ラ米史では、独立後半世紀ほどの建国期を、よく「カウディーリョの時代」と呼ぶ。国家統合により、カウディーリョが活躍できる場は確かに減った。だが最高権力者が軍人で、且つ国政を私物化し、政権運営が明らかに家父長的で縁故主義傾向の強く、カウディーリョそのもの、という人もいた。私兵を動かすカウディーリョも、十九世紀末になっても、引き続き存在した。以下にベネズエラ、メキシコ、グァテマラ(ニカラグア含む)及びドミニカ共和国の例を述べるが、カウディーリョ支配やそれに近い個人の強権支配は、ボリビア、パラグアイ、及びエルサルバドルやホンジュラスでも見られた。
(1)ベネズエラ-長引くカウディーリョ支配
連邦戦争(1859-63年)でパエスが事実上の失脚、その後の政権で34歳のグスマン・ブランコ(*1)が副大統領に就いた。1847年に自由党を創設したのは彼の父親であり、彼もこの頃には自由主義勢力の中核的存在になっていた。保守派によるクーデターで一旦亡命するが、70年に指揮した、自由主義革命と呼ばれる逆クーデターで、今度は大統領に就き、以後87年の最終的退任まで、断続的に15年間務めた。それ以外は概ね院政を敷き、19年間、最高権力者の座にあった。退任後病気治療のためパリに向かい、死去するまで同地で生活したが、パエスとは異なり亡命ではない。在任中、鉄道及び電話線敷設など公共事業には見るべきものは多い。彼は後任には文民を推し、2代二人の文民政権が続いたが、92年、クレスポ(*2)がクーデターで自らの政権を得た。ただクレスポも彼の70年クーデターの同志で、彼に国軍司令官に任じられており、84~86年は彼の院政下で大統領を務めた人だ。彼の路線はクレスポ追放の98年まで続いた、と言える。
1892年のクレスポのクーデター後コロンビアに亡命し、同地で強力な軍団を育成していたシプリアノ・カストロ(*3)が、99年10月、カラカスに進軍し政権を掌握した。クレスポは前年、暗殺されていた。
シプリアーノ・カストロ政権は、反対勢力による反乱の頻発とその鎮圧及び弾圧、という独裁と、列強に対する強烈なナショナリズムで知られる。1902年12月の英、独、伊3ヵ国の艦隊による海上封鎖と砲撃は、後者の結果だが、実際には対外債務不履行が発端だ。調停に乗り出したのがセオドア・ルーズベルト米大統領で、結局ハーグ国際司法裁判所によるベネズエラ敗訴を経て07年に決着したが、08年6月には対米断交に進んだ。
1908年12月、その彼とコロンビア時代から行動を共にし、彼の政権下で副大統領となっていた国軍総司令官、ビセンテ・ゴメス(*4)が、彼の国内不在を利用しクーデターで政権を奪取した。彼は亡命先で死去する。
ビセンテ・ゴメスは、先ず、対米復交を含む欧米諸国との関係修復を実現した。以後1935年の病死までベネズエラを支配した。国内にあって病死したベネズエラのカウディーリョは珍しい。反対勢力弾圧による独裁に加え、14年のマラカイボ大規模油田発見、世界有数の産油国化で債務問題も解決、再び経済状況が好転したことが寄与した。
(2)ディアス-メキシコの抗仏戦争で台頭
サンタアナ失脚、「レフォルマ戦争」を経たフアレスが次に戦った「抗仏戦争」
(別掲「ラ米の軍部と戦争」のラ米確立期参照)の際に登場し、とりわけ1862年5月5日のプエブラの戦い(「シンコ・デ・マヨ」、即ち5月5日で知られる)でフランス軍撃退に貢献し名を上げた人がディアス(*5)だ。抗仏戦争期に多くの会戦に参加、或いはフランス軍による拘束と脱走、などなど逸話も多い。
1867年の大統領選では、フアレスの対抗馬として出馬し敗れた。以後毎回、出馬と敗退を繰り返した。フアレス再選の71年、選挙不正を理由にクーデターを図り失敗し収監された。フアレス死去後の72年選挙は、レルド暫定大統領就任の際の恩赦による釈放を経て出馬、レルド(*6)に敗退した。76年の選挙でレルドが勝つと、憲法は再選を認めていない、として又してもクーデターを図り、今度は成功し、同年11月に政権を奪取した。46歳だった。その後事実上1911年までの35年間、メキシコの最高権力者として君臨することになる。
メキシコの最初の鉄道開通がレルド政権下の1873年、とラ米では非常に遅かったことに見られる如く、建国事業は決して順調ではなかった。社会基盤整備が進み、米国資本が押し寄せ、経済発展期に入るには国内治安の改善が必要だったが、一般的にこれに寄与したのがフアレス政権下で制度化された「ルラレス(Rurales)」と呼ばれる地方保安官だ。ディアスはこの組織を強化、併せて反対派を抑圧することで反乱の芽を摘んだ。一方で実証主義を奉じる「シエンティフィコス(Científicos)」と呼ばれる官僚に経済運営を委ねた。憲法の再選禁止条項に従い、80年からの四年間政権を離れたが院政を敷き、84年からは連続再選を繰り返した。選挙人選出や中央・地方への強権発動でそれを可能にした、とされる。
1910年、今度は彼に対する再選反対を叫びマデロが「メキシコ革命(別掲ラ米の革命参照)」を開始、これで最終的に退陣し、サンタアナ同様、亡命先で死去した。彼の功績は何と言っても「パックス・ポリフィリアーナ(ポリフォリオ体制下の平和)」と呼ばれる国情安定と経済繁栄にある。だが一個人による長期支配は後世に嫌悪され、反面教師となり、革命を経た1928年以降、この国では大統領再選は全く無くなった。
(3)グァテマラとドミニカ共和国-続く独裁者
1865年にカレラが死去した後も、グァテマラでは保守派支配が続いた。これに対する反乱に参加し、敗れて亡命していたバリオス(*7)が帰国し、1871年6月に起こした自由主義派のクーデターで実権を得た。それまで保護されていた先住民共同体の土地の接収と再分配、加えて、ラ米でも遅ればせながら政教分離が実現する。またカレラ同様、隣国ホンジュラスとエルサルバドルの内政に介入、両国も自由主義勢力が政権を担うようになった。これでも飽き足らず、85年2月、中米統合を宣言し、同年4月、エルサルバドルに侵攻した。これは彼の戦死で挫折するが、中米統合への情熱から悲壮な最期を遂げたことで、モラサンと並べられることもある。
その後もバリオスの政治路線は続いた。92年には彼の甥が大統領になっている。ニカラグアのセラヤ(*8)大統領の主導により動きだした「大中米共和国(República
Mayor de Centroamérica)」構想に参加したが、結局流産した。
1865年にスペインから再独立したドミニカ共和国では、バエスが1878年の最終的失脚まで復権と失脚を繰り返していた。その後に登場したのがハイチ出身のウロ(*9)で、内相を経て82年から大統領、若しくは院政を敷く形で、99年に暗殺されるまでドミニカ共和国を支配した。バエスも黒人の血が濃いが、ウロは純粋に黒人のようだ。この国の秘密警察と密告者のネットワークを使った反対派弾圧、巨額の対外借り入れで債務不履行と経済破綻を招いたことで知られる。後者は、インフラ整備への投資に充てられたものだが、後世には彼の政権腐敗が取り沙汰される。
1898年2月、グァテマラのバリオスの甥が暗殺されカブレラ(*10)副大統領が昇格、以後1920年4月、議会によって解任されるまでの22年間、グァテマラを支配する。彼は内相、法相を歴任した法律家であり、カレラとバリオスとは性格が異なるが、同国の小説家、アストゥリアスが「大統領閣下」のモデルとしたことで知られ、後世より抑圧政治家の代表的存在、と目される。また米企業、ユナイティッド・フルーツ社(UFCO)が本業のバナナ事業のみならず、グァテマラの鉄道、通信事業を支配できるようになるのは、彼の政権下において、であり、同社との癒着もよく知られる。
1899年7月のウロ暗殺から5年後の1904年、ドミニカ共和国の債務不履行を理由に欧州債権国が税関占拠を企てた際に、米国が先行してこれを差し押さえた。翌05年2月、米国を含む債権国への債務返済実務を委ねる対米税関管理条約を締結する。一国の歳入を賄う関税が米国の管理下に入ったことになる。一方で政治支配権を巡り、この国ではクーデターが多発した。結果として米国による海兵隊派遣も繰り返され、1914年から8年間は米軍による軍政が敷かれている。
人名表
(*1)グスマン・ブランコ(Antonio Guzmán Blanco、1829-99):ベネズエラ。大統
領(1870-77、1879-84、1886-87)。クーデターで政権掌握。22年間の政治、
経済安定
(*2)クレスポ(Joaquín Crespo、1841-98):ベネズエラ。大統領(1884-86、
1892-98)。1892年、22年ぶりのクーデターで政権掌握
(*3)シプリアノ・カストロ(José Cipriano Castro、1858-1924):ベネズエラ。
1899年、クーデターで政権掌握。大統領(1899-1908。暫定、立憲含む)
(*4)ビセンテ・ゴメス(Juan Vicente Gómez、1857- 1935):ベネズエラ。1908
年、事実上のクーデターで政権奪取。大統領(1908-14、22-29、31-35。暫
定、立憲含む)。
(*5)ディアス(Porfirio Diaz、1830-1915):メキシコ。クーデターで政権掌握。大
統領(1876-80、1884-1911)。国情安定と経済発展をもたらした功労者、との
評価もある。
(*6)レルド(Sebastián Lerdo de Tejada、1823-89):メキシコ。法律家出身。文
民。自由主義を奉じフアレスと行動を共にし、彼の死後大統領(1872年7月-
1876年11月)
(*7)バリオス(Justo
Rufino Barrios、1835-85):グァテマラ。クーデターで自由
主義政権樹立。大統領(1873-85)。国内安定には寄与
(*8)セラヤ(José Santos Zelaya、1853-1919):ニカラグア。ウォーカー戦争後
クーデターで初めての自由主義政権樹立。大統領(1893-1909)。隣国への介
入繰り返しで中米不安化
(*9)ウロ(Ulises Heureaux、1845-99) :ドミニカ共和国。大統領(1882-84、
87-99)。反スペイン併合、反バエスの武力闘争に参加
(*10)カブレラ(Manuel
Estrada Cabrera、1857-1924):グァテマラ。大統領
(1898-1920)。法律家出身だが、強権で長期国家支配
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