ゲリラとの和平

 

ゲリラ戦争は、革命成立、乃至は組織壊滅に至らない限り、ゲリラ側の一方的武装解除か政府側との和平成立で終息する。
 革命成立はキューバの
M7.26とニカラグアのFSLNで、政府軍により壊滅させられた代表例としては、民政国ではベネズエラのFALN、軍政国ではアルゼンチンのERPモントネロス、及びボリビアのELNがある。
 一方的武装解除は軍政諸国が民政移管した場合よく見られる。代表例として
トゥパマロスを挙げておきたい。
 政府との和平は、民政国、乃至は政府側が民政を実現、或いは見通しが立っていることが前提だ。事実、疑似軍政国と革命後のニカラグア、及び元々民政国のコロンビア以外で、政府とゲリラとの和平成立のケースは見られない。また、よく外国政府、国連などが仲介している。

(1)中米危機における和平

19831月、パナマのコンタドーラ島でメキシコ、コロンビア、ベネズエラ及びパナマ4ヵ国外相が集まり、「中米危機」の解決を求める、いわゆる「コンタドーラグループ」を結成、当事国の内戦停止と当事者間対話の開始、及び外国勢力の介入停止を訴えた。これが次第に国際的評価を獲得するようになっていく。
 1984
6月、エルサルバドルが民政移管、851月、ニカラグアでは革命政府が民選政権に変わった。
 
 1985
7月、民政移管を果たしたブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ及びペルーがコンタドーラグループを支持するグループを形成した。両グループは8610月に「リオグループ」へ発展する。同年1月、グァテマラも民政移管、5月、アリアスコスタリカ大統領によるイニシアティヴが、当時の域内諸国の提起に基づき開始されていた。
 19878月、グァテマラのエスキプラスで中米首脳会議が開催され、内戦当事諸国における反政府勢力との対話と戦闘行為の停止に向けた和平への枠組みが「エスキプラスIIとして発表された。特定の外国による介入の排除と国際的監視団受け入れも取り決められる。お膳立てしたアリアスはその2ヵ月後にノーベル平和賞を受賞した。その後も内戦は続いていたが、当事者同士、或いは国際機関の仲介で和平協議が進められた。

「中米危機」の終焉を、各国の内戦終焉として捉えると、
 19905、ニカラグア(最終停戦協定の締結。国連は平和維持軍展開)、
 199112、エルサルバドル(最終停戦協定の締結。国連は監視団≪ONUSAL、検証ミッション≪(MINUSAL派遣)、
 19
9612、グァテマラ(包括和平協定。国連は検証ミッション≪MINUGUA、軍事監視団派遣)の順となる。

この内戦による犠牲者は;

  • グァテマラ: 10万人(80年からURNG武装解除まで。62年からだと20万人)
  • エルサルバドル:7.5万人(80年から12年間)
  • ニカラグア:  5.5万人(79年の革命成立から10年間)
と言われる。70年の人口が夫々525万人、358万人、205万人だったことを考えると、信じ難いほどの異常な数字だ。

(2)コロンビアにおける和平交渉 

ペルーを除く南米軍政諸国及びベネズエラでは、ゲリラは軍政期に壊滅するか、武装放棄していた。民政移管後恩赦を受けたメンバーらは組織を政党化している。政府とゲリラの和平交渉で知られるのは、民政国コロンビアのケースだ。M-19は南米南部のゲリラと同様の都市型、FARCELNはグァテマラ同様、地方の解放区支配型と言う点を念頭に下記する。 

19828月、ベタンクール保守党政権(1982-86)は、ゲリラを含む政治犯の恩赦に踏み切り、ゲリラとの直接対話も開始、848月、ELNを除くゲリラとの休戦が成った。翌年FARCUP(愛国連合)という政治団体結成にも主導的に参加している。一方でM-1985年に休戦協定を破棄しゲリラ活動を再開した。

198911月、そのM-19が和平に応じ、90年の選挙には大統領候補まで出すに至った。ところが彼はUPの大統領候補共々、暗殺される。UPの大統領候補は4年前にも暗殺されていた。これでFARCはゲリラ活動を再開したものの、M-19は合法政党で残った。

19988月、12年ぶりに自由党から政権を奪還した保守党のパストラナ1998-2002)政権は、FARCと非武装地帯を設定した。彼は就任直前、FARCトップとの交渉も行っている。前年、自警団が全国組織、AUC(コロンビア自警連合)を発足させ内戦激化が懸念されていた。彼の政権は、ELNともキューバで交渉を開始した。20019月、米国で9.11事件が発生する。その翌022月、政府軍が非武装地帯に進駐しFARCとの交渉は最終的に決裂した。

解放区支配型ゲリラが対峙するのは、国軍や警察軍のみではなく、自警団(パラミリタリー)がある。政府との和平協定に応じて武装放棄すれば、自警団からの攻撃に対して無防備になる。自由党政権時代(1986-98)の90年、結局FARCは一旦成立し6年間続けた和平を破棄した。自警団は強化される一方で、グァテマラで内戦が終結した年に逆行するかの強力な全国組織(AUC)に至っている。AUCは、左翼ゲリラを嫌悪する米国すら2002年早々にテロリスト指定した。その後、政府と武装放棄の協議に臨み、06年までに実行したと言われる。実態は不明だが、ゲリラの対政府和平は容易になった。ただウリベ政権には応じる考えは無いようだ。

 

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