アドリブな日々 Back Number 2016
 

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  2016.12.15    『坂本ですけど、渡辺さんですか?』 師走も差し迫ってきた12月の半ば、畳屋から電話がかかってきました。

 『はい?』『あのね、今ちょうどたっまたま一瞬ヒマな時期で、うちも職人を抱えているんでね。1日2万も払ってゴロゴロさせとくのはもったいないから、今だけ!今だけお安くしときますから、この際張替えをしてはどうですか?ほら、前に電話したらちょうど今は忙しい、年末とかになら、とかおっしゃってたから、ちょうどウチも今ヒマな時期で、昨年、一昨年が忙しかったの。だもんで、今年は張替えのお客さんも落ち着いてるから職人が遊んじゃって、もったいないのよ。で、支払いは来年の2月に払ってくれたらいいから、お得なお話でね、お電話したのよ。」

 ウチの畳事情をなぜこの人は知っているんだ?と、思いましたが、そういえば、なんか以前、この人らしき人から同じようなセールスの電話がかかってきて、そん時は畳の張替えについて話し込んだ気がするなあ。

 『 あー、たしかに畳はひどいんですけどね。ちょっと、壁とか片付けとかの方が先かなと思ってるんで、ちょっと畳にまで今は手が回らないかなあ』なんで、生返事したら『あらっ!こないだもそうやって、リフォームするから、て言ってたわよね!!渡辺さんはそんなにしょっちゅうリフォームばっかりしてるの!?』といきなり夜叉のような声に変わりました。

 『あー、そうでしたかね。いやあ、なかなか物が多いもんで、進まなくでね。畳も気になってはいるんだけど』と正直に答えはしたんですが『今年の6月に電話した時もそうやって、リフォームするからいまはダメ、って言ってたから、暮れに電話しますねー、ていうことで今電話したのよ。いつまでリフォームしてるの?自分でしてるの?今日はお休みなの?』とまあ、ぐいぐい畳み掛けてきて(畳屋だけに)生半可な答えだと貴様の首根っこを引っこ抜いてやるとばかりの剣幕!といった勢いになってきました。

 『いやー、だから壁紙もね、やんなくちゃだし、、』『自分でなんでもやってるの?』『うんまあそうかな、いちいち頼んでたらお金いくらあっても足りないんで』『ふーん、でも畳はね、大体のお客さんが表替えだけで済むから安くできるし、今やっといた方がいいわよ。ねー、やっちゃいましょうよ。渡辺さんは何にもしなくていい。その日のうちに職人が来て全部終わるから。それに今安いし。』とこれまたなかなかしつこい。

 『うーん、でもひとつ問題があって、ウチ、畳の上にいろんなモノを置きすぎているんで、畳に到達する前にそいつらをまずどかさなきゃなんなくて。そうなると、もう引っ越しレベルの話になるからあ。だから、こっちでその段取りが出来た時に、そっちに連絡するパターンが一番確実かなあ』 なんて、要はこちら発で物事は進めたかったんでそう言ったんですが、そう言った途端に、なんかプチッて切れたような音が聞こえた気がして『あーそう、じゃあもう渡辺さんは、ご近所の畳屋でお好きな時にやったらいいんじゃない?』なんて、ギスギスした物言いで、セールスにあるまじき突き放し発言をしてきました。

『はいじゃあ、まあそうすることに、、、』 ブチッ、ツー、ツー、ツー あれ?、切れた。というか、途中で切りやがった。

 検証。。。この人は何が悪かったんでしょう。ニーズはあるのに。 答え、、、ハートがなかった(えっらそうに〜) そう、このケースでいくと、こちらに需要があって、ただタイミングが合わない、というだけだから、そういうお客さんとは、軽く世間話でもして、『じゃあ、また何回かかけますけど、ご準備ができたらその時に言ってくださいね。ここまでお話しさせてもらってるから、その時がきたら、他よりもちーゃんとお安くさせる用意でしますから。よかったら声かけてくださいね』(模範解答)
といえば、こちらもちょっと親しくなった経緯で、イザ畳替えの時にはそこを頼りとするだろうに。やっぱり一見さんより顔見知りが安心なのは、消費者の心理ですよ。残念でした。貴女は将来の上顧客(?)を失いました。

 とまあ今回の年末セールス逆ギレ事件は不思議と腹も立たず、ああなるほどなー、と思いました。 はい、何事もハートを込めて。これが大事です!みたいですね。。

 みなさま、今年一年も大変お世話になりました。あとわずかとなりましたが、また来年も良い年になりますように。皆様の一年がすばらしい一年になりますように。

 ⭐️良いお年を⭐
 
     
 
  2016.12.01   今回のは備忘録ですね。
 素晴らしい夜があったことを、いつまでも覚え続けられていると、人生豊かになれるのではないだろうか。

 宮崎滞在最終の夜、幼少期に過ごした都城に向かい高速を車を飛ばす。極端に交通量の少ない山を貫く九州の縦貫道は、戯れにライトを消すと漆黒の底なしの地獄の底に吸い込まれていくような、感じたことのない浮遊の恐怖すら覚える、光のない世界であった。

 カーラジオから流れてくる宮崎のラジオはいまだ30年前の世界が健在で、マカロニウェスタン、クロスオーバーなど過ぎ去りし時が未だ現役に流れる摩訶不思議な側面を持っています。そんな懐かしい音の世界に脳みそを揺さぶられつつ、健全なトリップを楽しみつつ、クルマは迷いに迷って漸く無人の三股駅に到着した。

 無人の駅はそれでも、徐々に再開発が進みつつあるようで、5年前に見たかつての夢のあと、不自然に広い草ぼうぼうの荒れ地、多くの側線・留置線跡がかなり綺麗に均されていた。人口も増えつつあるという。出生率の高い宮崎県、住みやすい街宮崎!これがこれからのわが故郷の売り文句だそうだ。徐々に活気が戻ってくれることを宮崎人としてなんとなく期待しながらも、今は過疎の町となった三股の40年前と変わらないであろう空気のなかに佇んだ。

 三股は盆地なので、周りが平たい山並みの縁に囲まれている。なので黒い山々の彼方に、さらに遥かかなたの街の淡い灯火が常に浮かんでいてその風景は、広大な天空の星々と黒い海に浮かぶ月明かりみたいです。

 鉄橋を超える列車の音が遠くからもハッキリとよく聞こえる。が、地形の変化か音が急に聞こえなくなり、なかなか到着しない。かなりな速度で突っ走ってくる音であったけども。それほどまでに静かな夜で、空耳か?まさかね、といぶかしむ随分と長い時間が経ち、それを忘れかけた頃に突如、静寂を突き破る踏切の鐘の音が鳴り始め、列車は漸く到着した。

 夜の22時、宮崎的には真夜中丑三つどき寸前の深夜である。宮崎にこれから向かい、一方、これから西鹿児島までご苦労さんにも向かう2本の列車の赤い光が、カタンカタン、カタン、タン、、とずっと遠くの闇に消えてゆくのを見送った時点で、駅を後にしました。

 50年近くも前に見た、絶世の美人が舞っていた石舞台は健在であった。その頃とは住む人は全く変わったであろう、絶世の美人ももういないこの早馬公園は、相変わらず沖水川の絶え間ない流れのそばで、変わらない時間の営みのなかで青々とした芝を広げていた。芝を踏みしめ、見上げる星空は、小学生の時に見上げた体育館の天井よりもはるか高く、手を伸ばしても届かない遠い夜空の高みにありました。でも子供の頃にはちょっとハシゴにでも登ったら、もしかしたら手が届くんじゃないか、と錯覚してましたね。それくらいに三股の星々は小さくだが、ハッキリと輝いています。

 都会で過ごす夜はひたすら慌ただしい騒がしい気がしますが、静かなこの日の故郷の夜は心を十分に満たしてくれ、そして未だ夜の10時半。都会だったら何も考えずせかせかとひたすらに家路への帰り道の最中でしょう。街なかも昼と変わらないくらいの人、車の多さで、かしましいことこの上ないですが、同じ過ごす時間帯なのに、そこをくぐり抜ける速度のあまりのゆっくりさ、密度の濃さに違和感を覚えて仕方がなかった。今日この夜に見たこと感じたことがこの一夜の思い出として薄れてゆくのが実に儚く思われました。心のなかにその忘れていたフィールドを保ちつつ、これからを生きてゆきたい、そう思った2016年の秋の夜でした。
 
     
 
  2016.11.15    本日ようやくマイプレミアムカー、キャロルちゃんが長い入院から帰ってまいりました。もうなんなんでしょう、この一体感は。久しぶりに走らせながら、静かなる至福のひと時を味わいました。

 クルマを走らせるだけで、ストレス解消、満足できるんですから安いもんです。かといって、カッ飛ばす趣味は全くなく、あくまで静かに走らせる、走らせながら静かなるメカの蠕動音、駆動音、加速感を地味〜に楽しんでるのが、ナベ流の至福の時間の過ごし方なんです。だから、仕事が終わったら超無駄にいつまでもいつまでも、流れの良い下道、たまにとんでもない方角の高速を流してますね。タクシーの運転手かい。

 このメカに関するソソリの快感は男性特有のものかと思って旧車コスモを乗り回してるんですが、ちょっと前に二人乗りの古いロードスターに乗った、70位の妙齢のお姉さまにホームセンターで声をかけられまして。 ロードスターは90年代を一世風靡したマツダの古い車種なんですが、実に綺麗にされてましたね。女性らしく可愛らしい小物なんかも車内にあるんですが、なんかレーサーなぶっとい補強パイプとかが後方に据え付けられてたりして、かなりびっくりな本格的な装いでした。

 で、そのおねんさん曰く、クルマのなかで音楽なんていらないのよ。ひたすらエンジンの音が最高の音楽なんだから。 て、仰ってました。

 いやー、びっくりしましたね!まさにそうなんです。そのなんていうか、自分の意思がアクセルを通してクルマに伝わり、その走りへのアクションが、自分の手足と同じように忠実かつ自然に愛車が再現してくれることの満ち足りた感とでもいいましょうか。それが、エンジン音、微かな振動とともに体に伝わってくる時の快感。クルマ好きはまあみんな変態ですな。

 以前、音楽の知り合いでフルート吹きの姉ちゃんにバイクの静かなる排気音を聞かせたところ、全然わかんない〜!とニコニコして言ってたので、女性にはわからんもんなんだな、と思っていました。なんで、その70のお姉さまの発言は実にセンセーショナルでして。いや、核心を貫くその感性、いや実にカッコイイと思いました。尊敬に近いかな。いつまでもこのお姉さまとしゃべっていたい、そんな気分になりました。

 音楽もそうだと思うんです。究極にはジャンルではなく、上手い下手でもなく、ただひたすらにそこの音の海の中にいて、感動できるか、気持ちがいいか。気持ちの良い、心地の良い音場であるかどうか。

 ダイエットもそうだと思うんです。究極にはダイエットやってて楽しいかどうか。体が過度の食欲から自由になれてる感があるかどうか。はい、2016ダイエット報告。結論から言いますと、止まってますねえ〜。以前の4kg減より。実感的には、こっから5kg減へと落としていく過程で、かなり疲労度がかかってくる気がしたので、ここから先は単純にカロリー不足による体力低下かな、とも思いました。きっと先の8月ひと月での4kg減は本当に不必要な4kgだったんでしょう。そこからは、ダイエットで空いた体腔にすぐサッと緊急用脂肪が賄われてる気がします。だからなかなか落ちない。なので、脂肪管理局の様子と、体調管理局、食欲調整庁、食い過ぎ言い訳事務局の様子を見ながら次の3ヶ月はやっていく予定です。なので、皆さんが気になる(古い⭐️)なべのダイエット報告、次回は2月の予定です。

クルマ、音楽、ダイエット。。文化度があるような、ないような。  ないね。
 
     
 
  2016.11.01    こないだ、会議に行ってきました。というか、今教えている楽器店が創業100周年らしく、次の100年に向けた全体集会的な意味合いもあったんでしょう。

 で、なんととんでもないことに、このボケナベがいつの間にか20年勤続らしく、表彰をしたいとのことで、出頭するよう統括担当者の女性からメールの圧力がかかってきました。

 朝10時からと チョ〜朝が早い(早くない!ナベには早いが)のと、元々は予定が入っていたのとで、これ幸いにバックれるつもりだったのですが、なんとかなりませんか?とニコニコながらも暗に厳しい追及を受け、予定もキャンセルになったことから行くことにしました。

 苦手なんですよねー。晴れがましい表彰とかで公衆の前に立つの。ヒョーショージョー!とか言いながら、賞状と記念品を呉れようとしている人の前でこのボケナベがボーッと立って、物を手渡されるのを待つ姿って、なんか哀れでないですか? それに他の人の受け取り風景は、だいたい皆さん背筋もまっすぐ挙措もキビキビ、ビシッと決まっててサマになっているんですがね、自分がその場所にズーラズーラ立ってるのって、なんかオマヌケというかなんか、大したこともしてないのに、え〜〜?こんなんでいいんですかあ?って別に僕なんもしてないんですけど。。。なんですよねー。

 でまあそれはいい。なんかオルゴールもらいました。貰って開けた瞬間の感想は、ああこれで、これが置けるように部屋を掃除しなきゃなんなくなったー、です。随分といいもん貰っちゃったんです。すでに家が記念品負けしてる状態すかね。親戚とか爺ちゃん家とか言ったら、棚と上とかに、ナントカ会社創立記念とかで飾ってある置物みたいな、あんなチャーンとした風景としてふさわしい代物でした。

 でね、びっくりしたのが、入って半年の社員さんがいて、なんか言っちゃあなんですがまだまだ頼りない感じだなあ〜、とかねがね思っていた子が後で、『あんな滅多にない集まりに参加できたのはとってもラッキーでした!』とか目キラキラさせて嬉しそうに言っちゃってたんですね。そんなキャラじゃないのに。それに会議の内容は、社長、専務、表彰、パフォーマンス演奏、こんな感じで実にシンプルだったにもかかわらず、すっごい感動してるみたいなんですよ。初めての参加だからかなと思いきや、年次の古い社員さんとかもなんかメッチャ浮かれてて楽しそう〜〜に、各自割り振られた受付だの、案内だのお仕事をしてたんですね。ただの会議なのに。  発見!!!実はこの人たち、会社愛を持てる、会社に奉仕できる立派な人たち(社会人)なんだ! ひえ〜っと思いましたね。

 なんだ、当たり前じゃん、とお思いでしょうが、慰安旅行みたいなお楽しみ的要素はないただの会社の全体会議で、こんなにも自発的にあれこれ動き回る皆さんのその様子を見て、この子らは(圧倒的に女性が多い)一時的にしろ会社と共に歩む決意をしてる人たちなんだ、ここの会社はそういう軸のある『人』が集まってる会社なんだなあ、と思いました。

 ひえ〜っですよ。自分は会社人ではないので、会社に身を捧げるサラリーマンというのは、おおむね(昔は働きバチ、屍を乗り越えて進む兵隊アリとかいわれましたよね)住宅ローンを抱えた引くに引けないオッサン、というイメージがあったのですが、なんのなんの皆さんお若いのにご立派ねえ〜、と感動しました。

 だから表彰されるべきは、会社を支える決意をしている社員であって、そんな社員さんがいるこの会社は、実はかなりイイ会社だったんだなあ、と客観的に改めて思いました。まあ自分は個人事業主・オブザーバー的な立場だから、この会社に対する会社愛はないですが、20年もここでレッスンをやってる居心地の良さは、そんなところにキット原点があったんだなあと、ふと気付きました。

 それ以外の今回の気づきは、あなたもう20年も東京で働いてるオッサンなんだから、バイクのパーツとかちょっと整理して、せめてこのオルゴールが置けるくらいはお片付けくらいしましょう、ということですかね。
 
     
 
  2016.10.15    こないだキャロルちゃん自損事故っちゃいました〜。ショック。。。行事が立て込んでくるこの時期は気もそぞろになりやすいのですが、天候もそれに輪をかけて台風だのスコールだので落ち着かない雰囲気です。

 まさにそんなことが重なって、こないだ大雨の日に駐車場のポールにぶつかってしまいました。。。普段ならそんな角度で侵入することは、まずあり得ないのですが。雨で白く靄っていた景色に白いポールが目に入らなかったものと思われます。最近はどうも年齢のせいかズボラなことが多くなり、物を取り落としたりぶつかったりの直後で、あれ、いったい何やってるんだろうねえ〜?と呆然とするのですが、ここまでの体たらくともなると、もはや痴呆症といっても、過言ではないのではないのでしょうか。ん?、過言では、ないでしょう。あれ?どっちだ?過言、では、ない、のではない、でしょうか?どちらも正解か?合ってるよね。ナベは痴呆症、ということが言いたいのですが。『ナベは痴呆症』、、なんか曲のタイトルに使えないかなあ。人生最後の方で。スチャラカチャンチャン♫〜みたいな明るいやつ。で、それがなぜか大ヒットして印税ガッパガパ入るんだけど、本人はもう痴呆が進んで訳わかんない〜♫みたいな、そんな歌詞。

 好事魔多し。前もなんかありました。その時も大雨のこの季節だったような気がします。で、今回は残念ながらギリギリアウトだったのですが、あるいはもしかしたら、実はもっと酷い状況が起こるはずで、そこから無事脱出できた結果だったのではないかとも思えるんです。 事故ったその時は今冷静に考えてみると安全確認の頻度がかなりユルユル、基準値が下がりまくってた気がします。なので、ヘタしたら人身事故を起こしていたかもしれず、自損でも身体に後遺症を残すくらいの大事故だったかもしれず、そう考えるとこの状況はとてもラッキーなことで。勿論そう助けてくれたのは決して自力ではなく、何か見えない力(ご先祖様、神様、仏様の皆様)のおかげなんじゃないかなーと思ってはいるのですが。

 まあ何もせずにじっとしてる訳にもいかないから、それなりに行動をするのですが、平和な生活ってやはり紙一重の世界ですねー。ちょっとしたブレでとんでもないことが起きるようです。なんとなく解決しちゃったから忘れてるだけで。『生きているってことは奇跡だよ みつを』、、、、、じゃないですが、確かにこうして何事もなくシレッと遊んで仕事して、ができることは実にありがたい幸せなことですなー。そう思ったら、多少の不平不満は実はありがたいことのようにすら思えてきます。おう、そうか!最近目先のことにばかり追われてブーブー文句ばっかり言ってたから、おいてめえ、それで十分幸せなんじゃぞ!との宇宙からの啓示だったのかもしれません。そう思うことにいたします。そういえば最近読んだ記事に、幸せに感じるハードルをグンと下げまくると、人生がとても豊かに思えてくる、というのがありましたが、まさにそうで、不平不満も無事生活できているからゆえ、だと思うと、実に生きてる実感のひとつひとつですらありますね。
 でも今回の教訓、やはりお墓参りはした方が良いですね。
 
     
 
  2016.10.01    季節は秋ですね。今年ももう後半も半ばを過ぎましたが、それなりに皆さん色々あったんではないでしょうか。今年の夏もやはり暑かった。暑くてテンションが上がって、楽しい事嬉しいこと辛いことなど、色々と駆け巡ってひとしきりののち、そんないろいろがゆっくりと沈んでゆくのが、秋の季節ですね。

 こないだ、(正確には昨日)ライヴ仕事帰りに、お仕事仲間の方とお話をしながら、ああなるほどな、と思ったこと。人には誰でも色んな種があり、悲しみ、楽しみ、愛、喜び、妬み、憎しみ(こう書いてて色んな感情があるんだなあと感心した私。)、とあるインドの思想家曰く、人は知らず知らずのうちに、心の中でこれらの種たちに水を遣っていると。で、その人の生き方、生き様で、いつも喜びの種に多く水をやる人、憎しみの種に多くやる人、とそれぞれ水のやり方が違う、と。

 だから、いつもトラブる人というのは、実は心の中で憎しみの種にばかり水を遣ってるからいつの間にかそれが大木なっていって,他の芽が全然成長せず、人と諍いばかり起こすことになるという考えだそうです。逆に喜び、慈愛の種にばかり水を与える人は人に慕われ、トラブルが起きてもその観点から接するので、トラブルが憎しみへと発展せずにスルーしてしまう。これが憎しみの種の人なら、きっとここで得たりとばかりにそれを拾って喧嘩になるんでしょうね。

 きっとこれをいわゆる『オーラ』を言うのではないでしょうか。喜びの『気』、怒りの『気』、目には見えなくともそういうものを発信し続けていると、いつの間にか『気』同士が反応して、同類が集まってくるような気がします。普段の生活の中で、どの辺りに心が引っかかりやすいか。自問してみると面白いのではないでしょうか。ちなみに私は『可哀想』『もったいない』『良いことも悪いことも3倍にして返す』(これらは気か?)に心が引っかかりやすいかなと感じました。今年の夏は『いいよ、俺なんか』によく引っかかってましたね。

 色んな種、があると思いますが、明るい色の種をチョイスしてお水を遣っていきたいな、と思う秋の夜でした。
 
     
 
2016.09.15   みなさんこんちは。お元気ですか?楽しく過ごせていますか。

 ようやく暑い夏が過ぎ去ってくれたようで、夜になると鈴虫がスズ、スズ、と。コオロギがコオロ、コオロと鳴いています。風情がありますね。そういう風情をじっくりと楽しむ心の余裕のないままに、月日の過ぎ去るのがふととても、もったいない、もったいなーい、と思ったある秋の夜。それはふと昔の国語の教科書に載っていた、小説を思い出したからでした。

 内容はよくは覚えていないので、ディテールは適当なんですが、ある少年(主人公・小学高学年〜中学生くらいか)が、夏に海沿いの親戚かなんか、あるいは単に避暑がてらの滞在だったのか、ある田舎で過ごしていたところ、そこである少女と仲良くなったと。で、ほとんど毎日のように会ってはお話をし、夏のひとときを共に遊び、とても親密になったはいいのだが、少女は学校がそろそろ始まるので、帰らなくてはならず、ある日少年にお別れをいい、住む街に戻っていった。そして、その少年の淡い恋は終わりをつげた。

 でも、その少年の元には、まだ学校の始まらない彼女の弟が残っていて、主人公の少年は、毎日その弟君と会っては、とりとめのないお話をした。

 さて、ここで問題です! なぜその少年は、彼女が去っていった後も、毎日のように彼女の弟君と、日がなお話をして過ごしたのでしょう。この答えは、次回の答え合わせです!

 なんてね。そんなことすると自分がそんなことを書いたことを忘れるので、完結します。そう、その国語の時間に、コナベは、まさにそう質問されたのです。担任の先生に。書いてたら思い出した。これ、小5の時の授業の話だわ。名前忘れちゃったけど、おばちゃんの担任の先生で、クラス会で『シクラメンの香り』を歌って、聞いてるこっち(主に男子)が、とても困った、あの先生だわ。

 なんで、グダグダ言ってるうちに、みなさん答えわかりましたか? 解った方はホント素晴らしい感性の方だと思います。小5の僕は判りませんでした。多分「タイクツだったから、、、』とでも答えたような気がしますが、担任の先生はちょっと笑いながら、『姉弟じゃがね!』 小5ナベ『?』 担『ホラ、一緒じゃがね!』 小5ナベ『???』 担『顔が似ちょるでしょうが!』 小5ナベ(なあ〜なあ〜、るホド!!!!)

 もうなんか、超感動しすぎて、とても切なくなりましたね! 好きだった女の子の面影を求めて、その弟君の顔を眺めながら、毎日想いを馳せる初恋少年。でも彼女のいないその場所なのに、その弟君に会えるだけでも心から幸せだったんだろうなあ、と。淡い想いだからこそ、いつまでも消えずに陽炎のようにこころの網膜に焼き付いて離れない彼女への想い。

 イントロの、もったいない、もったいなーい、はこういうこころの感性の夏を忘れて、ただただがむしゃらに(グータラに・貧相に)生きている自分が、とても非常にもったいなーい!!!と改めて感じたんです。いや、前進することはいいんです。忘れたくないことをいつしか忘れて生きることが、勿体無いと思ったのです。振り返って立ち止まってみることを忘れたくないと思った、月が時折り翳る、晩夏の夜のお話でした。

 でも、この小説、改めて、これはすごいですよ。こんなことが書けるなんて、この作家は素晴らしい。これが誰だかどなたか知りません?その小説、ワタシも授業で見たことあるという方、ご一報を。ちなみに私、昭和40年代生まれです。ご参考までに。
     
 
  2016.09.01    夏休み。。終わっちゃいましたね。僕は休みは特段なかったので(あったが仕事だった)抜け殻的ではないんですが、なんとなくやっぱり気分的にね。

 【Outra vez(オウトラヴェズ)】もう一度、とか、ふたたび、とかいう意味です。暑い夏でしたが、もう一度来ないかなぁ。9月に入るといつも思いますね。夏バテなせいでしょうか、ちょっと気弱なこの時期、色々と精神的に辛いことがありました。え、何?何があったのって? ぶふふ、そんなこと、ここで言うわけないじゃないですか。皆さんも生きてりゃ色々あるでしょ。

 で、まあ同時期にオリンピックとかもあったわけで、体操の内村航平、水泳の萩野公介の腹筋とかもふんだんに見て、よっしゃ腹筋割ったろ、という結論に達しまして、気分が落ち込んで食欲がないことを利用して、またダイエットを始めたわけです。ストレスはヤケ食いに繋がりやすいですが、絶望感とかの落ち込みは食欲を削るようです。でも落ち込んではいても、まあなんかブッ込んでいないと気が済まない性格なんでしょうね。自分でも自分がよくわからんのですが。

 元ネタは西田敏行が退院して、その激ヤセぶりに驚いたんですが、彼のコメントに、(1日1600kcalをキープしないといけないのが辛かった)とあって、逆にそうか、1600kcalをキープすれば痩せれるのか、とひらめいたのです。(今さら???基本なんですが)

 いやいや、アタマでは分かってはいても、やはり目の前の事実は刺激的ですからね。なるほどなるほど、と素直に思えるのです。で、食欲ないことをいいことに、またカロリーダイエット(これは王道らしいです)をおっぱじめまして。7/25に上半身セクシーショットを撮り、それを皮切りに一月なんとなくカロリーダイエットをやったら、なんか空腹がそう苦にならなくなってきました。

 前は、空腹が迫ってくるとだんだん腹がキューッと絞られるような感じになり、アー腹減った腹減った、と精神が不安定になっていたので、そうならないよう色々と買い込んでモバイルしていたのですが、その『空腹感の通り過ぎ』に慣れてくるとなんだか、胃がカラッポという状態が体内燃焼を促進してる感につながり、とてもヘルシーに感じられてきて、ちょっと体も軽くなってる満足感になってきたのです。

 インドかどっかに全くものを食べずに生きてるジイさんがいるらしく、ホント今でも信じられないんですが、実はそのジイさんみたくハラが減らなくなってきたんです。いや、僕はちゃんと食ってますよ。ただ、量が減りました。こないだ自分でびっくりしたのが、深夜松屋によって何を注文したかと思うと、なんと人生で今まで注文したことがない『ミニ丼セット』でした。

 ホンマにミニじゃった。で、不思議とそれに満足して帰路に着いたのです。このようにちょっと感覚が変化してきているのは事実なようです。で8/25にふたたびオウトラヴェズ、上半身のセクシーショット!を撮りました。残念ながら腹筋は割れてきてませんでしたが、マイナス4kgの減量の成果を得ました。

 あえて今回公表したのは、ここから涼しい時期に入るので、食欲が自然と増してくるからです。ちょっとした成果で気を緩めないよう、次のステップとして、公表ダイエットに踏み切った次第です。失敗したらチョー恥ずかしいというやつ。なので、11月の日記はこの続きをお載せいたします。リバウンドを征服できるか、がカギです。でも今回の私には秘密兵器がありますからね。例の精神的に辛かったネタです。食欲が増してきそうになったら、それを思い出して強制的に落ち込んで食欲を打ち消そうという作戦です。だからなんなのそれ! だから言うわけないじゃあないですか。ぶふふ。
 
     
 
  2016.08.15    こないだ、元々の性格のガサつさと大雑把なお年頃特有の不注意で、前歯をガキッと損傷してしまいました。カルシウムが足りなくなっているので至極アッサリと欠けてしまったのですが、何がショックって、50年以上生きてきたはずの自分の、行動の先読みというものがいかに浅いかということに、愕然としてしまいました。

 さっきまではしゃいでいた子供が、はしゃぎすぎて失敗して急にシュンとなるあの落差。誰かに言われたが、例えてみたら確かにそんな風な状態だったと思います。あれれ、さっきまで絶好調じゃったんじゃあ、ないんかーい!?みたいなフリーズぶり。。その時も周りから見たらそのナベの愕然とした様子が、意味不明でさぞかしビックリだったと思います。そう、超落ち込んでいたのです、自分に。

 で、そういう時の唯一の解決法は、、、なかったっことにするのです。そんな、ことは。 いつまでもほったらかしていると口の中で舌先に前歯がザラザラ当たるたびに落ち込むので、もう機械仕掛けの人形みたいに歯医者の予約をしまして、ロボットみたいにシャキシャキと次の日には治療しました。

 で、かかりつけのその歯医者さんは天然系の女医さんなんですが、女性なので基本的にはとても丁寧で、例のキュイーンとかも、痛い時こっちがちょっと眉をしかめただけで『あら、ちょっとしみるね。しみるってことは神経は健康な証拠だから大丈夫ですよー』とか、なんか小声でブツブツ言ってくれるので、痒い所に手が届くというか、いちいち手をあげたりしなくていいから、そこの歯医者さんはとても気分的にラクです。

 で、、今回なんと『うーん、この欠けはこれくらいなら別にほっといても大丈夫なくらいだけど、ほかの、そうね、この前歯のくすみが、この歯は差し歯だから、どうして合成樹脂だから仕方ないんだけど、そう、だいぶ色がついてるから、すこしでも、そうなんとか色が揃わないか、やってみますね。あとこのこっちの亀裂も、ちょっと樹脂で固めて色を少しでも、、、揃えてあげて、、あとは、そうね、とにかくこっち先にちょっと色がだいぶ気になるから。。。ブツブツブツ』

 そうそう、実は20数年気になっていたんです。この差し歯のくすみ、、、え???なんですって、これをアアタはなんと綺麗にしてくれるですって!!と、怪我の功名、喜びのあまり飛び上がらんばかりにびっくりしてる間もなく、キュイーン、ガリガリ、ペタペタと作業開始!! 変色した差し歯を地均し、その上に樹脂をヌリヌリしてくれて、前歯の損傷どころか20年来のひそかなお悩みまで、なんと20分で奇跡の復活を遂げたのでした。
 その鏡で見た復活前歯は、中1の時に黒田君(彼は当時すでにタバコの吸いすぎで歯がヤニッ歯だった)が会うたびに『渡辺君の歯は真っ白でいいね』とやたら褒めてくれてたあの時の栄光を、贔屓目ながらも彷彿とさせてくれる出来栄えでした。

 歯医者さんは職人じゃなあ。。。しみじみと、いまだに仕上がりの時の感動をスルメのようにいつまでもむさぼりながら、そしてカチコチのあずきアイスをガリリンガリリンと食べながら、夏の風物詩、譜面書き作業に勤しむナベの2016夏休みでした。
 
     
 
  2016.08.01    初めてジャズフェスに行ったのは中学2年生の時でしたかね。行こうと思った理由は、UMK宮崎放送がその時流していた、フェニックスジャズインの宣伝のBGMが、とてもおしゃれなナベ好みだったからです。スパイロジャイラだったかな?

 そのCMは、アルトサックスを下から写したその映像がとても肉感的で、流れる音楽との相乗効果で、なんかなんだか分からないけれども、きっと今でいう『フェロモン』を感じていたような気がします。その洗練された音楽のピュアな感性と、サックスの造形の本能に訴える的な感覚の融合に、魂を揺さぶられた、とでもいいましょうか。

 兎にも角にも、そのまだ見たこともない、ジャズフェスとやらに、なにか未来を切り開くようなものを、まあオーバーな言い方かもしれませんが、でもそういった期待を持って、学校を合法的にサボって行ったと思います。

 で、行った先はカオスの現場でした。。。オッサンたちがビールを浴びるように飲みながら狂乱し、屋台ではカップラーメンを一杯500円(今じゃ1000円てとこか)でボッタ売りしてそれに群がる不経済な大人たち(実はほんとはナベはお腹空いてたけど、高いから買えなかったの)、見ず知らずのオッサンが、お前も立て!とスタンディングを強要したり、おしゃれなナベ好みの世界とは3600度かけ離れた世界でした。

 そして初めて聴くジャズ。。。あのこれは一体なんじゃ的な、訳わかりません、太鼓とコントラバスとピアノで訳のわからんメロディが永遠に続き、超脳みそでんぐりがえる狂気な世界。パンフレットを見ても、この枠にはベーシスト一人しか参加してない!とか、静と動の表現がどうたらとか、なんたらのレーベルに吹き込んだ、等。いかにも生の大音響の、鼓膜を突き破るようなサックスの音は、黒板をキーする音の一歩手前的な、快感なのか禁忌なのか、超危険な境界線上の音にしか感じなかったので、これは録音された、なんて生やさしいもんじゃなく、確かに得体の知れない何かをレコード盤に注入した的な、まさに『吹き込んだ』ということであろうと。

 こないだ、大西順子の演奏を聴いて、久しぶりにその当時感じた危険な匂いを嗅ぎました。曲はスタンダードなんですけどね。昔ジャズフェスで嗅いだ、この大人たちは一体何なんだろう、というカオス臭。でも、その突き抜けた何か。なんかいいですね。
 
     
 
  2016.07.15    太平洋を望む内海部落の先、2km程のところに小さな部落があり、その日も朝早くから、というよりまだ真夜中でしょう、一人の少女が学校に通うべく家を出ました。

 その野島部落は今はもう閑散として、遠くない将来には限界集落にまで落ち込む可能性のある高齢部落ですが、当時は隣のアンチャン、わけもん(若い衆)、雨後の筍のようにわんさかいる子供達で部落の半数以上は子供でした。その女の子も4人兄妹の長女で、兄妹の中では、いち早く女学校に通い始めました。

 でも内海、小内海、野島、いくら活気があっても所詮は田舎なので、女子高等学校のある市内へは電車通学です。おっと、それはありえない。汽車通学でした。宮崎軽便鉄道の終着駅で始発駅でもある内海までは、自宅から距離2km、悪路極まりない、当時の砂利小石で出来たあぜ道のような痩せた国道を、毎朝歩くこと1時間。

 そして其処から、汽車に乗り市内の学校へ向かうこと凡そ2時間。雨が降ろうが台風が来ようが、行き帰りに合計6時間もかけて通い続けた3年間。当時は学校に通えること自体が幸せなことだったのですが、でもそれ以前に、当時の人のバイタリティの水準が凄すぎる。。。

 そんな通学風景の一葉の写真が残されていました。場所は青島。全国的に有名でもある観光地青島ですが、実際には今も昔も海辺のこじんまりした 1集落にすぎません。そんな海風の香る青島駅で、ソテツを背景に映ったその女の子は、学校帰りで浮かれてるんでしょうか、なんだか開放感のある笑顔で、にこやかに笑っていました。青島駅からは自宅まであと1時間半もかかるのに。でもきっと歩いて帰り着いたら美味しい晩ご飯です。それからちょっと勉強して、横になって雑誌でも読みながら、これからの楽しい未来のことでも空想するのでしょう。そういえば、その子はやたらと文章や詩を書きたがる習性がありましたから、夢想家でもあります。きっと楽しい空想はお手のものでしょう。

 その少女と映っていたソテツの木が、いまも青島駅に残っていました。写真に写っていた時はまだ細っこい若木でしたが、今ではすっかり堂々としたナリで、人気のないローカル駅のど真ん中に鎮座しています。いつも訪ねるのは深夜なのですが、終列車も山の闇に消えて行き、煌々と明かりだけが灯る駅舎はいつも、草の葉に遊ぶ虫の声と、蓬莱の国を思わせる薫風に静かに包まれています。

 いつも思うのは、60年前のその写真の風景と、今目の前の風景とが、なにも変わらないような気がして。ついつい1時間も2時間もそこでぼーっとしてしまいます。そのソテツは確かにその女の子と時間を共にし、そして今、僕と時間を共にしています。こうしてここに佇んだまま、何か神様の機械とかで、グルグルグルーッと時間のハンドルを逆回し出来たら、その女の子がフワーッと目の前に現れてくるみたいで、でも、その子は僕を全く意識することなく、友達と騒ぎながらスーッと目の前を通り過ぎていくのかな。いつも空想します。もしそうなったら、でもやはりその女の子からは僕は見えないでしょうね。見えちゃいけないですから。でないと、僕はこの世に生まれないわけで、こうしてみなさんとも会話できないですからね。そういえば僕も空想は好きなようですね。独り言も多いですが。今回のは深夜の独り言でした。
 
     
 
  2016.07.01    おや、またお会いしましたね。では、こないだ帰省した時のお話でも。。。

 近年は飛行機に乗るのもかなりお手軽になってきましたね。荷物も自分でロッカーみたいなとこで操作したらガラガラとシャッターが閉まって、ハイおしまい!搭乗券も専用の機械で番号を打ったらすぐ出てきて、はいおしまい。本当に普段着で乗れる乗り物になってくれて、おかげでわざわざスラックスを履かなくても良くなりました。

 でも手荷物検査は相変わらず厳しいチェックで、まあ変に引っかかると嫌なので、今までかなりしっかりめに金属類は外してゲートを通過しておりました。ただ、こないだ通過時にピー音がなってしまいましたねえ。

 『お客様、どうぞこちらへ』と、丸ぽっちゃりな可愛い制服の女の子に誘導され、身体検査を受けました。女の子が持っているのは、丸い輪っかのついた金属探知機みたいな棒でして、これをなべめの全身くまなく検査していきます。それはいいんですが、今回それが、な、なんと、なべめの下腹部通過の際に、激しくピーピー鳴るのです。まるで【ココ!ココ!超怪しいよー!危険物アルヨー!】とばかりにピンスポットで鳴りまくります。

 おへそのあたりにずらすと静かになり、ズボンのとこに下げるとピーピーピーピー鳴る。もうこれはドリフの空港コントみたいな展開です。いやー、悩みましたね。やはりここで、加藤茶みたく『ちょっとだけヨ〜❤️』というべきかどうか。

 そうこうするうちに、ズボン全体をくまなく検査され始め、私の聖なる股間に、その丸ポチャのお姉さん、ここはアヤシイとばかりに、そのSM棒を下から結構スコーンと当ててくるではありませんか!!いや、本当マジで!!

 1週間ほど前、バンドミーティングでそのバンドのドラマーが、実は僕、ぽっちゃり系の女の子にすごいハマってて、一時期池袋のぽっちゃりクラブに通い詰めてたことがあるんですよー、とかいう重要な話を聞いたばかりだったので、世のぽっちゃりバーだかぽっちゃりハウスでは、まさにこんな感じなのかなあ、なんてぼんやり考えていたら、なんと『すいません、ちょっと確認させてください』と、その女の子、ベルトの下にぽっちゃりしたお手手をスッと入れてきましたっっ。

 (おう、なんということだ! もう五十路も過ぎてただただ平和に毎日を生きているワシなのに、しかもこっちはお客さんなのに、公衆の面前でその下半身をこうも厳しく検査していいものなのか? も、も、もしかしてこれはある種のプレイか?見れば、この子はまだ若い。10代の雰囲気すら漂わせている、うら若き乙女なのに、会社はこんなことをさせるのか!これは果たして本当に会社の指示なのか、あるいはここまでやるのは、モ、モシカシテこの子の自発的な趣味なのか? いやあ長生きはするものだ。帰ったら早速ドラマーの奴に自慢してやろう)

 テロ対策等で羽田空港の検査業務に携わるみなさん、毎日大変ご苦労様です。そしてこの度はとてもありがとうございました❤️ 因みに、帰路の宮崎空港でも、あのSM棒を空港職員(ぽっちゃりクラブの子ではなかったが)が持っていくことを確認したので、満を持してゲートをくぐったけど、おおらかな宮崎ではウンともスンとも機械は反応してくれませんでした。
 
     
 
  2016.06.15    自分の意図するものが相手に伝わらず、誤解を受けたまま良くない方向に物事が流れてゆく。あるいは、逆に自分が相手の伝えたいことを全く理解せず、相手が離れてゆく。まあよくあるすれ違いというやつですが。

 ただこういう事はなかなか正せずに、また同じシチュエーションをよく懲りずに繰り返したりしますよねえ。 えっ?僕だけですか? やっぱり。。。

 まあそれは、覚えが悪いという事が一因なんでしょうが、究極で受けた恩、というものはさすがに自分では覚えている方だと思います。まあ、これを忘れるようになっちゃあ、人としてお仕舞いですからわざわざ改めて威張って言う事では全然ないんですが。

 今もいろんな方から恩を受けてます。その恩があるからこそ今を生きていられてる、とつくづく思います。言い換えれば、親切にされている、という事なんですが。その、親切。僕が物心がつき始めての、最初の親切のお話です。

 当時、宮崎には太平洋を望む堀切峠から先に、鵜戸神宮、サボテン公園、都井岬なる観光名所がありまして。まあ今もありますが。で娯楽のない当時、日曜日ともなると、海岸線の一本道はファミリーカーの長蛇の列に良くなっていました。そのサボテン公園にはサボテンステーキとかいう超食いたくないメニューもあったようで、まあ宮崎人の商魂たるや、実にたくましいというか、なりふり構わないというか。

 で、当時一時期でしょうが、そこには一回10分くらいのヘリコプター遊覧飛行がありました。で、うちの父ちゃん、子供が好きだったんですね、超優しい、大奮発して、安くもないその遊覧飛行に乗せてくれたんです。で、僕が覚えているのは、妙に並行でない超斜めの落っこちそうな状態で、サボテン公園と青い海を何故かはるかに高い空の上から眺めてる記憶なんですが。昔のベル社製のヘリでしょう、バブルコクピットなんで、下が透明、透けて見えて怖い、を通り越して、この状態は一体なんなんだろう、と固まってたように思います。

 その話をこないだ宮崎に帰った時、親父殿としてたら『あー、あんときゃ、サボテン公園にヘリのよ、遊覧するやつがあったがねー。』『で、近くまで行ったら、たまたま操縦士がヘリから出てきて、乗らんですか〜、て言うかい、お父さんなビックリしてよー。』『でん、最初は操縦士が、1回10分ですが(宮崎弁で、10分ですよ、の意。10分だけどなんか文句ある?ではないです)、て言っちょったっちゃけど、こっちが子供連れやったかい、30分くらい飛んでくれてよー。降りてから、えらい長い時間飛んでくれたですねー、お金はいいとですか?て聞いたら、いいとですよいいとですよ、て言ってくれたもんじゃかいよー、ほーしたい(あらまビックリ、的な意)、ラッキーじゃったがー。』

 たまたまヒマで、もちろん商売もあったのでしょうが、燃料費も嵩むしオーバーワークなのに、子供連れと見てサービスしてくれたそのヘリの操縦士のおじさん。初めて乗るヘリコプターというのもあったでしょうが、その話を聞いて、だから40数年経った今も、そのあたたかい思いやりの空気が、とても楽しい思い出となったんだなあ、と納得しました。
操縦士のおじさんにとってはきっと何でもない1日の仕事のヒト枠だったでしょうが、僕にとっては、キラキラとした青い海の輝きとともにとても大事な幼少期の思い出として、記憶の中に残ってくれました。

 親切、というものはすごい力を持っていますね。うん、善行を積まなきゃ。頭丸めようかなー。丸めません
 
     
 
  2016.06.01    雨に濡れ、雨に昏れた家家に橙がともった。

 この書き出しの一編の詩に、よく茫洋とした自分の未来の風景を重ね合わせて、夢想した中学時代。 雨の風景は決して嫌いではなく、むしろ好きな方であった。詩の内容は雨に煙った町の幻想的風景を、実に平易な文章で歌ったものであり、雨の情景の寂しさと奥深さが、じんわりと伝わってくるものでした。

 今、何時しか、『活動すること』が常に最命題となり、日々の襞を嗜む、味わう感覚に遠ざかっておりました。雨が降っていたら、それは『心の潤い』ではすでになく、ただの交通手段の選択を迫られる気象現象の一つでしかなく、あの頃夢想した(しかし雨の風景にソソルとはかなり暗い性格ですね)未来の風景に到達している現在が、あの頃より、心は未来の情景から遠ざかっていることを、ふと感じました。いや、確実に今はただただ、生きているのみ、呼吸しているのみ、と言った方が正確な気がします。

 学校生活、子供時代の不自由は、親元、規律に縛られる生活ですから、そういった抑圧の元で逆に感性の発露みたいなものが起こりやすいのかも。その頃、頭の中では未来の妄想が、むちゃくちゃ広がっていましたもん。あるいはただ単に若さゆえのエネルギーの持って行き場がたまたま僕の場合は夢想することだったのかもしれません。まあかなりトンチンカンな行動も起こしましたがね。親は大変だったろうと思います。

 そう、大木実さんの詩を思い出したら、そういうことをズラズラーッと思い出しちゃったんです。でもこの日記書いてて良かったです。思い出させてもらいましたから。そう、何が足りないんでしょうかね? 時間? もちろんそうですが、何ごとかの想いを馳せる時間、でしょうか? 具体的には、想いを馳せる何か?を今持っているか? そういうことになるのでしょうかね。

 これから雨の季節になってきます。もうあの頃のような夢想はできなくても、雨の休日には、その頃のことを思い出して、1日過ごしてみるのも良いかも。心の中の忘れていた何かに気付くかもです。その何かがもしかしたら、矢のように過ぎ去ろうとしている色褪せた『今』を、あの頃のような人生のゴールデンタイムにするのかも知れません。
 
     
 
  2016.05.15    皆さんお疲れ様です。最近とみにあっついですね〜。日差しが年々きつくなってますから、早めの紫外線対策をくれぐれも宜しくお願いします。

 最近といえば、よくモノを取ろうとする時に見切りが甘いのか、手の端がガンと横のモノに当たって、グワラッとドミノ倒し的に周辺のモノが次々と倒れてゆく光景をよく目にするようになりました。それも一瞬で崩れるのではなく、一種スローモーション的な、時間的には余裕のあるゆったりとした崩れ方なんですが、それを見ながら不思議と何もしない自分がそこにいます。

 こないだなんか、足に引っかかったテナーサックスが、ケースの上から地面にゆっくりゆっくりゴロンする様を眺めながら、じっと石のように固まったまま、なんとかゴロンしないでくれ〜、と神に祈っている自分がいました。サッと身をかがめてテナーサックスを救えばいいものの、その程度の動きにも事欠くようになったです。結局ゴロンしてしまい調整が狂ったので、後で自分で直しましたが。

 なんかヨボヨボじいさんみたいな話ですが、普通に活動はできてます。ちゃんとしてますよ。ただ瞬時の動き、判断に迷いが生じてそのままフリーズ!、何もしない〜、ことが多くなったんですねえ。

 なので、年度明けの上半期の誓いとして、『わたしはキビキビと動く!』(20年前のように)これを誓います。

 もう少ししたら日差しの暑い夏が本格的に始まりますから、夏バテとかもしないよう、今からしっかり動いてスタミナをつけて軽やかに2016の夏を駆け抜けて行きたいと思いまする。

 でも最近目もちょっと見えずらいんですよねえー。視力はいくら誓ってもどうしようもないんで、せめてパソコンとか目を酷使する作業は控えようかなと思います。でも月2回のナベ日記を心の拠り所とする100万人読者の方々のことを思うと、やはりパソコン作業はやめられないしなあ。仕方ない。ヤフオクとか無料動画とかは深夜2時に切り上げることにしよう。。。。。
    んー?、ノンキビキビも視力低下も全ての元凶は寝不足か??
 
     
 
  2016.05.01    皆様、楽しいGWをお過ごしでしょうか。私はGW期間中はクルマの塗装屋さんになってます。缶スプレーは垂直にスプレーしないと、水平だと噴射が悪くなりますね、というどうでもいい貴重情報を載せておきます。

 先日発表会がありました。とても楽しい発表会でしたが、いつも自分自身に返ってくるヒントみたいなものがあります。生徒さんたちの真摯な演奏を聴きながら、またそれを心から楽しんでくれるお客さんたちの反応を見ながら、人にとって心地よい音というのは、どういうものなんだろう、という気づきがありました。

 自分で作曲するようになって、創る音楽はまず自分が心地よさを感じ得るものでないと、人様に聴かせられるものではない、と改めて自覚するようになったのですが、演奏もまたしかりです。それはその時その時の空気感に大きく左右されますが、それだからなおかつ、いかなる時もブレないメンタル的な幹の太さ、自分は腹から歌っているか、そういう精神の屹立性がとても大切になってきます。

 でも今回感じたのは、それよりも、奏者自身がどれほど曲になっているか、それこそをお客さんはこうして聴きに来るのではないだろうか?今回の発表会で生徒さんたちの演奏を聴きながら、実にしみじみ考えさせられました。

 そんなしみじみとしたことを考えながら、連日外の作業で紫外線にすっかり労働者焼けして、まったく色が黒いです。そんな季節労働者風のサックス吹きが今月末ライヴやりますから皆さん、どうぞご来店くださいまして、僕たちメンバーに日当を稼がせてくださいね。
 
     
 
  2016.04.15     皆様いかがお過ごしでしょうか?ことしも1/3が早や終わろうとしていますが、びっくりですね〜。昔はお正月にお年玉をもらって、次の学年に上がるまでのこの期間、いろんなことが詰まりまくっていて、実に濃密な日々だったのですが、大人になって効率的になった分、時間も効率的にテキパキと進んでいっちゃっているんでしょうか?

 僕は女の子大好きの変態ナベ男でしたから、好きな誰それちゃんがいる学校に行くのがとっても楽しかったですね。好きな女子が同じクラスにいて、たまにそれとなく話したりして、あの微笑みはキットまんざらでもないな、などと甘い観測を立てては一人でウキウキしたりする、まさに夢のような日々。ジャズと女子の奥深さを知るよしもない小学生ナベ。

 今思うとまさにメルヘンな感じの小学校6年間でした。好きなコできると世の中こんなにもバラ色に見えてくるもんなんだと、とてもとても衝撃でしたな。今思うと、その頃の感性は(小ナベのね)多分に行き当たりばったり的な、いい加減なものだったので、なんとなく好ましいというだけでそれを大勘違いして、オレはあのコを愛している、となる図式も多々あったようです。

 なので、無垢な小学生時代と違って、だんだんと薄汚れてきた高校時代あたりから、そういうリスキーかつ純粋なスキスキ路線がなくなってきて、めったに女の子にマジに惹かれなくなりましたね。今考えると結構可愛い女の子が西校多かったのになあ。小学校時代のラブは、結構妄想的なラブワールドですんで、頭ん中で相手を超美化して、それを愛おしむというか。マダムの韓流みたいなもんですかね。私はそういうのが好きだった。

 それと比べて高校時代の周りのラブは、もう超直接的ですから、その夢のような妄想が入り込む余地が全然なく、いかになにをあれするだの、これをどうするだのと、情報ばかりが先行し、全くついていけませんでしたね。情けないことながら。心は大淀小学校に置いたまま。ま、お子様時代が長すぎたというとこでしょうか。まあいいんですが。

 今クルマを塗っています。自分で決めた義務なので。で、この作業。迷惑のかからない場所でやってても、誰かに見られるたびに必ずアヤシイ奴とばかりに通報され、いつの間にか警察車両がナベ横に横付けしています。迷惑はかけてなかろうがなんだろうが、まあ、目障りらしい。直接言ってくれればすぐ消えるのに。どっかからジーッと見てるんでしょう。ぜんぜん悪いことはしてないのにビクビクするのってなんかイヤですね。なんかそんな世間にガックリしながら、そんな現実も受け止め、すさんだ気持ちで聴いた『スカーレット・ローズ』と言うバラード。

 いやー、久しぶりに恋しました。その歌声に。すさんだ心が溶ける。溶けていく。。。小学校以来の妄想ワールドに浸れる素晴らしい恋の歌。見たこともないような素晴らしい情景の世界に誘ってくれる音楽って、その力ってハンパない。よし、やはり牛乳配達はやめて音楽に専念するぞ!というわけで、本気で僕のことを心配してくれてメールまでしてくれた○井さん!牛乳配達辞めました!

ともに音楽がんばりましょうぞ!
 
   
 
  2016.04.01    皆様、脳の調子はいかがですか?先日、無料配信のホラー映画の主人公のセリフで、ちょっとナルホド!と感じたものがありました。

『怒りの感情は悪魔の思うツボよ。悪魔はそれが大好物で、それを食べて生きてるのだから』

 一つの事柄でも、脳がどう判断するかで、この物事は180度変わります。対人関係も、自分の感情も、これからやる用事も、その日のお天気ですら、とらえようで快活にも物悲しくもなります。

 恥をさらすようですが、こないだリハーサルに大遅刻しました。前回行ったはずのリハ会場をなぜか間違え、45分遅刻です。しかも一時、大渋滞の中、完全に道に迷い、パニックを起こしかけたくらいの慌てようでした。

 その時の感情。。。これは超強烈でした。ダサイ!!自分死ね!!でしたから。その時思ったのは、人間、自殺する原因って、完全なる自己否定によるものもキットあるんじゃないでしょうか。

 今考えると、遅刻こそしたものの、事故も起こさず、メンバーも温かく迎えてくれ、残りのリハも無事終えることができ、おかげで逆気合が入り、イベント自体は大成功、素晴らしいライブナイトになったんですが(メンバーが素晴らしいから)、華やかな舞台の裏側にはそういう一面もありました。

 分析してみたんですが、こういう怒りのループは怖いですねえ〜〜。妙なアドレナリンが出て、ある種ハイな状態ですから、{負の居心地の気持ち良さ}、というものを感じました。酔っ払いが気が大きくなって騒いでまわりに迷惑をかけてる状態に似ているかも。小心者が自己を解き放つには《怒り》とは最適なツールなわけです。そして麻薬と似ていて、ともすれば何かの折に、自分の感情が心地よい《怒り》のプレートに着地しようとしているのに、こないだふと気がつきました。

 そうなる原因には忙しさ、余裕のなさ、カネのなさ(わたくしめ特に)が、一見あるような気もしますが、世の中にはもっと大変な境遇の人も沢山いて、素晴らしい生き様を立派に貫いている人も大勢いるわけですから、そんな理由は理由にすらなりません。となると、やはりナベめの心にいつしか悪魔が住み着いて、人生を堕落させようとしているのでしょうか(我がの怠慢を悪魔のせいにする)

 いかんいかん、これもそれもきっと夜更かしの多い生活のせいだ。ようし、これからきちんと朝早く起きて、有意義な人生を送るぞ。というわけで、わたくしナベめは不規則な音楽生活から身を引くことにしました。実は現在9時就寝4時起き、牛乳配達で生計を立てています。また長い東京生活でしたが、もう少ししたら人生を見直す旅に出てみようかと思います。皆様色々とありがとうございました。
 
     
 
  2016.03.15    最近雨模様の日々が続きますな。東京の雨は、いつも特に寒くて、薄暗くせわしなく、物悲しくどんよりとしてて、そして未来への希望に満ち溢れている気がします。

 学生服を着た田舎の高校生が、33年前にサックスを抱えてレッスンを受けに、人生初めての東京に出て来た日も、こんな薄暗いしとしと雨でした。人生初めての山手線や地下鉄で、どこをどう行ったか全く覚えていない早稲田坂を登ったあたりのその風景は、今もきっと当時と同じような雨煙を漂わせていると思います。

 日本クラシックサックス界の巨匠のやっとたどり着いたその一軒家は、坂の中に埋もれているといった感じの小さな家で、狭いレッスン部屋でなんかリードの削り方をメインで教えて貰った記憶があります。自分の実家がお茶屋だったので、手土産にお茶セットみたいなのを持って行った気がします。そのくせ謝礼は持っていくのを忘れて大恥をかきましたな。それでも、巨匠は気を悪くするでもなく、「おーい、ママ。渡辺くんとこからお茶をもらったよ』と上機嫌で言ってくれました。

 行き帰りは寝台特急『彗星』でした。当時ハマっていたピアノのジョー・サンプルのテープをウォークマンで聴きながら、雨に煙った東京の街を希望の目で眺めながら、とまあ、とにかく広い世界の一角をちょっと、ほんのちょっとだけペロッて舐めてみて、うわ〜い、とばかりにはしゃいで大急ぎで宮崎にとんぼ返りした、そんな感じの初東京でした。レッスンを受けるというより、上京のきっかけ作りだったんでしょう。

 長い夜行の旅を経て、ようやく宮崎に帰って「謝礼を渡さんといかんがった。』と母親に言ったら、「そらそうじゃが。そうじゃねーかねー、と思っちょったっちゃが。』と呆れた目をしました。世間知らずもいいとこですね。高校生のくせに、もうすっかり自分のことだけで舞い上がっていました。後日、書留で謝礼の方は送ってくれたようです。

 そして33年経った東京は、自分の中では当時と特には変わっていない様子です。ナベを支えてくれた巨匠もナベママもジョーサンプルも、今は3月の雨の記憶と一緒にあるのみですが、その明るい希望の残滓は、物悲しくどんよりとした薄暗い、寒い東京の雨のなかを歩くと、いつも心に蘇ってきます。
 
     
 
  2016.03.01    僕が子供の頃、宮崎はチャンネルが2つしかなく、現代と違って勿論スマホゲームやインターネットなんかありません。なので、雨の休日、特に梅雨時なんかは外は暗いし、子供心にも最悪に退屈な時間が流れておりました。

 そんな時、チビナベは何してたかというと、家にあった図鑑を眺めておりました。世界文化社・カラー図鑑百科全24巻。そのうち、動物、昆虫、魚貝、鳥類、植物、天文と気象。ナベ家にあったのはこの6冊でした。文化度のそう高くないはずのナベ家なのに、何故か親が買ってくれてたんでしょうね。チビナベはそれを飽きることなく、何度もなんども眺め返してはヒマを潰していた記憶があります。

 なぜなら、楽しかったのです。例えば、魚貝なら、描かれてある岩場の魚とかを眺めているのが、超楽しかったのです。何が楽しいのかって?そういう挿絵を見ながら、魚たちの海の生活を想像するのが楽しかったのです。ああきっと今頃、このサンゴの穴に巣を作って寝起きしてるんだろうなあ、とか、このワカメの林の中でかくれんぼしながら遊んでるんだろうなア、とか。

 その中で、特に好きだったのが『天文と気象』でした。これは宇宙関係はカラー写真が多用され、若々しい輝きのプレアデス星団や、広大なアンドロメダ星雲とかがとても綺麗だったのと、気象関係は挿絵に海風、陸風、雪雲、いろんな風景があって好きだったですね。

 その中で雨の風景がお気に入りでした。雨にも色々あって、暖かい雨、冷たい雨、雪、ひょう、あられ。それぞれの粒のできるまでが絵に書いてあり、それらが降っている情景が挿絵で描かれているんですが、雪は赤いカッパを着た少女が道を歩いている風景、ひょうは少年が軒下に隠れてやり過ごしている絵、その中でも特に好きだったのが、どこかの公園に雨が降っている(あたたかい雨)の絵でした。どこかの街でしょうね。どんより曇った空から静かに降り続けるあたたかな雨。

 ページがバラバラになるほど眺めた彼等も、私が18で実家を出て、月日が経ち、いつの間にか実家から消えて久しく、古い品なので手に入れることもできないまま、遠い記憶の彼方に大事にしまっていたのですが、先日ネットオークションにそれらの古い図鑑が売りに出されていました。

 懐かしい記憶とともにもう一度戻ってきてくれた、子供の頃の時間。仕事が一段落したら、しばらくの間、また飽きるまで、在りし日のかの時代に行ってみようと思います。
 
     
 
  2016.02.15    松屋によく入ります。牛焼肉定食が好きでよく注文するんですが。NHKのサラメシとかを見ていると、文豪何々が愛したこの一品、、、とかよく出てきまして、それを見てると、食欲中枢がナベの体幹に網の目のように張り出してきて大暴れします。

 なので、よく使う手法として、松屋に入ると、『牛焼肉定食。渡辺順一が愛したこの一品、、』とか心の中でナレーションしながら店に入っていきます。そしてあえて、全品揃うまで箸はつけず、全部並べられてから、お箸で焼肉を一切れ持ち上げながら、『この程よい焼き加減を、渡辺はこよなく愛した、、、』とか一人でやってる訳ですよ。非常に盛り上がります。

 月曜日深夜の板さんは、多分アルバイトのお兄さんだかおじさんだかで、渡辺順一好みのしっかり焼きの人で、とても美味しく頂いてます。美味しいお肉にありつけた日は、それを提供してくれたお兄さんに後光が射しているように見えます。こんなウマイものをさりげなく提供してくれて、なんてこの人はすごい人なんだ、キミはすごい!!知っているかい?と心の底から尊敬してしまいます。が、今日は失敗しました。

 日曜日夜の部はたまーにアルバイトのお姉さんだかおばちゃんだかで、この方、焼きが甘いんですねー。あんまり遭遇しないので忘れてたんですが、一口食ってみて、あ、しまった、そうだった、今日はマズイ日だった、といつも後悔します。

 なので、お肉に焼きが足りず、ただひたすらゴムゴムしたお肉を提供された日にゃあ、いつも心の底からガッカリします。百の悪口雑言を心の中でつぶやきながら。そんな時、床掃除とかをやっているその板さんに向けるナベの目は、非常に厳しいものになります。

 食べ物のパワーってすごいですね。美味さの良し悪しで、その店主に対して心の底から尊敬の念をいだいたり、殺意を抱いたりするんですから。きっと音楽もそれと同じだと思います。

 『渡辺順一の音楽は、非常に心地よい。それは、、、』とかお客さんが心の中でナレーションしてくれるようなライヴを実践できてたら良いのですが。 『おいコラ、テメエ、何タラタラ吹いとんじゃい!!カネ返せ!!』と悪口雑言を浴びせられてない、とも限りません。至福の音楽でお腹いっぱいになっていただきたいことを願って、板さん渡辺は今日も精進したいと思います。次回はジャズバージョンライヴ!ゴムゴムしないよう頑張ります。
 
     
 
  2016.02.01    寄る年波には勝てず、一昨年から真面目に健康診断とかいうものを受けるようにしているんですが、ついつい受けるのを忘れてしまいますね。年末忙しかったというのもあるんですが、体がなんとか回っている時には健康のありがたみを感じないもので、これはいかん、と今年も健康診断のことをようやく思い出し、前の晩より絶食して受けに行きました。

 でも、朝の習慣でついつい、水とクッキーをつまんでサプリを口にポイ!としてしまい、あ、やばい、今日は検診日じゃん!と慌てたのですが、口に入れてしまったものは仕方がないので、そのまま受付に行くと『ウチではそういう検診はおこなっておりません!』と、ピシャリと言われました。

 で、途方に暮れていたのですが、『とりあえず演奏中の数値だけは測れますので、こっち来てください』と言われ、待合に座りました。

 そこで配られたのが、(健保)のスタンプが押されたスタンダード譜面(ガーシュインかなんか)で、『とりあえず、ソロを回してる最中に数値を測りますから、お一人づつ吹いてください』と看護師のオバチャンに言われ、ナベは『でも、検診用の譜面で何コーラスあるか書いてないんですよね〜』と文句を言ったら、何故かお医者さんの設定のピアノの太田先生(ヤマハ講師・毎年発表会でね〜)が、じゃあ僕が最後のコーラスを半分とるからそこからテーマに戻ってよ』と提案してくれ、じゃあとりあえず始めましょう!、と診察室に入る、という夢を検診日前夜に見ました。はい、夢のお話でした。あまりにタイムリーすぎてついつい書いてしまいました。

 で、ようやく話は現実に戻りますが、現実の検診では、ちゃんと絶食し、最後まで飲まず食わずで頑張りましたよ。ただ今年は看護師のネーチャンに採血で2回もブスリされました。そこにはどう見ても血管ないぞ〜というお肌を脱脂綿ゴシゴシ&ブッスリされ、案の定全然血が取れず、『(血管)そこにはなかったですか』と皮肉ったら『はい、意外です』と切り返されました。ヲイヲイ。。。

 2回刺しは痛恨の極みでしたが、楽しいFun Lifeを送るためにも、周りに迷惑をかけないためにも、やはり健康診断は重要だなあと、今年も思った、とある冬の休日でした。
 
     
 
  2016.01.15     皆さんはどうですかね。おべんとう、という響き。何かありますか?

 具体的な記憶はないのですが、たぶん初めてお弁当に遭遇したのは、保育園に通いだしてからだと思います。保育園に通いだしたのも、なんか途中入社みたいな記憶があり、以前も書きましたが、心積りも何もなく連れて行かれ、いやだあ、帰りたい〜と半狂乱で母親の手を離さず、かたや山王原児童館(さんのうばるじどうかん・なべの保育園・現在廃園)の保母さんはなべを引き離そうと引っ張る、それを児童館の児童全員が面白そうに見ている。なぜ、中途半端な時期に入園したのか、皆目わかりませんがもうそんなでカルチャーショックがものすごく、ベソベソ泣きながらみんなに挨拶させられたことを覚えています。

 子供はみんなそうでしょうが、母親大好き、お母さんと一緒ならちょーシアワセ、な生き物ですから、初めて母親から離されて、そりゃあもうね〜、心細いのなんの小さなバンビですよ。で、そんなひとりぽっちな中で(まだ友達いないから)、母親の温もりの、おべんとう、に出会っちゃったものですから、それが心の拠り所となったわけなんじゃないかなー、と思います。

 ハイ、オベントウのじかんです!みんな、手を洗いましたか?では、いただきます!!こんな感じだったんでしょうね。だから、オベントウ、という響きがめちゃくちゃ泣けるような甘くて切なくてとっても美味しいイメージとして、チビナベに定着し、オベントウと聞くと、なんか今でも魂が震えるようなそんな感覚が湧き上がってきます。

 べんとう、じゃダメなんですね。なんか違う。ランチ、これもオシャレすぎて包み込んでくれる何かがない、昼メシ、これなんかただハラ減った、だから食う、という感じでただのオッサンテイスト、愛がない。お昼行きましょう、うーん、社食ですか?

 やはり、おべん(Oben)、ときて、トウ(Tow)、とくる、このちょっともっちゃりした言葉の感覚と、オウで語尾が終わるこのホワンしたフィーリング。おべん、もいいですねー。なんかどことなく優しく温度を感じる音の響きと一旦タメを作るような語感&リズム。そこに、とう、とくるから、座り良し、味良し、響きよし。

 オベンキョー、ときたら、なんか受験生な感じですが、おべんとWu、だとなんか一気にアルマイト製の平たい箱に、夢(卵焼き、タコソーセージ、その他無限の愛)がいっぱい詰まったものを感じるのは僕だけの感覚なのでしょうか。みなさんはいかがです?

 でもこの時期、食べ過ぎには注意です。また来月お会いしましょう!
 
     
 
  2016.01.01    謹賀新年。皆様、あけましておめでとうございます!チャン、チャララララ〜ヒョロ〜(お正月曲・春の海 宮城道雄)

 今年はお正月休みが短いですねえ。でも三ヶ日が終了した時点で今年も1%弱を消化したことになりますから、油断ならんですね。

 忙しい時はとかく無意識にプレッシャーを感じすぎ、あわあわカツカツな気分になって終始押しつぶされそうな心理状態のまま、時間だけが過ぎてゆく気がします。なので昨年は、春の仕事、夏の仕事、と大きく分け、さらにシーズンで終わる仕事、シーズンにまたがって続く仕事、と内容を仕分けて、 シーズン内仕事に関しては身近な割に低い目標に分けて、段取りを組んだですが、まあまあな成果はあったような気が。。。ただやっぱり焦るものは焦るんですよね。

 なんでか?そう、そこにFANが足りないからだ!と、僕自身に関しては思います。やってる最中は十分楽しんでやっていたつもりですが、なんか無理やりに楽しんでた気もするし、いっつもどことなく余裕がなかった気がします。  人間だもの、仕方がないよ、ミツヲ、ではなく、やっぱり前向きに楽しみたいですもんねー。

 まあ、後で振り返って、『ああ、いい時間を過ごしたなー』と思える日々もきっと多々あるとは思いますが、その日々自体を忘れちゃってる(昨年の出来事で、トピックを思い出せないこの事実。2015はわたしは一体何をしていたのだろうか?)んで、またその忘却自体に焦る。ああ、最近もしかしたら液状化しているんではないだろうかと疑わしいこの脳みそが、せめてあと3%だけピチピチイキイキと覚醒してくれたら、わたしはきっとどんなに、どんなに冴えた身軽な楽しい人生を送れるだろうか。と、思った2015年の瀬。

 なので、今年の抱負は『脳みそを3%増量』に決まりました。あ、でもその前に『健康第一』がシーズン通しての命題ですが。

 皆様も今年一年お元気にいきましょうね!
 
     
 
   
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