「独立革命」は米国でもそうだが、ラテンアメリカ(ラ米、以下同)でも繰り返し語られる。革命とは、主体的に既存の社会体制を転覆し、新しい社会体制を築き上げることだ。スペインの植民地には、4つの副王直轄領と、一応副王が管掌する形にはなるが、一定の独立性が認められた4つの軍務総監(以下、総監)領の、いずれもスペイン国王を戴きながら、夫々が王国と見做される計8ヵ「国」があった。「独立」とは、宗主国の植民地支配から「解放」されることだが、ラ米の場合は、先ず夫々の王国で現地人が夫々の自治権を獲得することだった。しかしそれでは済まず、次に主権国家としての独立に突き進む。正しく「革命」である。ブラジルはポルトガル王国の皇太子によって独立した君主国になった。しかし宗主国による支配という既存体制を転覆した意味では、やはり革命といえる。
ここでは独立前夜の十八世紀末から建国期までを概観する。旧ポルトガル植民地がブラジル一国に対し、旧スペイン植民地は18ヵ国だ。その経緯についても確認しておきたい。
各国の独立記念日は古いものから以下の通り(人名は青字で、また一覧の国名を赤字で示す):
国名 |
独立記念日 |
事件 |
エクアドル |
1809年8月10日 |
独立運動勃発 |
コロンビア |
1810年7月20日 |
副王罷免。独立宣言 |
メキシコ |
1810年9月16日 |
独立運動勃発。イダルゴ「ドロレスの叫び」 |
チリ |
1810年9月18日 |
軍務総監罷免、自治政府樹立宣言 |
パラグアイ |
1811年5月15日 |
独立宣言 |
ベネズエラ |
1811年7月5日 |
同上 |
アルゼンチン |
1816年7月9日 |
同上 |
ペルー |
1821年7月28日 |
同上 |
グァテマラ |
1821年9月15日 |
同上、中米連邦として |
ホンジュラス |
エルサルバドル |
ニカラグア |
コスタリカ |
ブラジル |
1822年9月7日 |
ペドロ皇太子による「イピランガの叫び」 |
ボリビア |
1825年8月6日 |
建国宣言 |
ウルグアイ |
1825年8月25日 |
独立運動勃発、但しブラジルから |
ドミニカ共和国 |
1844年2月27日 |
独立宣言、但しハイチから |
キューバ |
1868年10月10日 |
独立運動勃発。セスペデスの「ヤラの叫び」 |
パナマ |
1903年11月3日 |
独立宣言、但しコロンビアから
|
各国の独立達成は下記9パターンに分けられよう。大きく分けると、上記独立記念日と重なる5ヵ国、「解放」によるもの6ヵ国、その他8ヵ国、となっている。
@ |
スペイン、ポルトガルからの独立宣言 |
パラグアイ(1811年5月)、アルゼンチン(1816年7月)、ブラジル(1822年9月)の3ヵ国。全て当該日が独立記念日 |
A |
サンマルティンによる解放 |
チリ(1818年4月)1ヵ国のみ |
B |
ボリーバルによる解放 |
コロンビア(1819年8月)、ベネズエラ(1821年6月)、エクアドル(1822年5月。この3ヵ国はコロンビア共和国で統合されていたが、1830年に解体)、ペルー(1824年12月)及びボリビア(1825年3月)の5ヵ国 |
C |
副王による独立承認 |
メキシコ(1821年8月)1ヵ国のみ |
D |
メキシコからの独立 |
中米連邦(1823年6月)。事実上1838年に5ヵ国に解体 |
E |
ブラジル・アルゼンチン戦争(1826-28年)の結果 |
ウルグアイ(1828年8月) |
F |
ハイチからの独立宣言 |
ドミニカ共和国(1844年2月)。当該日が独立記念日。61年3月、スペイン植民地に戻り65年5月に再独立 |
G |
米国保護国として独立 |
キューバ(1899年1月) |
H |
コロンビアからの独立宣言 |
パナマ(1903年11)。当該日が独立記念日 |
上記の内、「解放による独立達成」(A、B)、メキシコ(C)、及びキューバ(G)では激越な戦争を見た。本国軍(副王軍)には本国から派遣された兵員に数倍する現地人が加わったために、独立派と王党派による内戦の様相が強かった。
独立前夜
スペイン領独立革命の勃発
独立革命の再開
独立の完成
独立革命の纏め |