米国と市場統合の関係にあるメキシコと中米及びドミニカ共和国の8ヵ国は、CIAによる2009年人口見通しで1億6千万人、2009年GDP見通しでは1兆3千億jの規模に上る。これをCAFTA-DR加盟七ヵ国とメキシコに分けると、GDPでは前者が1,780億jに対して後者一ヵ国で1兆1,430億j、人口では夫々5,140万人、1億1,120万人、という色分となる。
大統領の再選自体を禁じるラ米4ヵ国の内の3ヵ国が、メキシコ、グァテマラ及びホンジュラスだ。アステカ及びマヤの文明を築いた先住民の末裔及び白人との混血メスティソが多い。白人国のコスタリカ、及び白人、先住民、黒人、混血の多様な人種社会を織り成すパナマとニカラグアの3ヵ国は、一、二期おけば再選可能とされる。エルサルバドルも同様だが、1982年の民政復帰後、一度も例が無い。アフリカ系黒人及び白人との混血ムラートの多いドミニカ共和国だけが、連続再選を認める。ここでは左派政権下のニカラグアを除く7ヵ国を取り上げる。人種構成同様、政治体制も多様な地域、と言える。
(1)右派:高所得の3ヵ国
メキシコ:メキシコ革命(1911-17年)の流れを引く「制度的革命党PRI」が、その前身の結党以来2000年までの71年間担ってきた政権を、結党以来ずっと野党に甘んじてきたPANが奪取。PRI自体、市場主義経済志向のNAFTA成立を実現。購買力でみたGDP は14,200j。
コスタリカ: PLNは1949年11月発効の平和憲法(国軍廃止を規定)を纏めたフィゲレスが創設したもので、以後2006年までの58年間の内、6回24年間、政権を担った。同11,600j。
パナマ(09年9月より): 1990年より繰り返された二大政党同士の政権交代ではなく、独立系の民主変革党(CD)が、最大野党の「パナメニスタ党」との連立で政権獲得。同11,600j。
(2)中道右派:
(3)中道:
(4)中道左派:左派のニカラグア同様、1980年代の内戦を経験
グァテマラ:政権党が任期終了後離合集散を繰り返す政治文化にある。国民希望同盟(UNE)の今後に注目したい。同5,200j。
エルサルバドル(09年6月より):ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)は、もとは内戦を起こした左翼ゲリラで、1992年12月、武装放棄と共に政党化。同6,200j。
@ 革命とNAFTA−メキシコ
メキシコ革命の結晶「1917年憲法」。ロシア革命成立と同時期に労働基本権、地下資源の国家所有権、農地保有の平等権などを定めたものだ。この流れで、カルデナス(任期1936-40)という有名なポプリスタを生んだ(別掲の「ラ米のポピュリズム」参照)。また、キューバ革命後、孤立時代のキューバと外交関係を維持した米州内で唯一の国でもある。革命に対して先輩であるとの意識が強かった。だが政権与党を71年間も担ったPRIの歴代政権は、その時々の政策面で左派、中道、右派と振り子のように変わり、1980年代の債務危機を経て市場主義経済体制の構築を進め、1994年にNAFTAに加盟、すっかり革命政党のイメージは無くなってきた。
2000年に政権与党はPANに交代したが、既に両党の政策は似通ったものになっており、政権移管はスムーズだった。現カルデロン大統領は、その二代目だ。PRI左派は「民主革命党PRD」を結成し、今や本家を凌ぐ大政党になった。カルデロンの大統領選勝利は、PRDから出た前メキシコ市長のロペス・オブラドル候補と票差1%未満の僅差で、選挙後暫く不正選挙を理由にメキシコ政情が緊迫した。加えて、1917年憲法は、なるほど修正こそ重ねてきたが、現在も有効で、政権運営上の重石になっている。若くエネルギッシュなカルデロンでも政治指導力は発揮しにくいようだ。
対米関係は移民問題を除けば良好だ。貿易額が輸出入合計で年間5,500億j、ラ米の3分の1を占めるが、大半は在メキシコ外国企業の対米取引で、それだけ米国市場との統合度合いが高いことを示す。米国向け麻薬密輸に関連し、メキシコの麻薬組織間暴力の元凶として米国からの向け武器密輸がクローズアップされており、従来の米政権は麻薬取り締まりをメキシコに押し付けるだけだったが、オバマ米大統領は米国の武器取締りの重要性を唱え始めている。
A 中米の域内富裕国−コスタリカとパナマ
中米唯一の白人国コスタリカと、運河を持つ多様な人種で構成されるパナマ。いずれもラ米では人口小国である。
コスタリカは、1980年代の「中米危機」(後述のグァテマラ、エルサルバドル同様、別掲「ラ米の域内・対外戦争」の「二十世紀の内戦」参照)の時代、ニカラグアの反政府勢力が拠点にした。ニカラグア政府を通じ、エルサルバドルの反政府ゲリラFMLNを支援している、として、キューバとの外交を領事関係に制限し、今日に至っている。中米危機全体の和平の枠組み構築に精力的に動いたのが、アリアス現大統領で、当時第一次政権を担っていた。これで彼はノーベル平和賞を得た。伝統的な野党は殆ど消滅したか小党に陥って、2000年に創設された「市民行動党PAC」(中道左派の位置づけ)が急伸しており、06年選挙では同党のソリス候補が得票率差1%に迫った。メキシコでカルデロンとロペス・オブラドルが争った年だ。親米国とはいえ、CAFTA-DR条約批准はアリアス第二次政権発足後のことで、中米では遅れた方だ。
パナマのマルティネッリ大統領が1998年に創設したCDは弱小政党で、近年、急速に支持率を上げてきていたにせよ、政権を取るには連立は不可欠だった。当時与党の「民主革命党(PRD)」(1977年に米国のカーター政権との運河返還条約締結に漕ぎ着けたパナマの英雄、トリホス将軍が、79年に結成)に対する野党、「パナメニスタ党」(1930年にクーデターを起こしたアルヌルフォ・アリアスの流れを汲む。彼は上記トリホス将軍の政敵)が乗った。議会選挙の結果、PRDは議席数をほぼ半減させた。当時の政権にどのような失政があったか検証が必要だが、中道左派と位置づけられるPRD政権の政策は、引き継がれるようだ。もともとラ米最小人口、経済面で中継貿易や国際金融に依存する国として、対米協調と自由主義経済は、国政の前提であろう。
B ALBAに参加する中道右派政権−ホンジュラス
ホンジュラスは、北の隣国グァテマラ(1954年政変)及び南の隣国ニカラグア(80年代の「中米危機」)の反政府勢力の拠点になった歴史を持つ。長期に亘る最高権力者として知られるカリアス、アレヤノ両将軍は国民党(PNH)を政権基盤とした。軍人大統領が出なくなった82年以降は、PLHが二期連続政権を務めて一期だけ右派のPNHに政権交代する、という政治状況になっているが、政策面で大きな違いはあまり見られない。後述のグァテマラ同様、大統領任期は4年で、再選そのものが禁止される国としては、最も短い。大統領の政治思想や個人的力量が発揮し難い体制、といえる。だがセラヤ・ロサレス大統領は左派政権諸国に混じって、ALBAに加盟した。メディアの扱いでは「左派系」と位置づけられる所以だ。
C 独裁、内戦、長期政権を経て−ドミニカ共和国
建国後、特定個人による強権政治、米軍による軍政などが続き、1930年から31年間、トルヒーヨ独裁が行われた歴史を持つ。1965年のドミニカ内戦を経て、66年から、78-86年の期間を除き、22年に及ぶバラゲル政権時代もみた。現最大野党のPRDはトルヒーヨ抵抗運動のリーダーだったボッシュが結成に参加したが、彼は73年に右傾化するPRDを離党して現与党のPLDを結党した。だから両党は、辿れば根は同じとも言えよう。PRD政権時代はこれまで78-86年と2000-04年の計12年だ。PLDはバラゲルが89歳で最終的に退陣した96年に発足したフェルナンデス・レイナ第一次政権で、初めて政権を取った。この政権がキューバとの国交回復を実現したことも含め、中道左派系と見られがちだが、対米協調、自由主義経済体制の推進を採るのはPRDと同様だ。
D 中米の中道左派政権−グァテマラとエルサルバドル
この両国はニカラグア同様、1960、70年代から80、90年代にかけて激しい内戦を経験した。いずれも軍人政権が続き、80年代に事実上の民政移管を果たしたが、右派系政権が続いた。
グァテマラは、特定の最高権力者が長期政権を担う歴史を経て、軍人政権が繰り返される歴史を持つ。1954年に民族主義で知られるアルベンス政権が崩壊した後にこれが再来し、60年代から長い内戦の時代を過ごした。民政復帰は86年、内戦終了は「グァテマラ民族革命連合(URNG)」が武装放棄した96年で、結局36年間も続けられていたことになる。民政移管後の歴代政権は概ね右派で、政権党は、大統領の任期終了後離合集散を繰り返しており、ラ米でも珍しい。アルベンス思想を掲げるコロン大統領は「国民希望同盟(UNE)」を支持母体に、二度目の挑戦で当選したが、4年間の任期で再選禁止、という状況では、外交、経済政策での変化を推進しようにも限界があろう。09年5月の弁護士暗殺事件が、退陣要求デモを呼んでいる。
中米で唯一、カリブ海への出口を持たないエルサルバドルは、1982年の民政移管後の四半世紀の内、右派の「国民共和同盟ARENA」(81年に結党)政権が89年から10年間続いた。ラ米で唯一、キューバと全面断交を続けた国だ。今回選挙で初めて元左翼ゲリラのFMLN政権が誕生する。FMLNは92年12月の武装解除で政党化して、今日まで18年しか経っていない。だがこの間、同党からの大統領候補者は30%内外の得票で、且つ三年毎の議会選挙では度々第一党の座を得てきた。ニカラグアのFSLN同様、左派とすべきか迷ったが、フネス大統領自身にゲリラ経験は見当たらず、対米協調も明言しているので、私の独断で中道左派としたが、その政策状況により変えることを許して頂くよう、予めお願いしたい。
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