アンデス諸国 |
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アンデス六ヵ国は、人口が計1億4,360万人で全ラ米の25%、GDPは計1.2兆㌦で21%を占める。1969年、「アンデス共同体(ANCOM。現在のCAN)」が立ち上げられた。一体感は乏しく、現在は左派政権3ヵ国と、米国とFTAを結んだ3ヵ国に分かれる。後者でも現政権は、2ヵ国が中道左派に区分できる。人種構成でみると下記の通り:
本項では、左派政権諸国以外の3ヵ国を取り上げる。いずれも米国と結び、メキシコを含む「太平洋同盟」に参加する。
(1)南米の親米右派政権、コロンビア サントス大統領は、エドゥアルド・サントス大統領(自由党。在任1938-42)の孫に当たる。ウリベ前大統領(同2002-2010)と共に自由党を離党し、2002年の’la U’結成に参加した。2002年までの政治文化が二大政党制の典型だったこの国で、以後、16年間の同党を中心とする政権が確定している。現在、自由党はサントス政権の基盤を成す。 ウリベ前大統領は父親を左翼ゲリラ組織のコロンビア革命軍(FARC)に殺害されており、その制圧に精力を傾注した。国民支持率が一時的に90%を超えたが、右翼の「コロンビア自衛軍連合(AUC)」の武装放棄プロセス実行、治安向上が背景にある。彼の国防相を務めたのがサントス氏だ。だが、大統領に就いた後の2012年11月より、ハバナにおいてFARCとの和平対話を推進中で、このため前大統領との亀裂が深まり、2014年の大統領選ではウリベ氏自身が立ち上げた「民主センター」の候補と激戦を繰り広げ、決選投票で僅差の勝利を得たところだ。 対米関係は、東西冷戦時代から今日まで、麻薬犯罪者の引渡し問題で何度か軋んだことはあったものの、良好、といえる。1999年、米国が率先して麻薬撲滅を狙った国際支援「プラン・コロンビア」が始まる。米国は2001年の9.11事件後、コロンビアへの対テロ支援も進めた。09年10月、麻薬組織撲滅とゲリラ制圧への協力を理由に、米軍がコロンビアの7基地を使用することになる(このことが隣国ベネズエラとの緊張を来たす。翌年和解)。2006年対米FTAを調印した(米国議会の批准は2011年10月)。延長線上で、太平洋同盟推進に、積極的に取り組む。 (2)現実路線の中道左派政権、ペルー ウマラ大統領は退役軍人で、2000年、フジモリ政権(1990-2000)に対する反乱を起こしたこと、左翼思想の強い民族主義者、ということで、故チャベス・ベネズエラ前大統領と並べて語られる。05年にペルー民族党(PNP)を結成、06年大統領選に出馬、第一回目は第一位の得票でありながら、決選投票でアプラ党のガルシア(在任1985-90、2006-11)元大統領に逆転敗退した。チャベスの応援が国民に内政干渉と映り、大きな敗因となった。11年選挙では彼と距離を置き、モデルはルラ・前ブラジル大統領、と公言、僅差でフジモリ元大統領の息女ケイコ氏を破り当選を果たした。外交、及び経済政策は不変、としながらも、大統領就任演説で、現行憲法ではなく左派民族主義傾向の強い1979年憲法に謳われる精神の尊重、を敢えて唱えた。 アプラ党は、ペルーの学生運動指導者だったアヤデラトーレがメキシコ亡命中の1924年に立ち上げた「米州人民革命同盟(APRA)」から来ている。反米、反帝国主義、ラ米人民の連帯などを綱領とした(別掲のラ米のポピュリスト参照)。同党は軍部と敵対し合法と非合法を繰り返し、結党(1930年)から半世紀以上も経って成立した第一次ガルシア政権が、初めてだ。彼は、賃金引上げ、所得減税、生活物資価格凍結などのポピュリズム路線で、結果としてハイパーインフレと高失業、及び左翼ゲリラの活動過激化を招いた。その後政権に就いたフジモリ元大統領(1990-2000)が、新自由主義的経済政策で経済破綻を救い、強権的手法が批判されながらもゲリラ問題を解決した。だが2009年4月に、在任中民間人25名の殺害に関与した容疑で、最高裁で25年間の禁固刑の判決を言い渡され、服役中だ。彼の経済政策は後任者らに引き継がれ、ウマラ現政権も例外ではない。2005年、米国とFTAを調印した(米議会批准は翌06年)。 なおペルーの政党は大統領候補にその都度付いて回る政治勢力が一般的で、グァテマラに似る。アプラ党はその意味で特異、といえる。 (3)域内政治先進国、チリ 1990年3月、ピノチェト軍政(1973-90)からの民政移管で政権を得た「諸党連合(Concertación)」(以下、「連合」)は、キリスト教民主党(PDC)と社会党を軸とし、通常は中道左派、に分類される。バチェレ大統領は社会党から出て、今回非連続の第二期(第一期は2006-10)になる。1973年の軍事クーデターで崩壊したアジェンデ政権派の軍人だった父親と同様に迫害を受けている。 この国は、1930年代より多数の政党が連合を組んで政治を営んできた。アジェンダ政権ですらそうだった。ピノチェト軍政こそあったが、ラ米で最も民主主義が根付いた国でもある。軍政時代にシカゴ・ボーイズで知られる新自由主義経済官僚により推進されてきた経済政策は、その中道左派政権にも受け継がれた。2003年、ラ米で最も早く米国とFTAを締結したラゴス大統領(在任2000-06)の政権だが、彼も社会党から出ている。人権問題を理由に対キューバ関係が悪化したこともある。2010年3月に、民政移管後初めての右派政権、「チリのための同盟(Alianza)」(以下、「同盟」)に交代したが、政策面での内外の軋轢は少なかった。政権交代でも基本政策への信頼感にあり、チリに根付いた民主主義政治風土故だろう。上記コロンビア政府の対FARC対話の立会国をベネズエラと共に務めるなど、左派系政権が主流の南米諸国にあって、域内外交関係はスムーズだった。 彼女の第二期での公約は、高等教育無償化を含む教育、及び年金改革とその財源としての法人税引上げ、色々な矛盾が指摘される選挙制度、及び、1981年の軍政時代に交付された憲法の改正、と言う、意欲的なものだ。今回は「連合」に共産党が加わった「新たな大多数(Nueva Mayoría)」で当選し、議会でも過半数を確保した。ただ政党単独で見れば、議会下院では「同盟」の独立民主連合(UDI)が第一党、独立民主連合(UDI)が第三党であり、「連合」側は、PDCは第二党、社会党は分派共々同数第四位だ。政策決定の障壁は、第一期より若干低い、程度とも思われる。
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