通常、ラ米史上でカウディーリョの代表例として挙げられるのは、メキシコのサンタアナ、アルゼンチンのロサス、ベネズエラのパエスの3人だが、もう少し広げよう。
メキシコのサンタアナ(*2)は、1836年2月、アラモ砦の守備兵を全滅させた将軍として米国でも有名だ。テキサスを失い、46年5月には国境問題で米軍侵攻を呼び(米墨戦争)、対米敗戦で領土の過半を米国に割譲させられる元を作った張本人として、今日のメキシコでもえらく評判は悪い。それでも、33年に初めて就いた大統領職は、55年の最終的な失脚まで、臨時、暫定を含めて9回(11回とも言われる)繰り返した。1822年12月、反イトゥルビデ帝政で蜂起、共和制移行後の節目に何度も登場する。
アルゼンチンのロサス(*3)は1829年12月にブエノスアイレス州知事になった。3年前の25年1月、漸く成った基本法により、ラプラタ諸州連合(旧ラプラタ副王領を引き継いだ新国家)大統領不在時には、ブエノスアイレス州知事に国家元首としての職務を認める、とされていたことで、アルゼンチンを実質支配することになる。この新国家はパラグアイ、ウルグアイ、ボリビアを失った。残る現アルゼンチンすら、カウディーリョ割拠で分裂状態だったが、これを収めた。対外的にはパラグアイ封じ込めを狙ったラプラタ水系河川の航行規制により、英仏艦船の長期干渉などを招く。また、連邦大統領不在が常態化し、国家統合の未完状態が続き、反ロサス派が増殖、52年に失脚することになる。
ラプラタ諸州連合が最初に喪失した国がパラグアイである。1813年10月、その終身最高指導者となったのがフランシア(*1)である。連合が採ったラプラタ水域の航行規制の影響で、鎖国政策を余儀なくされた。その分国家、国民統合が進み国情は安定する。
もう一つのラプラタ国家ウルグアイでは、親ブラジルとされるリベラ(*8)と親ロサスのオリベ(*9)の両勢力の抗争が続いた。前者の勢力を「コロラド党」、後者を「ブランコ党」と呼んだ。これが2005年まで政権を担った二大政党の発祥である。
ボリーバルが建国したグランコロンビアから、1829年11月(宣言ベース)にはベネズエラが、翌30年5月(同)にはエクアドルが分離独立した。これを主導したのは前者がパエス(*4)、後者がやはりベネズエラ人のフロレス(*5)である。パエスはもともと強力な私兵団を配下に持ちボリーバルの独立革命推進に早くから貢献してきた。ボリーバル後のベネズエラでは最大の独立の英雄だったが、それでも47年には失脚、60年に一度復権している。フロレスはボリーバルによりキト軍政官に任命された人で、ここを任されたスクレ(ボリーバルの副官)の死後、エクアドル統治を任され、分離独立したものだ。45年まで最高権力を行使した。後日亡命先で、ラ米独立国家は君主制が相応しいと行脚したことが知られる。
ボリーバルの副官、スクレ(前出)の活躍で解放されたペルーとボリビアにも強力なカウディーリョがいた。ここではボリビア人のサンタクルス(*6)とペルー人のガマラ(*7)を挙げる。前者はペルーの国家評議会議長としての経験を持ち、ペルーへの影響力もある。後者は1828年4月ボリビアに侵攻して終身大統領だったはずのスクレを追放、その後に前者が就いた。ところが35年10月、前者が後者を追放し、翌36年6月までに「ペルー・ボリビア連合」を宣言、これでチリとの戦争に発展し、39年1月までに敗退となり失脚、後者が復権したが、41年10月にボリビアに侵攻して敗死した。
以上8ヵ国の独立時の人種構成を述べると、メキシコ、ペルー、ボリビア、パラグアイは先住民が全体の過半数を占める。当時のアルゼンチン、ウルグアイでも先住民の割合は高かった。ベネズエラやエクアドルではメスティソの割合が高かったようだ。富裕な大農園主、大牧場主を中心とした武装勢力が生まれる素地があった。出自が下層でも、独立革命や内戦で軍功を挙げた人にも、十分カウディーリョになれる時代背景もあった。
独立後、住民の保護者でもあった既存の権力者が消滅し、自助努力が必要とされ、住民が武装した。これを束ねる実力者が必要とされた。何しろ広大な面積を持つ独立国で、いきなり国家最高権力者を選挙で決める政治体制に変わると、その選挙自体の公平性が証明できない中では、被選出者に対する正統性が必ず問題となってくる。主義主張の異なる人が為政者となると、それに反発する勢力が出現し、武力による政変に繋がり易い。実力、才覚に優れたカウディーリョが、国政に登場する素地も生まれる。
コロンビアでもカウディーリョ的な軍人が何人か出た。中米連邦、ドミニカ共和国にもカウディーリョは輩出した。チリは、かなり早い時期に立憲国家としての統合を進めたことから、カウディーリョの退場も非常に早かった。
人名表(別掲「独立革命」に登場した人名は除く)
(*1)フランシア(Jose Gaspar Rodriguez de Francia、1766-1840):パラグアイ。早い国家統合。17年間、最高権力者。鎖国政策
(*2)サンタアナ(Antonio Lopez de Santa Anna、1794-1876):メキシコ。スペイン人追放。アラモの戦い。フランス軍撃退。米墨戦争敗北
(*3)ロサス(Juan Manuel de Rosas、1793-1877):アルゼンチン。先住民追放。23年間、ブエノスアイレス州知事としてアルゼンチン支配。英仏軍艦介入
(*4)パエス(Jose Antonio Paez、1790-1873):ベネズエラ。独立革命の英雄。17年間、最高権力行使
(*5)フロレス(Juan Jose Flores、1800-64):エクアドル。ベネズエラ人でボリーバル副官の一人。15年間、最高権力行使
(*6)サンタクルス(Andres de Santa Cruz、1792-1865):ボリビア。インカ王室末裔とされる。ペルー・ボリビア連合樹立
(*7)ガマラ(Agustin Gamarra、1785-1841):ペルー。スクレ追放。後日サンタクルスと敵対
(*8)リベラ(Fructuoso Rivera、1785-1854):ウルグアイ。コロラド党
(*9)オリベ(Manuel Oribe、1792-1857):ウルグアイ。ブランコ党
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