ラ米のポピュリストたち 本文へジャンプ
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 日本人の感覚からすればポピュリストとは「大衆迎合政治家」であり、響きは良くない。現在のラ米政治もポピュリズムが蔓延している、といわれる。貧富差が大きく貧困層の割合が高い国で普通選挙が行われれば、補助金給付、教育・医療費用減免、失業対策事業、所得引き上げなど、耳当たりの良い政策を訴える候補者が勝利するのは自然の流れで、だから左派、中道左派政権が幅を利かせる、と続く。だがここで紹介するポピュリストのニュアンスは違う。「ラテンアメリカを知る事典」で「ポピュリズム」を以下のように紹介する。

@ 労働者、中間層、一部上流階級を含む多階級的支持基盤を有し、
A 民族主義及び反帝国主義(レーニンが唱えた帝国主義とは異なる)のイ
  デオロギーを標榜し、
B
 農地改革、労働者保護政策を通じ「大衆の生活水準向上」を企画し、
C 階級闘争よりは「階級調和」を重視(共産主義とは一線を隔す)する
D カリスマ的リーダーが存在する政治運動

 強いナショナリズムとそのリーダーのカリスマ性が特徴だ。時代としては1930年代から50年代にかけて、であり、建国期のカウディーリョ時代から一世紀前後経過している。イメージギャップを避けるため、このホームページでは敢えてポピュリズムを「ポプリズモ(
Populismo)」、そのリーダーを「ポプリスタ(Populista)」とスペイン語・ポルトガル語表記する。カウディーリョとポプリスタには、カリスマ的なリーダーシップという共通性が見られる。


 ラ米諸国は独立以来、資源輸出が牽引する経済構造だった。独立革命と建国初期のカウディーリョ間抗争で、メキシコの場合はこれに対米、対仏戦争が加わり、国土が疲弊、輸出が激減し深刻な経済後退をみた。建国後期には、全体として、曲がりなりにも国情が安定し経済発展期に入る。おりしも世界は海上輸送がそれまでの帆船時代から蒸気船時代に変わり、大量・高速化が進んでいた。欧米では産業革命が進行、工業原料・エネルギー資源(原油、金属資源、硝石、綿花、羊毛など)、及び増大する人口と向上する生活水準に合わせる食料資源(穀物、果実、砂糖、コーヒー、カカオなど)と嗜好品(タバコ、アルコールなど)の供給元として、さらには自らの工業製品の販売市場としてラ米新興国に着目した。
 急増する需要に見合う供給体制を整えるには、ラ米諸国にも国内輸送の大量・高速化を図る必要があった。先ず鉄道建設が進む。これには巨額資金を要した。そこに外資が進出した。港湾整備も必要だ。貿易規模が急拡大するには、銀行、保険業務の整備も要った。電気通信のインフラも然りだ。ここにも外資は進出した。外資は資源分野にも進出してきた。英米の石油資本、米国の非鉄金属資本と食料資本などが知られる。経済を牽引すべき輸出産業が外資に支配される構図だ。これには投資・貿易の自由主義という前提がある。国内産業振興を図る保護貿易は論外で、ラ米はどこも経済自由主義を受け容れた。
 結果的にラ米は、先進諸国の周縁国となった。先進諸国の原料と食糧を供給し、工業品を輸入する経済パターンである。
これはラ米に以下のような変化をもたらした。

@ 都市化。商店主、手工業者、技師、医者、教師、法律家、他専門家など
  の都市中間層が社会の一大勢力となっていく。
A 労働者層の急増。鉄道、道路、港湾、海運、都市インフラ部門、農業部門
B ナショナリズム。対外従属の進行による必然


 カウディーリョの時代が終わると、政治権力は最終的に大農園主、大商人、鉱山主などの経済的基盤を持つ有力者に集中するようになり、寡頭支配(オリガキー)の時代に移る。代表制民主主義の形を採るが、選挙権は資産要件を満たす男性に限定されていた。寡頭勢力は外資と自由主義輸出経済を歓迎した。だが、急増する都市中間層や労働者層が、地域に根差した権力構造を必然的に変えるようになる。知識階級は、外資による国富の流出に反発した。彼らを糾合する指導者には、カウディーリョに似た強いカリスマ性が求められた。



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ポプリスタ輩出の社会背景
ヴァルガスとカルデナス
アヤ、ベラスコ・イバラ、ガイタン
ペロンとベタンクール