左派政権の国々

本項では左派政権の5ヵ国を取り出して述べる。典型的な社会主義国はキューバだけだが、他4ヵ国の最高指導者はいずれも政治思想としての社会主義を標榜する。20136月末、元米国中央情報局(CIA)職員の亡命先候補として取り沙汰された21ヵ国の中に、この5ヵ国が入る。他のラ米ではブラジル(受け容れ拒否)があるだけだ。
 5ヵ国の10年人口見通しは計6,950万人でラ米の12%GDP(公式換算レートによる。上記一人当たりでは購買力ベースであり、注意願いたい)見通しは計4,248億jで、9%を占める。ただベネズエラ一国で、5ヵ国人口の4割、同GDP3分の25ヵ国全てが「米州ボリーバル同盟(ALBA)」に加盟する。以上、データはそのCIAWorld Fact Book2012から採った。なお、ボリビア、キューバ、及びニカラグアの3ヵ国が社会革命を経験した(別掲ラ米の革命参照)。

キューバは共産党を唯一の合法政党とする。他4ヵ国は代表制民主主義の政治体制を採る。現状、4ヵ国とも大統領の出身母体の政党が議会で3分の2前後の議席を持つ。4ヵ国とも大統領の多選を認め、ベネズエラとニカラグアでは連続再選回数規定を廃している。かかる憲法改正は全て、現政権党下で行われた。
 最高指導者の出自は、キューバとニカラグアが革命指導者、ボリビアは先住民で元農業団体指導者、ベネズエラが元労組指導者、そしてエクアドルは米国で教育を受けた異色のエリートだ。ただ彼らの政治的レトリックに惑わされぬよう気をつけたい。

国名

状況

@

キューバ

1976年に制定された社会主義憲法のもと、同年より選挙で人民権力全国議員を選び、互選で国家評議会メンバーを選出し、その議長を国家元首とするが、事実上は1959年成立した革命政権が継続。共産党独裁、計画経済が特徴。2012年の一人当たりGDP見通しを購買力でみる(以下同)と、10,220j

A

ベネズエラ

鉱山エネルギー、社会資本、大規模製鉄部門への国家介入ないしは国営化を進める。産油国でOPEC創設メンバー。同13,200jと、数字上はラ米域内富裕国

B

ボリビア

資源ナショナリズムを掲げ、ガス田開発を国家独占事業とした。議会は左派政権下で唯一、二院制を採用。同5,000j 、南米最貧国

C

エクアドル

産油国で1993年に脱退していたOPEC200711月に復帰した。議会では20132月の総選挙で初めて3分の2の議席数を確保、それまでは過半数に届かず。同8,800j

D

ニカラグア

79年からの革命政権指導者が現大統領。90年から16年間下野していたが20071月に復帰。同3,300jと、ラ米最貧国

(1) キューバ

旧ソ連・東欧型の典型的社会主義国。1899年元日、米国の保護国として独立、最初から政治経済面で対米依存関係にあった。キューバ革命は一義的にはバティスタ独裁(1901-73。実質上の在任1934-441952-58)に対する、且つ経済活動の対外自立を意図した民族主義的なものだったが、社会主義革命に変貌する過程と、米州内孤立時代を経て今日に至る流れについては、別掲「ラ米の革命」キューバ革命で述べる。
 1990年代早々のソ連崩壊と、米国の制裁強化で体制存亡の危機に晒されながら、小規模私企業の認可、外資導入、医師・教職者海外派遣、観光促進で乗り切り、二十一世紀にはベネズエラを筆頭に、ラ米諸国との関係強化で凌いでいる。20066月、フィデル・カストロ前国家評議会議長が健康問題で退き、弟のラウル現議長(正式には082月より)に政権は移った。

 この国を見る場合、米国による半世紀近い国交断絶と経済制裁(2001年から始まった食料・医薬品輸出を除く)及び米国民の渡航禁止の解除が何時になるか、が最大のポイントだ。

 20091月に発足したオバマ米政権は制裁緩和に大きく動いたが、非民主主義体制と人権問題を理由に基本政策は継続され、キューバ系を除く米国人のキューバ渡航も多少の緩和こそあれ、基本的には禁止されている。現在、米国では4名の、キューバでは1名の「相手国スパイ」を拘留中で、これが関係改善の大きな枷となっている。
  一方で、1964年にキューバを除名したOAS(米州機構)は、2009年に再加盟を認めたが、キューバ自身に復帰意思は無い。欧州連合(EU)は人権問題に関し大きな関心を払っており、前世紀末からの、いわゆる「共通外交政策」としてキューバとのハイレベル交流を控えてきたが、2014年に入り制裁解除の動きが始まった。キューバは、ラ米域外では中国との結びつきが強いが、これはラ米全体に言えることだ。

ラウル議長は、20114月の第六回共産党大会で、自営業に対する雇用権付与や許認可手続きの緩和を含む経済開放策を党として承認させ、さらに国政の幹部職者の任期を210年に限定する提言を行い、20132月、全国人民権力会議(国会に相当)で正式決定となった。その前月、国民の海外渡航を、原則自由化に踏み切った。

(2) ベネズエラ 

 南米の解放者、ボリーバル(1783-1830)を生んだベネズエラでは、政治史上、個人による長期政権が続き、選挙制民主主義が確立したのは1958年のことだ。以後94年まで、民主行動(AD社会キリスト教(COPEIの二大政党が政権交代を繰り返していた。小党連合政権を経て991月に発足したチャベス(1954-2013)政権は、2013年3月の死去までの14年間続いた。彼は直近の201210月選挙を含む4回の選挙で、常に過半数の得票で選出された。1999年の憲法改正で大統領任期はそれまでの一期5年から6年に伸び、20092月に行った憲法改正国民投票で、大統領(一期6年)再選規定も撤廃された。選挙制民主主義を採るラ米諸国で、例外性は突出する。
 彼の死去に伴い行われた大統領選で、彼の与党ベネズエラ統一社会党(PSUVマドゥーロ候補が僅差で選出され、ほどなく就任した。

 20064月、加盟していた「アンデス共同市場(CAN)」の諸国が米国とのFTAを進めることを嫌い、これを脱退、FTAA構想に反発してきたメルコスルに加盟を申請、127月、漸く実現した。パラグアイ(唯一、議会批准が得られていなかった)が一時的に資格停止処分にあり、これに乗じた格好だ。
 一方で、前大統領がラ米の政治、経済、社会統合を進める協力機構としてALBAを創設、加えて、加盟する「南米諸国連合(UNASUR)」への関わりを強め、「ラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)」OASから米加を外し、キューバを入れた33カ国で構成)創設を主導した。近年ロシア、中国、イランとの関係緊密化を図り、下記ボリビアの米国大使追放に連帯、同じ措置を取るなど、米国を苛立たせた。
 20094月、オバマ米大統領が対米州配慮を言明した米州サミット後、大使級外交を復活したが、米国による新大使受け入れは今も実現していない。域内でも同年10月、コロンビアが国内7基地を米軍に使用させる協定を結んだ後、関係を急激に悪化させたこともある(その後、南米域内の有力指導者らの仲介で関係を修復、現在は同国の政府と反政府ゲリラの和平対話の立会国として、重要な役割を担っている)。

  上記大統領選で敗れた野党連合の「民主統一会議(MUD)」候補は、不正選挙を理由に、6月末現在、正式にはこれを認めていない。一方で、20142月、治安悪化や物資欠乏、インフレに抗議する学生デモが起きた。MUDを構成する政党の指導者らが、これを大統領の退陣要求に動き、一方でデモの激化やそれへの政権側支持層の攻撃、さらには公権力による実力行使が繰り返され、UNASURの仲介で政権側とMUDの対話も行われたが、和解に反発する学生を中心とした抗議活動は、今なお続く。

(3) ボリビア

 先住民が国民の過半数を占めるボリビアのモラレス大統領は自らが先住民だ。麻薬のコカイン原料にも使われるコカ栽培農家(「コカレロ」と呼ぶ)出身で、その擁護でも知られる。麻薬問題に苦しむ米国とはもともとソリが合わない。

 ボリビアはキューバ革命に先行して社会革命を成し遂げた(別掲「ラ米の革命」ボリビア革命参照)が、その母体だった「国民革命運動MNRは軍政時代に分裂、民政移管後はMNR、その分党、及び保守派政党が連立の組み換えを繰り返す政権構造が定着した。重債務国で南米最貧国からの脱却に豊富な天然ガスに着目したものの、外資依存(その場合も課税率を巡る論争)と国有、産地への恩恵など議論が纏まらず、ここで台頭したのがモラレス氏と、彼が立ち上げた社会主義運動(MASだ。結成5年後の2002年、エネルギー資源開発の国家独占を掲げて、初めて大統領選に出馬、MNR候補に敗退したが、05年に行われた前倒し選挙で初当選した。
 2008年前半、白人が多く富裕地方といわれるサンタクルス州など4県が、自治権強化を狙った住民投票を強行した。ガス生産地で知られ、その開発事業の県政府への移管を含むものだ。対抗手段として大統領及び国内の全県知事信任に関る国民投票を同年8月に実施、63%の得票で信任を得たものの、4県の知事も信任された。その後、ガスパイプライン攻撃でガス輸出妨害事件が頻発、一部では道路閉鎖による物流妨害で流血事件も起きる。この背後に米国大使館の影があるとして、同年9月、大使を追放した。以後、同国との大使級外交は途絶えた状況下にある。
 翌091月、大統領の連続再選を一回に限り認める、との憲法を国民投票で通し、本来の任期を1年残し、同年12月の新憲法下の選挙で当選した。201410月の大統領選には、現憲法下で初めての連続再選を狙うもの、との理由で出馬の予定だ。与党は現在上下両院とも3分の2超の議席を確保しているが、10年末以降のガソリン価格引き上げ、賃金引き上げ水準への不満などでデモやストが頻発、加えて少数派先住民による抵抗運動と、厳しい状況が続く。

内陸国という大きな経済障害をどう乗り越えるかも重要な視点で、太平洋出口の確保を悲願とする。膠着状態にある対チリ交渉の先行きを注視したい

(4)エクアドル

 コレア大統領は、左派大統領の中では米国でも教育を受けたエコノミスト上がり、と言う点が異色だ。200611月の決選投票で、左派及び中道左派系政党の支持を得て当選、翌071月からの政権をスタートさせた。
 ユニークなのは、自ら創設した至高の祖国同盟(PAIS2006年の議会選挙にではなく、079月に実施した制憲議会選挙から参加させたことだろう。ここで可決された憲法草案は089月の国民投票を経て公布された。従来禁止されていた大統領の連続再選が一回に限り認められることになり、任期を2年近く残した094月、新憲法下の最初の選挙で、今度は過半数の得票で当選、独立革命200周年記念日の同年810日、就任、20132月に連続再選を果たし、07年から連続10年間の任期をものにした。彼の与党PAISの議席数が、この際に初めて過半数を上回り、7割に達したため、政権運営も容易となった。1996年以降では、この国の民選大統領の誰もが4年の任期を全うできていないだけに、この連続10年は注目に値しよう。
 彼は2017年には引退する、と言明していたが、最近では、ベネズエラや下記のニカラグアのように連続再選の回数規定を外し、三選に挑もうとする気配を漂わせる。ニカラグアの改憲が実現し、且つ、チャベス死去で左派政権諸国のリーダー的存在になったことも、影響しているようだ。

上記総選挙の僅か一月前の20093月、コロンビアがFARC征討軍をエクアドル領内に越境させたことに反発し、同国との外交関係を中断していた(10年に回復)。
 対米関係では、先ず対米FTA交渉を棚上げした。米軍に与えていた国内のマンタ空軍基地使用権期限の延長も認めず、20099月、使用権は消滅した。だが米国の麻薬取締りに関して協力的、との評価もあり、同国との関係は良好だった。通貨すら、米jのままだ。ところが114月に米国大使を追放処分にし、軋轢が強まった。エクアドル警察庁長官任命に関わる2年前の米大使外交電がウィキリークスに暴露された結果だ。そのウィキリークスのアサンジュ代表のエクアドル亡命問題が、二年も経って未解決状況にある。ただ同国との大使級外交は、124月に復活している。

(5)ニカラグア

オルテガ大統領のサンディニスタ民族解放戦線(FSLN主導の1979年の革命は、別掲「ラ米の革命」ニカラグア革命で述べるが、43年間に及ぶソモサ(父1896-1856、長男1922-67、次男1925-80。いずれも最高権力行使期間)家支配体制を転覆させる反ソモサ勢力が一緒になって起こしたものだ。彼を首班とする革命政府には右派のビオレタ・デ・チャモロ元大統領(在任1990-97)も参加した。革命政府で元左翼ゲリラのFSLN色が強まり彼女が脱落、一方で反革命勢力(コントラ)との長い内戦に入り、85年の選挙(オルテガ氏が正式に民選大統領となる)を経ても、数年間、この状態が続いた。国連監視団が見守る中での選挙でデ・チャモロ氏に敗れ交代した90年、内戦は終結する。

オルテガ氏は2006年選挙で復権を果たした。だが彼のFSLNは、従来議会で過半数に達せず、彼の革命家としてのカリスマ性こそあっても、現実的な政策運営は必須だった。ニカラグアは「中米統合機構(SICA)」「中米共同市場(MCCA)」のメンバーで、経済的には「米国・中米・ドミニカ共和国自由貿易協定(CAFTA-DR)」を通じ米国と一体化している。それでも復権後間もない072月、ALBAに加盟した。
 20096月のホンジュラスのクーデターを巡り、翌年1月に誕生した政権を承認しない唯一の中米国(115月末に解決)となったり、1010月、サンフアン河口の浚渫でコスタリカと国境紛争を起こしたりで、中米統合へのブレーキにもなった(全体としては、中米統合は機能している)。一方、117月の革命記念日、米国が上記コントラを支援したことでニカラグアが蒙った被害額を170億jと公言、対米関係に綻びが見られる。

彼は、2011年選挙で連続再選された。憲法上、革命の原因となった一族超長期支配を排除するため、大統領の連続再選は勿論、親族同士の政権交代も禁じていた。だがオルテガ大統領に対してのみ、最高裁が例外扱いを認めた。且つFSLNが全議席の3分の2を確保した。ニカラグアはラ米の最貧国に留まったままだ。オルテガ氏にもその責任の一端はあろうが、国民は彼とFSLNを選んだ。20141月、議会は大統領連続再選を認め、その回数制限もしない、と言う憲法改正を決議した。ベネズエラに次ぎ、この国でも一個人が、選出さえされれば、何期でも連続で大統領を務めうるようになった。彼は、ニカラグアの大西洋・太平洋両岸を貫く運河建設に気勢を挙げるが、この問題を含め、今後の動きに注視したい。

 

 
トップページへ

政権一覧表   ラ米諸国の選挙制度 ラ米諸国の政党模様 
左派政権の国々    メキシコ・中米・カリブ  アンデス諸国 メルコスル諸国 


ホーム     
ラ米の政権地図  ラ米略史  コンキスタドル(征服者)たち  ラ米の人種的多様性  ラ米の独立革命 
カウディーリョたち  ラ米のポピュリスト  ラ米の革命  ラ米の戦争と軍部  軍政時代とゲリラ戦争 
ラ米と米国   ラ米の地域統合