い。
2011年2月1日
請願書 回答書
彦江門源頭崩落地の整備請願書 県より回答書
広範囲に道をふさぐ倒木。これでたちまち、そこいらじゅうの草が踏まれて剥けてゆく。さらなる崩壊を招く元。 11年は台風被害の多い年、
大木が倒れ登山道をふさいだ。
伐れないのこぎりで、応急処置。
台風で出来た穴埋め。  長いこと気になっていた土嚢柵の上。
台風で大きな水穴が開いてしまった。
流れた土は、小屋の壁を埋めて、それ
を掬って土嚢袋を作り、土嚢柵の上に
出来た穴を埋める。みんな予想外に
力持ちで、土嚢袋をよいしょと持ち上げ
てぽぃ!・・・姫シャラの根元の穴と、
トイレの前の土嚢柵の水穴に、3個づつ
押し込んで上から、木の枝を拾って
きて、カモフラージュ。立派な出来です。
(トイレのところは2か所で5個)
残りの土嚢袋は、3日の雨続きの後に、
大塚君が「鉛のように重いぞ!
「なんだこれは!」と言いながら全部、
運びました。
相模原公園にて写真展。  2010年から2011年2012年と写真展
(助けて、桧洞丸の木々の叫び)を県立
相模原公園サカタのタネ 
グリーンハウスにて展示しました。

 おりしもブナハバチの被害と重なり、
新聞や雑誌の取材も受け、
取り上げていただきました。
山小屋の一番暇な時期を選び日程を
組み受け入れていただき、
続けることが出来ました。
これも関係者の皆さんの大変な
お力添えのお蔭です。

 然し、山小屋が忙しくなり仕事が増え、
無理な状態になりました。
2013年は未定です。
いずれ、資料を整え、再開の折には、
ご報告申し上げます。
 思い返しますと、残暑厳しい中、
閲覧くださいました皆さんには、
改めてお礼申し上げます。
今後とも、よろしくお願いいたします。

主催者 青ケ岳山荘ボランティア部
              代表高城律子
2009年〜2010年ボランティア立ち上る
この年号に及ぶまで、山に対する何の思いも、危機感もなかったわけ
ではない。山に登るたびに、なにこれ!と言う驚きと、怒り、危機感を
感じてはいたが、自分の力の及ぶことではないと、只、臍をかむ思いを
続けていた。然し、その怒りが、堰を切ったのが2009年の秋だった。
折しも、丹沢の黒部と言われる、その例えの黒部に長い間の
念願叶って出かけた。何処も彼処も人の波だった。
そしてその直後、この山に入った。
標高から人出から、比べるすべもない。この山の価値は何か、
この山は、ここは、どれほどのものか?・・・立ち止まり、
尾根路に座り、考えた。問うと同時に稲妻のような間髪で出た答は
「みな、同じ!」だった。一瞬の懐疑心と同時のように納得した。
山も、川も、人も、町も、まして地球的規模で見ても価値の上下は無い
のだった。荒れ果てた山と小屋、「もう我慢できない!」始動した。

この時何よりも、幸いだったことは、この年号に神奈川県の自然環境
保全センター公園課に配属されていた職員であった。彼らの指導と
誠意に出会って、このボランティア部は、存続を見たと言っても
過言では無い。その言葉の端々にこもる、山と人に対する温かみ、
的確な意見。法秩序。

改めて思う、私たちボランティアは、転がってくる石を、思わず手を出して
留めるような行為。意識散漫になって、徘徊する登山者への声掛けや助
言。崩れる経路に土嚢袋を置く。大ごとになる前の些細な一コマを刻む
ことだ。その継続が、大惨事を止め得る頂点か、あるいは基礎。
良かれと思う行為が、果たして、山はもとより、関係者の迷惑行為になっ
ていないか、好い事をしていると言う、うぬぼれがないか。我々は、どの
ように頑張っても、構造階段ひとつ積むことはできない。皆、それぞれの
役割において、ベストを尽くしているのである。手を繋ぎ、自分が出来る
ことをやって行く。青ヶ岳山荘ボランティア部の目標は、些細なこと、人の
迷惑にならない、目障りにならない、人の足を止めてはならない。ひそか
に、速やかに山を守る応急作業を続けてゆくこと。

そして、山水の大切さを訴えてゆくこと。
整備前のトイレ経路
2009年から2010年、転機を得て、全ての小屋番お手伝いが引いたのち、自力で立つ
ことにした。自分の小屋と言えども、長い間他人の厚意に甘えていたものとしては、
歩荷ひとつ思うにまかせない厳しい現実が待っていた。然し、考えている暇はなかっ
た。
初めての仕事は、このトイレの経路の整備を訴えて、神奈川県環境保全センター
公園課と話した。2010年7月だった。担当は末次職員であった。即答であった。当時
植物保護柵の、設置を控えていた。その、仕事に合同した。9月現場説明、吉田職員
が精力的に現場を往復した。10月施工と言うスピードであった。このトイレ経路の黄
色いテープを張ってある所は、本来の登山道や、トイレの道ではない。登山者は近道
をして経路以外を歩き、楓の根元を横切った。木の根は露出し、枯れて、白骨化して
いた。山頂から経路往復のために痛みに拍車がかかっていた。このままにしておい
たらやがてこの木は枯れて倒れてゆく。危機感があった。工事までの間、黄色い
テープを引いて応急処置をした。現に、枯れ枝が飛んで、窓ガラスが割れ、入れ替え
るまで2年の歳月がかかった。
整備前のトイレ経路の山手。
トイレ経路の山手は、斜面の都合上、崩落が起きて、木の根は露出、樹木は、
小屋に倒れてくる危険が伴っていた。山を守る必要な樹木。しかし、
育ちすぎた木は、風に揺れ、霜や雨に根元をえぐられ、危険が育ってゆく面も含んで
いる。然し、根元から伐っては本末転倒。枝先の剪定が理想だが、危険な足場。
簡単にはいかない。
 トイレ利用者の列。
修復後、トイレの利用者と、経路の山手を守る土嚢柵。春と秋の休日。
トイレ待ちは小屋の入り口までつながる。
一段目の土嚢柵は、トイレ設置の時点ですでにあった物。 
着工の日。
山頂から蛭ヶ岳方面とトイレ経路の十字路が小屋の前。荒れ果てて、
見る影もない登山道の整備工事が始まった。
整備完成。感動の一コマ。
工事の様子は、省略するが、木の根を守ってもらいたいと言うボランティア部の
意向を取り入れて、実に丁寧に構造階段の設置をしてくれた。感動の工事業者
だった。小屋番も業者が、速やかに仕事ができるように、全力投球した。
初めての山仕事と言う山崎土木さんであったが、杭一本打つにも木の根をよける
計算をした。その作業ぶりには心から頭が下がった。
完成図。一冬のちも、崩れないトイレの経路入口。
ボランティア部員と協力者
行く人来る人、色々な方が協力して下さいました
ボランティアの恩人ですね。 2010年の暮れ、ボランティア募集を模索し、
サポートセンターや、地域振興課に出かけて
みたりした。そうこうする中に、山で一人の男
性に声をかけた。その時、その一部始終を
ニッコリしてみていた青年がいた。彼こそ青
ケ岳山荘ボランティア部に息を吹き込んだ人
になった。彼は半年後連休に現れて
、ゴミの持ちおろしを申し出た。その後友人
の篠原君と歩荷ボランティアをしてくれた。選
りによって台風のような日に、犬越路をまわ
って、ずぶ濡れになって現れた。黒岩君との
詳細は
出会いの人のページに記録している。
掲示板初期 その出来事があって、他に求めるということ
ではなく、ここで、この小屋を起点に働きか
けてゆくことだと、気が付いた。そこでとりあ
えずありあわせの小さな黒板に、ボランティ
ア募集の文字を書いて出口に下げた。一人
で小屋番をしながら何も整わず、初めはチョ
ークで書いた。雨が降ると文字が見え、見え
なくなったが、それでも晴れるとまた文字が
現れた。
掲示板現在。 今の掲示板。消えないようにペンキで書いて
今も、入り口の戸に縛り付けている。筆も、
水もない山の上で、注意書きなども、すべて
、割り箸にペンキをつけてなすりつけたという
書きかた。とても見にくいですが、ご了承くだ
さい。白い横筋は台風で縛っておいた黒板
が擦れた後で、他意はありません。台風で飛
んで、バラバラになりましたが。又くぎを打っ
て再生しています。
掲示板作動1号の家族。 その黒板を掲げて次の朝、
「すみませーん、このごみをもっていっていい
ですかー」と声がした。あまりの速さに驚いた
。嬉れしさと感動があふれた。仲の好い家族
で、心温まる思い出となった。塵持ちおろし
ボランティア第一号でした。
最初のさらに最初の塚崎君。 初めて声をかけた彼が一年後に現れた。
「11月に声をかけてもらって、あれから、僕に
なにができるだろうかとずっと考えていまし
た。そして山に行ったときに目に付いたらき
っと塵を拾おうと、決心しました。僕が塵を拾
っていると《ご苦労様です。塵を捨てないよう
に気をつけます》といってもらえます。とても
嬉しいです。おかげさまです」そう語る彼の
手には拾ったらしい塵の袋が握られていた。
とても忙しかったらしく、「すみませんすみま
せんメールもいただいたのに・・・」と、くり返
す彼と、もう来てはくれないと意気消沈でい
たボランティア部が、再びこの山で彼に会え
たことを、ただ感謝。
腐りかかったスコップ。 2012年初仕事。
皆が出発をして、ゆっくり霧氷の景色を撮り
つつ昔のテント場に下りて行ってみると、例
によってウィスキーの瓶とつまみでも入って
いたのか、土が代わりに詰まった空き瓶が
、柄のないさびて崩れたスコップとともに回収
できた。昔は、テントを張るとテントのまわり
に排水の溝を掘った。昔と今とは程遠い形
態になったが、捨てられたゴミだけは消えな
いで、昔を語る。元旦の初仕事としては、大
物ゲットで、満足・・・。そして、持って降りた
のは、塚崎君。1年ぶりの対面。よく来てくれ
ました・・・・。
山頂で腐って行く看板。 写真に記載された撮影記録を見ると、1年半
前になる。これは、山頂に立てられた立派な
看板のなれの果てで、山頂から下されて長く
小屋の入口で、ボランティアを待っていた。
暮れには、保全センターのパークレンジャー
も来て見ている。何かをしてもらうのはありが
たいのだが、後始末が及ばない辛い現実を
訴えた。そして、山頂の文字も読めないほど
朽ちかけて、かしいだ、標識を撤去してもら
い、実にありがたかった。この看板の塵は
、2012年の正月に塚崎君がスコップととも
に下した。深謝。
写真家の三宅さん。 この日、日下さんに木道の整備を頼んでい
た。許可を得て、回収してきた廃材のリサイ
クルだ。
この時期、山によく写真を撮りに来ていて、
たまたま休んでいた写真家の三宅さんが手
伝ってくれた。
払い下げの廃材の有効利用。 佐藤さんが2011年の正月に、川村さんに手
伝ってもらい、何日もかけて、回収した廃材
は、回収しきれる量ではなかったが、一時小
屋の外に積んでおいた。
燃してしまうには勿体なく、色々考えて、土嚢
柵代わりに使ったり、山頂からの経路に敷き
詰めた。安定を考えて、廃材の下に、さらに
廃材を敷いて水平を取るために苦労した。
苦労は何に寄らず、見えないところにあるの
だと思った。こんな簡単に見える敷板工作に
、3日もかかったのである。
当方は、毎日山や、登山道を見ているので
、ここをこのようにしたいのだと伝えるのだが
、いきなり言われるボランティアは大変なの
だった。ほぼ監督役で、力仕事の役には立
たずであったが、日下さんは汗だくで、帰り
での時間に必死に整備してくれた。間に合
せの木道整備してから、一年以上たっても
シッカリ役に立っている。こうしてみんなの
力で、山の手当を出来るのは、本当にあり
がたいことだと思う。

写真の記録は2011年5月21日です。
ゴミを足にくくりつけて。 塵ひろいか、散歩か、写真撮りか、ザックを
背負っていかないので、最後は手に持ちき
れなくなると、こういう事態になる。恥も外聞
もないのである。いずれは腐るからと放置さ
れるピンクのテープ。あちこちに目障りにみ
られる。
何年で腐るのか知らないが、明らかに塵の
様相を呈して、見苦しいばかりでなく、ゴミを
捨てたいと思う、登山者の不法な行為をを
誘発する。後始末はするに越したことは
ない。
楽しかったですねー!ありがとう! 「アラ〜5個・・・?たった5個でいいの?それ
なら、もてるわよ!ね〜・・!」「まあ、写真撮
るの?要らないわよ、写真なんて!・・・撮る
の!んも〜〜〜早く言ってよ。塵をリュックに
仕舞っちゃったじゃあないの!」なんて楽しい
仲間でしょう。汚い塵を仕舞って、楽しく美し
い思い出だけをいっぱい残して美女達は去
っていった。さようなら。ありがとう。写真サイ
ズをうんと縮めたかったんですが、4人の威
力に敬意を表し、明るさに感謝して。皺が見
えるほど拡大してしまいました。(爆笑)又こ
の山で会おうね!

あれからどのくらい経つだろう、忘れられな
い。
凄い凄い。 分類前。
気を付けないと手を切る。
ガラス瓶の分類。 ゴミの中で、一番困るのは酒瓶らしい割れた
ガラスだ。稜線の花のよく咲くようなところに
かたまって出てくるが、圧倒的に多いのは山
頂だ。危険極まりない。ガラスは特に気をつ
けて分類し、新聞紙でくるんで、口頭で説明
して渡す。
このガラスは、みろく山の会の役員の方が
持ちおろされた。深くお礼を申し上げます。
西丹の有名人になってしまいました。 2011年10月26日眞田さんが現れた。毎週の
ように登山をしている眞田さんは、今、一番
塵の持ちおろしをしている。
拾ったゴミがない時は、小屋の塵まで持って
行ってくれる。小屋の塵はボランティアさんに
は出さないようにしているが、つい言葉に甘
えてしまい、恐れ多いことである。
トイレの経路の雪掃き、トイレのペーパーの
持ち上げボランティア。大雪の際の道迷い防
止の雪掃きと道付け、その働きは多くの登
山者を救っている。
青ヶ岳山荘ボランティアのホームページのマドンナ!だそうです。 山内さんが来て、塵ひろいが、飛躍的にのび
た。丹沢一汚いという神の川乗越の塵ひろ
いを、2012年4月3日の荒天時の実行。
同年、12月4日の雨の日、この日は雨で挫折

然し、春、念願の山頂直下の塵の収集が、
ジャ籠という手の付けれない大物を残して
100%回収できた。小屋にカギをかけて塵ひ
ろいに出る。塵ひろいは春と、晩秋。アザミ
が出てくると山を歩けなくなる。丁度、この時
期に彼女が来た。小屋を留守にしたくはない
が、ゴミの場所は私しか知らない。登山者の
協力も得て、3年以来の念願の塵を拾うこと
ができて、実にうれしかった。
大型ごみ。 もう一つの塵籠は生えてきたものが草でなく
木で網を突き抜け、太くなってしまい、回収す
るとしても、大工事になりそうだ。拾って、小
屋に置き、拾ったゴミの塵かごにするか、と
話し合ったが、拾えば、必ず責任をもって始
末をしなければならない。それができるかで
きないか。それを考えると安易に手を出すこ
とはできない。下げられる缶、瓶、ビニール
の塵に留めておくことにしている。残念だが
、腕力がないのである。

この籠が2013年11月の塵ひろいの際に見て
みると、撤去されていた。塵かごが足りない
からとドラム缶を塵入れに設置していたが、
それだけは残っていた。
袋を手に持って5往復しましたね。
恐るべし東京都市大学生。 拾ったゴミは、分類して少しずつ、ボランティ
アの皆さんに持って行ってもらう。一人空き
缶で5個というのは、あまり負担が大きくなる
と気の毒ということもあるし、負担になって途
中で捨てられても困るというところから、5個
にした。沢山持って行ってくださる方もおられ
るが、皆で、少しずつというのが青ヶ岳山荘
ボランティア部の方針である。 然し山内さん
と拾ったゴミはあまりにも量が多く、いつにな
ったら下げ切れるかと不安に成る量だった。
そのために彼ら東京都市大学の歩荷隊が、
初めて来たときにあらかた持って行ってくれ
ることに遠慮はできなかった。凄い力持ちで
ある。
強くなければ美しくない。
樹木のブロッケン?
集まる人々の不思議さと感動に、ふと、密か
に手を合わせたくなる。
残照を残して去りゆくこの人の情報は、とて
もありがたいものだった。化学物質の被害は
、食物・衣類・洗剤・日常備品に含まれており
拒絶反応を起こすと、日常生活ができなくな
るという過酷なものなのである。それを克服
するための戦いと深い知識が、聞くものを感
動に誘い込む。

人は自然の中から生まれ、自然から離れて
傷つき、自然に還って蘇生する。還る自然が
病んでいては、人もまた、病み続けることに
なるのだろう。
よろしくお願いします。 2011年の夏だった。このままでは、数少ない
ボランティアさんに無理がかかり、皆さんの
本来の目的の、楽しい登山の障害になって
しまうと、心配になり、これも無理なく、小口
の歩荷を募集することにした。そんな話を丁
度、休憩でコーヒーを飲んでいた方に話をし
た。
「そんなに、少ない荷上げでもいいなら、私に
もできます。ぜひお願いします。お礼はいら
ないので、コーヒーを飲みたいです」と、手を
挙げてくれたのが酒井さん。皆、私の掛け声
を待っているように、思うか、言うかの瞬間
から、手を挙げてくれる。それは感謝や感動
以前に驚きだった。
小口歩荷一号の酒井さん。 第一号の酒井さん。忘れられない小口の歩
荷ボランティアさんだ。初対面の時からとても
印象深い人で、休憩の時、靴を脱いで、テー
ブルの前にきちっと座るので、不思議な気が
したのを覚えている。
手を挙げてくれたのは、2回目の時だったと
思う。登山の他に、登山ファッションも楽しん
でいる方で、素敵なコーデネィトです。非常に
写真うつりが悪く、宇宙博士同様、何回も写
真を撮って、本人に似た映像で、ご紹介する
のに苦労しました。
  お客さんなのに、お手伝いします!
と言って帰りには、いつもトイレの掃除。

皆、手伝わないで、神妙に待っている。
彼女が帰ってくると、一斉に拍手!
「なに!恥ずかしいよ・・・!」と・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
なんか作業は分担。
たのしい仲間!
記念写真はいつも目をつもる。
写真探しが大変! 
健康場の問題で郷里に帰りました。生まれた土地が似合っています。ありがとう! 対面はいつも、衝撃的。見た目があまりにも
可愛らしく、外人の女の子かとさえ思った。
「あなた男の子、女の子?あ、そう!男なの
、じゃぁ手伝って!今日は忙しいの?そう忙
しいの!じゃあ急いでコーヒー入れるから、
お礼に飲んで行って!」
「楽しいな〜楽しいな〜」
「もう時間だよ!バスに遅れるよ」
「楽しいな〜面白いな〜」
「バスに遅れるよ!忙しいって言ったじゃや
ん、早く帰れ〜!」
山内さんの時もひどかったな、
「あーー苦しい、声が出ない。風邪がうつる
からそばの寄らないで!しゃべらせるな〜!

みなさんごめん!
不思議な出会いですね。店長! 隠れたニックネームが宇宙博士です。色々
なことをご教示くださいます。流星群の話を
すると不思議なことが起きる。月の土地を寄
贈していただきました。立派な権利書です。
出会いの人のページの第一号でした。
店長って誰??ヤマレコに聞かれます。
この人です!
台風一過、地面下から現れてくる酒瓶の数々。 台風一過、流れた土の下から際限もなく現
れる、昔、埋められた塵。役目到来のチャン
ス。毎週、又は週に数度、山頂に行くと、細
かい酒瓶のかけらが祠の前にお供えのよう
に盛り上がっている時がある。誰かが拾って
、まとめておいてくれたものだ。又、表土の保
護のため、塵が半分以上露出してから回収
することにしている。が、この次、袋をもって
回収しようと思って数日後、行ってみるとご
みが無くなっている時がある。他にも清掃し
ている人がいるのである。黙って、ゴミを持ち
おろしているのである。陰ながら頭を垂れる
、感謝の瞬間である。
清水さんグループ。 清水さんグループです。どんなに役立たせて
いただいているか、感謝します。今度は是非
、小屋で休んでください。
とても、スリムで身軽な方なので、やたらに
頼めない屋根の上に登って布団干し作業を
を頼めます。
福島県出身です! たのしい野外卓利用者。野外卓の使用料は
原発被災地に寄付をする話をすると
「嬉しいこと言ってくれるじゃぁ無いか、俺は
、福島の生まれだ、ヨシ!寄付をする」と、
1000円も寄付してくれた。2011年、2012年
と2回来て、愉快な会話を残してくれた。みな
さんのお蔭で2年、寄付を継続出来た。あり
がとうございます。
2回の時は更に多額な募金を、野外卓清掃
ボランティ部に提出されたが恐れ多く半額は
辞退した。あればいいには違いないが、本当
に必要なのは、その思いを持ち続けるささや
かでも行動を願う、当ボランティア部の趣旨
なので、山を敬う気持ちで、またおいでくださ
い。心から待っております。
寄付が出来ました。
 
多額のチップを提出される方がいます。極力名前を記入していますが、気配りが行き届か
ないときもあります。折を見て、許可を得、お名前を表示したいと思います。皆さん、ありが
とうございます。
鈴木さん夫妻。とてーも穏やかです。 とても仲の良い鈴木さん夫妻。鈴木さんは、
人命救助もしています。山に来るときは、い
つも、メールを送って用事の如何を問い合わ
せてくださいます。最後にはかなり素晴らし
い星の写真を撮りました。いつか、凄いダイ
アモンド富士を撮ってください。
この強さ、この美しさ、何よりもやまを慈しむ優しさ。 (先日は、ほんの少しでもお手伝いが出来て
うれしかったです。皆であんなに土嚢や
木≪倒木≫を運んでも、養生できたのは1〜
2本だけ・・・・・しかも、弱っている木が
すぐに元気になるわけではない・・・・山頂全
体の弱っている木々の数を思うと、途方に
暮れるような。
だけど、1本の木の手当からでも何かやって
みれば何かが変わるかもしれない。きっと
まずは動いてみることが必要なんだ、とも思
いました。
あのように木とかかわったことで、今まで以
上に一本一本の木がいとおしく、大切に思
えてきました。下山の時は、私も、●●さん
も、1本たりとも木の根を踏めないと言う気持
ちで、いつも以上に丁寧にあるきました。)
送られてきたメールは、そのまま青ケ岳山荘ボランティア部、発足の精神でした。
深く感謝を申し上げます。黒岩君が来たころは、一人でごみを拾っていました。この先どう
なるのかという焦りで、一杯でした。友を連れて、ボランティアに訪れる、彼女のパワーを山
や小屋を案じてくれた、黒岩君に見てもらいたいと思います。あれから、4年になりますね。

驚異の労働力でした。岩登りの達人!? 凄い力持ち、久しぶりに山を歩きたいと言っ
ている、ポパイQのそばから、
「明日はボランティアをするのです」と何事も
無いように言ってのけたリーダーの底力に絶
句した初対面でした。
本当のニックネームは吃驚するようなもので
した。
仲間は4人。トリオではなくカルテットでした。
突然現れた、信じられないボランティアさん。
40キロの荷を担ぎ、お互いを気遣う様子が
、一番心にしみる、仲の良いご夫婦です。
凄い歩荷さんが現れたと思っていました。

「お願いして、ボランティの歩荷をさせてもら
っているのです」工事者から、そう言っていた
と伝えられました。

この人の山を思う熱意に、打ちのめされたよ
うに頭が下がりました。重責と感謝と感動に
、しばし沈黙。
あなたの笑顔に癒されます。 共同ボランティア活動に、一足遅れてきた
、マリリンだったが、期待に応える働きだった

不思議なことに、長い付き合いのように思え
て、登ってきたばかりの彼女に、遠慮会釈も
なく、頼みごとができるのが、不思議で不思
議で、仕方ない。
歩荷大将柳川さん。 2011年11月4日、柳川さんが現れた。皆、南
方面からくる人が、ほとんどの中に、柳川さ
んが青根を通ってくる。とても助かった。
日下さん、東京都市大学、そしてこの柳川さ
んが青ケ岳山荘の歩荷さんだが、山に来る
とボランティアになって、清掃とごみおろし、
登山道の整備と脅威の働きをして帰る。そ
のパワーはどこからくるか、みな細身の小柄
なタイプである。
日下さんの奮闘。 2010年末から経営者でもあるサイト編集者
が小屋番もするようになり、たった一人、手
を伸べてくれた、日下さん。
神奈川県設置のバイオ公衆トイレ。浄化槽
の上に物を置かないでと、県から注意を受け
、ドラム缶、戸板、廃材、薪、凄い量の塵?
を二人で片づけた。重い物は、全て日下さん
で、私は、小回り。小屋回りが、きれいにな
るのに、強力な力は山崎土木さんの工事の
ヘリコプターの帰りの便があった。4モッコ4
便、運び下した。これは小屋番一人で清掃
したので、寝食を削った。
倒れる寸前だった
参考写真
つべこべ言うな!俺なりに山を愛してる。 山に入って、山の荒廃に打ちのめされてい
た当初、草地の中で昼食中の登山者に植生
保護の注意をしたところ、猛反撃を受けた
。忘れられない出来事だった。
公務員でした。 特別保護区の注意書きにも関わらず、テント
が後を絶たない山頂です。植物保護活動で
、注意をしていますが、夕方になると、一目
がなくなるので、4時ごろを狙ってきます。外
国人も多いのです。
2012年、県にテント禁止の立札をお願いしま
した。了解を得ることができ、テント禁止の標
識が立っています。 
(写真は2011年5月です))  
キャンプ禁止の立札。 キャンプ禁止の立て看板の向こうに小さく蛭
ヶ岳方面の登山注意看板が立っています。
桧洞丸〜蛭ヶ岳間はこの時期(2012年度末
)に大幅に整備され、従来の地図に危険と載
っている注意書きが当たらない登山道になり
ました。多くの登山者から喜びの声が聞かれ
ます。

犬越路方面の、注意書きは大幅に遅れて
、かすれた文字が、新しい注意書きに設置さ
れました。小さな看板でも、登山者は目にし
て、辞めている人はいます。
(写真2012・10・21)
昔の写真です。 昔は山頂に片面えぐれた木が立っており、
木のえぐれた部分を風よけにして自炊が後
を絶たず、木は、やがて倒れました。真っ黒
に焦げて倒れて行ったのです。今の祠のあ
る木のやや南西に立ち、それが山頂の目印
でした。
今、祠が設置されている木の根もとは、写真
では右手の株立ちの木です。まだ地面がえ
ぐれておらず、雪面とほぼ水平でした。

昔も、登山者はいました。玄倉でバスに乗り
きれないこともあったのです。それなのに、こ
の荒れようはなんでしょうか?不必要なストッ
クの氾濫と、アイゼンも原因の一つでしょう。
(写真は雪が有る山頂。1963年1月4日です)
登山道わきの大型の鉄材。 2011年5月31日
小さいゴミは拾えるが、とても手におえないも
のがある。
この柵というべきかは20か所。見るたびに情
けない。植樹した樹木を保護する目的で作
られたもののようだが、風雪に潰れた網目
から樹木の枝先がのぞき、ひしがれ、動物
が食べ、見るも悲惨な有様を呈している。
又、ツツジ新道分技地点の南に転がされた
、じゃ籠という塵かご。山頂北面に塵籠2つと
ドラム缶ひとつ。いたるところにびくともしない
ワイヤーが半ば土に埋まって手におえない。
立派な自然破壊。 様々な事で、頭を抱えるが、塵よりも何より
も一番つらいのはワイヤーが食い込んだ樹
を見るときだ。ツツジ新道や犬越路方面で見
る。他にもあるのだろうが、よく足を運ぶとこ
ろだから目につく。木道をワイヤーでひぱっ
て、離れたところの大木に結び付けているの
である。何のための工事か?山と登山者と
、自然を守る為の工事のはずが、自然を殺
しているように見える。つらい。見ていて苦し
い。
ご紹介
田中茂氏の著作。 丹沢・心のボランティアの会の
活動をご紹介。


2012年被災地を訪問、復活を祈念し
てカレンダーを作成して寄贈。

あわせて再度著作をご紹介いたしま
す。お問い合わせは、
045-841-9828 丹沢心のボランティ
アの会 代表 田中茂まで。
百年と一言で言いますが、百年生き
た人はなかなかいません。よく調べて
くれました。びっくりすること、ため息
が出ること、知らなかった―!と思う
ことがいっぱい。丹沢が好きな人なら
必見です。
恐ろしい耐性菌の蔓延を語る。
この本は風人社の紹介です。
2010年9月6日テレビの放映で、抗生物質の
効かない、新耐性菌が出現しているという話
をしていた。新聞でも大きく取り上げられてい
る。NDM-1と言う細菌だそうだ。インドなどの
発進途上国からの帰国者から発見される事
が多いという。
この抗生物質が効かない丹沢の澤の水に潜
む恐るべき細菌と言う物が、関係あるのだろ
うか。そうなれば、丹沢の水に限った事でな
い。いずれにしても、大変な事態だ


沢の水で傷口を洗うと言う事は
厳禁のようです。
山岳トイレの知識について ートイレへの補助金(環境省)の
廃止について・・・山のECHO
丹沢の荒廃を読売新聞で
取り上げてくださいました。
こちらをクリック
環境保護団体 自然を愛する仕事とボランティアを
続けておられる杜の会をご覧くださ
い。雨の日、水の流れを見て、簡単
な水切りを皆に伝授して山の保護、
登山道の崩落を防ぐボランティアを
続けております
桧洞丸にもおい
でくださいます。

礼節

桧洞丸の荒廃に同一写真が載っています。
桧洞丸の荒廃をご覧ください。
躑躅の根は広範囲に張っていませんが、こ
のぶなの根を見てください。根の先ははどこ
かと思うほど広く根を張っています。正に山
をつかんでいると言わしめる様相です。それ
が崩れてきています。今ならば間に合うとい
う樹がたくさんあります。月へロケットを飛ば
せるほどの事が出来るのが人間ならば、こ
の木の手当てがままならないのも又人間で
す。考えなおす時だと思います。
折りしも夕陽が差込み、むけた木の根が赤
く光り、これが人ならば、皮をむかれたという
有様です。靴で踏み、アイゼンで踏み、此処
にストックを突くんですんですからね・・・さぞ
痛いでしょうね。人でなくても。
なんと美しい景色でしょうか、歳月を戦い抜
いて、湾曲した枝模様は、桧洞丸のブナだ
からです。どうしても残していきたい
景色です。
シロヤシオツツジの開花時期に向かい入山の皆様にお願いがございます。花の最盛期の
入山者は土・日で500人です。すれ違うこ事も困難な大渋滞です。この登山道が痛んでゆ
くのもしかるべきです。実に恐れ多いお願いながら、登山に特別に身体の不都合が無けれ
ば、ストックのご使用を控えていただけませんでしょうか。皆様がひと目みたいこのシ
ロヤシオの根本をご覧ください。せめてゴムのプロテクターを付けるのは、山に
対する最低限の礼儀です。高額な物でないので、取れてしまった時の
ために、替えをお持ちください。

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