米国一極化の中で


 1992年11月の大統領選挙で、民主党クリントン(在任1993-2001)が連続再選を狙うブッシュ(父)を破った。対ラ米政策は、新自由主義経済路線と共に、殆ど継承されている。2001年に彼を継いだ共和党ブッシュ(子。2001-09)は「テロとの戦争」を前面に出し、ラ米問題の優先順位は低かったようだ。本項は、「ラ米略史」最終項対外債務と地域統合と併読願いたい。
 
 クリントン政権は、1994年12月、第一回目の米州サミット(キューバ以外の米州諸国から成る)をマイアミに主宰した。ここで同年1月に発効していたNAFTAを米州全体に拡大する米州自由貿易圏(FTAA)構想を提示する。93年10月に中米共同市場(MCCA)、96年3月にアンデス共同体(CAN)が実効性のある機構として発足する一方、95年1月にはメルコスルも発効していくが、これらをも全てFTAAで包含する意欲的なものだ(別掲ラ米の地域統合参照)。
 1995年1月、発足したばかりのセディヨ政権(1994-2000)下のメキシコ通貨危機に対する528億jの多国間支援を主導した。新自由主義で資金の動きに対する規制が排除されると、一国の資本市場が他国投資家による巨額の資金流出入に晒される。反NAFTAのゲリラ蜂起や社会不安を嫌い投資が流出し、メキシコ通貨は売り浴びせられた。この救済は新自由主義とNAFTAの国際的信認を維持するためにも必要だった。1998年11月、カルドーゾ政権(1994-2002)下のブラジル通貨危機に対しても415億jの国際支援を主導した。こちらは97年のアジア、次にロシアの通貨危機が伝播したもので、やはり巨額投資資金の引き揚げによる。アルゼンチン始め他の南米諸国にも波及した。
 新自由主義経済は、ラ米では次第に貧富差拡大、というマイナス面で捉えられるようになったが、通貨危機は不信感をさらに高めた。反ワシントン・コンセンサス政策(貧困対策、貧富差是正のための財政出動、民営化見直し)を叫ぶ声が高まり始め、1999年1月、ベネズエラチャベス政権が誕生、ラ米諸国の政権左傾化が一足先に始まった(別掲ラ米の政権地図 参照)。
 
 対キューバ政策では硬軟両面の動きがある。1996年3月、第三国企業に対する制裁を規定した「ヘルムズ・バートン法(自由・民主キューバ連帯法)」が制定された。明らかな域外適用(WTO違反)との国際的非難を受ける。一方では、在米キューバ人の里帰りや送金に関る規制を緩和する動きもみせ、2000年1月、36年ぶりに食糧、医薬品輸出を解禁した。
 麻薬撲滅については、1999年9月、パストラナ政権(1998-2002)下のコロンビアに対する75億jの国際支援プログラム、「プランコロンビア」を主導した。国内で麻薬消費の急増に悩む米国にとり、麻薬犯引渡し要求に加え、供給源断ち切りのための対コロンビア支援は重要政策だった。さらにこの一環でマワ政権(1998-2000)下のエクアドルと、麻薬組織によるテロ活動に対応させるため、米軍部隊のマンタ空軍基地使用契約を締結している。パナマへの運河地帯返還にあわせ米軍基地も返還した後、米軍南方総司令部(97年にパナマからマイアミに移転)管轄のラ米内基地は、マンタ以外ではグァンタナモ(キューバ)とソト・カノ(ホンジュラス)だけとなる。
 
 クリントンを引き継いだ共和党のブッシュ(子)大統領は、ベネズエラチャベス大統領が国連で「悪魔」呼ばわりされた人だ。2002年4月の政変(チャベス追放。但し2日後に復帰)、及び12月から翌03年2月までのゼネストに関与(米政府は否定)した、とチャベスは断定している。03年4月、ブッシュ政権はキューバをテロ支援国家に指定、渡航、送金規制を再強化(但し、食糧・医薬品輸出は認める)した。
 彼の政権時代には、2003年1月のブラジルを皮切りに、ラ米に左派乃至中道左派政権が次々に誕生した。彼固有の政策によるものではなく、貧富差拡大と経済混乱を招く、とする新自由主義経済への反発が、彼の時代になって噴出したためだろう。一方では、彼の政権にとり、ラ米自体がイラク問題などに比べ優先順位が低かった。FTAA構想は、メルコスル諸国の強力な抵抗と南米共同体構想の推進で挫折した。一方では、中米・カリブ諸国(左派政権下のニカラグア及び中道左派政権下のグァテマラを含め)は対米自由貿易協定(CAFTA-DR)を通じ、経済面での対米一体化が進み、また、南米でもチリ、ペルー、コロンビアでは対米自由貿易協定が締結された(一部米国の批准待ち)。

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