メキシコ北西部及び中米の征服


 
1521年にコルテスが征服したのはアステカ王国であり、現メキシコ領域の約3分の1程度である。北西部は主としてチチメカ人が、またユカタン半島以南にはマヤ人が、さらにその南にはコロンビアから広がっていたチブチャ系先住民らが夫々の伝統的社会を営んでいた。コルテスも、またパナマ市にあったペドラリアスも、エンコミエンダの対象となる先住民人口の急減と、新世界におけるスペイン人の増大を眼の前に、さらなる征服を進めていく。

1522年早々、ゴンサレス・ダビラ(?~1543)遠征隊がパナマを出帆、現ニカラグア太平洋岸に沿い海路、及び陸路で今のフォンセカ湾に到着した。パナマ帰還後ペドラリアスから疎まれ、一旦サントドミンゴに移り、今度はカリブ海岸のホンジュラスからニカラグアに入った。
 152324年にかけ、コルテスはメキシコからアルバラード2)を、ユカタンの西側からグァテマラとエルサルバドル、及びオリード1487-1524)をホンジュラスに侵攻させた。オリードはほどなく謀反を起こす。 
 ニカラグア支配権確立のため、ペドラリアスが送り込んだコルドバ(1)1524年、グラナダ及びレオンを建設する。

以上のような流れの中で、ホンジュラスとニカラグアにおいては、スペイン人同士の錯綜した事態に陥る。

  • グァテマラ及びエルサルバドル:グァテマラ高原では152425年にかけ、カクチケル、キチェ両マヤ系先住民同士の抗争に乗り、アルバラードが征服を進めた。エルサルバドルではピピル人と一進一退の戦闘を繰り広げる。1526年に帰国、グァテマラのアデランタードに任じられる。
  • ユカタン中米の一角にあるユカタンの征服は、コルテスがメキシコでの実権を剥奪され、一方でアルバラードがグァテマラ総督に任じられた1526年、王室がモンテホ3)をアデランタードに任じることで始まった。マヤ人の抵抗は激しく、結局彼自身は寧ろホンジュラス総督権をアルバラードと争う展開を経て、ユカタン平定は子息らの活躍で漸く40年代になってからのことだ。
  • ニカラグア:エルサルバドルのアルバラード隊が現実にニカラグア征服を進めていたコルドバに同調。ゴンサレス・ダビラはホンジュラスに退却。1526年、レオンに異動していたペドラリアスがコルドバを処刑。
  • ホンジュラス:ニカラグアから退却したゴンサレス・ダビラが、コルテス派遣のオリード討伐隊と組み、25年、オリード処刑。コルテス自身もホンジュラス入りしたがメキシコ市に査問官到来、という流れの中で引き返している。また、サントドミンゴのアウディエンシア任命の総督が着任。

メキシコ北西部の征服は、1528年に創設されたヌエバイスパニアのアウディエンシア初代長官、グスマン1490-1544)自身が翌29年から開始した。残虐さで知られ、メンドーサ(4)がヌエバイスパニア副王として着任した翌36年に逮捕され、後にスペインで獄死する。アルバラードが戦死した41年のチチメカ人一斉蜂起を招いたのは、何も彼らの勇猛さによるものではなく、グスマン征服時代に根付いたスペイン人に対する憎悪による、とも言われる。
 パナマに最も近いコスタリカの征服は、手間取った。遠征隊は、ニカラグア(エンコミエンダに欠かせぬ先住民が多く、且つ金の取れる)征服を優先した。1561年にグァテマラから入った遠征隊が一定の成果を上げ、その後コロナド・イ・アナヤ1523-65)が平定し、王室からアデランタード任命を受けるべく帰国途中で死亡している。

人名表(青字はコンキスタドル


(1) コルドバFrancisco Hernández de Córdoba?~1526ニカラグア征服。現ニカラグア通貨は彼の名に因む。なお1517年にユカタンに到着したコルドバとは別人。

(2) アルバラードPedro de Alvarado1485-1541)コルテス副官。グァテマラ及びエルサルバドル征服。1527年、グァテマラのアデランタード。後年キトにも遠征する。またメキシコ北西部制圧にも参加、戦死。

(3) モンテホFrancisco de Montejo1479-15531518年のグリハルバ遠征隊に参加。コルテス隊にも参加した。ユカタンのアデランタード

(4) アントニオ・デ・メンドーサ(Antonio de Mendoza1495-1552)ヌエバイスパニア初代副王(在任1535-50)。後にペルー副王を務める。

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