十六世紀から十八世紀にかけてのラ米のスペイン植民地は下記の通り;
ヌエバイスパニア副王領:コスタリカ以北とカリブ流域(現ベネズエラの一部を含む)を管掌
ペルー副王領:パナマ以南
ヌエバグラナダ副王領:1739年、ペルー副王領より分離され、現ベネズエラ、コロンビア、エクアドルを管掌
リオデラプラタ副王領:1776年、同じくペルー副王領より分離され、現アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ及びボリビアを管掌
の4つの副王領から成っていた。副王領は「王国」の扱いだった。加えて、ヌエバイスパニアにはグァテマラとハバナに、ヌエバグラナダにはカラカスに、ペルーにもサンティアゴに軍務総監が配置された。軍務総監が分掌する4つの地域も、「王国」の扱いだった。つまり、植民地時代に既に八つの王国ができていた。
別掲の「ラテンアメリカの独立革命」を参照願いたいが、1810年5月、ブエノスアイレス市会が副王を罷免し植民地人による自治評議会を立ち上げた時には、その統治範囲はあくまでリオデラプラタ副王領全体が対象だった。サンマルティン(1778-1850)がチリの独立革命に参加したのは、ボリビアを制圧していたペルー副王の軍から同地を奪回する方策として、ペルーとチリをスペインから解放する戦術から来ている。その僅か1ヵ月前、遠く離れたカラカスで市会が軍務総監を罷免していたのは植民地人がその分掌範囲の自治権を確立するためだったが、その後ボリーバル(1783-1830)はヌエバグラナダ副王領全体を一つの共和国としての独立に繋げた。二人のラ米独立の英雄は、国家としての大小の違いはあれ、何も現在のような多数国家の成立は考えていなかった。
1825年までに、旧スペイン領にメキシコ、中米諸州連合、グランコロンビア(ボリーバルが建国)、ペルー、ボリビア、チリ、パラグアイ、及びアルゼンチンの8ヵ国が成立していた。ハバナを除く旧7「王国」の内、ヌエバグラナダ副王領とカラカス総監分掌地の2つは1ヵ国になり、リオデラプラタ副王領は3ヵ国に、ブラジル・アルゼンチン戦争の結果として、イギリスの調停によってウルグアイが建国され4ヵ国になった。他の旧4「王国」はそのまま4ヵ国だ。
1830年、ベネズエラとエクアドルがグランコロンビアから、その8年後、グァテマラ、ホンジュラス、ニカラグア及びコスタリカが中米諸州連合から分離独立した。旧7「王国」は、スペインからの独立革命が勃発して僅か20年弱の年月しか経ていないこの時点で、国の数で倍増した。ハバナ総監領がスペインからの独立を達成したのは、それから60年近く経った1899年のことだ。旧8「王国」は16ヵ国になった。それに1844年にハイチから独立したドミニカ共和国を加えると17ヵ国だ。1903年にはパナマがコロンビアから分離独立し18番目の国になったのには、運河を巡る地政学的な要素もある。
旧7「王国」が15ヵ国になって122年経った1960年2月、ラテンアメリカ自由貿易連合(ALALC。英語表現のLAFTAが一般的なので、ここでもLAFTAで話を進める)創設を決めるモンテビデオ条約が締結された。同年12月、LAFTAに参加していない中米諸国が、中米共同市場(MCCA)創設のためのマナグア条約を締結した。3年前、ヨーロッパで「欧州経済共同体(EEC)」が発足していた(67年7月には「欧州共同体(EC)」に発展)。経済効率を高めるための地域経済統合の機運は先進地域もラ米も同様だ。LAFTAには原参加国を含め、EC発足の67年までにメキシコと南米10ヵ国が参加、先ず動いたのがアンデス諸国で、69年5月、アンデス共同市場(ANCOM)創設のためのカルタヘナ協定が締結された。MCCAもANCOMも多くの加盟国で左翼ゲリラ活動激化などによる国情悪化に陥り、具体化に時間を要した点ではヨーロッパとは異なる。
1981年3月、LAFTAが改組され、ラテンアメリカ統合連合(Asociacion Latinoamericana de Integracion、ALADI)となった。11ヵ国は、そのまま残った。91年3月にはこの枠組みの中でのメルコスル発足のためのアスンシオン条約が締結され、95年1月に発効する。また96年3月のトルヒーヨ議定書によりANCOM改めアンデス共同体(Comunidad Andina、CAN)発足へと進む。93年10月にグァテマラにMCCA常設事務局が置かれ、組織体として完成した。
MCCA、メルコスル及びCANいずれも、92年2月のマーストリヒト条約で創設された「欧州連合(EU)」同様、域外関税を共通化した関税同盟が基本で、事務局、司法裁判所及び議会を持つようになった。チリはメルコスルとCANの準加盟国だが、関税がいずれの共同体の対外関税より低いためだ。
ALADIに参加するメキシコは、1994年1月発足の北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟する。域外に対する関税自主権を認めたことが基本的な違いだ。91年にコロンビア及びベネズエラとの自由貿易協定を締結し、メルコスル発足と共同体としてのCAN成立に先行して、94年に発効させた(G-3と呼ぶ)。またCANとメルコスルにオブザーバーとして参加する。ALADI非参加国で上記いずれの統合体にも加盟していないパナマ及びドミニカ共和国は、米国・中米・ドミニカ共和国自由貿易協定(CAFTA-DR。米国、SICA諸国、ドミニカ共和国で構成)には参加している。
1999年にALADIに参加したキューバは、同年より政権を担うベネズエラのチャベス大統領が打ち出した米州ボリーバル代替構想(ALBA。albaは夜明けの意)に参加する。ALBAも、ALADI枠組みの経済統合体と見做されており、参加国個別の経済事情を前提とした通商協定の推進をうたう。94年12月、マイアミにおける第一回米州首脳会議で、米国の主導で打ち出された米州自由貿易地域(FTAA)構想に対抗したものだ。2004年12月、ベネズエラ・キューバ間で締結された9.6万バレルの石油と2万人の医療スタッフ交換などを定めた人民間通商協定(TCP)が、ALBAに基づく最初の協定とされる。ALBAにはモラレス政権発足後のボリビア、オルテガ政権復活後のニカラグアも参加した。非左派政権ではホンジュラスのセラヤ大統領が関心を抱いていることも知られる。FTAA自体は2005年の第四回米州首脳会議でメルコスルとベネズエラが反対を明確にし、挫折した。
別掲のラ米政権地図と一部重複するが、2008年現在の政権を経済統合体別に下記に纏めて見る。
NAFTA: メキシコ。右派
MCCA : 右派はエルサルバドル及びコスタリカ。中道右派ホンジュラス。中道左派グァテマラ。左派ニカラグア。全て米国とFTA
CAFTA-DR:MCCA以外ではパナマ、ドミニカ共和国いずれも中道。米国とFTAで繋がる。
CAN :右派はコロンビア(米国とFTA。米国議会が批准せず)。中道がペルー(米国とFTA)。左派はボリビア及びエクアドル
メルコスル:左派のベネズエラを除き、準加盟のチリ(米国とFTA)含め、全て中道左派
ALBA :全て左派。キューバを除き、ベネズエラ(メルコスル)、ボリビア(CAN)、ニカラグア(MCCA)に重複
MCCA諸国は1991年にパナマを加えて中米統合機構(SICA)を、CAN及びメルコスル諸国はチリを加え2008年に南米諸国連合(UNASUR)を組成した。前者は元々一つだったものが分離してできた諸国による緩やかな再統合とも言える。後者は、米国への対抗心が強いブラジル、アルゼンチン、ベネズエラが中心となって形成された。EUの如き政治統合体に進むか、注視していきたい。
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