アドリブな日々 Back Number 2009
 

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  2009.12.15    いよいよ教習も大詰めを迎え、2段階見極めが近づいてきました。今回大型自動二輪の教習について感じたのは中型二輪免許(普通二輪)の時と違って同じことを2回は言ってくれないなーということです。

 もちろんなべの天敵である一本橋(30センチ幅の低い平均台)やスラローム(左右切り返しコース)等高等テクニックについてはかなりアドバイスをしてもらいましたが基本的な走行については、アンタ中型二輪免許持ってるんでしょ、これくらいちゃんとやんなさいよ的なものがありましたね。こっちが20年ぶりのでかいバイクにヨロヨロ乗っかってるのなんか関係ないみたいです。

 でもそうして月日は流れ、なべはようやくナナハンのサイズとパワーに慣れてきました。ハズなのに、最後の最後の大事な見極めでついになべはバイクをコカしました!

 まあ停止寸前バランスを崩しての横転ですね。なべは例によっていち早くすたこら逃げたのでバイクと共倒れにならずに済みましたが、あわれ教習バイクはゴロゴロゴロン〜と横倒しになりました。

 たまたま教官がもう一人の方にかかりっきりで現場にいなかったのでなべは速攻でビデオの早回しのようにすばやくバイクを起こしすかさず発進し現場を離れました。でも悪いことはできんもんですね〜。ミラーが再起不能にぶっ壊れてしまいました。いくらハメようとしてもカラカラ落ちちゃうんですね。もうそこで本日の見極めは半ば諦め、教官に正直に白状しにいったのですが、どうやら走行中の転倒でないことと怪我がなかったことで見極めには影響しませんでした。逃げ足が良かったのが幸いしたのかな。

 まあとりあえずナナハン走行においては、走行中早い段階での安全確認とキビキビとした走り方が求められることを教官の話しぶりから悟っていたので、その日転倒以降はアピールするために、やたらキビキビキビキビ走行しました。キビキビしてるとなんか乗りこなしてるように見えるみたいです。

 そんなこんなでその日無事に見極め合格が貰えたので、早速次の日の朝早く卒業検定を受験し、これもキビキビアピールで無事限定解除となりました。まさに奇跡的としか言いようがないですが最短3週間で取れました。超過教習はお財布がかなり心配だったのでしなくて済んでホッと一安心です。

 そして数日後なべは、ようやく念願の免許証を交付してもらいました。一昔前の憧れの限定解除の文字こそありませんでしたが、普通自動二輪の項目の横に「大自二」の文字がさりげなく印字してありました。もう気分はうおう〜!でしたね。それと毎回警察の免許写真はかなりヘボいのですが今回もかなりの逸品で実に偉そうに威張って写っていました。でも今回は多分実際なべが偉そうに威張ってたのかも知れません。

 こうしてなべの生徒ごっこ週間は終わりを告げました。でもちょっとの期間でしたが人に習うのって楽しかったですね。
 
     
 
  2009.12.01     夢の限定解除。。。でも今は「限定解除」という、まるで選ばれし者だけが大空に羽ばたいていけるような自由っぽい言い方はしないんですね。単に大型二輪というだけです。限定解除お願いしますて言ったら自動車学校の可愛い受付嬢にハナで笑われてしまいましたがな。でもね、お嬢さん。この限定解除という言葉は僕たちの世代には超特別な響きなんよ。覚えといてね。

 で、なべは初教習行って参りました。初めてナナハンに乗った感想はというと。。。。。。。うー、ゴツいデカい重たいかわいくない!!! タンクなんかもうまるで岩ですよ。岩石。優雅さのかけらもない、ほんまに誰が何の目的でこんな岩の塊のようなゴッツいバイクを作ったんだろうと、もうビックリしちまいましたね。

 さらにビックリしたのはウォームアップで周回コースを教官についていった時のナナハンのそのムチャクチャな馬力です。岩速い速い。完全予想外のその驚異のダッシュ力は正直怖さを突き抜けてもうここでボク気絶してもいいですか教官、と言いたくなりました。
トルクでかいから低速でも全然エンストしないしちょっとアクセルひねったらバキューンて飛んでいくし、さすが岩の実力は凄まじいです。

 大型二輪の免許が必要な訳がようやく分かりましたね。普通に乗っちゃったら危険どころかアッサリ死にますよ、こんなもん。こんなのを作る人もこんなのに乗る人もやっぱり変です。まあでも自分のことは置いといて世の中そんな人が多いんでしょうかね。

 わたくしなべめは、ただ今現在第一段階見極めボロボロになりながら修了し明日から第二段階突入です。見極めで教官のライディングテクニックに感極まった表情をしてみせたら気を良くした教官がやたらなべを見ながらなべの前で盛んに立ち姿勢での模範(これ超難しい!)をやるから、なんと素晴らしい!!!とばかりに目をキラキラ輝かせてみせたらそれがよほど相当嬉しかったのかその教官先生、教習終わってから、オマケですよ、言いながらなべを合格させてくれました。

 このようになべは、ここぞ!という時にかなりイヤらしい手をちょろっと使いながら教官の心をとらえつつなんとかかんとかやっとる訳ですが、まあ免許は取ったもん勝ちですからねえ。でも次は頑張って岩の心をつかみとって見せます!
 
     
 
  2009.11.15    最初のおはなしでは。。。「そうですね〜、だいたい〜みなさん2週間ぐらいですか。費用は14万円だけででいいですよ。」初日。。。「ハイ、なかなかいいですね〜。そんな感じでとってもいいですよ〜。ワタナベさんなかなかスジがいいですね〜。」

  ところが2日目から。。。

  
「なんか忘れチョルよ。。。なんか忘れチョルて。。。。。(いきなり飛び上がるような大声で)サイドブレーキ戻さんとダメじゃろがね!!!なにやっちょっとね、あんたは!」

 以前も話しましたがこのように、わたくしなべは死ぬ思いで自動車メンキョを取りました。で、そういう悲しい恐怖の過去があるから、免許取得については良いイメージがぜ〜んぜんないのですがこの度つれづれにインターネットでバイクのホムペをみていたら、なんとナベが20代の頃憧れていて、でも免許がないばっかりに乗りたくても乗れなかった{HONDA CB650LC} が売りに出されておりました。

 このバイク、知っている方は殆どおられないと思います。あるブログでは歴代不人気車のグランプリ候補らしいです。しかも当時このバイクに乗る為に必要な免許試験は警察試験場のみでの超難関、しかも650ccという中途半端な排気量、パワー時代にそぐわない一昔前の非力なエンジンはそれだけで見向きもされませんでした。当時でも殆ど市場には出なかったくらいの珍しい車種です。それだけに27年後の今回の再会にはすごい奇跡を感じました。

 多分今回が最後のチャンスでしょう。わたくしナベめは頑張って恐怖の教習所に通うことにしました。で、バイク買うのって他にいろいろ出費があることに久しぶりに気付きました。ヘルメットにブーツにシャケットにレインスーツにシートカバーに盗難防止鍵に。。。バイク本体は免許取得の暁までショップの方のご好意で預かってもらうことになったにしろそのバイク代に諸費用。そして肝心要の教習費用。

 サテ現役から離れてウン十年のなべははたして何回技能講習を受ければいいのでしょうか?そしてそれまでなべのささやかな預貯金がもつかどうか。多様な出費でただ今現在すでになべの預金残高はついにレッドゾーンに突入しました〜〜〜。またご報告します〜〜〜。
 
     
 
  2009.11.01    親のリクエストで、演歌歌手の岩出和也の『桜のころに』を吹いて欲しいと言ってきました。ただ宮崎には楽器は置いてないのでこっちでCDを作ることにしました。

 最近のカラオケボックスは便利ですね。「楽器吹きますけどいいですかあ〜。」なんて言ったら「アンプとかお使いでなければウチは結構ですよ。」なんて言ってくれました。で個人借りですから2時間たっぷり吹きまくって、お値段なんと700円程度。こんなんで商売成り立つんかなアーなんて、心配になるくらいですが、そこのカラオケ屋さんはもう10年以上ずっとあるので少なくとも儲かってはいるんでしょうね。

 久しぶりにガチでマジに演歌吹き倒しましたね。やっぱ、日本人でした。(どっから見ても日本人です) 自然なコブシや間やシャクリなんかが初めての曲にも関わらず、ええ感じで溢れるように次から次に出てくるんですわ。もう男、港町、酒場の涙(意味不明)てな感じです。見せたかったですよ、皆さんに。ボックスでひとりアツく演歌をサックスで吹き倒すナベの勇姿を。きっとホレちゃいますよ〜。今回の収録曲は、前述「桜のころに」の他、森昌子の「きれい」、唱歌の「庭の千草」や「波路遥かに」「ベサメムーチョ」など全5曲を収録しました。

 いやいや、なかなか充実した休日を過ごしました。やっぱ演歌や懐メロにはギターとかサックスが似合いますね。で、意気揚々と帰途につき自宅に帰るなりマック君で早速CD製作。これはものの30分
もかからず完成〜。なかなかの力作でした。親の若かりし頃の結婚写真をCDジャケにして、下に小さく(演奏:渡辺順一)なーんていれちゃったりしました。くー、これもう親泣くね。ワシってなんて親孝行
なんだろ、と思いながら勝手に楽しく盛り上がった涼しい秋の一日でした。

 自分のCDもそろそろ頑張って作りましょうねー。(前向きな自分)
 あーそれはめんどくさいんだよなあ〜〜〜。(素の自分)
 
     
 
  2009.10.15    時ならぬ大掃除に最近ハマっておりました。「いやあ〜、ウチは散らかってて人を呼べないんですよ。」なんてよく聞きますがイザそんな方のお家に行くともうぜ〜んぜん大オッケーだったりします。まあ頑張ってちょっとは片付けたんでしょうがそういうのは人を呼べないとは言わないんです。

 その点ウチは筋金入りで人は呼べないです。呼んだらハウスダスト及びその他で来た人が病気になりますんで。住人は耐性ができてるから大丈夫なんですけどね。よくインドとかで赤痢になって帰ってくる日本人がいますがあれです。現地人は大丈夫なのにナゼ?ってやつです。

 まあそうはいっても限界は越えていたのでお部屋を片付けることにしました。そこで部屋の片付けにいちばん大事なものは何か? この度わたくしナベは一気に悟りました。 そう、それはイメージです。よくハリポタとか魔法で物を動かしたり一気に本棚とか一気にに片付けるシーンがありますが、あれを頭の中でひゅ〜っとイメージするんです。そうするとどんなにとっ散らかってもその後の物の動きがとても無駄無く移動してあら不思議いつの間にか片付いちゃってたりします。まあ片付けるのは人力ですが。

 そうこうしてるうちにやっとようやく片付け終わりました。延べ二十日間にわたる大掃除でした。紙類のゴミがすごかったですね〜。譜面関係その他ですね、業務用90リットルポリ容器にかるく10袋はありましたか。なんかスッキリして超ダイエットな気分です。今まで重たかったろうね、とお家をいたわりたい気持ちでした。

 でもこれって片付けのコツと快感を知ってしまった今ではちょっとウズウズしてしまいますね。サックスホリックな私ですがまたあらたな中毒症状にハマっちゃったみたいです。まだかたづけるトコがどっかないもんかね〜。
 
     
 
  2009.10.01    先日母方のおばあちゃんの訃報が届いたので急遽田舎に帰ってきたのですが、地球温暖化同様、地方の過疎化は確実に進んでいることを実感しました。

  
その場所はなべが小学生の頃学校の担任が嫌で嫌で週末になると逃避行していた海沿いの小さな集落なんですが、あの頃とビミョーに変わった事が2つありました。

 1つはあの頃ここの田舎道を歩くと、本家の明美姉ちゃんだの従姉妹の弘幸だの、顔見知りも含め賑やかにもいろんな子供達と遭遇したものでしたが、今回ひとりの子供ともすれ違いませんでした。

  
もうひとつには、集落のあちこちに人影のない家が増えていたことです。

  
この集落では大人になると漁師になるか山で林業あるいは畑を耕すしか糧を得る道がないので子供はいずれ村を出ていきます。そうして村には年老いた親だけが残り、年月を経て彼らがいなくなった後は主をなくした家だけがツタの絡まるままにだんだんと荒れ果てていくのでしょう。

 今回びっくりしたのは本通夜前に一旦集まった集落の面々の中でなべが最年少だったことです。時刻も夕方に入り、葬儀社の車も到着しいざ出棺となった際、あたりに集まって来てくれた人々は皆さんおじいさんおばあさんばかりでした。

 ウチのおばあちゃんが92歳の大往生だったのでお集まりのじいばあはそれよりもかなり若いのでしょうが、それでもその下がスコーンと抜けて若手といえるのがなべ一人という実情が、薄暗くなってきた集落の風景と相まってなんだかとても寂しかったですね。

 そういえばなべは子供の頃、この集落でなぜか小銭をばらまきながら進んでいく葬式行列を見た記憶があります。

 その時のなべはまだ幼稚園かそこらだったので、わざわざウチの親がその葬式を見せる為に連れてきたんでしょう。普段はお金に厳しいウチの母親が、ホラ順チャン、お葬式の死んだ人が最後のおこずかいくれるから行ってらっしゃい、と言ったので他の子供らと喜んで駆け出した覚えがあります。

 この風習の意味はよく判りませんが一説には、故人が残したお金をきれいに残さないようにする、またあるいは故人から世間様へ今までさまざまお世話になったことへの最後の恩返しだろう、とのことです。

 でもなべ的にはもし自分のお葬式の隊列に、沢山の子供たちがいてきゃあきゃあはしゃいでくれてたらもうそれだけで告別式を待たずしてさっさと成仏できる自信があります。それだけこういう場での子供という無邪気な存在にはホント心が救われますね。多分この風習はそっちの子供パワー狙いのような気がします。

 だから今回特に、やっぱりこういうシチュエーションではキッチリ子供、孫の世代も参加して、幼い頃から人の人生の終わりというものもちゃんと実体験として学んで語り継いでいかないといかんよと思いました。

 いやあ、今回ちょっとマトモにしんみりでしたね。たまには良いこと言うでしょ。それじゃ!
 
     
 
  2009.09.01    遠山の金さん。ふだんは市井の一無頼漢として庶民のたまり場でひょうひょうと過ごしながらも悪を憎む所はなはだしく、庶民を苦しめる呉服問屋の陰謀を内偵し、斬り合いになるとまぶしいばかりの桜吹雪を散らせつつ、御用だ!が来るとなぜかうまく逃げのび、最後の最後にお奉行として上から目線で悪人を断罪する。

 やいやいやい!黙って聞いてりゃおめえら言いたい放題ぬかしやがって。おてんとさまはおめえらの悪行三昧はちゃ〜んとお見通しなんだよゥ!!この桜吹雪が目にはいらぬかア! この意外の展開にそれまでシラを切り通していた小づら憎い悪人どもがびっくりしてギャフンとなって、被害者のお琴さんとかが「まあ、きんさん!」となる所あたりはなんだか水戸黄門に通じるものがありますね。この爽快感というかスッキリ感が長年のロングランの秘訣でしょうね!

 ただ、ただですよ。金さんの場合はどんなに衣装が変わってもカオは同じだから、桜吹雪を待たんでも、その前段階の、一同のものオモテを上げい!の瞬間に絶対バレると思うんですがね、わたし。
 
     
 
  2009.08.15    この人誰かに似てるよなあ〜なんて思った時、ああ知り合いの誰それに似てんだー、やっぱ似た顔の系列ってあるんだなあ、て思います。

 でもね、たとえば女性が芸能人やタレントさんとかに似ているとしたら、それはホメ言葉に該当するから口に出しやすいし本人に直接言ったりも出来るからまだ救われるじゃないですか。男の場合、割に親しかったら多少変な芸人とかに似ててもシャレで言えますわな。

 でもたとえば今どきのオシャレな女の子とかが、たとえば織田信長に似ていたとしたら言いたいですけど言えないですよ〜。織田信長自体は男性として男前の部類に入ると思うのでそれの女版だからキリっとした女性ということで、ホメ言葉に当たるはずなのにやっぱり「なんか雰囲気、織田信長っぽいよね。」とは言いにくいですよね。近くにいるんですよ。誰とは言えないけど。

 あとお仕事仲間の女性が、関取の稀勢の里に似てましてね。これもとっても言いたいけどやっぱり絶対言っちゃあいけないですよね。仕事上差し障りが起こります、きっと。でもいつか油断した時にポロッと言いそうで自分が怖いのです。

 自分が怖いと言えば実際の失敗例として、顔が似てた訳じゃないけれど、体型が妊婦さんに似ていた女性にうかつにも、「今、どれくらい(何ヶ月)ですか?」と聞いてしまったことが人生において2回ほどあります。うち一回はノリのいい方で「いま3ヶ月!」とわが腹をポーンと叩かれたので、真に受けたなべはお祝いを買ってお渡した事があります。その時の「えっっ?」といった表情がいまも忘れられません。

 口はわざわいのモト。いい大人になってコケたらあとあと一生ダメージ大ですね。みなさんも気をつけてね。
 
     
 
  2009.08.01    人間ムリのきかない体にだんだんなってくるもんだ、というお話。ずーっと前、一年くらい遡りますかね、持病の喘息が出てしまいまして、それまでは市販のお薬を服用したんですが、ナント全く効かなくなっていました。

  
子供の頃は強制的に医者に連行され、えらいぶっとい注射をブスリと打たれて泣きながらも体の方は回復してたのですが、大人になったら市販のお薬でなんとか誤魔化してました。でも今回あたりからとうとう体力的にきっと追っつかなくなってきたんでしょうね。

 もう不思議体験でした。酸素というものが生き物にとってどれだけ重要なのかを思い知らされました。まず台所に水を飲みに行った帰りにもう床にへたばってます。いつもは3分で着く駐車場に行くのにすら余裕で20分かかりますし横断歩道は100%渡れません。途中でタイムオーバーの赤信号になってしまうからです。電車なんかには当然乗れませんね。仮死状態になるだけです。

 空気がタダっていうことがなんと有り難いことか。いかに体の細胞というものが酸素に支えられて活動できてるか身に沁みて感じました。ですから健康的に生活できるということがいかに贅沢なことかということですよね。皆さんもこれからの暑い夏を是非とも健康的にお過ごしください。
 
     
 
  2009.07.15    こないだ映画の話をしましたが、最近レンタルで『28週後』というホラー映画を見ました。

 これはなべのあまり好きでないブチューとかはなかったので充分楽しめました。内容はウィルス感染型のゾンビに汚染されたイギリスの都市のお話なのですが、イントロからいきなり怖かったですね〜。見つからなように見つからないようにという恐怖のかくれんぼです。怖いのはこのゾンビがやたらに高速なんですわ。だから一旦見つかったらもう全速力でトワーッて逃げないと食われるんですね。

  
今考えたら、そうコワクはないですけどね。でも見た時はなんか疲れ果てて抵抗力がない状態だったから、もうドキドキにコワくて泣きそうになりました。誰や!こんな映画作ったん、おもろいやんけー!と2時間の間、思いっきりハマってしまいました。

  
多分、暗闇とか密室とかの閉塞感がなべの恐怖のピンポイントにグサグサくるみたいです。ちょっと古いですが『サイレントヒル』の時もサイレンがブワァ〜ンって鳴ってからの暗闇タイムがもうたまんなかったですもん。見てない方は是非見てくださいね〜。できれば、見終わった時間が夜2時あたりになるように設定して見始めると、楽しいですよ。見たあとに自宅にいながら見えない妄想の恐怖が味わえます。この夏是非ドーゾ。では〜。
 
     
 
  2009.07.01     独り言を言って年をとったなと感じる 時々やめてしまいたくなる なにもしっくりこない気がする だらだらして顔をしかめることしかしない 雨の日と月曜日はいつも私をブルーにするの

 小学生の時、初めてこの歌の和訳を読んだ時、なんて夢も希望もないうっとうしい歌詞なんだろう、とウンザリした記憶があります。メロディはとってもいいのになんでアメリカ人はこんな大味な歌詞を平気でつけるんだろう、ソウルがないなあ、解っちゃいないね。フィンガーファイヴとか沢田研二みたいなカッコイイ歌詞にしたらもっと売れるのにと、おバカなことを思いました。

 解っちゃいないのはもちろん自分だったです。件の歌はカーペンターズの世界的名曲『雨の日と月曜日は』でして、その歌の素晴らしさは齢40を半ばにしてようやくのこと解りました。もちろんフィンガーファイヴや郷ひろみより売り上げ枚数は当たり前ですがすごいですよ。まあ紙面なのでメロディをお伝えすることはできませんが、このメロディにこの英単語のハマリ方!クールでけだるい当時のヒッピーな虚無な世相を彷彿とさせる素晴らしい曲ですね。

Talking to myself → 独り言を言う
feeling old → 年をとったなと感じる

  日本語ではこうサラッとリズム感よくメロディにフィットしないですね。いやあ、いまさらながら歌詞ってたいした芸術家ですね。もう深夜2時に何回も繰り返し聴いちゃいましたよ。でもここまでこの曲に共感するのは、あるいは自分が実際によく独り言をブツブツ言ったり年をとったから〜なのかなあ、とふと思いますね。うーん。それではまた〜。
 
     
 
  2009.06.15    初めて映画で感動したのは『スターウォーズ』でした。当時の感覚では、未知への世界への憧れのツボをバシバシ押されまくった気がします。映画館を出た瞬間、しまった!!まだ出ずに最初からもう一回見るんだった!!と、つくづく後悔しました。それぐらい、アドベンチャーな広大な宇宙と宮崎の空はギャップがありました。

 次に映画で感動したのは『宇宙戦艦ヤマト』でした。当時思春期でしたから、学校で好きな女の子とヒロイン森雪とを重ね合わせて一気にヴァーチャルな世界へ引きずり込まれた気がします。映画館を出た瞬間、しまった!!まだ出ずに最初からもう一回見るんだった!!と、またまたつくづく後悔しました。それぐらい、宮崎の能天気な空は思春期の目に空しく映りました。

 でもそれ以降、感動の映画に巡り合ってないですね。若い頃の感性は瑞々しいから、という理由もあるでしょうが、最近のハリウッド映画はなんか自分の中ではかなり厳しいものがありますネー。うーんなんか、ストーリーが単純すぎるのと、定番の水戸黄門の印籠あるいは入浴シーンのように、必ず最後にブチューで終わるのが定番になっちゃってますな。

 別にブチューはいいんですよ。でも終わり方がなんかパターン化しててね、面白みにかけますなあ。さんざん主人公が戦って戦ってそうしてやっと戦い終わった頃にポリスがピロピロいいながら登場して一件落着、でなんかオシャレな決めセリフみたいなあとにブチューで終わりですわ。どうよこれ。

 なんかでもまあ、私は娯楽に欠けてるのでこの際ブチュー入りでもいいからこの映画絶対おもろいでー、という映画あったら教えてくださいね。皆さんヨロシク御願いします。見る映画が偏ってるのかなあ〜。
 
     
 
  2009.06.01    昔高校時代に友人を家に呼んだら、いっつもこんな中で生活してるの?とサラッと言われたことがあります。

たしかにその時の自分の部屋はなぜか紙類が散乱してて、自分の中ではすぐ片付くから別に大丈夫な範囲だったんだけど、他人は認めてくれませんでした。

一時期、やたら素敵な部屋に憧れて、壁紙を張ったりインテリアにこだわったりし倒したことがありましたが、あれは若いエネルギーが有り余っていた時でリッチな生活への憧れのひとつの表れだったような気がします。今ゼ〜ンゼンですもんね。

まあでも部屋はこぎれいにしとくにこしたことはナイですね。なぜならイザという時にモノが見つからないんですよ。しかも時間のない時に限って。その時は過去の自分がこうしたであろうという行動パターンを思い起こし、そこから遡って部屋の中を移動して、探すんですがでも見つからない。それはなぜか。部屋が散らかっているから。

でも私の場合、パソコン付近の積年の散らかりの蓄積とは恐ろしいもので、片付けようという意欲を根こそぎそぎますね。ま、いっか〜という気分になっちゃうんです、毎回。

今パソコンの上にはダイエットの粉がのっててその下にヤマザキのランチパック、横にはメンタムとNTTの封筒、その他紙類、目を上げると何かが入っている謎のビニール袋、それやこれやでこの区画はパツパツ状態です。

判っていただけましたでしょうか。高校時代のDNAはいまだ脈々と受けつがれ、現在にいたる、です。でもまあこれより数段上手の方おられましたら、メールください。 殺到したりして。
 
     
 
  2009.05.15    皆さん、腕時計の秒針が文字盤と微妙にズレてるのって気になったことはありませんか?ナベは数年前おとおさんからえらく高価な、多分なべの身につけている所持品(楽器以外)の中で一番高いであろう高級腕時計をもらったんですが、コイツも秒針がカチッ、カチッと文字盤の目盛りを微妙に外してるんですよ。何考えてるんでしょうね。

 気になって調べた所、それは精密機械の歯車のセッティングで仕方ないというメーカーのご意見が圧倒的でした。うーん、そうなのかー。たしかに円周率は無限に続いてる(あの円周率というのもいったい何考えてるんだろか?どっかで終われよな)関係からか、歯車がキチッと60分割できずブレるのかなあ、なんで同情してもいいんだが、文字盤も同じように60分割ですよなあ。どっちかに60の割り方を定めてそれに合わすことはできんもんだろか?

 なんか面白いのは外し方にもこだわりがあって、12時だけ秒針がピタっと合ってあと適当とか、最初からヤル気がまったくなくもうメチャクチャなやつとか、ナゼか5分と35分はキッチリ頑張ってあとは全部ツメが甘いとか、いろいろあるらしいことです。ちなみにわたしのおとおさんプレゼンツのシチズンアテーサは、調べたホームページではすべてがビタッッ!!と合う大当たりの個体として激賞されてましたが、なべのアテーサはそのアテーサよりも高い機種にもかかわらず、全部の目盛りをスカッスカッと等間隔でハズしてました。

 じっと見てると応援したくなるんですよね。次こそはピッタリと合ってくれよ、と。そら、そこだ!もうちょっと押さえて!あ、ホラ、行き過ぎや。次頑張れ。ほれ、そこや!ホラ、だから行き過ぎやっちゅうねん、おまえ!!次!そこやッ。。何で今度は届かんねん?
、とまあこんな具合です。実にじれったいですよね。

 実際の時計はまあ物理的に組み立てのセッティング時にズレたってこともあるでしょうが、笑っちゃうのがケータイの待ち受け画面でアナログ時計を選択するとコイツの秒針も、現実の時計を再現したいのか、『25分と55分を頑張ってあと適当』の動きをリアルに再現してくれていることです。ソフトウェア上のことなんで文字盤ズラすとか秒針の動きズラすとか臨機応変にプログラム組めよとか思うけど、やっぱりこれも円周率の呪いなんでしょうか?あるいはリアルをもとめるAUのこだわりなんでしょうか?こだわりだとしたらこのプログラマーはきっとかなり変な人でしょう。

 そうそうこのズレのきわどさがリアルのいい味出してるんだよねーとか、このズレ方はオメガでよくあるんだよねーとか、台湾製はこの1秒なんだか2秒なんだかよくわかんなーいパターンだよね、なーんて一人でブツブツ言って合コンでも浮いてるんじゃないかと。まあそんなこたあどーでもいいですがー。お願いだから誰か秒針の動きをナントカしてくださーい。
 
     
 
  2009.05.01    内職用に、ラジカセを一台買うことにしました。お家には、ずっと前に購入した憧れだった大事なサンスイのステレオコンポーネントがあるんですが、仕事でガンガン使うのにもっと機動性の高いヤツが一台欲しかったので、今回思い切って買うことにしました。

  
なんか、ステレオのカタログとか見るのって相変わらず楽しいですね〜。今回は購入予定のお店がヨドバシカメラだったのでヨドバシのホームページをいろいろめくってみたのですが、ステレオのコーナーとかいろいろ見てたら、よだれ流して気絶しそうになりましたよ。

  
あーもうなんかウットリですわ、女性の方がランジェリーじゃないや、なんだっけ、ラグジュアリー?ジュエリーや!!そう、ダイヤとか宝石を見てウットリするのと一緒かなあ、なんて思います。なんか音響メーカーによってこだわりのサウンドとかあって、いろいろと機種をチョイスして自分好みのステレオサウンドを創る、という過程は大人の幸せを感じれる一瞬でもあります。まあ今回は『ラジカセ』なんですが。
 
  
で、自分の場合は仕事柄MDを使うことが多いので、MD付きラジカセを見てみたのですが、もうびっくり、MDってもう少なくなってきてるんですね〜。14、5年前だったかMDが登場した時はかなりセンセーショナルで、時代はテープからMDに移ったなあなんて思いましたが、とんでもない、ラジカセレベルではいまだにテープは根強い人気があって息が長いです。持ち運びのポータブルタイプではMDはもう一機種しか置いてなく、ほぼ全メーカー撤退ですわ。
 
  
今ではやはりコンピューターとの接続が可能なICレコーダーやデジタルオーディオプレーヤーなどが主流になってきてますね。でもなべはどうしてもMDが必要なので、頑張って探しました。ところ、ここヨドバシではラジカセコーナーではなんとか充分選べるくらいには機種が揃ってました。さっすがですね〜、地元のコジマではこのコーナーはスッカラカ〜ンでしたが。で、大満足とともに手頃なのを買ってお買い物終了〜〜。

  
お家に持って帰って、まあお仕事用で買ったのでいそいそとラジカセ専用のコーナーを設けたりして結構久しぶりに楽しかったです。安いやつですから別段何がいいって訳ではないんですが新しい物ってなんか新鮮な刺激があってウキウキ楽しいですよね。これからゴールデンウィークでぐーたらと家でなにかと仕事をする予定なので、しばらくはラジカセ君の新品感と共に楽しく過ごせそうです。お買い物って幸せを運んでくれますね。

  
でもなんとなくショッピングにハマって自己破産するOLさんの気持ちも判ったような気がしました。日頃のストレスをあのささやかな幸せ感が吹き飛ばしてくれるんだね、きっと、よく判るよその気持ち。だからお買い物は計画的にせないかんですね。でも定額給付金ももうそろそろ案内がくるころやろうし、次何買おっかなあ〜〜〜。
 
     
 
  2009.04.15    こないだミーティングで「じゃ次回の(◯◯◯)はなにしましょうかね〜」というのが言いたくて、この(◯◯◯)という単語がギリギリのところで口から出てこなくて超難儀しました。

 でなかったら他のことばに転換して、次回の演奏曲、とか、次回のカバー曲、とか言えばいいのに、この(◯◯◯)という単語が脳から出てこない状態がとても気持ち悪くて、ひとり頑張ってはみたんですが自力ではなかなか解決せず、もうかなり脳みそ内の電気信号が混信しまくりました。

 あ、なんか出てこないかも、ていう感覚って事前に判るんですよ。そこで、あれ、なんだったっけ?とタイミングわるく脳みそが力むと単語、文章の出てこない壷に見事にスポッとハマッっちゃうんですなあ。

 出てこない常連は、ジョニーデップだの原監督だの人名が多いのですが、今回のようなちょっとした単語も日々薄れているような気がします。今回は、(出し物)という単語を出そうとしたのですがアセればアセるほど、(出物腫れ物ところ構わず)という文章ばっかりが出てきて脳のなかでとっても邪魔でした。見たいテレビのいい場面でのジェット機の騒音みたいな感じで。あと一歩のとろで届かない、みたいな。 

 みなさんもこういうのってないですか。思い出せない歯痒さみたいなの。数日後、まったく関係ない時に、この『出し物』という単語がようやくフっと出てきましたよ。。もう何なんでしょうかね、この症状は。脳みそが頭の中でグタッと倒れこんだのがわかりました。はーおつかれさまでした〜〜。ではまた来月〜。
 
     
 
  2009.04.01    昔子供のころ実家に図鑑がありまして、雨のヒマな日とかにつれづれによく眺めておりました。ウチはそんな高尚な家でもないのになんであったんでしょうね、わりに一式揃っていたような記憶があります。

  いろんなシリーズがありましたが、特に海洋生物のやつが好きでしたね。岩場に隠れる小魚の絵とか、海藻の影で眠りにつくナントカとか、海の底のささやかな生活感がいろいろ想像できてハマってましたなあ。それにサヨリだのスズキだのわりにしっかりとした絵が描いてあって、だいたいどの魚の説明文にも最後に食えるか食えないかがしっかり明記してありました。しかも書き方が、食用だがまずい、とか秋になるとうまい、とか表現がめちゃストレートで判りやすかったですね。今考えるとサスガ魚消費大国日本ですね。そういう図鑑のすみずみにまで食文化が色濃く反映してましたね。

 あとは天候の図鑑もありました。これは、個人的には超大好きで、挿絵がなんともいえずイイ味出してました。北風の強い街角の風景とか、雨の公園の絵とか、なかなか奥行きある画法でその場の空気感が伝わってくるようで、なんだか知らない街を旅してるようで良かったです。あと日本列島に吹き付ける大陸の雪の様子を表したやつなんかがあったのですが、北陸地方の積雪を強調したいあまり日本列島をムチャにねじ曲げて描いてあって、きっとこれ描いた人は(だから冬でも角度的に九州には雪は降らないのである)と言いたいんだろうなあと、子供心に大人の世界の作為的な意図を感じました。

 ほかには昆虫シリ−ズ(これはバイブルでしたね)もお気に入りで、でもサスガにイモムシの大群、木にへばりつきの写真は、ウオウといつも思わされましたね。かなり気絶ものでした。  あと宇宙シリーズ。超新星の写真(実は星の最後の大爆発の写真で新星とは名ばかりなのですが)とか、青く元気に輝く若者星と、かたや黄色くボヨンと膨張してきた老人星の集まりの写真とか眺めるのが大好きでしたね。お隣の宇宙、大アンドロメダ星雲とか言われても、200万光年先にいらっしゃるようで距離も規模もデカすぎて空間としての認識が想像の範疇を越えてしまい、その非現実な感覚がやたら楽しかったですね。

 極めつけは日本語の図鑑。じつはここの中に日本語の文章の成り立ちみたいなのが書いてありまして、ナベはそれをパクってですね、夏休みの宿題みたいなのに提出したらナント担任から大絶賛を受けた事がありました。担任は知らんもんね、そんな図鑑があるなんて。だからナベが夏休みの間に自力で研究したと思ったんでしょう。あまりに受けてナベの周り中クラスメートの人だかりができたもんだから、ナベはその栄光を一回で終わらすのはもったいなく、3学期にもなんかの時にもう一回ソレを書いて出してみたら今度は、またか、みたいな冷たい顔されたのを覚えてます。

 多分その時には図鑑の存在がバレてたんでしょな。一回目の時、教員間にナベの自由研究のソレが出回ったんじゃないでしょうか。ウチにはスゴイ生徒がいるみたいなノリで。で、そのうちなんかこの文章どっかで見たぞ、みたいな展開があって、ある日別の教員からウチの担任はその事を指摘され、結果恥をかかすわ泥を塗るわという結末になったのではないでしょうか。

 意外に先生だまくらかすのって簡単じゃーん、と思った記憶があります。だがその先通信簿でイタい目を見ることまでは想像できなかったようですね。いまだに懐かしい心のシコリになってます〜。
 
     
 
  2009.03.15     最近手元からモノがよく落ちるようになってきました。というか、手元がおぼつかなくなってきたような気がします。

よく携帯とかICレコーダーとか自分が大事にしてるモノに限って、取り出した拍子になぜか手元から勢いよく吹っ飛ぶように飛んでいってしまうんですよ。で、小刻みな傷がアチコチについちゃって、うーんとなるんですよなー。

こないだなんか朝、床に落ちた水を拭こうとしてロールペーパーを手にした瞬間、ロールペーパー自体がまるで生き物のようにナベの手から弾けるように飛び上がって放物線を描いて水たまりに着地した瞬間、怒りのあまりロールペーパーに向かって悪口雑言を浴びせました。この瞬間に、こうきたら、一番ムカつきますーという展開ですな。

あとまた最近ですが朝のお楽しみをセッティングしてたら手がナゼかお味噌汁のお椀をヒットしてひっくり返してしまい、朝からもうやる気マイナスまでいってしまいました。味噌汁目の前に見えとるっちゅうねん、なんやのんこれ、この展開、なして手をその角度で振るかなー、がああ〜、となりましたね。

人生も40年を過ぎると生き方自体も大雑把というかだいぶアバウトになってくるんですかね。脳がキチンと働いてくれないというか、サボってる感じはよくします。そういや、またこないだですが宝くじ売り場の前で風に吹かれた瞬間、ナゼかお釣りの300円を勢いよく公道に撒き散らしてしまい、しかも一つとして目で転がった先をモニターできませんでした。

唖然と茫然自失が重なって人生終わりたくなりましたね。ただその時、周りの数人の歩行者の方々が1人一枚ずつアチコチにバラまいた300円をそれぞれ無言で拾ってナベに手渡してくれました。なんかそれだけのことですが、もう超感動しましたよ。東京の人って優しい人多いですね。

宝くじは30連敗中です。ただ宝くじ売り場のオバチャンがナベの姿を近くに見ると、スクラッチ一枚をスッと用意してくれるようになったのがとても嬉しくこれまた感動なんですよ。何千人何万人いる宝くじバイヤーの中で月曜日の3時のナベを覚えてくれてるんですね。自分の中ではこの2つのエピソードはちょっとほのぼのとしたいい話なんですが。

要するに何が言いたいかというと、人というのは助け合って生きているということです。どこかで支えあってお互いを励ましあう、そして年をとって手元が狂う、ということです。いいですね。 分かっていただけましたか?
 
     
 
  2009.03.01    こないだ仕事から帰ってきて階段を登ってたら、踊場のところに小学生くらいの男の子が突っ伏して座っておりました。普段はめったに住人とすれ違うことはないので正直ビックリしましたね。でも最近の殺伐とした世の中ですからもしかしたらなんかあったらいけん、そう思って声を掛けてみました。

「オイオイ、ボクどうした?だいじよーぶ?」 すると子供はハッと顔を上げナベを見上げましたが、その目にはみるみる涙が溢れてきました。ナベは慌てて 「オイオイ、どないしたん!ボクどっから来たん?」 そう聞くとその子は急にえずきながら 「そこの、、、えっ、、いえです、、うっ」とすぐ横の扉を指差しました。

(なーんだ、誘拐とかじゃないんだ、良かった良かった)なんて思いながらなんか気になるので 「どうした、こんなトコで。寒いぞ、お尻冷えるぞ。」なんてオッサンみたいな口調で問いかけるとナベの優しさに触れて涙腺がさらに緩んだのか「えっっ、、、えっ、、だっ、だいじよーぶです、、、すっ、すいばぜん。」とか言いながら泣き顔を見られるのが嫌なのか、階段の手すりに捕まってえずきながら、そのままずりずり階下に落ちて行きました。

その子の指差した扉の向こうからは 「・・・・・」 まだなにか怒っているのでしょう、炸裂ママのキョーレツカミナリが耳をつんざくように聞こえてきました。一瞬、ウチの子にいらんことすなーとナベが怒られたんかな、とビビったくらいです。あれは泣くね。子供はひとたまりもありませんわ。でもあんな礼儀正しいいい子なのになにやらかしてママ怒らせちゃったんだろう、なんて思いながら、ママの炸裂具合があまりにもチョーマジだったんで、(子育ても大変なんやろなあ)なんてシミジミ思いました。

今回の話にオチはありません。強いて言えば次の日の朝、昨日さめざめ泣いてたその子が 「行ってきま〜す!」 と元気に出ていったのが聞こえたので(子供は復活早いな)ということですかね。ママもいろいろと大変なんやろけどあんまし叱んないでね、と心の中で思ったナベでした。
 
     
 
  2009.02.16     こないだ深夜に夜更かしを楽しみながらテレビを見てたら面白い特集をしてました。内容は【男性と女性の会話の違い】でした。

コミュニケーションのとり方の違いを原始時代の人間を参考に解説してたのですが、女性は女性同士、集落で家事炊事とかをしながらの会話、いわゆる井戸端会議が得意で、これは人間関係構築型のコミュニケーションの典型だそうです。

これが男性の場合、男は狩りに出ますよね。狩りに必要な会話は獲物に気付かれないようにする必要がある為、男は必要最低限の会話に長けているそうです。例えば右に何頭獲物がいるとかいった情報を瞬時に最小の言葉で伝え合うのが得意でこれはいわば問題解決型のコミュニケーションに類するようです。

先日新聞の特集で、派遣切りにあった労働者の駆け込み寺というべき派遣村になぜ女性がいないのか、という特集記事がありましたが、それによると女性は住む所がなくなっても普段から培ってきた人間関係ネットワークを遺憾なく発揮して友人親戚その他どことなりに身を寄せ不況の風をやり過ごしているらしいです。本能的に撤退のすべを心得てるんでしょうな。これも女性の持つ人間関係構築型コミュニケーションの成せる技ですね。

そういう背景の違いからか女性は直接相手を見て相手の顔の表情から感を読みとるのが大得意らしいです。おそろしや。しかもその時の脳みそはそんなにパワーを使ってないそうで、いわば読心術は女性特有の名人芸、工のワザといったとこでしょうか。これが男の場合となると、もう全然ダメダメで、男性は脳内パワーを女性の2倍も使って直感を働かせてもなお相手が何考えてるか結構外しまくるそうです。

ですからそのテレビいわく、女の子にモテたいと常々考えておられる方は井戸端会議的な会話に慣れると良いらしいですよ。お話を聞いてあげる、というごくごく基本的な過程でいろんな心の交流が生まれてきて女性は親しみを感じてくれ,結果モテるようになるらしいです。

ほんとかなぁ。。。
 
     
 
  2009.02.01    ここに一冊の本があります。{ 8時だョ!全員集合伝説 }。この『8時ダヨ!!ぜんいんしゅうご〜〜う!!』のフレーズ、 読者の方の中にもこのフレーズで育った世代の方は多いと思いますよ。私も、子供の頃毎週土曜日にこの番組を見て大笑いするのが唯一の心のオアシスでしたね。ですから最後にカトちゃんが『歯〜みがけよ!』『また来週〜!』という瞬間がとても悲しくて寂しくてたまらなかったです。
 
 いつ頃から見始めたのかはさだかでないんですが、小学校の頃、担任が大っ嫌いでイヤでイヤでたまらなかった時に現実逃避的に見てた記憶があるので、志村が加入する前の加トちゃん全盛時代からのファンのように思います。懐かしいですね〜、『うおっす!もう一丁、うおっす!!』もうこれだけで在りし日のドリフターズとお茶の間の団欒のひとときが彷彿とされますね。

 いつも不思議だったのは、番組が始まった瞬間の、ブラウン管を通して一気に伝わってくる会場の熱気でした。直後いかりやの『8時だョ!〜』のかけ声と会場の『全員集合〜!』の声のテンションの高こと。これは伝説本によると、通常本番5分前に始まるスタッフによる拍手の合図等々、事務的な前説が『8時だョ〜』の場合、ドリフメンバーが30分も前にステージに立ち『はい、そこのおかあさん、拍手する時にワキの下押さえないように!』とか『高木ブーにえさを与えないでください』とかミニコントを繰り広げつつ、会場中を大盛り上げに盛り上げて一気に本番に突入していたそうです。

 さすが視聴率40〜50パーセントを誇った怪物番組ですね。びっくりしたのはこの土曜日の一時間の生放送の為に毎週ドリフメンバー全員が木金と徹夜に近い状態でゼロからコントを作り上げていたということです。普通放送作家とかがネタ作りとかはやるもんでしょうがドリフの場合、いかりやが少しでもネタに違和感を覚えるとすぐに待ったがかかり、そうなると平気で5時間6時間が過ぎていき又始めからの構想の練り直しです。毎回こんなんですからリハのランスルーなどする時間は到底ありません。いつも本番ギリギリまでネタ合わせに費やされそのまま本番突入だったそうです。まさに生みの苦しみ、これをなんと16年間も続けてたんですから驚きですね。聞くだけでまた胃が痛くなってきます。

 でもそんな数あるネタの中でも個人的に好きなネタは、志村と桜田淳子の『アタシってダメな女ねシリーズ』でしたね。米は炊いてない風呂は湧かしてないダメダメ新妻の淳子がその度に志村に怒られる。すると急に悲しい音楽が流れ「アタシってダメな女ね、ヨヨヨ〜」と泣き崩れる淳子、そんなことはナイヨ、ゴメンよ、愛してるよと必死になだめる志村。するととたんにバラ色の音楽が流れ「淳子、幸せ!」と叫ぶ淳子に、あ〜もうめんどくせーなーと超情けない顔をする志村、とこれだけのコントなのですが毎回妙に壷にハマってました。

 あとはお化け屋敷シリーズですかね。暗い屋敷内を探検するドリフ隊員の後ろにガイコツが近づいてきて、会場中が「志村!後ろ!うしろ!!」と絶叫するんですが、へ?後ろ?と志村が振り返った時にはガイコツは消えてて、あのドキドキ感が子供心にとてもワクワクしましたね〜。あと国語算数理科社会シリーズ、長屋シリーズとかも、いかりやといかりやをハメようとする4人のベタなやりとりがとても気に入ってました。

 今思うと、日本中が週末に温かい団欒の時間を、ゆったりと家族で過ごせていたであろう幸せな時代だったんじゃないかなーと思います。その家族を週末夜8時に集合させてくれていたのがドリフターズであり、ですから私の中では『イッチョメイッチョメ、ワーオ!』とか『ヘックション!』とか『チョットだけヨ〜』というフレーズが私の人生のゴールデンタイムのキャッチフレーズでもあり幸せな過去の象徴、幸せな人生の象徴でもあるのです。

 でも『チョットだけヨ〜』が座右の銘というのも、うーん、なんというか。。。。。。。。ダメだこりゃ!
 
     
 
  2009.01.15    その日は朝、起き抜けからなんか調子が悪かったのですが、風邪ひきの後なんでクスリの飲み過ぎで胃が調子悪いんかな、程度に思っておりました。で、胃腸薬を飲み、お仕事を始めたのですが刻一刻と気分悪いのが増してきました。で、地獄のお仕事タイムがなんとか終了し、キャロル君の元へフラフラと辿り着いたのですが、あんなにクルマの運転が苦しいのは初めてでした。

なんせ500メートル進むたびに路肩に止めて休憩です。しんどくて。家まで25キロほどもあるのに絶望感ひとしおでしたね。エンジンの振動ですら気持ち悪い状態でひとり車内でのたうちまわってて、近くに寄ってきたおまわりさんは不審がって覗くだけで優しい言葉一つかけてくれないし、クスリもまったく効かないしもうどうしていいか分かりませんでした。

で、覚悟を決めて死ぬ思いで高速に乗り、一気に地元に帰りその足で近くの救急病院へ駆け込みました。初めてでしたね、夜の救急病院は。で、なんとか助かった〜と思ったのですがその日はわたしの他に先客が3.4名おられて、しかもあと救急車で運ばれてくる緊急の方が2.3組おられたせいで、ドンドンドンドン後回しにされてゆきました。

まあ自力で来るくらいだから後回しにされたんでしょうね。でもさきほど街中で周りの人が見ているだけでだーれも助けてくれない状況よりかは、はるかにマシです。少なくともここで死ぬ気遣いはないので、ひたすら長椅子にしがみついておりました。

で、診察も終わり結局レントゲンの結果、胃が極度の消化不良をおこしていてまったく機能してなかったので、消化促進の薬と痛み止めを処方してもらい安静にするよういわれました。で、まだ非常に苦しかったので薬をもらうとすぐに飲む為に水場を探して待合室の方に歩いてゆきました。ここの病院は総合病院なので、昼間外来で賑わっている広いロビーの空間が闇の中に不気味に薄暗く広がっています。

苦しい時は気になりませんでしたが、やっぱ病院て、夜はちょっと不気味なオーラがありますね。 夜間の救急業務に必要な所以外は 電気は消えていて鉄格子型のシャッターが降りてるので、その向こうは真っ暗です。遠くの方にパタパタと 看護婦さんか誰かの歩くスリッパの音が消えていくんですが 何だか音が反響してて、イキナリふっと白い服の人がそこの角から出てきたら、と余計なことを考えたりします。広いロビーの向こうの長椅子に黒い人影が座っているのが見えたりなんかしたら怖いだろうなあ、なんて、またいらんことをついつい考えたりしてしまいます。背後から急に耳元で「内科は
どこですか?」なんて声が聞こえたらギャー叫ぶだろうなあ、なーんてまた何でこんな時に考えちゃうんでしょうね。

今しんどいからそれどころじゃないもんねーなんて、自分を誤摩化してもやっぱコワイもんはちょっとコワかったですね。まあ結局はおばけ関係は何も出ず、無事に帰宅しましたが。今思うと、薄暗がりの中にポツンと点灯してるレントゲン室とか、ナースセンターの灯りとか暗い不気味な中にも、何かしら人がいる感じがなんとなく病人にとっては心の拠り所を感じられてやっぱ病院てイイナーと変なハマり方をしてしまいました。これってば夜間病院萌え?ですかね。でもあんな広い暗い病院で夜勤の看護婦さん、怖くないのかナー。冬の夜のちょっとした冒険でした。
 
     
 
  2009.01.01    初めての生ライヴは、忘れもしない禁断の大人の世界でした。宮崎の一中学生がなんか知らんけども好きなコがクラリネットを吹いていたという理由でサックスという楽器に興味を持つようになり、地元TV局主催のジャズフェスというものをを初めて観に行ったのはクマゼミの大合唱のムシ暑い夏の夜でした。

 それまでコンサートというものは宮崎市民ホールでフカフカの椅子に座ってキチンと聴くものだという認識があったんで,会場の野球場をとりまく順番待ちの列のあちこちで、真っ昼間から焼き肉パーティだの酒盛りだのが繰り広げられてる光景にナベ少年はとってもショックを受けました。わーなんか不良になる〜と、ひとり緊張しておりました。

 でもですな、ライヴが始まったらそんなもんじゃおさまらんかったですよ。もう辺り一面花見の客とばかりに一面広げられたビニールシートの上でこっちで踊り出すわ、あっちでなんかモメだすわ、カップラーメンはひっくり返ってるわ、気に入らない演奏には空きカンが投げ入れられプレーヤーがムッとしながら歌ってるわ、あげくの果てに酔った勢いで一人の客がステージに上がって演奏を止めようとしてスタッフに引きずり降ろされるわ、ライヴというより阿鼻叫喚の地獄絵巻を見るような、生きて帰れるんだろうか、というような心地でしたね。

 そんなおちゃめな宮崎市民もサダオワタナベが登場すると、ウオオーとばかりにスタンディングになりまして、でもナベ少年はそれまでのメチャクチャな(野外ジャズライヴのあり方としては正しい方なんですがね)周囲の状態から自分を保つのが精一杯だったので、「ふん、オレはまわりにはのせられないぞ」と意固地になってたんですね。するとまたまわりの大人の一人がナベを立たそう立たそうと踊りながら手であおるんですよ。

 イヤでしたね〜、オレ達仲間だゼみたいなノリ。強制すなー!!と思って無視してたんですけど、相手もそんなナベを見てムキになってきて、もうだんだん演奏そっちのけで10分くらいそうしてアオられたから(ナベVSその人。長かったですよ〜!!きっとしつこい性格の人なんでしょう)もう最後には譲って立って上げました。きっとこうやってジャズフェスではあちこちでモメるんでしょうね。

 お目当ての肝心のテナーサックスの音はといえば、、、、。もうガッカリでした。音色以前にみんな音がデカすぎて。しかもジャズマンは深めにくわえて太い音を出すのに命かけてる人が多いのでヘタすると、そう黒板をツメでキーする音にあーなんか近い近いみたいな。(その個性こそがジャズだよ、なべ君と言ってあげたかったです)

 総括としては、大人の世界のシッチャカメッチャカぶりにすっかり度肝を抜かれてフラフラで帰ってきたはじめてのジャズの夜でした。おこずかいもなかったので会場でなんか買おうにもカップラーメン(当時100円くらいかな)にお湯足すだけでボッタクリ500円もしたので到底買えずスゴスゴと自分の椅子(工作の時間につくった手づくり)にもどったらまわりの大人達がそのカップラーメンを夜食代わりに周りでズルズル食っててもうホントにうらやましい限りでした。もうテナーの音色どころじゃなく空腹と睡魔と不協和音との戦いの一夜でした。

 まあ、だからそうですね。自分が故郷に錦を飾ったあかつきライヴでは、せめて来てくれたお客さんにはお腹いっぱいにおいしいものをお安く食べてシアワセな気分で帰ってもらいたいですね。でも空きカンだけは投げられないように注意しないと。頑張ろ。


というわけで今年も無事スタートしました。  みなさま、今年も一年よろしく御願いいたします!!
 
     
 
   
 

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