ラテンアメリカの革命

ラ米史の分権を紐解くと「革命」という言葉が非常に目に付く。先ず、独立革命がある。次に従来の価値観からの脱却を意図した、例えば自由主義勢力による保守派政権転覆(或いはその逆)も革命と呼ばれる場合も多い。ブラジルでは君主制から共和制への共和革命がある。各国史ベースでは、軍人支配から文民政権への移行、独裁政権に対する大衆運動の結果としての民主主義移行、なども革命として扱われるようだ。
この項で取り上げるのは、大土地所有制を基本とする社会構造を変えたメキシコ革命、社会資本や基幹産業を米国企業が押さえていた対米従属からの脱却を最終目的としたキューバ革命、ソモサ家支配を基本とした社会体制を変えたニカラグア革命に絞った。革命成立に至るまでの内戦、成立後の農地改革(一定以上の農地を接収、再分配)と基幹産業の国営化が共通する。ボリビア革命もラ米史上でよく取り上げられるが、これを指導したパス・エステンソロについて別掲の「ラ米のポピュリズム」に述べたので、ここでは省略する。
 
メキシコ革命は、世界史上極めて重要とされるロシア革命に先行した。農民を始めとする大衆が内戦に参加し、夥しい流血を招き、その結果として労働基本権(団結権、罷業権、八時間労働制など)、地下資源国有、農地改革などを骨子とする憲法制定に繋がった。ラ米の多くの国で、部分的にでもこれらを憲法、或いは実際に政策に取りこむようになる。だが社会革命としてこれらを全面的に実現させたのは、次は数十年も経ったボリビアにおいて、である。
キューバ革命のインパクトも、メキシコ革命とは異なった意味で、非常に大きい。対米従属からの脱却は米国からの反動を呼び、その結果社会主義陣営入りを余儀なくされる。一方で、ラ米の民族主義勢力や左翼ゲリラは、キューバを喝采し、行動に移した。東西冷戦時代である。第二、第三のキューバ出現を阻むために、米国は「進歩のための同盟」政策を推進したが、これが実質を伴ったのは対ゲリラ作戦くらいだった、といわれる。ラ米が軍政時代に突入するのは、米州機構(OAS)がキューバを除名して間もなくだった。
ニカラグア革命は、もともとのキューバ革命同様、社会主義革命ではない。経済も、基幹産業とインフラを除くと資本主義体制とした。それでもエルサルバドルとグァテマラの左翼ゲリラ活動を刺激し、両国が内戦状態に入った。同時にニカラグアでも反革命勢力(コントラ)による内戦が始まった。夫々の反政府ゲリラ拠点があったコスタリカとホンジュラスも巻き込まれる「中米危機」に発展した。この解決には、民政移管後のラ米諸国が尽力した。
 

1 メキシコ革命
日付:
2008/04/08
2 キューバ革命
日付:
2009/04/01
3 ニカラグア革命
日付:
2008/04/08


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