1962年1月にキューバが米州機構(OAS)から除名された。これと前後してラ米各地で反政府ゲリラが誕生した。これ以降の軍政成立を時系列で見ていく。軍政諸国名は赤字、その時点で軍人大統領の政権が常態化していた、いわば擬似軍政諸国(下記4ヵ国)は緑字で表示する。なお人名表では軍人のみ記す。一部別掲ラ米の革命及びラ米のポピュリストと重複する。
- ニカラグア:ソモサ家支配
- エルサルバドル:31年からのエルナンデス独裁期間を含め、大統領は全て軍人
- グァテマラ:54年のアルマス将軍クーデター以降、大統領は全て軍人
- パラグアイ:54年からストロエスネル(前述)将軍による超長期政権
(1)1960年代に軍政化した諸国
- 1963年7月、エクアドル(別掲参照):政情不安を理由にカストロ・ヒホン(*1)提督がベラスコ・イバラ大統領追放で第一次軍政開始(~66年3月)
- 1963年10月、ホンジュラス:左派勢力の台頭を危惧、クーデターでアレヤーノ(*2)大佐が軍政開始、78年以降は軍事評議会による軍政(~82年1月)
- 1964年4月、ブラジル:グラール大統領の左派的傾向を危惧。カステロ・ブランコ(*3)元帥によるクーデターで軍政開始(~85年3月)。67年以降は、公認の二大政党による議会や選挙人が3年、乃至5年の任期で強力な権限を持つ大統領を選出(大統領の資格要件を軍人に限定)
- 1964年11月、ボリビア:副大統領のバリエントス(*4)司令官が、ボリビア革命再建を標榜しパス・エステンソロ(前述)大統領を追放。69年4月の同司令官の飛行機事故死の後、軍内クーデターで軍政は左派、右派と変化(~82年10月)
- 1966年6月、アルゼンチン:キューバ革命後、労組を押さえる「ペロニスタ(ペロン主義者)」の活動が過激化、65年、合法化されていたペロン党が議会第一党になったことに危惧を抱き、オンガニア(*5)将軍によるクーデターで第一次軍政開始(~73年5月)
- 1968年10月、ペルー:ベラスコ(*6)将軍が米系石油会社との密約疑惑で揺れるベラウンデ・テリー政権を嫌気しクーデターを起こす。いわゆる「ペルーモデル」軍政。彼の失脚後、政治路線は変化(~80年7月)
- 1968年10月、パナマ:政界内紛の中で政権を発足させた大統領をトリホス(*7)国家警備隊長官が追放したもの(~78年10月。以後はコレヒミエントと呼ぶ議会が文民大統領を指名するため、形式上は民政移管されたことになる)。彼の軍政下で対米パナマ運河譲渡の新運河条約、いわゆる「トリホス・カーター協定」が調印される。
ブラジル軍政は、市場主義経済を信奉するテクノクラートに経済政策を委ねる、「ブラジルモデル」と呼ばれるスキームを構築した。「ブラジルの奇跡」と言われる経済成長は、このスキームの賜物とされる。軍政入りしたボリビアには、チェ・ゲバラが潜入し、67年2月頃よりゲリラ活動に入ったが挫折、同年10月、逮捕され処刑されている。
ペルーのベラスコ軍政は、当時発足済みのラ米軍政とは性格が異なっている。ペルーモデルはボリビアにも伝播(但し、71年8月の軍部内ク-デターで挫折する)、後述のエクアドル第二次軍政も志向した。パナマのトリホス軍政は、民族主義傾向の強さではベラスコ軍政に似る。これがパナマ運河に関わる対米強硬姿勢に繋がる。労働法の整備や土地再分配も行った。一方、国際金融センターを立ち上げるなど、自由主義経済を奉じている。
(2)1970年代軍政化した諸国
- 1972年2月、エクアドル:第五次政権に就いていたベラスコ・イバラ大統領をロドリゲス・ララ(*8)国軍最高司令官がクーデターで追放。第二次軍政開始(~79年8月)。ペルーのベラスコ軍政を意識した政策運営
- 1973年6月、ウルグアイ:「トゥパマロス」との戦争状態、を理由に、ボルダベリー(*9)大統領が事実上の軍政に入り、76年6月からは形の上では軍民代表から成る国家評議会が大統領を指名する軍政(~85年3月)
- 1973年9月、チリ:国情混乱を理由にアジェンデ政権がピノチェト(*10)将軍によるクーデーで崩壊(~90年3月)。ピノチェト将軍個人が全期間の最高権力者、という意味で、他軍政と性格を異にする。「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれる自由主義経済学の信奉者を経済運営に起用、ブラジルモデルの市場主義を深化させた。
- 1976年3月、アルゼンチン:民政化の国情不安を理由にビデラ(*11)将軍を首班とする軍事評議会が政権を掌握、第二次軍政(~83年12月)
軍政は通常、軍部が組織として政権を担う政治体制を言う。概ね軍事評議会首班が大統領に相当する。だが1976年段階でキューバを除くラ米18ヵ国で13ヵ国に上った軍政諸国の大統領相当者は、決まり方が国によって異なった。概ね下記の形態がある。
- 民選:擬似軍政4ヵ国とホンジュラス。ニカラグアはソモサ家による院政を含む。パラグアイはストロエスネル個人の連続多選。グァテマラ及びエルサルバドルは強力な対立候補有り。ホンジュラスは12年間のアレヤーノ時代の内の6年間のみ
- 民選議会による選出:ブラジル。但し、与党と公認野党の二大政党制による議会であり、選出されるのは軍組織トップのみ
- 国家評議会による選出:ウルグアイ。軍民代表によるもので、実際には軍部が決定
- 軍事評議会の指名:アルゼンチン。軍部最高位者が大統領になる。第二次軍政は、反対派弾圧が3万人とも言われる行方不明者(Desaparecidos)に繋がり悪名高い
- 個人独裁:チリ、ペルー、パナマ。ピノチェト軍政による反対派弾圧は、犠牲者3千人超、と言われアルゼンチン同様悪名高い。パナマのトリホス(最高指導者)時代、別の文民を、72-78年は軍部が、78年からはコレヒミエントと呼ばれる地域代表者会議が、大統領に指名した。他2国は、大統領選出に機関決定無し。
- 軍内クーデター出現:ボリビア。バリエントスだけは民選を経験し、彼の死後は軍内クーデターによる政権交代繰り返しで、その指導者が選挙も機関決定も経ずに政権を担う。
- 性格が変わる2度の軍政:エクアドル。いずれもベラスコ・イバラ政権の転覆で共通、軍人個人が選挙や機関決定を経ずに政権を引っ張るが、第一次は右派、第二次は左派。
人名表(軍政に関った重要な軍人。(*9)は文民)
(*1) カストロ・ヒホン(Ramón Castro
Jijón、1915-84):エクアドル。ベラスコ・イ
バラ第四次政権転覆のクーデターを指導した提督。
(*2) アレヤーノ(Oswaldo López Arellano、1921-96):ホンジュラス。65年、大統領
に選任(~71年)。72年、再クーデターで復活。75年4月、贈収賄事件への関与
疑惑で失脚
(*3) カステロ・ブランコ(Humberto de Alencar Castello Branco、1900-67):
ブラジル。1964年のクーデター時、国軍最高司令官、66年10月に交替
(*4) バリエントス(René Barientos、1919-69):ボリビア。1964年のクーデター実
行者
(*5) オンガニア(Juan Carlos Onganía、1914-95):アルゼンチン。後述の「コルド
バソ」を経て起きた元大統領暗殺事件からほどない70年6月に退陣
(*6) ベラスコ(Juan Velasco Alvarado、1910-77):ペルー。1968年のクーデター指
導者。ラ米軍政で左派路線を採った初めての最高権力者として知られる。
(*7)トリホス(Omar Efraín Torrijos Herrera、1929‐81):パナマ。1968年のクーデ
ターを率いた国家警備隊総司令官。81年、航空機事故で死去。後に息が大統領
(2004-2009)
(*8)ロドリゲス・ララ(Guillermo
Rodríguez Lara、1924~):エクアドル。ベラスコ
・イバラの五度目の政権を葬ったクーデター時、国軍最高司令官。
(*9)ボルダベリー(Juan María Bordaberry、1928~):ウルグアイ。大統領(1972-
76)。文民だが軍部を政権に取り込む。76年6月、追放される。
(*10)ビデラ(Jorge Rafael Videla
Redondo 、1925~):アルゼンチン。同国史上最長
の5年間、軍政首班を努める。次項で述べるいわゆる「汚い戦争」で知られる。(*11)ピノチェト(Augusto Pinochet、1915-2006):チリ。1973年のクーデター指導
者で、16年間に及ぶ軍政の唯一の最高権力者。市場主義経済を根付かせる。
グラール((Joāo
Belchior Marques Goulart、1919-76。ブラジル)はラ米のポピュリストのヴァルガスとカルデナス、ベラウンデ・テリー(Fernando
Belaúnde Terry、1912-2002。ペルー)及びアジェンデ(Salvador Allende、1908-73。チリ)はラ米の革命のペルーとチリの「革命」、チェ・ゲバラ(Ernesto Che
Guevarra、1928-1967。キューバ、アルゼンチン人)は同キューバ革命参照
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