軍政時代とゲリラ戦争 本文へジャンプ


 軍部にはその時々の政権に対する忠誠が求められる。軍部自身が組織として自国政権をクーデターで転覆し国政の前面に登場する軍政は、本来認められないものだ。
 1930年代の大恐慌期、ラ米十九ヵ国の内10ヵ国で軍事クーデターが起きた。社会秩序の回復に必要、との軍部なりの見方があった。だが短期軍政を経て民政に戻したのは4ヵ国だけで、その内の3ヵ国では国政における軍部発言力が強まり、残る1ヵ国(エクアドル)はその後短期で政権が変わる不安定な政情を来たした。5ヵ国ではクーデターを主導した軍人が、1ヵ国(ブラジル)では軍部を背景とした文民政治家が、長期独裁を敷いた。これとは別に、ホンジュラスでは軍人政治家が軍部を背景に、同じく長期独裁を敷く。
 第二次大戦後、世界は東西冷戦期に突入した。1947年、「米州相互援助条約(リオ条約)」によって、米国主導の米州集団防衛体制が構築された。米州諸国は米国規格の兵器、個別の対米安全保障条約、パナマのアメリカ学校(The School of the Americas84年、米本土に移転)での研修、合同軍事演習、などで、米国の軍事システムに組み入れられた。ラ米諸国の軍部は、その時々の自国政権の政治思想や、軍人個人の思想の深層がどうあれ、親米的な価値観を抱いた。一方で米国は、社会主義圏との違いを際立たせる意味合いから、米州の民主主義ブロック化を図る(別掲のラ米と米国参照)。上記計6ヵ国の長期独裁国の内、3ヵ国が民主体制に戻った。だがその内のキューバでは52年に独裁復活、グァテマラは54年、米国CIAの関与でクーデターが起き、以後軍人が政権を担う体制に移った。この年、パラグアイで軍人個人の超長期政権が発足している。

ここで言うラ米軍政時代は、1959年に革命を成立させたキューバが62年に米州機構(OAS)から追放された後に到来した。第二、第三のキューバの出現は絶対に容認できない、とする米国の基本姿勢を、ラ米諸国の軍部は共有した。キューバを除くラ米18ヵ国の内、民主主義が根付いたチリとウルグアイまでも含む13ヵ国が、軍政、乃至は軍人政権(ここでは疑似軍政と位置付ける)となっていく。

国軍が関るものに、ゲリラ戦争がある。ゲリラとは、政府、ないしは社会体制に対する抵抗運動が武装化したものだ。ラ米には幾らでも出現した。独立革命を担ったのもいわば「宗主国政府軍」に挑んだ独立派ゲリラだ。政府と主義主張を異にするグループがゲリラ化したケースは枚挙に暇がない。二十世紀後半に結成されたゲリラを類型化すると;

  • 革命を成立:M7.26726日運動)1959年、キューバ)、FSLN(サンディニスタ民族解放戦線)1979年、ニカラグア)
  • 政党化し政権党に発展:FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)2009年、エルサルバドル)、トゥパマロス2005年、ウルグアイ。「拡大戦線」の一角)
  • 有力政党:MIR(左翼革命運動)(チリ)、M-19419日運動)(コロンビア。PDA≪民主代替の極の一角
  • 小政党:URNG(グァテマラ国民革命運動(グァテマラ)

M7.26を除く上記ゲリラは全て、キューバ革命に共鳴する民族主義、或いは左翼思想を持っており、1960年代に(FMLNURGNはその前身が)誕生した。軍政時代が開幕した時期と重なっている。ベネズエラ(FALN国民解放武装戦線など)、アルゼンチン(モントネロスなど)、ブラジル(ALN民族解放運動など)でも生まれたが、ゲリラ戦争を経て消滅した。今日でも活動しているゲリラとしては、コロンビアのFARC(コロンビア革命軍)ELN(民族解放軍)と、活動開始は民政移管後のことで、且つ現在では殆ど消えかかっているペルーのセンデロ・ルミノソMRTA(トゥパクアマルー革命運動)がある。



目次

軍政時代前夜
軍政時代

ゲリラ戦争
ゲリラとの和平