キューバ島とアステカ王国の征服


 1511
年、ベラスケス1)がサントドミンゴから出発し、キューバ征服に着手した。現グァンタナモ県にあるバラコアを建設、ここで主たる遠征メンバーを召集してカビルドと呼ばれる会議を開き、自らをサントドミンゴのインディアス総監から独立したキューバ総督とした。この旨は王室に請願され、1518年、正式にアデランタードに任命された。これで、サントドミンゴのインディアス総監支配下からは独立した。

征服開始時点でのキューバ島の先住民人口は、イスパニオラ島同様、判然としない。島の大きさから考えて、同島より少なかったとは思えない。部族的には同じタイノ族、及びやはりアラワク系のシボネイ族で、全島制圧には相当な年数を要したが、イスパニオラ島ほどにはかからなかった。ジャマイカ征服にも関ったナルバエス2)が副官だった。彼にラスカサス(3)も同行し、先住民虐殺事件で強く非難したことが知られる。 キューバの先住民も、やはり激減の一途を辿った。15172月、サンティアゴデクーバ(1514年建設。バラコアから総督府が移るのは1522年)から西方に向ったコルドバ1475-1517)率いる100名の遠征隊の目的は、先住民狩りだったとも言われる。翌月、ユカタン半島に到着した。遠征そのものはユカタン先住民(マヤ人)との幾度かの戦闘で隊員の大半を失った上で退却し終わった。コルドバは帰還後ほどなくして死去するが、同地の高度文明が報告されキューバでは色めき立った。ベラスケスはグリハルバ1490-1527)率いる第二次遠征隊を翌18年にも出した。この時も失敗したが、グリハルバ隊はメキシコ湾岸を北上したことで、「アステカ王国」の存在も知る。

15192月、コルテス4)率いる遠征隊がハバナ(1515年、カリブ海側の海岸に建設。現在地になったのは19年であり、コルテスが出たのはカリブ海側だろう)を出帆した。兵力500人、と言われる。ベラスケスは遠征許可を取り消したが、これを無視した。
 ユカタン半島に近いコスメル島で、8年前に座礁したニエクサの遠征隊に参加してそのまま取り残されていたスペイン人のアギラル神父が、コルテス隊と合流することになる。彼はマヤ語を解した。ユカタン半島に沿い航行、3月央に現タバスコで上陸、ここでマヤ族との戦闘を経て、マヤ語とナワトル語(アステカ王国の言語)に通じる女性、マリンツィンを引き入れた。以後、アギラル神父とマリンツィンの二人で通訳を務めることになる。
 同年5月、現ベラクルスの地に征服拠点を建設、7月、カビルドを召集し、自らを前年アデランタードに任じられたばかりのベラスケスからは独立したスペイン国王直属の地位にある旨を宣言した。キューバでベラスケスが行ったやり方に倣った。以後2年余りの動きにつき主要事項を下記する。

  • 15198月、アステカ王国首府、テノチティトラン向け進軍開始
  • 途中、戦闘を経て同盟関係を結んだトラスカラ人数千人、進軍参加。
  • 同年10月、チョルラでの大虐殺。
  • 同年11月、テノチティトラン着、モクテスマ二世と面会、ほどなく彼を人質にとる。
  • 15204月、上記ナルバエスの軍勢がベラスケス命で到着。コルテス、テノチティトランを副官に託し、引き返す。
  • 同年5月、テノチティトラン神殿祭事を巡り暴動。一方でナルバエス隊との戦闘でコルテス隊勝利、兵員増強の上、再びテノチティトランへ
  • 同年630日、「Noche triste悲劇の夜)」。人質から解放したモクテスマ二世がアステカ側に殺害され、スペイン軍退却。大量の死者
  • 15212月よりテノチティトラン包囲戦術開始。湖上に小型砲艦を配置した上で、湖外に繋がる通行路を封鎖する食糧攻め
  • 同年8月、テノチティトラン入城

コルテスは、チョルラの大虐殺でも悪名高いが、国際的に厳しく糾弾されるようになるのは入城後の徹底的なテノチティトラン破壊だ。アステカ王国そのものが消滅し、スペイン領「ヌエバイスパニア」となり、廃墟となった旧王都跡にメキシコ市建設が始まる。この年、スペイン国王はコルテスをヌエバイスパニア軍務総監兼最高司法行政官に任じた。36歳の若さだった。
 コルテスは、1524年のインディアス枢機会議発足、26年ヌエバイスパニアへの査問官派遣の流れの中で、実権を喪失していくが、大エンコメンデロのオアハカ侯として天寿を全うした。

人名表(青字はコンキスタドル

(1) ベラスケスDiego Velazquez de Cuellar1465-1524)キューバ征服。インディアス総監の頭越しにアデランタードとなる。

(2)  ナルバエスPanfilo de Narvaez1470-1528)ベラスケス副官。後年、フロリダのアデランタードに任じられ、1527年征服に赴き、同地で死去。

(3) ラスカサス(Bartolome de Las Casas1484-1566)エンコミエンダ制を批判し、後にドメニコ会士となり先住民保護に尽力。

(4) コルテスHernan Cortes1485-1547アステカ王国の征服。ヌエバイスパニアの最高権力者としては5年間のみの在任。

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