南米北部とインカ帝国の征服


 1509
年、サントドミンゴから出た遠征隊は、南米については成果を挙げられなかった。ペドラリアス・ベラグア総監は中米征服に乗り出すだけでなく、現コロンビアにも探検隊を送り出していた。一方では、はるか以前にマグダレナ川を発見し、また中米に上陸した最初のヨーロッパ人として知られる前出のガルバン・デ・ラ・バスティダ25年、現コロンビアにサンタマルタを、29年にはドイツ人フェーダマン(1505–1542)隊が現ベネズエラにコロを建設し、征服拠点とする。ピサロ1)がインカ帝国征服に乗り出すのは、こんな時代だ。
 

ピサロは、1522年にコロンビア探検隊がパナマに帰還した時、高度文明を持ったインカ帝国の存在を聞かされた、といわれる。丁度コルテスによるアステカ王国征服が喧伝されていた時期だ。コルテスより10歳ほど年長で、新世界移住は2年早かった。19年にペドラリアスからパナマ市のアルカルデ(alcalde、市長に相当)に任じられたが、バルボア逮捕の論功行賞とも言われる。彼が行ったインカ帝国征服までの主要事項を下記する。

  • 15249月、80人で第一回遠征に出発。現コロンビア北部沿岸で先住民の攻撃を受け引き返す。
  • 15268月(総監交代の翌月)、160人で第二回遠征。274月、現ペルーのトゥンベス上陸、さらに南下航行した後、帰還
  • 1528年、帰国。王室よりアデランタードの協約書を得る。
  • 153112月、180人で、パナマからは最後となる第三回遠征に出発。トゥンベス上陸後内陸に進む。32年7月、拠点都市ピウラ建設。
  • 153211月、カハマルカでアタワルパ(皇位継承戦争の勝者)と面会。人質に取る。またこの際に大量虐殺。33年7月、アタワルパを皇位継承の敗者たる弟の謀殺を理由に処刑。最終的にマンコ・インカを皇位継承者に立て、表面的に帝国を存続した上で、同年11月、皇都クスコ入城
  • 1534年までに、王室は新領土の総督権をピサロ南緯1度~14度)及びアルマグロ2(南緯1525度)に分轄。
  • 1535年1月、軍略面及び交易上のメリットを考慮し、太平洋岸に新都市リマ建設、ペルー総督府とする。

ピサロは、「黒い伝説」の代表格だろう。コルテスと比較して、より残忍とのイメージが強い。だが、共同遂行者たるアルマグロとの分担、計画実行に関る用意の周到さ、踏破した距離の凄まじい長さ、インカ皇位継承戦争に乗じた征服と、総督府としての海岸都市建設、など高度な戦略性の方にこそ、注目したい。彼も侯爵に列されたが、仲違いしたアルマグロの一派に暗殺された。ペルー内乱を惹き起こした弟ゴンサロ3)など、ピサロ家には暗い陰がつきまとう。 

1534年、帝国の第二皇都たるキトに戻っていたインカ軍の討伐を進めたのは、ニカラグア征服から2年前にピサロ隊に合流していたベナルカサル1480-1551)、及び、グァテマラ総督の前出、アルバラードだった。これにアルマグロも合流した。征服は成り、アルバラードはグァテマラに戻り、アルマグロは南下して北部ペルーを平定(途中建設した拠点都市を、ピサロの出身地に因み、トルヒーヨと名付ける)した上でクスコに戻っていった。ベナルカサルは北上し、コロンビア南部を平定しパストやポパヤンを建設している。

1536年、ケサダ4)がスペインから直接、大遠征隊を率いサンタマルタに到着、陸上隊とマグダレナ河川航行隊とに分かれ、先住民同士の敵対関係に便乗しつつ、比較的文明度の高いチブチャ王国を平定した。38年にはその首府バカタ再建を兼ねた現ボゴタの建設に取り掛かる。39年、南部から北上したベナルカサル、コロから入った前述のフェーダマンと遭遇し、コロンビアにおける三人の支配地域を取り決めた、とされる。 

15412月、キト総督に就いたピサロの弟、ゴンサロ(前述)が「エルドラド(El Dorado。黄金郷)」探検隊を繰り出した。その副官となったのがオレヤーナ1511-46)である。キトから現ペルー北部を東南に進んだ。ゴンサロ本体は1年後キトに戻るが、オレヤーナは探検を継続しアマゾン水系に至り、428月にはアマゾン河口に出た。アマゾンを初めて航行したヨーロッパ人、として記憶される。後に帰国し、王室よりヌエバアンダルシアのアマゾン地方アデランタードに任じられ、45年にスペインからの遠征隊を率いたが、結果的には失敗した。

 

人名表(青字はコンキスタドル

(1) ピサロ(Francisco Pizarro González1476–1541)インカ帝国を征服。アデラ
  ンタードとしては
41年に暗殺されるまで。

(2) アルマグロ(Diego de Almagro1475-1538)ピサロと共にインカ帝国征服。34
  年にペルー南部以南のアデランタードとなる。

(3)  ゴンサロ・ピサロ(Gonzalo Pizarro y Alonso1502-48)ピサロの異母弟で、実
  父から見れば嫡子。現エクアドル及び北部ペルー征服を率いる。後のペルー内乱の
  反乱側中心人物。

(4) ケサダ(Gonzalo Jiménez de Quesada1495-1579)チブチャ王国を征服。エン
  リケ航海王の子孫、ドンキホーテのモデル、ともいわれる。

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