ラテンアメリカの政権地図


 1   政権一覧
更新日時:
2009/05/27 
 
 2009年9月時点でのラ米十九ヵ国の大統領(キューバは国家評議会議長)を、政権発足順に下表に纏める。
 
国名       大統領名    確定任期    年齢   政治姿勢
 
  • ベネズエラ   チャベス    1999.2-2013.1 44〜58歳  左派
  • コロンビア    ウリベ     2002.8-10.8   50〜58   右派
  • ブラジル     ルラ      2003.1-11.1   57〜65   中道左派
  • ドミニカ共和国 フェルナンデス・レイナ 2004.8-12.8  51〜59   中道
  • ウルグアイ   バスケス    2005.3-10.3   64〜69   中道左派
  • ボリビア     モラレス     2006.1-11.1   46〜51   左派
  • ホンジュラス  セラヤ     2006.10-10.1   54〜58   中道右派
  • チリ       バチェレ    2006.1-10.3   54〜58   中道左派
  • コスタリカ    アリアス    2006.5-10.5   65〜69   中道右派
  • ペルー      ガルシア    2006.7-11.7   57〜62   中道
  • メキシコ     カルデロン  2006.12-12.12  44〜50   右派
  • ニカラグア   オルテガ    2007.1-12.1   61〜66   左派
  • エクアドル    コレア      2007.1-11.1   43〜47   同上
  • アルゼンチン  フェルナンデス   2007.12-11.12 54〜58   中道左派
  • グァテマラ    コロン     2008.1-12.1   56〜60   同上
  • キューバ    ラウル・カストロ   2008.1-12.1   76〜81   左派
  • パラグアイ    ルゴ      2008.8-12.8  59〜63   中道左派
  • エルサルバドル フネス     2009.6-14.6  49〜54   同上
  • パナマ     マルティネッリ  2009.9-14.9  56〜61   右派
 
連続再選はチャベス(ベネズエラ)、ウリベ(コロンビア)、ルラ(ブラジル)及びフェルナンデス・レイナ(ドミニカ共和国)の四人である。初めて政権に就いた年齢では、チャベスの若さが際立つが、フェルナンデス・レイナは実はこれが第二次政権であり、1996年に第一次政権を発足させた時は43歳、と若かった。
 返り咲きはオルテガ(ニカラグア)、ガルシア(ペルー)、アリアス(コスタリカ)の三人だ。オルテガは1979年のニカラグア革命を率いた闘士で、33歳で最高権力を得て、11年間政権(内民選大統領5年間)を担った経験がある。ガルシアは36歳で第一次政権を担った。アリアスも、他二人よりは年長だったが、それでも初めて大統領に就任したときは46歳だった。
 上記七人を除く十ニ人がいわば新人と言える。キューバは兄弟間で、アルゼンチンは夫婦間で継承された。就任時コレア(エクアドル)、カルデロン(メキシコ)、モラレス(ボリビア)の三人が40代で若い。ラウル・カストロ(キューバ)が76歳で最年長で、これにバスケス(ウルグアイ)、ルゴ(パラグアイ)、コロン(グァテマラ)、と続き、奇しくもフェルナンデス(アルゼンチン)、バチェレ(チリ)両女性大統領は同年齢で就任した。
 
再選の可否については、大統領にとり厳しい順に下記する。独裁者を出した歴史的教訓によって、再選そのものを否定する、或いは再選資格には一期、乃至は二期を挟む、というのが一般的だったが、近年、特に大統領任期が米国と全く同じの4年間の国で連続再選有り、という制度に変りつつある。直近では2009年2月の国民投票による改憲でボリビア(但し一期5年)でも可能となった。
  • 再選そのものが不可:メキシコ(任期6年)、パラグアイ(同5年)、グァテマラ(同4年)、及びホンジュラス(同)の4ヵ国
  • 連続再選が不可:エルサルバドル(任期5年)、ニカラグア(同)、パナマ(同)、ペルー(同)、ウルグアイ(同)、コスタリカ(同4年)及びチリ(同)の7ヵ国
  • 連続再選が可能:ベネズエラ(任期6年)、キューバ(同5年)、ボリビア(同)、ブラジル(同4年)、アルゼンチン(同)、コロンビア(同)、ドミニカ共和国(同)及びエクアドル(同)の8ヵ国
政権基盤を成す与党について、結党をベースに下記グループ分けを試みる。
  • 現大統領自らが設立:ブラジル(「労働者党PT」。1982年)、ベネズエラ(第五共和制運動MVR。1997年。2007年結成の「ベネズエラ統一社会党PSUV」の母体)、ボリビア(「社会主義運動MAS」。1997年)、パナマ(「民主変革党(CD)」。1998年)エクアドル(「至高の祖国同盟(PAIS)」、国民同盟とも訳される。2006年)
  • 一世紀以上前:ホンジュラス(「自由党」。1891年)
  • 1930年代:ペルー(「アプラ党」。1930年)、チリ(「社会党」。1933年。「諸党連合(Concertacin)」しては1988年)、メキシコ(「国民行動党PAN」。1939年)
  • 1947年:アルゼンチン(「ペロン党」)、コスタリカ(「国民解放党PLN」
  • 1965年:キューバ現「共産党」。25年結成の旧共産党(44年より人民社会党に名称変更)とは区別される。
  • 1971年:ウルグアイ(「拡大戦線」。1971年に社会党、キリスト教民主党などにより結成)
  • 1973年:ドミニカ共和国(「ドミニカ解放党PLD」)、パラグアイ(「真性急進自由党」。他少数政党との連合体「変革のための愛国同盟」の中核
  • 1979年:ニカラグア(「サンディニスタ民族解放戦線FSLN」
  • 1992年:エルサルバドル(「ファラブンド・マルティ民族解放戦線FMLN」
 

 2   左派政権
更新日時:
2009/05/28 
 本項では左派政権の5ヵ国を取り出して述べる。データは米国中央情報局CIA(以下CIA)のWorld Fact Bookから取った。共産党のみが合法政党となっているキューバを除くと、全て複数政党制を採る。ニカラグアを除き、どこも大統領の連続再選が可能だ。
  • キューバ:1976年に制定された社会主義憲法のもと、同年より選挙で人民権力全国議員を選び、互選で国家評議会メンバーを選出し、その議長を国家元首とするようになったが、事実上は1959年成立した革命政権が継続。共産党独裁、計画経済が特徴。World Fact Bookでは2008年の一人当たりGDPを購買力でみると9,500jとしている(以下同)。
  • ベネズエラ:1999年末に新憲法制定。任期6年の大統領に連続再選への道を開いた。「二十一世紀の社会主義国家建設」を標榜。鉱山エネルギー、社会資本、大規模製鉄部門への国家介入ないしは国営化を進める。産油国でOPEC創設メンバー。同様、13,500j。
  • ボリビア:2009年1月の新憲法制定で任期5年の大統領連続再選に道を開く。同じく「二十一世紀の社会主義建設」を政見とする。資源ナショナリズムを掲げ、ガス田開発を国家独占事業とした。インフラ産業は国家が行うべき事業、と宣言。同4,400j。
  • エクアドル:2008年9月、新憲法制定で任期4年の大統領連続再選に道を開く。同じく「二十一世紀社会主義建設」を標榜。産油国で92年に脱退していたOPECに復帰した。同7,100j。
  • ニカラグア:1979年のニカラグア革命を実行した。政権自体は紛れもない左派だが、議会勢力では少数与党。上記4ヵ国と異なり大統領の連続再選は不可。同2,900jと、ラ米最貧国。
 
上記5ヵ国の09年人口見通しは計6,850万人、08年GDP(公式換算レートによる。上記一人当たりでは購買力ベースであり、注意願いたい)見通しは計4,508億jとなっている。ただベネズエラ一国で、5ヵ国の人口の4割、GDPの4分の3を占める。なお、ボリビア、キューバ、及びニカラグアで社会革命を経験した(別掲「ラ米の革命」参照)。
 
 左派政権の最左翼は、勿論、キューバである。1959年1月に成立したキューバ革命は経済活動の対外自立を意図した民族主義的なものだった。これが米国企業の権益に抵触したことから米国による経済制裁、さらに米国に逃れた反革命勢力の武力侵攻を受け、僅か2年で社会主義革命へと変貌した。米州機構(OAS)からの除名や世界を震撼させた1962年10月のミサイル危機を経て、メキシコを除く全ラ米が断交する、米州内孤立時代を経験した。70年代に政治・経済両面でほぼソ連圏に入り東欧型の社会主義建設に取り組んだ。米州内孤立状態は徐々に解除されたが、90年代早々ソ連が崩壊し、一方で米国の制裁は強化されるという危機を乗り切ってきた。革命から今日まで半世紀近い。その間、革命を指揮したフィデル・カストロが政権を担い続けた。健康問題で2006年央から弟のラウル・カストロ現国家評議会議長に代行させていた。08年2月に正式交代となる。この国を見る場合、米国による半世紀近い国交断絶と経済制裁(2001年から始まった食料・医薬品輸出を除く)の解除が何時になるか、が最大のポイントだ。オバマ政権は在米キューバ人の里帰り規制(ブッシュ前政権下では3年に一回)を撤廃し家族への送金規制も緩和したが、民主主義体制になっていないことと人権問題を理由に、基本政策は継続、但し首脳会談には応じる用意あり、としている。OASからは今日もなお、除名されたままである。だから、米州サミットにも参加できない。
 
 ベネズエラチャベス大統領はフィデル・カストロを師と仰ぐ。国連総会でブッシュ前米大統領を悪魔呼ばわりするなど、よく物議をかもしている。加盟諸国が米国との自由貿易協定(FTA)を進めるアンデス共同市場(CAN)を2006年4月に脱退、米国主導のFTAA構想に反発してきたメルコスルに加盟したが、現段階ではブラジルとパラグアイの議会が批准しておらず、中途半端な状況下にある。またラ米の政治、経済、社会統合を進める協力機構としてALBAを打ち出し、キューバ、ボリビア、ニカラグア、及びホンジュラスが参加する。近年ロシア、中国、イランとの関係緊密化を図り、米国を苛立たせた。一方で米国の最大の石油輸入元であり、通商関係も全般的に正常なことは留意したい。下記ボリビアの米国大使追放に連帯し、同じ措置を取ったが、2009年4月、オバマ大統領が対米州配慮を言明した米州サミット後、大使級外交関係を復活させた。その前の同2月に行った憲法改正国民投票で、二度までだった大統領再選規制が撤廃された。独立後、特定の最高権力者が長く政権を握った国だ。その反省から、本来認め得ない権力の超長期化に繋がる。チャベス大統領の執念が垣間見える。なお、2009年5月末になって、OAS脱退で対キューバ連帯を公言している。
 
 ボリビアは人口の過半数を先住民が占める。モラレスは自らが先住民であり、支持基盤は彼らとも言える。ところが08年前半、白人が多く富裕地方といわれるサンタクルス州など4県が、自治権強化を狙った住民投票を強行した。ガス生産地で知られ、その開発事業の県政府への移管を含むものだ。モラレスは対抗手段として大統領及び国内の全州知事信任に関る国民投票を9月に実施し、63%の得票で信任を得た。一方で、4県の知事も信任された。その後、ガスパイプライン攻撃でガス輸出妨害事件が頻発し、一部では道路閉鎖による物流妨害で流血事件も起きている。この背後に米国大使館の影がある、として、08年9月、大使を追放した。オバマ政権が発足し、民主的に選ばれた政権下の主権国家に対する介入はありえない、との明言を受けながらも、状況は変わっていない。彼自身は麻薬のコカイン原料にも使われるコカ栽培農家(「コカレロ」と呼ぶ)出身でその擁護でも知られ、麻薬問題に苦しむ米国とはもともとソリが合わない。今後の対米関係には注意が必要だが、しかし、国内の反モラレス陣営の動きも見過ごせない。
 
 エクアドルコレアは、2006年11月の決選投票で、左派及び中道左派系政党の支持も得て当選した。ところが自ら創設した政党自体は、同年10月に行われた議会選挙には参加させず、彼の公約で行われた07年9月の制憲議会選挙で、過半数の議席を取った。国会は議員の過半数が選挙違反で資格停止処分を受けていたため機能せず、制憲議会がこれを代行したので、実質的な安定与党となってきた。且つ、大統領の連続再選を認める憲法草案も可決した。1996年以来、民選大統領は誰も4年の任期を全うしていないエクアドルだが、2009年4月、新憲法下の総選挙で勝利し既に2013年までの政権を確保した。対米関係では、大統領就任後、先ず、米国とのFTA交渉を棚上げした。米軍に与えている国内のマンタ空軍基地使用権期限が09年に切れるが、彼はこの延長をしない、とも言明した。ただ、米国の麻薬取締りに関して協力的、との評価が米国に出ている。エクアドルの通貨は米jのままだ。また、左派政権で唯一、ALBAには加盟していない。一方で、08年3月、右派政権下のコロンビアがFARC征討軍をエクアドル領内に越境させたことに強硬に反発、現在、外交関係を中断しており、喫緊の課題としてはその隣国との和解がある。
 
 オルテガFSLNが主導した1979年のニカラグア革命は、もともと1936年から43年間に及ぶソモサ(父1896-1856、長男1922-67、次男1925-80)家支配体制を転覆させる反ソモサ勢力が一緒になって起こしたものだ。彼を首班とする革命政府には右派のビオレタ・デ・チャモロも参加している。革命政府でFSLN色が強まり彼女が脱落、一方で反革命勢力(コントラ)との長い内戦に入った。85年の選挙(オルテガが正式に民選大統領となる)を経ても、数年間、この状態が続いた。彼は、国連監視団が見守る中での1990年の選挙に再立候補したが、ビオレタに敗れて下野した経験を持つ。ニカラグアは「中米統合機構(SICA)」と「中米共同市場(MCCA)」のメンバーで、経済的にはCAFTA-DRを通じ米国と一体化している。彼には革命家としてのカリスマ性があるが、少数与党を抱える以上、現実的な政策運営が必須だ。なお、革命の原因となった一族超長期支配を排除するため、憲法で大統領の連続再選は勿論、親族同士の政権交代も禁じている。
 
 最後に言っておきたい。左派政権の指導者が社会主義者であろうが、激しい対米批判を繰り広げようが、彼らの政治的レトリックに惑わされぬよう気をつけたい。代表制民主主義の政治体制を採っていれば、指導者がやり過ぎると右転回の政変が起きる。まして、資本主義社会体制を転覆するような革命までは考える必要はなかろう。

 3   メキシコ及びCAFTA-DR諸国
更新日時:
2009/05/28 
 
 米国と市場統合の関係にあるメキシコと中米及びドミニカ共和国の8ヵ国は、CIAによる2009年人口見通しで1億6千万人、2009年GDP見通しでは1兆3千億jの規模に上る。これをCAFTA-DR加盟七ヵ国とメキシコに分けると、GDPでは前者が1,780億jに対して後者一ヵ国で1兆1,430億j、人口では夫々5,140万人、1億1,120万人、という色分となる。
 大統領の再選自体を禁じるラ米4ヵ国の内の3ヵ国が、メキシコ、グァテマラ及びホンジュラスだ。アステカ及びマヤの文明を築いた先住民の末裔及び白人との混血メスティソが多い。白人国のコスタリカ、及び白人、先住民、黒人、混血の多様な人種社会を織り成すパナマとニカラグアの3ヵ国は、一、二期おけば再選可能とされる。エルサルバドルも同様だが、1982年の民政復帰後、一度も例が無い。アフリカ系黒人及び白人との混血ムラートの多いドミニカ共和国だけが、連続再選を認める。ここでは左派政権下のニカラグアを除く7ヵ国を取り上げる。人種構成同様、政治体制も多様な地域、と言える。
 
(1)右派:高所得の3ヵ国
  • メキシコ:メキシコ革命(1911-17年)の流れを引く「制度的革命党PRI」が、その前身の結党以来2000年までの71年間担ってきた政権を、結党以来ずっと野党に甘んじてきたPANが奪取。PRI自体、市場主義経済志向のNAFTA成立を実現。購買力でみたGDP は14,200j。
  • コスタリカ PLNは1949年11月発効の平和憲法(国軍廃止を規定)を纏めたフィゲレスが創設したもので、以後2006年までの58年間の内、6回24年間、政権を担った。同11,600j。
  • パナマ(09年9月より): 1990年より繰り返された二大政党同士の政権交代ではなく、独立系の民主変革党(CD)が、最大野党の「パナメニスタ党」との連立で政権獲得。同11,600j。
(2)中道右派
  • ホンジュラス自由党(PLH)は中米では最も伝統的政党。やはり創設一世紀を数える「国民党PNH」の二大政党による政権交代を繰り返して来た。同4,400j。
(3)中道
  • ドミニカ共和国ドミニカ解放党(PLD)は現野党「ドミニカ革命党(PRD)」から離脱したグループが結成、1996年、初めて政権を取る。同8,100j。
(4)中道左派:左派のニカラグア同様、1980年代の内戦を経験
  • グァテマラ:政権党が任期終了後離合集散を繰り返す政治文化にある。国民希望同盟(UNE)の今後に注目したい。同5,200j。
  • エルサルバドル(09年6月より)ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)は、もとは内戦を起こした左翼ゲリラで、1992年12月、武装放棄と共に政党化。同6,200j。
 
@ 革命とNAFTA−メキシコ
 
 メキシコ革命の結晶「1917年憲法」。ロシア革命成立と同時期に労働基本権、地下資源の国家所有権、農地保有の平等権などを定めたものだ。この流れで、カルデナス(任期1936-40)という有名なポプリスタを生んだ(別掲の「ラ米のポピュリズム」参照)。また、キューバ革命後、孤立時代のキューバと外交関係を維持した米州内で唯一の国でもある。革命に対して先輩であるとの意識が強かった。だが政権与党を71年間も担ったPRIの歴代政権は、その時々の政策面で左派、中道、右派と振り子のように変わり、1980年代の債務危機を経て市場主義経済体制の構築を進め、1994年にNAFTAに加盟、すっかり革命政党のイメージは無くなってきた。
 2000年に政権与党はPAN交代したが、既に両党の政策は似通ったものになっており、政権移管はスムーズだった。現カルデロン大統領は、その二代目だ。PRI左派は「民主革命党PRD」を結成し、今や本家を凌ぐ大政党になった。カルデロンの大統領選勝利は、PRDから出た前メキシコ市長のロペス・オブラドル候補と票差1%未満の僅差で、選挙後暫く不正選挙を理由にメキシコ政情が緊迫した。加えて、1917年憲法は、なるほど修正こそ重ねてきたが、現在も有効で、政権運営上の重石になっている。若くエネルギッシュなカルデロンでも政治指導力は発揮しにくいようだ。
 対米関係は移民問題を除けば良好だ。貿易額が輸出入合計で年間5,500億j、ラ米の3分の1を占めるが、大半は在メキシコ外国企業の対米取引で、それだけ米国市場との統合度合いが高いことを示す。米国向け麻薬密輸に関連し、メキシコの麻薬組織間暴力の元凶として米国からの向け武器密輸がクローズアップされており、従来の米政権は麻薬取り締まりをメキシコに押し付けるだけだったが、オバマ米大統領は米国の武器取締りの重要性を唱え始めている。
 
A 中米の域内富裕国−コスタリカパナマ
 
 中米唯一の白人国コスタリカと、運河を持つ多様な人種で構成されるパナマ。いずれもラ米では人口小国である。
 コスタリカは、1980年代の「中米危機」(後述のグァテマラ、エルサルバドル同様、別掲「ラ米の域内・対外戦争」の「二十世紀の内戦」参照)の時代、ニカラグアの反政府勢力が拠点にした。ニカラグア政府を通じ、エルサルバドルの反政府ゲリラFMLNを支援している、として、キューバとの外交を領事関係に制限し、今日に至っている。中米危機全体の和平の枠組み構築に精力的に動いたのが、アリアス現大統領で、当時第一次政権を担っていた。これで彼はノーベル平和賞を得た。伝統的な野党は殆ど消滅したか小党に陥って、2000年に創設された「市民行動党PAC」(中道左派の位置づけ)が急伸しており、06年選挙では同党のソリス候補が得票率差1%に迫った。メキシコでカルデロンとロペス・オブラドルが争った年だ。親米国とはいえ、CAFTA-DR条約批准はアリアス第二次政権発足後のことで、中米では遅れた方だ。
 パナママルティネッリ大統領が1998年に創設したCDは弱小政党で、近年、急速に支持率を上げてきていたにせよ、政権を取るには連立は不可欠だった。当時与党の「民主革命党(PRD)」(1977年に米国のカーター政権との運河返還条約締結に漕ぎ着けたパナマの英雄、トリホス将軍が、79年に結成)に対する野党、「パナメニスタ党」(1930年にクーデターを起こしたアルヌルフォ・アリアスの流れを汲む。彼は上記トリホス将軍の政敵)が乗った。議会選挙の結果、PRDは議席数をほぼ半減させた。当時の政権にどのような失政があったか検証が必要だが、中道左派と位置づけられるPRD政権の政策は、引き継がれるようだ。もともとラ米最小人口、経済面で中継貿易や国際金融に依存する国として、対米協調と自由主義経済は、国政の前提であろう。
 
B ALBAに参加する中道右派政権−ホンジュラス
 
 ホンジュラスは、北の隣国グァテマラ(1954年政変)及び南の隣国ニカラグア(80年代の「中米危機」)の反政府勢力の拠点になった歴史を持つ。長期に亘る最高権力者として知られるカリアス、アレヤノ両将軍は国民党(PNH)を政権基盤とした。軍人大統領が出なくなった82年以降は、PLHが二期連続政権を務めて一期だけ右派のPNHに政権交代する、という政治状況になっているが、政策面で大きな違いはあまり見られない。後述のグァテマラ同様、大統領任期は4年で、再選そのものが禁止される国としては、最も短い。大統領の政治思想や個人的力量が発揮し難い体制、といえる。だがセラヤ・ロサレス大統領は左派政権諸国に混じって、ALBAに加盟した。メディアの扱いでは「左派系」と位置づけられる所以だ。
 
C 独裁、内戦、長期政権を経て−ドミニカ共和国
 
 建国後、特定個人による強権政治、米軍による軍政などが続き、1930年から31年間、トルヒーヨ独裁が行われた歴史を持つ。1965年のドミニカ内戦を経て、66年から、78-86年の期間を除き、22年に及ぶバラゲル政権時代もみた。現最大野党のPRDはトルヒーヨ抵抗運動のリーダーだったボッシュが結成に参加したが、彼は73年に右傾化するPRDを離党して現与党のPLDを結党した。だから両党は、辿れば根は同じとも言えよう。PRD政権時代はこれまで78-86年と2000-04年の計12年だ。PLDはバラゲルが89歳で最終的に退陣した96年に発足したフェルナンデス・レイナ第一次政権で、初めて政権を取った。この政権がキューバとの国交回復を実現したことも含め、中道左派系と見られがちだが、対米協調、自由主義経済体制の推進を採るのはPRDと同様だ。
 
D 中米の中道左派政権−グァテマラエルサルバドル
 
 この両国はニカラグア同様、1960、70年代から80、90年代にかけて激しい内戦を経験した。いずれも軍人政権が続き、80年代に事実上の民政移管を果たしたが、右派系政権が続いた。
 グァテマラは、特定の最高権力者が長期政権を担う歴史を経て、軍人政権が繰り返される歴史を持つ。1954年に民族主義で知られるアルベンス政権が崩壊した後にこれが再来し、60年代から長い内戦の時代を過ごした。民政復帰は86年、内戦終了は「グァテマラ民族革命連合(URNG)」武装放棄した96年で、結局36年間も続けられていたことになる。民政移管後の歴代政権は概ね右派で、政権党は、大統領の任期終了後離合集散を繰り返しており、ラ米でも珍しい。アルベンス思想を掲げるコロン大統領は「国民希望同盟(UNE)」を支持母体に、二度目の挑戦で当選したが、4年間の任期で再選禁止、という状況では、外交、経済政策での変化を推進しようにも限界があろう。09年5月の弁護士暗殺事件が、退陣要求デモを呼んでいる。
 中米で唯一、カリブ海への出口を持たないエルサルバドルは、1982年の民政移管後の四半世紀の内、右派の「国民共和同盟ARENA」(81年に結党)政権が89年から10年間続いた。ラ米で唯一、キューバと全面断交を続けた国だ。今回選挙で初めて元左翼ゲリラのFMLN政権が誕生する。FMLNは92年12月の武装解除で政党化して、今日まで18年しか経っていない。だがこの間、同党からの大統領候補者は30%内外の得票で、且つ三年毎の議会選挙では度々第一党の座を得てきた。ニカラグアのFSLN同様、左派とすべきか迷ったが、フネス大統領自身にゲリラ経験は見当たらず、対米協調も明言しているので、私の独断で中道左派としたが、その政策状況により変えることを許して頂くよう、予めお願いしたい。

 4   アンデス諸国
更新日時:
2009/05/28 
 
アンデス諸国とは人種構成でみると
  • インカ帝国を築いた先住民の末裔、及びメスティソが多いエクアドル、ペルー及びボリビア
  • 先住民(インカ帝国の末裔ではない)、白人に加えて黒人、及び夫々の間で形成された混血で構成されるコロンビア及びベネズエラ
  • 基本的に白人国のチリ
から成る六ヵ国を指す。人口は計1億4千万人で、全ラ米の4分の1、GDPは計9,500億jで同5分の1を占める。1969年、「アンデス共同体(ANCOM。現在のCAN)」が立ち上げられた。原メンバーではなかったベネズエラが73年に加盟、原メンバーのチリが76年に脱退して30年間、この共同体は5ヵ国で構成された。ボリーバルが解放した国々で(別掲の「ラ米の独立革命」参照)、共同体意識は強い。だが、この内の3ヵ国が左派、そして域内最大の人口を要するコロンビアが右派、という政権構図の中、エクアドルがコロンビアと断交中であり、ベネズエラとボリビアが反政府勢力指導者の亡命先ペルーとの軋轢を抱えている。
ここでは左派政権の欄で述べたベネズエラ、ボリビア、エクアドル以外の3ヵ国を採り上げる。
 
@ 南米唯一の右派政権、コロンビア
 
 CIAによる2008年見通しで、GDPは2,500億j。購買力でみた一人当たりGDPは8,900j。人口は同じく2009年見通しでラ米第三位の4,530万人(以上、以下同)。
 2002年のウリベ政権誕生まで、一時期を除き、結成が1849年という自由保守両二大伝統政党の政権が続いた。彼自身は自由党右派に属していたが離党し、寧ろ保守党の支持をも受け当選した。同国としては一世紀ぶりの連続再選で二期目を務める。
 対米関係は、東西冷戦時代から今日まで、麻薬犯罪者の引渡し問題で何度か軋んだことはあったものの、良好、といえる。1999年、米国が率先して麻薬撲滅を狙った国際支援「プラン・コロンビア」が始まる。米国は2001年の9.11事件後、コロンビアへの対テロ支援も進めた。コロンビア革命軍(FARC)民族解放軍(ELN)掃討を図るものだ。米国は右翼の自警団組織、「コロンビア自衛軍連合(AUC)」をもテロリスト指定していたが、AUCはウリベ政権発足後和平交渉を進め、07年までに武装放棄を完了させた、とされる。またELNも和平交渉は進めている。大統領は父親をコロンビア革命軍(FARC)に殺害されており、その制圧に精力を傾注する。
 2008年3月のFARC征討を目的としたエクアドル越境攻撃(これにより同国は対コロンビア外交関係を断絶)、同年7月、元大統領候補を含む15人の人質の奪還作戦成功で、大統領支持率は一時的に90%を超えた。09年5月、議会は大統領再選回数制限を緩和する憲法改正案を国民投票にかけることを承認した。これでラ米ではベネズエラだけの特殊ケースである連続三選への道が開きつつあるが、一方で、既に彼の後継者を自認する国防相が立候補準備に入っている。
 
A 現実路線のアプラ党政権、ペルー
 
 GDPは1,300億jでコロンビアの半分だが、一人当たりGDPは8,400jでほぼ同水準だ。人口は2,950万でラ米ではアルゼンチンに次ぐ第五位。
 アプラ党はペルーの学生運動指導者だったアヤデラトーレが、メキシコ亡命中の1924年に立ち上げた「米州人民革命同盟(APRA)」から来ている。反米、反帝国主義、ラ米人民の連帯などを綱領とした(別掲の「ラ米のポピュリズム」参照)。軍部と敵対し合法と非合法を繰り返した。ガルシア第一次政権(1985-90)で、結党後半世紀経って初めて手にした政権だ。だが賃金引上げ、所得減税、生活物資価格凍結などのポピュリズム路線で、結果としてハイパーインフレと高失業、及び左翼ゲリラの活動過激化を招いた。 フジモリ政権時代(1990-2000)に亡命し、その失脚後帰国し2001年と2006年の大統領選に出馬、後者の決選投票で逆転して16年ぶり二度目の政権を得た。第一次投票の得票数第一位は元軍人で左派のオリャンタ・ウマラだったが、決選投票でベネズエラのチャベス大統領が応援し、これを内政干渉と嫌った結果とも言われた。対ベネズエラ関係が冷却した背景として記憶したい。09年には反チャベス勢力の指導者の亡命を引き受け、緊張が高まっている。また、ボリビアの反モラレス勢力の重要人物の亡命引き受けで、同国とも冷却関係にある。
 2009年4月、フジモリ元大統領が民間人25名の殺害に関与した容疑で、最高裁で25年間の禁固刑の判決を言い渡された。ガルシア第一次政権時の失政によるゲリラ問題及び経済破綻を解決した功績は、考慮されなかったようだ。ナショナリズムを持ち味としてきたアプラ党だが、現実的には経済政策は新自由主義的なフジモリ政治を引き継いでおり、米国とのFTAを推進している。同党のイメージは中道左派だろうが、ここでは中道、とした。
 
B 経済はピノチェト路線の中道左派、チリ
 
 人口は1,660万でペルーの半分に近いが、1,810億jのGDPはそれを上回る。一人当たりGDPは14,900jで、ラ米で最も高い。
 バチェレは、ラ米の民選女性大統領としては三人目だが、先輩二人はいずれも著名政治家の未亡人だった。社会党員で、学生時代の1973年9月、民主選挙で社会主義政権誕生、と世界を驚かせたアジェンデ政権(1970-73)がピノチェト将軍によるクーデターで崩壊した後、アジェンデ派の軍人だった父親同様、迫害を受けた。ピノチェト軍政(1973-90)が終って10年経ったら、社会党のラゴス大統領が誕生した。彼女はその二代目となる。だが、政権自体は前任者同様、90年に中道右派に位置する「キリスト教民主党(PDC)」のエイルウィンが組成した「諸党連合(Concertacion)」の枠内にある。
 ピノチェト軍政こそあったが、チリ自体はラ米で最も民主主義が根付いた国だ。早くから多党化が進み、連立による政権交代が繰り返されてきた。アジェンデ政権の前にも1938年には、社会主義政権でこそないが、社会・共産両党が参加する人民戦線政権の成立をみた。その後、中道、右派、中道右派、そしてアジェンデ政権へと、民主的に交代した。
 諸党連合の経済政策は、ピノチェト時代にシカゴ・ボーイズで知られる新自由主義経済官僚により推進されてきたことと、殆ど変わらない。ラ米で最も早く米国とFTAを締結したのがラゴス政権だったことは記憶しておいて良い。また人権問題を理由に対キューバ関係が悪化したこともある(現在は良好)。位置づけは中道左派だろうが、ヨーロッパ型民主主義政権、と見た方が間違い無さそうだ。

 5   メルコスル諸国
更新日時:
2009/06/04 
 
アルゼンチン、パラグアイ及びウルグアイとボリビアを一括りにして「リオデラプラタ」という。ボリビアは人種、文化面でペルーとの一体感が強いが、他の三ヵ国はラプラタ川水系と広大な大草原パンパで一体感がある。ここではメルコスルの原メンバー4ヵ国、即ち、この3ヵ国とブラジルについて述べる。CIAのWorld Fact Bookによる人口(2億5千万。2009年見通し)及びGDP(2兆500億j。2008年見通し)で、全ラ米の半分近い。現政権は全て中道左派、に位置づけられる。
  • 米国同様に大統領任期4年で一度だけ連続再選を認めるブラジルとアルゼンチン。この二国だけで四ヵ国合計人口及びGDPの95%以上を占める。
  • ラ米で最も古い独立国家(1813年建国)のパラグアイは国民の大半がメスティソ、一人当たりGDPで南米最貧国。任期5年の大統領の再選そのもの認めない南米唯一の国だ。
  • 国土面積、人口とも南米最小国であるウルグアイは、国民の9割が白人、という点でアルゼンチンと似る。任期5年の大統領の連続再選は不可。
 
@ 労働界カリスマの政権−ブラジル
 
 ラ米の中で国土面積が四割強、人口とGDPで三割強を占める国、ブラジル。BRICsの一つとして国際的存在感を高め、日本に先駆けて国連安保常任理事国入りを果たすのではないか、と囁かれる。中型航空機メーカーのEMBRATELや金属資源のバーレ社など世界最大級の企業の動向が、我が国でも注目されてきた。購買力ベースの一人当たりGDP(以下、同)は、10,100j。
 1930年から45年までヴァルガスという個性の強い政治家(下記のペロン共々、別掲の「ラ米のポピュリズム」参照)が工業国への道筋を着け、66年から85年までの長期軍政を経て今日に至る。ルラ大統領は、軍政時代から金属労連のリーダーとして積極的な活動を行い、労働条件向上を追求してきた文字通り労働界のカリスマ的存在だった。自ら労働者党(PT)を結成し、長い軍政時代が終わって最初の89年の直接大統領選から、毎回出馬して来た。三度目の98年の選挙は、同年伝播してきたロシア通貨危機の中で、「ブラジル民主社会党(PSDB、中道)」カルドーゾが再選された。第一次政権時代の経済再建実績が率直に評価されたものだ。98年からの通貨危機を救済するため巨額の国際協力も引き出した。IMFが主導的役割を果たしている。これがIMFへの追従と映るようになった。2002年、ルラが四度目にして漸く政権を取った背景として指摘しておきたい。彼は第一次政権後半に脱IMFを宣言、新規融資は受けず、既存債務残については期前返済も断交した。
 労組出身の大統領を生んだ国は、ラ米のみならず世界でも珍しい。所得再分配や雇用機会の創出を重要な政治課題とし、市場主義経済路線に反発する。FTAA構想に対抗した代表的存在であり、ベネズエラのチャベスとも通じるところだ。対米同列を信条とし、南米軍事機構(SATO)創設も考える。ラ米の中では最も存在感の大きい人だろう。ただ、反米ではない。
 
A ペロン党左派の政権−アルゼンチン
 
 ラ米第三位の経済大国で、一人当たりGDPの14,200jの域内富裕国、アルゼンチン。ラ米第四代民選女性大統領のフェルナンデスは、フェルナンデス・デ・キルチネルと呼んだ方が分かり易い。前任者のキルチネルは夫であり、本人は法律家出身の政治家で、選挙期間中「南米のヒラリー」と呼ばれた。夫婦ともペロン党に属する。同党は1946年から55年まで政権を担い、ナショナリズムと労働者保護で知られるペロン(日本人に馴染み深い「エビータ」の夫)を支えるために結成された。彼自身元々軍人ながら、党は軍部に睨まれ、合法、非合法を繰り返した。この点、ペルーのアプラ党に似る。
 1989年から10年間政権を担ったメネム政権末期、ロシア通貨危機がブラジル経由で伝播した。彼を継いだ「急進党」のデラルアは、国民の銀行からの預金引き出し制限、対外債務は通貨二重相場を使った一方的債務削減、と、厳しい政策を断行し、内外の糾弾に耐え切れず途中退陣し、議会が、最大議席を有するペロン党から臨時大統領に任期残を託した。その後に選出されたのがキルチネルで、対抗馬はメネムだった。同党はイデオロギー面で左右幅広く、メネムは新自由主義経済路線を積極的に推進した。2003年4月の大統領選挙では、党は割れた。結果はメネム第一位、党内左派キルチネルが第二位だったが、決選投票見通しで後者が圧倒的優位だったことで、前者は降りる、という経緯を辿る。キルチネルはブラジルのルラ同様、経済への政府関与、雇用創出、貧困対策などを進めた。対外債務に関して、ブラジルに続きIMFへの期前返済を断行して経済政策運営の自由度を高め、経済不況を克服したことで国民支持は高まった。だが、連続再選ではなく党首への横滑りを選択した。
 選挙によって夫を引き継いだフェルナンデスは、食糧輸出税引き上げを巡り農業界から厳しい抵抗を受け、内政面で批判を受けている。支持率は3割前後、といわれる。
 
B 伝統政党政権からの脱却−ウルグアイパラグアイ
 
 メルコスルの二小国は、一人当たりGDPで見るとウルグアイが12,200jでラ米域内富裕国、パラグアイが、私には到底信じられないが、僅か4,200jとされ、ラ米ではニカラグアに次ぐ貧しさで、南米最貧国だ。政治的には、前者は二十世紀以降、ラ米ではチリに次いで民主主義が根付き、後者は政治不安と35年にも及ぶストロエスネル支配(1954-89年)で知られる。この両国の共通項が、ホンジュラスとコロンビアでも見られる伝統的二大政党である。
 ウルグアイでは、十九世紀前半から続いてきた「コロラド」「ブランコ」両党が、軍政期(1973-85年)を除き、政権を担ってきた。世界有数の福祉国家を築き、また現世界貿易機構(WTO)の発祥となるウルグアイラウンドを主宰したのは、かかる伝統政党の政権である。軍政に入る前の71年、社会党、共産党、キリスト教民主党などが二大政党に対抗する形で拡大戦線を結成した。軍政時代、そのメンバーは圧政に遭った。医者だったバスケスは本来社会党に属し、90年からのブランコ党政権時代、50歳で拡大戦線からモンテビデオ市長になっている。94年選挙から毎回出馬し、三回目で当選した。ルラに似た行動だ。二大政党以外からの最初の大統領となった。また、拡大戦線にはかつての左翼ゲリラ、「トゥパマロス」も参加する。だが政治思想はともかく、現実の政治は現実的だ。メルコスル協調が国是でもある。
 パラグアイはラ米史上、実質的な独立が最も早く、独立後1870年までの59年間は3人のカウディーリョが最高権力を行使した(別掲「カウディーリョたち」参照)。ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイを敵に回す「パラグアイ戦争」(1864-70年)で破局的敗戦を経験し(別掲「ラ米の域内・域外戦争」参照)、その後「コロラド」「自由党」二大政党が生まれている。ストロエスネルも、コロラド党だ。彼の政権下で自由党が分裂し、「真性急進自由党」が生まれた。彼が追放されて大統領の多選が禁じられたが、コロラド党政権は続いた。ルゴ現政権の「変革のための愛国同盟」の中核は、伝統政党の分派、とも言える真性急進自由党だ。その意味で、ウルグアイとは性格を異にする。元司教という異色の経歴を持つ彼自身、左派とか中道左派というレッテルを嫌いながらも、しかしウルグアイの拡大戦線に似た政権、と表現する。政見には貧困根絶を掲げる。
 


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