ポプリスタ輩出の背景 |
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ブラジル、アルゼンチン及びキューバの人口増はヨーロッパ人移民に負うところが大きい。鉄道延伸で国内交通が増強され、また先進国重要増大と港湾整備によりコーヒー、穀物、畜産、砂糖などの生産急拡大で、雇用機会が膨れ上がっていた。国内外の物流インフラが発達すると、商業や金融の中心となる都市整備も進む。ヨーロッパ移民の多くは農村部での契約就業期間を終了すると都市部に移住した。サービス部門や国内市場向けの小規模工業、建設部門などで新たな職を得た。元々の国民にも、農村部から都市部に移住する人が増えた。移民が殆ど無かったメキシコを始めとする他のラ米諸国でも、同様の傾向は見られた。 要するに、二十世紀初頭のラ米は、都市化が進んだ。メキシコの場合、革命の影響と思われる鈍い人口増にも拘わらずメキシコ市では他のラ米主要都市並みの人口増を見た。HistoriaComún de Iberoamérica,Editorial EDAF,2000で、1900年と30年のラ米の人口七大都市について、概ね下記の通り紹介されている。当時の域内先進国といえるアルゼンチン、チリ、ウルグアイ及びキューバ4カ国の首都が入っている。また、ブラジルの急速な発展ぶりも伺える。
1930年の上記以外の人口七大国の首都人口は、ボゴタ(コロンビア)が33万、リマ(ペルー)27万、カラカス(ベネズエラ)は20万人としている。 都市化が進むと、都市中間層が増加する。ラ米社会では二十世紀初頭はオリガキーの時代にあった。都市中間層がオリガキー打倒を叫ぶ運動が続く。非オリガキーの政治勢力が台頭する。メキシコでは一っ飛びに社会革命が成立していた。アルゼンチンでは中間層政権も誕生した。1918年に同国で大学の自治を認める大学改革令が出ると、他諸国でも学生運動が湧き上がる。軍部でも若手将校らに反オリガキー意識が高まり、20年代にブラジルでは反乱が起きるしチリ、エクアドル及びボリビアではクーデターによる政変を見た。 労働運動は、ウルグアイやメキシコなどを例外として、多くの国では、オリガキーであれ中間層政権であれ、政府当局の弾圧を受けた。軍出動まで行ったところもある。だが1929年のウォール街発世界恐慌で社会が騒然とし、多くの国が政権を維持できなくなり各地でクーデターが起きた(別掲「ラ米略史」のポプリスタたちの時代、及び「軍政時代とゲリラ戦争」軍政時代前夜を参照)。騒然とする社会を纏めるのは、軍部による強権でなければ、大衆的人気を呼ぶカリスマ、となろう。後者は、ラ米ではカウディーリョ性が備わった人物だ。こうしてポプリスタを輩出した。その何人かにはカウディーリョにも似た独裁性が眼を引く。
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