イスパニオラ島の征服と南米沿岸部への展開


コンキスタドルとしてのコロンの業績は、イスパニオラ島征服における先住民に対する収奪と虐待、と不名誉なものだ。同島に派遣された査問官により兄弟とも逮捕され、協約書が破棄された。そして、王室はオバンド1)をインディアス総監に任命した。コンキスタドルではない総監としては、初代だ。1502年、移住者を含む2,500人を引き連れて着任した。エンコミエンダ制は彼が王室に提言し実現した制度である。

オバンド在任期間は、コロン兄弟が成し得なかったイスパニオラ島平定期に相当する。この島には金の鉱脈があり、それなりに魅力があった。先住民は現コロンビア、ベネズエラ西部沿岸地帯同様のアラワク系タイノ族と、ベネズエラ東部沿岸地帯同様のカリブ族だったといわれる。お互い反目しあい、スペイン人はタイノ族を味方したが、その後はエンコミエンダ制のもと、先住民全体が酷使の対象となる。これに疫病が加わり、激減した。定量的な信用に足る資料は無く極めて大雑把だが、コロン到着時数十万だった先住民は、オバンド任期終了時数万だった、というのが常識的な見方のようだ。近隣諸島で先住民狩りが行われ、或いはアフリカから黒人を輸入し、労働力を補強していた。スペイン人は、エンコメンデロかその一族郎党か、兵士、聖職者、行政官、医師、技師、商人などで、農牧業や土木事業など肉体労働は忌避した。
 オバンドの後任候補は、コロンの嫡子ディエゴ・コロン1476-1526、以下ディエゴ)の他に、オバンドに仕えてイスパニオラ島平定に尽くし、且つ出自が名家でもあるポンセデレオン2)だ。だが、王室はコロン家名誉回復を優先した。彼がプエルトリコ征服に専心したのにはこれへの反発がある、とも言われる。新総監着任1年前の1508年にはサンフアンを建設していた。1513年、フロリダを探検、その後帰国し、同地のアデランタードに任じられている。

ディエゴ着任の1509年、オヘダ1468-1515)が南米のヌエバアンダルシア(コロンビアのウラバ湾より東の地域)、またニクエサ(?-1511?)がベラグア(同湾から現ニカラグアに至る中米地域)に向け、夫々の遠征隊を率いて出発した。それ以前、ガルバン・デラ・バスティダ1460-1527)、及びオヘダ自身らが探検していたが征服への着手が遅れていた地域だ。
 
 南米遠征隊が現パナマとコロンビアの国境に近い場所に、
1510年に建設したダリエンが大陸部の都市第一号、とされる。これに関ったのが、バルボア3)である。彼は1502年イスパニオラ島に移住、09年のオヘダ隊に参加した。オヘダ自身は遠征から離脱した。ダリエン自体は、実はベラグアにある。11年、彼はニエクサを追放した。
 彼を世界史上有名にしたのは、15139月の太平洋(彼は「南海Mar de Sur」と名付けた)発見だ。これを王室に報告する際に、正式総督に任命するよう運動した、と伝えられる。コロンブス同様、「探検家」として知られるバルボアも先住民を征服し、富を収奪したと言う意味で、「コンキスタドル」である。王室は、彼を南海沿いの新領地のアデランタードとし、ベラグア総監にはペドラリアス(4)を任じた。バルボアが南海沿岸の新領土獲得に乗り出す前、太平洋までの地峡交通に適している、として総督府のあるダリエンから離れた地にアクラという町を建設、ここに大勢を同行させて移り、活動を開始した。これがベラグアにおける総督の職権侵害、と見られ、15191月、ペドラリアスにより処刑された。43歳だった。

なお、「太平洋」とは152010月にマゼラン(5)が南米陸地の南端沿いに西に通過した時にEl Mare Pacificumと呼んだことから来ている。


人名表(青字はコンキスタドル

(1)  オバンド(Nicolás de Ovando y Cáceres1460-1511)行政官としての最初のインディアス総監。

(2) ポンセデレオン(Juan Ponce de León1460-1521)プエルトリコ征服。後にフロリダ遠征を試みるが失敗。

(3) バルボア(Vasco Núñez de Balboa1475- 1519)オヘダ南米遠征隊に参加し、パナマを征服。地峡横断で太平洋に出た最初のヨーロッパ人。現在のパナマの通貨は彼の名前に因む。

(4) ペドラリアス(Pedrarias Dávila、若しくはPedro Arias de Ávila(1460-1531)行政官として派遣されたベラグア総監。

(5)  マゼラン(Hernando de Magallanes1480-1521)スペイン国王にモルッカ(香料島)までの西回り航路開拓を進言、船団を率いたポルトガル人航海士。本人はフィリピンで殺害されるが、生き残り組は海路世界一周成功

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