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2013年1月4日ツツジ新道
ゴーラザワの案内板欠落に寄る徘徊。
ビバーク。 |
登山者が書いた、道間違い多発の
石棚山から箒沢のコース。
神奈川県公園課に報告。 |
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腐らない酒瓶は、始末に困る物のひとつ。
酒アレルギーの小屋主は、泥酔して騒ぐ
登山者に喧嘩まがいの注意をしていた。
それは、常連さんにもおよび、一時、誰も
来なくなった時期もあった。然し、酒を持
ってきて、飲んだ後、それを持って帰る
登山者はほとんどいなかった。埋めれば
いい・・皆、そんな考えでいたのだろう。
目の前から消えれば、それで綺麗になった
と思えたのか。脳みそがあるのだから、
そんなことはないだろう、怠慢と逃避、
生き方の堕落。其れだろうな。
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人は、本当に山が好きで、山にに来るのだろうか、憂さ晴らしと、汗をかいた後の、
酒のためかと思う時が多い。本当に山が好きではないのだろうな。信仰とまでは言
わなくても山が尊い、自分の命の根源でもあると思えば、草木を踏み躙り、ストック
を突きまくって登山道を崩し、泥酔して嘔吐、糞尿をまき散し、ゴミを捨ててはいか
ないだろう。青ケ岳山荘も、酒が売れれば、金が儲かると、お客様は神様だと、
困ったことに注意もできず、へつらうような姿勢を取るのは卑怯だな。山を生業の
元としていながら、山を守れないなんて恥ずかしい話。
せめて今、命あるうち、ゴミが拾えて、よかった。人が捨てたごみと言えども、
見ていてそれを許した自分がいたわけだから。弱かったんだな。 |
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拾ったゴミの山。酒瓶の分類。段ボールに5箱。 |
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戦いすんで日が暮れて!??
ボランティアさんが皆、帰りました。
しずかな山・・・・・。登山者もいない。
残された主宰者が一人、
来る日も来る日も
一人でこつこつ分別作業。
怪我をしないように・・・・。
最後まで気が抜けないゴミの回収作業。
一般登山者有志に向けて、暖房用
練炭の空き袋を、捨てずにとっておき、
5個ずつ詰める。
苦しさが通り過ぎると、
あぁ、このゴミ拾えてよかった!
しみじみ思う。
説明つかない不思議なありがたさ。 |
冬の名物、青ケ岳山荘の煉炭炬燵の
煉炭を入れた空き袋で
空き缶5個の分別。袋一つと言えども、
無駄にはしないで、リサイクル。
どんなものでも塵にしないで、再利用。
袋は一般登山者の持ちおろし
協力品の作成。
連日の分類で、
小屋の前は小分けされた
ゴミ袋の山。めきめきと減って行く。
然し、強力な助っ人はなんといっても
青ケ岳山荘ボランティア部員。
多量の塵を持ちおろす。
またどこかに放棄される
不安もなく、部でも安心して、
持たせることが出来る。
有難いの一言に尽きた。 |
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第三回ゴミの回収。
回収したごみの持ち下しも、次々と
ボランティア部員がやってきて、
猛スピードで活動が続き、
参加者が17名から26名になった。
連日、分類作業に没頭したが、約半分、
分類した塵は、1月2日宿泊の
鈴木夫妻が最後の塵を持ち下して、
山と積まれた入口の塵は全て
里におろした。
そのスピードは、皆がどんなに
山を大切に思っているかと言う事を、
示していた。
参加できなかったことを、残念に思い、
早春の活動を予定している
部員もいる。感謝に尽きる活動だった。 |
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えぐれた登山道、飛び出したブナの根。
それを保護し、安全登山の為に、
抉れて低くなった登山道に土嚢袋を積む。
重労働だった。眞田さんと吉澤さん、
小林さんが担当した。ものも言わず、
ただ淡々と働いていた。
前日、酒井さん、磯さんも運んでましたね。 |
11月5日、記念すべき
合同ボランティ活動の先駆けの日!
思いがけなく暖かい日、眞田さんと
2人で山頂の塵ひろいに出かけた。。
台風の後に地表から露出した
塵ひろいだ。登山者の力を借りて、
思いがけない働きが出来たのが、
共同作業を思いついたきっかけ。
今までは一人、たまに山内さん
と二人の塵ひろい。
それが大幅に前進したために、
呼びかけようと思い立った。
きっかけがこの日の1人より2人。
2人より3人だった。
この時の、感動があまりにも大きく、
第二弾、共同作業を計画して連絡した
急な計画で、参加者は限られたが、
数日前の呼びかけに11月16日17日
の合同ボランティ活動に7名が
集まった。この時5日の登山者の
泉さんはこの後、ボランティアを
してくれるようになった。 |
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11月17〜18日共同作業第2回
人がいると言う事はこんなに作業が
はかどるものかと思う、感動の登山道
安全対策応急整備。植生保護活動、
清掃活動だった。両日好天に恵まれ、
皆、次の機会を約束して別れた。
酒井さんが、土曜日の日帰りだった。
仕事の都合で普通なら、参加を断る
ところを、土曜日の日帰りで、
作業をしてくれた。
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綺麗にしようと思って掃除をすれば、きれいな人が集まる。
つらくて、くじけそうになることが一杯ある。
でも、この人たちのパワーに支えられて立ち上がっていける。 |
ビフォー |
アフター |
2013年5月24日トイレの周辺の整備。
雨雪に流出して堆積して、小屋とトイレの壁を埋めて行く土砂の排除、
土嚢袋詰め。山小屋で使った廃材のコンパネを利用した土留め柵の設置。
公園課の視察の際、差し支えあれば即刻外す旨を伝えたが、おとがめは無く、
その後の工事では、公園課が程度の良い廃材で、工事のついでにで
差し替えてくれ、長く役目を果たしている。
失業中の監督と縁あってトイレ経路や登山道、小屋の手伝いを
1日5000円で手伝っていただきました。山頂も登山道の経路も少しは
整いました。ありがとうございました。 |
2012年度ボランティア |
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2012年10月から登山道の整備で、
犬越路方面の桧洞丸山頂付近が
ようやく整備されました。2011年2月
申請。6月14日彦右ヱ門源頭の崩落を
視察に来られた公園課に必死に
訴えた。パークレンジャーの川さんも
確認に来られた。そして桧洞丸から
蛭ヶ岳間の整備の際に、この地点も
大幅に整備が叶った。
担当職員さんとこの地点で話をした。
たった一度の対面だったが、
山を大事に思う気持ちは一緒のように
感じてうれしかった。万全な引継ぎの
大澤課長の誠意に深く感謝を伝え
ると共に、廃材の有効利用は感動的
で、何よりも嬉しく、
お礼を言えたことも又、嬉しかった。
以下の三点の写真は、神奈川県の
整備工事に関した報告です。 |
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着工前 |
着工後 |
昔、この地点は最後の登りで草地のために手がかりがなかったが、
最初は何の問題もなく登って行くことができた。やがて数歩の赤土が剥け、
5メーターぐらいが長く続き、かなり苦労していたが、
台風被害などで一挙に崩落が進んだ。手が付けられない状態になり、整備され、
今回が大がかりな整備としては2回目と思う。地形上の風衝地点でもあるが、
昭和53年には枯れ木も含め、大小ブナが5本ぐらいあり、昔の写真を見ると、
この下の平坦地はシロヤシオのトンネルだった。急速な破壊は、
大気汚染の強まる時期と一致している。 |
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バイオトイレの設置から山手の崩壊に
は悩まされてきたが、土砂がトイレの壁
を埋め、踏み台を埋め、小屋の壁を埋
める。際限もない土砂の戦いに毎年
苦労していた。路の奥、トイレの壁の
上に広範囲に土嚢を斜面に積んで
もらえた。
有難かった。2013年の台風を
どう乗り越えてゆくだろう。
大きな被害がないことを祈るばかりだ。
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小屋の右横にトイレの浄化槽が見える。
山小屋とトイレの危機迫る北東の
彦右ヱ門源頭の崩落が進む。気になる
地点の整備を神奈川県に願い出る。
2011年2月1日だった。
2011年6月24日に偵察に4名の職員が
入山した。特別保護区のために、当面、
簡便な整備しかできないと言う事で
あった。そして2012年10月17日
神奈川県自然環境保全センター公園
部公園課により施工された。工事作業
者は下請けの山本組さんでした。
左上の青い色は山小屋の壁です。 |
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囚人でもないのに |
可哀そうの一言に尽きる。 |
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流れてきた土砂が小屋を埋めてゆく。
流れてきた土砂を土嚢袋に詰める。
小屋の中に水が流れ込んでくる。
市街地の台風も大変、山はもっと大変。
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2011年度ボランティア |
神奈川県自然環境保全センターに整備のお願い。
2011年2月1日 |
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彦江門源頭崩落地の整備請願書 |
県より回答書 |
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11年は台風被害の多い年、
大木が倒れ登山道をふさいだ。
伐れないのこぎりで、応急処置。 |
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長いこと気になっていた土嚢柵の上。
台風で大きな水穴が開いてしまった。
流れた土は、小屋の壁を埋めて、それ
を掬って土嚢袋を作り、土嚢柵の上に
出来た穴を埋める。みんな予想外に
力持ちで、土嚢袋をよいしょと持ち上げ
てぽぃ!・・・姫シャラの根元の穴と、
トイレの前の土嚢柵の水穴に、3個づつ
押し込んで上から、木の枝を拾って
きて、カモフラージュ。立派な出来です。
(トイレのところは2か所で5個)
残りの土嚢袋は、3日の雨続きの後に、
大塚君が「鉛のように重いぞ!
「なんだこれは!」と言いながら全部、
運びました。 |
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2010年から2011年2012年と写真展
(助けて、桧洞丸の木々の叫び)を県立
相模原公園サカタのタネ
グリーンハウスにて展示しました。
おりしもブナハバチの被害と重なり、
新聞や雑誌の取材も受け、
取り上げていただきました。
山小屋の一番暇な時期を選び日程を
組み受け入れていただき、
続けることが出来ました。
これも関係者の皆さんの大変な
お力添えのお蔭です。
然し、山小屋が忙しくなり仕事が増え、
無理な状態になりました。
2013年は未定です。
いずれ、資料を整え、再開の折には、
ご報告申し上げます。
思い返しますと、残暑厳しい中、
閲覧くださいました皆さんには、
改めてお礼申し上げます。
今後とも、よろしくお願いいたします。
主催者 青ケ岳山荘ボランティア部
代表高城律子 |
2009年〜2010年ボランティア立ち上る |
この年号に及ぶまで、山に対する何の思いも、危機感もなかったわけ
ではない。山に登るたびに、なにこれ!と言う驚きと、怒り、危機感を
感じてはいたが、自分の力の及ぶことではないと、只、臍をかむ思いを
続けていた。然し、その怒りが、堰を切ったのが2009年の秋だった。
折しも、丹沢の黒部と言われる、その例えの黒部に長い間の
念願叶って出かけた。何処も彼処も人の波だった。
そしてその直後、この山に入った。
標高から人出から、比べるすべもない。この山の価値は何か、
この山は、ここは、どれほどのものか?・・・立ち止まり、
尾根路に座り、考えた。問うと同時に稲妻のような間髪で出た答は
「みな、同じ!」だった。一瞬の懐疑心と同時のように納得した。
山も、川も、人も、町も、まして地球的規模で見ても価値の上下は無い
のだった。荒れ果てた山と小屋、「もう我慢できない!」始動した。
この時何よりも、幸いだったことは、この年号に神奈川県の自然環境
保全センター公園課に配属されていた職員であった。彼らの指導と
誠意に出会って、このボランティア部は、存続を見たと言っても
過言では無い。その言葉の端々にこもる、山と人に対する温かみ、
的確な意見。法秩序。
改めて思う、私たちボランティアは、転がってくる石を、思わず手を出して
留めるような行為。意識散漫になって、徘徊する登山者への声掛けや助
言。崩れる経路に土嚢袋を置く。大ごとになる前の些細な一コマを刻む
ことだ。その継続が、大惨事を止め得る頂点か、あるいは基礎。
良かれと思う行為が、果たして、山はもとより、関係者の迷惑行為になっ
ていないか、好い事をしていると言う、うぬぼれがないか。我々は、どの
ように頑張っても、構造階段ひとつ積むことはできない。皆、それぞれの
役割において、ベストを尽くしているのである。手を繋ぎ、自分が出来る
ことをやって行く。青ヶ岳山荘ボランティア部の目標は、些細なこと、人の
迷惑にならない、目障りにならない、人の足を止めてはならない。ひそか
に、速やかに山を守る応急作業を続けてゆくこと。
そして、山水の大切さを訴えてゆくこと。 |
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2009年から2010年、転機を得て、全ての小屋番お手伝いが引いたのち、自力で立つ
ことにした。自分の小屋と言えども、長い間他人の厚意に甘えていたものとしては、
歩荷ひとつ思うにまかせない厳しい現実が待っていた。然し、考えている暇はなかっ
た。
初めての仕事は、このトイレの経路の整備を訴えて、神奈川県環境保全センター
公園課と話した。2010年7月だった。担当は末次職員であった。即答であった。当時
植物保護柵の、設置を控えていた。その、仕事に合同した。9月現場説明、吉田職員
が精力的に現場を往復した。10月施工と言うスピードであった。このトイレ経路の黄
色いテープを張ってある所は、本来の登山道や、トイレの道ではない。登山者は近道
をして経路以外を歩き、楓の根元を横切った。木の根は露出し、枯れて、白骨化して
いた。山頂から経路往復のために痛みに拍車がかかっていた。このままにしておい
たらやがてこの木は枯れて倒れてゆく。危機感があった。工事までの間、黄色い
テープを引いて応急処置をした。現に、枯れ枝が飛んで、窓ガラスが割れ、入れ替え
るまで2年の歳月がかかった。 |
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トイレ経路の山手は、斜面の都合上、崩落が起きて、木の根は露出、樹木は、
小屋に倒れてくる危険が伴っていた。山を守る必要な樹木。しかし、
育ちすぎた木は、風に揺れ、霜や雨に根元をえぐられ、危険が育ってゆく面も含んで
いる。然し、根元から伐っては本末転倒。枝先の剪定が理想だが、危険な足場。
簡単にはいかない。 |
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修復後、トイレの利用者と、経路の山手を守る土嚢柵。春と秋の休日。
トイレ待ちは小屋の入り口までつながる。
一段目の土嚢柵は、トイレ設置の時点ですでにあった物。 |
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山頂から蛭ヶ岳方面とトイレ経路の十字路が小屋の前。荒れ果てて、
見る影もない登山道の整備工事が始まった。 |
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工事の様子は、省略するが、木の根を守ってもらいたいと言うボランティア部の
意向を取り入れて、実に丁寧に構造階段の設置をしてくれた。感動の工事業者
だった。小屋番も業者が、速やかに仕事ができるように、全力投球した。
初めての山仕事と言う山崎土木さんであったが、杭一本打つにも木の根をよける
計算をした。その作業ぶりには心から頭が下がった。 |
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完成図。一冬のちも、崩れないトイレの経路入口。 |
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ボランティア部員と協力者
行く人来る人、色々な方が協力して下さいました
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2010年の暮れ、ボランティア募集を模索し、
サポートセンターや、地域振興課に出かけて
みたりした。そうこうする中に、山で一人の男
性に声をかけた。その時、その一部始終を
ニッコリしてみていた青年がいた。彼こそ青
ケ岳山荘ボランティア部に息を吹き込んだ人
になった。彼は半年後連休に現れて
、ゴミの持ちおろしを申し出た。その後友人
の篠原君と歩荷ボランティアをしてくれた。選
りによって台風のような日に、犬越路をまわ
って、ずぶ濡れになって現れた。黒岩君との
詳細は
出会いの人のページに記録している。 |
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その出来事があって、他に求めるということ
ではなく、ここで、この小屋を起点に働きか
けてゆくことだと、気が付いた。そこでとりあ
えずありあわせの小さな黒板に、ボランティ
ア募集の文字を書いて出口に下げた。一人
で小屋番をしながら何も整わず、初めはチョ
ークで書いた。雨が降ると文字が見え、見え
なくなったが、それでも晴れるとまた文字が
現れた。 |
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今の掲示板。消えないようにペンキで書いて
今も、入り口の戸に縛り付けている。筆も、
水もない山の上で、注意書きなども、すべて
、割り箸にペンキをつけてなすりつけたという
書きかた。とても見にくいですが、ご了承くだ
さい。白い横筋は台風で縛っておいた黒板
が擦れた後で、他意はありません。台風で飛
んで、バラバラになりましたが。又くぎを打っ
て再生しています。 |
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その黒板を掲げて次の朝、
「すみませーん、このごみをもっていっていい
ですかー」と声がした。あまりの速さに驚いた
。嬉れしさと感動があふれた。仲の好い家族
で、心温まる思い出となった。塵持ちおろし
ボランティア第一号でした。 |
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初めて声をかけた彼が一年後に現れた。
「11月に声をかけてもらって、あれから、僕に
なにができるだろうかとずっと考えていまし
た。そして山に行ったときに目に付いたらき
っと塵を拾おうと、決心しました。僕が塵を拾
っていると《ご苦労様です。塵を捨てないよう
に気をつけます》といってもらえます。とても
嬉しいです。おかげさまです」そう語る彼の
手には拾ったらしい塵の袋が握られていた。
とても忙しかったらしく、「すみませんすみま
せんメールもいただいたのに・・・」と、くり返
す彼と、もう来てはくれないと意気消沈でい
たボランティア部が、再びこの山で彼に会え
たことを、ただ感謝。 |
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2012年初仕事。
皆が出発をして、ゆっくり霧氷の景色を撮り
つつ昔のテント場に下りて行ってみると、例
によってウィスキーの瓶とつまみでも入って
いたのか、土が代わりに詰まった空き瓶が
、柄のないさびて崩れたスコップとともに回収
できた。昔は、テントを張るとテントのまわり
に排水の溝を掘った。昔と今とは程遠い形
態になったが、捨てられたゴミだけは消えな
いで、昔を語る。元旦の初仕事としては、大
物ゲットで、満足・・・。そして、持って降りた
のは、塚崎君。1年ぶりの対面。よく来てくれ
ました・・・・。 |
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写真に記載された撮影記録を見ると、1年半
前になる。これは、山頂に立てられた立派な
看板のなれの果てで、山頂から下されて長く
小屋の入口で、ボランティアを待っていた。
暮れには、保全センターのパークレンジャー
も来て見ている。何かをしてもらうのはありが
たいのだが、後始末が及ばない辛い現実を
訴えた。そして、山頂の文字も読めないほど
朽ちかけて、かしいだ、標識を撤去してもら
い、実にありがたかった。この看板の塵は
、2012年の正月に塚崎君がスコップととも
に下した。深謝。 |
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この日、日下さんに木道の整備を頼んでい
た。許可を得て、回収してきた廃材のリサイ
クルだ。
この時期、山によく写真を撮りに来ていて、
たまたま休んでいた写真家の三宅さんが手
伝ってくれた。 |
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佐藤さんが2011年の正月に、川村さんに手
伝ってもらい、何日もかけて、回収した廃材
は、回収しきれる量ではなかったが、一時小
屋の外に積んでおいた。
燃してしまうには勿体なく、色々考えて、土嚢
柵代わりに使ったり、山頂からの経路に敷き
詰めた。安定を考えて、廃材の下に、さらに
廃材を敷いて水平を取るために苦労した。
苦労は何に寄らず、見えないところにあるの
だと思った。こんな簡単に見える敷板工作に
、3日もかかったのである。
当方は、毎日山や、登山道を見ているので
、ここをこのようにしたいのだと伝えるのだが
、いきなり言われるボランティアは大変なの
だった。ほぼ監督役で、力仕事の役には立
たずであったが、日下さんは汗だくで、帰り
での時間に必死に整備してくれた。間に合
せの木道整備してから、一年以上たっても
シッカリ役に立っている。こうしてみんなの
力で、山の手当を出来るのは、本当にあり
がたいことだと思う。
写真の記録は2011年5月21日です。 |
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塵ひろいか、散歩か、写真撮りか、ザックを
背負っていかないので、最後は手に持ちき
れなくなると、こういう事態になる。恥も外聞
もないのである。いずれは腐るからと放置さ
れるピンクのテープ。あちこちに目障りにみ
られる。
何年で腐るのか知らないが、明らかに塵の
様相を呈して、見苦しいばかりでなく、ゴミを
捨てたいと思う、登山者の不法な行為をを
誘発する。後始末はするに越したことは
ない。
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「アラ〜5個・・・?たった5個でいいの?それ
なら、もてるわよ!ね〜・・!」「まあ、写真撮
るの?要らないわよ、写真なんて!・・・撮る
の!んも〜〜〜早く言ってよ。塵をリュックに
仕舞っちゃったじゃあないの!」なんて楽しい
仲間でしょう。汚い塵を仕舞って、楽しく美し
い思い出だけをいっぱい残して美女達は去
っていった。さようなら。ありがとう。写真サイ
ズをうんと縮めたかったんですが、4人の威
力に敬意を表し、明るさに感謝して。皺が見
えるほど拡大してしまいました。(爆笑)又こ
の山で会おうね!
あれからどのくらい経つだろう、忘れられな
い。 |
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分類前。
気を付けないと手を切る。 |
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ゴミの中で、一番困るのは酒瓶らしい割れた
ガラスだ。稜線の花のよく咲くようなところに
かたまって出てくるが、圧倒的に多いのは山
頂だ。危険極まりない。ガラスは特に気をつ
けて分類し、新聞紙でくるんで、口頭で説明
して渡す。
このガラスは、みろく山の会の役員の方が
持ちおろされた。深くお礼を申し上げます。
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2011年10月26日眞田さんが現れた。毎週の
ように登山をしている眞田さんは、今、一番
塵の持ちおろしをしている。
拾ったゴミがない時は、小屋の塵まで持って
行ってくれる。小屋の塵はボランティアさんに
は出さないようにしているが、つい言葉に甘
えてしまい、恐れ多いことである。
トイレの経路の雪掃き、トイレのペーパーの
持ち上げボランティア。大雪の際の道迷い防
止の雪掃きと道付け、その働きは多くの登
山者を救っている。 |
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山内さんが来て、塵ひろいが、飛躍的にのび
た。丹沢一汚いという神の川乗越の塵ひろ
いを、2012年4月3日の荒天時の実行。
同年、12月4日の雨の日、この日は雨で挫折
。
然し、春、念願の山頂直下の塵の収集が、
ジャ籠という手の付けれない大物を残して
100%回収できた。小屋にカギをかけて塵ひ
ろいに出る。塵ひろいは春と、晩秋。アザミ
が出てくると山を歩けなくなる。丁度、この時
期に彼女が来た。小屋を留守にしたくはない
が、ゴミの場所は私しか知らない。登山者の
協力も得て、3年以来の念願の塵を拾うこと
ができて、実にうれしかった。 |
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もう一つの塵籠は生えてきたものが草でなく
木で網を突き抜け、太くなってしまい、回収す
るとしても、大工事になりそうだ。拾って、小
屋に置き、拾ったゴミの塵かごにするか、と
話し合ったが、拾えば、必ず責任をもって始
末をしなければならない。それができるかで
きないか。それを考えると安易に手を出すこ
とはできない。下げられる缶、瓶、ビニール
の塵に留めておくことにしている。残念だが
、腕力がないのである。
この籠が2013年11月の塵ひろいの際に見て
みると、撤去されていた。塵かごが足りない
からとドラム缶を塵入れに設置していたが、
それだけは残っていた。 |
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拾ったゴミは、分類して少しずつ、ボランティ
アの皆さんに持って行ってもらう。一人空き
缶で5個というのは、あまり負担が大きくなる
と気の毒ということもあるし、負担になって途
中で捨てられても困るというところから、5個
にした。沢山持って行ってくださる方もおられ
るが、皆で、少しずつというのが青ヶ岳山荘
ボランティア部の方針である。 然し山内さん
と拾ったゴミはあまりにも量が多く、いつにな
ったら下げ切れるかと不安に成る量だった。
そのために彼ら東京都市大学の歩荷隊が、
初めて来たときにあらかた持って行ってくれ
ることに遠慮はできなかった。凄い力持ちで
ある。 |
樹木のブロッケン? |
集まる人々の不思議さと感動に、ふと、密か
に手を合わせたくなる。
残照を残して去りゆくこの人の情報は、とて
もありがたいものだった。化学物質の被害は
、食物・衣類・洗剤・日常備品に含まれており
拒絶反応を起こすと、日常生活ができなくな
るという過酷なものなのである。それを克服
するための戦いと深い知識が、聞くものを感
動に誘い込む。
人は自然の中から生まれ、自然から離れて
傷つき、自然に還って蘇生する。還る自然が
病んでいては、人もまた、病み続けることに
なるのだろう。 |
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2011年の夏だった。このままでは、数少ない
ボランティアさんに無理がかかり、皆さんの
本来の目的の、楽しい登山の障害になって
しまうと、心配になり、これも無理なく、小口
の歩荷を募集することにした。そんな話を丁
度、休憩でコーヒーを飲んでいた方に話をし
た。
「そんなに、少ない荷上げでもいいなら、私に
もできます。ぜひお願いします。お礼はいら
ないので、コーヒーを飲みたいです」と、手を
挙げてくれたのが酒井さん。皆、私の掛け声
を待っているように、思うか、言うかの瞬間
から、手を挙げてくれる。それは感謝や感動
以前に驚きだった。 |
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第一号の酒井さん。忘れられない小口の歩
荷ボランティアさんだ。初対面の時からとても
印象深い人で、休憩の時、靴を脱いで、テー
ブルの前にきちっと座るので、不思議な気が
したのを覚えている。
手を挙げてくれたのは、2回目の時だったと
思う。登山の他に、登山ファッションも楽しん
でいる方で、素敵なコーデネィトです。非常に
写真うつりが悪く、宇宙博士同様、何回も写
真を撮って、本人に似た映像で、ご紹介する
のに苦労しました。 |
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お客さんなのに、お手伝いします!
と言って帰りには、いつもトイレの掃除。
皆、手伝わないで、神妙に待っている。
彼女が帰ってくると、一斉に拍手!
「なに!恥ずかしいよ・・・!」と・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
なんか作業は分担。
たのしい仲間!
記念写真はいつも目をつもる。
写真探しが大変! |
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対面はいつも、衝撃的。見た目があまりにも
可愛らしく、外人の女の子かとさえ思った。
「あなた男の子、女の子?あ、そう!男なの
、じゃぁ手伝って!今日は忙しいの?そう忙
しいの!じゃあ急いでコーヒー入れるから、
お礼に飲んで行って!」
「楽しいな〜楽しいな〜」
「もう時間だよ!バスに遅れるよ」
「楽しいな〜面白いな〜」
「バスに遅れるよ!忙しいって言ったじゃや
ん、早く帰れ〜!」
山内さんの時もひどかったな、
「あーー苦しい、声が出ない。風邪がうつる
からそばの寄らないで!しゃべらせるな〜!
」
みなさんごめん! |
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隠れたニックネームが宇宙博士です。色々
なことをご教示くださいます。流星群の話を
すると不思議なことが起きる。月の土地を寄
贈していただきました。立派な権利書です。
出会いの人のページの第一号でした。
店長って誰??ヤマレコに聞かれます。
この人です! |
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台風一過、流れた土の下から際限もなく現
れる、昔、埋められた塵。役目到来のチャン
ス。毎週、又は週に数度、山頂に行くと、細
かい酒瓶のかけらが祠の前にお供えのよう
に盛り上がっている時がある。誰かが拾って
、まとめておいてくれたものだ。又、表土の保
護のため、塵が半分以上露出してから回収
することにしている。が、この次、袋をもって
回収しようと思って数日後、行ってみるとご
みが無くなっている時がある。他にも清掃し
ている人がいるのである。黙って、ゴミを持ち
おろしているのである。陰ながら頭を垂れる
、感謝の瞬間である。 |
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清水さんグループです。どんなに役立たせて
いただいているか、感謝します。今度は是非
、小屋で休んでください。
とても、スリムで身軽な方なので、やたらに
頼めない屋根の上に登って布団干し作業を
を頼めます。 |
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たのしい野外卓利用者。野外卓の使用料は
原発被災地に寄付をする話をすると
「嬉しいこと言ってくれるじゃぁ無いか、俺は
、福島の生まれだ、ヨシ!寄付をする」と、
1000円も寄付してくれた。2011年、2012年
と2回来て、愉快な会話を残してくれた。みな
さんのお蔭で2年、寄付を継続出来た。あり
がとうございます。
2回の時は更に多額な募金を、野外卓清掃
ボランティ部に提出されたが恐れ多く半額は
辞退した。あればいいには違いないが、本当
に必要なのは、その思いを持ち続けるささや
かでも行動を願う、当ボランティア部の趣旨
なので、山を敬う気持ちで、またおいでくださ
い。心から待っております。 |
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多額のチップを提出される方がいます。極力名前を記入していますが、気配りが行き届か
ないときもあります。折を見て、許可を得、お名前を表示したいと思います。皆さん、ありが
とうございます。 |
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とても仲の良い鈴木さん夫妻。鈴木さんは、
人命救助もしています。山に来るときは、い
つも、メールを送って用事の如何を問い合わ
せてくださいます。最後にはかなり素晴らし
い星の写真を撮りました。いつか、凄いダイ
アモンド富士を撮ってください。 |
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(先日は、ほんの少しでもお手伝いが出来て
うれしかったです。皆であんなに土嚢や
木≪倒木≫を運んでも、養生できたのは1〜
2本だけ・・・・・しかも、弱っている木が
すぐに元気になるわけではない・・・・山頂全
体の弱っている木々の数を思うと、途方に
暮れるような。
だけど、1本の木の手当からでも何かやって
みれば何かが変わるかもしれない。きっと
まずは動いてみることが必要なんだ、とも思
いました。
あのように木とかかわったことで、今まで以
上に一本一本の木がいとおしく、大切に思
えてきました。下山の時は、私も、●●さん
も、1本たりとも木の根を踏めないと言う気持
ちで、いつも以上に丁寧にあるきました。) |
送られてきたメールは、そのまま青ケ岳山荘ボランティア部、発足の精神でした。
深く感謝を申し上げます。黒岩君が来たころは、一人でごみを拾っていました。この先どう
なるのかという焦りで、一杯でした。友を連れて、ボランティアに訪れる、彼女のパワーを山
や小屋を案じてくれた、黒岩君に見てもらいたいと思います。あれから、4年になりますね。
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凄い力持ち、久しぶりに山を歩きたいと言っ
ている、ポパイQのそばから、
「明日はボランティアをするのです」と何事も
無いように言ってのけたリーダーの底力に絶
句した初対面でした。
本当のニックネームは吃驚するようなもので
した。
仲間は4人。トリオではなくカルテットでした。
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突然現れた、信じられないボランティアさん。
40キロの荷を担ぎ、お互いを気遣う様子が
、一番心にしみる、仲の良いご夫婦です。
凄い歩荷さんが現れたと思っていました。
「お願いして、ボランティの歩荷をさせてもら
っているのです」工事者から、そう言っていた
と伝えられました。
この人の山を思う熱意に、打ちのめされたよ
うに頭が下がりました。重責と感謝と感動に
、しばし沈黙。 |
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共同ボランティア活動に、一足遅れてきた
、マリリンだったが、期待に応える働きだった
。
不思議なことに、長い付き合いのように思え
て、登ってきたばかりの彼女に、遠慮会釈も
なく、頼みごとができるのが、不思議で不思
議で、仕方ない。 |
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2011年11月4日、柳川さんが現れた。皆、南
方面からくる人が、ほとんどの中に、柳川さ
んが青根を通ってくる。とても助かった。
日下さん、東京都市大学、そしてこの柳川さ
んが青ケ岳山荘の歩荷さんだが、山に来る
とボランティアになって、清掃とごみおろし、
登山道の整備と脅威の働きをして帰る。そ
のパワーはどこからくるか、みな細身の小柄
なタイプである。 |
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2010年末から経営者でもあるサイト編集者
が小屋番もするようになり、たった一人、手
を伸べてくれた、日下さん。
神奈川県設置のバイオ公衆トイレ。浄化槽
の上に物を置かないでと、県から注意を受け
、ドラム缶、戸板、廃材、薪、凄い量の塵?
を二人で片づけた。重い物は、全て日下さん
で、私は、小回り。小屋回りが、きれいにな
るのに、強力な力は山崎土木さんの工事の
ヘリコプターの帰りの便があった。4モッコ4
便、運び下した。これは小屋番一人で清掃
したので、寝食を削った。
倒れる寸前だった
。 |
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参考写真 |
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山に入って、山の荒廃に打ちのめされてい
た当初、草地の中で昼食中の登山者に植生
保護の注意をしたところ、猛反撃を受けた
。忘れられない出来事だった。 |
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特別保護区の注意書きにも関わらず、テント
が後を絶たない山頂です。植物保護活動で
、注意をしていますが、夕方になると、一目
がなくなるので、4時ごろを狙ってきます。外
国人も多いのです。
2012年、県にテント禁止の立札をお願いしま
した。了解を得ることができ、テント禁止の標
識が立っています。
(写真は2011年5月です)) |
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キャンプ禁止の立て看板の向こうに小さく蛭
ヶ岳方面の登山注意看板が立っています。
桧洞丸〜蛭ヶ岳間はこの時期(2012年度末
)に大幅に整備され、従来の地図に危険と載
っている注意書きが当たらない登山道になり
ました。多くの登山者から喜びの声が聞かれ
ます。
犬越路方面の、注意書きは大幅に遅れて
、かすれた文字が、新しい注意書きに設置さ
れました。小さな看板でも、登山者は目にし
て、辞めている人はいます。
(写真2012・10・21) |
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昔は山頂に片面えぐれた木が立っており、
木のえぐれた部分を風よけにして自炊が後
を絶たず、木は、やがて倒れました。真っ黒
に焦げて倒れて行ったのです。今の祠のあ
る木のやや南西に立ち、それが山頂の目印
でした。
今、祠が設置されている木の根もとは、写真
では右手の株立ちの木です。まだ地面がえ
ぐれておらず、雪面とほぼ水平でした。
昔も、登山者はいました。玄倉でバスに乗り
きれないこともあったのです。それなのに、こ
の荒れようはなんでしょうか?不必要なストッ
クの氾濫と、アイゼンも原因の一つでしょう。
(写真は雪が有る山頂。1963年1月4日です)
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2011年5月31日
小さいゴミは拾えるが、とても手におえないも
のがある。
この柵というべきかは20か所。見るたびに情
けない。植樹した樹木を保護する目的で作
られたもののようだが、風雪に潰れた網目
から樹木の枝先がのぞき、ひしがれ、動物
が食べ、見るも悲惨な有様を呈している。
又、ツツジ新道分技地点の南に転がされた
、じゃ籠という塵かご。山頂北面に塵籠2つと
ドラム缶ひとつ。いたるところにびくともしない
ワイヤーが半ば土に埋まって手におえない。
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様々な事で、頭を抱えるが、塵よりも何より
も一番つらいのはワイヤーが食い込んだ樹
を見るときだ。ツツジ新道や犬越路方面で見
る。他にもあるのだろうが、よく足を運ぶとこ
ろだから目につく。木道をワイヤーでひぱっ
て、離れたところの大木に結び付けているの
である。何のための工事か?山と登山者と
、自然を守る為の工事のはずが、自然を殺
しているように見える。つらい。見ていて苦し
い。 |
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ご紹介 |
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丹沢・心のボランティアの会の
活動をご紹介。
2012年被災地を訪問、復活を祈念し
てカレンダーを作成して寄贈。
あわせて再度著作をご紹介いたしま
す。お問い合わせは、
045-841-9828 丹沢心のボランティ
アの会 代表 田中茂まで。
百年と一言で言いますが、百年生き
た人はなかなかいません。よく調べて
くれました。びっくりすること、ため息
が出ること、知らなかった―!と思う
ことがいっぱい。丹沢が好きな人なら
必見です。 |
この本は風人社の紹介です。 |
2010年9月6日テレビの放映で、抗生物質の
効かない、新耐性菌が出現しているという話
をしていた。新聞でも大きく取り上げられてい
る。NDM-1と言う細菌だそうだ。インドなどの
発進途上国からの帰国者から発見される事
が多いという。
この抗生物質が効かない丹沢の澤の水に潜
む恐るべき細菌と言う物が、関係あるのだろ
うか。そうなれば、丹沢の水に限った事でな
い。いずれにしても、大変な事態だ。
沢の水で傷口を洗うと言う事は
厳禁のようです。 |
山岳トイレの知識について |
ートイレへの補助金(環境省)の
廃止について・・・山のECHO |
丹沢の荒廃を読売新聞で
取り上げてくださいました。 |
→こちらをクリック← |
環境保護団体 |
自然を愛する仕事とボランティアを
続けておられる杜の会をご覧くださ
い。雨の日、水の流れを見て、簡単
な水切りを皆に伝授して山の保護、
登山道の崩落を防ぐボランティアを
続けております。桧洞丸にもおい
でくださいます。
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