ラ米の人種混交 |
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前記アメリカ博物館は180年前の人種構成(キューバとドミニカ共和国を除く)も、白人、先住民、黒人、及び混血という別け方で表し、合計520万人とした。全体の4分の1という見当で、先住民を3割以上下回り、白人を4割近く上回り、黒人の2倍以上となっている。それから180年後の今日、対白人ではさほど変っていないが、対先住民では5倍近くに、対黒人では13倍になった。しかしこれも、地域的には大きな差異が見られる。 スペイン植民地では、前述したように白人社会と先住民社会が、制度上切り離されていたが、メスティソは生まれた。下記を指摘しておきたい。
メスティソは、白人の父親の社会的地位、先住民の母親の社会的地位、嫡出か私生児かなどで、立場や経済的環境が天と地ほども違った。ただ、スペイン語と先住民の言語が話せる人が多かった。嫡出の場合は白人社会に居住し、父親の庇護を受けた。感覚的には白人であり、母親を介して先住民社会(República de los Índios)への同化も進む。私生児の多くは母親とともに先住民社会に居住したが、貢納や賦役の義務が無いため、浮き上がった存在となる。白人所有の農園などに雇用され、或いは都市に出て下働きに就いた。底辺にあって貧しいなりに、やはり白人社会文化に同化していく。独立革命は、参戦し、英雄になっていくメスティソが輩出した。大統領になったメスティソも多い。 スペイン植民地では黒人は白人社会(República de los Españoles)に属した。従ってムラートが生まれることは自然の流れでもあった。だが先住民ほどの混交率には至らなかったのではあるまいか。スペイン植民地の倍以上の奴隷を輸入したブラジルでは、180年前、ムラートの数は黒人の3分の1で、白人数を15%ほど下回っていた。メスティソが白人を上回っていたスペイン植民地に比べ、混交率は低かったといえる。先住民とは異なり奴隷身分が多かったこともあろう。奴隷輸入の大半が1791年以降、というキューバはもっと低かったと思われる。 スペイン植民地では白人社会に属する、とは言え、白人同様、黒人も先住民と交わる機会は多く、サンボが生まれた。コロンビア、ベネズエラ及びエクアドルに多い。またニカラグアを中心とした中米カリブ沿岸一帯のガリフナ(Garifuna。アラワク系先住民と黒人との混血)も知っておきたい。多くの黒人奴隷が入ったメキシコやペルーにもサンボは多い。 ラ米は、本項冒頭に述べたように、様々な混交を経た多様な人種の坩堝だ。広大で、地勢も天候も多様なだけに、人種構成にも地域的多様性がある。
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