2008年1月現在、ラ米十九ヵ国の人口は、国連による06年の推定を含め5億4,380万人、となっている。建国時はどうであったか。
私が2005年に訪れたマドリードのアメリカ博物館では1825年時点の人口として以下のように示していた。
国 |
人口 |
|
全体 |
白人 |
先住民 |
黒人 |
混血 |
現在人口、伸び、出所 |
メキシコ |
700万 |
20% |
54% |
|
26% |
1億650万、15倍、2006年、国連推計 |
中米 |
260万 |
12% |
69% |
|
19% |
3,740万、15倍、同上 |
ボリビア |
110万 |
23% |
54% |
|
23% |
950万、8.5倍、同上 |
アルゼンチン |
63万 |
44% |
40% |
|
16% |
4,100万、65倍、06年、同国統計局 |
ブラジル |
400万 |
22% |
8% |
52% |
18% |
1億8,596万、47倍、08年、同国人口統計 |
コロンビア |
180万 |
14% |
39% |
6% |
41% |
4,406万、24倍、同上 |
ベネズエラ |
85万 |
24% |
12% |
18% |
46% |
2,770万、33倍、08年、同国統計局 |
ペルー |
270万 |
19% |
44% |
4% |
33% |
計4,450万、16倍。ペルー(06年、国連推計)とチリ(同年、自国統計局)合算 |
チリ |
大著“Cambridge History of Latin America,1992”には1810/25年推計表でメキシコがブランクになっており、ブラジルを500万、としている。また、
- 中米計123万で、上表の半数。これを基準にすると今日30倍
- コロンビア110万、エクアドル50万。この合計が上表のコロンビアに近い。2008年段階の両国人口の合計は5,860万で、1810/25年比36倍
- ペルー125万、今日2,790万なので、22倍
- チリ100万、同、1,660万で、17倍
”La Poblacion en America Latina,1994”,
N.S.Albornoz”による1850年の人口は
- ウルグアイ13万。国連推計の06年330万で、25倍
- パラグアイ35万。同610万、17倍
- キューバ120万。同1,130万、9倍
- ドミニカ共和国15万人。同980万、65倍
各方面から当時の人口を推計しているので、研究者によって数字はバラバラだが、はっきりしているのは一部を除き、現在の数十分の一程度しかいなかった点だ。あまりに広大で長大な領土の、あまりに人口過小な建国時のラ米諸国の経済規模を推察頂きたい(人種呼称は、別掲ラ米の人種的多様性参照)。
植民地時代、メキシコ、ペルー及びボリビアは銀の生産国として繁栄した。宗主国が得た植民地の富の殆どは、ここから出た。メキシコのイダルゴとモレロスが遂行した独立革命戦争は、他ラ米諸国のそれとは全く性格を異にし、メキシコ同様、人種的に先住民が過半数を占めたペルー、ボリビアの独立革命前夜の「トゥパクアマルー二世の乱」と「トゥパクカタリの乱」に似る。ペルー、ボリビアの独立革命戦争も規模は大きかった。鉱山が大きな被害を蒙る。スペイン人資本家の引揚げで過小資本に陥った。その後メキシコは、米国に国土の半分を譲渡させられた。カウディーリョの行動が少なからぬ影響を与えた。ペルーとボリビアは2つの異なった国家として独立したが、一旦カウディーリョによって連合国家樹立に至りながら、チリとの戦争で敗れ、短期間で元に分裂した。
中米の場合は経済の基本は原産のカカオを始めとする農業だ。人種構成は、地方毎に大きく異なっていた。スペインからは戦争を経ずに独立したが、メキシコによる併合と再独立の間に、多くのカウディーリョが活躍した。初代コロンビア共和国(グランコロンビア。以下同)の内、現ロンビアは産金地だったが、この頃は植民地時代の前半、中米から南米北部一帯にも移植されたカカオが重要な換金商品だった。ベネズエラ、エクアドルもカカオを重要産品としていたが、前者ではベネズエラは畜産が栄え黒人やムラート(黒人系混血)が多く、後者は山岳部に繊維産業が根付き先住民及びメスティソが多かった。中米はグァテマラのカウディーリョが率いた農民蜂起が切っ掛けで解体した。グランコロンビアの3ヵ国には峻険で二股に分かれたアンデス山脈という、地勢上の障壁はあったが、強力なカウディーリョによって短期間で解体した。
畜産業が基幹産業で皮革、塩漬け肉を主要換金商品とするアルゼンチンとウルグアイには、いわば英語で言うカウボーイ気質の強い社会文化があった。アルゼンチンでは先住民が概ね半定住民で、牧場や農園の襲撃を繰り返した。カウディーリョが各地に割拠する背景として記憶したい。新国家の国民意識が育つのに、時間がかかった。ウルグアイは小国だったが、カウディーリョ同士の争いが絶え間なかった。パラグアイは、先住民比率は高かったようだが白人との混血化が進んでいた。畜産に加えマテ茶など特産品を持っていながら鎖国を余儀なくされたものの、却って自給自足の教育水準の高い社会が形成できた。ここにもカウディーリョが大きな役割を果たす。
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