「ポピュリスト」のスペイン語、「ポプリスタ」となると、ラテンアメリカでは少々響きが異なるため、このリポートでは敢えてスペイン語表記としている。本項ではそのポプリスタを輩出した世界恐慌(大恐慌)からの20年間を概観する。
1933年3月、米国大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは米国史上唯一連続三期政権を担った人だが、ラ米史上「善隣政策」で有名だ。30年代は米国ですら経済活動に国家が指導的介入を行っている(ニューディール政策)。
ラ米でも、国によって時期的な差異はあるが、30年代より十九世紀末からの伝統的自由主義を脱して、国家が経済を主導する時代を招来したのは自然な流れだった。加えて、39年11月に勃発した第二次世界大戦で、ラ米は輸入に頼っていた工業製品が入手難に陥った。これは多くの国で輸入を代替する工業開発を呼び起こす。
1941年12月に米国が第二次大戦に参戦すると、多くのラ米諸国もほどなく枢軸との断交、乃至宣戦布告に踏み切った。ブラジル、メキシコは参戦までした。だが、これが米州共同防衛に関わる「チャプルテペック宣言」に発展するのは、1945年3月、つまり既にイタリアが降伏し、ドイツが降伏直前で、米軍が日本空爆に踏み切るタイミングのことだ。大戦後、米国はパナマにラ米軍人教錬を目的とした「米州学校」前身を設置(46年)、また東西冷戦を目前に米州結束強化を進めた。具体的には47年9月の、国際的軍事ブロック化の先駆けとなる「米州相互援助条約(リオ条約)」の締結、及び翌48年5月の「米州機構(OAS)」設立が挙げられる。また戦中からラ米諸国の民主化も働き掛けている。一方で、共産主義勢力のみならず、ナショナリズムに対しても、露骨な不快感を示すようになった。ラ米諸国の多くで共産党が非合法化される。
(1)クーデターの時代(別掲「軍政とゲリラ戦争」の軍政時代前夜参照)
大恐慌は、国際相場商品でもある金属及び食料資源の輸出に頼るラ米諸国には大打撃で、社会不安が高まる1930年代、ラ米十九ヵ国中11ヵ国でクーデターが起きた。内ドミニカ共和国(一人による政権期間31年間)、グァテマラ(同、13年半)、エルサルバドル(同、12年半)、キューバ(同、二度、計17年間)、ニカラグア(同、20年間)及びブラジル(同、15年間)の6ヵ国が長期独裁政権に移行する。ブラジルを除く5ヵ国全ては軍人そのものによる長期独裁であり、クーデターこそ経てはいないが、ホンジュラスにも16年間のカリアス(*1)長期独裁政権が誕生した。米国の裏庭ともいえる中米・カリブ地域、というのが特徴だ。ブラジルの場合は下記(2)をご覧頂きたい。
残るボリビア、ペルー、アルゼンチン、エクアドル及びパラグアイの南米5ヵ国では、長期独裁には至らなかったが、短期軍政の次に以下のような展開を見る。
- ボリビア及びパラグアイ:「チャコ戦争」(下記ペルー・エクアドル国境紛争含め、別掲「ラ米の軍部と戦争」の二十世紀の国家間戦争参照)を経て新たなクーデター。以後、軍内闘争を含め、軍部が政権運営の前面に登場
- ペルー:アヤデラトーレ(前述)が帰国し、大統領選でクーデター指導者の軍人に敗退したことが切っ掛けとなり、同党過激派による大統領暗殺、再びの軍政、へと進み39年12月発足のプラド(*2)第一次政権誕生で民政復帰
- アルゼンチン:いわゆる「協調政府」(寡頭勢力を含む挙国一致型政府。その初代大統領フスト*3)は軍人)時代を経て、43年6月、ペロン(*4)も属していた「統一将校団(GOU)」によるクーデターで軍政に戻る。
- エクアドル:ベラスコ・イバラ(*5)を軸として短期間に政権交代を繰り返す政治流動化の時代(~48年)が始まる。
- ペルー及びエクアドル:41年7月、ペルー・エクアドル国境紛争が交戦事態にまで発展、翌42年1月、一旦和平、以後も両国間国境問題は燻り続ける。
(2)ポプリスタの輩出(別掲ラ米のポピュリストたち参照)
1930年代のラ米でクーデターによって登場したポプリスタが、ブラジルのヴァルガス(*6)だ。大恐慌期のコーヒー価格暴落下の大統領選でミルクコーヒー体制候補に敗退した彼を、出身地リオグランデドスル州の若手将校が彼を担ぎ、クーデターを成功させた。「ヴァルガス革命」とも呼ぶ。37年11月の「新国家」宣言などを経て、強権的な長期政権を担うものの、文民政治家である点がこの時期の中米・カリブの場合と異なる。労働者の父とも呼ばれ、またブラジル近代化への礎を築いた人でもある。
ヴァルガス革命の4年後にメキシコ大統領として登場したのが、カルデナス(*7)だ。ヴァルガスと異なり軍人であり、政権も一期6年で終えた。彼の業績で知られるのは38年3月断行した石油国有化と大規模な農地再分配で、前者は本来米国の制裁を呼び起こすものだが、善隣外交の一環でこれを黙認している(但し長年に亘り、メキシコ石油輸入ボイコットを受けた)。また彼は党の組織改革も進め(党名は二度変わり、46年1月に「制度的革命党(PRI)」となる)、メキシコ革命の制度化に努めた。
第二次世界大戦で、ブラジル、メキシコとも連合国側で参戦したラ米唯二つの国でもある。カルデナスは米国からは決して好印象は持たれていないが、アビラ・カマチョ(*8)政権下で急好転し、戦後の経済発展にも繋がった。軍部に親独傾向が強かった南米諸国にあって、ヴァルガス政権は連合国側の積極支持に回り、米国によるブラジルへの武器及び重工業技術供与で工業化に弾みを付けることになる。
ポプリスタとして最も代表的なのはやはりアルゼンチンのペロンだろう。表舞台に登場したのは上記二人には遅れた。アルゼンチンはドイツ降伏直前まで旗幟を明らかにしておらず、その一方で労働者を糾合した勢力を醸成し、46年2月の選挙を経て大統領に就任したペロンは、米国からはファシストと看做され歓迎されず、彼の政権の長期化のあおりで、結果的に長期に及ぶ経済低迷を余儀なくされる。
なお、ガイタン(前述)を出したコロンビア、及びベタンクール(前述)を出したベネズエラについて、以下を特記しておきたい。
- コロンビア:1930年8月、自由党が政権を半世紀ぶりに奪取、二代目のロペス・プマレホ(*9)政権は「進行する革命」をスローガンとし、労働者と農民の擁護、教育の民主化などポピュリズムに近い政策で知られる。だが46年、保守党が政権を奪還、その後自由党党首となったガイタンが48年4月に暗殺されると、この国は暴動の応酬が繰り返される「ビオレンシア(暴力)の時代」に突入する。米州機構(OAS)創設の協議はコロンビアで行われ、その趣意書たる「ボゴタ憲章」はガイタン暗殺の翌月に発せられている。
- ベネズエラ:1935年、ビセンテ・ゴメスが死去した。だが彼の死後も軍人による政権が続いた。「ゴメス無きゴメス時代」と言われる。45年10月、2年前のアルゼンチンのGOUに似た若手将校団のクーデターが起きるが、成立した革命政府の首班には、文民のベンタンクールが就き、48年2月にこの国始まって以来の普通選挙による文民政権も発足した。ただ逆クーデターで民主化は先延ばしとなった。
(3)新たな動き
1930年代のクーデターを免れた8ヵ国の中で、下記4ヵ国の動きを特筆したい。
- チリ:1931年7月、クーデターではなく、軍人のイバニェス(*10)大統領が社会不安を抑えきれず亡命、1年半の政情混乱期をみた。その後アレッサンドリ第二次政権を経て、38年12月、「人民戦線」政権が発足している。共産党が社会党他革新系の複数政党を糾合する政治運動で、事実上46年9月までの8年間続く。ただ今日同様、多数政党が鼎立する政治状況が定着し、連立が一般化する中で、急進的な政権運営はみられない。
- ウルグアイ:1933年3月、テラ(*11)大統領が憲法停止、議会解散を断行(「アウトゴルペ」と言う)、翌34年5月、この複数行政制度を廃止し、大統領権限を大幅に強化、ラ米の普通の国に戻る。
- コスタリカ:社会不安の高まりは他ラ米諸国同様であり、政界再編の波は受けたが、任期途中の政権崩壊には至っていない。1948年3月、総選挙の不正を理由にフィゲレス(*12)率いる反乱軍(国民解放軍)が蜂起、1ヵ月半のコスタリカ内戦(別掲の「ラ米の軍部と戦争」の「ラ米の内戦」参照)を勝利した。米州唯一の非武装明記の平和憲法は、彼を首班とする革命評議会が推進したものだ
- パナマ:国防を米軍が担っていたので軍事クーデター、とは言い難いが、1931年1月、アリアス(*13)の兄弟に率いられる勢力が武力蜂起で時の大統領を追放し、以後ナショナリズムの強い政権が続く。運河地帯の主権がパナマにあることを法的に明記する文書は棚晒しになっていたが、36年6月、漸く米国との条約でその旨確認された。真珠湾攻撃の直前の41年10月、アリアス政権の副大統領が彼を追放、この地に米国の南方軍総司令部(46年、ここに米州学校の前身が開校)が置かれることを特記したい。
(1)で長期独裁を見た7ヵ国の内、キューバ(1944年。バティスタ政権の中断)、グァテマラ(44年。いわゆる「グァテマラ革命」)、ブラジル(45年。大統領民選)、ホンジュラス(49年。同)に民主化の波が及ぶ。
この頃ラ米全般に先進工業国に安い資源を供給し、高い商品を購入する経済構造を批判する、いわゆる「従属論」が広まっている。この対策として、米国の価値観には背反するが、輸入代替産業政策の推進が一般化した。ナショナリズムと雇用機会創出に繋がることから、特にポプリスタが強力な政権運営を行う国々で顕著な動きとなる。
人名表
(*1) カリアス(Tiburcio
Carias、1896-1969):ホンジュラス。軍人で二大政党の一
つ、国民党指導者。1933年に満を持して大統領当選、その後連続三選
(*2) プラド(Manuel Prado y Ugarteche、1889-1969):ペルー。大統領(1939-45、
56-62)。二度とも民政復帰後の初代
(*3) フスト(Agustín Pedro Justo、1878-1943):アルゼンチン。大統領(1932-38
イギリスより食糧特恵輸出を引き出し大恐慌期乗り切り。対英従属への批判
(*8) アビラ・カマチョ(Manuel Ávila
Camacho、1897-1955):メキシコ。大統領
(1940-46)。第二次世界大戦で労働不足の米国に季節労働者派遣、チャプルテ
ペック宣言主導、大戦への参戦で対米修復
(*9) ロペス・プマレホ(Alfonso López
Pumarejo、1886-1959):コロンビア。大統
領(自由党。1934-38、42-45)。
(*10) イバニェス(Carlos Ibañez del Campo、1877-1960):チリ。復権したアレッ
サンドリ大統領が1925年10月の新憲法制定直後退陣、その後継政権を担う(~31
年7月)。後年、第二次政権(1952-58年)
(*11) テラ(Gabriel Terra、1873-1942):ウルグアイ。大統領(行政制度下1931-34
年、大統領権限復活後1934-38)
(*12) フィゲレス(José Figueres Ferrer、1906-90):コスタリカ。51年に国民解放
党(PLN)創設。大統領(1953—58、70-74)。通称「ドン・ペペ」
(*13)アリアス(Arnulfo Arias
Madrid、1901-88):パナマ。大統領(1940-41、
49-51、68)。反米志向が強く、大統領になる度に追放される。政界に長期に亘
って影響力を持つ。後のモスコソ大統領(在任1999-2004)は彼の未亡人。
下記については、別掲ラ米のポピュリストたち参照
(*4) ペロン(Juan
Domingo Perón, 1895-1974。アルゼンチン)、
(*5)ベラスコ・イバラ(José
María Velasco Ibarra、1893-1979。エクアドル)、
(*6)ヴァルガス(Getúlio Vargas、1883-1954。ブラジル)
(*7)カルデナス(Lázaro Cárdenas del Río、1895-1979。メキシコ)
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