メキシコ北西部及び中米の征服 |
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1522年早々、ゴンサレス・ダビラ(?~1543)遠征隊がパナマを出帆、現ニカラグア太平洋岸に沿い海路、及び陸路で今のフォンセカ湾に到着した。パナマ帰還後ペドラリアスから疎まれ、一旦サントドミンゴに移り、今度はカリブ海岸のホンジュラスからニカラグアに入った。 以上のような流れの中で、ホンジュラスとニカラグアにおいては、スペイン人同士の錯綜した事態に陥る。
メキシコ北西部の征服は、1528年に創設されたヌエバイスパニアのアウディエンシア初代長官、グスマン(1490-1544)自身が翌29年から開始した。残虐さで知られ、メンドーサ(4)がヌエバイスパニア副王として着任した翌36年に逮捕され、後にスペインで獄死する。アルバラードが戦死した41年のチチメカ人一斉蜂起を招いたのは、何も彼らの勇猛さによるものではなく、グスマン征服時代に根付いたスペイン人に対する憎悪による、とも言われる。 人名表(青字はコンキスタドル) (1) コルドバ(Francisco Hernández de Córdoba、?~1526)ニカラグア征服。現ニカラグア通貨は彼の名に因む。なお1517年にユカタンに到着したコルドバとは別人。 (2) アルバラード(Pedro de Alvarado、1485?-1541)コルテス副官。グァテマラ及びエルサルバドル征服。1527年、グァテマラのアデランタード。後年キトにも遠征する。またメキシコ北西部制圧にも参加、戦死。 (3) モンテホ(Francisco de
Montejo、1479-1553)1518年のグリハルバ遠征隊に参加。コルテス隊にも参加した。ユカタンのアデランタード (4) アントニオ・デ・メンドーサ(Antonio de Mendoza、1495-1552)ヌエバイスパニア初代副王(在任1535-50)。後にペルー副王を務める。
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