1960‐80年代の軍政時代以前にも、軍部が組織として内政の前面に出る軍政は登場した(国名を赤地で記す)。非民主的なカウディーリョ政治や、民主主義のルールに則って軍人個人が選挙で最高指導者(大統領)となって政権を担う体制は軍政とは言わないが、軍人政権が常態化した国は、一応擬似軍政国(国名を定義通りの国と区別するため、緑字で記す)として取り上げる。中米諸国、ドミニカ共和国及びキューバに集中する。パラグアイも1954年以降は同様だ。
軍人の出自は、一般的に中間層以下の非エリートだ。寡頭支配(オリガキー)への反発がある。識字率が低かった時代に軍隊で教育も受けた。将校らは士官学校で高等教育も受けた。中米ではコスタリカを除くと、軍部が国政を担う政治文化すら育った。南米でもベネズエラはそうだった。かかる政治文化こそ無い国でも、社会秩序の守護を自認する軍人は多かった。
(1)世界恐慌(大恐慌、以下同)前の軍政
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国名 |
状況 |
① |
ペルー |
労働者寄り政策運営を進めていた大統領を軍指導部が追放。オリガキーに利する軍政、といえる。 |
1914年2月-15年8月 |
② |
ボリビア |
錫財閥の意向を汲んだ自由党政権に反発する新興の共和党の反政府行動に、軍部が参加したもの |
1920年7月-21年1月 |
③ |
チリ |
いわゆる「議会共和国」(寡頭勢力の牙城たる議会が行政府の政権運営に介入)状態の解消を狙ったイバニェス(*1)将軍によるクーデター。議会が追放したアレッサンドリ大統領を復権させるまでの短期軍政 |
1924年9月-25年3月 |
④ |
エクアドル |
グァヤキルの金融資本を基盤とする自由党政権に反発する若手将校を中心にしたクーデターで成立(「七月革命」) |
1925年7月-26年1月 |
(注番が無い人名はラ米略史参照、以下、同)
いずれも半年内外で文民への政権移譲を行っている。ペルーのケースを除くと、オリガキーに反発する若手将校によるクーデターと言える。この頃、ブラジルでも幾つかの駐屯地で若手将校らが反乱を起こしていた。
(2)大恐慌期に始まった軍政
大恐慌期の1930年代、ラ米各地がクーデターに見舞われた。緑字で国名を記した5ヵ国では、その指導者らが自らの長期独裁政権に繋げた。
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国名・長期独裁・期間 |
状況と推移 |
① |
ドミニカ共和国 |
8年間に亘る米軍統治の終了と共に1925年に発足した政権が長期化することに反対する勢力の反乱に当たり、トルヒーヨ国家警備隊長官が政府命令を拒み中立を宣言。大統領亡命後、実権を掌握した事実上のクーデター。彼の独裁は暗殺される61年5月まで続いた。 |
トルヒーヨ*2 |
30年2月-61年5月 |
② |
ペルー |
19年からのレギーア独裁に若手将校らが反発。クーデター指導者のサンチェス・セロ(*3)が、軍政首班を経て31年10月の選挙でアヤデラトーレ(別掲ラ米のポピュリスト参照。著名ポプリスタは紫字で表示)を制して大統領になり、33年4月にアプラ党過激派に暗殺され、軍政に戻る、という経緯を辿る |
30年8月-31年12月 |
33年4月-39年12月 |
③ |
ボリビア |
30年のクーデターは、軍部が当時の政権の政策運営を危惧したもの、36年のそれはパラグアイとの「チャコ戦争」(32-35年。別掲の「ラ米の戦争と軍部」二十世紀の国家間戦争参照)で敗退した責任を軍部が当時の政権に負わせたもので、以後、軍部影響力が高まった。軍内でも権力闘争が繰り返される。43年12月-47年1月はパス・エステンソロ(別掲「ラ米の革命」ボリビア革命。革命指導者も紫字表示)率いる民族解放運動(MNR)との共闘 |
30年6月-31年3月 |
36年5月-47年1月 |
④ |
アルゼンチン |
30年クーデターはイリゴージェン第二次政権の政策運営を危惧したもの。以後、軍部影響力が高まる。
32-38年のフスト大統領は軍人。いわゆる「協調政府」が構築され後任の文民大統領に引き継がれると、協調政府を嫌う若手将校に動かされた軍部が43年、クーデターを決行、軍政に戻る。ペロンが台頭するのは、この軍政において、である。 |
30年9月-32年2月 |
43年6月-46年2月 |
⑤ |
エクアドル |
上記の「七月革命」後、軍部自身が発足させたアヨラ政権の政策運営を危惧したクーデター |
31年8月-32年12月 |
⑥ |
グァテマラ |
歴史的に、軍人、或いは文民でも軍部を背景とした強権政府が続いていた。ウビコは治安維持のため大統領直属の国家警察を創設し、反政府運動を弾圧。
44年7月、市民運動による反政府デモで流血、辞任 |
ウビコ*4 |
30年12月-44年7月 |
⑦ |
エルサルバドル |
政治的には典型的な寡頭支配(オリガキー)大統領を退陣に追い込む事実上のクーデター。
32年1月に首都と農村部で、軍事施設への襲撃を含む大暴動を虐殺で弾圧(「大殺戮Matanza」)。本人は44年4月、大規模な反独裁ゼネストで経済麻痺に陥り、翌5月辞任に追い込まれた。軍人大統領が常態化(~82年) |
エルナンデス*5 |
31年12月-44年5月 |
⑧ |
キューバ |
1933年8月のいわゆる「1933年革命」(当時のマチャード独裁政権を転覆)で成立したグラウ・サンマルティン革命政府に対するクーデター。34年5月、米国がキューバ憲法上の「プラッツ修正条項」破棄を認めた。フランクリン・ルーズベルトの善隣政策が反映されたもの。バティスタは一旦退くが、52年に再クーデター。これがカストロの革命運動に繋がる(以上、バティスタ含む人名は別掲「ラ米の革命」のキューバ革命) |
バティスタ |
34年1月-58年12月
(44-52年中断) |
⑨ |
パラグアイ |
ボリビアとのチャコ戦争に勝利した直後の36年2月、同戦争の英雄、フランコ大佐(*6)によるクーデターが起きている。「二月革命」と呼ばれる。本人は1年半で追放されたが、軍人政権がこの国で常態化する。 |
36年2月-49年9月 |
⑩ |
ニカラグア |
20年にも及ぶ事実上の米軍統治が終わり33年に就任した大統領を国家警備隊長官のソモサが追放し、実権を掌握する事実上のクーデター。56年に暗殺されるが、実権は国家警備隊を背景に、彼の長男、次男へと引き継がれる(~1979年。人名はソモサ含め、別掲「ラ米の革命」のニカラグア革命参照)。 |
ソモサ |
36年6月-56年9月 |
上記9ヵ国に加え、1930年11月のブラジルの「ヴァルガス革命」で生まれた文民のヴァルガス長期政権(~45年11月。別掲「ポプリスタたち」ヴァルガスとカルデナス参照)には、若手将校が背後に控えていた。ホンジュラスではクーデターは経なかったが、国民党の指導者カリアス(*7)将軍が33年2月から48年1月までの長期政権を築いた。
(3)第二次世界大戦後の軍政
世界大戦はファシズム、ナチズム、軍国主義の、非民主的な国家主義が惹き起こしたとの認識が強い米国は、世界の民主化を呼び掛けた。おひざ元の西半球の民主化も喫緊の課題で、1945年時点で軍政乃至は独裁体制が続いていたのはホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドル、ドミニカ共和国、ボリビア(47年まで)、アルゼンチン(46年まで)及びパラグアイの7ヵ国に留まっていた。3年経ち、55年までの間に6ヵ国でクーデターが起きる。
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国名・期間 |
状況と推移 |
① |
ペルー |
アプラ党抵抗運動激化の中で、国情不安を理由に、当時首相のオドリーア(*8)将軍が蜂起、大統領追放後実権掌握、50年、形式上立憲大統領に就任。任期(6年間)満了後、民政移管 |
48年10月-56年7月 |
② |
ベネズエラ |
48年2月発足した民選文民政権(同国史上初。45年10月クーデターで成立したベタンクール首班の革命評議会政権下の選挙を経たもの)をペレス・ヒメネス(*9)将軍が転覆。58年1月、市民行動で失脚 |
48年11月-58年1月 |
③ |
コロンビア |
同国は48年4月のガイタン暗殺後「ビオレンシア」の時代に入った。保守党政権下、司令官を解任されたロハス・ピニリャ(*10)がクーデターで政権を掌握。民政移管は彼の失脚(58年6月)の2ヵ月後 |
1953年6月-58年8月 |
④ |
パラグアイ |
「二月革命」後の政情不安を経て40年代に一応の国情安定と文民政権復活をみたが、54年5月のクーデターを主導したストロエスネル(*11)将軍が、以後35年間に亘る超長期政権を担うことになる。 |
54年5月-89年2月 |
⑤ |
グァテマラ |
44年のいわゆる「グァテマラ革命」で漸く同国で民主主義体制が整ったが、54年6月、その二代目大統領で44年革命を主導したアルベンスが亡命していたアルマス(*12)将軍により追放された。アルマス軍政後も大統領には軍人が(一部を除き)選挙を経て就任する政治体制となる(~1986年) |
1954年6月-58年3月 |
⑥ |
アルゼンチン |
55年9月、クーデターでペロン追放、ペロン党も非合法化された。だが58年に再合法化され62年2月の議会選挙で第一党に躍り出た。翌3月のクーデターは、これを嫌ったもの |
55年9月-58年2月 |
62年3月-63年7月 |
人名表(キューバ革命及びニカラグア革命の登場人物は「ラ米の革命」参照)
(*1)サンチェス・セロ(Luis Sánchez Cerro、1894-1933):ペルー。
11年間のレギーア政権転覆。民選の軍人大統領(31年12月‐33年4月)。
(*2)トルヒーヨ(Rafael
Leonidas Trujillo、1891-1961)、ドミニカ共和国。
国家警備隊長官出身。表面上退陣した期間を含め31年間の最高権力
(*3)ウビコ(Jorge Ubico
Castañeda、1878-1946)、グァテマラ。1930年クー
デター後議会により大統領に選出された将軍。
(*4)エルナンデス(Maximiliano
Hernández、1882-1966)、エルサルバドル。
それまでの寡頭支配に対して軍人が国政を担う体制を構築。以後軍人大統
領が一般化
(*5)フランコ(Rafael
Franco 1897-1873)、パラグアイ。
チャコ戦争後の若手将校指導者。農地改革、労働立法など推進、彼の政治
姿勢に共鳴する勢力が「二月党」結成
(*6)オドリーア(Manuel Apolinario
Odría Amoretti、1897-1974)、ペルー。
クーデターで政権に就いた(48年10月-56年7月)が、1950年に民政大統
領になるとペロンに似たポプリスモ政策をとったことで知られる。
(*7)ペレス・ヒメネス(Marcos Pérez Jiménez、1914-2001)、ベネズエラ。
民主化実現のためベタンクールと共闘した若手将校、後、彼を追放し独裁
(48年11月-58年1月 )
(*8)ロハス・ピニリャ(Gustavo Rojas Pinilla、1900-75)、コロンビア。
同国では十九世紀央以来、初めてクーデターで政権獲得(53年6月-57年
6月)した将軍。ペロンに似たポプリスタ傾向で知られる。
(*9)ストロエスネル(Alfredo
Stroessner、1912-2006):パラグアイ。
1954年に事実上のクーデターで政権掌握、89年までの大半は大統領とし
て形の上で連続再選を繰り返す。
(*10)アルマス(Carlos Castillo Armas、1913-57):グァテマラ。
1944年の「グァテマラ革命」で敗退し亡命した政府軍将校。アルベンス政
権転覆に米国CIA支援があったことは有名
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