アドリブな日々 Back Number 2004
 

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  2004.12.18    年末になると以前程ではないにしてもやっぱり道路工事が増えてきますよね。最近この道路工事のいろんな機材が以前のものとかわってきているのに皆さんお気付きでしょうか?ちょっとリッチそうな現場では工事箇所の手前でダルそうに旗を振ってたオッチャンの変わりに電光掲示の機械、しかも実際に交通整備の人が旗を振っている様子をムービーに収め、それをデッカイ電光掲示板上で再生しているもんですから遠目でもよく分かって安全上大変よろしいと思います。ですが中にはちと大袈裟なのもありまして、こないだ仕事帰りの甲州街道でみたやつは、オッチャンがえらいデカイ旗を思いっきり、ホンマ思いっきり左右に振りまくっていました。それもグッと振りかぶってとりゃ〜、ぶんっっ、逆に構えてうりゃ〜、ぶんっっっ、腰を入れて右袈裟、左袈裟といった感じでしょかまあ旗を振る映像というのは電光掲示的には初期段階の撮影だったでしょうから撮られる方も張り切ったんでしょな。ま、面白かったです。で、さらに最近発見した電光掲示の新パターンは必殺、徐行、です。これは最初映像の意味がよく分からなかったのですが、「徐行」と書かれた布が下から上にするするっと出てくる映像なんですわ。でもやはりムービーっぽいリアル映像なんでよく見るとヘルメットをかぶったオッチャンが両手でその布を広げた状態でスクワットしてたんですね。オッチャンがしゃがんで、立ち上がって「徐行」!、オッチャン沈んで、立ち上がって「徐行」! んもーオッチャン、超かわいー。という訳で慌ただしい年の瀬にふとふいた和みの風でした。今年もご愛読ありがとうございました。みなさま、今年あと僅かそして新しい年もすこやかに元気にお過ごしください。  
     
 
  2004.12.07    私の家の近くには弱小スーパーとしてスーパー共栄というお店があります。ちょっと歩いた先に天下の東急マーケットありそいつが幅をきかせているので大半のお客はそちらに取られていてかわいそうなのですが、潰れずによく頑張っています。私はどちらかというとスーパー共栄派なのですがそこに変なレジ係りがいます。ここ半年ぐらいちょくちょく遭遇するその彼は年は20才前後、ちょっと小太りの色の白い床屋さんカットの男の子です。他のレジ係りはオバチャンばっかりで、若い男性としてはちょっと物足りない職場かな、という感じですが彼にはそういうことは気にならないようです。そう、彼はレジ係りに命をかけている様子なのです。
 はじめて彼のラインに並んだ時は奴のレジさばきが素早すぎて財布からお金を出すのにあせりました。かといって決してつっけんどんな応対ではなく、言葉遣いはとてもおだやかです。とは逆に動きは早すぎ。最近は面白くなってきたのでよく観察するようになりましたが、奴の動きは一言でいうと、五倍速の太極拳。舞いとレジとの融合。といったとこでしょうか。まず、レジでは前客の空になったカゴに次の客の商品を入れていきますが、彼のラインではこのカゴがまずシュタッと移動します。それも動き的にはシュタッ、ピッッといった手首の動きが入っています。つぎにその手首をクイッとしならせて商品を手にとり読み取り機にあてていきます。サッ(手に持って)、クイッ(手首反転)、ピッ(静止、読み取り)、パッ(持ち手の移動)、クイッ(再び手首反転)、コソッ(カゴに移動)。この一連の動作が最後の商品まで続きます。そして読み取り終了と同時に左手でレジの小計ボタンを押しながら『お会計は〜〜になります』といいながらすこし反らせた右手をファサ〜といった感じで横移動(これがナベのお気に入り)させながら開いたレジの上に音もなく置きます。ここでおもろいなあーとぼんやり眺めてた客があせります。慌ててお金を取り出し客がお皿に置くやいなや、奴の音無しの右手が素早くしなやかにシュピッとお金をかっさらい、まずクリップにホールド、と同時にマシンみたいに次々に釣り銭を左手に入れていきます。無論全ての動きはクイッ入りです。そしてフィニッシュ、半円を描くように右手を繰り出しそこに客が手を出すと一呼吸置いてクイッと落ちてきた奴の左手がお釣を置きます。まるで優雅な日本舞いを眺めているかの如しですね。 昨日はその一連の動きを後ろのオバチャンレジ係りが迷惑そうに見ていたのが印象的でした。奴ってやっぱりこの店で浮いてるのかなあ。やめないでほしいなあ。
 
     
 
  2004.11.17    さあだんだんと大阪の街に近づいてまいりました。米原駅でたっぷりと寝たのでこの日はかなりパワフルな勢いで一路大坂を目指します。路面はこの5日間の中でもかなり最悪で昨日の降雪でびちゃびちゃです。でもよく頑張ってくれたよなあ、チャリンコ君。このちゃりのグレードはなんの変哲もないただの6段変速の通学用の自転車なので本来は自宅から半径20Km以上の範囲から出ちゃいかんのですよ。苦労をかけるよなー。でもとりあえず宮崎までようやく1/3の距離を走破しました。夕方になんとか大坂の枚方に着くとその日は高校時代の友人が入っている学生寮に泊めてもらおうと勝手に決めてました。が、な、なんとヤツはさっさと里帰りしておるではないですか。でも若い時代の友達とは実にいいものです。その学生寮には一人だけまだ田舎に帰らずにくすぶっていたヤツがいて、そいつがフラ?と廊下にでてきました。「おう、渡辺やないか。どないしたん?」「いやあ、かくかくしかじか〜」「ああ、ほんまか。ならウチ泊まっていくか?」いやあ、ひろう神さんアリですね。すっかり落胆していたトコなんで思わずそいつの胸に飛び込んで泣いてしまいそうでしたよ。でもそれをしたら泊めてくれなかったでしょうな。結局そいつの男気のおかげですっかり里心がつき、一泊のつもりがずうずうしくも3日も泊まっちまいました。しかもカネないので晩飯の出前一丁もそいつの貴重なストックからわけてもらい、しかもそのまま食おうとしたら、「ちょっと、待ちいや。野菜入れへんかったらウマないで〜。」と、そいつが自ら野菜をいためてくれ、実にリッチな食事にありつくことができました。たった3日とただのインスタントラーメンでしたが、彼こそはナベの一生の中で忘れることのできない人です。吉田拓よ、元気にしとるかなー?  
     
 
  2004.11.03    さて浜松での恐怖の一夜が明け、次の日はまたまた快晴。その頃になるとだんだんチャリ生活も慣れてきてマップを見ながらルンルンで自転車を漕いでいきました。ひとつには浜松から当分平地が広がるので今までに比べたらかなりラクチン。顔に当たる冬の清涼な空気を胸一杯吸い込みながら、これだよ、この感じだよ、旅はいいネエ〜と一人上機嫌でした。だども、やはり一日ずつちゃんと試練の時があるみたいで、その日は夕暮れせまる岐阜の大地をちゃりちゃり進んでた迄が身も心も快適タイムで関ヶ原を超えるあたりからまたまた雲行きが怪しくなってまいりました。なんとあんだけ晴れてたのに、夜になると雪が降ってまいりました。それもかなり力一杯降ってきまして、あっという間に山の中は銀世界。まあなんてロマンチックなぞと言ってる場合ではなくなってきました。なにせ歩道と車道の段差すらわかんないくらいに一瞬で降り積もってくれたので、まあたいした豪雪ですよ。ペダルをこいでもタイヤがスリップスリップするし坂道でスピードが出ないからすぐ失速してコケるし、下りではまたスリップスリップしてコケるし、もうあまりにも腹がたって2.3度自転車をなげましたね。そんな感じで関ヶ原を超えて米原につくまでの5,6時間はトラックにひかれそうになりながら、そして全身雪だらけになりながらのスリル満点でございました。そういえばコケた弾みでチェーンもはずれてくれたなあ。なんか困ってる時って次から次にヤなこと起きませんか?あれってほんま腹立ちますけどそれを乗り越えようとしてじっと耐えているけなげな自分に酔いしれませんか?こうして若者は逞しくなっていくんでしょな。その日は米原駅に寝床をもうけました。当時はまだ深夜列車が米原に停車していた関係かどうか、駅のちいさな待ち合い室が終夜解放されていました。そこにはストーブがあったのでもうヤッタ〜、俺はついにやったよ、という気分になりました。関ヶ原の見えない悪魔に打ち勝った気分でした。まあおおげさですが。その夜は警察官の職務質問もありましたが、東京から九州に自転車で向かっているという話をしてまたもや同情をひいて待ち合い室で寝ることを大目にみてもらいました。そしてその夜は列車待ちの人の話す方言とストーブのぬくもりに囲まれていつしかナベは深い眠りにつきました。なんていい話なんだろう。  
     
 
  2004.10.14    静岡のオジサマたちとの心暖まる交流もありの、でも相変わらずこの旅行を支えるのは自分の脚と相棒の自転車のみという過酷なチャリンコツアー第3日目です。以前私はウォークマンを聴きながら自転車で徘徊すると言うお話をしましたが、今回は第1日目の早い段階で荷台の荷崩れが発生ししかも気付くのが遅れたため慌てて戻った時には産業道路を爆走するトラック達に踏みつぶされまくっておりました。のでこの旅は音楽ナシ!ひたすら漕ぐ!昼間は距離を稼ぐのと坂道をクリアーする事で必死です。のでほんと車の排気ガスと騒音の思い出しかないんですよ。むしろ日が暮れてから交通量が減ってからの方が元気だったような気がします。でこの日の野宿先ですがな、な、なんと廃虚を選びました。もうなんか疲れとお尻が割れて痛いのとで普通の感覚がマヒしてもうオバケなんか全く怖くなくなってたんじゃなかろうか。むしろ寝ているところを人に見つかる事の方が怖く感じましたね。何されるかわかんないですからね。ということでだんだんとルンペンも板についてきました。幹線を外れて農道みたいな侘びしい道をチャリリリ〜て漕いでいき、さらに小道に入った先の脇に、壁が崩れ屋根は半分吹っ飛んだ一軒家、まさに超廃虚がありました。しかも周囲に人家はナシ、怨霊にとっては一等地みたいな環境です。その日は星が出ていたのですが箱根でひどい目に遭いましたから私は相棒のチャリと共にまだ屋根が健在の部屋へ入りこみました。さすがになんか出そうでしたよ。出て当たり前、出るのがお約束みたいなほどドワんと重たい空気でしたね。だからといって、強がって「すいません、一晩だけお宿を貸してください。」なんて闇の中に向かって言ったりしたら忘れた頃に『いいですよ〜』なんて誰かの声がしたりなんかして。キャー!今コワイ!だからすぐ寝ました。ただこれは意味不明なのですが寝入りばなにチリリ、と鈴っぽい音が頭の上、壁の向こうで聞こえました。ただその一回だけであとは静かでした。
 ウヒョー今回のネタはなんかコワイゼ。なのでこれを読まれた方であっち方面の事に詳しい方、夜中に鈴の音が鳴るという現象になんらかの意味があるのでしょうか。もし御存じでしたらメールでお知らせください。どんな恐怖な意味合いがあってもかまいません。20年前の話ですから今更こわくないも〜ん。
 
     
 
  2004.10.01    さてさて恐怖の箱根山の野宿一夜でしたがそれでも朝がくるとその日はすがすがしいほどの冬晴れの日でした。そう、思い出しました、12月の末にこの旅行を敢行したんですね。一体わたしは何を考えていたんでしょうか?前夜に頑張って頂上付近まできてたのでその日は小1時間ほど上の向かっただけであとは下り下りでラックチ〜ン、快適に山を降りました。そう、真冬だったのですが、不思議と寒い思い出はないんですよ。それだけ自転車漕ぐってのはカロリー消費するんですね。ちょっと近場にチャリで行くのならなんてことなくても丸一日漕ぐとなるとちょっとした登り坂とかフントにもうあきあきしますよ。そんだけ一般道ですら日本はアップダウンが多いことを知りました。まあだからって外国のことは知りませんがね。とにかくこの2日目の行程はほとんど覚えてないんですよ。回りを見る余裕がなかったんですね。「また登り坂かい!もういいかげんにしろや〜!」ひたすら目の前に展開してくるちょっとした登り坂に対してマジで悪態を一人でつきまくってましたね。とにかく静岡は広い!その日は静岡を脱出できませんでした。そしてさてまた夜がやってきました。この日は人民の住む平野を走ってたので食料とかも無事確保でき、さあ寝るところです。前夜の恐怖があったのでこの日は近くのカーディーラーに飛び込んで屋根の下を貸してもらえないか交渉したところなんと2軒目の中古車屋さんでOKをいただきました。自転車で東京から九州まで旅してます、という話にヤタラ感動して盛り上がってフィーバーしていただきました。オジさん達が4.5人いたのですがモウ囲まれちゃって一瞬ヒーローでしたね。なんとその日はそのお店の中古車のなかでグッスリ眠ることができました。いやあ、いつの世も若いってのは人々に感動を与えるものなんですね。?なんてね。だからその時のなごりで今でも車の中で練習したり寝たりするのが好きなんでしょか?基本的にルンペン向けの人生なんでしょうかなあ。  
     
 
  2004.09.17    若い時にはこわいもの知らずでとんでもないことをやらかしてしまったりするものですが、わたしの場合もう二度とやれないだろうという事で大阪まで自転車で旅した事があります。まあ日本一周する方とかいらっしゃいますから世の中広いんですが、なんであろうとわたしは二度とやろうとは思いません。それは20才ぐらいの時でした。ヒマだったんでしょうね、自転車に寝袋と着替えを積んで足取りも軽やかに東京の調布からフラッと出かけました。山岳日本を甘くみてましたね。初日の箱根越えで大いにシマッタと思いました。最初はオレはこの坂をチャリを降りずに登りきってみせると勇ましく心に誓いをたててましたがすぐちょっとタンマ、今の誓いナシ!と思いました。なんなんですか、あの山は。でかいし、高い。3時間も4時間もかけてようやく中腹の由緒ありそうな温泉街みたいなとこに辿り着いた時は恥ずかしかったですよ。普通、車かバイクか電車でスマートに遊びにくるようなトコに黒のポリ袋2つをゆわえた自転車を死にそうになりながらヘーこら押してる姿ってのは。あらあ、何を勘違いしてこんなトコまで来ちゃったのかしら、あの男のコ、みたいにまず見られていたでしょうね。結局日が暮れても登りきれず夜10時ぐらいにようやく山頂近くのレストランに辿り着きました。でもカネがないので一番安いシャケ定食みたいなのを頼んで(それでも1000円以上した)閉店間際だったので食ったらすぐ追い出されて電気がパッと消えるわけですよ。従業員はすぐブロロ〜ンと車で帰ってしまうし、何もない山の中にポツンとボクはただ一人。帰る家があるってのはいいなあ、とその時はつくづく思いました。夜に帰る家がないのはさみしいなあ、と思いました。で、どうしたかというとその日はそれ以上というか、そこのドライブインを逃したらこの先の道のりで夜露を凌ぐ場所の確保に非常な不安を感じたので、気も萎えたし一階のパーキングのすみっこに寝袋を敷いて潜り込みました。初ルンペンダンボーラー状態!ドキドキしましたね。でももっとビックリしたのはいつしか寝入ってふとごう音に叩き起こされた時でした。もうすごいのなんのって、グワオ〜ウ、ギョオオ〜とすごい音。泣きそうになりました。こわいから寝袋からちらっと目をだすと、回りは一面マッシロ!ギョっとして顔を出して辺りを見てみると、まあ山の天気は変わりやすいといいますが、さっきまでの星空がウソのよう、すでに私は雲の中にいました。雲の下で雨に濡れるのとちがい、雲の中では濡れないかわりにひたすら末恐ろしいばかりの突風とごう音。いやあ、すごい体験をしました。箱根の山の神が”おい、若いの。ワシをあまく見るなよ”とばかりに手荒く歓迎してくれたもののようです。ですが一夜明けるとそれがウソのようにお天気はスカポーンと晴れ渡っておりました。おかげでその先の道中においての気の引き締めができて良かったです。全日程のべ五日のうちの第一日目がここから始まりました。  
     
 
  2004.09.01    はじめて自力でラーメンを作ったのは多分中一のころだったと思います。といってもお湯を注ぐだけのカップラーメンですから全然たいした話じゃないんですがね。で次はどうしたかというと袋入りラーメンに挑戦です。小学校の時どうしようもなく腹が減って袋入りを開けようとした時にバアちゃんが「それはダシからちゃんとつくらんといかんから食べたらいかん!」と怒られて以来のリベンジでした。(ダシイ?粉末になっとるっちゅうに。大ウソこきやがって)初めて見るナベに沸騰するお湯を見守るのも緊張が走ります。袋の裏に書いてある通りに沸騰したお湯の中に乾麺もいれました。が、お湯の背が足りません。そこでどうしたかというと、水足せばいいのにご丁寧にもいったん麺を皿に移し再度お水を規定量まで注いで再沸騰させました。ちゃんと手順通りやらないときっと失敗するという極度の緊張ですね。おかげで2種類ある秘伝のつゆみたいなのと粉末ダシのうち粉末の方をイレ忘れて「なんかまずいなあ〜」と半分も食べ進んでしまいまして、気が付いた時にはほとんど麺が残っておりませんでした。お初でしたからまずい理由が全然判んなかったんですね。そして必ず入れなければならぬ粉末ダシの小袋にハッと気付いて、小袋を片手に呆然としてしまいました。で、どうしたかというと速攻でまた新しい袋ラーメンを作ってそれに入れました。その粉末を決着つけなければどうにもおさまりがつかなかったんですよ。第一弾が醤油味で第二弾がみそでした。そのみそ味に醤油だしを足したもんですから、もうゲロマズでしたが味を気にすまいと一心不乱に食べました。ぼくとラーメンのちょっとほろ苦い思い出です。今でもショックです。  
     
 
  2004.08.10    最近私はお巡りさんと戯れる事が何かと多く今回はそのお話。
 都会のお巡りさんは洗練されつつも気合いの入ったのが多く、先日もふとした違反の件でこの私と45分間のやり合いましたが向こうが勝ちました。(交通標識の不備に関しては私はかなり人が変わるのですが)
 ちょっと前の時ですがライブの帰りの時には共演者を複数満載、楽器も満載の軽自動車キャロル君だったのでパトカーのサイレンを鳴らされて職務質問を受けました。この時は共演者の一人がカンボジア人みたいな顔だったのでよけい怪しまれパスポートの提示を求められそうでしたが、ちょっと周囲にかなりカッコ悪かったのでさすがに腹が立ち「はい、わたし、演奏の仕事の帰りなんですが、あ、これ免許証です。不審があるならぜえ〜んぶひっくり返して見ていただいていいですよ。あ、その楽器、オールドのアメセルの限定版を取り寄せたやつですから、80万しますから(大ウソ)気を付けてくださいね。あ、こっちのテナーも100万しますから(さらに大ウソです)少しでも落としたらアウトですよ。一体何なんですか。な〜んもしてないのにウ〜いうてサイレン鳴らされたからえらいびっくりしますがな。こんな4人も降りてきて。世話になった共演者(カンボジア人)を送ってく帰りなんですが、僕なんかしましたかね〜〜」 この時は勝ちました。
 でちょっと前のお話ですが地元のお巡りさんはどうかというと。夜、家に帰り付いてさて車を駐車場に入れようとしたところ、私の入れる場所に車が止まっていて中でごつい兄ちゃんがシート倒して寝ているではありませんか。私の家の周辺は夜は若いヤンキーとかがよくたむろするので、無法もここまでになってきたかー、警察呼ぼうかなー、でも一応一言ぐらいは苦情言いたいな〜、でもこわいな〜、といろいろと考えていたのですが、意を決してスタスタと歩んでいきましたよ。中ではどうやら二人とも爆睡の様子です。コンコン、起きません。さらにコンコンコン!「あのう、ここボクのとめるトコなんですけど〜」ガツンと言ってやりましたよ。すると二人ともビクーッ!と飛び起きて出てきました。おわ〜と思ったのですがうち一人が言うには「どうもすいません。わたしたち麻生警察の者なんですが最近車上狙いの被害がこちらであったもので、少しご主人の場所をお借りして張り込みをさせてもらってました。すぐ動かしますので。」との事でした。私はその時なんか感動してしまって「いやあ、夜遅く大変ですね!。ガンバッテください!」とおもわず高い声になって激励してしまいました。あれが俗に言う刑事の張り込みですよ。とその時はハイになったのですが、あとで考えるとあの二人、完全に寝てたよなあ。
 
     
 
  2004.08.01    夏は怪談。では入らせていただきます。今から話すお話しはすべて実話です。
 私が20才くらいの頃のお話しです。当時私は大阪の枚方(ひらかた)にすんでいましてまだまだワンルームマンションなどというリッチなモノがあまりない時でした。私が住んでいたのはさる大学の一応学生アパートみたいな寮でして作りはフロなし共同ダップントイレ(恐怖の開かずの間あり、きたなすぎて)付きのまるで戦後に建てたようなボッロ〜いモルタルアパートでした。さて夏の蒸し暑いある晩のことです。私はその日飲み過ぎて夜中にふとトイレに立ちました。深夜2時も過ぎたあたりだったでしょうか。ミシミシと廊下を歩いてゆきキイイ〜とトイレに入りましたがあいにくと電球が切れたらしく真っ暗なままです。すぐ裏手は砂利敷きの粗末な駐車場でしたが、駐車場脇の電柱のあかりが、ほのかにうちのトイレに差し込んできていたので、なんとか足元は確認できまして私は用を済ませておりました。そこに立っていますと顔の位置が開け放しの木の桟の腐ったような窓でして丁度真下に駐車場が見えます。
私は長い用事を済ませながらボンヤリしていたのですが、ふと気付くと下の方から、ジャリッ、ジャリッと人の歩く気配がします。薄暗い中でかなり気味が悪かったのですが気になるのでひょいと顔を少しだけ出して下を覗くと、なんとただの人でした。夜遅い仕事帰りのおっちゃんらしき人影で、ハー怖かった〜、とこっちは胸をなでおろしたその時、私の視線を感じたのでしょうか、おっちゃんが、ハッと上を見上げました。一瞬私はなんとなくバツの悪い気持ちが作用したのでサッと視線は外したのですが顔はそのまま半分覗いた状態で身動きしませんでした。おじさんはかなりギョッとしたみたいで顔を伏せてまた歩き始めましたがしばらく行くとまたハッと私を見るではありませんか。私はその頃にはな〜んとなく面白くなってきたので、顔の位置はそのままに、目はカッと虚空をみつめ、口は半開きの状態を保ちました。たぶん下からは真っ暗な窓にポッカリと顔だけが浮かんでるように見えたのでしょう。しばらく双方ともそうやって佇んでおりましたのですが、かわいそうにおっちゃんは何かと勘違いしたらしく「うえ〜〜!」と奇声を発して脱兎のごとく走っていってしまいました。
 
     
 
  2004.07.13    みなさんは宮崎名物の「冷や汁」を食べたことがありますか?まだない方に今回のお話しは夏を元気に乗り切るとってもいい話です。
 夏バテで食欲がなくなりがちでついつい冷たいものばかりでお腹を壊しがちですが今日からはもう大丈夫。なべがおいしい冷や汁の作り方をお教えしましょう。材料。。。しろごま、いりこ、きゅうり、みそ、だしの素(だし入りみそならこれは要らないっす)以上!では作り方。まず、しろごまを擂り鉢に多めにざらざらっ。で、ゴリゴリします。で、いりこをブチブチちぎって(いりこさん、ありがとう)だしをいれてみそをどーん。で、お湯でこれを溶かしてスライスきゅうりを浮かべます。で、ごはん(冷やご飯大オッケー)にかけてできあがり。あとは氷をいれて冷たくしたりするご家庭もあります。が、冷や汁とは冷たいお汁ものという意味では実はなく、冷やごはんでもさぶさぶさぶ〜っとおいしく食べれるから冷や汁なんです。ただし日持ちはしませんので食べきり方の食事ですね。まあ食べてごらんなさい。いりこときゅうりのハーモニーがえれえうめえっちゃが(超イケテる〜の意味の宮崎弁)。これ最初に考えた人はすごいですね。これでこれを読んでくださった方は今年の猛暑は無事乗り切れます。頑張ってくださいね〜。おみそは入れ過ぎると辛いですよ。
 
     
 
  2004.07.01    まだ夏も本格的に始まっていないのに今年は台風がよくやってきますね。私はなにをかくそうこの台風というのも大好きでして今年はなんかワクワクものです。あの日常をひどくかけ離れたずどどどど〜っという風の大迫力!太古の頃の妖怪でも棲んでいそうな鬱蒼とした森を憶わせるような、黒々とうずまく雨雲!どれをとってもイベント好きの私を心からゾクゾクさせてくれますね。子供の頃は台風の通り道の宮崎ですから今よりもっともっとどえらい台風がやってきたものでして、さすがにその時は怖かったです。風で家がミシミシ〜と揺れるんですよ。風がブヴォ〜ン、家がミシミシ〜。 あ、こりゃもうダメだわ、と何度となく思ったものですが幸いお家は何事もなく現在に至っております。でも一度でいいから公民館みたいな所に避難してみたい、と思ったものですね。なんか楽しそうじゃないですか。ご近所の家族がわらわらと集まって夜中に騒いでるなんてのはもう非常事態もいいとこですよ。まあその夢は幸せなことに叶わなかったのですがその分、今は台風が接近してくると夜な夜な外を出歩くことにしています。ごわ〜んずぼぼぼ〜といった雨風をひとしきり楽しんだあとはお家で窓を少し開けてびょお〜んという湿った風を肌に感じながらさらにお酒をちびりちびりやりながらNHKの台風情報をながめます。ナンタラ管区気象台によりますと〜とかどっかの港町からの中継です、とかもう日本全国台風づくしの夜で、おお、こっちも盛り上がってるね〜とか、おお、こらすごい波じゃわとか自分が一番盛り上がっておりますですよ。いまこうしている夜も台風8号が接近中で明後日くらいに一番接近するそうで、明日はおやすみだから今はとても楽しいー。  
     
 
  2004.06.13    私は仕事がらいろんな音響機材を持ち歩いているのですがその中でも使用頻度が一番高いのがウォークマンですね。ウォークマン(もちろんカセットテープの時代です)というものにはじめて出会ったのは中学生の時なんですがいやあ〜田舎の中学生はどえらく感動しましたね。第一渡辺家ではヘッドホンで音楽を聴く習慣がなく(唯一あるヘッドホンは2つ年上の恐怖の姉ちゃんが占有していた。家族みんなのにもかかわらず)外の雑音を遮断した状態で音楽に浸る幸せを知らなかったんですよ。手に入れたウォークマンは3千円で買った再生、早送りのみのいわゆるパチモンウォークマンなのですがそれでも電池を入れて自転車に乗ってペダルを踏む足も軽く太田裕美に浸りながらよく遠出をしたのを憶えてます。帰る頃には電池切れで太田裕美がウォンウォンいってましたが電池代がもったいないから根性で聴いてましたね。
 そんなウォークマンとの出会いから月日は経ち最近また新たな感動に出会いました。愛用のMDウォークマンがぶっ壊れたのでワットマンに修理に持っていったのですがあまりにもしょっちゅうMDが壊れるのでダメモトでICレコーダーなるものを購入したところコイツが意外にもスグレモノ。外部マイク(電池式の安いやつ)での録音がとってもきれいにとれました。しかも10時間半の録音時間なのでライヴ録音にも最適、ケイタイの半分の大きさなのでかさばらない!ウィンドウズを持っていたらデータの保存もできるらしい。(私は持ってません)今はまだ買ったばかりでウレシイので意味もなく押したり止めたりして一人で遊んでます。3万円は高かったけどウレシイ。最近の科学の進歩ってすごいですね〜、と田舎出身者がまたもや数十年ぶりに、いやあ〜どえらく感動したというお話しでした。
 
     
 
  2004.06.01    こないだ朝、家で起きたばっかりの時に電話が鳴りました。ガチャ「おはようございます。ハウスクリーニングの〜〜〜と申します。ただいま実はキャンペーンの一環といたしまして通常料金2万7千円の布団やカーペット、あるいはカーテンといった普通はですね一般の方がお掃除されても実際はかなりダニやハウスダストといった目に見えないアレルギーやアトピーといった病気の元になるものを根本からクリーニングする当社の専門職人によりますハウスクリーニングをですね、これ通常料金が2万7千円するんですがこれを今回お客様だけの特別キャンペーンといたしまして特別に3千円のみでこの〜ハウスクリーニングさせて頂くというですね、今の時期だんだんとハウスダストとか普通にお掃除するだけじゃ決してきれいにできないものだけではなくて湿気もひどくなるとカビとか〜〜〜」
 このあと当社の最新マイクロなんとか式の説明に入り、当社がテレビでご存じのあの画期的なクリーニング会社であることの説明のあと、現代病のなんと6割がダニ、カビといったものに起因することを(ウッソダ〜)話してくれてようやく「ご主人ですか?」ときました。みなさんならどうします?
 普通なら私でもはじめの1、2行を聞いた時点で「あ、間に合ってますからいいです。」と断わるのですが、起き抜けで抵抗力がなかったもんですから、マニュアルを全部聞いちまいましたよ。そうすると妙にまったりしてしまって、「いやあ〜、勝手にサインすると息子の嫁に怒鳴られるんですわー」と訳のわかんない事をつい言ってしまいました。むこうもアラッこれは変だわという感じでとまどっているみたいでした。それでも「なら奥さんいらっしゃいますか」ときたから「いま孫を幼稚園につれていっとります、孫に会いにきたんですけど会わせてもらえんのですわ」とこっちも面白くなってきたところ「じゃあ、奥さんにお伝えしてもらえますか?」となかなか食い下がります。「いや、電話に出るな、言われとるからバレたらもう怖いんですよ。息子がおらんとこでいろいろ言われるんですわ。怖いんですわ」この辺りでは完全にイビられ役のオジイちゃんっぽくヨイヨイのあわれを誘うしゃべり方です。「あらーしょうがないわねー。息子さんのお嫁さんキツイかも知れないけどおジイちゃんでしょ?バーンと言えないの?」「そんげなこつ言ったら灰皿投げよりますよ。もうかんべんしてください〜。ほんまあの嫁ばっかりは恐ろしいんですよ」もう半泣きっぽい感じ。そこらで向こうもようやく埒が開かないとみたか「しょうがないわね〜」と捨て台詞をのこしてやっと電話が切れました。  あ〜面白かった。
 
     
 
  2004.05.15    人は歳と共にギャグのセンスも変わってくるものなんでしょうか?今回のテーマは『オヤジギャグ』です。というのも最近人前で喋る時にスラッと頭の中をかすめる冗談のフレーズが我ながらどうもイケてないんですよ。飲み会の打ち合わせなんかだと『じゃあ、ナベと共にナベをしましょう!』とか、歳の話なんかだと『私は今年で、39才ですからサンキューの歳なんですよ。』とか訳のわかんないことを。これってかなりヤバイでしょ。しかも自分の中ではその瞬間けっこうウケてたりするわけです。(あ、うまいこと言うなあ、)なんて。昔はもっと勢いがあってピリッと小気味よいセリフがその場その場でスラッと出ていた記憶があるんですが最近はそういうのを考えつくのにどうも時間がかかってその間に不毛なオヤージフレーズが4つも5つも先に生まれてくるんですね〜。そしてほら、こっちの年がすすむと年下の人って気を使って笑ってくれたりするじゃないですか。変にウケちゃったりするから、だんだん麻痺してきてるのかなあ。いずれにしても『今年はサンキューの年ですから。』なんて言ってたらダメですよね。やっぱり人生抱腹絶倒でいかなきゃ。
 ですからこれを読まれた方でものすごい破壊的なオヤジギャグ、あるいは腹をかかえて笑えるオヤジギャグなどを御存じの方がおられましたら今後の参考
 
     
 
  2004.05.01    人にはそれぞれなんとなくモットーというか座右の銘があると思うのですが、またまたこのお話です。以前の回で私のモットーは『健康第一』ですとお話したのですがさらに踏み込んで第二のモットーといえば『笑う門には福来る』なんです。
 これはまだ私が20代の頃何もかもがうまくいかず慢性的にツイてなかった時、気分転換でなんかのお遊びをやったんですがその時何かのきっかけで腹の底から笑った瞬間がありまして、その時悟りました。(ああ、笑うってことは身体によくないものを吹き飛ばしてくれるんだな〜。細かいささいなことが気にならなくなるなア〜。これからは『笑う門には福来る』で決まりだな。)とその時は思いました。まあ人生においてはまるでことわざがぴったりあてはまるような状況が多々あるものですからその時々で(これからは石の上にも三年だな)とか(やっぱり鶴は千年、亀は万年なんだな?)とか色々と変遷をたどる訳ですがやはり結局のところ名作だけが残りますね。わたしに合う標語は『笑うかど〜』、スローガンは『健康第一』、こういう所の落ち着きました。
 どなたかもっとすごい座右の銘をお持ちの方、あるいはちょっと変わったのをお持ちの方なども、もしよかったらメールでお話を聞かせていただければとても嬉しいです。わたしの場合は『波乱万丈』です、なんて方おられましたらゼヒ!お話ききたいな〜。
 
     
 
  2004.04.01    以前、鬼教師と少年のお話しのその続編ではないんですが小3で必殺鬼教師に当った少年は小4で今度は必殺これぞ教師の鑑先生に当りました。その先生の名は押川誠先生とおっしゃいます。なにがすごいか、それは子供に勉強することの楽しさを伝える名人でございました。本来知らないことを学ぶのが勉強ですよね、もともと楽しかるべきモノをホンマにた〜のし〜いな〜と感じさせてくれる先生でした。休み時間になると生徒が列を作って自発的にやってきた宿題を押川先生にみてもらう為にクラス内の先生の机に殺到してました。また先生が『おお、これは〜』とか言いながらホメてくれるんだなー。決して優しい先生ではなく怒る時はこれまたデカイ声で怒りはるからそれはそれで子供には強烈なんだけど怒りながらも必ず名誉挽回のチャンスなりをヒントにして言ってくださるのでこちらは心が漂流しなくてすむ訳です。心に残っているエピソードはたくさんありますが今回は羊羹のお話しを、、。
 ある日の算数の授業なんですがこの日はクラス全体のノリが悪くこんな時は先生も逆にビシバシと授業されるのですが(この当時にめずらしく先生は体罰はされませんでした。先生の武器はあくまでデカイ声)この日はな〜んか甘っちょろいんですね、誠君。そして急に何を思ったのか『みんなも教科書にのっちょる絵の羊羹じゃったら数もようわからんちゃろ。じゃったらちょっと角屋にいって羊羹買ってこんか!』とおっしゃいました。クラス全員ポカ〜ン。全員(何いうちょっちゃろ、先生。)思いました。でも先生は大まじめで2.3人指名してお金を持たせて買いに行かせました。もうだんだんクラス全体がわけのわからん事態にフィーバーしてきまして結局その日の算数の授業はメチャメチャでしたが、給食時間にちゃんとクラスの人数分買い足した羊羹がでてきまして量は少しだったけど学校で食べる先生公認のおやつは世界一うまかったです。そういう日はこの日だけでしたが、授業中に先生に隠れてではなく先生と一緒にこうやって悪いことをしたのは小中高通じてもこの日だけでした。先生あの日は一体どんげしたっちゃろか、と、それからもずう〜っとあの羊羹は謎でしたがある時判りましたね。あの機嫌の良さと大盤振る舞い。きっと先生も茶目っ気が出たんだと思います。そういうソフトな所がありましたね。押川先生。時期的にもあの日は公務員のボーナスの日でしたね〜、マコトチャン。
 
     
 
  2004.03.20    ここ数年感じている事なんですが、お金で買えないモノ。皆さんはまず何を思い浮かべますか?僕の場合はダントツで健康なんですね。漠然とは感じていてもやはり日々の流れの中ではついついありがたみというのが薄れますよね〜。健康なのがあたりまえというか病気なんかの話しなどつい他人事みたいに感じたりして。でーも自分の家族がイザ不治の病にかかっちゃったかもしれないなんて事がおこった時、ふだんの備えも何もない分それはもう頭は大パニックですね。実は最近そういう事がありまして、その時はハーそれはもうどうしようもないくらい無力感にまず襲われましてその何もできないという事実からだんだん自分の精神が絶望チックになっていってですね、寝ても覚めても歩いててもゴハン食べてても常にソレ!が頭から離れないというナベ人生史上最大最強のドンゾコ感を味わいました。完璧に痩せますよ。自分に起こった事ならひとりで悩めば済むんですが家族の事だと何にもしてやれないじゃないですか。
 結局の所それは精密検査の結果、事なきを得てそこでやっとホーーー〜〜〜っと一息、健康様のありがたさを改めてつくづく思い知らされましたね。日々の悩みなどはそれと比べたらもうぜ〜んぜん悩みなんてもんじゃない、全てが大オッケーみたいな。という訳で今回のお話は、これを読んでくださったとりあえず今ご自身が健康で周辺の方々もみなさん息災でいらっしゃる方、あなたの持っていらっしゃる悩みというのは実は全然オッケー、オッケー、大オッケーで悩む必要は全くナシでございますから、明日からまた明るく生きてゆきましょう、という一見強引なようで、ちゃんとスジの通ったでもかなりムチャクチャなめずらしいお話しでした。
 
     
 
  2004.02.03    子供の頃のおはなしなんですが、わたしは汽車がとても大好きでした。私が子供の頃の宮崎はまだSLが健在で都会の方はすでに電車だったんでしょうが私はいまだに鉄道のイメージとしては単線で電化されていない草に半分埋もれたレールに窓あき車両のSLもしくはキハ〜という名前のジーゼル車なんです。で、毋方の田舎が海沿いのさらに田舎町なのでよくひとりで汽車に乗って泊まりにいったのですが、小3の頃のクラスの担任の先生が子供心にとてもおそろしいオバチャン先生だったんですね。どうおそろしいかといえば、優しく語りかけてくれた次の瞬間、なんですって!渡辺くん!宿題忘れたですって!カーッ!という具合にいきなり豹変するその速度に(段階的に怒りなさるんではなくホント一瞬で目が吊り上がりられるんです。ブルルっ)、まだ子供ですからとても対応しきれず(なら宿題してこい)、なので土曜の夜は現実から逃避できてじいちゃんばあちゃんに優しくしてもらえる野島(という町名です)の夜を心の底から満喫しておりました。でもやはり月曜日はやっぱり来ちゃうんですねー。満喫ばっかりしてるからまた宿題してないでしょ。悪循環。もう家に帰るのがイヤでイヤで、ジイバアがまた孫に優しいから甘えてしまって余計帰りたくなくて、ダダをこねておりました。ちょうど野島の家のすぐ上を線路が走ってたので帰りの宮崎行きの汽車がブワンとか鳴らしながらゴオーって駈け過ぎていくんですね。来る時は幸せを約束してくれた汽車ですがあの帰る時ほど乗りたくねエ〜と思ったことはなかったです。結局粘って2.3本遅らせたんですが、その間まー切ないくらい一生ここにいたい、野島にいたい、ジイバアと暮らしたいと思いつめました。そして夜も遅くなったんで汽車ぎらいのジイちゃんに手をひかれて仕方なく海辺の無人駅に行き、くらいトンネルのむこうから出て来たジーゼル2両編成にジイちゃんと共に乗って帰りました。ジイちゃんバアちゃん、ホントあの時はありがとねー。今回は汽車にまつわるちょっと切ないイイ話でした。タイトルは『鬼教師と少年』だけど。  
     
 
 

2004.01.15

   最近わたしは近隣の火事で非常にコワい思いをしたのですが、その火事は幸いにも家屋の被害だけで済みました。その事がある意味とても衝撃的だったせいか火の元関係には注意をはらうようになったのですが、ふと何をおもったのか急によく見回りで町内会とかがやる『火の用心〜、カチカチ!』というのをやってみたくなりました。よく考えるとあれってなんかいいですよね。鼻の奥がツンとくるようなさあむ〜い夜に部屋で布団にくるまっていると遠くから『火の用心〜、カチカチ!』というのが聞こえてくるんですよ。それを聞くと、あ〜、ああして誰かがちゃんと見回ってくれてるんだ〜、ひとりじゃないんだな〜みたいな安心感が湧いてきてなんかほっこりしません?きっと地元の消防団のおっちゃんなんでしょう。『火の用心』の言い回しなんかも年季がはいってて妙に哀愁を感じさせるさびさびとしたいい声なんですな。
 そこでわたしは早速練習に入りました。少し節回しに苦労しましたが一応マスターできたかと思います。以外に難しいんですよ。寝ている人の耳障りにならぬよう、そして適度の安心感を与えるようにして注意を促すんですね。コツはゆっくりと歩く歩みと言葉とを同じリズムにして『ひの、よー、じん、カチ、カチ』とやるわけですよ。節回しは、『ひの』でグッと音を上げてそのまま『よー』そして肝心の『じん』、これは『じんん』と発音するイメージで、ずうんとピッチを下げる感じです。あとは『カチカチ』なんですが拍子木はまだ買ってません。購入したらきっと絶対やりたくなると思うので買ったらまた報告させてもらいたいと思います。別に個人で夜回りやったっていいですよね。
 
     
 
 

2004.01.08

   毎度見慣れた風景、私達の周りにある日常の様々な形あるものが突然予想もしない事によって昨日までのそれと異なるものとなる。今回はめずらしくかなりびっくりしたコワいお話しを自戒の念という意味でお話しします。
 新年という事でその夜私は新年会があり、かなり酔った状態で深夜遅く帰宅しました。酩酊気味だったのでそのまますぐ布団に入ったのですが寝入って1,2時間もした頃でしょうか。意識のない私の耳になにやらパキパキという木の枝の折れるような音と単発で何かを叫ぶ人の声、それも何か尋常でないせっぱつまった感じの声が長い時間をかけてはいってきました。私の住む団地ではよく深夜若い子たちが周りの迷惑を考えずはしゃいだりしているので、(またか〜あ)とうつらうつらしながらも思ったのですがそれにしては様子が変です。若者の笑い声でもなく、それに変に窓をガラピシャと開閉する音とかも聞こえたのでフッと部屋の窓の方に目をやると窓全面オレンジ色!エッと思って起きて外をみるとなんと隣の棟の一室からオレンジの炎がすでにその部屋全体を焼き付くし静かな夜の団地はゆっくり着実に火に包まれようとしていました。その時にはサイレンの音が聞こえていたので延焼の用心の為にその炎をずっと見ていたのですが(見る事しかできません)その炎はそれから1,2分で上階のベランダに上りはじめ熱の圧力でそこのガラスをボン!と一気に破り、またたくまに今度はその部屋をゆっくりと燃やしはじめました。始めは指先ほどの小さな火だったんでしょう、けど今は燃えるものを探して上に横にのたくっている恐ろしい火炎の生き物のようでした。
 実際火事に直面するとあの炎の圧力の前では本当に何もできないし炎の前にはあんなにも脆く次々に焼けただれていくものなんですね。不謹慎ですがやけに大きな焚き火を部屋全体でやっている感じでした。それほど炎の燃える様はフツーでさりげなかったし、ただその焚き火が人の家のベランダから盛大に発生しさらに大きな焚き火になろうとしている事に恐ろしい違和感を憶えました。消火後の様子からは幸いけが人等はなかったかに思えました。が少しの油断が。。という事ですよね。皆さんも今年も良き年になりますように、との思いで今回のお話とさせていただきました。コワかったよ〜。
 
     
 
   
 

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