建国期のカウディーリョ時代から一世紀前後経過して、ラ米はポピュリストの時代に入った。日本人の感覚からすればポピュリストとは「大衆迎合政治家」であり、響きは良くない。ところがラ米ではニュアンスが異なる。「ラテンアメリカを知る事典」で「ポピュリズム」を以下のように紹介するが、強いナショナリズムが特徴だ。イメージギャップを避けるため、このホームページでは敢えてスペイン語の「ポプリズモ(Populismo)」、そのリーダーを「ポプリスタ(Populista)」と表記する。
労働者、中間層、一部上流階級を含む多階級的支持基盤を有し、
民族主義及び反帝国主義(レーニンが唱えた帝国主義とは異なる)のイデオロギーを標榜し、
農地改革、労働者保護政策を通じ「大衆の生活水準向上」を企画し、
階級闘争よりは「階級調和」を重視(共産主義とは一線を隔す)する
カリスマ的リーダーが存在する政治運動
ラ米諸国は独立以来、資源輸出が牽引する経済構造だった。独立革命と建国初期のカウディーリョ間抗争や、メキシコの場合はこれに加えて対米、対仏戦争で国土が疲弊、輸出が激減し深刻な経済不況をみた。建国後期のカウディーリョ時代には曲がりなりにも国情が安定し、経済発展期に入る。
世界は海上輸送がそれまでの帆船時代から蒸気船時代に変わり大量・高速化が進んでいたところだった。欧米では産業革命が進行し、工業原料・エネルギー資源(原油、金属資源、硝石、綿花、羊毛など)、及び増大する人口と向上する生活水準に合わせる食料資源(穀物、果実、砂糖、コーヒー、カカオなど)と嗜好品(タバコ、アルコールなど)の供給元として、さらには自らの工業製品の販売市場としてラ米新興国に着目した。
急増する需要に見合う供給体制を整えるには、ラ米諸国は国内輸送の大量・高速化を図る必要があった。先ず、鉄道建設が進む。これには巨額資金を要した。そこに外資が進出した。港湾整備も必要だ。貿易規模が急拡大には、銀行、保険業務の整備も要った。電気通信のインフラも然りだ。ここにも外資は進出した。これには投資・貿易の自由主義という前提がある。国内産業振興を図る保護貿易は論外だ。ラ米はどこも経済自由主義を受け容れた。
結果的にラ米は、先進諸国の周縁国となった。先進諸国の原料と食糧を供給し、工業品を輸入する経済パターンである。外資は資源分野にも進出してきた。石油はメキシコ、ベネズエラ、アルゼンチン、ペルーなど、金属はメキシコ、ペルー、チリ、ボリビア、キューバなどが知られる。特に米国企業が関心を持ったのが砂糖、バナナでありキューバ、中米諸国、コロンビアが有名だ。経済を牽引する輸出産業が外資に支配される構図だ。
これはラ米に以下のような変化をもたらした。
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