ゲリラとの和平 |
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ゲリラ戦争は、革命成立、乃至は組織壊滅に至らない限り、ゲリラ側の一方的武装解除か政府側との和平成立で終息する。 (1)中米危機における和平 1983年1月、パナマのコンタドーラ島でメキシコ、コロンビア、ベネズエラ及びパナマ4ヵ国外相が集まり、「中米危機」の解決を求める、いわゆる「コンタドーラグループ」を結成、当事国の内戦停止と当事者間対話の開始、及び外国勢力の介入停止を訴えた。これが次第に国際的評価を獲得するようになっていく。 「中米危機」の終焉を、各国の内戦終焉として捉えると、 この内戦による犠牲者は;
(2)コロンビアにおける和平交渉 ペルーを除く南米軍政諸国及びベネズエラでは、ゲリラは軍政期に壊滅するか、武装放棄していた。民政移管後恩赦を受けたメンバーらは組織を政党化している。政府とゲリラの和平交渉で知られるのは、民政国コロンビアのケースだ。M-19は南米南部のゲリラと同様の都市型、FARCやELNはグァテマラ同様、地方の解放区支配型と言う点を念頭に下記する。 1982年8月、ベタンクール保守党政権(1982-86)は、ゲリラを含む政治犯の恩赦に踏み切り、ゲリラとの直接対話も開始、84年8月、ELNを除くゲリラとの休戦が成った。翌年FARCはUP(愛国連合)という政治団体結成にも主導的に参加している。一方でM-19は85年に休戦協定を破棄しゲリラ活動を再開した。 1989年11月、そのM-19が和平に応じ、90年の選挙には大統領候補まで出すに至った。ところが彼はUPの大統領候補共々、暗殺される。UPの大統領候補は4年前にも暗殺されていた。これでFARCはゲリラ活動を再開したものの、M-19は合法政党で残った。 1998年8月、12年ぶりに自由党から政権を奪還した保守党のパストラナ(1998-2002)政権は、FARCと非武装地帯を設定した。彼は就任直前、FARCトップとの交渉も行っている。前年、自警団が全国組織、AUC(コロンビア自警連合)を発足させ内戦激化が懸念されていた。彼の政権は、ELNともキューバで交渉を開始した。2001年9月、米国で9.11事件が発生する。その翌02年2月、政府軍が非武装地帯に進駐しFARCとの交渉は最終的に決裂した。 解放区支配型ゲリラが対峙するのは、国軍や警察軍のみではなく、自警団(パラミリタリー)がある。政府との和平協定に応じて武装放棄すれば、自警団からの攻撃に対して無防備になる。自由党政権時代(1986-98)の90年、結局FARCは一旦成立し6年間続けた和平を破棄した。自警団は強化される一方で、グァテマラで内戦が終結した年に逆行するかの強力な全国組織(AUC)に至っている。AUCは、左翼ゲリラを嫌悪する米国すら2002年早々にテロリスト指定した。その後、政府と武装放棄の協議に臨み、06年までに実行したと言われる。実態は不明だが、ゲリラの対政府和平は容易になった。ただウリベ政権には応じる考えは無いようだ。
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