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2015.12.15 |
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いよいよ年の瀬、皆さん師走はちゃんと走り回っていますか。前回、公園で遊んでいる3兄弟の内、一番寒くないのは?というなぞなぞ。。。答えは傍観(防寒)していた三郎さんです。
では、第2問。あるタレントさんが遠いところのロケ地に番組収録に行きました。どんなジャンルの番組でしょう? ヒント、、どんな場所?遠いとこですよね、遠くの場所、おっと。
今年もあとわずか。皆さんにとってどんな年でしたか?僕にとっては、正直大したことはやっていないんですが、内的な振幅の激しい一年だったように思います。得るものもそれなりにあり、また失敗もその分たくさん作り、いろんなしわ寄せが年末に集中し(毎年ですが)、また慌ただしくきっと新年を迎えるだろうなあ、という段取りなように思います。
人生一寸先は闇、なんて言葉は普段意識しませんが、このように普通に生きていられることが実は奇跡、とも思えるのです。超ラッキーな人生時間ですから、くれぐれもお大事に大切にお過ごし下さい。
と、書きながら何か思い浮かぶかなあ、なんて見切り発車で書き始め、結局なーんも気の利いたことが思い浮かばない初冬の夜。うーん、最近のヒット。。。トランペットがヤフオクで売れました。うーん。。。新曲できました。うーん、まあなかなかいい曲だけどね。で?。。。朝のラジオ体操、調子がいいです!。。。久しぶりに新調したブーツ、なんかシャキッといい気分にさせてくれる。。。フルートの音に最近ちょっとうっとり、自画自賛。。。新しいジーンズ欲しいなあ、ちょっとワクワク。。。おっと、その前にこのハラをなんとかせねば。。。運動せねば、運動したいなあ。。。その前に仕事片付けなきゃ。。。
欲望はエンドレスに続くものです。しっかり叶える方向で頑張って、そして来年も背筋をピンと張って元気にいきましょう!!
今年も一年、大変お世話になりました。また2015年もご愛読ありがとうございました。来年もまた笑顔で皆様にお会いしたいと思います。
どうぞ、皆様良い年をお過ごしください。そして新年良い年をお迎えください! |
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2015.12.01 |
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年の瀬が迫ると、何かと大掃除が気になり出す昨今。先日、家のガラクタを仕分けしていたら、履かなくなった靴が山のように出てきました。なんとなく靴の棚に放り込むようにしまっていたんですね。
で、今履いている靴も実はそれと大差なく、もう擦り切れて補修も追っつかないようなボロボロさだったので、諦めて靴流通センターに買いに行きました。
アマゾンでしばらく良さげなクツを購入していたのですが、アマゾンのクツはほとんどが中国製で、一皮めくると超粗悪品なのが連発したので、最近はこのクツのチヨダを心のよりどころにしています。
で、店内で色々見ていたのですが気になるアナウンスが、、、『履かなくなった靴を是非お持ちください!一足につき一枚割引券を進呈いたします』
ワリビキ という言葉の有するなんとも甘美な響き。とりあえず、新しい靴は選んだのでそれを持ってレジへ行きました。でもどうせ、もともと高いいいクツが割引の対象だろうと思い、心が傷つかないように心の準備をして、『穴の空いたクツとかはダメですよね』と聞いてみました。するとなんと!
『いえ、どんな状態のクツでもお持ち下されば当店にて引き取らさせていただきまして、一足につき200円の割引券をお渡しいたします』という夢のような答え!
『でもここで買った商品ですよね』と聞けば『いえ、どこのメーカーでも。サンダル等はダメですけど』とおっしゃるじやあ、アーリませんか。なんでも聞くところによると、そうして集めたクツを業者さんに引き取ってもらい、業者はそれを専用の施設で熱エネルギーとして再利用するそうです。
今まで、年末になるとビニールに詰めたクツだの服だのを、『ありがとう、お世話になったね!』と一言声をかけて、ゴミ集積に出していた悲しいお別れに比べると、最後に立派に世の役に立ってくれて、またそうしてモノを最後まで役立たせてくれるシステムを導入してくれた、クツ流通センターの企業理念に敬意を感じずに入られませんでした。200円割り引きのなんと大きな力よ!50過ぎのいい大人が興奮してこうも絶賛するとは。
おまけ割り引きつき、不用品を再利用役立たせてくれる、家の中スッキリ。店員さんの笑顔に、身も心も財布もすっかり暖かくなってちょっと幸せな、初冬の休日でした。初冬といえば、、、なぞなぞです。
冬の公園で、一郎くんはブランコに乗って、次郎くんは滑り台で、三郎くんはそんな二人を傍で眺めていました。さて、3人のなかで一番寒くなかったのは誰? ヒント・それぞれの状態
当てた人には、次回Shuenn Liveの割引券進呈!あるいはクツ流通センターの割引券進呈。どっちがいい? |
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2015.11.15 |
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紙一重の差は大きい。今回はそんなお話。
11月に入って何かと忙しくなってきたこの頃。また色々と予定が立て込んでくるから、焦らないようにキチッと整理していかないかんなあ〜と思っていたこないだのとある雨の日。キャロル号で帰路についていた時です。
雨だったのと、最近夜目が効かなくなってきたので、用心しながら走っていたつもりだったんですが、でっかい20トンダンプがギリギリに並んできて、反対は歩道に挟まれて危なくなったので、それをかわすべくスピードを早めました。すると、ダンプもにわかに加速を始めたではありませんか。
魔がさすという言葉がありますが、これがまさにその瞬間でした。おおっ?なんだこいつ危ないなあ、と先ほどの用心運転もどこへやら思わずアクセルを踏み込みました。
そんな直後です。暗がりに自転車をこぐ高校生を目視したのは。それはもう3者が交錯する3秒前でした。あっっあぶない!!まさに衝突コース、フルブレーキです。ですが、雨の路面はスリップを保持する抵抗がほとんどないと言っていいでしょう。スピン直前!信じられないほどアッサリと後輪がダンプ側に擦り寄っていきました。
目の前には高校生、横にはダンプ、こっちはスリップ中。だめだ!もう当たる、いや当たっているはず、そう諦めながらも、とっさにブレーキを緩め逆ハンドルを当てたら、なんの衝撃もなく車体は車線上に復帰、減速しました。
何も知らず相変わらず必死で自転車を漕いでいる高校生、遠ざかるダンプを半ば呆然と見送りながら、その魔の時は静かに過ぎ去りました。高校生には5メートルほどの距離がありましたが、ダンプ側面とは多分その空間は3cm、もしかしたら5mmだったのかもしれません。それくらいありえない距離感がキャロルとダンプの間にはありました。
でも5mmだろうが1mmだろうが当たらなかったから、セーフはセーフだったのです。それがあってくれたがためにわたしは現世へと戻れました。これがほんのわずかでも接触した瞬間、次に何が起こったかは、冷静な今でもいくら考えても、全く予測不可能です。
紙一重の、薄皮一枚の差、もしかしたらそれはタマネギの薄皮だったかもしれません。それでもそれが普通の日常と、取り返しのつかないどん底との明暗を分ける、分かれ道だったわけです。瞬間的に頭を下げました。その日は星子さんの命日だったので、星子さんやご先祖様が守ってくれたとしか思えませんでした。
そしてそれは今こうやって何事もなく平和に日記を書けていることへの感謝につながります、マジな話。あの先もしかしたら陥落していたかもしれない、取り返しのつかない地獄に比べたら、多少の予定の狂いや疲れなど、幸せそのものだ、ということを改めてわからせてくれた出来事でした。
いやー実に情けないお話でしたがね。絶対に忘れてはいけない備忘録として書きました。皆さんには起こり得ないとは思いますが、魔がさすことは日常に潜んでいることは確かです。これぐれもご用心。 ←(これぐれ??ああ、魔が差した。。。) |
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2015.11.01 |
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いよいよ11月に入り、師走の足音が彼方から聞こえてきそうな肌寒さになってきましたね。皆さん、お元気にお過ごしでしょうか。
こないだ、TVを見ていて感心したことがありました。視覚障害をもつ高校生、でも彼は小学生の頃からクラスメートの誰よりも早い脚力を持っていました。
障害はありますが、彼はその脚力を生かして高校では陸上の短距離走の選手となり、日本代表の座を狙えるところまできました。ですが選考会に向けた過酷な練習の結果、靭帯を損傷し一時静養を余儀なくされたのです。
生まれつきほとんど視力がなく、それだけでもかなりなハンデなのに、唯一自慢の足を生かした陸上でさえ大事なときに故障してしまって、ここぞというときに、いつもなんてオレはついてないんだろう、と普通クサりますよね。
でも彼は違いました。いろいろ考えた挙句、全く走ることができない今だから、逆にその分のエネルギーを転化して、体幹を鍛えるべく上半身の強化に臨み始めたのです。
『極限のどんぞこに落ちた、追い詰められた時こそ、それをバネにして自分がさらに強くなれると思っているんで。願ってもないチャンスなんだと思います。』
18歳の子供が不平も言わず黙々と実にシビアな世界でタフに生きてるのに、50の健常者が、体がダルイだのテンションがあがらん、だの。これを聞いて、まーこっ恥ずかしくなっちゃいました。なべ精神の頂のあまりにもの低さに。
底辺を知る者こそが語れる、このさりげない彼の発言には、すっかりオノレの襟をピシャーン!!と正させてもらいました。どん底は人を強くする。確かにそうだ。おいらも頑張るよ。とりあえずできることからね。ツイてないと思った時こそ、ツキが始まる転機と思ってクサらずに。とりあえずは笑顔を作ることから始めましょうか。
とまあ、アゲアゲサゲサゲな、なんだかよくわからん日記になってしまいましたが、だんだん忙しくなってくるこの時期、だからこそいいTIMEを過ごしたいものです。皆様、いかがおすごしですか?眉間にシワは寄っていませんか? はい、笑顔ですね!またお会いしましょう⭐ |
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2015.10.15 |
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最近骨を折った人が知り合いにいるのですが、年をとると、予想以上に体が動かなかったり、不意な痛みが走ったりと、精神と実体がいつの間にかかけ離れてきていることに気づかされて、愕然とすることがありますね。
あるいは、急に置き忘れ等が増えてきたり。ちゃっちゃっと何かをやったついでに、そこにポンと置いたまま、とか。昨日1日で僕はジャケットをスタジオに放置し、携帯をロビーのテーブルに広げたままどっかに行き、傘をクルマに入れっぱにしたので車内用置き傘が4本目となりました。物忘れというより、横着になったという説も浮上しておるんですが。
やはり大切な人生の時間、雑にせず細やかに使っていきたいものです。と、改めて思う今日この頃。初心に帰るという意味で、是非皆さんにも見ていただきたい映像がこちらです。
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/pfa68e90b848c5f5e06f27cb8f3af5cad
初心の大切さを感じていただければ幸いです。アイヤアーーッッ!!‼︎ |
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2015.09.15 |
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こないだ発表会がありました。場所は毎年贅沢にも新宿の老舗ライヴハウス”サムデイ”。秋の風物詩として、またその年の集大成としてのお祭りイベントです。
みんなと集まって一つのことをやる。私は個人事業の人間ですから、なかなかそういう集まり的なことには無縁なのですが、趣味の集まり、ライフワークの集まりとしてのこういう楽しい発表会が開催できることは、とても個人的にも貴重な有難い催しです。
音というものは時間の経過とともに過ぎ去る一瞬間の連続なので、その場で感じるものが全て。出る音に対してどういう感情を抱けるかは、その場にいないとわからない、とても不確実な水ものと言えると思います。
ただこのライヴで感じる感情、上手い下手はあまり関係がないところでの、不思議な音のパワー、心に及ぼす作用というものの超現実感に、私は近年すっかりハマっています。それはCDを聴いて感じるのとまた違う、その人が音を奏でているその波動でしか感じ得ない風景、心の浮遊とでもいいましょうか。商売柄、斜めから分析する音の聴き方を専らとしてきたのですが、そこからようやくすこし脱却できたようにも思います。
今年もとても楽しませてもらいました。私見ですが、出来不出来にまったく関係なく、ただその演奏曲がとても気に入っている度合いが強い方ほど、こちらに伝わる波長に心ざわめくFANの要素が多かったように思います。ステージ上は全て生なので、きっと奏者のハートがバンドに伝わって、それが心地よい音として、増幅してこちらに届くのでしょう。それがとても気持ちが良い。。。
いやあ、本当にとても楽しかった6時間の会でした。来年からお酒飲みながら進行していいですかね? |
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2015.09.01 |
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携帯壊れました。正確には老化しました。7年半のお付き合いでした。もっと大事に使ってあげればよかった、とはいつも思いますが、メーカーサポートが5年らしく、うーん、まあ慣れましたが5年でポイさせられるモノの運命とはなんと儚いんだろうと思います。
流通していかない、経済が発展していかない、等の理由はあるでしょうが、すべてのものは土から生まれてきているわけで資源は無限ではないのですから、目先の利益ではなくリサイクル基盤の商品の在り方を提唱するメーカーが、家電メーカーでもクルマ業界でもなんでも出てきて欲しいものですが、そんな勇気のあることはなかなかやれないんでしょうね。『君はまだまだ甘いよ』なんつーことを会議で言われちゃったりしてね。この先、世界的に物資がなくなってきたら、どうするんでしょうね。
とは言いながら、新しいモノというものはいつも心をウキウキさせてくれるものです。新品万歳!(ヲイ)今人気のスマホに、はしませんでしたが、ガラホというやつらしいです。私は昭和生まれなので、画面を指先でスイスイなんてやるのは、婦女子のすることだ、という理念を持っています。男はやはり、黙ってパカパカ式ケータイでしょう。(ホンマか?)
いえね、落っことすのですよ、しょっちゅう。なので、きっとガラスが割れると。それにゲームとか絶対ハマッちゃうし、なんで、もう最初からガラケータイプにしました。今は中身はスマホらしいのでガラケーではなく正確にはガラホと言うらしいですが。
一軒目のAUあざみ野は、若いオネーチャン店員で、やたらスマホを勧めるのと、ガラは月々最大¥9000ー近くかかっちゃうんです、と半ば脅し文句で、それでもガラにしますと言うと、その機種は在庫がありません、じゃあ在庫があるか問い合わせてくださいと言うと、奥で上司に一瞬相談し、問い合わせもせず再び、どの店舗にも在庫はありませんと言ってきたので、こりゃダミダ!といかりや判断し、一旦帰宅し店舗詮索でAU神田店に聞いてみると一台あるとのこと。本日中なら取り置きします、と言ってくれたので早速そこへ行き、ゲットしてきました。ジャン! 在庫あるじゃん。
今度は同年代の男性店員で、これは人気機種でこのデザインが気に入ってわざわざスマホをやめる人もいます、みなさん欲しがるんですよ〜、最後の一台です、なあんて、オーナーの嬉しいとこを突いてきます。で、買い替え時の特典の説明時に、いえまたきっと7〜8年は使いますから買い替えは当分先です、と言うと、はい是非大事になさってください、とおっしゃってくれました。いいねえ〜。彼の接客には、お買い物はものを売るんじゃない、幸せを売るんだ、というプロ根性を垣間みました。
新しいモノのウキウキ感と気分の良いお買い物。ものを売る、新しいものを買うことは決して浪費だけじゃなく、古いものも大事にしつつ、若返りのサイクルもこうしてまた必要なんだなあ、と久しぶりに考えさせられたお買い物でした。 |
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2015.08.15 |
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暑い夏もようやく峠を過ぎ(ほんまかいな)、今年の夏も一段落といったところでしょうか。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
’85の夏の夜、赤いコスモ号に乗って、ドライブに出かけました。当時は汲々の生活で週給バイトが多く、週末使用可能おぜぜは数千円だったので、それで行けるとこまで行く、当時よくやっていた当てのない夜ドライブです。
立て込んだ京都市街地を避け、山科の山を抜けたら、もうそこは滋賀県、琵琶湖です。当時よく聴いていたジョージ・ハワードをBGMに、8号線を北上すると府内と違って、幹線なのにもうすっかり田舎道の風情です。
近江八幡、豊臣秀吉が命名した長浜、を通りぬけ、夜道、夜風の匂いの心地よさにコスモ号の行き足は止まりません。当時のコスモ号はオートマかつフル装備!(女子にはきっとわからない、これは当時の男心を貫く殺し文句、いや、殺され文句でした)、その実力は1リッター9kmほど。当時ガソリンは安かったとはいえ、もうすでに週末用お給金を軽くオーバーしているのですが、メシよりタバコ、メシよりドライブが優先だったので、コスモ号は走り続けました。
いつの間にか深夜になり、湖岸道路を走る車影はコスモ号だけです。淡水なのになぜか海の匂い、まあ潮風じゃないだろうからサビは大丈夫かな、と呑気に考えつつ、コスモ君との二人旅は続きました。
今考えるとカネのない若造が不安定な中古車なんぞ、余計にカネがかかってあぶなっかしくて仕方がないですが、幸いにも70年代製の日本製のクルマは頑健で、極端に故障の少なかったそのコスモ号とは相当相性が良かったのだと思います。なんの不安もなく、そのまま琵琶湖を一周してしまいましたからね。
これはなんてことはない、当時よく行っていた夜のドライブの一つだったのですが、あの自由気ままな夜は良くも悪くも影響してしまいました。人生にも音楽にも。彼が半年後クラッシュしてくれなかったらキャロルちゃんとも会えなかったし、その後の東京で自由気ままな音楽活動もできなかったです。彼がいてくれたからこそ、その良き青春のヒトコマが今を支えてくれているんだなあ、とも思います。
夏の締めくくりに、つまらない思い出話でしたが、お付き合いどうもありがとうございました。まだまだ残暑は続きます。お出かけには、水分、タマネギ、日傘をお忘れなく。 |
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2015.08.01 |
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エアコンぶっ壊れました。キャロルちゃんのね。基本的にはバイクと同じで自然の風派なのですが、近年では、もうそうも言ってられない状況なので、エアコン様に頼り切ってます。
幸いにしてキャロルちゃんはまだ部品が豊富に残っているので、エアコンアクチュエータ(スイッチですね)だけ交換したら大丈夫とのことで、部品の交換だけでしたが今回はマツダさんに頼むことにしました。
休みに日に朝一で持ち込んで、交換作業はものの30分で終了しました。で、冷え確認をしていると、なんか見知ったおじさんがニコニコしてすぐ近くまで来ました。
『おー、お久しぶりです!』以前ここでお世話になっていた工場長でした。『あー、久しぶり。こんちは。クルマ元気そうだね』普段着の工場長はまさに好々爺といった感じで、オイルまみれでカミソリのような切れ味でピット内を闊歩していた以前とは、まるで別人でした。
『状態良さそうだね。あとはベアリングだけ変えてあげればだいぶ保つよ。ベアリングだけね。』この工場長、5年ほど前に転勤されたのですが、それまでキャロルちゃんがずーっと15年ほどお世話になっていたエンジニアの方です。多分そろそろ定年だったとおもいます。今日は久しぶりの再会です。
『まだ週末はガンガン走ってるんですか?』『いや、最近はクルマ自体に乗らなくなったね。今日は遊びに来たの。』すっかり丸い感じで、恰幅も以前よりついた感じです。『でも修理とかはまだされてるんですよね』 この質問に工場長は『いやー、怖くてもう触れない!無理無理』
つい最近まで現役でやってた筈のエンジニア歴40年はあろうお人が、もう触れない、だそうです。あー、プロの世界だな、と思いました。失敗は絶対に許されない、必ず修理して、その後も不具合が出ないような完璧な修理に携わってきたからこその発言、年齢からくる自分の限界をいち早く察知したから、完全引退したのでしょう。
「じゃ、元気で気をつけて』笑いながら会釈して工場内に消えて行くその後ろ姿に「あれあ、まだまだ十分働けるんじゃねーかな、と思ってるんですけど、ね。』2代目の工場長がポツリとつぶやきました。 |
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2015.07.15 |
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パソコンぶっ壊れました。いや正確には、『もうスグ燃えるかもだから一旦切れちゃうね〜』と言って、やたらと落ち始めたという方が正解です。
ただありがたいことに今回は、入力作業のチョ〜忙しい時期が一旦終わったデータ保存後だったので、なんとかことなきを得ました。にしてもこのパソコンの壊れるタイミング、というのはいつもめちゃ忙しい時期を見計らってやってくるような気がしてなりませんが。
なので新しいパソコンを泣く泣く新調しました。前回のが2006年製なので10年後の未来のパソコンとなります。詳しい性能は全くわかりませんが、単純に容量を比較してみたら前回のがピンポン玉だとしたら、今回のはバスケットボールといった感じでしょうか。
前のに変わった時も『おおっ、なんだかよく判らないけども10ギガから50ギガにパワーアップだー!!』と爆感動したのですが、今回のは『おおっ、例の何かが今度は500ギガだあ!!ギガって何だあー?』 と技術の進歩に、枯れ葉のように舞い散らされるナベ心がありました。
まあ言ってみればフェラーリに乗る爺ちゃんみたいなもんです。使いこなせるのは性能の1%にすぎません。全く勿体無い話ですよねえ。そのくせ不満はちゃんとありまして、なぜ古いデータが読み取れないのか!人間の目ならばいつでも見れるのに、パソコンは10年過ぎたらお手上げですからね。
おかげさまで、仕方なく古いパソコンに扇風機を当てながら立ち上げて、目で読んだ文章をいちいち新しいパソコンに打ち込んで、横70cmの地味地味な引越し作業を、コツコツ地道にやっている梅雨明けの空。そんなことやってっから台風来ちゃったじゃないか。というわけで、今日明日は台風です。そしてこの後はきっと猛暑になりますから、皆様、日焼け、夏バテ、熱中症対策を十分にお忘れなく。
では今年も楽しい夏を!!! |
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2015.07.01 |
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とんどころ。海に沈んだ7つの村。あわれ海の藻くずとなった200人以上の村人達。ごく身近にそういった伝説があったのを知りませんでした。
先日帰省した際、【土佐の国にかつて地震で水没した村があり、今だに海底に当時の石の建造物が確認できる、その地震の規模を探り現代の防災に生かす】、というTV番組を夜、オヤジ殿と見ていたら、オヤジ殿がポツリと『おら、これあ、トンドコロといっしょじゃが』とこぼしました。
トンドコロ、初めて聞く地名です。『なんねそれ?』と聞いたら、『木花ン先よ。あの辺一帯はむかーしは村がたっくさん、あったらしいとよね。それが地震で全部海に沈んだっちゃげな。お父さんが子供ん頃、与平爺ちゃんから聞いた話じゃから、ようと知らんちゃけどね。』
外所、と書きます。今から約350年ほど前、日向・大隅の国、飫肥藩領にこの世も最後と思われるような大揺れが来て、その直後5mの津波に襲われ、這々の体で避難してはみたが、一夜明けたら目の前には広大な入り江が広がり、村々は跡形もなく海に消えていた。調べてみるとかなり古い地震で、寛文2年(1662年)に発生したM7.6もの巨大地震だったようです。平和な宮崎にも過去にそういう知られざる伝説的歴史があったことを知りました。
現代では、あまり耳慣れず馴染みがないというか、常用単語として使いそうもない『とんどころ』という地名に魅かれて調べてみたのですが、その昔ぶりな地名とともに海に消えた村は、今だ50年ごとに石碑が建てられ慰霊祭が行われているそうな。甚大な被害を及ぼした史実ではありますが、その350年前の供養を今だ律儀にやっている部落の人達にもどこか感動を覚え、またその昔現存したひとびとの杵を突く生活の音が、今も潮騒の波間から聞こえてきそうな、そういう不思議な感覚に囚われた、2015とんどころの夏、でした。 |
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2015.06.15 |
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こないだ、仕事の合間にちょっと建物を出てみました。朝から缶づめ状態でだんだんと意識がモーローとしていたので。外の空気を吸いに出た夕暮れの街は、空気が沈んでちょっと磯の匂いが混じった懐かしい匂いがしました。
40年ほど前、家の近くにあるスーパーマーケット江南センター(2013年、倒産)の人ごみの中から外に出てみると、いつもこの不思議な匂いがしていたのを思い出しました。時が経っても、大地の香りというものは変わらないのでしょう。あるいは島国である日本特有の薫りなのかも知れません。でも、この匂いにはやはり昭和の残像をいつも感じます。
その頃はいつもまわりには大きな大人がいました。大人同士ではマアいろいろもちろんあったのでしょうが、子供目線からは一様に皆頼もしい大人、おじちゃん、おばちゃん達でした。大人達はいつもズカズカと勝手に家に入り込んでは、『おかあさんはおらんとね?』『うん、今買い物いっちょる』『んじゃ、待っちょくわ』と言って、冷蔵庫の牛乳をグビグビ飲み干しては、機関銃のように世間話を始め、グイグイ押されに押されてこれにはかなり閉口しました。
またある大風の日、子供心にも家が吹っ飛ぶんではないか、と思うほど家全体が揺れに揺れる中、おやじどのが仕事疲れでグースカ寝てるのを見て、(ああ、お父さんが、こうして寝てるんだから、キット大丈夫だ)と自分に言い聞かせた思い出もあります。
以前にも書きましたが、田舎道でバスに乗ろうとした時、所持金が200円くらいしかない事に気付き『すいません、宮崎までいくらですか』と運転手さんに訊いたところ『いくら持っちょっとね』と言われ『、、、200円』と言ったら『じゃそれでいいが』と言って宮崎まで乗せてくれました。多分450円くらいの長距離だったです。降り際に『ありがとうございました』と言ったら『ン』と小さく返答してくれたのを、とても有り難かったなーと今でも感謝しています。
昨日、父の日で実家に電話したところ、オヤジ殿が『今度順一兄ちゃんが帰って来たら、いろんな事をしてもらいたいとよねー』と言っていました。さすがに高齢なので体力的に無理な事はなかなか出来ないようです。ささやかな親孝行の出番で、とても嬉しいのですが、ふと、自分が子供の頃に感じていた(頼もしい大人)、まさにあれに今自分があてはまっているんだな、と思うと、自分はあんな風にさりげなくカッコいいか?と首をひねってしまいます。40年前と同じにおいを嗅ぎながら、昭和の群像達に近づくにはまだまだ修行が足りないなあ、と感じた初夏の夕暮れでした。
梅雨なのかなんなのか、関東地方ではよく解らない天気が続きますが、皆さん体調にはくれぐれも気をつけてお過ごしくださいね。 |
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2015.06.01 |
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人生の宿題。何をまた大上段なタイトルなんでしょう。いや、ふと思いついたフレーズなんで、深い考えがあってのことではありません。
ここに一葉の古い写真があります。ピクニックでしょうか、どこかの原っぱにナイスガイな男性が腹這いになり、お弁当を広げた傍らには妙齢の美人とその子供、その子はまだ2歳くらいでしょうか。水筒のカップを小さい両手で持ち、ゴックンしているスナップです。後ろにゴロンとひっくり返らないか思わず心配してしまうくらいに、幸せな家族の写真です。
ただそこに写っている3人は、すでにもうこの世にいません。その生まれたばかりであろう子供も、すでに他界しています。信じられないくらいあっという間に過ぎ去った、過去の時間がそこに切り取られて、いまだ現実のことのようにそこに存在しています。
ナイスガイはナベのじいちゃんで、美人はばあちゃん、子供はもちろんナベママです。上海で撮影されたその写真のあと、戦争となり、命からがら引き上げて来て、超貧乏に陥ったその家族は、それでも子だくさんに恵まれ、貧しいながらもその子供達は皆立派に成長し、今思うと、じいちゃんばあちゃんはきっと、彼らがなすべき、するべき宿題を見事にこなしたと思います。
いつも思います。ご先祖様はえらいなあ、と。掛値なしに。脱帽、シャッポを脱いだ、兜を脱ぐ、いろいろな言い方がありますが、その100分の1もタフでない自分を情けなく思いながら、シャッポをあちこちになくしながらも、宿題ばかり次々に背負いながらも、やはりやるべきことをやる、しかないとあらためて思います。
今年ももう半分、、、終了です。頑張ったけどその分疲れも溜まりがちな5月病明けの6月。 でも、これからようやく本調子の方も多いと思います。皆さんは残りの半年で、何を秘かに目論んでいますか? |
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2015.05.15 |
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裕次郎の歌声が流れる駅前の通りをぶらぶらと歩きながら、ちょっと静かな路地にさしかかると今だにモルタル作りのアパートが健在だったりします。このアパートはさっき居酒屋に入る前はまだ電気が付いていたなあ。灯が消えるとすっかり廃墟のように見える建物を眺めながら、春の夜を楽しんでいます。
車に着いて、すっかりメッキの剥げたイグニッションにキーを差し込むと、古い4発エンジンが唸りを上げて目を覚ましました。車載のオーディオはノーマル、クロムの切り替えが付いたカセット式。実際使えるかどうかもまだ試していないほど。なので、このクルマではもっぱらトーキョーFMが、昼も夜もいつも短い旅のお供です。
宮崎で聞いたスクールオブロックがこないだ神奈川でも聞けたので、この番組が初めて全国区だったのを知った次第で、夜宮崎でドライブしながら聞いてた時はなんとなく、『ラジオの向こうに広がる都会の世界』的な感覚を楽しんでましたが、神奈川で聞くとちょっとその憧れ感が薄れて、不思議と身近な当たり前な感じに思われました。居る場所が違うだけで感覚も違ってくるのかなと思いましたね。
今夜は、スクールオブロックは既に終わっていて、ジェットストリームを聴きながらの夜のドライブです。マイルスデイビス、ジョン・ディー・マルチーノ、マイケル・マクドナルド、、、かすれた電波から流れるジャズはどれも逸品で、今夜の選者はなかなか良いなあ、またこれでお小遣いが減るなあ、とブツブツ思いながら結局、途中で区切る事ができないまま、番組が終わるまで、無駄にゆったり贅沢なドライブを楽しんでしまいました。
これからまたシーズン突入で忙しくなる嵐の前の静けさ。思いのほか、心を豊かにしてくれた夜のひとときでした。 |
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2015.05.05 |
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健康に動いて何らかの活動をする。当たり前の事ですが、ちょっと歯が痛かったり右の鼻が通りが悪いだけで、一気に活動のテンションが引いちゃってきて、うだうだ文句を言ったりするんですが、そんななかでもそんな事には関係なく自分の体はちゃんと心臓を動かして、白血球がばい菌と戦って、細胞が新陳代謝を繰り返して、全てが常に自動運転されています。
イヤーじつに有り難い事です。なんか考えてみると、考えられないくらいめちゃくちゃ緻密なからくりが積み重なって積み重なって、どんなくだらない、たとえば何もないところでコケたり、名前を呼び間違って慌ててゴニョゴニョ言い訳している最中も、ちゃーんと皮膚がクッションになって骨を守ってくれたり、言い訳の焦りの感情が心拍数を上げて人生の危険を知らせてくれたりして、シッカリ支えてくれているわけです。生きれて当たり前と思っている事が、今までの人類の進化の過程で、ちゃんと熟成された結果として現在に至るわけです。だとしたら、生まれてきたこと自体とてもラッキーなことですね。
病気になったり落ち込んだりできるのも生きているからこそ、みつヲ、なんつーことは言うつもりはないんですが、まあそんな気持ちでゴザンす。でも、やはり気持ちが乗らない時はゆっくりじっくり休む事ですね。
でも、連休が終わるこの時期は特にガックリくるんで、ゆっくり休みたいですが、もうお仕事がスタートするから休めない〜〜。なんでお休みはこんなに早いの?みなさんゴールデンウィークはたくさん楽しめましたか? |
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2015.04.15 |
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春の嵐が吹きすさぶ、4月も半ば。早いですね〜。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
巨泉のクイズダービー!!ガッシャン!パチパチパチ!!で始まる往年の番組、ご存知の方も多いと思います。このキャッチのみでブワッとあの頃が蘇ってくるから昭和のフレーズ、昭和のパワーは、整合性のとれた平成のパワーに比べてかなり野心的な感じがします。野心的なオッちゃんが多かったと言うべきか。
この頃の話を語ると、あれこれもう本当に尽きないんですが、このクイズダービーで私の人生に関わったクイズがひとつ出題されました。それは。ある映画音楽を流して、『さあ、この映画のタイトルは何でしょう?』というものです。→ https://www.youtube.com/watch?v=cbvrGPhd4V8
荒野の七人。この2分強の短い音楽こそが田舎育ち、盆地育ちのナベ心を一気に音楽の空の彼方へと、飛ばしてくれたと言っても過言ではありません。映画はユル・ブリンナー以外は当時まだ無名であったジェームス・コバーン、スティーブ・マックウィーン、ロバート・ヴォーン、チャールズ・ブロンソンの蒼々たる俳優人出演の名作です。
荒野を並んで馬で走る7人の姿のドーナツ版ジャケットは、当時のナベの宝物でした。イントロの軽快なトランペットとピッコロ、オーケストラヒットのドライヴから一転、テーマに入った瞬間から雄大なストリングスが広がり、グランドキャニオンの壮大な風景と空と風の青さが目に浮かぶような響き。
心の底から、この世界に行きたい!と思いました。まあ、ナベの音楽のきっかけはビートルズの『イエスタデイ』、好きだった子がクラを吹いていた、テナーサックスのグネリ具合にやられちゃった、ムービーズバンドのサックスに魅かれた等々諸説あるのですが、全部正解で、それにまたひとつ埋もれていた事実が加わりました、という事でもありますが。
幸いに、50歳の時点で音楽に携われている事実は、当時の思いからしたらとても幸せな事だと思います。願わくばその、忘れかけていた昭和の野心的な熱い思いをリメイクして、平成に生きるナベにフィードバックした形で生かしてゆけたらなあ、とクルマの修理をしながらふと思った、雨の連休でした。 |
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2015.04.01 |
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今日からまた新年度の始まりですね。お正月が来て、新年度が来て、夏休みが来て、キット何だか早いですよー。
毎年、2、3月の誕生月前後は、何かと慌ただしい感じがして、自分はもしかして呪いの国からやってきた邪悪な人間なのではないかと思われるほど、精神的にドーンと落ち込む事がここ最近多いです。
なので、『やるべきことをやる!』と言うスローガンを掲げて、クールに事を進めるべく、今年度に臨んでいたはずなのですが、いつの間にかメタメタワールドにはまり込んでアワ食っている自分が今年もいました。
もう目は三角です。ふと気がつけば、悪態ついてます。手からモノは落ちて非効率この上なく、なおかつ忘れ物が多発しだします。こういう時って如何に過ごせば良いのでしょうか?実はまだ解決策を見いだせていません。
キチンと計画的に先取りして、余裕で事を進めれば良いのでしょうが、残念ながらそれをその時のアタマで思いつかないんですねー。焦ってあわあわしてるから、もうその時点で既に追いつめられだしていますしね。余裕が有る無しで、人間こんなにも違う人になるんだ、と思います。
先々日、ホームセンターでモノの有りかを聞こうとして、店員さんを呼び止めようとしたら小走りの彼女は『ちょっと!待っててください!』と目を合わす事もせずイライラした口調で言い放ち、つっけんどんに立ち去っていきました。当然慌ただしい彼女はナベの事など忘れて、そのまま戻って来ませんでしたので、自力でモノを探し出しました。
先日、またモノの有りかを聞こうとし近くの店員さんに声を掛けたら、振り返ったのはその店員さんで、一瞬ギョッとしましたが、その日は彼女本来の穏やかな顔なのでしょう、気は弱そうでしたが親切に事細かくモノのありかを教えてくれました。
本日、カーペットを切ってもらおうと呼び出しベルを鳴らしたら、今度は何だかギスギスした空気の彼女が不穏なオーラを放ちながら、無言でやって来て、手荒に裁断し、小さい声で『どうぞ』とそれをなべに渡しました。
人の振り見てわが振り直せ、とは良く言ったものです。因みに確認なのですが、これはゴルフやテニス、野球などのスィング上達のための言葉とかではないですよね。最近自分で言ってることがたまーに信じられないもので。そう、彼女を見てると、これじゃあ良いことは起らないし、良い事が起きていても気付かないかもー、或いはその良い事がささーっっと彼女から離れるだろうなあ、と思いました。それくらいのギスギス感。
まさにキットここ最近、ナベもこのような状態だったんじゃないかと。回りの風景が、自分次第でそれが穏やかな春の陽気に見えるか、花粉症のうっとうしいただただ慌ただしい春の風景に見えるか。
なので、解決策はホントまだ見いだせてないのですが、精神的に参りだしたら、せめて一瞬だけでも冷静になって自分から離れて空でも見上げて見よう、と思いました。
でこんなナベに先日知り合いの修行僧の方が、出家を勧めてくれました。その方は趣味でベースを弾きながら、ことあるごとに仏の道を説いて回る、いわゆる説法僧の方なのですが、とても感銘を受けたので、私、ここに出家を宣言致します!これより残りの半生、六道の修行に専念しつつ、悟りに至る道を解き明かしていこうと思います。なので、今後ライヴでは説法が入ってきますがお気になさらずに。 |
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2015.03.15 |
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こないだ生徒さんがおっしゃってた事で、フーンなるほど、、、と思った事がありました。
1/1は割合的に100%ですね。1/3でも30%、かなりな割合です。で、1/12、1/15、1/18。だんだんとパーセンテージは減ってはゆきますが、まだまだ取り分は多そうです。でも、1/50となったら、かなり僅かな感じは否めません。
3歳児にとってお正月から大晦日までの1年は、人生の1/3に当たるわけです。なんと人生の30%ですね。でもこの無駄に夜更かしばっかりしているナベにとっては、その貴重な1年は人生の1/50、2%にしか過ぎないわけです。
1年の長さは誰にとっても平等に変わらないはずですが、その速度感の違いはこの割合によるものなのかも知れません。1年終えるのに人生の30%を汗かいてかけるのと、人生のたった2%の労力で終わってしまう1年。
確かに早い。過ぎ去る速度が。爺ちゃんとかが、人生はあっという間だったよ、とかよく言うのがじつに判る今日この頃。なので、あっという間に過ぎ去る人生なので、悲しい事も凹む事も楽しい事嬉しい事いろいろあるかもだけど、いつ終わるか知れないあっという間に済んじゃう人生、もし落ち込む暇などあったら、やるべきことを詰め込めるだけ詰め込んで生きてみよう、と思い直した五十路の暮夜。
こう夜中に文章を書くと、やたら目が爛々として盛り上がる癖は昔から変わらないようです。でも、せっかく与えられた、かつお金とかでは買えないもの、自分の人生の時間。有意義に使えればそれにこしたことはないですからね。覚えとこう。 |
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2015.03.01 |
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使い捨てな時代です。携帯も『その機種はもう部品がないんです』、プリンターを修理に持っていっても、『もう機種が古いので修理出来ません』とくるし、この世の風潮は私、とても嫌でしてね。ついでに、携帯も今やガラケーなどは、えっっ?て顔をされますし。(余計なお世話〜〜)
物は確かにいつか壊れるものではありますが、その状態が問題な訳でして、まだ使いたいのに、まだ99%使えるのに、企業のサポートの都合で『お取り扱い出来ません』の一言で、ハイ、終了〜〜ですよ。企業も企業で、自分とこが作った商品が、元気なのにゴミにされることについて、悲しく思わんのかい。
日本に生まれてつくづく良かったと、こればかりは八百万の神々、仏様、お地蔵様、七福神、ナベパパナベママの皆様に、とりあえずは朝に夕に大大大感謝なのですが、高度成長期あたりから始まったこのアメリカナイズな大消費習慣、消費こそ美徳とカン違いして、使い捨てに走りはじめた日本のモノに対するモラリティに欠けた姿勢には、つねづね疑問符が湧くのです。
行ったことも体験したこともないですが、話によるとヨーロッパの国々では、リサイクルや、100年以上も前の家具、建物などを大事に使う文化が、今だに数多くの国で健在だと聞きます。いいものを作る、使える以上は使う。当たり前だと思います。また、新しいものを購入することと、古いものを無造作にどんどん捨てることはイコールではないと思います。使わなくなったら手間を惜しまず、出来る範囲で少しでもリサイクルに回せば済むことですから。
こないだ、35年前のポンコツをわざわざ購入した話をしましたが、買ったからにはこの先一生大事にするつもりで、恒例の部品かき集め作業に入りました。でもどうしても最重要部品のタイミングベルト、なるものがないんです。
このタイミングベルト、10万キロは持つ頑丈な駆動ベルトなんですが、ゴム製なのでいつかは切れます。最近のクルマの寿命は10万キロまでで買い替えなので(あのね、ホントは50万キロ平気で走りますよ。まあサポートの関係もありますしね)交換しなくてもいい設定なのでしょう。で、このベルト、切れたらエンジンがぶっ壊れて超危険!な、ベルトでもあるわけです。
こいつがない!こいつだけ全世界どこ探してもない!! 他のパーツは、なんとか海外の部品商から入手が可能なんですが(やっぱ海外はアフターマーケットが充実してます。えらいよね〜)このタイミングベルトだけが、ないんです。
もう35年前のクルマなので、走行距離というより経年劣化で、もうとっくにエンジン内部で寿命がきているはずなんです。なので、毎回の始動もとてもドキドキなのですが、回さないことには整備が出来ないので、いつ壊れるか、いつ変な振動が飛び出してくるか、命の縮む思いでの整備です。でも整備が無事終わっても1年も経たずにエンジンが壊れて廃車、の構図は見えているわけです。かなりかけずり回りました。
で、その大慌ての状態の中での、ある方からのご指摘、『ん?タイミングベルト?その時代のクルマはタイミングチェーンなのでは?』
グワアア〜〜ン!(大袈裟ではなく、頭の中でこんな音がしました)青天の霹靂です、まさに。
えっっっ、そーだったの?チェーン? 改めてクルマを見てみると、ナントたしかにベルトカバーが見当たりま、、、せん。 というこうとは、ということは、もしかして、いや実際は、このコスモは交換不要のタイミングチェーン駆動のクルマだったんだ〜〜〜〜。
この時代のニッポンのエンジニアたちの、モノに対する愛、というものを35年の歳月の彼方から、この時全身に、ドバーン!と感じました。
『使い捨てにしなくても、大事に乗れば、このクルマはいつまでも元気に走ってくれるよ。モノだけはいいものを作りましたから。じゃ、よろしくね。』
そのはるか彼方からの彼らの声が聞こえてくるようでした。先人達の、地味ですが、プライドと愛を傾けて出来た一台のクルマ。クルマに出会えたというより、それにかける彼らの思いを感じ取れたというのは、あらためて奇跡だとおもいました。
またいつか、この時代のような美しい心が、日本のモノ文化に反映されることを願っております。 な、AUよ。ガラケーだけど修理、頼むよ。 |
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2015.02.15 |
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皆様、こんにちは。人生お疲れさまです。と、たまにはこれまでの生きた軌跡を振り返ってこう労うのも良いのではないでしょうか。
ただ、振り返ったところで何か残した軌跡たるものがあるかと、自分に問いただしてみれば、なかなかに ?
な気持ちで、ただ必死に何とかやってきたというか、辿り着いたというのが正直な感想です。
もちろん無事これまで生きて、多くの経験を経ることが出来て、それだけでも充分にラッキーなありがたい人生であることは忘れがちではありますが、ベーシックな事実だと思います。
生んでくれた親に感謝なのはまず第一で、そこから自分の全てがスタートしていることをしみじみと思うこの季節です。
この季節、はい、わたしやっと50歳になることが出来ました。おめでとうございます!はい、ありがとうございます!!
で、残りのマイライフに何を残せるか、と思ったのです。正直なところ、資本である体ももうガタが来始めているのは認めざるを得ないので、それをどうあやしながら、これまでの蓄積を形に残していくか。
別に普通に生きていきゃいいだけですが、やはりふと考えてしまう半世紀の節目なんです。音楽なんてものをハンパにやっていたりするからこんなことを考えちゃうんでしょうかね。
でも、やはり音の力は凄いな、と思う最近です。 人の精神を支える。 何なのでしょう、この不思議なモノは。
まず形に現れず、必ず時間の経過とともに過ぎ去る、消え去るもので、実態は入り組んだただの周波数の固まりに過ぎませんが、それが心の傷を癒したり、寄り添ったり、高揚させてくれたり、何かを気付かせてくれたり。
その世界に行きたい。若かりし頃、そう思って始めた音楽だったと記憶しています。今の自分の立ち位置。それを大事にシビアに見つめ直すいい機会の2月17日。マイバースデー。
プレゼントお待ちしております! |
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2015.02.01 |
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普段は荷物の関係でクルマ移動なんですが、マイキャロルちゃんを点検整備に出したので、こないだ久しぶりに電車を使って仕事場へ行きました。
冬はバス停での待ち時間は辛いですね〜。駅とかだったら地下鉄とかはまだ暖かい場所だったりしますが、バス停は基本吹きっさらしですから、芯から体が冷えてきます。
そんな時、さりげなく向こうの角を廻ってやってくるバスは、小旅行とはいえ、この寒い時期ありがたいものです。でもそのひたむきな後ろ姿にはちょっとした哀愁があると思いませんか。
夜も11時を回り、駅前の最終バスともなるとふつう結構人がたまるのですが、ここ柿生の終バスには、10人程度の人が並んでいるだけです。バスは時間までじっとうずくまったまま、乗る人を待っています。人気のない待ち合いロータリーは薄暗い街灯がバス停をボッと照らしています。
結局、時間まで待ちましたがそれ以上お客は来ず、バスはドアをバタンと閉めて走り始めました。
真福寺、麻生不動入り口、裏門下、王禅寺坂上、と停留所に止まる毎に人は減っていき、最後には私だけを乗せて、ブワーンと大層な排気音をたてて、深夜の道をバスはひた走ります。暖かい車内から見える夜の住宅地はポツポツと明かりが見え、そのまわりの木々は寒々と葉を落とした姿で夜の闇に溶け込んでいます。
やがて最寄りのバス停で私を降ろすと、バスはただ走ることだけに集中しているかのごとく、暗く延びる道に走り去ってゆきました。
生徒さんの一人が言ってましたが、夜のバスって、なんだかソソりますね。薄暗い車内の明かりと赤いテールライトが闇のむこうにだんだん小さくなっていくその後ろ姿は、この冬枯れの夜にまさしくぴったりの絵画のようです。ひたすら走りつづける宿命を背負ったそのずんぐりした後ろ姿にオヤジの背中的な哀愁を感じるのは、私だけでしょうか。 |
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2015.01.15 |
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なんだか慌ただしい状況、というのがよくあります。気ぜわしいと言うか。でもこの状況というのは、楽しみ、というFANの世界と表裏一体なんではないかいな、と最近思うようになりました。
なんかお年頃のせいか、無意味に焦っていることが多いんです。でもこないだ、ちょっと待て!なぜ急ぐ?と自問した瞬間がありました。その時、自分が目に見えない何かに追っ立てられてることに、ふっと気が付きました。そう、何につけ焦って急いで早く事を終わらせよう、終わらせようとしている自分がそこにありました。
きっと頭の中で整理しきれていないんじゃないかなと思います。だからこそ『やるべきことをやる』という標語を打ち立てたのですが、お年頃だからそのやるべき事をなんだったかなー?と次々に忘れていってて、ドンドンドンドン不安が貯まってきて、きっとなんだか焦っていたのでしょう。
なので、とりあえず頭の中で思った事は、その時に、頭の中だけででも一旦カタをつけるようにしました。どうしようかなー、あとで考えよう。。ではなく、うーん、今はどうしようもないから、これは後で考える。 どうなるだろう。。ではなく、やれるだけやるしかない。 違い判ります?
押されて引きずられて進むのではなく、自ら頭を突っ込んで前のめりで進む、の違いです。そうすると、心の覚悟が出来ると言うか、準備が整うと言うか。それと一個一個を丁寧にやることにしました。焦ってコトを進めると、余計に傷を広げたりしてロクなことがないので、最近ではもう声に出して「まあまあ落ち着けって。急ぐ必要は全然ないだろう」とナベがナベに向かってよく言っています。
そうすると不思議に落ち着くんですね。ザックリとした分け方ですが、急ぎながらやるのってなんだか義務感というか仕事チックですが、ゆったりやると狭間の時間がふと感じられたりして、そこに感情の余裕が生まれるのが判ります。まさしく『FAN』なんです。
2台目のクルマの購入を決定しました。モノは今流行のハイブリッドカーとかスペシャリティカーではなく、昭和55年式のポンコツです。実は若い時に乗っていたクルマで、その時は事故に巻き込まれてお別れになったので、思いがずっと残っていたようです。その時の色は赤だったのですが、今回のは白で、なんとなく雰囲気が清廉としていて、昨年天国に昇った星子さんぽくもあったので余計に執着したようです。でもね、ポンコツなんです。だから公道復帰までには時間がかかりますが、焦って修理せずに『FAN』の気持ちでゆこうかな、と。でもあまりのポンコツぶりに、実車を見たら一目で気が萎えるんです。まあ、でもあとは、やれるだけやる!しかないですね。 |
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2015.01.01 |
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皆様、今年も年が明けましたね!いかがお過ごしでしょうか。今年の壮大なる抱負などはお日様に向かって立てられましたでしょうか?私は地味に『やるべきことをやる』というモットーをたてました。
一言に『やるべきことをやる』といっても、いろんなジャンルがありまして、ダイエット運動方面、早寝早起き方面、オニギリ作戦、新曲作成プロジェクト、いろいろ値切り法マスター、不用品一掃作戦、新バンド結成などなど割にプッと考えつくものから、不慮の出来事に対してどう前向きにゆくか、など、まあ平和に見えても人生は一寸先は闇ですから、どう動いていくべきかを『やるべきことをやる』というモットーにしたわけです。
で、新年早々フルートを分解しました。これは親しくしていたリペアマンの方に、なんとタダでオーバーホールしてもらっていて、とても長持ちしていたのですが、その方が音信不通になってしまったので、自力での分解に踏み切りました。
で、予想通り4時間後の完成品は見事、音が鳴らなくなってました。さすが自力!よく見ると笑っちゃうくらいフタのとじ目にスキマがあって、エア漏れがあちこちで起っている状態。なんでだろう。本来軽く閉じただけでピタッと密着させるのが完成品なので、いやー、さすがに職人の仕事は謎が多いですね。まあ、丁寧にしつこく粘って完成させます。そこは往生際悪いですから。完成したらドヤ顔で写真をアップしますね。
では新しい年、2015年もバンバン元気にゆきたいと思います!皆様もご健勝に過ごされることを願っております!! それでは本年も、どうぞよろしくお願い致します! |
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